歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年10月31日(水) 空き巣被害話

先週、地元歯科医師会に所属する歯医者Y先生の歯科医院に空き巣が入りました。聞いたところによると、朝早くY先生が自身の歯科医院の裏口から入ろうとしたところ、裏口の扉の鍵が開いていたとのこと。不審に思ったY先生が中に入ったところ、診療室が荒らされ、見るも無残な状態だったそうです。その後、現場検証に来た警察の担当者の話によれば、金目の物を見つけることができなかった腹いせに診療室内を荒らしたのではないかということだったそうなのです。

この話を地元歯科医師会の数人の先生と話をしていると、空き巣にやられたことがある先生、歯科医院がかなり多いことがわかりました。どうも半数以上の歯科医院が何らかの形で空き巣被害を受けたことがあるというのです。中には二度、三度と空き巣の被害を受けた歯科医院もあるのだとか。
この空き巣の犯人ですが、かなり手口が手馴れている輩のようで、警察の捜査にも関わらず逮捕に至るケースは少ないのだそうです。たとえ、犯人が捕まったとしても盗んだ現金や物は見つからないようです。ある先生の場合は、歯科医院においてあったパソコンを盗まれたそうですが、逮捕された犯人の家からそのパソコンが押収されたのだとか。ところが、パソコンは既に分解され全く使えない状態だったそうで、元の持ち主である先生の手元には粗大ゴミ化したパソコンの残骸が戻ってきたとのこと。
ある先生は、敢えて受付の目に付きやすいところに数万円の現金を置いているのだとか。如何にも取って下さいとばかりのように思えますが、金を見つけられなかった犯人が腹いせに診療所に火をつけたり、診療器具や機材を壊したり傷つけたりしないようにすることがないようにするための予防策だというのです。同じ空き巣の被害に遭うなら、金を見つけられなかった腹いせに診療器具は機材を壊されたり、放火されたりする被害を考えると、数万円の現金を盗まれる方が損害が少ないからだというのです。

地元歯科医師会の歯医者仲間とどのようにすれば空き巣に入られないようになるか?という話をしていたのですが、多少金はかかっても防犯会社と契約し、監視するようにして自衛しないとだめではないかという結論に落ち着きました。このようなことを書くと、歯科医院はセキュリティが甘かったのか?と思われそうですが、実際のところはそのとおりで、防犯のプロに防犯を任せるという意識が少ない歯医者が多いのが現状です。

空き巣話をしていたところ、同席していた先輩のF先生が言いました。

「わしのところはまだ一回も空き巣に入られたことがないよ」
「防犯対策をしっかりとされているのじゃないですか?」
「そのように思うかもしれないけど、実際は全く逆なんだな。ついこの間までうちの診療所は夜間や休みの日も施錠しなかったんだよ。うちの近くの歯科医院で次々と盗難があって今度はうちの番かと思っていたんだけど、どうも泥棒とは縁がないようなんだな。」
「それは幸運だったんじゃないですか。どうして先生の診療書には泥棒が入らなかったのでしょう?」
「うちの歯科医院はオンボロだからね。まさかこんなボロ家で歯医者をやっているとは思わないのじゃないかな?家内は言うんだよ、『うちの歯科医院はあまりにも古いから泥棒は気持ち悪がっているんじゃないの。世の中では盗人は怖いとされているけど、お化け屋敷のようなうちの診療所の中にいるあんたを怖がっているんじゃない?』」
F先生、大柄で非常に強面。そんなF先生が突然、古い家から突然現れたら誰でも身を引いてしまうのはわかるような気がしました。歯科医院の防犯対策は歯医者の顔で決まるのか?そのようなことを思いながらも強面のF先生の前では口が裂けても言えなかった、歯医者そうさんでした。



2007年10月30日(火) 仲が悪い歯医者同士

誰しも自分以外の人とストレス無く付き合いたいと願うものですが、実際のところはそうとは限らないのが世の常です。生理的なレベルから育った環境の違い、価値観の違い、性格の相違、意見の対立、利害の対立等々、自分が好むと好まざると肌が合う人、合わない人は誰しもいるものです。
歯医者の世界においてもそれは例外ではありません。どうしても受け入れられない、好きになれない、距離をおきたいと思いたくなる歯医者はいるものです。

以前、地元歯科医師会で記念行事を催そうとした時のことです。その会は某ホテルの大広間で行われたのですが、事前にテーブルごとに人数を割り振り、参加する人の席順を決めていたのです。
歯科医師会という組織は年功序列がはっきりとしている組織です。記念行事を催す際には、当然のことながら上座から先輩の先生に座ってもらうような席順にしていたのです。その際、あるベテランの先生がこんなことを言ったのです。

「薬に禁忌というものがあるように、先生同士にも禁忌の組み合わせがあるから注意するようにと。」
禁忌とは薬を服用する際によく使用される言葉ですが、他の薬や食べ物と取り合わせることを避けるという意味で用いられます。そこからタブーという意味で用いられることが多いものですが、あるベテランの先生は、歯医者同士でもタブーとなる組み合わせがあるから気を配るようにというアドバイスだったのです。
そこで、仲の悪い先生同士は隣同士しない、同じテーブルに配置しないという配慮がなされました。僕自身、ベテランの先生のアドバイスを聞いていて、思いも寄らぬ先生同士が犬猿の仲であることを知ることになったのですが、地元でしかも同じ歯医者同士という狭い社会の中でも相性の悪さというものが存在するのだということを実感しました。
この手の歯医者の仲違いの原因は、開業時のいざこざ、ある会議での意見対立、つるしあげ、感情的なしこりなどから修復できない状態となり、持続しているようなのです。

開業している歯医者は、基本的には開業歯科医院の院長である場合が多いもの。一国一城の主、お山の大将みたいなところがあるのです。そうした人たちの集合体が歯科医師会という組織でもあります。多くの歯科医師会に所属する開業歯科医院の院長はお互いに気を遣っているものですが、中には自分の個性を前面に出したがる人もいます。一国一城の主が多い開業歯科医院の院長という立場を考えると、自分の主張を前面に押し出す人もいるのです。お互いが何らかの妥協があればいいのですが、一歩も引かないような、引けない性格の人たちが仲違いを引き起こすようです。その結果、顔を合わしたくもない、挨拶も交わさないような場合もあるのです。

歯医者というと聖人君主のように思われる方もいるかもしれませんが、実際のところはそうではない。一般の方と同様、相性が悪く、お互いに対立し続けている歯医者もいるものなのです。



2007年10月29日(月) 入院して抜歯することはあるのか?

先日、僕は懇意にしている知人から歯に関する相談を受けました。その相談とは抜歯についてでした。何でも親知らずの抜歯を入院し、全身麻酔をしながら抜歯することになったのだそうですが、わざわざ入院して抜歯をすることはよくあるのか?という相談でした。

歯の抜歯というと一般歯科医院ではしょっちゅう行われている治療の一つです。普通の抜歯は外来通院することで充分に可能なものです。
同じ抜歯でも親知らずともなると抜歯ができる歯医者と抜歯を病院や歯学部、歯科大学附属病院の歯科口腔外科へ紹介し、抜歯してもらう歯医者がいます。いずれにせよ、大部分は外来で抜歯を行うものですが、場合によっては入院して抜歯をすることもあります。

それでは、どのような場合がそのようなケースに当たるのでしょうか?一つは患者さんの希望によることがあります。例えば親知らずが4本あるけども一度に4本の抜歯をしたい、眠っている間に抜歯したいと希望される場合です。

通常、外来での親知らず抜歯は片側のみ行うものです。左側であれば左側、右側であれば右側というようにです。
親知らずの抜歯は親知らずが顎の奥に位置している関係上、抜歯後は歯肉や顎が腫れることが多いのです。顎が腫れるということは口が開けにくくなり、食事がしにくくなりますし、しゃべりにくくなるものです。もちろん、抜歯の後には内服の抗生物質や抗炎症剤、鎮痛剤などを服用してもらいますが、抜歯という外科治療による体へのダメージは相当なものがあります。親知らずの抜歯の場合、骨に埋まっているような歯が多いため、場合によっては骨を削ることもあります。それ故、通常の歯の抜歯よりも抜歯後の炎症反応が大きく、腫れが生じるのです。
そんな親知らずの抜歯を左右両方同時に行えばどうでしょう?口は開きにくくなり、食事もままならない。場合によっては呼吸も困難になることもあるのです。ですから、外来では通常は上下親知らずを一緒に抜歯することはあっても左右同時に親知らずを抜歯することはほとんどありません。

入院して親知らずを抜歯する場合、4本同時の親知らず抜歯は可能となります。全身麻酔で行う場合、鎮静剤を投与して行う場合がありますが、親知らず抜歯後の管理は担当医ならびに病院が責任を持って24時間監視することとなります。薬の投与も内服薬だけでなく、点滴による投与も並行して行われます。点滴による抗生物質の投与は内服のそれに比べより濃度が濃く、薬のロスが少なく、より確実に患部に作用します。抗生物質以外にも抗炎症作用を持つステロイド系の薬剤も点滴に投与されるわけですから、腫れも少なくなります。また、腫れが大きくなったとしても直ぐに担当医が適切に処置を行うことができるのが病院です。
このようなことから、4本同時に親知らずを抜歯希望される患者さんは、入院することができる病院や歯学部、歯科大学附属病院の歯科口腔外科で抜歯をすることになるのです。

親知らずに限りませんが、歯が非常に骨の深くに埋まっており、抜歯の必要があるような場合も入院して抜歯をすることもあります。このような場合、骨をかなり削ることになるのですが、先に書いたように骨を削るということは術後に相当な炎症を伴います。術後の炎症、腫れがひどくなるようなことが予想される場合は、外来で通院してもらって抜歯をするよりも、入院して抜歯をする選択肢もあるものなのです。

入院して抜歯をするケースとして最もよくあるケースは、患者さんが何らかの病気を抱えているような場合です。歯科医院で抜歯をすると非常にリスクが高い、何らかの体の異常が生じるような病気がある患者さんの場合、歯科医院で抜歯せず、入院の施設がある総合病院の歯科口腔外科で抜歯をすることがあるのです。
皆さんもよくおわかりだと思いますが、歯科治療というのはかなりの精神的ストレスがかかるものです。何らかの病気を抱えた人の場合、精神的ストレスによってその病気が悪化したり、体に何らかの症状が現れるリスクがあります。場合によっては命の危険があることも考えられます。このような場合、入院しての抜歯という選択肢を取ります。
総合病院は様々な科の専門家がいます。もし、入院中に患者さんが自身の抱えている病気の症状が出現したとしても、総合病院ではお互いの科の連携で、病気を抱えた患者さんの対応が可能です。

今回相談を受けた知人の場合、高血圧がありました。高血圧症であってもきちんと血圧の管理ができていれば歯科医院での抜歯も可能なのですが、どうも話を聞いていると知人は高血圧の管理がうまくいっていないようで、そのためかかりつけ歯科医から総合病院の歯科口腔外科を紹介され、そこで入院し、全身麻酔での手術を勧められたようです。

ちなみに、全身麻酔に関しては、現在の医療レベルを考えればほぼ安心なものと言えます。ただし、歯科口腔外科の全身麻酔に関しては他の科のものと異なることがあります。それは、経鼻挿管という点です。通常、全身麻酔を行う時には、患者さんを眠らせてから口の中から気管へチューブを挿入します。このチューブを通じて、手術中も患者さんが呼吸ができるようにするわけですが、歯科口腔外科の手術の場合、口の中が治療場所です。口の中に人工呼吸用のチューブがあれば、手術の妨げになります。そのため、歯科口腔外科の手術では鼻の穴から気管へチューブを挿入するのです。これを専門的には経鼻挿管と呼びます。この点が大きく異なるのです。手術後、鼻の辺りが痛い時期が2〜3日あるかもしれないのですが、これは経鼻挿管による影響なのです。

