歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年09月29日(土) 支払いに追われる日々

歯科医院に限らず保険診療を行っている全ての医療機関で言えることですが、保険診療では、診療に必要な治療費は窓口で1割〜3割分は患者さんが支払うことになります。残りの分に関しては保険組合に請求することになります。基本的に、お勤めの方の場合は社会保険ですので、各都道府県にある社会保険支払基金(基金)に、自営業の方の場合は国民健康保険ですから、各都道府県の国民健康保険連合会(連合会)に請求することになります。

これら請求を行うのが診療報酬明細書、通称レセプトと呼ばれるもので、月の終わりを区切りにして、翌月の10日までにレセプトをまとめ、社会保険分は基金へ、国民健康保険分は連合会へ請求することになります。
各月の10日までに請求のあったレセプトは、基金と連合会でそれぞれ審査が行われた後、更に患者さんの属する保険組合へ請求がいくことになっています。各保険組合で更に審査され、正当な請求だと判断された場合、各保険組合から基金、ならびに連合会を通じて窓口負担分以外の診療費が支払われるというわけです。

非常にややこしいシステムであるわけですが、治療費用の保険組合分の支払いにはそれだけ慎重に行っているということです。結果的に時間がかかります。窓口負担分以外の各保険組合が支払う診療費は2ヶ月遅れで各医療機関に支払われるのです。例えば、8月分の請求に対しては10月に、9月分の診療に対しては11月にといった具合にです。更に正確に書くなら、2ヶ月遅れの20日過ぎです。

保険診療を行っている全ての医療機関にとってこの20日過ぎというのは診療報酬の保険組合負担分が支払われる時間帯ですから、医療機関の経営者にとっては非常に大切な日なのです。お勤めの方のような給料日みたいな日のようなものです。うちのような零細の歯科医院でもそうです。弱小歯科医院であるが故に、毎月20日は非常に待ち遠しく感じます。

今月も20日にうちの歯科医院の銀行口座に支払いがありました。これら支払いを確認すると、早速僕は様々な処理を行わないといけません。それはうちの歯科医院と取引のある業者や公共料金等々への支払いです。毎月、この時期を見越して取引のある業者からは前月の支払い分の請求書が届けられます。その分に一喜一憂しながら、請求書の支払額を確認し、支払うのです。
この作業、毎月のことではありながら結構気を使います。実際の支払いは僕自身、診療をしていますので、うちの歯科医院の事務の担当者にお願いしていますが、僕も全て支出に目を通して、支払う金額は頭の中に入れています。僕は歯医者であり一方で歯科医院の経営者でもあります。これら支払いを自分で確認することは当然のことではありますが、月末までに一通りの支払いが終わると正直言ってホッとします。何とか今月も無事に終わることができたなあと感じるものです。これが返せなければどうしよう?そのような不安がどこかにつきまといながらも何とか支払うものは支払うことができた。そんな安堵感が月の終わりに感じるものなのです。
これからどうなるかわかりませんが、何とかこれからも月の終わりには支払うものが支払えるような状態を維持していきたいものです。

こんなことを書きながらふと気がつくともう月末。今月は何とかなりそうです。来週になれば10月。早速レセプト提出の準備をしないといけないなあ。



2007年09月28日(金) 勉強させて下さい!

昨日、一日の診療が終わった僕は受付にある電話の側で待っていました。診療中に知人から連絡があったのですが、診療中の僕を気遣ってか診療が終わってから再度電話を掛けるということだったのです。僕は診療が終わって直ちに知人へ電話を掛けたのですが、知人は自宅の電話にも携帯電話にも連絡がつかず、仕方なく知人からの連絡を待っていたのです。

間も無くして電話が鳴りました。“知人からだろう“と思い受話器を取ってみると
「院長先生でしょうか?」

若いお姉ちゃんからの電話でした。口ぶりからして何かの宣伝の電話でした。お姉ちゃんの背後からは他の営業担当と思われる人の声がいくつも聞こえておりました。

「少しばかり時間をいただけないでしょうか?」
僕は直ちに断りました。いつ知人からの連絡が入ってくるかわからない状況だったからです。すると、お姉ちゃんは

「それでは、当社の資料を送らせてもらっても構わないでしょうか?」
この手の資料、ろくなものがありません。資料が届いてから再度電話があり、“資料は既にご覧になったでしょうか?”から始まってしつこい勧誘の電話がかかってくるパターンです。僕は不要であることを伝えました。すると、お姉ちゃんは

「先生、実は私今年入社したばかりなのです。商品を売る売らないということよりも一人でも多くの先生方に話を聞いてもらい、経験を積みたいと考えております。どうか勉強させてもらえませんか?」
なかなか良い心がけだとは思いますが、知人からの連絡を待っていた僕はお姉ちゃんの勉強の相手をする余裕はありません。今は時間がないからということで断りました。すると、お姉ちゃんは

「わかりました。それでは再度で直しますのでよろしくお願い致します。」
もう二度と電話を掛けてこなくていいからと僕は答えておきました。

診療が終わった時間帯ですから、宣伝の電話の仕事は夜の仕事に入るでしょう。いくら宣伝の仕事でいろんな場所へ片っ端から電話をかけているとはいえ、夜の時間帯の仕事としてお姉ちゃんには酷だろうなあと同情しつつも、“勉強させて下さい“には正直言ってまいりました。全く見ず知らずの野郎に”勉強させて下さい“なんて言いまくると、中には勘違いしてしまう輩もいるでしょう。そうなったら取り返しのつかないことになるかもしれません。おそらく、おねえちゃんは宣伝のマニュアルみたいなものに従って電話を掛けているのかもしれませんが、実際にマニュアルに書いてあるのなら、若いお姉ちゃんの”勉強させて下さい“の一言は問題あるかもしれないなあと感じた歯医者そうさんです。

ちなみに、知人からは電話がかかってきませんでした。トホホホ。



2007年09月27日(木) いつまで親が仕上げ歯磨きをするべきか?

昨夜、地元歯科医師会の中で勉強会があり参加してきました。勉強会には若手の先生が多かったのですが、皆勉強熱心で活発な意見のやり取りがなされました。
僕自身、こうした活発な論議にはいつも刺激を受けます。自分と同世代や後輩の先生が大半を占めていた気軽さもあってか、僕も日頃考えていたことを積極的に伝えることができたように思います。

さて、昨夜の勉強会の話題の中心は歯の予防についてでした。歯がむし歯や歯周病に侵されないためには、歯医者での治療だけでなく、患者さんの常日頃からの歯磨きが大切ですが、成長途中の子供の場合、どのように対処すればよいか?ある程度の年齢までは親が責任を持って子供の歯磨きの面倒をみていかないといけません。具体的には、子供が歯を磨いた後に親が子供の口の中をチェックし、仕上げ歯磨きを行う必要があるということです。

NHKの教育テレビを見ていると、幼児向け番組の中に“歯磨き上手かな?”というコーナーがあります。このコーナーは、幼児に対し歯磨きの大切さを説くと同時に歯磨き終了時には、必ず親に口の中の仕上げ歯磨きをしてもらうことを指導する内容のコーナーです。子供が一生懸命歯磨きをした後、大きな声で親を呼ぶのです。

「お母さん(お父さん)!」
すると、お母さんやお父さんが登場し、“仕上げはお母さん(お父さん)”というメッセージを流れると同時に子供の仕上げ歯磨きをするというシーンが映し出されます。
僕も何度かこの場面を見ていますが、幼児に対する歯磨き習慣づけ、親による仕上げ歯磨きの大切さを訴えるものとして、非常に多くの親子に良い影響を与えていると思います。理想的な歯磨き啓発番組コーナーだといって過言ではないでしょうか。

実際に幼児の歯磨き後、親が仕上げ歯磨きをしている家庭はかなり多いものと思いますが、それでは一体子供が何歳になるまで親が仕上げ歯磨きをすればいいのでしょう?昨夜の勉強会ではこのことが話題に挙がりました。
いろんな意見が出たのですが、結論としては、親の仕上げ歯磨きは、子供の乳歯が永久歯と完全に生えかわる時期まで行うべきではないかということになりました。すなわち、小学生の間は親が子供の歯磨き後の口の中の点検、仕上げ歯磨きをする必要があるのではないかということです。
子供がきちんと歯を磨ける技術があるのであればいいのですが、子供が適切な歯磨きを会得するのは時間がかかるもの。何度も手を変え、品を変え教えること。辛抱強く教えていくことによって初めて適切な歯磨きの仕方を理解し、実践することができるのです。ここに至る時間は小学生の間は充分にかかるのではないかということなのです。
また、乳歯が抜け落ち永久歯に生えかわる時期というのは、永久歯そのものが完全に形作られず、歯質も未熟なもの。この間に口の中が汚れていると、生えたばかりの永久歯は直ぐにむし歯になったり、歯の周囲の歯肉に影響が生じ、歯周病になりかねません。
歯磨きに対する子供の理解力と実践力、そして、永久歯の成熟度を考えると、どうしても子供だけに歯磨きをまかせるのは非常にリスクが高いといえるでしょう。親の積極的な関与、仕上げ歯磨きが必要ではないかということです。

小学生の高学年になっても親が仕上げ歯磨きをしていると、いつまで経っても子供が自立して歯磨きをすることができなくなってしまうのではないかと危惧する向きもあるのですが、結論としては、心配ないのではないかという意見が大勢を占めました。
仕上げ歯磨きをすることは単に親が歯磨きをしてあげているということではありません。あくまでも子供が歯を磨き、その補助的なこと、歯磨きが適切に出来ていないところをカバーする意味合いがあります。仕上げ歯磨きをしながら、子供にいろいろと話しかけるのです。“歯の裏側の歯肉との間をしっかり磨こう”とか“歯と歯の間はフロスを使おう”など言いながら仕上げ歯磨きを行うのです。そうすると、いつの間にか仕上げ歯磨きを受ける子供たちには、自分の歯磨きの足りない点が頭の中に刷り込まれ、いざ自分で全て磨く時には積極的に歯磨きができるようになる。子供は決して頼りない存在ではなく、むしろ時期がくれば自ずと親離れをしていく。そのことを充分に理解すれば、仕上げ歯磨きを小学生の間行っていても、小学生を卒業すれば自ずと子供は自分で歯磨きをすることができるようになるのではないでしょうか。



