歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年05月31日(木) 情報は東京に集中し、漏れないもの

先日、僕の母校である某歯科大学の先輩歯医者の先生方との会合があり参加してきました。会合の後、懇親会があったのですが、その場で僕は以前から懇意にしている先輩の先生とに何人かの先生を紹介してもらいました。その中には、僕が学生時代に教授であった先生方が何人もおり、常に頭を下げっぱなし、緊張の連続でありました。当然のことながら、僕はそんな先生方の聞き役に徹しておりましたが、いろいろと興味深い話を聞かせてもらいました。
先輩歯医者の先生方の話の中に情報についての話がありました。話の趣旨は、情報というもの人口の多いところに集中しやすく、そこから末端へは伝わりにくい、伝わるのに時間がかかるという話でした。

一般に日本で最も人口が多い所といえば、首都である東京です。現在、東京都の人口は1270万人。東京は、単に人口が多いだけでなく、政治、経済、物流、文化などの中心でありもあります。
また、あらゆる情報が東京に集まり、全国、そして世界へ広がっていくといっても過言ではありません。現在はインターネットの普及により、情報は瞬く間に全国に、世界各地へ伝わっていくようなイメージがあるものですが、非常に微妙で繊細な情報(巷では“インテリジェンス”という外来語が使われているようになっているようですが)に関しては、インターネットでは伝わりにくいもの。未だに口伝えで伝えられるものが多いというのです。人というもの、誰もが知りえていない、知られたく無い最新の情報というものは秘めておきたいもの。同じ教えるなら自分の仲間内だけで抑えておきたい。そのようなことが微妙で繊細な最新の情報の拡散を防ぐことに繋がっているのです。

実は、歯科界においても東京に情報が集中する傾向にあります。どうしてそのようになるのか?それは歯医者も東京や首都圏に集中しているためなのです。

現在、日本全国に歯科医師を養成する大学歯学部、歯科大学は合計29校あるのですが、そのうち東京を中心とした首都圏には9校あるのです。

明海大学歯学部(埼玉県坂戸市)
東京歯科大学(千葉県千葉市)
日本大学松戸歯学部(千葉県松戸市)
日本大学歯学部(東京都千代田区)
日本歯科大学(東京都千代田区)
東京医科歯科大学歯学部(東京都文京区)
昭和大学歯学部(東京都品川区)
鶴見大学歯学部(神奈川県横浜市鶴見区)
神奈川歯科大学(神奈川県横須賀市)

これだけ歯科医師を養成する大学があるわけです。しかも、東京歯科大学、日本大学、日本歯科大学、東京医科歯科大学歯学部の4校は、それぞれ戦前から歯科医学専門学校として設立されていたため歴史もあります。そのため、歯科医師の数も東京を含めた首都圏には非常に多く集中しているのです。それでは一体どれくらいの歯医者が東京や首都圏にいるのでしょう?
現在、日本には9万5千人の歯医者がいるのですが、首都圏には概ね3万6千人余りの歯医者が集中していることになります。

東京都 16300人
神奈川県 6500人
千葉県 4500人
埼玉県 4500人
栃木県 1300人
茨城県 1800人
群馬県 1300人
山梨県 600人

すなわち、日本全国の歯医者の約4割が首都圏に集まっていることになります。中でも東京都の歯医者の数は他の首都圏の歯医者の数を圧倒しています。
これだけ歯医者が集中していれば、歯科関連の情報も東京に集中せざるをえません。
今はインターネット全盛の時代、情報は直ぐにワールドワイドに広がるではないかと思われる方もいるかもしれません。確かにそういった一面はあります。また、学問的な医療の話に関しては全国各地の歯医者同士で交流が進み、お互いが最新の知識、経験を共有できるようになってきています。
ところが、歯科の情報の中でも、非常に微妙で繊細な情報に関して東京に一極集中する傾向にあるというのです。その理由は、歯科の非常に微妙で繊細な情報の総元締めが厚生労働省であり、厚生労働省が首都東京にあることが大きく影響しているというのです。厚生労働省から漏れてきた情報は、まず東京や首都圏の中で口伝えで浸潤し、その後全国へ広がるのです。そのため、地方の歯医者がこれらの情報を得るには手間、暇がかかるというわけです。

今回の会合でもある教授が酒の勢いも手伝ってか、かなり激しい口調で言われていたのが印象的でした。

「今まで僕は関西で生まれ育ち、歯医者になったのでわかりませんでしたが、教授になって東京方面へ出張するようになってよくわかりました。歯科を含めた医療の情報は東京に行かないとわからない。箱根の山を越えては伝わらないものなのですよ!」



2007年05月30日(水) 癌を告知しなかった理由

僕の歯医者としてのモットーの一つに、患者さんに病名を伝えた時には、その病気が治るまで世話をすることがあります。

例えば、ある患者さんの前歯にむし歯があったとしましょう。僕はその患者さんに対し、むし歯であることを伝えます。患者さんには実際に鏡やデジタル写真、レントゲン写真で確認してもらいます。そして、治療することの意義、放置することのリスクなどを手短に説明します。患者さんの承諾が得られれば、僕はむし歯の治療を行います。そして、治療が完了したことを伝え、今後むし歯にならないためのアドバイスを行います。
歯医者として、僕がむし歯という病名を伝える時は、患者さんに対し、むし歯を治療するだけでなく、その後の予防に関しても責任を持つことを宣言するようなものなのです。

何だか堅苦しい話のように思われるかもしれませんが、歯や口の中の病気を治療する専門家である歯医者として、患者さんに病名を伝えるということは非常に重みのあることだと考えます。単に病名を伝えるなら素人でもできるかもしれません。歯科医師免許を持ち、患者さんの治療をするということは、単に病名を言うだけでは済まされない。プロとして治療をし、今後の予防にいたるところまで責任を持つことが大切ではないかと、僕は思うのです。

そんな歯医者の僕ですが、患者さんに対し、病名を素直に伝えられないこともあります。

先日のことです。

“舌の端に口内炎ができた”
ということで来院された患者さんがいました。僕が実際に診たところ、

“これは厄介だなあ”
と感じたのです。そして、患者さんにこう言いました。

「この口内炎は僕にはよくわからない口内炎のように思えます。一度、歯科口腔外科の専門医の先生に詳しく診てもらった方がよいでしょう。」

そのように患者さんに伝えた僕は、懇意にしている某病院の歯科口腔外科医に紹介状を書き、精査してもらうよう依頼したのです。

実は、その患者さんが口内炎という病状は詳細を書くことはできませんが、歯科口腔外科の教科書に紹介されているような典型的な舌癌の特徴を持っていた状態だったのです。少なからず舌癌の患者さんを診た経験からすれば、十中八九舌癌だろうと感じた僕でしたが、僕は患者さんに自分が思ったことを伝えることはできませんでした。

実際に確定診断を下すには詳しい検査が必要でした。中でも組織の一部を採取し、顕微鏡検査する病理検査が最低限必要なところ。ただ、病理検査をするだけなら、僕も行うことは可能です。自分の歯科医院には病理検査を担当する病理医はいませんが、外部の検査機関に委託することにより病理検査を行うことができるからです。
けれども、僕はそれをしませんでした。その理由は先に書いたとおりです。すなわち、患者さんに確定診断を伝える責任を持てなかったからです。確定診断を伝えるということは、患者さんの病気に対し、治療、手術を行い、その後のケアにいたるまで責任を持たなければいけないからです。

今回の患者さんのような舌癌の可能性が高いような場合、基本的な治療法は手術ということになります。一言で手術と言いますが、症状に応じていろいろです。

舌を含めた口の中の癌の手術ですが、病巣が小さい場合は、病巣だけを摘出するだけで済みます。

厄介なのは病巣が大きい場合、他の部位のガンと同様、転移の可能性が高いのです。このような場合、単に癌組織を摘出するだけでなく、転移の可能性を考え、首にある頸部リンパ節を全て取り除かないといけません。これは専門的には頸部リンパ節郭清と言います。頭と体をつなぐ頸部には大きな動脈、静脈、神経、リンパが通っています。これらを少しでも傷つけるようなことになると、手術後に後遺症が残る確率が非常に高くなります。そのため、頸部リンパ節郭清は慎重に丁寧に行わないといけません。口の中のガン手術は非常に時間と手間がかかる手術の一つで、頸部郭清が必要な場合、総合病院の一年間の手術の中で最も時間を要する手術の一つとされているくらいです。

また、手術だけでなく、放射線治療や抗がん剤治療を併用するような場合もあります。

口の中の癌の場合、手術をすることにより顔の形が変わる可能性があります。顔の臓器の一つである口の中の組織をガンとともに取り除くわけですから。手術後、命は助かったものの、顔の形が変形し、目立ってしまうことが考えられます。これは手術後の患者さんにとっては非常に酷なことです。そのため、手術後なるべく顔の形が変わらないようにするため、腕や胸の組織の一部を使用して、ガンでなくなった部分を補う再建手術が必要となります。これら手術はガンの摘出と同時に行われます。

以上のようなことを想定すれば、僕のような一個人開業歯科医が口の中の癌の治療をすることができないのは自明のことです。

また、癌の告知に関しては直接患者さんに伝えるべきかどうかという問題もあります。最近は、直接伝えるような傾向にあるようですが、患者さんの精神状態や環境によっては家族や親族のみ伝え、患者さんに伝えないこともあるようです。いずれにせよ、癌告知に関しては非常にデリケートなことであり、むやみに口に出して言える代物ではありません。

結局、僕は舌癌の可能性が極めて高い患者さんに対して、病院の歯科口腔外科へ受診することを勧めることしかできませんでした。患者さんにとっては腑に落ちないところがあったかもしれませんが、歯医者として責任を考えると、自分が責任を負えないような病気の場合は、専門家に治療を委ねることが患者さんのためになります。何もかも抱え込むことは、結局のところ、患者さんに益するところは何もありませんから。



2007年05月29日(火) 歯と歯の間を磨きましょう!