病院に入院して抜歯をするということは随分と大げさなことのように思うかもしれません。僕の経験でもそれほど症例の数としては多くはないのですが、決して珍しいというわけではありません。通常、僕は親知らず抜歯を行いますが、上記のような場合には懇意にしている病院の歯科口腔外科を紹介し、患者さんの抜歯を依頼します。決して自分一人で全てのケースで親知らずを抜歯するようなことはしない主義です。



2007年10月27日(土) 真の実力は実戦の中でしか得ることができない

プロ野球選手でアメリカ大リーグシアトルマリナーズに所属するイチロー選手がかつてインタビューで言っていたことに下のようなことがありました。

かつて自分はピッチングマシーンを相手に打撃練習に励んでいた時期があったが、ある時ふと気が付いた。それはピッチングマシーンを相手に打撃を練習していても意味が無いということ。なぜなら、実戦ではピッチャーは人間であり、彼らの投げるボールは1球として同じものは無い。ピッチャーの投げる球は生きておりいろんなバリエーションがある。同じストレートの球でも急速も違えばコースも違う。カーブやスライダー、フォークボール、チェンジアップ等々の多種多様な球種を考えると、無限と言っていいほどいろんなボールが来る。それらに対応し、ヒットを打とうとするには、ピッチングマシーンでいくら練習を積んでいても意味が無い。実戦でピッチャーを相手に対応するしかない。

僕自身、非常に理解できることです。イチローは決してピッチングマシーンの練習が全く無駄であることは言ってはいないと思います。ある程度の基礎を築きあげるまは、ピッチングマシーンの練習は有効ではあるのですが、野球の試合の実戦においては、様々な状況があるわけで、その状況に如何に対応した柔軟な打撃をする必要を強く説いていると思うのです。
このことは僕の実戦である日頃の歯科臨床においても同じことが言えます。歯科医師として歯科治療の基礎的な知識、技術、経験は当然のことながら必要です。ところが、実際の患者さんは一人として同じ患者さんはありません。人間の顔が同じ顔がないのと同じように患者さんの症状も千差万別です。それらに如何に対応し、適切な処置を施すか?これはひとえに教科書を学んだだけでは対応できないのです。実際に患者さんに接し、治療を施し、結果を見ることで初めて経験し、歯科治療を体得できるものなのです。
このようなことを書くと、患者さんは人体実験ではないと批判を受けそうですが、もちろん、全く医学的な知識、技術がないなかで患者さんの治療をすればそれは人体実験であるという批判を受けることになるでしょう。けれども、実際の患者さんの症状を診査、診断して治療を行うことは日々、新鮮な驚きの連続でもあります。歯医者が思ってもみなかったことに遭遇するケースもあるのです。そうしたケースを驚くだけでは意味がありません。これまで自分が培った知識、技術、経験を駆使して、如何に乗り切るかが重要であり、そうして乗り切った蓄積こそが歯医者としての真の実力となってくるものなのです。

真の実力は実戦の中でしか得ることができない。これはどんな職業でも言えることですね。



2007年10月26日(金) ホコリが溜まるように金も溜まって欲しい

昨夜は診療が終わってから地元歯科医師会で会合があり参加してきました。会合のことはともかく、いつものように会合の合間に歯医者仲間で雑談をしておりました。昨夜の雑談の話題は、円天についてでした。(今朝の段階ではまだ株式会社エル・アンド・ジーのホームページは存在しているようです。)

既にマスコミで何度も報じられていますが、円天とは株式会社エル・アンド・ジーが独自に作ったバーチャルマネーで、10万円以上を預け会員になると、1年ごとに預けた金額と同額の円天と呼ばれる電子マネーを受け取ることができるのだとか。受け取った円天は円天市場と呼ばれる市場で商品を購入する時に利用することが可能とされているとのこと。
年利100%の金利が払われるということだったそうですが、実際はそうではなく、既に会員への現金配当が停止されているのだとか。現在、株式会社エル・アンド・ジーには出資法違反容疑で捜査当局による強制捜査が入り、詐欺の立件も視野に入れているそうです。

この手のねずみ講、マルチ商法といった詐欺行為は後を絶ちません。今回のエル・アンド・ジー社の社長は、かつてマルチ商法で逮捕され実刑を受けた人物なのですが、過去に犯した罪を反省するどころか、より巧妙な手段で詐欺まがいの行為を、おそらく詐欺でしょうが、世間を騒がせています。
昨夜の歯医者仲間同士の雑談の中では、どうしていつも数多くの人たちがこの手の詐欺行為に見事にひっかかるのか話していました。冷静に考えればこんなおいしい金儲けの話はありえないはずなのに、多くの人が引っかかり、金を騙し取られています。中には財産の全てや退職金をつぎ込んでしまった人もいるくらいです。どうして、詐欺が明らかな金儲け話に人は騙されてしまうのか?
昨夜の雑談での結論は、この手の詐欺に引っかかってしまうひとは欲深い人ではないかということでした。この不景気の時代、人は少しでも楽に金を増やしたい、金儲けをしたいと考えたくなるもの。僕もそんな小市民の一人です。宝くじやギャンブルで大当たりできないものか?なんてことを考えたりします。ところが、実際はそんな幸運なことに遭遇する機会はほとんどありません。むしろ、楽して金儲けができるという儲け話には何か裏があると考えてよいでしょう。客観的に考えれば、詐欺話の中には矛盾が一杯あるはずなのですが、欲に目がくらむとその矛盾が見えなくなってしまう。それ故、今回の円天のように多くの人が騙されてしまうのでしょう。

楽して金は入らない。そんな当たり前の結論に達した時、同僚のH先生が言いました。

「僕も一向に金はたまらないんだけど、家や診療所のホコリはたまるんだよな。何もしなくても、放っておいてもホコリは溜まる一方なんだよな。金もホコリと同じようにたまってほしいよなあ。」

H先生のつぶやきに思わず笑ってしまった歯医者そうさん。H先生の気持ちよくわかります。ホコリのように金が溜まればどんなに楽に暮らしていけることでしょう・・・。

そんなことを想像した僕も、結局のところ欲深い人間なのです、ハイ。



2007年10月25日(木) 偽薬効果

医療機関に来院する患者さんと話をしていると、時折薬事法で薬と認められていない民間療法がらみの薬や水、サプリメントのようなものを服用していることを話す患者さんと遭遇することがあります。

“周囲の人が体に良いからと言って勧めてくれた”
“知人がたまたま飲んで病気が治った”
“これまで悩まされていた症状から解放された”
等ということをよく耳にします。先日、某宗教団体でリンチ事件がありましたが、この宗教団体が販売する水が万病に効くということで某宗教団体会員に高値で売られていたということは記憶に新しいところです。

僕は薬事法で薬と認められていない薬の効果について真っ向から否定はしません。その訳は、薬でないものを服用しても体の中で一定の薬理効果が出る場合があるからです。

医者、歯医者、薬剤師など医療の専門職になるために必ず学ぶ習得しなければならない科目に薬理学というものがあります。薬を飲んだときに体の中でどのような生理作用、生化学作用が発言し、薬としての効果が現れるかを研究する学問なのですが、この薬理学の教科書の中には、必ず薬でないものを服用した時に一定の薬理効果が現れる記載があります。プラシーボ効果(Placebo effect)と呼ばれるもので、日本語で訳すならば偽薬効果とでも訳されるものです。

プラシーボ(Placebo)の語源はラテン語の“I shall please”(私は喜ばせるでしょう。)に由来しているのだそうですが、元来は患者さんを喜ばせるようなことを目的とした、薬理作用のない薬を指していたようです。具体的には薬ではない、澱粉などの粉末、乳糖や生理食塩水などを薬と称して患者さんに信じ込ませて飲ませ、その後、患者さんの体調の変化を調べるわけです。元々きちんとした薬ではないものを患者さんに飲ませるわけですから、薬の効果は期待できないはずなのですが、興味深いことに何割かの患者さんの症状が改善する場合があるのです。
どうしてこのような現象が起こるのでしょう?昔から病は気からと言われていますが、心理が体の健康に果たす役割は非常に大きいことは間違いのないようです。偽薬だと信じて飲んでいる患者さんの中には、偽薬の薬理効果というよりも気持ちの影響により体の中の免疫力が高まり、正式な薬を飲んだ時と同じような薬理効果が現れるのかもしれません。
これまでの研究では、一種の暗示効果であったり、自然治癒力に影響したり、病気の症状がましになる寛解期に関係しているなどと言われていますが、実際のところはよくわかっていないのが現状です。

様々な病気に効くとされている民間療法のほとんどは、このプラシーボ効果によるものではないかと多くの医療関係者は考えています。このプラシーボ効果ですが、偽薬を飲むことで症状が改善する場合があると思えば、むしろ逆に症状がひどくなる場合も見られます。民間療法は病気や症状が治った、改善したことを前面に出す傾向がありますが、そうでない場合も数多くあるはずです。
ところが、民間療法においては自分たちの都合の悪い症例は隠すのが常です。この辺りが薬事法で認められた薬の開発との大きな違いです。薬事法では薬の開発は何年もかかります。厳しい審査を何度も受け薬としての商人を受けてからも副作用が報告されれば直ちに情報を公開しなければならない義務があります。このような厳密さが民間療法にはないのです。

僕は民間療法を否定するつもりはありませんが、僕が今まで見聞きした民間療法は、どうも本当の薬理効果かプラシーボ効果かがわからないように思います。客観的に冷静な研究に基づき、多くの医療人によって検証された療法でない限り、全面的に信用するのは怖いなあと思う、歯医者そうさんです。



2007年10月24日(水) 赤福へのエール

今から30年前、僕は小学生でした。当時、僕が住んでいる関西方面の公立小学校では、修学旅行といえば伊勢方面への一泊二日旅行でした。僕の母校である地元小学校でも修学旅行は伊勢方面へ出かけたものです。大阪から近鉄電車の特急で伊勢志摩方面まで出かけ、伊勢神社を参拝し、二見ヶ浦付近の宿で宿泊。大部屋でクラス仲間が押し込められたような状態で一晩を過ごし、翌朝早く起きて、二見ヶ浦から夫婦岩を通じ日の出を見たことを昨日のことのように覚えています。

そんな伊勢旅行のお土産といえば赤福餅。当時から伊勢土産の定番だったわけです。この赤福餅に関して、僕は苦い思い出があります。
当時の僕の地元小学校の修学旅行では、事前に申し込まないと赤福餅が買えませんでした。事前に”赤福餅は生ものですから大勢の修学旅行生が一気に買うことができない、事前に予約して購入するようにしなさい”というなことを言われていたのです。
僕はここで大きなミスをしてしまいました。それは、事前に赤福餅を予約するのを忘れていたのです。そのため、友達が赤福餅のピンク色のパッケージの箱を何個も貰っているのを尻目に一人寂しく、赤福餅を買えないまま伊勢を後にした苦い思い出。
食べ物の恨みというわけではないのですが、修学旅行から自宅へ戻るや否や、家族に旅行のことよりも赤福餅を買えなかった悔しさを訴える始末。両親は僕が赤福餅を買えなかった悔しい気持ちを察してか、翌日には大阪の某デパートで赤福餅を買ってくれたのです。

実は、僕が赤福餅を食べたのはこの時が初めてでした。ピンク色の包装紙を取り、箱を開けるとアンコの山がきれいに並んでいる赤福餅。付いていた木のヘラで一山すくってみると、底にモチがあり、その上にアンコがのっかっています。甘さはどちらかというと控えめですが、上品な味。柔らかいが適度なこしのある餅と絶妙な取り合わせです。アンコは山の形、もしくは波の形のように見えますが、何でも一つ一つ指で作っているようで手作りの温かみを感じる形です。

かつて日本マクドナルドの会長であった藤田 田は“人の食べ物の好みは幼少時に食べた食べ物によって決まる”というような趣旨のことを言っていましたが、これは確かに食習慣に関する核心を突いた言葉だと思います。僕にとって小学校6年生の時に食べた赤福餅は今もなお好物の一つとして、機会あるごとに食べ続けている食べ物です。