2007年09月26日(水) 素朴な学習机

現在、幼稚園の年長である下のチビ。自分が来年小学生になることを意識してか、字を書いたり、物語を読んだりすることに熱中するようになってきました。上の兄ちゃんが小学生で宿題をしている姿を側でみていることも影響しているかもしれませんが、小学校は幼稚園とは違い学校で勉強をする所であることが何となくイメージとしてあるようで、自分なりに何か準備しないといけないような意識があるようです。

昨日、そんな下のチビの元にある物が郵送されてきました。下のチビは某社の幼児教育用の教材を定期的に購読しているのですが、昨日届けられたのはこの幼児教育用教材の来月号のセットだったのです。この手の幼児教育用教材には必ず付録のような物がついているものですが、今回届けられた付録は下の写真でした。




ダンボール製の机だったのです。机の上にはひらがなの五十音が書いてあります。



実に素朴な学習机ですが、下のチビはひと目見てこれが気に入ったようです。自分で学習机を組み立てるや否やずっとこの机の前に座っています。机の上で字を書いたり、本を読んだり、はたまたオヤツや食事までしてしまう始末。余程気に入ったのでしょう。

今後、いずれは本当の学習机が必要となるかもしれませんが、当分の間、この学習机で本を読んだり、好きな絵や字を書いたりしながら机の上で学習するという感覚を養って欲しいものです。



2007年09月25日(火) 疲れるには訳がある

「そうさん、普段あまり動いていないのに一日の終わりの頃には相当疲れるのね?」

ある夜遅く、嫁さんが僕に尋ねてきた素朴な疑問です。
確かにそうかもしれません。普段の診療において僕は診療所を動く程度ですし、患者さんを治療する時はずっと座ったまま。おまけに診療所は自宅の隣にあります。側からみていれば、普段の僕は全く体力を使っていないように見えても無理はありません。
実際のところはどうかといいますと、一日の終わりには非常に疲労を感じます。ぐったりとして、本でも読んでいるといつの間にか瞼が閉じてしまい、寝入ってしまうこともしばしばです。あまり動いていないのにどうして一日の終わりにはクタクタになってしまうのか?

こればかりは実際に体験しないとわからないかもしれませんが、歯医者の仕事というもの、非常に気を遣う仕事です。患者さんの口の中を非常に明るいライトで照らしながら治療をします。ライトの明るさは10000ルクス程度の照度が必要とされています。一般の台所の明るさが300ルクス程度の照度が必要ですから、口の中を治療するには非常に明るい光の中で治療をしないといけないことがわかってもらえるかと思います。ということは、目を酷使するということになります。

歯を削ったり詰めたりする作業ですが、基本的にミクロン単位の仕事となります。ちなみに1ミクロンとは1ミリの千分の一の単位になります。非常に細かい作業であることがわかっていただけるのではないでしょうか?ミクロン単位といいますが、人間の口の中の感覚はミクロン単位の精度です。例えば、誰でも髪の毛が口の中に入るとわかるものですが、この髪の毛の太さというのはおおよそ80〜100ミクロン程度とされています。ほんの10ミクロン程度歯を削っても人はその違いを認識できるものなのです。歯医者の仕事は非常に細かいように思いますが、実は誰もが違いを認識できる精度で仕事をしているのです。細かいように見えて患者さんは理解できる違い。この違いを念頭に置きながら、歯医者は狭い口の中を強い光を当てながら一日に何時間も仕事をしているのです。

歯医者は様々な器具を用いて治療をします。例えば、タービンとよばれるはを切削する器具。誰もが知っており、嫌だと思う“キーン”と高音を発する、あの器具のことです。歯というダイヤモンド並の硬さを持つものを削るために、刃先にダイヤモンドの粉を散りばめたバーを一分間に20万回転〜40万回転という高速回転をさせながら削ります。歯を高速回転させながら削ると高温となりますから、絶えず水を掛けながら削ることになります。高速回転させながら削るタービンは一つ間違えれば口の中の粘膜や歯肉、治療に関係の無い歯を削ることになります。しかも、絶えず水が出ているわけですから視野も限られてきています。大雨の中で作業をしているようなものです。タービンを使用するということは、歯医者にとって非常な緊張が必要なのです。

ここ数年、僕はより精密に仕事をしようと、拡大鏡と呼ばれる視野を拡大する装置を用いて治療を行うことがあります。これは裸眼で見るよりも相当細かく治療を行うことができるために非常に重宝する装置ではあるのですが、その反面、裸眼以上に目を酷使するように思います。そのためと言っては何ですが、僕は午前と午後の間の休診時間は極力目を休めるようにしています。歯医者を数年程度するだけならこのようなことはしませんが、これから20年以上歯医者として仕事をしていかなければならないと思うと、目の疲労を少しでも蓄積しないようにするために目を休ませることは非常に大切なことではないかと考えます。側からみていると、午前と午後の合間の時間に寝ているように見えるかもしれませんが、僕にとっては貴重な目を休ませる時間でもあるのです。

歯医者は細かい治療をするだけではなく、患者さんとの会話や一挙手一投足に至るまで気を遣う必要があります。患者さんが何気なく話す一言や行動の中に、問題の原因が隠れている場合が少なくありませんし、患者さんとの信頼関係を築くために、時に歯医者は限られた時間内に聞き役となって患者さんと相対する必要があります。毎日一人だけの患者さんを診るだけならまだしも、一日に何十人もの患者さんに対して同じように接しなければならなりません。これらは全て細かい治療の合間に行わなければなりません。
正直言って、一日の診療が終わる頃には、思わず“フゥー”とつきたくなることがしばしばです。

上記のようなを考えると、歯医者の治療というのは自ずと相当な集中力を持続しないとやっていけない仕事であることが容易に想像つくのではないかと思うのです。
ただ、同じ医療業界の中でも僕はまだ恵まれていると思います。病院に勤務している勤務医は過労で今でも倒れてもおかしくない人が多数います。誰もがもっと体力的にも精神的にも余裕をもって仕事をしたいと思っているはずですが、そのようなことができない勤務医が多数いるのです。
いつ倒れてもおかしくないような環境の先生に比べれば、僕は恵まれています。徹夜をすることはほとんどありませんし、一晩眠れば何とか体力が回復し、疲労が蓄積していくことは今のところ防ぐことができています。ただ、今年厄年の僕はどうしても自分の体力が衰えていく一方の年齢になってきます。体力を維持することはできても伸ばすことは年齢的にできない年齢になってきている自分の体。また、自分の診療所の診療だけではなく、後進への指導や地元歯科医師会の仕事も増えていく一方。しかも、僕は一人身ではありません。嫁さんがいますし、子供も二人います。子供に関しては彼らを育て一人前にするまでに教育する義務があります。公私ともに自分への責任は増すばかり。

如何に自分の健康状態を維持しながら仕事を確実にこなし、家庭を支えていくか?いろいろ思案しているうちに意識が薄れ、いつの間にか眠ってしまった、ある深夜の歯医者そうさんでした。



2007年09月24日(月) 挨拶ができない親族

9月に入ってから二度目の連休、皆さんいかがお過ごしでしょうか?先週の連休中、家庭サービスが出来なかった僕は今回の連休中、家庭サービスに徹しております。チビたちが“外へ遊びに行きたい!”としきりに言っておりましたので、某所へ出かけ一日中、遊ばせておりました。チビたちは元気に遊んでいましたが、付き添っていた僕たち夫婦はクタクタ。昨夜は疲労困憊でいつの間にか寝入っていたくらいです。日焼対策をしていなかった僕は顔や首、腕を中心に日焼をしてしまいました。

さて、話は本題に入りますが、僕の親族に困り者がおります。困り者といっても直接害を及ぼしたり、危ない商売に手を出したりというわけではないのですが、うちの家族では異口同音に困惑しているのです。その理由とは挨拶ができないことです。

いくら親族の間柄といっても、普通はお互いに顔を合わせると挨拶を交わすのが当たり前だと思います。

「おはようございます」
「こんにちは」
「こんばんは」
これら挨拶を交わしてから季節のこととかお互いの近況などをTPOに応じて話をするのが親族同士の会話ではないでしょうか。少なくとも僕はそのように考えてきた一人です。
何も挨拶は親族同士のものだけではありません。世話になっている知人、友人、近所の住人、仕事に関係のある人などなど、人と相対する時には必ず目線を合わせて挨拶を交わすというのは基本中の基本の礼儀だと思うのです。僕自身、親から挨拶をきちんとすることを常にしつけられてきましたし、僕のチビたちにも家族だけでなく他人に対して必ず声を出して、目線を合わせて挨拶をするようにしつけているつもりです。もし挨拶ができなければ、厳しく言いますし、何度もできるまで見守ることが親としての責務だと感じているくらいです。

周囲をみていますと、出来る人というのは必ずきちんと挨拶ができています。目下の者が目上の人に対して先行して挨拶をするのは当然だとしても、出来る人は目上、目下の関係なく常に自分から挨拶をされています。たかが挨拶かと思いがちですが、礼儀の基本である挨拶が抜け目なく、さりげなくできるというのは、その人を評価するに当たり第一印象が違ってくるのではないでしょうか?何も挨拶できる人が優秀だというわけではありませんが、優秀な人は最低限の挨拶ができているということは言えるのではないでしょうか?

実は、僕の親族の困り者とはこの挨拶が全くできない輩なのです。僕よりも年下のこの親族、僕が挨拶をしても全く何も言わず、黙っているのです。表情は何か笑っているような所があるのかもしれませんが、僕が挨拶をしても一言も返しません。その親族から僕に挨拶をしたということは皆無です。
どうもこの親族、他の親族に対しても同じらしく、親族の間では非常に評判が悪く、反感をかっているようなのです。

この親族、大学時代は体育会系のクラブに所属し活躍していたそうなのですが、通常、大学の体育会系のクラブであれば上下関係が厳しく、挨拶ができない輩というのは非常に厳しく指導されるはず。僕の大学時代、某体育会系のクラブに入っていた友人の話しでは、挨拶ができない後輩には挨拶ができるまで徹底的にしごくことを言っておりました。それが体育会系のクラブでの基本中の基本であるからということを言っておりましたが、問題の親族は体育会系のクラブで充分な指導がなされないまま、挨拶ができない社会人になってしまったようです。

この親族をどうするか?僕は一度本人に直接文句を言ってやろうかと血気だっているのですが、周囲から抑えられています。“問題の親族に近い親族から厳しく言ってもらうようにするから”ということなのですが、最近、以前に比べて我慢弱くなった僕は、いつ何時この親族に対し爆発するかわかりません。僕が爆発するまでに何とか最低限の挨拶が交わせるようになって欲しいものですが、どうなることでしょうか?