厚生労働省は6年に1度、国民の歯や口の中の健康を調査する歯科疾患実態調査を行っています。最近では昨年、平成17年に歯科疾患実態調査が行われたのですが、その結果を見ていると、ほぼ現時点での日本国民の歯の健康状態の実態を見る事ができます。

この歯科疾患実態調査の調査項目の中で“歯ブラシの使用状況”というのがあります。これは、歯ブラシの使用状況を一日何回磨くかという観点から調べたもので、みがかない者、ときどきみがく者、毎日1回みがく者、毎日2回みがく者、毎日3回以上みがく者に分けて調べています。
平成17年においては、

みがかない者     1.4%
ときどきみがく者   2.5%
毎日1回みがく者   25.7%
毎日2回みがく者   49.4%
毎日3回以上みがく者 21.1%

となっています。過去の歯科疾患実態調査と比べ、一日に歯を磨く回数は年を追うごとに増えているのが特徴で、毎日3回以上みがく者の割合が増えています。
今回の歯科疾患実態調査調査では、歯を全く磨かない人はわずか1.4%であり、日本人のほぼ全員が歯を磨く習慣を持っていることがわかります。

その一方、むし歯に罹っている人の数はといいますと、20歳代まではむし歯の数は減少しているものの、30歳代以上となるとさほど減少しておりません。歯周病にいたっては、5歳〜9歳の年代で既に40%以上が歯周病に罹っており、20歳代で80%、50歳代にいたっては90%が歯周病になっているのです。
以前に比べれば、むし歯を持っている人の数は減少してきていますし、歯周病の人の割合もわずかながら軽症傾向にあるのですが、依然としてむし歯、歯周病は国民の大半が罹患している現実。国民病ともいえる疾患なのです。

むし歯や歯周病の予防で最も有効な手段が歯磨きであることは多くの人が知っているところではあるのですが、それにしてもほとんどの国民に歯磨き習慣が定着している一方、むし歯や歯周病が蔓延したままということは、歯磨きの方法に改善すべきところがあることは、否定できない事実だと思います。自分ではしっかりと歯磨きをしているつもりでも、我々専門家からすれば上手く磨けていないケースが多いのです。

中でも僕が気になるのは、歯と歯の間の歯磨きです。歯と歯の間の歯磨きは通常の歯ブラシだけでは上手く磨けません。歯ブラシの毛先が歯と歯の間に上手く届かないことが原因であるのですが、むし歯や歯周病に罹っている患者さんの状態を診ていると、どうも歯と歯の間に食べかすや歯垢が溜まり、うまく取り除けていないケースがほとんどです。これは歯ブラシだけでなく、普段から歯と歯の間をお掃除する糸ようじ、デンタルフロス、歯間ブラシといった歯間部清掃用具を使わないと除去できないのです。

かつて、某歯科医師会が調査したデータによれば、歯ブラシだけを使用した場合、口の中の歯の69%の歯垢を除去できたのに比べ、歯ブラシと歯と歯の間の掃除ができる歯間部清掃用具を併用した場合、95%の歯垢が除去できているのです。

恥ずかしいながら、僕自身、某歯科大学の学生時代、歯磨き時、歯肉から血が出ていた時期がありました。また、時折口臭があったようで、周囲からは時折、“口から臭うよ”と指摘されたこともしばしばでした。僕は一日3回磨いていたのですが、しっかりと磨いていたつもりなのにどうして歯肉から血が出たり、口臭がするのかわかりませんでした。中でも口臭は自分では自覚しにくいものであるために、口臭を指摘されると非常に精神的なストレスを感じたものです。
この事態が一変したのが、歯と歯の間の掃除でした。ある先輩から歯と歯の間の清掃の大切さを聞かされた僕は早速自分でも歯間ブラシを使用して歯を磨いてみました。清掃した歯間ブラシを見てみると、歯間ブラシの毛の間には自分でも驚くほどのべっとりとした歯垢がたまっていたのです。べっとりと歯間ブラシについた歯垢を臭ってみると、腐敗臭がしました。これが口臭の原因かもしれない。僕は毎日欠かさず歯と歯の間の掃除を行うようにしたのです。
するとどうでしょう。わずか2週間ぐらいで歯磨き時の歯肉からの出血が無くなってきたのです。また、長期間悩んでいた口臭も指摘されなくなりました。自分でしっかりと磨いていたつもりでも、実は歯と歯の間の掃除はできていなかったのです。

僕の苦い経験から、患者さんには常に歯と歯の間の掃除を行うように伝えているつもりです。実際のところは、何度も言葉を変え、やり方を変えながら歯と歯の間の掃除の大切さを指摘しています。全ての患者さんが歯と歯の間の掃除を習慣づけられているとは思いませんが、少ないながらも一定数の患者さんには歯と歯の掃除が習慣化されつつあるように思います。

厚生労働省では2000(平成12)年から10年間、日本人の健康寿命を伸ばす目標として“健康日本21”を発表しています。この“健康日本21”の中に歯の健康目標があるのですが、歯の健康目標には

40歳、50歳における歯間部清掃用具を使用している者の割合をそれぞれ550%以上にする

というものがあります。現状では、歯間ブラシや糸ようじ、デンタルフロスといった歯間部清掃用具を使用している人の割合は、40歳代以上では30%に過ぎません。現時点では、厚生労働省の目標とは隔たりがあると言わざるをえません。

今週後半は6月。6月には6月4日を中心に歯の衛生週間が始まります。皆さんも、この際、歯と歯の間の掃除を習慣化するようにしてもらいたいものです。
実際に歯と歯の間の掃除方法については、人それぞれの口の中の状態が異なります。是非ともお近くの歯医者さんを受診し、専門家にあなたにあった歯と歯の間の掃除を指導を受けて欲しいと思います。



2007年05月28日(月) 飴玉を舐め続ける理由とは?

歯科医院には様々な患者さんが来院されるものですが、長寿社会となった現在、いろんな病気を持った患者さんが来院されることが多いものです。歯科業界では、むし歯や歯周病といった歯科の病気以外の全身の病気を持っている患者さんのことを“有病者”と呼びます。医学英語で様々な病気を持っている患者のことを“compromised patient”と言うのですが、”歯科業界では“compromised patient”の和訳を”有病者”と称するようです。僕は個人的には“有病者”という訳は好きではありませんが、それはともかくとして、うちの歯科医院にも“有病者”患者は何人も来院されます。

うちの歯科医院のある周辺は高齢者が多いことも影響しているでしょうが、他の医院、病院に通院しながらうちの歯科医院を受診している患者さんが目立ちます。このような“有病者”患者の場合、治療開始前に充分に問診を取ります。どんな病気でどこの診療所、医院、病院に通院しているか、治療内容や薬の種類、飲み方についても確認します。患者さんからの情報だけで不安な場合は、担当医に手紙で医療情報を提供してもらう場合もあります。

さて、“有病者”患者ですが、全身の病気であるが故に歯の治療にも大きく影響を及ぼすことがあるのです。
以前、勤務していた病院歯科でのことです。僕の患者さんにYさんという患者さんがおられました。Yさんはむし歯や歯周病がひどく、治療をしていたのですが、治療すればするほど歯が悪くなるような感じがしたのです。決して僕がいい加減な治療をしていたわけでなく、また、Yさんが治療を放棄して、放置していたわけではありませんでした。Yさんの治療は一定の受診間隔で進んでいたはずなのですが、僕が治療をするペースよりもYさんの歯が悪化してくるペースが速いように感じたのです。

“どうしてなのだろう?これは何か裏に事情があるはずだ!”
実は、Yさんは腎不全で数年前から腎透析を行っていました。週3回の透析治療の合間に僕の治療を受けており、そのことは治療前から充分に把握していたつもりでした。ただ、腎透析の治療で口の中の状態がこれほど悪化するものか疑問に感じていたのです。
治療中、僕はYさんに何気なく腎透析のことを尋ねたところ、Yさんはこのようなことを言われたのです。

「わしね、腎臓の透析をしていますと咽喉や口がカラカラになりますねん。だから、ずっと飴玉を舐めていますねん。」

”そうか!”
と僕は気がつきました。

腎透析をしていると水分の補給に制限を受けます。そのため、どうしても咽喉や口の中が乾燥し、カラカラになりやすいのです。
また、唾も出にくくなります。Yさんはこのことを解消するために、飴玉を舐め続けていたのです。

飴玉を舐めることは唾液を出すのに有効な手段かもしれませんが、思っているほど唾液は出ないもの。しかも、飴玉の中にはむし歯の原因となる砂糖が多量に含まれています。カラカラに乾いた口の中に飴玉を含んで舐め続けるということは、砂糖を口の中に多量に残すことになるのです。唾液もでにくくなっているため、砂糖が歯に残される傾向が強くなることから、Yさんの口の中はむし歯を積極的に作り出している環境になっていたのです。そのため、Yさんは僕の治療ペースよりも早いペースで歯が悪化していたのです。しかも、厄介なことにはYさん自身、飴玉を舐め続けることが歯の悪化に関係していることに気がついていなかったのです。

このような場合、歯をこれ以上悪くさせないためには、飴玉と舐める習慣を控えてもらうことが一番です。その代わり、お茶や水分を飲むように指導するのですが、腎透析を受けているYさんには水分補給の制限があり、それもままなりません。飴玉を控えるように指導することは、今のYさんにとって酷なことだと言えました。
そこで、僕は、飴玉を舐めるなら“キシリトール”入りの飴玉を舐めるように提案しました。キシリトールは砂糖と同じ甘味料の一つですが、むし歯をつくるむし歯菌が好物としない甘味料であり、結果としてむし歯が出来にくくなる特性があります。Yさんが飴玉を舐めるのは口の中のカラカラ感、乾燥感が気になるために舐めているのですから、飴玉を控えるよりは、むし歯を作らない材質をもった飴玉を舐めてもらうことが現実的だろうと判断したわけです。
ただ、キシリトール入りの飴玉を舐めることだけがむし歯予防になると信じてもらうのも問題があるので、Yさんには歯を磨く回数を増やすようにも伝えました。歯を磨くことは口の中の汚れを取ることももちろんですが、歯を磨くことにより口の中が刺激され、少しでも唾液が出やすくなること、そして、うがいをすることにより水気が口の中に含まれる機会が増える効果を期待しての指導でした。
その結果として、Yさんの歯の悪化ペースは何とか遅延させることができ、治療が追いつくような形になってきました。

口の中だけを診ているとわからないことが歯科の治療ではあるものです。歯の健康の維持は、単に歯磨きだけではなく、その人の生活習慣に拠るところが多いものですが、中にはYさんのような全身の状態を解消するような生活習慣が原因のこともあるのです。歯科治療、難しいものです。



2007年05月26日(土) 携帯テレビ電話相談の時代

最近、僕は4年間使用していた携帯電話を買い換えました。これまで使用していた携帯電話は故障も無く、電話やメール、インターネット、写真も撮ることができ、何ら不満はなかったのですが、さすがに4年間も使用すると、携帯電話に多数の傷が目立ってきましたし、何よりも飽きがきました。そこで、重い腰を上げ、某携帯電話ショップで新しい携帯電話に買い換えたわけです。

正直いって、新しく購入した携帯電話は、僕にとってあまりにも機能が豊富過ぎます。これまでと同様、電話やメール、インターネットといった機能は直ぐに理解できました。これらの機能が全て向上していることは驚きで、快適に使用することができていますが、その一方、クレジットカードやbluetooth、GPS、音楽プレーヤーといった機能に関しては使いこなせておりません。携帯電話機能の高度化についていけなくなっていることを実感しております。

そんな携帯電話機能の高度化の中で興味があるのがテレビ電話機能です。携帯写真を撮影する際に使用するカメラレンズを利用しながら相手の姿を見ながら電話ができるテレビ電話。今や多くの携帯電話ユーザーが頻繁に使用しているという携帯テレビ電話。僕も以前から興味があったのですが、4年間使用していた携帯電話にはこのような機能がなく、今回新しく買い換えた携帯電話で初めて利用することができるようなのです。
ところが、実際にどうやって使用すればいいのか全くわかりません。一応、説明書は読んではみたのですが、ピンときません。試しに誰かと携帯テレビ電話をしようにも周囲に携帯テレビ電話をするような人がおりません。嫁さんや両親が持っている携帯電話はいずれも旧式のものでテレビ電話機能がありません。そのため、携帯テレビ電話を使わないままおりました。

そんな折、某所でたまたまある親戚同士が携帯テレビ電話を使用する場面に遭遇しました。ある親戚が関東方面に出張していたのですが、突然歯が痛くなったそうで、携帯電話で知らせてきたのです。最初のうちは普通の携帯電話で話をしていたのですが、途中から携帯テレビ電話に変更し、どの部分が痛いのか映像で知らせてきました。
たまたま、その親戚の隣にいた僕は携帯テレビ電話の画像を見せてもらいました。実際の言葉だけでなく、ある程度の映像で示してくれることにより、実際の歯痛の原因がいくつか絞り込められましたので、そのことを伝えました。そして、今するべきことをいくつか伝え、少しでも早く出張先の近隣にある歯科医院を受診するよう伝えたのです。

それにしても、携帯テレビ電話で歯科相談を受けるとは思いも寄りませんでした。実際のところ、正しい診断をするまでの画像レベルではありませんが、百聞は一見にしかずではありませんが、画像がもたらす情報量の多さに驚いた次第。

現在、いくつかの歯科医院では携帯電話や携帯メールでも予約を取ることができるようになってきていますが、今後は携帯テレビ電話を利用した歯科医院サービスが出現してくるかもしれませんね。恐ろしい時代になったものです。



2007年05月25日(金) 食間とは食事中のことではない!