以降、僕は機会があれば赤福餅を食べてきました。赤福餅は伊勢名物ではありますが、わざわざ伊勢に出向いて購入する必要はありません。大阪近郊のデパートのお菓子売り場へ行けば、確実に赤福餅を買うことが出来るのです。
赤福餅の類似品も数多くありますが、どれも正真正銘の赤福餅に比べれば質は劣ります。赤福は赤福でしか味わえない個性的な味があるのです。このことは単に僕だけでなく、多くの人が認めていることです。長年、伊勢名物、伊勢の土産物の定番として人気が高いことからも容易に想像できることでしょう。

現在、赤福餅が偽装で問題となっているのは皆さんもご存知のことでしょう。いろいろと製品の偽装が発覚するにつれ、会社ぐるみで行っていたことが明らかとなり、多くの批判が起こり、立ち入り検査が行われています。当然のことながら、赤福餅を製造、販売している赤福は営業停止状態となっており、赤福餅も製造されておりません。
生菓子として最も厳正に対処しなければならない製品管理がいい加減にされ、しかも常態化していたわけですから、赤福の販売停止もやむをえないところでしょう。
会社のいい加減な品質管理は大いに批判されるべきでしょうが、僕のように赤福に対して思い入れのある人たちも少なくないはずです。赤福餅は単にお菓子というだけでなく、多くの人に愛され、歴史もある。伊勢の文化的な側面もあるお菓子ではないかと僕は思うのです。

一日も早く、偽装問題の真相が明らかにされ、経営陣の刷新、製品管理体制をしっかりと見直し、今後消費者を裏切るようなことがないようになった上で、再度赤福餅が販売されることを願って止みません。少なくとも僕は、再び赤福餅が食べることができることを信じています。



2007年10月23日(火) 当日ドタキャンは止めて欲しい

歯科医院では診療時間を予約制にしているところが多いのが現状です。これは患者さんの診療時間をあらかじめ確保しておくことにより、約束した時間に確実に診療を行うための歯科医院のマネージメントの一つでもあるのですが、患者さんにとってもメリットがあるものです。患者さん側も診療時間が決めることによりその日一日の計画、行動に目安が付くからです。誰もが何かと忙しい日々を過ごしている中、患者さんも歯の治療のために時間をやりくりして歯科医院へ来院されます。患者さんも歯科医院もお互いの都合があるわけで、それぞれの都合が良い時間を話し合いで決め、予約時間として確保する。こうした診療スタイルを取っているのが予約制の歯科医院です。

ただし、予約を取っているとはいっても正直なところ、常に予約の時間どおりに診療が進むわけではありません。歯医者の側からすれば、ある患者さんの治療に手間取り他の患者さんの治療時間枠に伸びることはしばしばあります。また、歯科医院には予約を取らない患者さんも来院されます。突然歯が痛くなった、歯肉が腫れた、被せ歯、差し歯が取れた、入れ歯が割れた等々、応急処置、緊急処置を必要とする患者さんも来院されます。こうした患者さんは予約患者さんの合間に診療をすることになりますが、そうなるとどうしても予約時間の診療ができなくなります。
せっかく予約時間を決めておきながらその時間に診療ができないことに対しては歯医者として非常に申し訳なく思うもの。予約診療時間どおり診療できない場合、僕は必ず患者さんに詫びてから診療をすることにします。

「診療時間が遅くなって申し訳ありません」と。

患者さんの中には既に診療時間の後の予定がある人がいます。予約時間になっても診療できないような場合、そのような患者さんには予約時間内に診療できないことをあらかじめ受付で知らせ、診療を待ってもらうか、場合によってその日の診療を諦めてもらい、別の日に改めて予約を取るようなことをしています。

その一方、患者さん側の都合で予約時間に変な空白が生じることもしばしばです。キャンセルです。あらかじめ予約時間を決めてはいたものの、諸事情で予約時間に来院できなくなった場合、患者さんの側から歯科医院へ予約の取り消しを申し出ることもあります。このこと自体、僕は全く問題ないとは思うのですが、問題はキャンセルのタイミングです。診療の前日までにキャンセルがあるなら、キャンセルで空いた診療時間枠は他の患者さんの治療枠を調整したり、時間調整をすることで埋めることができるのですが、診療当日のキャンセルとなるとそれができません。診療当日、予約外の患者さんが来院されているような場合であれば助かる場合もあるにはあるのですが、診療予定としてどうしても長時間診療時間を確保する必要がある場合があるのです。例えば、一時間ぐらい診療時間を確保しておかないといけないようなケース。このような場合、診療当日に突然該当患者さんからキャンセルの電話があったり、もしくは何の連絡もなしに来院されないような場合、歯医者としては非常に困ります。診療時間を長く取っているために他の患者さんの治療をすることもできませんから、一種の開店休業状態になりかねません。零細企業である歯科医院の場合、このようなキャンセルは経営上非常に大きな経費の損出になります。

どんな人でも思わぬ出来事、体調、家庭の状態などお諸事情があり、予約日当日にどうしても予約をキャンセルせざるをえないケースがあるのは重々承知してはいるのですが、あらかじめ予約日が都合がつかないようなことがわかっている場合、直ちに予約を取っている医療機関に連絡を入れて欲しいと思います。

突然の予定変更は誰しも戸惑い、困惑することが多いものですが、予約制をとっている歯医者も非常に戸惑い、困惑するものなのです。



2007年10月22日(月) あんたに“お幸せに”と言われたくない!

昨日は日曜日で診療は休診でした。日曜日とはいってものんびりと過ごすことができればよいのですが、期限の迫っている雑用がいくつかあり、一日中パソコンの前で仕事をしておりました。
嫁さんはチビたちを連れて買物に出かけている間、家の中では僕一人がいるという状態だった時のことでした。一本の電話がかかってきました。受話器を取ってみると、相手は中高年らしき女性でした。

「お休みのところすみません。私は○○会といいまして適齢期の方の御縁を取り持っております。お宅には適齢のご子息はいらっしゃいませんか?」

電話はどうも結婚仲介業者らしき会社の勧誘員のような女性でした。如何にも“親身になってお世話しますよ”という雰囲気が満載の勧誘電話。この手の宣伝電話はあまり付き合いたくはないので、いつもどおりお断りしようと思いました。

「うちにはそのような適齢の男はおりませんよ。」

実際のところ、うちの家庭は男性がいますが、親父は既婚で76歳の高齢者、僕も既婚者です。子供に関しては、上のチビは9歳、下のチビは6歳ですから結婚の年齢にはまだ程遠い年齢といえるでしょう。僕の言葉には偽りはなかったのです。そうすると、電話の女性は、

「それでは、ご子息のK様は如何でしょうか?」

Kというのはまさしく僕の弟のことでした。どこで弟のことを知ったのだろう?弟は医者ですから、弟の出身大学の卒業名簿あたりから弟のことを調べ、未婚であれば誰か女性を紹介しようとするような魂胆であることは明白でした。
医者、歯医者の世界では、一定の年齢になっても未婚の人たちが少なからずいます。医者、歯医者は世間から見ればステータスの高い職業、一昔前ならば三高な人たちとみられがちですが、仕事の忙しさから思ったよりも人生の伴侶を得られる機会が多くないのが実情。そのような実情を知ってかどうかわかりませんが、結婚斡旋業者の中には未婚の医者、歯医者をターゲットに商売をしようとする人たちがいるのです。僕が結婚する前にはよく自宅にこの手の電話がかかってきたり、手紙が届いたものです。

さて、K様と言われた僕の弟ですが、既に結婚済みで二人の子持ちの父親でもあります。何年も前に自宅を出て今では勤務先の病院近くに住んでいます。

「既にKは結婚して家を出ておりますから」
と伝えると、電話の女性は

「そうなんですか?それは結構なことでございます。これからも幸せな生活を歩まれるようにお伝え下さい。」

“あんたにそのような事は言われたくない”と強く思いながらも、静かに受話器を置いた、日曜日の歯医者そうさんでした。



2007年10月20日(土) 他人様の子供の成長は早いものだ

昨日、僕は地元小学校で行われた就学時健診に歯科検診担当として出務してきました。
皆さんご存知のことと思いますが、就学時健診とは就学児、すなわち、翌年4月に小学校へ入学する幼児を対象に国が行う健康診査のことです。学校保健法という法律によって11月30日まで行わなければならない健康診査をいいます。就学時健診を行うほぼ1ヶ月前に対象となる就学児保護者宛に就学時健診カードなるものが郵送され、保護者が質問事項に記入したものを持参することになっています。就学時健診カードには体の健診項目が書かれているのですが、学校の定期健康診断に比べかなり簡素化したものとなっています。歯科に関して言えば、むし歯があるかないかという項目とその他ということになっています。主に就学児のむし歯の有無を調べ、もしむし歯がみつかれば治療勧告するというようになっているのです。

昨今、少子化が叫ばれていますが、地元小学校でもその傾向が如実に現れています。元々、地元小学校は田舎にあり人口が少ない地域ではあるのですが、最近では更にその傾向に拍車がかかっているようで、今回の就学児も非常に少ない数でした。
地元小学校では翌年からの学校生活に少しでもなじめるように就学時健診で一つの試みを長年行っています。それは、就学時健診の際、就学児を小学校5年生の生徒が一緒に同行し、就学児を健診場所に案内するという試みです。小学校5年生は翌年の4月になると小学校6年生となります。就学児は翌年の4月には小学校1年生ですから、お互い翌年の4月になると最高学年と新入生同士ということになります。地元小学校では翌年のことを考え、就学児にとって最も上のお兄ちゃん、お姉ちゃん同士を合わせる初めての機会として就学時健診を利用しているのです。

今年もそんな小学校5年生が就学児を連れて歯科検診にもやってきたのですが、僕はそこであることを見つけました。それは、就学児を連れてきた小学校5年生がかつて僕が就学時健診で健診をした就学児だったということだったのです。
僕が地元小学校で就学時健診の歯科検診を担当して5年になりますが、就学時健診を初めて担当した際、口の中を検診した就学児が、今年は就学児を連れてやってくる役回りになっていたのです。5年前、今の小学校5年生は就学児として当時の小学校5年生に連れられ歯科検診にやってきたものです。活発そうな就学児がいると思えば、どことなく恥ずかしそうで緊張している就学児、ポーカーフェースの就学児など個性があるものなのですが、そんな彼ら彼女たちが今度は就学児を連れてくる番となった今年の就学時検診。皆、一様に体格が大きくなり、小学校生活に慣れ活発になってきていました。わずか5年前のことだと思うのですが、彼ら彼女らの成長は非常に急速です。立派なお兄ちゃん、お姉ちゃんになるものです。

よく言われることですが、人様の子供の成長は実に早いもの。昨日の就学時健診ではこのことを強く実感した、歯医者そうさんでした。



2007年10月19日(金) どうして自分でペンチで抜歯しないといけないのか?