2007年09月22日(土) 惜しげもなく自分の技術を公開した先生

僕が会員になっている日本歯科医師会では月一回会員向けの雑誌が郵送で届けられます。日本歯科医師会雑誌という雑誌なのですが、この雑誌、専門的に結構興味深い記事が掲載されており、僕が愛読している専門雑誌の一つです。
この日本歯科医師会雑誌には末尾に会員の動きという欄があります。これは日本歯科医師会の会員の数を都道府県ごとにまとめたものや入会者、死亡者の一覧が掲載されています。
いつもと同じように僕は会員の動きを見ていたのですが、死亡者の欄にある著名な先生の名前が載っていました。その先生とはT先生。“まさか?”と思い、インターネットを通じ調べてみると、確かにT先生は他界されていたことがわかりました。

T先生は歯科界では名前の通った先生でした。T先生の技術は僕のような歯医者が見ていても非常に理論的であり、精巧であり、芸術的な高まりさえ認められるような治療をされていたのです。T先生の臨床症例を何例か見たことがあるのですが、その出来栄えのすごさに僕はいつも感嘆の声をあげざるをえませんでした。
T先生は自らの臨床経験に基づいた知識、経験を自分のものだけにするだけでなく、広く多くの歯医者に伝えようと自らの勉強会を立ち上げ、講習会を開催しては熱心に指導されていました。

通常、歯医者の指導者は自分の門下の先生や勉強会に参加した先生には自分の技術を公開しますが、それ以外の先生には教えたりしません。自分の技術を知りたいならば、自らの元を訪ね、講習料を支払って学ぶべしという姿勢が一般的なのです。自分の技術を安売りしない、自分の技術に誇りがあるという一種の現れなのですが、僕自身、そのことは理解できながらも、首をかしげてしまいたくなることがあります。なぜなら、歯医者の技術というのは、オープンにすべきものではないかと考えるからです。向上心のある歯医者であれば、いつでも誰でも学ぶことができ、それを実践できることができる技術。それは多くの歯医者が実践してこそ成り立つものであり、その結果、多くの患者さんの利益につながるのではないかと思うのです。歯医者の技術というのは一子相伝のようなものではなく、もっと普遍的なものであるはず。せっかくの優れた技術を仲間内だけに限定してしまうというのは、考え方として非常にせこいものを感じるのです。自信があるなら、広く世に問うようにどんどん情報公開してこそ意味があるものではないかと思うのです。

T先生のすごいところは、自分の門下生でなくても幅広く自分の技術の普及に努めていたところです。実際の細かいニュアンスはT先生の技術を生で見ないとわからない所があったかもしれませんが、T先生は何度もビデオやDVDに撮影したものを公開していましたし、口では伝えにくい勘所もこと細かく著書や業界雑誌で何度も述べておられていました。

“自分の技術は後世に伝えないと意味がない”
そのようなT先生の熱い思いが僕にも充分に伝わっていました。その傾向はとみにここ数年顕著だったように感じていたのですが、その理由が今となってはっきりわかりました。それは、T先生の体調が悪く、自分の人生が長くないことをわかっていたからです。数年前にT先生の写真を見たのですが、明らかに体調が悪い、やせ細った顔つきに驚いたものです。“何かのガンに罹っているのではないか?”と思いたくなるような顔つきの変化でしたが、実際のところそれは当たっていたようで、T先生は6月に62歳という若さで鬼籍に入られたのです。

今はT先生の冥福を祈るとともに、T先生の伝えようとしていた技術、歯科に対する思いを僕のような歯医者が実践していくことがT先生への供養になるような気がしてなりません。



2007年09月21日(金) 勝手に治療を中断しないで下さい

「また患者が来なくなったよ」

このような嘆きを漏らしたのは僕の友人の歯医者Y先生。Y先生は某大都市の市内で歯科医院を開業しています。一般の歯科治療を行いますが、某大都市という土地柄、審美歯科にも力を入れています。そんなY先生と会う機会があったのですが、最近、治療の途中で患者が来院しなくなるケースが多いというのです。

「プロヴィジョナルレストレーションをしている最中に来院が途絶えるんだよね。あと一歩できれいな補綴物が入るという間際になって来院しなくなるんだよ。困ったものだ。」

ここで解説しておきましょう。プロヴィジョナルレストレーション(provisional restoration)とは、直訳すれば暫定的な修復となりますが、一種の仮歯を用いた治療のことです。
通常、仮歯というのは最終的な差し歯、被せ歯が入るまでに歯の土台に被せておく、取り外しができる歯のことを指します。通常は、歯を削ってからその場で作ることが多いのですが、時間が制約されていることからかなりアバウトな形の仮歯であることは否定できません。
プロヴィジョナルレストレーションというのは、きちんと歯型を取り、模型を作り時間をかけてつくった仮歯のことを指します。特に、審美歯科の場合、歯だけでなくかみ合わせや歯並び、歯肉との調和が求められますから、いきなり最終的な差し歯、被せ歯をセットするとセットした歯だけが歯列や口全体に調和せず、浮き上がっているように見える場合が多いもの。このようなことを避けるためには、仮歯をある一定期間装着することにより、歯や歯肉、噛み合わせなどの具合、調和を整え、場合によっては微調整する必要があります。このように仮歯を用い、最終的な差し歯、被せ歯をセットするまでの微調整治療のことをプロヴィジョナルレストレーションというのです。

このプロヴィジョナルレストレーションで用いる仮歯は、一見すると最終的にセットする被せ歯のように精巧にできています。仮歯とはいえ、きちんと歯型を取り、模型を作って製作するわけですから。

「先生、この仮歯で充分ですよ!」
と言われる患者さんが多いのですが、実際のところは、あくまでも最終的な被せ歯、差し歯をセットするまでの微調整用仮歯です。患者さんにはそのことを何度も十二分に説明するのですが、患者さんの中には非常に精巧にできている仮歯で満足し、あるいは、その後できる被せ歯、差し歯の治療費のことを考え、途中で来院しなくなる人もいるのです。

このように途中で来院しなくなった場合どうなるでしょう?遅かれ早かれ仮歯ですから脱落するのは目に見えています。仮歯が脱落した場合、直ちに仮着すれば問題ないのですが、そのまま放置しているとせっかく治療した土台がむし歯になったり、せっかく落ち着いてきていた歯周病がひどくなったりします。
また、最終的な差し歯、被せ歯よりも材質的に強度が劣っています。あくまでも仮歯ですし、治療中に微調整するためには材質的にも微調整しやすい材質、すなわち、材質がどちらかというと弱いものが使われるのです。
以上のようなことを考えれば、プロヴィジョナルレストレーションの治療途中で治療を中断してしまうと、以前治療を始めた頃よりも更にひどくなり、場合によっては抜歯しなくてはいけないくらい悪化してしまう可能性が高いのは明白です。プロヴィジョナルレストレーションを途中で勝手に中断してしまうことは、非常にリスクの高いことなのですが、残念ながら患者さんの中では目先のきれいさについ満足してしまい、このままでいいのではないかと勝手に判断し、治療費を支払いたくない気持ちも含め治療を放棄してしまうのです。

審美に力を入れているY先生は言います。

「自分の力不足かもしれないけども、せっかく治療のゴールが見えている段階で治療を勝手に中断されると、治療が振り出しにもどるか、更に後退してしまう結果となる。結果的に患者さんが払う代償は高くなるんだけどなあ。」

僕も全く同感です。これは何も審美治療だけに限りません。やむをえない理由で治療を中断せざるをえない場合があるかもしれませんが、全ての治療において治療を中断するリスクを誰もが感じて欲しいものです。



2007年09月20日(木) 今年のベストスマイル・オブ・ザ・イヤーを選ぶ

昨日、散らかっていた僕の部屋の机の周囲を整理しているとある物が見つかりました。ある物とは、ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー賞の投票用紙でした。

ご存知の方も多いとは思いますが、ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー賞とは、スポーツ選手や文化人・各界の著名人の中から、その年最も笑顔の輝いている男性女性一名ずつを選ぶ賞です。これは日本歯科医師会が主催するもので、日本歯科医師会会員である歯科医師の投票により選出され、11月8日、所謂、いい歯の日に受賞者が公表され、表彰されます。
ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー賞は1993年(平成5年)から始まり、今年で14回目となります。(2004年は中止)。過去の受賞者にはこのような方々がいます。

基本的には誰でも選ぶことができるのですが、日本歯科医師会では事前に選考の一助として以下の有名人をリストアップしております。暗黙の了解でこのリストから選んで下さいと言っているようなものです。

男性
石川 遼(アマチュアゴルフ選手)
ウエンツ瑛士(バラエティタレント)
オダギリジョー(俳優)
斎藤佑樹(大学野球選手)
田中将大(プロ野球選手)
松井秀喜(メジャーリーグベースボール選手)
松坂大輔(メジャーリーグベースボール選手)
松山ケンイチ(俳優)

女性
蒼井 優(女優)
上田桃子(女子プロゴルファー)
上野樹里(女優)
大後寿々花(女優)
長澤まさみ(女優)
仲間由紀恵(女優)
藤原紀香(タレント)
掘北真希(女優)

締切りは9月30日必着ですので来週中には投票葉書を投函しようと思いますが、皆さんなら誰を選びますか?

ちなみに、今年からは一般部門が出来、“とびきりの笑顔”写真を全国から募集、8点の優秀作品を選出され表彰されることになっています。こちらの応募締切りは10月1日24時までとなっています。詳細はこちらにありますので、興味のある方は応募されては如何でしょうか?



2007年09月19日(水) 仕事を休んで参加する子供の運動会

「○○ちゃんの幼稚園の運動会に参加できる?」

先週、嫁さんが僕に尋ねてきました。○○ちゃんとは僕の下のチビのことです。現在、下のチビは幼稚園の年長です。幼稚園での運動会も今年で最後となります。親としては下のチビの最後の運動会に何とか参加したいと考えていたのですが、決断するには時間が必要でした。なぜなら、幼稚園の運動会は10月の土曜日に開催予定だったからです。

最近は多くの企業、官公庁では土曜日が休日です。そのせいかわかりませんが、今年の下のチビが通っている幼稚園では土曜日に幼稚園の行事を開催することが目立っています。先日も幼稚園バザーがあったのですが、これも土曜日に開催されました。そして、今回の運動会も土曜日開催。

一方、うちの歯科医院では土曜日は診療日に当たっています。最近、週休二日制の企業、官公庁が多いため、土曜日しか通院できない患者さんが数多くいます。そのような患者さんのためにうちの歯科医院では土曜日を診療日にしているのです。
下のチビの幼稚園運動会に僕が参加するということは、この貴重な土曜日の診療を休まないといけないことになります。以前であれば、親父も歯医者ですから、親父に診療をお願いして僕が参加することもできましたが、親父は高齢のため、最近では多くの患者さんの治療を行っていません。僕が診療を休むことにより親父に負担を掛けるのも気が引けます。さてどうしたものか・・・?