歯医者では医者ほどではないにせよ、患者さんに対して薬を出すことがあります。歯肉が腫れたり、歯痛が生じたり、抜歯や切開で膿を出したりした時には、必ずといっていいほど薬が処方されます。

皆さん、既によくご存知のことだとは思うのですが、薬には飲み方が決められています。一日に何回、どれくらいの量を飲まないといけないのか、頓服のように必要な時に飲むべきなのか、内服なのか外用なのか等々、かなり細かく決められているものです。
医者も歯医者も薬の飲み方に関しては患者さんに対してきちんと説明する義務がありますし、説明しているはずです。
また、周囲の医療スタッフからも説明がなされているはずですし、薬を調剤する薬剤師からも説明がなされ、薬の使用法に関し、説明書も渡されているはずです。このように手を変え、品を変えながら患者さんに薬のことを説明し患者さんに薬のことを理解してもらうことを、業界用語でコンプライアンスと言います。
コンプライアンス(compliance)を英和辞典で調べてみると、“要求や希望に沿うこと”、“承諾”などの意味がかかれてありますが、薬の処方に関しては薬の情報を患者さんに的確に伝え、薬を正しく服用してもらうことを受け入れ、実行してもらうことが、まさにコンプライアンスなのです。

ところが、医療側で念には念を入れているつもりでも、実際の患者さんの受け止め方が異なる場合があるのです。

「食間って食事中のことだと思っていました。」

これはある患者さんの一言です。
上記の食間の意味は、食事と食事の間という意味です。朝食と昼食の間、昼食と夕食の間といったような意味です。ところが、患者さんによっては食間というのは、食事中という意味で解釈している人がいるのです。
すなわち、ご飯を一口食べ、薬を飲み、そして、ご飯を食べ続ける。このような薬の飲み方を食間と勘違いされていたのです。
“そんな馬鹿なことあるだろうか?”と思われ方もいるでしょうが、この手の勘違い、結構あるものなのです。
有名なところでは、坐薬を座って口から飲む薬だと勘違いしている方。
薬のパッケージとなる袋を開けずにそのまま飲んでしまう方。就寝前に服用となっている薬を昼寝前にも飲んでしまう方。

また、症状が消えたので自主的に薬の服用を止められた患者さん、減量してしまう患者さん。食前服用の薬を食後に飲んでしまう患者さんなどいます。

薬を処方する医療側は何回も患者さんに薬のことを説明しているはずなのですが、患者さんの勘違いや思い込み、勝手な解釈によって正しく服用されていないケースがあります。
つくづく、医療情報の正確な伝達の難しさを感じます。

薬の飲み方を間違えてしまうと、薬の種類によってはかえって症状が悪化し、せっかく治りかけた病がこじれてしまうケースがあるのです。これは非常に怖いことです。場合によっては命の危機に瀕することもありうるのです。

どうか、読者の皆さんにおかれましては、薬の服用に関しては担当医の説明をしっかりと聞き、疑問のある点はきちんと正し、正確に服用してほしいと思います。



2007年05月24日(木) こんにゃくゼリーのど詰め事故について

昨日ニュースで流れていたこんにゃくゼリー窒息事故。7歳の幼児が食べた際、のどに詰まらせ窒息死してしまったという心痛む事故が起きてしまいました。

今回の事故に限りませんが、食べ物をのどに詰まらせ窒息してしまう事件というのはしばしば起きています。その代表例が餅ののど詰め事故でしょう。正月を中心に多い餅ののど詰め事故。高齢者が多いのが特徴で、お雑煮に入っている餅を食べている最中、のどに詰めてしまい、窒息してしまう事故が後を絶ちません。

どうして高齢者は餅をのどにつめてしまいやすいのでしょうか?
誰もがわかることですが、高齢者は、若い人と比べ様々な体力、反射が衰えてくるものです。食べ物を飲み込み反射(専門的には嚥下反射といいます)もそんな鈍くなる反射の一つです。ところが、高齢者の多くは自分の反射が鈍くなっている実感がありません。若い頃と同じように餅を飲み込んでいるつもりでも、実際の飲み込み反射は想像以上に衰えています。

また、高齢者の場合、歯を失っている方が多く、入れ歯を装着されている方が多いのが現状です。永久歯が残り少ない人や入れ歯を装着している方は、健康で丈夫な歯を持っている人に比べ、効率よく食べることができません。餅のように粘着性があり、噛み砕くことに時間を要する食べ物の場合はなおさらです。そうなると、ついつい充分に餅を噛まないまま飲み込んでしまうわけです。その結果はとなると・・・
餅をのどに詰めてしまうリスクが高くなることは容易に想像つくのではないでしょうか。

餅のような食べ物について、僕は食べることができる年齢を制限をすべきではないかと考えています。極論のように思われるかもしれません。高齢者の楽しみの一つは食事です。その食事の中の食材の一つを食べるなというのは酷ではないかと思われるかもしれませんが、毎年、繰り返される餅ののど詰め死亡事故の悲劇を無くすには、ここまで徹底しないと無くならないのではないかと考えます。

こんにゃくゼリーも餅と同じです。餅と同じように食べられる年齢を制限すべきだと思います。
こんにゃくゼリーを食べられた方ならわかると思いますが、こんにゃくゼリーは通常のゼリーと異なり、何度も噛まないと噛み砕くことができないくらい弾力性の、歯ごたえのある食感があります。そこがこんにゃくゼリーの人気のあるところではあるのですが、歯を多数失い、入れ歯を装着している高齢者や乳歯しかない幼児、永久歯と生え変わりつつある混合歯列期の小学生の場合はどうでしょう?健全な永久歯を持つ人と比べ、噛む力が弱く、咀嚼効率も劣ります。
子供が持っている乳歯は何本あるかご存知でしょうか?乳歯が全部生えそろうと20本です。それに対し、永久歯が全部生えそろうと、親知らずを含めれば32本です。
また、乳歯は永久歯に比べ大きさが小さいもの。ということは、実際に食べ物を噛むための歯の表面積を考えると、子供のものは大人のものよりもはるかに小さいことがわかります。すなわち、子供にいくらしっかり噛むように伝えたとしても、20本の乳歯しかない子供や永久歯と生え変わりつつある学童が大人と同じようにしっかり噛むには難しいところがあるのです。

今回の7歳児のこんにゃくゼリー窒息事故に関して、僕はこの生徒の口の中を見たわけではありませんが、まだ乳歯が多数残り、永久歯と生え変わっている最中の状態であることは確かです。

こんにゃくゼリーは意外に粘膜にくっつきやすい食材でもあります。飲み込んでいる最中、のどの粘膜に接触すると、くっついてしまう可能性があるのです。特に、食道と気管が枝分かれする咽頭でくっついてしまう非常に危険です。こんにゃくゼリーが気管を塞いでしまうようなことになるため、窒息の原因となります。こんにゃくゼリーは飲み込む時の食感が良いと言う人もいるようですが、これは危険と隣り合わせなのです。

こんにゃくゼリーはのどに詰まってしまうと、その物性上、背中をたたいたくらいではのどにひっかかったゼリーを取り除くことが困難です。専用の器具を口からのどに入れて取り除かなければいけない場合が多いのです。

これらのことを考えると、こんにゃくゼリーは、幼児や永久歯に生え変わっていない生徒、歯を多数失った大人や高齢者に食べるべきではないと思うのです。どうしても食べなければならないというのであれば、こんにゃくゼリーをのど詰めしないぐらい細かく砕いてから食べるような工夫が必要でしょう。

たかが食べ物かもしれませんが、幼児や永久歯と完全に生え変わっていない学童、歯を多く失い反射が鈍くなった高齢者の場合、食べ物によっては物性をよく考えながら食べないと死に至るリスクがあることを肝に銘じて欲しいと思います。



2007年05月23日(水) 子育てが終われば孫育て

昨夜、夕食後、僕は嫁さんと話をしておりました。話の内容は自分たちの年齢と子供たちの年齢のこと。
僕は今年41歳、嫁さんは一つ下の40歳です。子供はといいますと、上の子供が9歳、下の子供が5歳であるわけですが、これから10年後どうなるのだろうかということを話していたのです。

「僕ら夫婦が50歳になってようやく息子の一人が大学生か?」
「どんな大学生になるのかわからないけど、もし、医者や歯医者になるのであれば、さらに6年間は学生を続けるわけだよね。その後、免許を取って研修して、結婚し、家庭を持つ。そうなると我々夫婦は60歳近くなるよ。」
「考えてみただけでもぞっとするなあ。」

そこで話は僕の両親の年齢となりました。親父は今年76歳、お袋は64歳。親父とお袋は同じ未年でありながら一回り違う夫婦です。よくも一回り違う年齢差にも関わらず結婚することができたものですが、今更ながら我々夫婦が驚いたのは、お袋の結婚年齢でした。
お袋が結婚したのは22歳。すなわち、大学を卒業してから直ぐに結婚したのです。お袋は全く社会人を経験せず、直ぐに結婚し、子供を産んだことになるのです。どうしてそのようなことになったのか?
かつて、僕はお袋の母親である祖母にそのことを尋ねたことがあります。その時、祖母はこんなことを言っておりました。

「あなたのお母さんはね、就職したら絶対に結婚できないタイプだったのよ。私は自分の娘のことだからよくわかるのだけど、あなたのお母さんは気が強くて、負けん気が強い子だった。もし、大学を卒業してどこかの会社や企業に就職したなら、わき目も振らず仕事に専念したでしょうね。今風に言えばキャリアになる可能性が大きかったのよ。そうなったらあなたのお母さんは絶対に婚期を逃すということが私には見えていたんだよ。そこで、私はあなたのお母さんを就職をさせず、直ちに結婚相手を探して結婚させたわけよ。そら、あなたのお母さんは文句タラタラだったけど、当時の私も元気だったからね、強引に説き伏せて結婚させたのよ。」