一昨日、ネットサーフィンをしているとこのような記事を見つけました。

イギリスで行われた調査で、同国の歯科医療システムの使いにくさのため、自分でペンチを使って歯を抜いたり、強力瞬間接着剤で歯冠をくっつけたりしている人がいる現状が明らかになったとのこと。
イングランド全域で5200人を対象にした調査報告によると、患者の約6%がちょっとした「自宅歯科」をやり始めたと答えた。国営の医療制度であるナショナル・ヘルス・サービス(NHS)を利用できる歯科医が見つからないため全く歯科にかかってないという人が10%、自己負担で民間の歯科医にかかったという人は25%だった。中には「ペンチを使って自分で14本の歯を抜かなければならなかった」とした回答者もいたとのこと。
調査では歯科医750人にも質問をしたが、NHSを利用する患者はもう受け入れていないと答えた人が45%となった。
英国歯科医師会(BDA)は、歯科医が行った治療に応じて報酬を得るのではなく、一定の収入を保証される同システムに大きな欠陥がある点が示されたと指摘。
一方政府は、NHSの歯科医療の利用に問題があることは認識しているが、今回の調査報告は状況の全容を映し出してはいないとしている。(ロイター通信10月17日発信)

この記事を理解するには、イギリスの医療保障制度であるNHSのことを知っておく必要があると思います。NHSとはNational Health Serviceの略で財源は税金です。国民の税負担によって成り立っている医療保障制度で、日本のような保険加入者から徴収した保険料を財源とした国民皆保険制度とは異なるものです。
NHSの大きな特徴は、医療費が原則無料であるということです。単に医療を推進するだけでなく、病気の予防に力を入れ、国民が健康であり続けることを目標としている制度なのだそうです。
このようなことを書くと、イギリスの医療保障制度は治療費の患者負担が無い、素晴らしいもののように思えるかもしれませんが、現実は必ずしもそうではありません。医科の治療や入院治療では患者負担がないのですが、歯科治療においてはそうではないのです。
NHSは歯科治療は医療とは認めていません。口の中や歯の病気は自己管理すべきものであるという考え方で、歯科治療にかかる治療費は無料ではないのです。昨年(2006年3月)までは、歯科治療を受ける患者は治療費の8割を窓口で支払わないといけなかったのです。日本では原則3割ですから如何にNHSが歯科治療にかかる治療費を負担していないかがわかるのではないでしょうか?
昨年の4月からNHSは改革され患者の窓口負担も少なくなったのですが、それでも窓口負担は56%から63%を負担しないといけません。
昨年まではイギリスでも治療費は出来高払い制でした。これは日本と変わりません。そのため、歯科治療はお金がかかるという認識がイギリスでは浸透しているのです。

昨年4月から歯科治療費は出来高払い制ではなくなり、包括払い制に変更となりました。具体的には歯科治療を3種類に分け治療費を定めているのです。レントゲン撮影や歯石除去などのグループ、抜歯や根っこの治療、詰め物を詰める治療などのグループ、クラウンやブリッジ、義歯といった補綴物のグループというような形です。しかも、これら3つのグループの治療費は低く抑えられていることから、イギリスの歯科医院ではNHSに参加せず、自費診療に走る歯科医院が多くなってきています。

現在のイギリスでは、NHSに参加する歯科医院とNHSに参加しない歯科医院、そして、NHSに参加しながら自費診療を行う歯科医院の3種類があります。イギリスでは、日本では禁止されている混合診療が認められているのも大きな特徴です。これはどういうことかといいますと、わかりやすくいえば、NHS単独だけの歯科治療では採算が取れない、歯科医院の経営が成り立たないということなのです。上記の記事の中で“NHSを利用する患者はもう受け入れていないと答えた人が45%”というのはこうした事情が背景にあるのです。

NHSでは、昨年まで歯科医院で治療を受ける患者はどこかの歯科医院に登録しないと受診することができませんでした。歯科治療を受けるためにかかりつけの歯科医院を持つだけでなく、その歯科医院に届けを出しておかないといけなかったのです。人頭登録制というものです。この人頭登録制ですが、現在では廃止され患者はどこの歯科医院でも受診できるようになりました。

患者の窓口負担、自己負担が高いこと、かかりつけの歯科医院への人頭登録制などからイギリスでは歯が悪くても歯医者にかかることができずそのまま放置してしまう人が少なからずいる。中には「自宅歯科」と称して自分でペンチを用いて抜歯したり、協力接着剤で割れた歯冠を接着したりする人が増えているのです。
税金による国営の医療保障制度で医療費が無料というと非常に聴こえは良いのですが、歯科治療に関しては全くそうではなく、むしろ患者さんに多大の負担をかけているのが現状なのです。



2007年10月18日(木) 初々しい白衣の天使からの刺激

以前にもこちらの日記に書いたことですが、僕は週1回、診療を休み某医療関係専門学校へ非常勤講師として講義をしています。4月から始まり夏休みを挟んでの講義だったのですが、昨日が最終回の講義でした。半年にわたる長丁場だったわけですが、全く初めて講義に臨んだ昨年とは異なり、今年は昨年の経験がありましたので少しは余裕をもって講義をしたつもりでした。ただ、週末は一定の時間を講義の準備に取られていたのは今年も変わりなく、それなりに労力のいるものでした。それも今週で終わり。今後は何種類かの試験問題作成とその採点、レポートの点検が残ってはいるものの、講義という仕事からはしばらく解放されます。正直言ってホッと一息ついたところです。

最終回の講義が終わり、某医療関係専門学校を出ようとした時のことでした。某医療関係専門学校の玄関の隣には実習室があります。窓越しに中の様子が見えるようになっているのですが、僕が何気なく実習室の中を見ていると、何人もの白衣を着た実習生たちが指導教官を取り囲むように座り、熱心に話を聞いている姿が見えました。彼女たちはどこか緊張な面持ちながらも指導教官を真剣に見ていました。指導教官の言うことを一言一句聞き逃すまい。そのような姿勢が側から見ていてわかりました。

彼女たちの姿を見て僕は自分の臨床実習時代のことを思い出しました。
大学歯学部や歯科大学のカリキュラムでは6年間通わないといけないことになっていますが、最後の1年間は臨床実習に当てられます。臨床実習とは実際に患者さんを相手にする実習で、指導教官の指導の下、患者さんに接し、治療を行う実習です。今の時代は、臨床実習とは言ってもほとんど見学実習で実際に患者さん相手に治療をする機会が限られているのですが、僕が某歯科大学の臨床実習生だった頃は、実際に患者さんの治療をさせてもらう機会に恵まれました。もちろん、細かい治療の段階で指導教官のチェックが入りましたし、臨床実習生の力量が無い場合は指導教官が患者さんの治療を行うようにしていましたけども。
臨床実習を臨むにあたり、臨床実習生は何人かのグループごとに集められ、それぞれ指導教官の下で臨床実習に臨む心構えとか実際の実習の仕方、患者さんとの接し方、治療手技の確認などこと細かく説明を受けます。僕も同期の仲間と共に新品の白衣を着て緊張な面持ちで指導教官の話を聞いていたつもりです。これから始まる臨床実習にどのように臨んでいけばいいのか?自分なりにイメージを持ちながら、期待と不安で胸が一杯になっていたあの頃。

既に僕は歯医者になって17年目を迎えています。決して若手とはいえない、どちらかといえば中堅クラスの歯医者になってきたはずです。患者さんのことを第一に思いながらこれまで歯科治療を行ってきたつもりですし、自分なりに歯医者として研鑽を積んできたつもりではあります。そんな僕でも某医療専門学校の実習生たちの真剣な実習光景を見ていると、良い意味で刺激を受けます。彼女たちの真剣な眼差しを僕は忘れてはいないか?初心忘るべからずといいますが、自分ではそのつもりはなくても気がつかない所でおごりはないだろうか?まだ真新しい白衣を着て、初々しいところがある彼女たちの真剣な姿勢を今一度見習い、これまで以上に歯医者として真摯に仕事をしないといけないのではないか。

窓越しに見た実習生たちの姿に新たな力を貰ったように思えてならなかった、歯医者そうさんでした。



2007年10月17日(水) 携帯電話とニートとの関係

ニートという言葉が世の中に浸透し、社会現象の一つとして取り上げられているようになって久しい今日この頃。既に皆さんもご存知のことと思いますが、ニートとはNEET(Not in Education, Employment or Training)のことで、教育を受けている学生でもなく、就職をしている就労者でもなく、職業につくための訓練を受けているわけでもない人たちのことを指します。何もせず、ただブラブラしているだけの若者は以前からいたように思うのですが、改めてニートと名づけられることで世の中から改めて注目され、社会問題化している側面があるようです。現在、ニートはどれくらいいるかというと日本全国に約60万人いるのだとか。ニートを放置することは、将来の日本に大きな悪影響を与えかねません。

先日、某歯科雑誌を読んでいるとある大学のカウンセラーの人のインタビュー記事が載っていました。このカウンセラーが取り組んでいる仕事の一つがニートの人たちを対象にしたものだそうで、インタビュー記事ではニートに関して興味深い指摘をされていました。それは、ニートを生み出している背景には携帯電話の普及が大いに関係しているのではないかという指摘でした。

このカウンセラーがニートの人たちと接して感じることは、ニートの人たちは経済的にそれなりの余裕のある家庭に育ち、食うに困らない生活を過ごし、何もかも与えられるような環境のもとで育ってきていることなのだとか。幼少の頃から周囲で全てお膳立てされるような生活を過ごしてきた若者は、自分で考え、行動する習慣を持たないまま成長し、何となく生きていく感覚しかもたなくなってしまうのだとか。何となく生きていく感覚しか持たなくなると、人と人との付き合い、コミュニケーションを取るのも億劫となり、結果的に社会や他人との関係が希薄になる。そのことで自分の殻だけに閉じこもり、結果として教育を受けない、就労しない、訓練を積まないニートになっていくのだそうです。

ニートの人たちが育ってくる環境に大きな影響を与えている要因の一つが携帯電話なのだとか。携帯電話は24時間いつでもどこでも電話やメールを送ることができる非常に便利なものですが、その一方で携帯電話に頼るがあまり、第三者と話をする機会が少なくなる。その結果、周囲の人たちとの接点が激減し、さらに同世代の人たちとの間でも深い付き合いができず、お互いが腹を割って話をすることが面倒になる傾向があるのだそうです。

今や携帯電話数は日本全国で9930万台だそうで、ほぼ日本人の一人が一台の携帯電話を持つようになってきています。恐るべき携帯電話数です。日本人の生活にとって携帯電話はもはや欠かせない生活必需品の一つになっているのかもしれません。このような携帯電話は人々のライフスタイルにも大きな影響を与えています。
2〜3年前、僕の大学の後輩に話を聞いたことがあるのですが、彼氏、彼女との電話をする時はもっぱら携帯電話なのだとか。家の固定電話に電話をかけることはほとんどないそうです。驚くべきはけんかの時。相手との間がぎくしゃくし、けんかをする時はメールでするのだとか。何とも時代が変わったものだと実感しました。
僕が大学生時代は携帯電話のようなものはありませんでした。当時、僕にも付き合っていた彼女がいましたが、彼女と連絡を取るためには彼女の家の固定電話に電話をかけざるをえませんでした。彼女が実家を出てどこか間借しているのであればよかったのですが、当時付き合っていた彼女は家族と一緒に実家に住んでいました。そのため、彼女に電話をかける時には彼女の実家の固定電話に電話をかけざるをえなかったのです。

今から思えば、彼女の家に電話をかける時はいろいろと緊張したものです。まずは電話をかける時間帯。あまり遅すぎると彼女の家族に迷惑をかけてしまいます。夜電話をかけるにしてもある程度早めの時間帯に電話をかけるように心がけたものです。
最も緊張したのが、僕が電話をかけた時に誰が出るかということでした。どの家庭でもかかってきた電話を最初に取る人は決まっています。彼女のお母さんであったり、お父さんであったりしたものです。彼女以外の家人、特に目上の人が出てきた時には、非常に気を遣ったものです。
“夜分遅く申し訳ありません”など相手に対する配慮をする言葉を発しながらも何とか彼女に代わってほしいと願いながら電話口で汗をかいたりしながら、彼女が電話口に出てくるとホッとしたものです。その後は長電話をかけ続けたのは言うまでもありません。後で親から長電話で電話代がかかることで何度も文句を言われたものですが、今となっては青春の思い出の一つとなっています。

そんな思いをしていた僕からすれば、今の大学生は恵まれているなあと思っていたのですが、携帯電話の普及はメリットだけでなくデメリットもあるようなのです。

今回の記事のカウンセラー曰く、固定電話は不特定多数の自分よりも目上の人や他のコミュニティの人に対する接し方を肌で学ぶ、コミュニケーション能力を実践で学ぶ会話力が鍛えられる貴重な場であったのだとか。電話口から相手の様子を感じ取り、相手に対する配慮をする言葉を学ぶ。そのことで、自分は多くの他人の中で生きているということを実感してきたそうですが、携帯電話の普及はこうした貴重なコミュニケーションの機会を失うことになったというのだとか。

学生時代に携帯電話があれば、もっと自由に彼女と連絡が取れたのになあと思っていたのですが、いろいろと制約があった中での彼女の自宅への電話は、決して無駄ではなかったのだなあと感じた、歯医者そうさんでした。



2007年10月16日(火) パパ、背中を流してあげようか?