結局、僕は下のチビの運動会に参加することにしました。土曜日を休診にすることは悩みましたが、運動会には親と一緒に参加する親子行事や親と食事をする時間があります。下のチビの気持ちを考えると、幼稚園での最後の年に父親として運動会に参加できないのは下のチビに良い思い出を与えてやることができない。下のチビの幼稚園での思い出作りのためにも今回の土曜日開催の運動会には、診療を休診にしてでも親として参加した方がいいのではないかと考えたのです。

おそらく、仕事や家庭の事情で子供の運動会に参加できない親が少なからずいることでしょう。一部の親を除き、子供の運動会に参加したいが、諸事情で参加できないことにつらく感じていることでしょう。
身近な例では僕の弟がそうです。弟は某病院の循環器内科医ですが、子供が幼稚園生ですが、幼稚園行事に参加できずにいます。子煩悩の弟のことですから参加したい気持ちはやまやまなのですが、どうしても病院の勤務の都合で時間を作ることができずにいます。

親が共働きであったり、片方の親しかいないような場合、諸事情のために子供の学校行事に参加したくても参加できない人がいます。学校行事に参加できない子供たちは、気丈に振舞っていたとしても、内心は子供心に寂しく感じているはずです。僕自身、小学校時代に運動会で親と食事をすることができず、一人寂しく別室で弁当を食べていた友人がいました。今から思っても非常につらかっただろうなあと思います。

そのような子供たちのことを考えれば、僕は自分の子供には親がいない運動会の寂しさを経験させたくありません。
休診をすることにより患者さんには迷惑をかけることにはなります。歯医者で飯を食っているものとして、子供の行事と仕事とどちらを優先するのかと問い詰められれば答えに窮するかもしれません。ただ、将来のある子供のことを考えると、一日くらいの休診は許してもらえるのではないかと考えました。子供には、運動会に親がいるという安心感、喜びを感じさせたい。そのような思いから、この度の運動会は診療を休診して参加することにしたのです。

僕の考えに異論反論はあることでしょうが、少なくとも僕は歯医者であるとともに子供の親でもあります。今回は子供の親であることを優先した次第です。
わがままを言わせてもらえば、幼稚園にはもう少し運動会の開催日に配慮をして欲しかったですね。少なくとも土曜日以外の祝祭日にしてもらいたかったと思うのですが。



2007年09月18日(火) 急所を突く言葉の難しさ

昨日は僕が所属する某アマチュアオーケストラの定期演奏会がありました。僕も参加してきたわけですが、定期演奏家そのものはいつも以上に盛況でした。担当者の話によれば、演奏会場の開場時間前にはお客さんが長蛇の列を作っていたそうで、予定よりも早めに開場したとのこと。開演時間も10分ほど遅くなり、いざ舞台に上がってみると、大人数が入る会場はほぼ満員でありました。
実際の演奏はというと、誰もが精一杯、自分たちの力をフルに発揮した演奏ではなかったでしょうか?演奏会終了後、打ち上げパーティーの場で演奏の録音を聴きましたが、技術的にはプロの演奏には及ばないものの、熱気に満ち溢れた演奏だったように感じました。

ところで、打ち上げパーティーの場でのことです。団員は皆当日の演奏会の感想や音楽の話で盛り上がっているところで、ある団員さんが一人落ち込んでおりました。ある木管楽器の演奏者だったのです。その団員さんは演奏会の曲目の中のある楽章で突然音が出なくなってしまったのです。普段全く問題なく演奏できていた箇所であったのに、演奏会本番に突如音が出なかったのです。この箇所はその団員さんのソロのような場所でもあったので、音が出なかったことはごまかしきれず、オーケストラ団員のみならず、聴衆にもはっきりわかったところでした。
僕を含め、オーケストラの団員や指揮者の先生は誰一人としてその団員さんを責めたりしませんでした。演奏会には思いも知れないハプニングというものがつきもの。今回の団員さんのようなハプニングというのは決して珍しいものではないのですが、その団員さんにとっては非常にショックだったようで、打ち上げパーティーの場でも元気を取り戻せずにいました。
多くの団員がその団員さんに声を掛け、励ましていました。僕もその団員さんに声を掛けた一人だったのですが、改めて難しいと感じたのは、人の琴線に触れる言葉をかけることの難しさです。

僕の祖母がしばし口にしていた言葉の一つにこんなことがありました。

「薪を割る時、木の節を斧でわらないと木はきれいに割れないものだよ。」

今の時代、薪を割るようなことはあまりないことではありますが、一昔前、どんな家庭でも薪を割ることが日常の雑事の一つでした。薪を割るのは単純な作業ではあるのですが、何も考えずに割るとうまく割れないものなのです。薪にある節に当てるように斧を当てないときれいに薪を割ることができない。薪を上手に割る人は経験上、そのことをよく知っていたのです。
祖母はこの例えをよく人に対して声をかける時の例えによく用いていました。いくら美辞麗句を唱えていても、人の心の琴線に触れるものでなければ意味がない。他人が悩んでいる点を冷静に分析し、最もその人にとって将来にプラスになるかを考えた言葉をアドバイスする。
非常に難しいことです。悩んでいる人の肉体的疲労、精神状態、性格などを考慮しながら、タイミングを計り、急所を突くが如く声を掛ける。
本当の悩んでいる人の気持ちを理解しないとできないことでしょう。これができれば相当の大人だろうと思うのですが、一小市民である歯医者そうさんとしては、今回の団員さんに対し、将来を見据えた声を掛けられたかどうかはなはだ疑問です。

まだまだ自分の未熟さを痛感している今日この頃です。



2007年09月15日(土) 日記書き小休止

僕が歯医者さんの一服を書き続けているのは、一人でも多くの人に歯医者に対するイメージを変えて欲しい。何かと敬遠されがちな、別世界にいるように思われている歯医者も実は普通の人間と変わらない。そのことを知って欲しいこと。そして、歯や口の健康の大切さをもっと草の根レベルで広めたい。そんな思いから細々と書き続けています。

僕は元来根性のないボンボンです。ずっとモチベーションを続けられればいいのですが、残念ながら時にはモチベーションが落ちてしまい、ついつい日記を書きたくない、日記を放り出したい欲求にかられる時がないとはいえません。それでも書き続けているのは、ひとえに僕の駄文を読んで下さっている読み手の存在です。この場を借りてお礼を言いたいと思います。

ところで、僕は歯医者さんの一服を書き始めて5年1ヶ月が経過しているのですが、先日、ある友人から尋ねられたことがあります。

「そうさんはどうして日記を書き続けているのですか?」

その友人も自分のブログをもっており更新しているのですが、更新の頻度は僕程ではありません。僕が基本的に日曜日以外の毎日更新しているのを知っており、そのことに驚きを感じているのです。

正直言って、毎日更新し続けることは大変です。診療や地元歯科医師会関係の仕事、その他もろもろの雑用の合間に時間を作っては書き続ける。そんな生活をもう5年間続けています。
これまで日記を書き続けてきて言えることは、日記を書くには波があるということです。日記を何日分でも書き続けられるような時もあれば、全くネタが思い浮かばず四苦八苦する時もある。正直言いまして、今は後者です。どうも日記を書くのに遅筆になってしまっている時期です。さて、この状況をどのように克服すればよいか?

今回、この連休中、日記の更新を休ませてもらうことにしました。

実は、僕が所属しているアマチュアオーケストラの定期演奏会が敬老の日にありまして、今回の連休中はずっとその活動に掛かりっきりなります。アマチュアながらも音楽を演奏することは、普段の歯医者の仕事から離れて精神をリフレッシュする貴重な機会でもあります。しかも、今回は思い入れのある、非常に好きな曲を演奏することになっています。
これを機会に少しばかり日記のことを忘れ、充電させてもらおうと思います。連休中の小休止というわけです。



2007年09月14日(金) 正確な病気の知識を伝える難しさ

歯医者では初診の患者さんは問診表というものに記入させられますが、問診項目の中に過去に罹った病気を記入する欄があります。担当医は必ず患者さんの病歴を尋ねるのですが、問診表に書かれたことを見ながら、患者さんにも確認することが普通です。

先日、ある患者さんの問診をとっていると、ある項目に印がついていました。それは病歴の項目に糖尿病と書かれていたからです。僕は患者さんにそのことについて尋ねると、患者さんはこのようなことを言ったのです。

「先生、糖尿病はもう治りました!」

その患者さん曰く、かつて自分は糖尿病だったが、軽症だったことから薬を服用することはなく、食事療法をすることで糖尿病を治した。今では内科医にも行っていない問題ないということだったのですが・・・。

糖尿病という病気は、現状では一度発症すれば治らない病気です。
患者さんの言うとおり、発症し、医者にかかっていた時期は確かに食事療法でコントロールできるぐらいの糖尿病だったことでしょう。定期的に血液検査をし、結果を調べながら食事を制限することで糖尿病の進行を止まらせることができていたことでしょう。このことは決して糖尿病が完治したことを意味しません。あくまでも糖尿病の進行を止めていた、コントロールすることができていたのです。この患者さんは、糖尿病の進行を抑えていたことを完治したと勘違いしていたのです。

僕はこの患者さんの状態は非常に危険だと感じました。本人の病気に対する誤った知識と思い込みが病気を進行させているように思えたからです。
現在の糖尿病治療は、一度発症した糖尿病を如何に進行を止め、これ以上進行しないよう現状を維持するかということに主眼が置かれています。ということは、糖尿病の治療は一生続くということです。定期的に主治医の下を尋ね、各種検査を行いながら糖尿病の進行状態をチェックする。その状態に応じて、食事療法や運動療法を続けるのか、薬物療法にするのか、はたまたインシュリン投与を行うのか、入院治療の必要があるのかなどを診ていかないといけないものなのです。