少し前まで、女性の結婚はクリスマスケーキみたいなものだと言われた時期がありました。24歳を越えると女性は婚期に遅れるなんてことが言われていたものです。今となっては信じられない話ですが、このクリスマスケーキのたとえ話よりもずっと前の時代に、お袋はクリスマスになるはるか前に結婚し、僕や弟を産んでいたのです。
お袋が結婚した当時、お袋の学生時代の友人たちは、ほとんどが社会人として働き、活躍していたとのこと。そんな中、お袋は家庭で子育てに専念していたことになります。子育てに専念するということは聴こえはいいものの、お袋にとって内心は穏やかではなかったようです。自分が社会人として働きたい気持ちがつよかったのに、祖母に強引に説き伏せられ結婚させられたことを後悔した気持ちが強かったといいます。自分だけが他の友人から取り残されたような疎外感さえ味わったようです。さぞつらかったことでしょう。

その気持ちが影響したのでしょうか、親父が某大学歯学部を退職し、歯科医院を開業する時には、お袋は自分も歯科医院の仕事を手伝いたいと強く主張したそうです。親父もお袋が歯科医院の仕事を手伝うことに異論はなく、開業時から今に至るまで、うちの歯科医院は開業から親父とお袋の二人三脚でやってきました。
お袋が生半可な気持ちで歯科医院の仕事を手伝ったわけではなかったのは、僕にはよく理解できます。治療の流れ、患者さんの介助、受付業務、スタッフの労務管理など、親父が治療に専念できるようにお袋が裏方で頑張ってきた姿を僕は何度も目にしていたわけですから。お袋の歯科や歯科経営に関する知識や経験は、若手のスタッフには太刀打ちできないものでしょう。

お袋も今年で64歳。若くして結婚し、子供を産み、歯科医院の仕事を手伝いながら、他の同級生よりも早く子育てを終えたわけですが、今や僕の子供である孫の面倒までみている始末。体力的には以前より衰えがありますが、それでも、孫の面倒を見るのもまんざら悪くはなさそうです。

「自分の子供を育てている時はどこかいらいらしていたよ。若くして母親になったし、子育ても初めてだったから、しょっちゅう子供には厳しく当たっていたよね。自分ではそうではいけないと思っていても、どうにもならなかった。悪かったと思っているよ。そんな気持ちもあってね、○○ちゃんや△△ちゃん(僕の息子のことです)を見ていると、あなたの小さかった頃を思い出すのよ。もう一度子育てのチャンスを与えてもらったような気がするのよ。適当に年も取ったから、私もそれなりに忍耐強くなったから、怒らないで子守をしているわよ。」

僕が幼少の頃、お袋はしょっちゅう怒っていた印象が強くあります。怖いお袋にビクビクしていた時期があったことを僕も昨日のことのように覚えています。その時に比べれば、孫達へのお袋の接し方はそれこそ大人の接し方といえるくらい、余裕をもっているように思えます。年の功というやつかもしれません。

果たして、社会人を経験せず、若くして結婚したお袋の人生が良かったのかどうか、僕にはわかりません。ただ、今となってお袋は自分の人生に悔いは無いといいます。

「人生というもの、いろんな選択肢があっていいと思う。ただ、言えることはどんな選択肢を選らんだとしても一生懸命生きること。そうすれば、人生には何かよいことがあるものよ。」

僕はお袋がこれからも元気に、日々笑って過ごすことができるような人生を歩んでいって欲しいと願って止みません。



2007年05月22日(火) 恩師から先生と呼ばれて

医者、歯医者、政治家、弁護士、教師などの職業の人たちは常日頃、周囲から“先生”と呼ばれています。手元にある某国語辞典によれば、先生とは師匠、教師、医師、政治家、弁護士などを呼ぶ尊敬語なのだとか。元来、何か特殊な知識、技術、経験を持っている職業の人のことを、ある種の畏敬の念を込め、“先生”と呼ぶようになったのかもしれません。

何を隠そう、僕も常に患者さんやスタッフから“先生”と呼ばれています。うちの歯科医院に来院する患者さんやスタッフは、僕より年配の方が多いのですが、そんな人生の先輩の患者さんから“先生”と呼ばれるのは今もって恥ずかしいところがあります。
ただ、歯科医院という仕事場では、僕が職場の長でもありますから、スタッフから“先生”と呼ばれることで職場の調和が保たれるところがあります。そのため、仕方なく“先生”と呼ばれなければならないところがあるにはあるのです。

ただ、僕の本音としては、僕は“先生”と呼ばれることは好きではありません。その理由は、ずっと“先生”と呼ばれ続けていると、心のどこかで慢心が生じ、天狗になってしまうのではないかという危機感があるからです。
僕はまだまだ未熟者です。まだまだ学ぶべきことはたくさんありますし、日々いろいろと試行錯誤しながら仕事をしているくらい。現状では満足したくない。そんな思いを持っていると“先生”と呼ばれるにはまだ早いという意識が僕の心の中にあるのです。

そういった意味では、インターネットの世界で僕のことを“そうさん”と呼んでもらえるのは実に気楽なものです。どんな立場の人間であろうが、誰もが平等であるインターネットの世界は、気楽なものです。“先生”と呼ばれず、“そうさん”と呼ばれることに僕は心地良さを感じますね。

今回、どうしてこのようなことを書いたかと言いますと、先日、ある患者さんの治療をしたからなのです。その患者さんとは僕の恩師M先生でした。
誠に有難いことなのですが、僕が中学、高校時代に世話になった恩師の何人かが歯の治療のためにうちの歯科医院に来られているのです。当然のことながら、僕は恩師の先生に対し、“○○先生”と言いながら歯の治療をさせてもらっています。M先生もそんな恩師の一人なのですが、プライベートでは僕のことを名前で呼ぶのですが、歯科医院の中では僕のことを“先生”と呼ぶのです。
僕は歯医者ではありますが、M先生からすれば教え子の一人に過ぎません。僕にとってもM先生がいつまで経っても恩師であることに異論はなく、今もって“先生”ではあるのですが、そんな恩師が僕のことを“先生”と呼ぶのです。
かつて僕はM先生に
「“先生”と呼ばなくてもいいですよ、恥ずかしいですから。」
と申し出たのですが、M先生曰く

「歯科医院では私はそうさんに世話になっているんだよ。そうさんが私の教え子の一人であることは間違いのないことだけど、このことと歯の治療のこととは全く別だよ。私は歯科医院でそうさんのことを“先生”と呼ぶことに全く抵抗感はないし、むしろそのように呼ばないと失礼ではないかと思っているんだよ。」

確かに歯科医院では僕はM先生の歯の治療を担当する歯医者の“先生”ではありますが、僕にとっては人生のある時期を世話になった恩師です。そんな恩師がかつての教え子を“先生”と呼ぶことができる懐の深さ。僕は恩師の先生に頭が上がりませんでした。果たして僕が同じような立場になった場合、自分の教え子に対し“先生”と呼ぶことができるだろうか?僕には自信がありません。
これまでもM先生には単に教科書的なことだけではなく、人生の生き方についても学んできましたが、まだまだM先生には教えて頂くことがありそうです。



2007年05月21日(月) 憧れのサイト 突然の閉鎖

歯医者さんの一服日記を書き始めて4年10ヶ月になろうとしていますが、いくつかのテキストサイトに刺激を受け、影響を受けてきています。どのサイトも僕が読者として読み続けているテキストサイトではあるのですが、その中のテキストサイトの一つが突然閉鎖されました。

そのサイトは僕が歯医者さんの一服日記を書き始める前から開設されていたテキストサイトで、僕自身そのサイトのファンでもありました。単に一ファンというだけでなく、気がつけばいろいろとメールや掲示板に意見を書き込む常連のようになっていました。その結果、自分自身でも何かテキストを書き、インターネット上で公開したいという思いを抑えられなくなり、僕は歯医者さんの一服を立ち上げたぐらいです。いわば、そのテキストサイトは僕にとって生みの親であり、育ての親のような思い入れの強いサイトの一つだったのです。

そんなサイトの突然の閉鎖。これまでほぼ毎日更新されてきたサイトであったのですが、ここ数ヶ月更新の頻度が減少してきていました。いろいろと事情があるのではないだろうか?とは思っていたのですが、どうもサイト開設者の仕事が忙しくなり、テキストを書き続ける時間的余裕がなくなったようなのです。
このような場合、更新の頻度を少なくしながらサイトを続けることもできるはずですが、このテキストサイト開設者は毎日更新できなくなった時点でテキストを書くモチベーションがなくなってきたらしいのです。

僕はこの気持ちの変化を理解できます。僕自身、日記を書き続けて4年10ヶ月になります。ほぼ毎日駄文を書いてきているわけですが、いくら駄文でも長年書き続けてきていると、生活のリズムの一つのようになってしまうのです。日記を書くことが一日の日課の一つになったとでも言ってもいいでしょうか。それができなくなってしまうということは、生活のリズムそのものに変化が生じているということになります。一度狂い始めた生活のリズムを立て直すには、一日の日課を見直さなければならない。日記を書く習慣そのものを見直すことになってくるのです。
その際、日記を更新する頻度を下げるという選択肢もあるにはあるのですが、長年日記を書き続けている人にとって日記を更新する頻度を下げるという選択肢は何か中途半端な選択肢のように思えてならないところがあるものなのです。日記の更新頻度を下げるくらいなら、いっそうのこと日記の更新そのものを止めてしまう。All or Nothingしか選択肢がないように思えてしまうのです。
僕の場合もいつまで歯医者さんの一服日記を書き続けられるかわかりませんが、おそらく僕もこれまでのペースで日記の更新頻度を維持することが難しくなれば、日記を止めてしまう可能性が高いように思います。

僕にとって長年ファンであったテキストサイトが閉鎖されたことで、僕は一種の喪失感みたいなものを感じています。例えるなら、長年憧れていた女性が突然失踪して僕の周囲からいなくなった状況とでも言うべきでしょうか?それくらいショックな出来事だったのです。

そんな思いを持ちながらも僕はこのテキストサイトの開設者に伝えたい。

長年、僕に夢を与え続けてくれてどうも有難うございました!