世の中で働いているお父さんであれば、多くの場合、子供の世話は奥さんや他の家人の人に任せているのではないでしょうか。朝起きて仕事に出かける時は子供はまだお傷に寝ている。夜遅く帰宅した時には子供は既に寝ている。子供と顔を合わせられない日を過ごしているお父さんも少なくないと思うのです。それ故、休みの時ぐらいは子供たちと接したいと願い、実行しているお父さんは少なくないと思います。
かくいう、僕もウィークデーは仕事がありますから普段の子供たちの世話は嫁さんに任せております。休みの日になると僕も全てとはいきませんが、子供たちの面倒を見る事があります。中でも休みの日に意識的に世話していることがあります。その一つが子供たちと一緒に風呂に入ること。
風呂に入ることは裸の付き合いみたいなことを言われることがありますが、普段子供と接する機会が限られている僕にとって、子供と一緒に風呂に入ることは子供たちのことを知る上で貴重な時間とも言えます。風呂に入りながら子供たちに話しかけたり、逆に子供が話しかけたりすることをしながら子供たちの生活ぶりの一部を垣間見ることができます。また、まだ小さな子供たちの体や頭を洗ってあげることにより、子供たちの体つき、成長具合を確かめることもできます。

僕が幼かった頃、何かと忙しかった親父と接することができる時間の一つが風呂に入ることだったのです。詳しいことはあまり覚えていませんが、いつも親父と風呂に入る時は何かウキウキしたような感じがあったものです。いつの間にか一人で風呂に入るようになった僕ですが、後に結婚をして子供を授かった時は、必ず子供と風呂に風呂に入りたい。そのようなことを夢見ていました。
幸いなことに二人の子供を授かった僕ですが、今では毎日ではないものの、二人の子供と一緒に風呂に入ることができるようになったのは有難いことだと感じています。

一昨日のことでした。子供たちと一緒に風呂に入り、体を洗ってあげていた時のことです。上のチビが突然僕に思わぬことを言ってきました。

「パパ、背中を流してあげようか?」

正直言って驚きました。僕は一度も子供たちに背中を流してくれと頼んだことはありませんでしたし、教えたこともありません。どこで覚えたのか、習ったのかわかりませんが、上のチビは僕の背中を洗うことを言ってきたのです。予想もしなかったことですが、僕は答えました。

「うん、それじゃ背中を流してもらおうかな。」

上のチビは慣れない手つきながらも僕の背中を洗ってくれました。洗っている途中、

「パパの背中は僕の6倍くらいあるね」と言います。

何を根拠に6倍というのかわかりませんでしたが、上のチビなりに僕の背中が大きいことを表現しようしていたのでしょう。

自分の子供から背中を洗ってもらう日が来るとはねえ・・・。

そのようなことをしみじみと感じながら、ぐっと来るものを感じた歯医者そうさんでした。



2007年10月15日(月) 最高の医療なんてありえない!

昨日、親父が買ってきた某月刊雑誌を見ていると表紙にこんなことが書いてありました。

特集 最高の医療

特集の内容を読んでみると、医者の中でも名医と呼ばれている医者が一目おく名医を紹介し、彼らが実践する最先端治療を報じたものでした。特集の中では10人の医師とその仕事ぶりが紹介されていました。中には僕が全く知らなかった分野の先生の話も書いてあり、同じ医療で仕事をする僕としても興味深いことが掲載されていました。

記事そのものにケチをつけるつもりはありませんでしたが、僕が疑問に感じたことがありました。それは特集記事のタイトルである“最高の医療”です。

医療という世界は日進月歩であることは間違いありません。多くの技術や知識、経験をもとにより良い医療を世界中の医療人が追及し続けているわけですから。医療の一分野である歯科の世界ではさほど進歩していないように思われがちですが、それでも新しい器具、材料、薬物などが生み出されているのが現状です。

ところが、このような医療の進歩とは裏腹に病気に罹る人は減少してはいえ
ません。むしろ、増え続けているといっていいでしょう。これまで無視されてきたことが医療の進歩により病気として治療対象になるようなこともあります。エイズのようにアフリカの一地方での病だったものが世界中に波及するようなことも出てきています。花粉症なる症状は一昔前には考えられなかったことですが、現在では多くの人々が春先を中心に花粉症に悩まされています。また、神経難病のように原因が全くわからず、治療は対症療法しかない疾患もあります。まだまだ未解決、未発達な分野が数多くあるのが医療なのです。

医者は誰もが自分が培った経験、知識をもとに最善を尽くそうとしています。治療を施している時点において自分の能力の発揮できる中で最良の医療を提供しようと努力しているものです。世の中の医者の中でこの能力が最も秀でている医者のことを最高の医者言うのであればそうかもしれません。
今回の特集記事では、それぞれの医療分野の最先端治療を行っている人たちを取り上げていましたが、現時点において最先端治療を行っている医者が最高の医療を提供できる医者と呼べるかもしれません。けれども、名医と呼ばれる医者であればあるほど、最高の医療を目標にはしているでしょうけども、未だに自分たちが最高の医療を行っている実感はないはず。追求すれば追及するほどまだ道は長く、奥が深い。そういった感覚を持ち合わせているはずです。日々、試行錯誤しているものなのです。時には表には出せないような苦い経験もあるものなのです。

まだまだわかっていないことが多く、日々より良い医療を追求している現状を考えれば、最先端の医療、最善の医療はありえても最高の医療はありえないのではないか?
”最高の医療”という特集記事のタイトルを見て疑問を感じざるをえなかった歯医者そうさんでした。



2007年10月14日(日) 夫婦同士の適度な距離感

昨日はかつて僕が所属していた大学歯学部某教室のOB会に出席してきました。僕自身、10年ぶりの出席だったのですが、参加してびっくりしました。それは、参加者の中で僕は最も若かったからです。今年齢41歳の僕が最も若いという某教室のOB会。常連の先生は70歳代の先生方で多くは大学歯学部教授をしていて、現在は退官しているような人ばかり。
幹事を担当していた先生はもっと若い世代の先生の参加をできるような改革がOB会に必要だということを訴えていましたが、70歳以上の先生が大挙してそろうような会には若手の先生の足が向かないのは無理もないのではないかと感じましたね。OB会の雰囲気が若い先生が入っていけるような雰囲気ではありませんでしたから。僕もこれまでこの某教室のOB会を避けていましたが、今回は諸事情により参加せざるをえませんでした。参加してみると、予想通りというべきでしょうか、自分の居場所を見つけるのに苦労をしました。出された食事や飲み物はほとんどのどを通らず、諸先輩方への挨拶に終始したような肩身の狭いOB会でありました。

そんなOB会ではありましたが、何人か女性の先輩の先生方が数名参加されていました。皆さん、女性歯医者であったのですが、興味深い共通点がありました。それはご主人が皆歯医者であったということです。
最近、女性歯医者が多くなってきていますが、女性歯医者の中には同業者と結婚する場合があります。学生時代から付き合ってきてそのままゴールインしたような人たちや大学クラブや教室の先輩、後輩関係といった場合が多いように思います。昨日の某教室OB会の女性歯医者の先生方もこの例に漏れずに同業者と結婚されているのですが、面白いことに皆さん、同じ歯医者であるご主人と一緒に仕事をしている人たちだったのです。歯医者同士のカップルであれば大いにありうることですが、皆さん異口同音に言われていたことがあります。それは、

「家でも主人の顔を見て、職場である診療所でも主人と一緒。いつも主人と一緒なので疲れる。」

ある女性の歯医者の先生は、自ら歯医者をせず受付に専念するようになった(患者数が少ないという事情があるそうですが)そうですし、別の先生は家庭内別居のような形を取り、自宅の中では夫婦顔を合わさないようにしているとのこと。皆さん、ご主人と離婚をするというような状況では決してないようなのですが、少なくとも一日のうち、一定の期間は敢えて離れることにより過度の夫婦同士の接近を防ぐようにしているのだとか。

歯医者同士が結婚すると、このようなことになるだろうなあということは、僕は学生時代から予想していました。歯医者の仕事を考えると、ほとんどの場合、開業歯科医として生きていくことになります。そうなると、夫婦同士歯医者であれば、家庭だけでなく職場でも歯医者として接することになることは明白です。学生時代、僕は歯医者とは結婚したくないと考えていた理由がここにあります。いくら仲が良いカップルであったとしても将来にわたりずっと一緒に、四六時中顔を合わせ続ける夫婦になれば、どこか息苦しくなるに違いない。長い夫婦生活、これはかなりしんどいことではないか?
結果的に僕は歯医者ではない嫁さんと結婚することになるのですが、今となってはそれがある程度正解だったのではないかと感じます。

うちの歯科医院は、開業当初から親父とお袋が二人三脚で切り盛りをしてきたところがあるのですが、親父はつい最近まで外部の仕事であるいくつかの学校の非常勤講師や歯科医師会や学会の役職を続けてきました。親父がこれら診療以外の仕事を引き受けた背景には、親父が仕事を依頼されたということもあるでしょうが、それ以上にお袋との距離感を取りたかったところがあるように思えてなりません。その証拠に、親父は非常勤講師や歯科医師会、学会がらみの仕事に出かける際、一度として嫌な顔をしたことがありません。むしろ、“大変だなあ”と言いながらも表情はどこか緩んでいたものです。親父なりの夫婦の距離感を取っていたのではないかと思うのです。

歯医者でない嫁さんと結婚した僕ですが、それでも四六時中嫁さんと接しているとどことなく息苦しく感じる所があることは否定しません。嫁さんが嫌いだというわけでは決してありません。むしろ、嫁さん無くして今の僕はありえないと思っているくらいではあるのですが、実際の生活となってくると、時には夫婦同士が適度に離れて気分転換をはかることが必要ではないかと日々感じます。僕は自宅開業ですので、診療時間以外は基本的に嫁さんと一緒にいますから、そのことを強く感じます。嫁さんが幼稚園のママ友達に出会い、お茶をしたり、買い物に出かけたりすることがありますが、僕は非常に好ましいことではないかと思うくらいです。

このような僕の考え、冷めたところがあるでしょうか?そのように思われる方もいるかもしれませんが、ずっと長い間夫婦生活を続けていくには適度な距離感というものが必要ではないかと最近感じる、結婚12年目の歯医者そうさんです。



2007年10月12日(金) 隣に見ず知らずの女の子が寝ている?

昨日の明け方のことです。寝室で眠っていた僕は自分の懐がいつもよりも温かいことに気が付きました。しかも、何か息のようなものが吹きかかっているように感じたのです。

“一体何だろう?“
何気なく自分の懐を見た僕は、驚きました。なぜなら、僕のそばに見ず知らずの若い女の子が寝ていたのですから。彼女はそっと寝息を立てるとともに僕の方へ寄ってきます。寄ってくるだけではありません。足を僕の足にからませます。彼女の足の一部は僕の股間に触れるのです。

“ちょっと待ってくれよ!”
僕は思わず言いたくなりました。今年41歳の厄年を迎えている歯医者そうさん。既に結婚し、子供も二人います。この状況が20年前であれば僕は大いに受け入れることができたでしょうが、妻子持ちの身としてはこの状況には受け入れ難く感じました。

“一体この状況をどうしたものか?”
自分のおかれていた状況を理解することができず戸惑っている間にも、彼女はますます僕の方に迫ってきます。その迫り方は激しくなるばかり。思わず感じてしまう・・・!。

その時です。僕の耳に嫁さんの声が聴こえました。

「もうちょっとだめじゃない!」

“おいおい嫁さんに見つかったじゃないか?俺は何もしていないぞ。勝手にこの女の子が俺の側で寝ているんだからな”。

嫁さんが更に続けて言いました。
「○○ちゃん、こんな所に入り込んでいるよ。」

えっ!