僕は糖尿病治療の専門家ではありませんが、最低限の糖尿病に関する知識は持っているつもりでしたから、歯の治療の傍ら、糖尿病の治療を継続して受けることを説明しました。僕の説明に対し、この患者さんは意外な表情をされていましたが、糖尿病が進行している可能性があることを指摘されると、顔色が変わりました。

「先生、一度担当の先生に診てもらうことにします。」

どこで誤解が生じたのかわかりませんが、患者さんに正確な病気の知識、情報を伝え、理解してもらうことの難しさを改めて知りました。いくら病気のことを話したとしても、患者さんがその全てを理解するとは限らない。むしろ、中途半端に理解し、肝心なところが理解できていない。強いては患者さんが気がつかないうちに病気が進行し、命の危険にさらされていることもある。
患者さんへの病気の説明は、何度も様々な表現で話し続ける必要があるものだなあと感じた、歯医者そうさんでした。



2007年09月13日(木) 眼鏡も体の一部

今日のタイトル、某眼鏡メーカーの宣伝文句みたいですが・・・。

歯医者という仕事柄、僕は患者さんの口を中心とした顔面をよく見るのですが、眼鏡をかけた患者さんの場合、ついつい眼鏡も目が行ってしまいます。僕自身、視力が左右0.2程度しかなく、眼鏡をかけているということも関係しているかもしれませんが、患者さんの眼鏡にも関心があるのです。
僕は手入れが行き届いていない眼鏡は好きになれません。レンズが汚れていたり、曇っているような眼鏡、レンズが傷ついたままの眼鏡、鼻のパッドに汚れが溜まっているような眼鏡はどうしても好きになれないのです。たかが眼鏡かもしれませんが、眼鏡は視力不足を補う大切なもの。体の一部といっても過言ではないはずなのです。

僕は歯医者ですが、目がきちんと見えないと、患者さんの口の中を治療することができません。そのため、僕はかなり眼鏡には注意を払っているつもりです。
診療が始まる前、午前と午後の診療の合間、そして、診療終了後には必ず眼鏡を洗っています。汚れがないきちんと視野が確保できる状態でないと自信をもって治療できないからです。
眼鏡の洗いは、ボールの中に少量の中性洗剤を入れ、その中に水を入れて泡立てます。その中に眼鏡を入れて振り洗いを行います。この方法は懇意にしている眼鏡専門店の方から教わった方法なのですが、眼鏡を傷つけることなく、油膜を確実に落とすことできる方法です。洗った後は、充分に流水下で洗剤を洗い落とします。そして、水気をガーゼで水気を吸収させた後、専用の眼鏡拭きでレンズを拭きます。こうすることで、常にきれいなレンズで見る事ができるようにしているのです。
診療中、歯の切削粉やセメント粉、石膏、水滴、歯垢などなど眼鏡には多量の汚れが飛んできます。裸眼であれば直接目に入るものが眼鏡によって遮られているのです。視力が悪いことは歯医者にとってマイナスではありますが、眼鏡をかけることによりこれら汚れが直接目に入らないようになっているのは有難いことだと思います。
僕は仕事には診療用の眼鏡を使用しています。診療をしない時は、別の眼鏡に替えています。最近は日差しが強いですから、外出する時はもっぱらサングラスを使用しております。

以前にも書いたことですが、定期的に眼鏡の調整もしております。懇意にしている眼鏡専門店の方は非常に器用な職人で、僕の頭の骨格に合わせて、眼鏡のほんの些細な歪み、ずれも瞬時に調整してくれるのです。調整器具の中には入れ歯の調整に使用するプライヤーと呼ばれる器具もあって、

「歯科用調整器具は眼鏡の調整に適している」
のだそうです。

眼鏡にこだわりを持っているというわけではありませんが、粗末に扱われている眼鏡を見るのは忍びないところがあります。
はっきりと証明されているわけではありませんし、僕の独断ですが、眼鏡を丁寧に扱っていない人は、口の中もきちんと管理できていない人が多いように思います。たかが眼鏡ではありますが、視力が悪い人にとって眼鏡は体の一部といっても過言ではありません。眼鏡を粗末に扱う人は、自分の体のことも粗末にあつかっているのではないか?そのようなことさえ感じてしまうのは、言い過ぎでしょうか?



2007年09月12日(水) 正しい歯の磨き方をお教えしましょう

日頃の診療で患者さんに対し歯磨き指導を行うことが多いのですが、歯磨き指導を行う際、少なくない患者さんが意外な表情をされることがあります。

“自分はきちんと磨いているのにどうして先生は歯磨き指導をするの?”
このようなことを言いたくなるような顔の表情をされるものです。歯医者としては歯磨きが上手くできていないので歯磨き指導をするわけですが、当の患者さんの意識ではきちんと歯磨きをしている。このギャップを如何にうまく説明し、患者さんに納得させ、歯磨きを改善して健康な歯、歯肉、口の中を管理できるか?多くの歯医者や歯科衛生士が悩み続けているところです。

ところで、僕が所属している日本歯科医師会では月1回日本歯科医師会雑誌という雑誌が送られてきます。この雑誌は学問的にも非常に興味深いことが載っている雑誌で、非常に貴重な情報源の一つなのですが、今月号の付録に一般の患者さん向けの歯磨き法が提示されていました。読んでみると非常にわかりやすく絵入りで書いてありますので、今日はこれを紹介したいと思います。


Lesson1



歯ブラシは握らず、ペンを持つようにしましょう。
つい力が入りやすい人は歯ブラシの持ち方にも注意を。歯ブラシの毛の弾力性を活かすように、ペンを持つときの持ち方で軽く握るのが基本形です。

Lesson2
歯ブラシの毛先で小刻みに磨きます。
歯に毛先が当たっていることが大事。毛先を1ミリから数ミリぐらい小刻みに動かします。20〜30回磨いたら次の歯にずらします。裏側も同様に。
小刻みに動かすと歯と歯の間まで毛先が届いて、磨くことができます。


一方、ブラシを大きく動かすと、歯と歯の間に毛先が届かず歯と歯の間が磨けません。




Lesson3


前歯の裏側は歯ブラシのカカトで磨きます。
上の前歯も下の前歯も、裏側は歯ブラシの「カカト」部分で縦に、1本ずつ磨きます。

Lesson4


歯と歯ぐきの境目はやさしく磨きます。
特に歯垢(プラーク)のたまりやすい、歯と歯ぐきの境目は、歯ブラシを45度くらいに斜めに当て、歯肉を傷つけないようにやさしく磨きます。

Lesson5


右奥歯は左手、左奥歯は右手で磨く
奥歯の咬合面の溝はむし歯になりやすい部分。歯ブラシを持ち替えて、少し強めの力で小刻みに。

Lesson6


一番奥歯の歯はブラシのつま先で磨きましょう。
磨き残しやすい一番奥歯の歯の根元は、歯ブラシのつま先(先端部分)を使って、舌側と頬側の両面から磨きます。

Lesson7


意外に磨き残しやすいのは奥歯の側面です。
噛み合わせの部分はしっかり磨いていても、意外に磨き残しやすいのは、上顎の奥歯の外側と、下顎の奥歯の内側。意識して丁寧に磨きましょう。


以上の磨き方は、僕が患者さんに教える歯磨き方法と概ね合っていますのでここで紹介しました。
上記以外にも歯と歯の間を磨くありますが、これに関しては糸ようじ(デンタルフロス)や歯間ブラシを使用することが大切だと思います。

実際のところ、人の口の中は千差万別ですので、個別に歯磨きの指導が必要だと思います。歯磨きを改善したいと思われる方は、是非お近くの歯医者へ出かけ、歯磨き指導を受けられることをお勧めします。歯医者や歯科衛生士が丁寧に指導してくれるはずですよ。


※出典:日本歯科医師会発行:オーラルケアでより美しく もっと知的に!キレイな口元 輝く笑顔



2007年09月11日(火) 思わぬ所で見つかった探し物

昨夜のことでした。

「そうさん、車の中にこんな物が落ちていたわよ。」
一体何事だろうと思い、嫁さんの手元を見ていると、それは筆箱でした。僕は思わず言ってしまいました。

「思わぬ所に落ちていたんだ!」

僕は自分専用の筆箱を持っていました。その筆箱は僕が大学を卒業する際、後輩の一人からもらった筆箱でした。当初、後輩からもらった筆箱はしばらく僕の机の中に保管し、そのままにしていました。数年前、それまで使用していた筆箱が壊れ、新しい物を求めようとしていた時に机の中に保管していた筆箱の存在を思い出したのです。
実際に使ってみると、思っていた以上に使い勝手のよかった筆箱で、最近では仕事をする上で無くてはならないアイテムの一つとなっていたのです。

そんな筆箱が突然僕の目の前から消えたのは1ヶ月ほど前のことでした。僕は自分の部屋で雑用をしていたのですが、当然のことながら愛用していた筆箱から筆記用具を取り出し、雑用をしていたのです。数時間が経過したでしょうか、雑用も何とかめどがつき、いざ片付けようとしたのですが、肝心の筆箱が見つかりません。ついさっきまで机の上に置いていたはずの筆箱が忽然と姿を消したのです。僕は部屋の隅々まで探しました。自分の部屋だけでなく、台所や居間、診療所までくまなく探したのですが、筆箱は全く見つからなかったのです。何か突然神隠しにあったような心境とでもいうのでしょうか?思い当たる所を全て探しても見つからなかったのです。
僕にとっては今や必要不可欠な筆記用具を入れた入れ箱。これが見当たらないとなると、再度筆記用具を買い揃え、入れ箱も新規に購入しないといけないのか?そんなことを思っていたのですが、諦め切れなかった僕は仕事の合間に愛用していた筆箱を探し続けていたのです。
その筆箱が突如として嫁さんの手元にあったのです。

「後ろの席に置いてあったクッションの合間にあったわよ。」

僕は自分の部屋にあったはずの筆箱がどうして嫁さんの車の中にあったのかわかりませんでした。僕が嫁さんの車を利用したのは、今から1ヶ月前のことです。嫁さんが実家へ里帰りしていた時、僕は嫁さんの車を借りて、事務用品や資料のコピーに行ったことがありました。どうもその時僕は愛用していた筆箱も持参したみたいなのですが、バッグの中に入っていたはずの筆箱が何かの影響で車の座席とクッションの合間に落ち込んでいたのだと思われます。