2007年05月19日(土) 匂いもいろいろ

今年に入ってから僕の親族には新たなメンバーが加わりました。一人は弟の二人目の子供。すなわち、僕の甥っ子なのですが、3月に誕生した赤ん坊です。もう一人が従妹の二人目の男の子。二人とも元気な男の赤ん坊なのですが、最近、二人の赤ん坊が我が家を訪れました。
“赤ん坊ってこんなに小さかったっけ?”と思いたくなるような大きさ。僕の二人のチンチンボーイズたちも赤ん坊の時期があったはずなのですが、今の彼らのはしゃぎぶりに接していると赤ん坊の頃のことは既に過去の記憶にも残っていないように思えます。
ただ、二人の赤ん坊を抱かしてもらうと懐かしい匂いがしました。そうです、赤ん坊独特のお乳の匂い。思い起こせば、僕の子供である9歳と5歳のチンチンボーイにもそんな匂いのする時期があったものです。今やお乳の匂いは全くなくなり、特に9歳のチンチンボーイはそろそろ少年らしい汗臭い匂いがしてきました。

匂いというのは様々な思い出が伴っていることが多いのではないでしょうか?僕自身、様々な匂いにこれまで付き合ってきた男性、女性、住まい、仕事場、街角、自然などの思い出が思い浮かびます。
嫁さんがらみの匂いで思い出すのが、嫁さんの愛車の匂い。嫁さんと付き合いだした時、僕はよく嫁さんの自家用車に乗せてもらったものですが、中からほんのりと天然の芳香がするのです。嫁さん曰く、

「ラベンダーのポプリの匂いだったのよ。」

嫁さんとは遠距離の交際だったのですが、嫁さんの地元に遊びに行った時、いつも嫁さんは自家用車で迎えに来てくれました。その自家用車に漂うポプリの匂い。この匂いをかぐと、嫁さんの側にいるという安心感、ときめきを感じたものです。
今でも嫁さんは自分の車にこのラベンダーのポプリを使用していますが、その匂いをかぐ度に僕は思わず、結婚前の嫁さん一緒にドライブをした時のことを思い出すのです。

匂いという意味では、歯医者も独特の匂いがするものです。歯医者のにおいの成分はいろいろとあるでしょうが、独特な匂いはアルコールの匂いやある種のセメントの匂いが主なものかもしれません。

かつて、僕が某歯科大学の学生時代、僕の親友の一人が僕の診療所を訪ねてきたのですが、診療所に入るや否や

「歯医者の匂いがする!」
と大声で言ったものです。
親友のお父さんも歯医者でした。親友も僕と同様、歯医者の家庭として育ってきたのですが、そんな親友にとって僕の診療所の匂いから同じ歯医者の家庭で育ってきた、同じ穴のむじなである意識が匂いから感じられたのかもしれません



2007年05月18日(金) 講義後の質問と思いきや・・・

以前、こちらの日記で書いたことですが、僕は週1回、診療を休み某専門学校へ講義を担当しています。特に、4月が始まってから5月中旬までは2校の専門学校での講義があります。
講義の準備は普段の診療の合間や休日に行うわけですが、単に教科書に書かれている内容だけを講義するだけでなく、内容の元になっている資料や関連の内容についても確認をしないといけません。下調べって結構時間がかかるものですね。

それだけ準備をして講義をするわけですが、何よりもうれしいのは講義の後に質問を受けることです。
質問があるということは、僕の講義を聞き、内容を理解しようとしてくれている証拠と言えます。僕の講義に対して反応があるわけです。
講義をすることでお給金も頂きます。当然のことながら有難く感じるわけですが、お金以上にやりがいを感じるのは、僕が教えたことに答えてくれる学生、後輩たちが反応を示してくれることです。僕はこれまで人様に教えた経験があまりありませんが、教師の醍醐味の一つはこのようなところにあるものかと感じる今日この頃。

ただ、講義の後の質問といっても様々です。最近、受けた質問では

「先生、グーグルアースってどうやってダウンロードするんですか?」
「自衛隊の駐屯地ってどこにあるんですか?」

”一体何を講義で教えているんだ?”と突っ込まれそうですが、講義の合間の雑談でグーグルアースの話をしたり、この日記でも書いた自衛隊での話をしたことに興味を持った学生からの質問でした。

先日、某専門学校での講義が最終回を迎えました。わずか1ヶ月の間の講義だったわけですが、特に問題もなくほっとして、教壇の荷物を整理して教室を出ようとすると、女子学生の一人がやってきました。

「先生、お願いがあるんですけど。」

一体何事だろう?何か質問でもあるのだろうか、それとも、名残惜しいということを言いに来たのだろうかというような、少しスケベ親父のようなことが一瞬頭の中をよぎったのですが、

「実は、私の上の奥に親知らずがあるんですけど、どうも穴が開いてむし歯になっているみたいなんです。親知らずですから抜歯した方がいいと思うのですが、先生、抜歯してもらえませんか?」

これには僕もびっくりしました。僕が担当している科目はある語学関係の講義だったのですが、抜歯を含めた歯科口腔外科関係の講義はしていません。

たぶんに僕の講義中の雑談なのかもしれません。科目の内容ばかりだと退屈なる可も知れないという思いから、講義の合間に僕がしている普段の歯科診療の話をしているのですが、たしかその雑談の中に親知らずの抜歯の大変さを話しした記憶がありました。学生はどうもそのことを記憶していたようで僕に抜歯を託そうとしていたようでした。

本当に僕に抜歯をしてもらいたいならば、担任の先生を通じ、僕の診療所に連絡を取り、予約と取ってもらうように伝えましたが、それにしても講義の後で歯を抜いてくれなんてことを言われる先生はきっと数少ないことでしょう。
そんな珍しい体験をした、歯医者そうさんでした。




2007年05月17日(木) アレ持ってきて下さい!

先日、発表されたサラリーマン川柳ベスト10。今年で第20回ということなのだそうですが、発表される川柳にはいつも笑ったり、思わず大きく頷いたりするものばかり。時代の流れとサラリーマンの言動、所作を面白おかしく、わずか五七五の17文字に的確にできる表現ができるものだといつも感心します。

そんな川柳の中で、僕が思わず感心してしまった川柳の中にこんな川柳がありました。

アレどこだ?アレをコレするあのアレだ!

何か物を探したり、他人に何かを要求する際、目的とする単語が思い浮かばず、思わず“アレ”“コレ”“ソレ”と言ってしまう。この手のことが多くなると、老化が始まったと揶揄されることが多くなってくるわけですが、ここだけの話、最近の僕もこのような“アレ”“コレ”“ソレ”を使ってしまう場面が多いように思います。特に多いのが僕の仕事場である診療所の中です。

診療中、必要となった道具類、材料をスタッフに診療台まで持ってきてもらうことがあるのです。僕の頭の中では必要とする道具類、材料のイメージが浮かんでいます。ところが、その名前がとっさに口から出ないのです。

最近あったケースでは、抜歯の最中、ガーゼが足らなくなったので
「ガーゼが補充して下さい」と言いたかったところ、とっさに“ガーゼ”という言葉が思い浮かばず、
「アレを補充して下さい。」

部分入れ歯にはクラスプと呼ばれる歯にひっかける留め金のようなものがあります。このクラスプを調整する器具にプライヤーという器具があるのですが、 “プライヤー”という言葉が口から出ず、
「アレ持ってきて下さい。」

歯の神経を治療する際、リーマーと呼ばれる細い針金のような鋭利な器具があります。歯の神経の治療では無くてはならない器具で頻繁に使用する器具ではあるのですが、この“リーマー”が言えず
「アレの15番をお願いします。」

僕自身よく自覚しているつもりです。“アレ”しか言えない自分でも情けないことしきりです。それでも、周囲のベテランスタッフは心得たもので僕が要求しているものを診療の流れから読んでくれています。そのため、僕が“アレ”といっても“アレ”が何を指しているか概ねわかってくれているのです。
しかしながら、あまりにも“アレ”“コレ”“ソレ”言葉ばかり使い出うのも恥ずかしいため、時には必要とするものを自分で探して診療台に持ってくることもあります。トホホ・・・。

こんなことを書けば書くほど、情けなくなりますね。川島隆太教授編集の脳トレをしないといけないだろうか?

そんな不安が日に日に大きくなる、歯医者そうさんです。



2007年05月16日(水) 頑張れ、熊本のヨン様

「これはヨン様だよ!」

テレビを見ていた嫁さんが大きな声で言いました。
“一体何事だろう?”と思い、嫁さんが見ていたテレビを見ていると、そこにはヨン様ことペ・ヨンジュンが出ているではありませんか!
ただ、ペ・ヨンジュンにしては日本語が流暢だし、何となく洗練されていないような気がしたのは僕だけではなかったようで、嫁さん曰く、

「本物のヨン様に比べたら、どこか野暮ったいところがあるよね。」

そうです。ヨン様のように見えた方は、熊本県あさぎり町の公務員の方だったのです。今から4年ぐらい前、冬のソナタが放映されて依頼、この方はヨン様に似ているということで地元ではかなり評判だったようで、いくつかのテレビ番組にも取り上げられていたようです。その後、なりを潜めていたようですが、この度某テレビ局や某新聞社に取り上げられたことにより、我々夫婦も知るところとなったのです。

これまでヨン様似のタレントや一般の方が何人もマスコミに紹介されてきたものですが、正直言ってどの方も“本当に似ているのかな?”と思うような人ばかりでした。けれども、今回取り上げられた熊本のヨン様は今まで僕が見てきたヨン様似の方の中で最もよくヨン様に似ていると言えるでしょう。身長、体重ともヨン様と変わりなく、髪型も冬のソナタに出演していた頃のヨン様のような髪型です。

「どうしてこんな所にヨン様がいるの?」
「あなたはペ・ヨンジュンですか?」
と何度も女性から尋ねられたというのも頷けられます。

どうも熊本県あさぎり町のPRも兼ねてマスコミに取り上げられている、36歳独身の熊本のヨン様。口元に関しては、頂けませんでした。本物のヨン様は上の前歯は全てメタルボンド冠と呼ばれる白い陶材で被われた被せ歯で、微笑んだ口元から白い歯が見えたものです。微笑んだ際に見えたメタルボンド冠の白さがヨン様の魅力の一つと謳われていましたが、熊本のヨン様は右上の前歯の一本が捻転しており、しかも、歯周病があるせいか、歯間に隙間があります。この状態では口臭があっても不思議ではありません。せっかくのヨン様に似た風貌なのに口臭があるのでは興ざめです。ここは仕事の合間に歯科医院に行って、歯周病の治療、指導を受けた方がいいのになあと感じた、歯医者そうさん。

それはともかく、未だに日本では女性を中心に絶大な人気を誇るヨン様。そんなヨン様に極めて似ている風貌をお持ちの熊本のヨン様。是非、これからも熊本県あさぎり町のPRのために、宮崎の県知事に負けないぐらい活躍して欲しいものです。



2007年05月15日(火) プロが見分ける繁盛歯科医院の見分け方の一例

よく捕物帳のような江戸時代の小説を読んでいると、目星をつけた容疑者やその関係者と思われる人たちを見張っている密偵の話が出てきます。この手の小説には、犯人の身柄を確保するためには、逮捕に至るまでの事細かな過程が書かれているものですが、密偵の活躍は思わず手に握ってしまうことが多いものです。
密偵は、容疑者や関係者を尾行する場合が多いのですが、それだけでなくどんな輩が出入りしているかアジトや住まいを見張っている場面があるものです。
この見張りの場面でしばしば出てくるのが洗濯物を観察する様子です。どんな洗濯物を干しているか、誰が洗濯物を干すかなどをみることにより、アジトや住まいの人員構成や生活の様子を垣間見ることできる。そのことが即事件解決には至らないものの、犯人をめぐる人間関係や生活の様子を探ることにより、事件解決の糸口になるようなものを見る事ができるということです。

先日、ある歯科関係の業者の人から聞いた話ですが、どんな歯科医院が繁盛しているか見分け方があるという話を聴きました。歯科医院を直接訪問すれば、そのようなことはある程度わかるかもしれないのですが、直接歯科医院を訪問しなくても、あることを基準に見ていけば歯科医院が繁盛しているかどうかがわかるというのです。一般の方からすると想像もつかないその基準の一つに、歯科医院が注文する石膏の注文量だというのです。