嫁さんの声にわれに返った僕は、今一度自分の懐を見てみました。すると、そこには麗しき乙女ではなく、上のチビが入り込んでいたのです。

僕の寝室では僕と嫁さんの間に二人のチビが挟まるように寝ています。一種の川の字のような感じです。最近、上のチビは寝相が悪くなり、時折僕の方に寄ってくることがあるのですが、昨夜はどうも寝ぼけていたらしく夜中に自分の布団に入っているつもりが僕の布団に入り込んでいたのです。入り込むだけでなく中で動きまわりいつの間にか僕の足元を何度か当たっていたというわけです。僕が温かみを感じていたのは乙女ではなく、上のチビで、乙女が僕の股間を触っていたと感じていたのは、僕の布団に入り込んだ上のチビが更に動き、そのうちの何度かは僕の股間に当たっていたからだったのです。

嫁さんの声に気が付いた上のチビは、おもむろに僕の布団を見るや否や、自分の布団に戻り直ちに寝息を立てました。

“突然隣に女の子が寝ているようなことなんてないよな。”

寝ぼけて上のチビのことを女の子と勘違いしてしまった自分自身を苦笑いしてしまった、昨日の夜明け前の歯医者そうさんでした。



2007年10月11日(木) 口の中のカンジダ?

昨日のことでした。

「一昨日くらいから口の中全体が痛くてたまらん。あんた一度診てくれへんか?」
発言の主はお袋。数日前から体調を崩し微熱が続いていたそうですが、ようやく微熱が治まり何とか体調が元にもどりつつなったなあと感じてきた矢先、口の中全体に違和感を覚えてきたとのこと。その違和感はヒリヒリとした感じだったそうですが、ここ2〜3日の間にヒリヒリが痛みに変化してきたそうなのです。特に困るのが食事を取る時だそうで、食事を食べる時に痛みが伴い、充分に食事を取ることができず、四苦八苦していたそうなのです。そこで口の中に何か問題がないか僕に尋ねてきたようです。
僕は早速お袋を診療所の診療室に連れていき、口の中を診ることにしました。
お袋の口の中は歯肉や頬粘膜、舌粘膜が赤っぽくなっていました。口の中は乾燥気味。確かにこれは問題だろうなあと思っていたところ、前歯の歯肉に白い膜のような物を認めました。僕は確信しました。

「口腔カンジダ症に間違いないね。」

カンジダといえば、女性ならば下り物の原因として一度は耳にしたり、中には経験をされた方がいるのではないでしょうか?何らかの理由により女性の陰部にカンジダ菌という一種のカビが増殖し、粘液となって出てきたのが下り物なのですが、実は、口の中にもカンジダ菌は存在します。
そもそも、人間というもの外気と触れる場所には一定数のばい菌が存在します。皮膚や鼻粘膜、耳の中、陰部とともに口の中も例外ではありません。これらばい菌は常在菌と呼ばれ一定の数、一定の種類のばい菌がバランスを保ち存在し、人間と共生しています。人間の体が健康であれば何ら問題ないのですが、人間が体調を崩したり、病気になったり、病気の治療を行って免疫が弱くなった時、常在菌のバランスが崩れます。すなわち、普段常在菌の中で少数派だったばい菌が力を増し、増殖することがあるのです。そして、人間に悪影響を及ぼすことがあります。このような状態のことを日和見感染と呼びます。日和見感染の原因菌の代表格の一つがカビの一種であるカンジダ菌なのです。

口の中にもカンジダ菌が存在し、今回のお袋のように体調を崩したりして免疫が落ちた時、カンジダ菌の勢力が増し、口の粘膜を侵すのが口腔カンジダ症です。
最近、口腔カンジダ症が注目されたのはHIV感染者です。すなわち、エイズの人たちです。エイズの人たちは体の免疫が落ちますから、口の中のカンジダ菌の勢力が増し、口腔カンジダ症を併発することが多かったのです。
現在では、お袋のように体調を崩した年配の人や入院をしている人、入れ歯を装着している人によく見られます。入れ歯とカンジダ菌というと意外に思われる方がいるかもしれませんが、カンジダ菌は入れ歯を好むところがありまして、入れ歯が不潔のままだと入れ歯にカンジダ菌が増殖し、入れ歯と接する粘膜に口腔カンジダ症が起こることがあるのです。

口腔カンジダ症の症状は、お袋の症状そのものです。すなわち、口の中全体が口内炎ができたように痛く感じ、粘膜全体が赤っぽくなる。そして、粘膜の一部に偽膜と呼ばれる白っぽい幕ができるのです。この偽膜はガーゼで拭うと簡単に除去できるのが特徴なのですが、カンジダ菌が一定数以上増殖すると必ず現れる現象なのです。お袋に前歯の歯肉に見えた白い膜はまさしく偽膜であり、僕は口腔カンジダ症と診断したのです。
念のためにカンジダ菌があるかどうかを調べるために簡易培養キットで培養してみたところ、下のような写真の結果となりました。



わかりにくい写真で申し訳ありませんが、写真の下の3つサンプルは色見本で赤色が陰性、橙色が偽陽性、黄色が陽性です。口の中の粘膜をめん棒で拭い、インキュベーターと呼ばれる恒温培養器の中で24時間保管し、反応を見るのです。
写真の上の1つのサンプルがお袋から採取した粘膜を培養液につけたサンプルですが、12時間の培養でお袋の粘膜から採取した橙色を示していました。すなわち、偽陽性です。この写真ではわかりにくいのですが、実際に見てみると赤色とは異なる橙色を示しております。
偽陽性というと陰性と陽性の中間のように思うかもしれませんが、口腔カンジダ症の診断では、ほぼ陽性とみなします。後12時間残っていますから変化を見届けなければなりませんが、おそらくお袋のサンプルは黄色に近くなるか、黄色になっていくことはほぼ間違いないと思われました。

後は治療ですが、幸いなことに口腔カンジダ症には特効薬があります。内服薬や軟膏、うがい薬といった外用薬があるのですが、今回のお袋のケースではうがい薬を使用してもらうことにしました。昨日から食後、就寝前を中心にここ1週間うがいを励行してもらうことにしているのですが、今朝の時点では違和感は残っているものの、痛みがほぼなくなってきたとのこと。このまま続けていれば口腔カンジダ症は落ち着くことでしょう。



2007年10月10日(水) 口で感じる快感と生殖器で感じる快感

某歯科業界雑誌を読んでいると興味深い記事がありました。その記事とは、食べ物のおいしさを決める要素についての話です。

食べ物の美味しさを感じさせる要素として誰もが最初に思いつくのが味覚ですが、多種多彩のように思える味覚は5つの基本味から成り立っているのです。5つの基本味とは、甘味、苦味、酸味、塩味とうま味です。以前は甘味、苦味、酸味、塩味の4つが基本味とされていたのですが、最近になってうま味が国際的にも認められ、基本味は5つということになっています。
確かに人は食べ物の美味しさは5つの基本味から判断するのですが、それ以上に重要な役割を果たしている要素があるのだとか。それは、匂いと食感だというのです。

匂いに関しては、人には匂いを感じる受容体が300種類以上見つかっています。味覚では、甘味、苦味、酸味、塩味、うま味を感じる受容体がそれぞれ1種類しかないのに比べると圧倒的な数の違いです。人は味よりも匂いを繊細に感じるという証拠でもあります。このことは意外なように思えますが、よく考えてみれば、ダシの良く効いた吸い物や旬の果物、野菜の味の違いなどは味というよりも風味、すなわち、口から鼻に抜ける匂いを識別することによって得られる美味しさだということがいえるでしょう。

食べ物の美味しさを感じさせる要素の中で、この匂いよりももっと重要な役割を果たしているのは食感なのだとか。このことは僕が歯医者としてしばしば実感することでもあります。よく入れ歯を装着している患者さんに話を尋ねると、入れ歯をはめる前は美味しく感じていた料理が入れ歯をはめると美味しさに変化が生じた、美味しさがなくなってきたということを訴えることがあります。口の中に入れ歯という異物を入れていることによるものだと思いますが、入れ歯で噛む食感が天然の歯のそれとは異なり、歯ごたえが劣るのです。

この食感ですが、ある解剖学者の説によれば、食べ物の物理的な感触を快感に誘導するという意味においては、生殖器の感覚と同程度であるのだとか。明太子のつぶつぶを感じる時、バナナのぬめりのある怪しい快感、リンゴの切れるような感覚や貝柱のコリコリとした感覚など、枚挙にいとまがない口腔内の食感は食感を通り過ぎて快感の域にまで達しているのだとか。
そう言われればそうかもしれません。美味しいものを食べた時、頬が落ちるという表現が使われますが、この頬が落ちるという言葉は、美味しい物を食べ咀嚼していると、ついうれしくなり、頬の緊張が弛緩し、つい笑ってしまいたくなるような表情を見て名づけられた表現です。口の中で感じた美味しさによって得られた快感。いつい僕は限られた経験しかありませんが、口の中の感じる快感と生殖器で感じる快感は何か相通じるようなものがあるように思います。このように感じるのは僕だけではないような気がするのですが・・・。
男と女の営みとは異なり、さすがに食べ物を食べていて昇天してしまうようなことはないと思いますが、本当に美味しく感じる料理の食感は何物に代えがたい快感があることに異論はありません。

このような食べ物を食べて美味しく、快感をいつまでも味わうためにも、歯の健康を維持することは非常に大切なことであることは言うまでもありません。日頃から歯を丁寧に磨き、定期的な専門家による検診を受けることは、いつまでも食べ物を美味しく食べるためにも必要なことであるが言えるでしょう。



2007年10月09日(火) あなたのパンティの色を教えて下さい?!

開業歯科医院では、歯医者が患者さんの口の中や歯の治療をするのは当然のことですが、その一方で歯医者は開業歯科医院の院長の立場でもあります。歯科医院の経営にも携わらないといけない立場です。勤務医であれば患者さんの治療に専念できるかもしれませんが、院長となると単に患者さんの治療のみならず、歯科医院の経営にも目を光らさないといけません。
歯科医院の経営の中でも大切なのはスタッフです。歯科衛生士、歯科助手、受付といった人たちの協力がないと歯科医院は成り立たないのです。僕も零細歯科医院の院長ですが、周囲には歯科衛生士、歯科助手、受付というスタッフに囲まれて仕事をしています。彼女たちの力は非常に貴重な戦力であり、彼女たちの働きぶりにいつも感謝をしています。

これらスタッフの中で受付は、歯科医院の顔ともいうべき存在かもしれません。患者さんが歯科医院を訪れるにあたり最初に接するのが受付です。また、歯科医院へ電話をかける際、最初に応対するのも受付です。
全く見ず知らずの人と初めて会った時、初対面の印象がその人の評価に大きな影響を与えるものですが、受付の役割もこれと似たようなところがあります。歯科医院に対する患者さんの印象を良くするも悪くするも受付の対応いかんといっても過言ではありません。患者さんに対する対応、治療費の支払い、予約、電話の応答、時には歯医者である院長の代弁者として話をしなければなりません。歯科医院における要といっても過言ではないポストといっていいでしょう。

先日、地元歯科医師会での会合の合間の雑談の中でも、歯医者の先生との間で受付の大切さを皆異口同音に話していました。最近は、様々な患者さんが来院したり、電話をかけてきます。中にはどう考えても問題のあるような患者さんが来院したり、連絡を取ってきたりします。その際、受付でどのように対処すべきか?
受付の人の対応が難しくなってきているという話でしたが、その中である先生がこのような話をしてくれました。