それにしても、全く自分では考えても見なかった所に落ちていた筆箱。未だにどうして愛用の筆箱が嫁さんの車の中にあったか、記憶にないのです。おそらく何気なくバッグに詰め込んだ筆箱が嫁さんの車の中で落ちてしまったのでしょう。
全くの想定外の所から見つかった愛用の筆箱。“こんなこともあるものだなあ”と思いながらも、安堵の気持ちで一杯だった歯医者そうさんでした。



2007年09月10日(月) プチ悪人がはびこる世の中

本来、生活保護というのは生活困窮者の最低限のセイフティネットとしての役割があるはずですが、昨今、生活保護の支給に関してこのような問題がありました。北九州市で生活保護を受けていた人が生活保護を打ち切られ、餓死するという痛ましい事件がありました。“おにぎりが食べたい”というメモを残し亡くなったこの男性に対し、北九州市の福祉行政に対する批判が沸き起こっていますが、実際のところ、北九州市の対応だけが問題なのだろうか?と僕は疑問に感じることがあります。その訳は、生活保護を申請する人の中に、明らかに生活保護を受ける資格の無い人たちが少なからず含まれているからです。中には、本来生活保護を受ける必要の無い人たちが生活保護を受けているからです。

先日、某病院で循環器内科医の弟が訪ねてきました。ある用事のために我が家を訪ねてきたのですが、雑談をしているとこのようなことを話していました。

「この前、ある患者さんの診察をしていたら、その患者さんが言うんだよ。『今度娘と一緒にヨーロッパへ旅行に行くんです』ってね。僕は“あれっ”と思ったんだよ。なぜなら、その患者さんは生活保護を受けている患者さんだったからだったんだよ。生活保護を受けているのに旅行に行くという意味がよくわからなかったんだよ。娘さんと一緒に行くということであれば娘さんが旅行費用を出してくれるのかもしれないけど、それなら生活保護を受けなくても娘さんの援助で生活していくことができるのじゃないか?他の患者さんがたくさん待っていたから『どうして生活保護なのにヨーロッパに旅行に出かけられるのですか?』と尋ねるのは控えたけどね。おかしな話だよね。」

この手の話はしばしば耳にします。生活保護を受けているはずなのに高級外車を乗り回したり、ブランド物の服装に身を固め、派手に遊んでいる輩が少なくないのです。どのような審査を受けて生活保護を受けているのか、詳細はわかりませんが、生活保護には、本当に生活が困窮しているようには思えない人が生活保護を受けている側面があるのです。

北九州市の福祉行政を弁護するわけではありません。報道さていることを見れば決して褒められたことではない、責められるべきことをしているように思いますが、このようなことになった背景には、生活保護の対象でない人が少なからず生活保護を申請し、受け取ろうとしていたことが何度もあったのではないかと思ってしまいます。

生活保護に限りませんが、本来本当に必要としている公的支援をだまし取ろうとする輩が多いように思います。例えば、今でも問題になっている給食費や保育園の保育費を支払わない親。本当は経済的に余裕があるにもかかわらず、勝手な理由をつけて支払おうとしない輩が後を絶ちません。弟の話によれば、最近は偽装離婚をする夫婦も多いのだとか。本当は離婚していないのに紙の上だけで離婚をしたことにし、様々な公的給付を受け取っているケースが多いのだとか。偽装離婚に関しては、なかなか役所の方も見破ることが難しく、対策に苦慮しているそうなのです。

弟と僕は、これら公金を受け取る資格が無いのに受け取っている輩、支払わなければならない公的サービス料を支払わない輩のことをプチ悪人と名づけました。
これらプチ悪人の特徴は、正当な理由がないのに公的な援助を受け取ったり、支払わなければならない公的サービス料を支払わないことです。公的な援助というのは非常に貴重な援助のはずですし、格差社会の今の世の中、必要とする人が多いはず。そんな人たちのことを省みず、自分はその資格がないのに自分だけが援助を受け取ればそれで良いと考える身勝手な輩。
また、公的サービスを受けるには一定額を負担しなければならない場合があるのに、公的サービスは無料だと勝手に思い込んでいる輩。
一体どんな環境で育ってきたのか?彼ら彼女らの思考回路を知りたいものですが、少なくとも社会全体を広く見つめる発想は持ち合わせてはいないでしょう。

公的な援助というものは正直言って高額が支給されるわけではありません。生活に苦しんでいる人に人間として最低限の生活ができるようにする援助なわけですからささやかな額のものであるはずです。そんな公的援助を受け取る資格もないのに堂々と受け取るというのは、全くせこいとしかいいようがありません。プチ悪人のプチの意味は決して“かわいい”というニュアンスではなく、単なる“せこい”、“けち臭い”意味のニュアンスを込めているつもりです。

きめの細かい行政サービスを行うのは大変なことだろうと思いますが、少なくともプチ悪人だけは世の中から一掃して欲しいと思います



2007年09月08日(土) 渡りに舟

最近、患者さんの治療はそれほど忙しくはないのですが、その一方、地元歯科医師会関係の雑用がいろいろと溜まっている歯医者そうさんです。いくつかの雑用を立て続けに頼まれているわけですが、先週、体調を崩していたために雑用をこなすことができず、気がついてみればかなりの雑用が溜まっていました。
“これは面倒なことになった”と思っていると、今度は地元歯科医師会の会長から直々に電話があり、

「至急、会員にファックスで知らせなければならないことだから、先生の方で文面を考えて準備をしておいてくれ。」

雑用を頼まれるということは、それだけ周囲から信頼してもらっているのだろうなあとは思うのですが、僕はもともと頭が良い方ではありません。一度に多くの雑用を手際よく処理できるような思考回路を持ち合わせていません。それ故、雑用が溜まっていくわけですが、体調がようやく元にもどったばかりの状況の中、患者さんの診療を行いながらの雑用の多さにはほどほど閉口しておりました。既に飽和状態と言っても過言ではなかったのです。
そんな中、同じ地元歯科医師会の先輩の一人であるK先生から電話がありました。
“また雑用の依頼か?”と憂鬱な気持ちで受話器を取ると

「そうさん、会長から○○のことを言われただろう?」

“○○のこと”とは僕が会長から頼まれた雑用の内容そのものでした。

「実は僕にもその依頼があってね、中身を検討したんだけど、これは僕が一括して処理をした方が都合が良いと思うんだよ。そうさんさえよければ、このことは僕に任せておいてくれないかな?」

間髪入れず、僕がK先生に“お願いします”と頭を下げたのは言うまでもありません。飽和状態から何かの負荷が取り除かれ、精神的に非常に楽になったような気がしました。
何かと雑用が溜まると、“誰か代わりにやってもらえないかな?”と思うことがしばしばあるのですが、思うものの自分から口に出して誰かにやってもらうということができません。誰かにお願いするよりも自分でやってしまった方が手っ取り早いと思い、自分で雑用を抱え込んでしまう悪い癖が僕にはあるのですが、今回のように先輩の先生が自ら雑用の一つをやってやろうと言ってもらうのは非常に有難く感じました。これまでそのようなことがほとんどなかったこと、そして、現在の自分のおかれた状況を考えると、まさしく渡りに舟だったことは間違いありません。

本当に助かりましたよ、K先生!



2007年09月07日(金) 絵文字についていけません!

台風9号が首都圏を暴風域に巻き込みながら上陸し、東日本を縦断している模様です。昨夜から今朝にかけて関東方面の方は雨風が強い時間を過ごされているのではないでしょうか?昔から、今頃の時期は二百十日、二百二十日といって台風がやって来る特異な時期だと言われていますが、今年もまさしくそうなってしまったようです。少しでも早く台風9号が立ち去り、台風一過の秋晴れになってほしいものですね。

さて、今週から全国各地の幼稚園、小学校、中学校、高校では二学期が始まりました。幼稚園や学校に通う子供をお持ちの家庭では、特にお母さん方は子供の世話から開放されてほっとされている方も多いと思います。我が家も二人のチンチンボーイズがそれぞれ幼稚園と小学校に行き始めました。夏休みの後半には、時間を持て余していたところがありましたから、親としても彼らの面倒をみるのが四苦八苦してだけに一息ついたといったところでしょうか?
ところで、幼稚園に通っている下のチビは、幼稚園に通う際、常に携帯しているものがあります。その一つが連絡帳。自分の子供のことについて親が気になっていること、注意してほしいことなどを担任の先生宛に書くと、担任の先生が子供の幼稚園での様子について記したり、親からの問い合わせに対して回答をする大切な連絡帳です。おそらく、どこの保育所、幼稚園でも同じような連絡帳があることでしょう。

僕も時折下のチビの連絡帳を見せてもらうのですが、先日、新学期が始まってから初めて連絡帳を見たのです。幼稚園の担任の先生からはいろいろと下のチビのことが書かれてあったのですが、担任の先生が書いている文面を見ているとあることに気がつきました。それは、幼稚園の担任の先生からの書き込みの中に、絵文字らしきものが散見していたことです。

今の下のチビの担任の先生は20歳代前半の年齢です。嫁さんや僕とは20年の年齢の違いがあるということになります。当然のことながら考え方、価値観が異なって当たり前ではありますが、それにしても、保護者との連絡帳に絵文字を入れるというのは、今の若者の感性なのでしょうか?

嫁さんとも話をしていたのですが、もし自分が幼稚園の先生だったら、連絡帳を通じての保護者のやり取りでは、絶対に絵文字を書くことはないでしょう。
幼稚園では大切なよそ様の子供を預かっているのです。その子供の保護者にしたためる文書は非常に気を遣うものではないかと思うのです。
一方、絵文字というのは同世代の友達同士、特にメールのやり取りで使用されるもので、文字だけでは表現しにくいニュアンスを出す記号として若い世代を中心に認知されているものではないでしょうか?少なくとも、自分よりも年上の、人生の先輩に対して絵文字を使うというのは如何なものかと思うのです。絵文字を使用することがだめだということではありませんが、自分が受け持っている子供たちの保護者に対しては絵文字の使用は如何なものかと僕は感じたのです。

絵文字に対する僕の考え方は古い考え方なのかもしれません。世の中の習慣、風習、文化は常に変化するものです。古くはエジプトでパピルスを使用していた時代から、若者の行動、言動に対し“今の若者は・・・”と人生の先輩は嘆いていたといいます。僕よりも若い20歳代の人たちの感性は40歳代の僕とは明らかに違っていることは確かなのですが、それにしても親と連絡に絵文字を使うという感性は、僕にはどうも受け入れ難い。

「今の若者は・・・」と言ってしまいたくなる、絵文字についていけない歯医者そうさんでした。



2007年09月06日(木) 人生の楽しみを奪うべきか、奪うべきでないか?