患者さんの治療計画を立てる際、上下の歯の歯型を取り、模型を作ります。患者さんの口の中を診ればある程度の現状は把握できるものではあるのですが、模型を作ることにより、違った視点、目線で患者さんの現状をより客観的に分析、診査、診断することができます。
また、
歯科医院では患者さんの詰め物、被せ歯、差し歯、入れ歯などを作る際、必ずといっていいほど歯型を取ります。歯型を取った後は、歯型に石膏を流し込み、模型を作ります。患者さんの詰め物、被せ歯、差し歯、入れ歯はこの模型を元に作っていくわけですが、患者さんの数が多いと自ずと石膏の使用量が増えるというのです。
患者さんはいろいろな患者さんがいます。何も詰め物、被せ歯、差し歯、入れ歯を必要とする患者さんだけが来院するわけではありません。歯の悪くない人は歯磨き指導だけ、歯石を除去するだけの方もいます。また、抜歯だけの患者さんの場合も石膏は関係ないことでしょう。ただ、こういった患者さんは多くの歯科医院では少数であり、経営のことを考えると、どうしても詰め物、被せ歯、差し歯、入れ歯を作り、セットすることで儲けを確保しないといけないのが厳しい現実です。その際、どうしても避けられないのが石膏を用いた模型作りなのです。

ところで、歯科医院で使用する石膏といっても一種類だけではありません。用途の応じて大きく分けて三種類の石膏が使われています。普通石膏、硬石膏、超硬石膏の三種類です。それぞれ石膏の硬さによって分類されているのですが、概ね、診断用には柔らかく、廉価な普通石膏を、被せ歯や差し歯、入れ歯といった補綴物と呼ばれるものの製作用には硬めの硬石膏、超硬石膏を用いるものなのです。

話を元に戻しまして
歯科医院には出入りの歯科材料店の担当者がいるものです。そうした歯科材料店の担当者は、逐一自分が担当している歯科医院で必要としている歯科材料をチェックしていますが、その中でも石膏の注文量をチェックすることで、自分が担当している歯科医院が繁盛しているのか、していないのかが自ずと見えてくるというのです。歯科材料店の担当者は顧客である歯科医院の院長には他の歯科医院と比較するようなことは言わないものですが、実際のところは歯科医院の繁盛具合を見つめているとのこと。その目安の一つが石膏の使用量。それは、まるで密偵が目星をつけた犯人や犯人関係者の住まいの洗濯物を見て、彼ら、彼女らの生活環境を憶測するのと同じような感じです。

我が歯科医院でも毎日石膏を使用し、模型を作っていますが、うちの歯科医院に出入りしている歯科材料店の担当者は密かに石膏使用量をチェックしているかもしているでしょうね。

う〜ん。複雑な思いがする歯医者そうさんです。


最後に、告知というわけでもないのですが・・・
諸事情により明日の日記は更新できないかもしれません。今日の状況次第なのですが、場合によっては明後日以降になる可能性があります。悪しからずご了解下さい。



2007年05月14日(月) 自衛隊歯科医官OBのお誘い

昨日の日曜日は、朝早くから出かけておりました。何処へ出かけていたかといいますと、自衛隊の某駐屯地。某駐屯地と某師団の開設○○周年の記念行事に行かないかと誘われ、行ってきました。

この駐屯地の側は頻繁に自動車で通るところではあったのですが、実際に中に踏み入ったのは今回が初めて。普段、歯科の診療所の内側しか見ていない僕にとって、迷彩服や戦闘服、小銃をもった自衛官が多数いる光景は非日常。非常に新鮮に見えましたね。




午前は開設○○周年を記念しての観閲式。多くの自衛官の行進と共に多くの戦闘車両や訓練の一部を間近で見させてもらいました。











この催し物で誘って頂いたのは地元歯科医師会のY先生でした。実はY先生、某歯科大学を卒業後、歯科医官として入隊していた経歴を持っている方です。自衛隊OBの方なのです。

歯科医官に関してはこちらの説明を参考にして欲しいのですが、ご本人曰く

「実際に自衛隊にいた時は患者さんの治療よりも銃を撃つ訓練の方が忙しかった」
とのこと。歯科医官といっても自衛官の一人。自衛官としての訓練も一通り受けなければいけなかったそうです。実際の生活としては、歯科の仕事よりも訓練の方が忙しかった記憶しかないのだそうですが、それくらいY先生にとっては自衛隊での生活は肌に合っていたのかもしれません。

Y先生のように全国の大学歯学部、歯科大学を卒業後、自衛隊で歯科医官として任務する歯医者は何人かいるものです。今の状況はよくわかりませんが、全国の大学歯学部、歯科大学の卒業生対象の求人の中には自衛隊からのものがあるのだそうです。
思い起こせば、僕の大学の女性の先輩の一人も大学卒業後、自衛隊に入隊し、歯科医官として某地に赴任されたという話を伝え聞きました。

「私が自衛官だということで怖がって男が近寄ってこない!」
と苦笑いされていたことがありましたね。

また、僕の同級生の一人も自衛隊に入隊し、任務を遂行しながら一昨年、除隊し、開業歯科医として働いています。

今回のY先生は、自衛隊OB、予備自衛官として今も自衛隊と関係を続けているそうで、今回の自衛隊の催し物もそんな先生宛へ招待状が送られてきたのだそうです。

「大きな声ではいえないけど、この催し物には予備自衛官としてノルマみたいなものがあるんや。最低でも数人は招待客を連れて行かないといけないんや。」
既に自衛隊を除隊されたとはいえ、予備自衛官としての仕事には表からは見えない苦労のようなものがあるようです。

催し物終了後、Y先生が僕に語ってきました。

「せっかくの休みのところ参加してくれて有難う。俺の予備自衛官としての面子も立ったよ。もし、今後、有事があった時には必ずそうさんを助けるからな。」

この先、有事が無いことを祈るのみです、ハイ。



2007年05月13日(日) クイズの回答

それでは、昨日のクイズの回答です。

問題1の正解は3です。
宇宙船や飛行機の中では、空気圧の関係でむし歯がすごく痛くなります。
けれども、きちんと治してあれば大丈夫。あなたも宇宙飛行士になるのですよ。

問題2の正解は3です。
NASAでは宇宙飛行士の選考基準に、
・普通食を充分にかめる歯をもつこと
・明確に発音できること
とあり、総入れ歯では失格です。

ところで、歯周病に関しては、歯肉炎までは大丈夫なようですが、中等度以上の歯周炎ではいつ痛くなるかわからないので宇宙飛行士にはなれません。

問題3の正解は1と4です。
NASAのマニュアルでは、歯が痛くなったら、まず痛み止めの薬を飲むことになっています。それでも効かなかったら抜歯することになっています。宇宙飛行士になる訓練の中には抜歯訓練があり、宇宙船には抜歯器具も搭載されているのです。

問題4の正解は全てです。
宇宙は無重力なので、歯を磨くために腕を動かすと体も大きく動いてしまいます。
また、うがいすると水滴が空中一面に漂います。うがいはできないのです。
NASAではそのままゴックンと飲みこんでもよい特殊な歯磨き剤を使っています。
ただ、どうしても飲み込むのが嫌な宇宙飛行士はティッシュペーパーに吸わせてから捨てているそうです。




2007年05月12日(土) たまにはクイズでもいかが?

今日はいつもと趣向を変えて、クイズを4題出したいと思います。

ある歯科関係の本に掲載されていたものですが、正直言って僕も知らなかった内容です。
各問題には選択肢がありますが、正解は一つだけとは限りません。一つだけ正解のものもあれば、全部正解のものもあったりします。問題は全て、歯と宇宙飛行士がらみの問題ですが、一度お試しあれ。

それでは、問題です。



問題1
小さなむし歯でもあると宇宙飛行士になれないのでしょうか?
1.絶対になれない。
2.小さなむし歯だったらよい。
3.治療してあればよい。



問題2
総入れ歯にしたら宇宙飛行士になれるでしょうか?
1.むし歯にならないのでなれる。
2.総入れ歯をすればなれる。
3.総入れ歯ではなれない。



問題3
もし宇宙で歯が痛くなったらどうするでしょうか?
1.痛み止めを飲む。
2.痛い歯をカメラで写して地球に送り、指示をあおぐ。
3.直ぐに地球に帰還する。
4.他の宇宙飛行士が歯を抜く。



問題4
宇宙で歯磨きが行い難い理由とは一体何でしょう?
1.歯ブラシを動かすと体がグルグルまわってしまうから。
2.ガラガラうがいができないから。
3.歯を磨いた後、それをゴックンと飲みこまなければならないから。



それでは、正解です・・・
といきたいところですが、正解は明日のお楽しみとして下さい。



2007年05月11日(金) 業界告発ネタを書くべきか

昨夜はゴールデンウィーク明け初めての地元歯科医師会の会合があり参加してきました。数多くの案件があり、いつもの会合以上に時間がかかったのですが、会合が終わるといつものように雑談。昨夜の雑談の話題の中心はある歯科関連製品の開発、販売裏話でした。歯科関係者であれば誰もが知っている製品に関する開発秘話や特許権の問題、アフタケアに関する裏話をいろいろと聞くことができました。中にはかねてから僕が疑問に感じていたことの理由もわかり、非常に興味深い内容でありました。

裏話というもの、どの業界にもあるものです。あまり大きな声で公開できないような微妙な話があちこちの業界にはそこかしこに点在しているものです。何を隠そう、歯科業界にもこの手の裏話というものがあります。正直言いまして、どの裏話もきれいな話ばかりではありません。むしろ逆であることが少なくありません。
当然ながら僕も歯科業界の裏話をいくつも知っているわけですが、果たして“歯医者さんの一服”日記ではどのようなところまで書けばいいのか悩むことがあります。
よく業界に関することを取り上げた日記やテキスト、ブログの中には、業界裏話と称して業界の陰の部分を取り上げ、中には告発するような内容のものが散見されます。僕もその手の内容のものを何度も見たことがありますが、自分が書くサイトでは書こうとは思いません。その訳は、“歯医者さんの一服”というサイトを立ち上げた動機です。

“歯医者さんの一服”をネットを立ち上げ、日記を更新しているのは、何も歯科業界の陰の部分を世間に知らしめることではありません。ともすると、敬遠されがちな、怖い、痛いイメージが強い歯科業界、歯医者の世界を少しでも親しみやすいものにしたいがために書いているのが“歯医者さんの一服”日記だからです。
歯医者の仕事の合間の休憩時間に、肩の力を抜いて話すことができる、思わず聞き耳を立てたくなるような話を書いていきたいのです。来る日も来る日も日記を書いているわけですから、常に誰もが楽しめるような日記を書き続けるわけではありません。むしろ、駄文が多いことは書いている僕自身が一番よくわかっていることです。それでも、普段なじみの薄い歯医者のことを一人でも多くの人に知ってもらい、歯や口の健康の大切さを認識してもらえるような内容のことを書くのが僕のモットーです。