「僕はどんな患者さんが来院したり、電話をしてきても最低限の礼儀をわきまえないようにするように、いつも受付嬢に言っているんだ。」
「それは非常に大切なことですね。」
「受付嬢は僕の言うことをわかってくれていつも冷静に対処してくれているんだけどね、先日、受付嬢が思わぬことをしていたのを僕は見つけたんだよ。」
「それはどういったことだったのですか?」
「診療中、僕は受付に出向いた時のこと、一本の電話がかかってきたんだよ。受付嬢はいつもと同じように丁寧に応対していたんだけどね、ところがしばらくすると顔を紅潮させて突然何も言わず受話器を置いたんだよ。僕はびっくりしてね。彼女に注意したんだ。
『どんな電話であったとしても礼儀をわきまえないといけないと言っていたでしょ。今まであなたはそれを忠実に守っていたはずだし、それを僕も信じていた。それなのに今の電話の切り方というのは問題じゃないか?電話をかけてきた相手に対して失礼だろう。最近は宣伝の電話が多くはかかってくる事情はわかるけど、今のようなやり方は品位を疑われるよ』とね。そう言ったら、受付嬢がね、涙目を浮かべながら僕に言ったよ。」
「それは一体どういったことだったのですか?」
「受付嬢曰く、『先生、私も先生の言われていたことはよくわかっていたつもりです。けれども、今の電話はどうしても我慢できませんでした。なぜなら・・・・』」と言ったまま言葉を詰まらせたんだよ。」
「“これはただ事ではない”と感じて、僕は受付嬢に確認したところ、受付嬢の対応がやむをえない、仕方がないと思ったよ。」
「電話をかけてきた相手は、受付嬢にいきなりこんなことを言ってきたそうだ。
『あなたの身につけているパンティの色を教えて下さい』ってね。」
「今までいろんな変な電話がかかってきたけど、これほど破廉恥な電話を僕も聞いたことがなかったよ。完全なセクハラだよね。年齢が若い受付嬢が腹を立てて受話器を切ったのも無理はないなあと思ったね。僕は受付嬢を責めることはできなかったよ。それにしても、世の中にはいろんな輩がいるものだけど、全く初対面の人に対してこれほど失礼な電話をかけてくる輩も世の中にはいるものだね。これが電話だったからまだ直接本人と面と向かうわけではなかったからよかったものの、面と向かうような状況を想像すると怖くて仕方がないよ。今更ながら受付の大変さが理解できたように思う。」



2007年10月08日(月) 「未だに永久歯が生えてこない」と言うおじさん

先週末、ある患者さんがうちの歯科医院に来院しました。その患者さんは中年男性のHさんだったのですが、入室してくるや否や

「先生、新しく入れ歯を作って下さい。」

僕は“アレ?”と思いました。念のためにカルテを確認してみると、僕の疑問の思いは確信へと変わりました。Hさんは7ヶ月前にうちの歯科医院で上の入れ歯をセットしていたのです。7ヶ月も経たないうちに入れ歯を作りなおして欲しいというのは、普通はあまりありえないことです。余程理由があるに違いありません。Hさんに確認してみると

「5ヶ月前に入れ歯を無くしてしまったんです。」

Hさんの話では、5ヶ月前のある朝、いつもと同じように入れ歯をはめようとしたところ、いつも置いてある洗面所に入れ歯が見当たらなかったというのです。洗面所あたりを中心に台所や居間、寝室をくまなく探したそうですが、入れ歯は全く見つからなかったそうなのです。たった2ヶ月前に作ったばかりの入れ歯を紛失してしまったということになります。

実は、保険診療の規則で新しく入れ歯をセットすると、セット時点から6ヶ月以内は保険診療では新しい入れ歯を作ることができない規則になっています。かつてはこのような縛りはなかったのですが、当時、高齢者の医療費の窓口負担が無料だったこともあいまって、入れ歯コレクターと揶揄されるような高齢者が少なからずいたものです。多くの入れ歯使用者が次から次へと新しい入れ歯を作るようなことが起こり、保険組合から文句が出たらしいのです。
このような事態を改善するために、保険診療では新しい入れ歯はセットしてから6ヶ月以内は保険診療では作ることができないという規則に変更になりました。これは新しい入れ歯をある歯科医院でセットしてもらってからも気に入らず、他の歯科医院で作ってもらうようなケースも該当します。患者側とすれば、新しい入れ歯を一度作った後、更に新しい入れ歯を作ることを希望するなら、全て自費で入れ歯治療費を負担しなければいけないことになります。

うちの歯科医院では、入れ歯のセット時にこのことを説明します。Hさんもこの説明を受けていました。Hさんは新しい入れ歯を作らないといけないことは重々承知していたようですが、入れ歯をセットしてから6ヶ月以内は保険診療で新しい入れ歯が作れないということが頭の中にあり、この6ヶ月という期間をひたすら待っていたというのです。新しい入れ歯を自費で作るには経済的に厳しいという事情があったようです。

Hさん曰く
「この5ヶ月の間、入れ歯がなくて苦労をしました。入れ歯が前歯を幅広くカバーしていたでしょ。誰が見ても私の前歯がないことがわかってしまうのですよね。言うなれば、この5ヶ月は歯無しで暮らしてきたようなものです。最初のうちは風邪をひいたといってマスクをしてごまかしていたんですが、最近では、『大人になって生えてくる永久歯が未だに生えてこないのよ!』と言っていました。周囲の者は皆苦笑いしていましたけどね。いい加減に永久歯が生えてこないといけませんから、今日から早速新しい入れ歯を作って下さいよ、先生。」

わかりました。それでは、早速新しい永久歯を作っていくことにしましょうか。



2007年10月06日(土) 学校ブログ

最近の学校は様変わりと言っては何ですが、自前のホームページを持つ学校が多くなってきたように思います。中でも私立の学校はホームページに熱心な所が多いようで、子供を持つ親である僕もちょくちょく私立学校のホームページを訪れています。

中でも最も足しげく通っているのが上のチビが通っている小学校のホームページ。上のチビの小学校は学校からの情報発信に熱心な小学校で、生徒や保護者に対し、授業内容を積極的にホームページに公開し続けています。各学年ごとにブログがあり、担当の先生が更新に携わっているようです。

このブログを見るためには、あらかじめ学校側からIDとパスワードが発行されます。全く学校と関係無い人からのアクセスを受け付けないためです。学校側の説明では、これ以外にも外部からの不法侵入に対し二重三重のセキュリティ対策が講じられているとのこと。

実際にIDとパスワードをインプットし、アクセスしてみると、上のチビの学年の行事や授業内容、課題や宿題内容などが書かれているのです。中には大人が読んでいても興味深いものが含まれています。最近の例では、ひまわりの花一輪にある種の数はどれくらいだったとか(1600個だったそうです!)、中秋の名月は旧暦8月15日の月のことで必ずしも満月ではない等がありましたね。
この夏に行われた野外学習に関するブログは圧巻でした。学校を出発してから目的地に到着、野外学習の様子から帰宅に至るまでほぼリアルタイムで内容が更新されていたのです。おそらく、担当の先生がデジカメとモバイルパソコンを持参し、常に更新し続けていたのでしょうが、大したものだと感心しました。担当の先生が余程やる気があり、情熱がなければできないことでしょうが、子供を持つ親としてはこれほど心強いことはないと感じたものです。

今までインターネットに関心の薄かった嫁さんも毎日更新される小学校ホームページに毎日目を通すようになっています。最近、学校裏サイトなるサイトが問題視されていますが、学校や生徒たちの様子を積極的に情報公開してくれるサイト、ブログなら大歓迎です。



2007年10月05日(金) 彼女への誕生日プレゼントに悩む

「家内の誕生日に何をプレゼントすればいいのでしょうか?」

先日、久しぶりに再会した大学時代の後輩歯医者から尋ねられた質問です。この後輩は数年前に結婚して子供も授かった身ではあるのですが、毎年奥さんの誕生日にはプレゼントを贈るのだとか。プレゼントを贈ること自体は自分の楽しみでもあるそうですが、問題は中身なのだそうです。すなわち、未だに奥さんに対する誕生日プレゼントとして何を送るのか悩むというのです。
この後輩の悩み、僕も大変理解できます。僕自身、未だに嫁さんに何かをプレゼントする際、何をすべきか悩むのですから。

学生時代に初めて彼女ができ付き合っていた時、いつも頭を悩ませていた一つが彼女に対する誕生日プレゼントでした。彼女といろいろと話をしているうちに何に興味があり、どんな趣味があるかどうかはわかってはきていたのですが、当時“誕生日プレゼントは何が欲しい?“と直接尋ねることができなかった奥手の僕は、周囲の友達や先輩からの話を参考に無難な物を選びプレゼントすることにしたのですが、果たしてそれが彼女に気に入られるかどうかわからず不安で仕方がなかったのです。
結局のところ、当時の彼女は僕のプレゼントを気持ちよく満面の笑みを浮かべながら受け取ってくれたのですが、その後も何度かこのような機会はあったものの、果たして何をプレゼントすればよいかいつも悩み続けたものです。本当に僕のプレゼントに満足してくれるのだろうか?

相手を慕う気持ちがあれば、どんなプレゼントでも構わないのだろうと思ってはいました。それは僕が彼女からプレゼントをもらう立場であればそう感じたからです。僕も何度かプレゼントをもらうことがあったのですが、自分が心を許している彼女から貰う物というのはどんな物であったとしてもうれしいものでしたし、今もその気持ちは変わりません。この点、男女の違いは少ないのではないでしょうか。

年を重ねるとともにプレゼントは物の質ではない、気持ちであるという気持ちを強くは持ってきているのですが、いざ何かをプレゼントしようとすると悩んでしまうのは男としての成熟さ、進歩がないのではないか?別に格好をつけているわけではないのですが、定番のような代わり映えのないようなプレゼントをするよりは何かユニークで、気の利いた、センスを感じさせるものはないか?そんなことをつい考えてしまうのは悲しい性なのでしょうか?

さて、今の嫁さんに対してはどうかと言いますと、今年で結婚して12年目、僕のことは全てお見通しの嫁さんは、僕のプレゼントに対する悩みもわかった上で言います。

「現金かクレジットカードを用意しておいてくれたらいいからね。」

結局そんなところに落ち着くのでしょうか・・・。



2007年10月04日(木) 小林秀雄と小島よしお

昨夜は地元歯科医師会で会合。来年の地元歯科医師会の事業計画を立てるために話をしていたのですが、話の合間の雑談で話題に挙がっていたのが診療室内のBGMの話でした。某先生がBGMを流しながら診療をするのが患者さんのためになるのかということを言い出したのがきっかけで、何人もの先生がいろいろと言い出したのです。
BGM賛成派の先生の主張は、患者さんのストレス、緊張を取ることに役立っているのではないかということでした。小さめの音で派手でない音楽、特にクラシック系の音楽を流していることにより、歯科治療前の、歯科治療中の患者さんの緊張状態が緩和される場合が多いというのです。
一方、BGM反対派の先生の主張は、BGMが患者さんの緊張状態を取ることには役立っていないということでした。どんな患者さんでも緊張する時は緊張する。緊張を取るために最も必要なことは担当医、主治医に対する信頼であってBGMではないということでした。
なるほど、このことも一理あるとは思ったのですが、僕は診療室内でのBGM賛成派の立場です。僕のこれまでの経験なのですが、自分がどこかの医療機関にかかった際、静かなBGMが流れていると何となく精神的に落ち着くものを感じたことがありました。また、自分が担当医として患者さんを診ていると、静かなBGMを流していると患者さんの緊張状態が緩和される傾向にあるように思えてなりません。うちの歯科医院では、診療中は診療室内に聴こえるか聴こえない程度の音でクラシック音楽を流しています。
クラシック音楽と一言でいってもいろいろあるのですが、うちの歯科医院でBGMとして使用しているのはモーツァルトの音楽です。BGMを使用する際、いろんなクラシック音楽を流して患者さんの反応をみていたのですが、ベートーベンやブラームス、チャイコフスキーなどは緊張緩和にはつながらないように思えてなりませんでした。最終的にいいかなと感じたのがバッハとモーツァルトだったのですが、バッハの音楽は若干暗さを感じるようなところがあり、最も患者さんに適している音楽として僕が選んだのがモーツァルトだったのです。