この夏、知人の一人で50歳代のTさんが膀胱に癌が見つかったということで手術を受けました。最近の医療技術の進歩の恩恵を受けたというべきでしょうか、手術は開腹手術ではなく内視鏡による手術だったとのこと。開腹手術よりも遥かに小さな傷が残るだけの内視鏡手術は、体に対する負担が少なく、手術後の体力の回復も相当早いもので、手術後1週間で無事病院を退院することになったそうです。
ここまではTさんにとって非常に幸運で順調だったのですが、問題はその後にありました。経過を診てもらうために手術を受けた病院の外来診察を受けた時のです。診察中、Tさんは何気なく手術の主治医であり執刀医でもあった先生に

「先生、もう少ししたらアルコールを飲んでよいですか?」
と尋ねたそうです。するとその主治医の先生、突然顔色を変えて厳しい口調で

「これからアルコールはだめだといったでしょう!私の言うことが聞けないなら、別の病院へ行ってちょうだい!」

無理もありません。主治医はTさんのことを考え、できるだけ体に負担をかけない手術法である内視鏡手術を選択し、無事に手術を済ませました。癌の治療は、手術だけではなく、手術後最低5年間は経過を診ていく必要があるのです。癌の再発が怖いからです。
癌が再発しないようにするためには、患者自身も意識を変える必要があります。生活習慣を変える必要があるのです。主治医は、患者に癌が再発しないように手術後の生活指導も行うわけですが、その中にアルコールの摂取に関することが必ず含まれています。アルコールを飲まないことが癌の手術後、一定期間はアルコールを控えることが癌の再発を防止し、健康維持に大切であることが自明なことなのですが、中にはアルコールを飲んではいけないケースもあるのです。
Tさんの場合は、アルコールを飲んではいけないケースだったのです。そのことを退院時にも説明を受けていたのですが、Tさんは大のアルコール好き。毎晩、晩酌を欠かせない人だったのですが、手術により晩酌はおろか、アルコールを口にすることもできなくなったのです。頭ではアルコールはだめだとわかっていても、好きだったアルコールを飲むことが禁止された知人。だめを承知で主治医に尋ねたそうですが、主治医からはにべもなく、むしろ怒りをかったぐらいでした。

“せっかく手術をして助かった命をアルコールで台無しにする気か!“
そのような強いメッセージが主治医から出ていたようだったといいます。

診察を受け、病院から帰宅したTさんは、落胆した様子でこう語ったといいます。

「人生の楽しみがなくなったようだ。」

先日、このようなこともありました。
80歳代後半の患者さんEさんが定期検診にうちの歯科医院に来院しました。実際に口の中を見ていると若干の問題点はあったのですが、積極的に治療を施すほどのものではなく、定期的な経過観察で対処して問題がないようなものでした。Eさんに日頃の生活のことを尋ねてみると

「この年になってもタバコが止められないのですよ。タバコは人生の楽しみですから。」

本来なら、僕は毅然とした態度でアルコールとタバコを控えるように指導すべきでしたが、僕は聞き流すことにしました。その理由はEさんの年齢にありました。既に80歳代後半を迎えているEさん。日本人の平均寿命を超えて生きているのです。しかも、歯科医院に定期検診に行こうと思うだけの意欲と体力があります。
タバコを控えればさらにこの患者さんの健康は維持されることでしょうが、Eさんにとってタバコは人生の楽しみでもあります。そんな楽しみを健康指導の一環とはいえ、奪っていいものだろうか?難しい問題ですが、僕は既に長寿の仲間入りをしているこのEさんにとって、タバコを控えることが、生きる喜び、人生の楽しみがなくなり、結果的に健康の維持に支障が出るように感じたのです。

今日の日記は前後して相反することを書いたのですが、最初に書いたTさんの場合も好きなアルコールを飲む権利は依然として残っていると思います。ただし、後何年生きるかということを考えると、Tさんはまだ天寿を全うしている年齢とは言えません。まだまだTさんを頼りにしている人が周囲に多くいますし、しなければいけない仕事が多々あります。おそらく、主治医もTさんの年齢を考え、これからもっと生きるためにはアルコールを飲むことを放棄することを迫ったのだと思います。Tさんにとっては非常につらいことであることは理解できるのですが、人生の楽しみも命あってのもの。これからもっと生きなくてはいけない立場である場合、人生の楽しみは捨てなくてはならないことも仕方のないことだといえるでしょう。
Tさんには是非、体に負担がかからない人生の楽しみをみつけてもらい、今後の生きる糧の一つとしてもらいたいと思います。難しいこととは思いますが。



2007年09月05日(水) 痛くない歯の治療の裏側

歯医者というと、誰もが“痛い”というイメージがあり、できれば近づきたくない場所と考えていることでしょう。けれども、実際の治療で痛くない治療が実現できれば、多くの人が歯医者に対する認識を改め、親しみやすい存在の一つになることは間違いのないことです。僕自身、全国に10万人いるといわれる歯医者の一人ですが、うちの歯科医院に来院する患者さんが痛みの無い治療を望んでいることはよくわかっているつもりです。

痛みの無い歯の治療の現状ということで、このような記事を目にしました。紹介されていたのは鎮静法と呼ばれるものとレーザーによる治療法ですが、今日は鎮静法について若干の追加解説を書きたいと思います。

鎮静法とは、歯の治療時に点滴によりある種の精神安定剤を適量注入することにより、意識をぼんやりさせる治療法のことをいいます。この方法は、病院での局所麻酔での手術で頻繁に行われている方法なのですが、歯科治療の現場においても応用され、一部の施設で行われています。
記事にも書かれているように、鎮静法の利点は、意識が遠のいている点です。歯の治療時、何かと緊張し、体中が硬くなったりするものですが、鎮静法を行うと、意識があるかないかわからないぼんやりとした状態になるものですから、周囲で一体何が行われているかさえわからない状態となります。歯の治療という緊張を強いられる状況でも薬の力によりその緊張感から開放されるのです。いつ治療が開始され終了したかわからないような意識の元治療が行われるのが鎮静法なのです。

ただし、この鎮静法いくつか注意しないといけないことがあります。
患者さん側ですが、鎮静法が行われる当日は自転車や自動車といった乗り物を自分で乗ることは厳禁であるということです。以前と異なり最近の鎮静法で使用される薬は調節性が良いものが開発されています。すなわち、患者さんの意識状態をこと細かく調整することが可能なのです。そのため、処置終了後、直ちに爽快に目覚めてしまうようなこともできるわけですが、患者さんによっては薬に対する反応、体の中の代謝が異なります。中には薬からなかなか目覚めにくく、治療当日中ぼんやりとし続ける人もいるのです。このような人の場合、治療後に自分で自転車や自動車を操ることは危険極まりない行為です。
また、患者さんによっては鎮静法ができない人もいます。過去の病歴、現在の全身状態、薬に対するアレルギーなどの問題から鎮静法ができない患者さんもいます。どんな人でも誰でもできる方法ではないのです。

歯医者側の注意事項としては、鎮静法は必ず鎮静を専門に行う医師、歯科医師がいないと行ってはいけません。少なくとも、鎮静治療に長けた、歯科麻酔の知識と技術、経験を持った人が患者さんを監視するような状況でないと行ってはいけません。鎮静法では、一人の歯医者が治療を行いながら患者さんの状態を監視しながら薬の調整を行うことは非常に困難を極めます。緊急時に一人の歯医者が治療も緊急処置も迅速に対応することが難しいのです。全身麻酔手術の際、執刀医以外に必ず麻酔医が麻酔をかけ、手術中の患者の監視、薬の調整、呼吸の管理を行うわけですが、これと同じことが鎮静法にも当てはまるというわけです。
ということは、鎮静法を行う際には、患者さんには常に血圧や脈拍、心電図がわかるように種々の測定機器をセットしながら処置を行う必要があります。たかが歯科治療ではないかと思われる方がいるかもしれませんが、薬を使い一時的に患者さんの意識を調整することは、リスクを伴うことなのです。もし処置中に何か起こった時に迅速に対応できるようにするためにも、治療前に測定機器をセットすることは必要不可欠なことといえるでしょう。
従って、鎮静法を行う歯医者というのは非常に限られています。現状では、大学や病院の歯科や歯科口腔外科か、もしくは、一般開業医でも歯科麻酔医と呼ばれる鎮静法に長けた人たちがスタッフとして待機している歯科医院でしょう。どんな歯医者でもできる代物ではないのです。

当然のことながら治療コストは通常の治療よりもかかります。治療コストがかかるということは、患者さんへの治療費にもはねかえるということです。鎮静法は自費治療です。保険は一切利きません。そのため、鎮静に要する治療費は全て患者さんが負担して頂くこととなります。

お金をかけて痛みの無い治療を取るか、少々痛くても保険治療を望むか?
選択するのは患者さん自身ですが、痛くない治療を行う方法の一つとして鎮静法という方法があることは知っておいて損はないだろうと思います。



2007年09月04日(火) ガンに侵された知事 宮崎県知事と静岡県知事

インターネット上のニュースを見ていると、宮崎県知事の東国原英夫知事が病院での人間ドックで甲状腺に腫瘍が見つかったということを公表した記事がありました。
タレントから転進した東国原知事ですが、知事就任してからテレビに出演しない日はないくらいテレビでしょちゅう姿を見るように思っておりました。宮崎県のPRのためにテレビ出演しているそうで、実際に宮崎県への経済波及効果はかなりのものがあったようですが、ほとんど休みなく働き続けているのは間違いないようで、健康面での問題が気になっていた中での甲状腺腫瘍発見の報道。今後、どのような処置、経過観察を行っていくのかわかりませんが、知事としての激務が体に悪影響を及ぼしていたのかもしれません。

同じ知事として健康を害したという意味では、先日、このような記事を見かけました。

静岡県の石川嘉延知事(66)が1日、県庁で記者会見を開き、歯茎の癌治療のため2日から同県長泉町の県立がんセンターに入院することを明らかにしたとのこと。3日午前に患部の切除手術を受けるそうで、入院は2週間ほど。その後約2週間、自宅療養する。復帰は約1カ月後の見込みで、その間は川口正俊副知事が職務を代行するそうです。
何でも石川知事は何でも6月頃から歯磨き時、歯磨きをしていると出血が止まらなかったそうで、おかしく感じた氏が専門家に診てもらったところ、癌であることがわかったようなのです。