業界の裏話的な話で告発ネタなどは読者の受けがいいのかもしれません。けれども、この手の裏話を書いていることはとどのつまり、歯科業界に対するイメージを悪くするだけではないかと僕は思うのです。
歯科業界は狭い世界ですし、特殊な世界でもあります。それ故、陰の部分がないとは断言できませんが、告発ネタのような話ばかり書いていると、いたずらに歯科や歯科業界に対するイメージを壊すだけであり、敬遠されてしまうのではないでしょうか?それは僕の本意ではありません。
単にアクセス数をかせぐならば、歯科業界の告発ネタのような話を書き続けば目的は達成されるのかもしれません。僕はアクセス数は限られてはいても、縁あって僕のサイトを訪れ、僕の駄文を読んでくれる読者が歯科や歯医者に対する心証を少しでも良いものにしてもらえればと思うのです。そのことが、微力ながらも皆さんの歯や口の健康維持に繋がるのではないか?そう信じて僕は日記を書いています。



2007年05月10日(木) 免許証の重み

僕は昨年から某専門学校で非常勤講師をしています。週1回、診療を休んで教壇に立っているわけですが、非常勤講師になる際、某専門学校側からいくつかの書類を書くように指示を受けました。また、ある物の写しを提出することも求められました。
ある物とは、歯科医師免許証です。

全国29ある大学歯学部、歯科大学の6年間のカリキュラムを修了した者が国が定める国家試験を受験し、合格した者に初めて歯科医師免許証が交付される資格が与えられます。歯科医師国家試験に合格した者は、厚生労働大臣に免許申請をし、審査を受け、歯科医師としてふさわしいと判断された者がある名簿に登録されます。歯科医籍という名簿です。歯科医籍に登録された者に歯科医師免許証が交付され、歯科医師として患者さんの治療にあたることができるわけです。

僕は歯科医師免許証を持っています。これまでいくつかの職場を渡り歩いてきましたが、どの職場でも例外なく歯科医師免許証の写しの提出を求められました。もし、医療機関が歯科医師免許証を持っていない者を採用し、医療行為を行うならば、それは歯科医師法違反行為となり、罰則の対象となるからです。

“なんだそんなこと当たり前のことではないか?“
と思われる方が多いかもしれません。僕も当たり前のことだと信じて疑わなかったのですが、世の中には随分と大胆な輩がいるもので医師免許証や歯科医師免許証を持たないで診療行為をしている者がいるものです。

先日流れたこのニュース。僕はにわかに信じられませんでした。この輩は医師国家試験に受かりながら医師免許証の申請手続きを行わないまま、研修医として病院に勤務し、給料をもらい、しかも、研修医に禁止されているアルバイトまで行っていたというのです。
この輩を研修医として受け入れていた病院の責任は重大ですが、それ以上に医師免許証の申請手続きを行わなかったこの輩の行動が信じられません。せっかく医師になるために6年間の医師教育を受け、医師国家試験に受かっていながら医師免許の申請を行わずにいたという行為自体が信じられないのです。
どんな事情があったのかはわかりませんが、少なくとも人様の体を治療するという行為は医師免許証、歯科医師免許証がないと許されません。傷害行為に相当します。このようなこと誰が考えてもすぐにわかりそうなことですが、ばれないとでも思ったのでしょうか。1年近くにわたり無免許で医療行為をしていたというのです。開いた口が塞がりません。

手元にある国語辞典を紐解けば、免許とは“政府・(官公庁)が、特定の事をすることを許すこと”という記載があります。医師、歯科医師にとって“特定の事”とは患者さんに対する医療行為です。医療行為を行うことを業とする者は医師免許証、歯科医師免許証を持っていることが絶対条件のはず。

医療の世界は患者さんとの関係が複雑化している時代。患者さんにとって医療行為を行っている者は全て免許証を持っていると信じているはず。それが持っていないとなると、医療の信頼が根底から揺らいでしまいます。

これまでも無免許で医療行為を行い、世間を騒がしてきた事件がいくつもありました。今回のように医師国家試験に受かりながらも医師免許を持たないで研修を受けていたというのは珍しいケースかもしれませんが、如何なる事情があったにせよ、今回のような失態は声を大にして責められるべきことです。果たしてこの輩に医師免許証が交付される資格があるのでしょうか?自分が行っていた行為を猛省してもらいたいものです。



2007年05月09日(水) 『お気に入り』の整理

今回のゴールデンウィーク中、ある程度時間の余裕があった僕は、最低でも二つの整理をしようと思い、実行しました。
一つは部屋の整理。普段何気なく保管していたつもりの書類や本が部屋のあちこちに散乱していました。普段使用しているパソコンの周囲にも様々な本やノート、文献、メモ書き、葉書、手紙の山。

“これはなんとかせねば“
と思いながらも放置していたのですが、これ以上放置しておくわけにもいかず、ようやく重い腰を上げ、整理を行いました。
整理をしていると、大切な書類が出てきたり、探していたノートパソコン用のテンキーがみつかったり、または、上のチビが持っていたミニカーを発見などなど、見事にきれいに整理整頓できたのでありました。

“俺もやろうと思えばできるじゃん!”

部屋を整理した勢いで、僕はもう一つの整理に取り掛かりました。その整理とは、お気に入りの整理。

皆さんはインターネットのサイトを見るブラウザーは何を使われているでしょうか?大部分の方がインターネットエキスプローラーだと思います。僕のサイトについているログ解析を見ていると、8割がインターネットエキスプローラーを使用しておられています。
インターネットエキスプローラーには画面の左側に“お気に入り”がついております。皆さんのパソコンでも“お気に入り”に多くのサイトが登録されていることでしょう。かくいう僕もそんなパソコンユーザーの一人であるわけですが、整理下手な僕は、気に入ったサイトを無造作に“お気に入り”に登録してしまう癖があります。そのためか、気がつくと、お気に入りのスクロールがいつまで続くかわからないくらい多くのサイトを登録してしまっているのです。これではいつまでたってもすっきりとしたレイアウトの“お気に入り”になりません。
ということで、一念発起した僕は“お気に入り”の整理をすることに。
一年前、僕は新しいパソコンを購入し、データを移しました。その際、“お気に入り”も整理したのですが、その時以来の“お気に入り”整理です。

“お気に入り”の整理をしていると気がついたことですが、“お気に入り”に登録していたサイトのいくつもがリンク切れなっていました。僕は気になるニュースを“お気に入り”に登録してしまうことがあるのですが、これらニュースは一定期間が過ぎると、別のサイトに移ったり、ニュースそのものが消去されてしまいます。そのため、せっかく”お気に入り“に登録していても、再度確認しようとした時にはサイトを見る事ができないはめになってしまいます。
最近では、このようなリンク切れにならないように、魚拓サービスのようなサイトがあります。これに登録しておけばリンク切れになってもいつでもサイトを確認することができて便利ですね。ただし、魚拓があるということは如何なるサイトもインターネット上から消えることがないことを意味しています。もし、自分が書いたテキストを消去しようとしても自分では消去したつもりでも、インターネットのどこかで保存されている可能性があるのですね。考えてみれば恐ろしいことですね。いい加減なことをネット上では書けないということでしょうね。

数多くのリンク切れのサイトを消去し、残しておきたいサイトをフォルダーごとに分類し、移動させていきました。大体僕がつくったフォルダーは
“歯医者さんの一服関連”
“ブログ、テキスト、日記関係”
“日記ネタサイト”
“検索エンジン”
“新聞、ニュース”
“スポーツ関連”
“音楽サイト”
“パソコン関係”
“地元市関連サイト”
“医療関連サイト”
“歯科サイト”
“法律、法令集”
“食物、スイーツ”
などなど。
ここに書けないようなフォルダーもあるにはあるのですが、自主的に公表は控えさせてもらいます・・・。

とにもかくにも、一念発起して“お気に入り”を整理した結果、僕の“お気に入り”は見事にきれいに落ち着いたものとなりました。

ところが、ゴールデンウィークを過ぎて2日目にして、早くもお気に入りに無造作に登録されたサイトがいくつもできる始末。

自分で自分を笑うしかない、整理下手の歯医者そうさんでした。



2007年05月08日(火) ヘアスタイルを変えるきっかけ 後編

昨日の日記からの続きです。

先日のある夜、呑み会が終わってからの帰宅途中のことでした。僕は満員電車に乗り込んだ僕は立って本を読んでいました。すると、何やら僕の肩を叩く音が聴こえました。振り返ってみると、ある男性の姿が目に入りました。それは僕の長年の友人H君。

「そうさん、久しぶりやな。」

当初、僕は肩を叩いた人が誰だかわかりませんでした。その訳は、H君のヘアスタイルが以前のものと全く変わっていたからです。

H君とはほぼ1年ぶりの再開でした。
これまでH君と1年以上会っていなかったことはありませんでした。お互い歯医者ではあったのですが、時間を作っては会っていた間柄だったのです。
それがどうしてご無沙汰になってしまったのか?それはH君の家庭の事情にありました。

実は、H君には二人の息子がいましたが、下の息子さんが昨年亡くなったのです。後でわかったことですが、下の息子さんは生まれた時から難病に冒され、余命いくばくも無いと医者から言われていたのだとか。H君は奥さんと共に必死に下の息子さんの闘病生活を支えていました。忙しい診療の合間に、入院先の病院に通い、下の息子さんを励まし、時には奥さんに代わって看病もしていたそうです。
ところが、人生とは時に酷なことがあるものです。H君の必死の思いは届かず、下の息子さんは鬼籍に入ったのでした。

突然の知らせを受けた僕は直ちにH君の下に駆けつけました。駆けつけた直後のH君は憔悴しきっていました。無理も無いことです。下の息子さんのことで積み重なった心労と受け入れがたい死に直面していたわけですから。僕はH君にかける言葉が見つかりませんでした。

御棺に納められたH君の息子さんの亡骸を見ました。すっかりと土色に変色していた小さな幼い亡骸を見て、僕は涙を止めることができませんでした。まだ2歳という幼さで鬼籍に入ってしまった運命。子供が親よりも先に逝ってしまった悲しさ。H君の無念を考えると、僕はH君に掛けてやる言葉がみつかりませんでした。

告別式の後、僕はH君に連絡を取ることを控えていました。本当なら直ぐにでも声をかけてやりたいと思っていたのですが、大切な子供を失った悲しみに打ちひしがれているH君にはしばらくはそっとしてやった方がいいと自分ながらに考えていたのです。

それから1年、ぼちぼちH君に声を掛けようかと思っていた矢先、僕は逆にH君から声を掛けられたというわけです。H君の明るい声は、僕を安心させてくれたのですが、僕がそれ以上に驚いたのがH君のヘアスタイルだったのです。

かつて、H君のヘアスタイルは五分刈りのようなヘアスタイルでした。学生時代から武道をやっていたH君はヘアスタイルが常に短かったのです。大学を卒業し、歯医者になってからもそのヘアスタイルをしていたのですが、久しぶりに会ったH君は髪の毛を伸ばし、パーマをかけ、カラーリングをしていたのです。その姿たるや、少し前に流行したぺ・ヨンジュンのようなヘアスタイル。

「お前、この髪の毛、どないしたんや?」
「どうや、似合うやろ?」
「カツラやウィッグやないやろうな?」
「正真正銘の地毛やで。ハッハッハ・・・」
と笑ったH君には勢いがありました。下の息子さんが亡くなったショックは完全には無くならないでしょうが、ある意味、精神的にふっきれるようなところがあったのです。