昨夜の会合の合間の雑談でも、僕は自分の診療室内でBGMとしてモーツァルトを流しているという話をしたのです。そうすると、話を聞いていたH先生が僕に尋ねてきました。
「そうさん先生はクラシック音楽が好きだったはずだけど、モーツァルトの音楽をBGMで流し続けていると、なんでもない時に突然頭の中でモーツァルトの音楽が鳴ったりするようなことはない?」
なかなか鋭い質問でした。何気なく聞き続けている音楽がいつの間にか頭の中に刷り込まれ、何でも無い時に突然音楽が浮かぶような体験。僕は何度かそのようなことがあるのですが、少なくとも診療室では多くのモーツァルトが有線で流れてきますから、診療をしていて邪魔になるような経験はありません。
このことを説明すると、H先生は

「かつて小林秀雄が第二次世界大戦が終わった直後、大阪の道頓堀を歩いていると突然モーツァルトの音楽が頭の中で鳴ったという話があるじゃない。」
「モーツァルトの交響曲第40番の第4楽章の冒頭部分のメロディーですね。」
「それそれ。ずっと音楽を聴いていると特に意識をしていない時に自分が愛聴している音楽が頭の中で現れるようなことがあるのではないかと思ったんだよ。特にBGMが仕事場である診療室内で流れていると、知らず知らずのうちにBGMに感化されてしまうようなことがないのかなと思ったんだけどね。」

その時、H先生と僕との話を聞いていたM先生が話に割り込んできました。
「小林秀雄みたいに文学的だったらいいよ。最近、俺なんてもっと品がないものが浮かんでくることがあるんだよ。」
「それって一体何ですか?」
「小島よしおだよ。」
「小島よしお?」
「せがれがね、小島よしおを見ていてしょっちゅうまねるんだよ。『そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ、オッパッピー』ってね。流行っているだから仕方のないことなんだろうけど、せがれが好きで俺の前でずっと小島よしおをやっているんだよ。ずっと目の前でやられているものだからうっとおしく感じるんだけど、いつの間にか頭の中に刷り込まれているようで、診療の合間の何気ない時に突然頭の中に出てくるんだ。『そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ、オッパッピー』って。たまったもんじゃないよ!」

一同大笑いでありました。



2007年10月03日(水) 私のあげまん、食べてみる?!

昨夜のことです。一日の診療が終わり自宅に戻り食事を取っていた時でした。食事を準備していた嫁さんが突然僕に問いかけてきました。

「私のあげまん、食べてみる?」

嫁さんの突然の言葉に戸惑いを隠せなかった歯医者そうさん。一日の仕事が終わりお腹が空いていた僕ではありました。夕食を楽しみに自宅に戻ってきたわけではありますが、本来の夕食を取る前にいきなり“あげまんを食べてみる?”とは一体何事でしょう?
夜になっているとはいえまだ時間も早く、台所には二人のチビたちも食事をしているのです。チビたちがまだ幼いとはいえ、“あげまんを食べてみる?”とは教育上も問題があるのではないか?
”少なくともチビがいる食事時にはまずいなあ”と勝手に思いながらも、一体嫁さんからの衝撃的な問いかけにどう答えたらいいのか思案していると、嫁さんが持ってきたのが下の写真のものでした。




パッケージには
“揚げ饅頭”という文字が。“あげまん”とは“揚げ饅頭”のことだったわけですね。
何でも嫁さんが幼稚園でママ友からもらってきたお土産だったそうですが、いくつももらってきたために夕食後の口直しに食べないかどうかを僕に言ってきたようなのです。

“全く人騒がせな奴だ!“と思いながらも、”あげまん“ではなくて”揚げ饅頭“を美味しく頂きました。

ちなみに、今回の“あげまん”と“揚げ饅頭”の勘違いですが、
「あなたの妄想が変だ、おかしい」という突っ込みはご遠慮下さいネ、ハイ。



2007年10月02日(火) メールでクレームをつけられた

先週末、弟がうちの家にやってきました。弟はうちの近所にある某救急病院で循環器内科医として働いています。ここ数年、わずかな睡眠時間で昼夜無く働いてきたのですが、4月に何人かの医者が医局に入局したおかげで持ち患者が減少し、当直回数も減ってきたことから一時の忙しさから解放されつつあるとのこと。そばから見ていても過労であることは明らかだったので、弟の仕事が減少し負担が減っている現状は、好ましい状況ではないかと感じました。
ただ、好事魔多しというわけでもないのでしょうが、最近、少し精神的に落ち込むようなことがあったというのです。それは弟に対する患者からのクレームだとのこと。

ある日の外来のこと。弟はある子供を診察したのだとか。その子供は数日前から体調をくずしていたそうで、何か問題があるのではないかということで母親が弟の勤務先の病院へ連れてきたのです。
本来、子供の診察は小児科医が担当するべきものですが、弟の勤務先の病院は小児科がありません。それにも関わらず、この母親はどうしても弟の勤務先の病院で診て欲しいということで子供を連れてきたそうです。とりあえずは内科で診察しようということになり、たまたま弟が外来の診察を担当したのです。
弟が診たところ、問題の子供は若干熱もあったそうですが、風邪の症状が治りかけている状態であり、特に薬を処方することなく経過を診ていけば自然に治るような状態だったとのこと。弟は保護者である母親にそのことを伝え、帰ってもらったそうです。母親は特に変わった様子もなく、そのまま帰宅していったそうです。

ところが、問題はその後に起こりました。この母親、病院宛にメールを送ってきたそうです。そのメールとは担当医であった弟へのクレームだったとのこと。外来診察で弟の診療態度が不服であることをメールにしたためていたというのです。
弟の勤務先の病院はメールアドレスを公開していて、患者さんからの問い合わせは病院の総務課が一気に引き受けていたそうですが、患者さんからのクレームということで弟は病院の総務課から聞き取り調査を受けたというのです。弟だけではなく、弟の診療に付いていた看護師、受付などにも聞き取り調査が行われたそうです。
弟としては特に話し方に対しては失礼の無いように丁寧に話をしていたつもりであり、母親もその場で何も文句を言わなかったとのこと。側で付いていた看護師も弟の診療には何の落ち度も無かったと証言しているそうで、病院としては、今後患者からの連絡があれば、自分たちに落ち度がなかったことをきちんと説明して理解を求めるように対処するということだったようです。

弟としては、誰に対しても公平に診療することをモットーにしていただけに、自分に対する患者のクレームに驚き、ショックを隠しきれなかったようです。

「患者からのクレームは気持ちの良いものではないなあ」
と言う弟の言葉にはいつもの元気さ、明るさがありませんでした。

僕は弟に同情します。弟に何らかの問題があるのであれば話は別ですが、弟の話やその後の病院の聞き取り調査、特に、側に一緒に付いていた看護師が弟の診療態度に全く問題がなかったことを言っていることを考えると、弟に落ち度があったとは言えないと思うのです。身内の肩を持つわけではありませんが、弟の性格を考えると患者さんをないがしろにするような言動をするとは思えません。どんな患者でも誠実に対応しているはず。
実際に僕は弟からの紹介患者を何人も歯科治療していますが、誰もが弟に対し信頼していることがわかります。循環器というだけに命に関わる病気で苦しんでいる人を助けてきているせいでしょうか、皆、異口同音に弟に命を救ってもらったと話しています。それだけでも弟に対する信頼感がわかるというものです。僕には、弟に問題があったとは到底思えないのです。

弟が言うには、メールに書いてある内容は事実と異なる内容ばかりが書いてあったとのこと。病院の総務課の担当者が言うには、問題の患者は自分がして欲しかったことを担当医にしてもらえず、そのことが不満でメールを送ってきたそうで、一種のクレーマーではないかとのこと。どうも弟には薬を出してもらいたかったようなのですが、医学的に薬を処方する必要がないことを診断し、そのことを患者にきちんと伝えているにも関わらず患者が納得せず、その不満をメールに託しているようだというのです。弟が言うには、現場では母親はわかりましたと口で言っていたそうですが、メールにはそのことは一言も触れず、いかにも担当医である弟が不躾な態度で切り捨てたような表現で接していたとメールで書いていたそうです。

昨今、患者に対する医師の態度が問題視されることがしばしばあるのですが、実際のところは、患者側にも大きな落ち度がある場合が多いように思います。
先日も奈良県で起こった妊娠六ヶ月の妊婦が突然体調を崩し、救急車で搬送しようとしたものの受け入れ病院が無く、結局のところ、大阪府内の病院へ搬送されている途中、死産したというニュースが流れていました。この時、受け入れ救急体制の不備や救急担当の医師、病院の対応が不適切であったとバッシングのようなものがありましたが、患者の妊婦が妊娠六ヶ月でありながらかかりつけ医を全く持たなかったことはあまり知られていません。どんな妊婦でも妊娠六ヶ月であれば自分が妊娠していることは気がつくものです。当然のことながら、産婦人科の専門医の診療所、病院を受診するのが当たり前なのに、問題の患者はそれを行っていなかったのです。このような場合、責められるのは病院や救急医療体制というよりも、まずは患者ではないかと思うのですが、如何なものでしょうか?

医師に問題がないとは言い切れませんが、患者さん側にも問題を抱えているような場合があるのも事実。医療は、医師側も患者側もお互いに節度を持った態度で接する必要があるのではないかと考えます。



2007年10月01日(月) 健康寿命ってご存知ですか?

既にご存知の方も多いとは思いますが、日本人の平均寿命は世界の中でも最高レベルにあります。厚生労働省が発表した平成18年簡易生命表
によれば、男子が79.00歳、女性が85.51歳で男子が世界で2番目、女子は世界一の長寿となっています。平均寿命の高さは、日本が長寿社会であることを物語っている一つの証拠でもあるわけですが、平均寿命の長さをそのまま喜んでいいものか考える必要があると思います。その理由とは、平均寿命とは一人の人間が生まれてから死ぬまでの寿命の平均であるということです。
当たり前のことではないかと思われる方がいるかもしれませんが、平均寿命とは、一人の人間が何の障害もなく、病に罹ることなく、自立して健康に生きている期間とは自ずと異なることを認識しておかなくてはなりません。

最近、病気にならず、障害を負わず、痴呆にならず、誰からの世話、援助を受けずに自立して健康に生きている期間のことを健康寿命と呼ぶことが多くなってきました。いくつかの資料を紐解くと、健康寿命を最初に定義したのは世界保健機関(WHO)のようで、Healthy Life Expectancyの日本語訳が健康寿命として流布しているようです。
実際に健康寿命をどうやって計算するかは諸説あるようですが、WHOの2004年の報告によれば、日本人の健康寿命は男性が72.3歳、女性が77.7歳ということでいずれも世界一の健康寿命なのだそうです。如何に日本人が生活習慣、種々の医療、保健、福祉政策が優れているかを物語っているものと思われます。

ここで考えなくてはならないのは、健康寿命と平均寿命の差です。基準が異なるので正確さには欠けますが、日本人男性の場合、平均寿命79.00歳。一方、平均寿命が72.3歳です。日本人男性の健康寿命と平均寿命との差は6.7年。日本人女性の場合であれば、平均寿命が85.51歳、健康寿命が77.7歳ですから7.81年です。日本人男性の6.7年、日本人女性の7.81年という時間の意味するものは何でしょう?周囲の誰かが医療、福祉、介護を行う必要がある期間であることは明白です。現在の医療費の増大、介護保険財政の厳しさの背景には健康寿命と平均寿命との差が大きいことがあるとも言えるでしょう。この健康寿命と平均寿命の差を埋めるためにどういったことをすれば良いか?いろいろと議論があるようですが、健康寿命を少しでも長く伸ばすことが必要だということが世界の医療、保健、福祉関係者の中では共通認識となってきています。僕は、健康寿命が伸びることが平均寿命との差を小さくなることに関して疑問を感じることもあるのですが・・・。

現在の日本でも、国の健康政策は健康寿命を伸ばすために、健康に関する生活の質の向上を目指すことを目標にしています。厚生労働省では21世紀の国民健康づくり運動を進めるための指針として2000年(平成12年)に健康日本21というものを発表していますが、その中で日本国民の健康確保のために9項目の健康課題を設けています。それぞれ2010年までに達成しなければならない具体的目標があるのです。この9項目の健康課題の一つに歯の健康が挙げられています。

健康寿命を伸ばすためには歯の健康の管理が大切であるかが国によって認められているわけですね。


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