口の中の癌というのは他の体の部位の癌に比べれば少数の部類に入ります。胃癌、肺癌に比べれば2%程度のごくわずかなのですが、その一方、口の中の癌は悪性度が強いのが特徴です。すなわち、口の中の癌の発生比率は少ないものの、発生した癌はたちが悪いものが多いということになります。記憶に新しいところでは、貴乃花のお父さんであった二子山親方が口腔底癌でなくなりましたが、これも口の中の癌です。僕は二子山親方が口腔底癌だと聞いた途端、先は長くないなあと感じました。その訳の一つが、口の中の癌とことで、悪性度が高く、早期に適切な処置を施さないと命がもたないことがわかっていたからです。

さて、口の中の癌の処置ですが、基本的には患部とその周囲を切除します。転移が疑われる場合、患部周囲を切除するだけでなく、転移を防ぐために癌の発生した部位の顎下、頸部リンパ節、場合によっては両方の顎下、頸部リンパ節を取り除くことも行います。これは郭清と呼ばれる処置ですが、中でも頸部のリンパ節は周囲に総頸動脈や迷走神経といった生命維持のために非常に大切な血管、神経が走行しているところに分散していますので、細心の注意を払って処置をしないといけません。
また、抗がん剤や放射線治療を主体に行ったり、手術を並行して行ったりするケースもありますが、これは症状、そして、発生した口の中の部位に応じてケースバイケースといっていいでしょう。
これら処置は、一般の歯科医院ではできません。発見はできるのですが、入院、全身麻酔下での処置が必要なことから、大学病院や総合病院の歯科口腔外科、耳鼻咽喉科、形成外科などが担当科となります。

これまで、全国の知事の中の二人がほぼ同時に自らのガンを公表したというのはこれまでなかったことです。ガンというと、誰しも精神的にショックを受け、周囲に話したくない病気であるはずなのですが、県政に携わる公人としての知事にはそのようなことは許されないのでしょう。情報公開の流れの中、自らの健康問題も公表しないといけない知事の仕事というのは大変なものであるなあと改めて感じた次第です。

石川知事の場合、早期歯肉癌だったようで、患部周囲を切除するだけで済むようです。報道によれば、昨日手術が終わっているはずですが、手術が功を奏し、体力が回復し、一日も早く公務に復帰できることを祈っております。



2007年09月03日(月) 歯の矯正治療中の世界陸上女子マラソン銅メダル

既に皆さんもご存知のことと思いますが、昨日、陸上の第11回世界選手権大阪大会で女子マラソンが行われ、土佐礼子選手が銅メダルを獲得しました。この大会での日本勢のメダルは初めてで、日本陸上競技連盟の規定により、土佐選手は北京五輪代表に内定したとのこと。

 昨日の女子マラソンは、選手同士が暑さを考えスローペースで始まったようですが、後半になってからレースは動き、レース序盤から先頭集団で走っていた土佐は一時39キロ手前で一時は5位に落ちました。ところが、土佐選手独特の粘りの走りで40キロ過ぎに3位に浮上し、2001年大会の銀に続く2個目のメダルを獲得したのです。

 昨日の女子マラソンレースを僕も見ていましたが、夏場のマラソンというのは非常に過酷なものであることがよくわかりました。選手は常に水分補給を怠っていませんでしたし、中にはレース途中で倒れこんだり、棄権する選手もいました。レース終盤には気温が30度を越えていましたから、体感温度は相当高いものであることが容易に想像できます。そのような条件のもと、42.195キロを2時間30分ぐらいで走りきる体力というのは、日ごろのトレーニングの積み重ねでしか得ることができないものでしょう。

土佐選手は7月のトレーニング中に膝を痛めていたそうですが、僕自身、もう一つ他の選手に比べハンディがあったのではないかと思うのです。それは、歯の矯正装置。既に誰もが気がついているとは思いますが、土佐選手は2年前くらいから競技、練習の合間に歯の矯正治療を続けています。歯並び、かみ合わせの改善が選手としての運動能力の向上につながるというご主人のアドバイスにより始めたそうですが、実際に2006年の東京国際女子マラソンでは高橋尚子を破り、優勝を果たしています。

今回のマラソンでも土佐選手は歯の矯正装置を装着したままレースをしたわけですが、通常のレースと違い、暑さの中でのレース。水分の喪失は相当なもののはずで、常に選手は水分補給を怠りませんでした。それぐらい過酷なレースであったわけですが、口の中の状態も相当乾燥している状態であったのではないかと思います。そのような口の中、いくら歯に影響がないように装着されている歯の矯正装置とはいえ、異物といえば異物です。乾燥した口の中に異物が入った状態で夏場のマラソンレースを走るということはどれほど過酷な状況であるでしょう。今回のレースでは、土佐選手は、直前に痛めた膝の怪我だけでなく、口の中の矯正装置もハンディになっていたのではないかと想像するのです。そのような悪条件の中獲得した銅メダル。僕は、土佐選手の健闘に拍手を送りたいと思います。

土佐選手は来年開催の北京オリンピックの女子マラソン日本代表に内定したそうですが、今後は北京オリンピックに向けてトレーニング計画を立て、実行するとのこと。おそらく、北京オリンピックの頃には矯正装置は取り除かれ、少なくともレース中は口の中の異物はないような状態でレースに臨むことができることでしょう。

歯の矯正装置が入った中でも結果を出すことができた土佐選手ですから、北京オリンピックでは有力な金メダル候補の一人ではないか?
そのように勝手に考えている、歯医者そうさんです。



2007年09月01日(土) 歯医者の息子って世間知らずなのか?

人の不幸は蜜の味といいますが、週刊誌に取り上げられる話題というのは、多くの人が持っている人の不幸に対する興味をそそるような話題が多いことは誰もが認めることでしょう。

今週始め、某週刊誌の新聞広告を見ていると、このような見出しが見えました。

“また歯医者の息子 山口・祖父殺し少年は「自衛官」だった”

これまでこのような話題に目くじら立てて反論するのも大人気ないかなと思っていたのですが、“また”という表現に思わず反応したくなりました。

おそらく、昨年の渋谷の歯科医師一家の件や千葉県のイギリス人女性英会話講師殺害の被疑者が歯医者の息子であった影響があることでしょう、今回の山口県の容疑者もお母さんが歯医者の息子であったということから、“また”という表現がなされたのかもしれません。

この手のニュース、歯医者という世界が、マスコミの人にとっては非常に色眼鏡で見られているのだなあということをいつも感じます。歯医者の世界というと今もって経済的に裕で社会的にステータスのある職種の人のように見えるのですが、実際のところ、歯医者の世界というのは非常に厳しい世界です。何せ全国にある歯科医院の数は、今やコンビニの数の1.5倍以上。過剰な数です。かつて歯科医院の数が少ないということで全国に歯学部、歯科大学を無計画に乱立されたツケがここに来ています。
そのような中、歯医者として生き残っていくために歯医者は試行錯誤しながら、青息吐息で仕事をしているのが実情。決して夢の世界に生きているわけではないのです。ところが、世の中にはまだ歯医者がセレブな人たちという幻想が生きているのでしょう。

今回の事件の記事を読んでいると、容疑者が歯医者の息子であることを強調して書いてあります。如何にも“世間知らずのおぼっちゃん”とでも言いたげな書き方です。
僕自身、歯医者の二代目の息子なのですが、自分で言うのも何ですが、世間を知らない箱入り息子だったのではないかと思います。僕が幼少の頃、親父は歯科医院を開業したのですが、当時の歯科医院は患者の数に対し、歯科医院の数が圧倒的に少ない時代でした。どこの歯科医院でも患者があふれていたものです。どうしたら一日に診療できる患者数をしぼりこめるものか?多くの患者さんを待たせずに診療できるものか?当時の歯医者はそれぞれ試行錯誤していたものです。親父が開業当時、近所の歯医者に開業の挨拶に行ったのですが、その時に言われた言葉とは

「近くに歯医者ができて、これで私も少しは楽になるよ。」
とほっと安堵の声を出されていたのだとか。それくらい、当時の歯医者は洪水のように押し寄せる患者さんの対応に頭を痛めていたものです。
ということは、歯医者は非常に忙しいものの患者さんの数に事欠かなかったということです。患者さんの数が事欠かなかったということは、仕事は忙しいものの充分に足りる収入は確保できていたということです。僕自身、親父の忙しい仕事ぶりを肌で感じながらも何不自由ない幼少時代を過ごしてきたように思います。我が家は決して派手に浪費するような家庭ではなかったと思いますが、少なくとも家が一家離散し、路頭に迷ってしまい、明日の食事にも困ってしまうような状況で育ってきたわけではありません。僕は経済的に恵まれていた中で育ってきたことはまぎれもない事実です。

経済的に何不自由なく育ってきたことイコール箱入り息子だとは限りませんが、僕自身が世の中は自分の周囲だけではない、広い世界があると身をもって知ったのは、やはり歯医者として多くの患者さんと接するようになってきてからです。いろんな考え、いろんな経済状態、いろんな家庭環境の人が世の中にいることを身を持って知ったのはプロとして歯医者の仕事に携わってきてからです。自分の持っていた価値感、判断基準が人によって異なるということは今もって学ぶところが多いものです。

それでは、他の人はどうなのだろうか?と考えた時、僕は歯医者でない他の環境で育ってきた人もそれほど変わらない、世間知らずなところがあるのではないかと思うのです。それぞれ人々が育ってきた環境は多種多様でしょうが、多種多様でありながらも自分が育ってきた世界以外の世界があると実感する機会というのは限られているのではないかと思うのです。核家族が多く、近所付き合いも限られている人が多い時代です。しかも、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学という園児、生徒、学生時代の場合、学業が本業でであること、先生以外異なった年齢の人たちと肌を交えて接する機会は限られていることなどを考えると、社会人になっていない世代の人たちは、皆なんらかの形で世間知らずではないかと思うのです。
ただ、社会人が皆世間を知っているか?と問われると、明確な回答ができませんが・・・。


まあ、週刊誌というもの、売ってナンボの世界ですからね。無責任なタイトルをつけても売れれば良いという世界です。まともに反応してしまうのもあほらしいとは思いながらも、今日は思わず反応してしまい、反省している歯医者そうさんでした。


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