H君がどうしてヘアスタイルを変えたのか?本当の理由は未だわかりませんが、少なくとも子供さんが亡くなり、しばらく時間が経過してからヘアスタイルを変えたことは事実です。Hくんのヘアスタイルの変化とH君の子供の死が何らかの関係があると考えるのは自然なことだと思います。

自らヘアスタイルを変えることで、過去の自分とは違った自分を見せたい。自分を変えたい。大切な子供を失った悲しみから立ち直りたい。そんなH君の思いがヘアスタイルを変えることになったのでしょうか。それとも、不安定だった気持ちが落ち着いたため、気分を一新するためにヘアスタイルを変えたのでしょうか?
電車の中でH君が僕に見せた、以前と変わらない屈託の無い笑顔を思い起こすと、ヘアスタイルの変化とH君の生き方に何らかの関係があることは間違いのないことのように感じたのです。
ヘアスタイルとはそんな力があるものなのか?たかがヘアスタイル、されどヘアスタイル。
そんなことを思いながら家路を急いだ歯医者そうさん。


今回のゴールデンウィークのある日、僕は美容室に行きました。僕を担当する店長さんが尋ねてきました。

「そろそろイメージチェンジしてみますか?」
ヘアスタイルを変えてみるか再確認してきたのです。

先の提案からいろいろと考えをめぐらした僕が下した結論は

「もうしばらくこのままのヘアスタイルでお願いします。」

僕のヘアスタイルは当分、現状維持となりそうです。



2007年05月07日(月) ヘアスタイルを変えるきっかけ 前編

あっという間に過ぎ去ってしまったゴールデンウィーク。今日から仕事再開という方も多いのではないでしょうか?僕も今日から仕事再開です。何となく気持ちはブルーなところがあるのですが、そうばかり思ってもいられません。気を取り直して頑張っていこうと思います。

このようなことを書くと意外に思われる方が多いかもしれませんが、僕は自分の髪の毛にパーマをかけております。僕の髪は直毛で太く、硬い、毛の数が多いのが特徴です。これだけであれば問題がないかもしれませんが、問題なのは生え方です。特に側頭部の毛がはねてしまい収まりがつきません。
高校時代まで髪の毛にパーマをかけることは校則で禁じられておりました。校則をまじめに守っていた僕としては、毎朝髪の毛を如何にしてまとめるか四苦八苦しておりました。側頭部の髪の毛がいつも爆発して収めるのに時間がかかっていたからです。
パーマが解禁になったのが高校を卒業してから。パーマのおかげで僕は何とか側頭部を何とか押さえられることができるようになりほっとしたものです。高校卒業後、定期的にパーマをかけカットをする。そんな習慣がこれまで続いております。

髪の毛をパーマする美容室は度々変わりました。なかなか自分の思い通りのパーマにしてくれる美容室がなく、いろんな美容室を転々としておりました。今通っている美容室は、嫁さんが懇意にしている美容室です。嫁さん曰く

「パーマをかけたばかりのそうさんのヘアスタイルがダサすぎる」
ということで、嫁さんが通っている美容室を紹介してもらい、パーマとカットをお願いすることになり、今に至っております。

昨年の秋口のことでした。僕がいつも担当してもらっている店長さんにヘアスタイルのことを聞いてみると

「そうさん、ヘアスタイルを一度変えてみませんか?」

正直言って僕は戸惑いました。なぜなら、高校卒業以来、パーマをかけること以外、僕はヘアスタイルを変えたことがなかったからです。もちろん、髪の毛の長い、短い程度のヘアスタイルの変更はありましたが、ベッカムのような明らかなヘアスタイルの変更をした経験がなかったのです。どんなヘアスタイルがいいか、担当の美容師に尋ねたところ、アメリカの某有名俳優のようなヘアスタイルがいいのではないか?とのこと。

こういった場合、なかなか想像できるようで想像できないものです。某有名俳優は知っていましたが、そんなアメリカ人俳優のヘアスタイルが僕に似合うのかどうか全くイメージがわかなかったのです。おそらく、担当の美容師さんは長年の経験から僕に似合うのではないかという目星をつけていたはずですが、提案をされた当人がイメージがわかないのでは話になりません。

心配はそれだけではありませんでした。ヘアスタイルを変えるということは、自分が身につけている服装のファッションにも影響が出るはずです。ヘアスタイルとファッションは相関関係があるはずですが、今の僕の服装はそれなりに僕のヘアスタイルにマッチしているはずです。ところが、ヘアスタイルを変えてしまうと、今まで着ていた服装が着ることができなくなる可能性が出てきます。それではあまりにももったいない。と考えたわけです。

また、僕自身、当時は某幼稚園のPTAの会長を務めておりました。はっきりいって周囲は女性ばかり。そのような中でいきなりヘアスタイルを変えるというと、何かよからぬ噂が立たないとも限りません。また、PTAの仕事以外に僕はいくつかの公職についていますが、その仕事関係でもヘアスタイルが変わることで何か影響が出ることを不安してしまいました。
実際の患者さんの診療に関しては、それほど心配はしておりませんでした。その理由は、僕は診療中、診療用キャップを被って診療しているからです。そのため、どんなヘアスタイルであろうが、患者さんにとっては僕のヘアスタイルの変化はわからないはずです。

結局のところ、僕は担当の美容師からの提案に対し、”今のところは遠慮しておく”という返事をしたのでした。


ところで、皆さんにとってヘアスタイルを変える時というのはどういった時でしょう?

今回の日記を書くにあたり、僕は友人、知人の何人かに尋ねみました。
「あなたがヘアスタイルを変えようと思うのはどんな時なのか?」と。
僕の唐突な質問にも関わらずほとんどの友人、知人が返事をくれました。誠に有難い、友人、知人です。

女性の友人たちの中で最も多かった回答は、気分転換が目的というものでした。気分転換といってもそれほど深刻なものではなく、自分のヘアスタイルに飽きたからとか、髪の毛が伸びてきたから変えたい、周囲や流行に影響された、美容師に勧められて変えたといった内容でした。
女性の場合、恋愛や失恋をきっかけにヘアスタイルを変えるという話がありますが、確かにそのような経験があったと答えてくれた女性友達もいるにはいたのですが、大半の女性はもっと気軽にヘアスタイルを変えていたようです。ヘアスタイルを変えることを深刻なことと受け止めず、軽い気持ちで変える。そんな答えが多かったですね。
また、仕事や出産といった環境の変化からヘアスタイルを変えた経験のおありの方が何人もいました。人生の節目に関係するヘアスタイルの変遷ともいうべきなのかもしれません。

“年を食うと髪の毛にこしがなくなる。おばちゃんにショートカットが多いのはそんな理由からなのですよ”と教えて下さった40歳代の女性もいました。
これはなかなかに説得力のあるお言葉でありました。

男性の友人になると、ベッカムのようにヘアスタイルを頻繁に変えるような人たちはいませんでした。どちらかというと、ヘアスタイルにはあまり関心が無い。特に気を遣わない人たちが多かったように思います。先に書いたように仕事の必要にせまられてヘアスタイルを変えざるをえなかったと答えた人たちが多かったのは非常に興味深いことでした。
中でも興味深かったのは、男性の中に髪の毛のツムジが二つある人が複数いたことでした。ツムジが二つあることで髪の毛のセットがしにくく、坊主頭にしていたと答えられていた人もいたくらいです。つむじが二つあるのはそれこそ遺伝のなす業としかいいようがないのですが、人には思わぬ悩みというものがあるものだなあと感じた次第。

“僕は元々頭の毛の数が少ないので・・・”と言われた方もいました。僕が質問すること自体が失礼なことでした。ひらにご容赦のほどを。

今回、ヘアスタイルを変えることについて日記を書いているのですが、実はそのきっかけとなった出来事が最近あったのです。その出来事とは・・・。

明日に続く。



2007年05月05日(土) こどもの日の朝 感じたこと

今日はこどもの日。元気な子供たちを見つめなおし、今後の成長を期待し、親や家族だけでなく社会全体で子供たちを支援することを再確認する日とでも言うべき日でしょうか。元はといえば端午の節句だったはずですが、発展的にこどもの日という祝日になったようですね。

この春、僕の親族には新たに仲間が二人加わりました。一人は弟の次男、すなわち僕の甥っ子。もう一人が僕の従妹の長男、又従弟です。二人とも出産後、成長し、今回のゴールデンウィーク中、二人の顔を見る機会に恵まれました。

新しく生まれた赤ん坊を見ると、誰もが決まった同じことを言うものです。

「○○さんに似ている。」
「寝ている時の口の様子が○○にそっくりだ。」
「血は争えないものだなあ。」

目を覚まし、泣き出すと周囲で
「早くおっぱいをやらないと。」
「おしめの中は大丈夫か?」
「周囲がうるさいから起きたのではないのか?」
口々にやかましく言い合う始末。

とにもかくにも新しい仲間の誕生は、親族にとって新鮮な刺激になることは間違いありません。

二人の子供を持っている僕たち夫婦ですが、今や9歳と5歳になってきました。ここまで何とか育ってきたものだという話をしていると、嫁さん曰く

「30歳代は子育てに追いまくられていたような気がする。」

先日、四十路に突入した嫁さんの気持ち、側で一緒に暮らしてきた僕は非常によく理解できます。嫁さんは30歳ぎりぎりで上の子を出産、その後、34歳で下の子を出産しました。
子供は二人とも完全な母乳で育ててきました。そのため、二人とも乳飲み子の頃は、お腹がすく度に大声で泣いたものです。昼夜関係なく泣くものですから、嫁さんのストレスも相当なものでした。本当であれば僕が代わってやりたかったのですが、さすがにおっぱいは男が代わってあげることができません。それ故、嫁さんにとって子育ての大変さは身にしみたものだったことでしょう。僕も仕事の合間をぬって、できるだけ家事を手伝ったりしたつもりでしたが、子供を育てることがこれほど労力がいるものかということを痛感した過去10年間だったように思います。

このことを考えると、子供を産み、育てることに二の足を踏む夫婦が多いことも頷けます。子育ての大変さは生活のリズムの面だけではありません。経済的な負担も増えます。
最近、嫁さんに一日に食べるお米がどれくらいか尋ねたのですが、その量を聞いて正直言ってびっくりしました。このまま大きくなり二人の子供が思春期に入れば、一体どれくらいのお米がいるのか?僕もそんな時期があったとはいえ、今更ながら驚かされました。食費でさえそうなのですから、その他の生活費、教育費などを考えると、子供の成長にかかる経済的負担というのは相当なものだということをひしひしと実感し始めた今日この頃。

それでも、子供がいてよかったなあと思うのは、彼らに将来があるからです。将来に向けた大きくなっている彼らに無尽蔵のエネルギーを感じるからです。そのエネルギーは決して彼らだけのものでなく、彼らのエネルギーが僕ら夫婦にも降り注がれ、活力になっているように思うのです。
僕ら夫婦は既に40歳を越えました。人生を考えれば、既に後半を迎えていますが、後半を迎えた僕たちを追っている血を分けた子供が後を追いかけている。この事実は、僕ら夫婦に何物にも代えがたい財産となっているように思えてなりません。彼らが成長していることが僕ら夫婦の生活のモチベーションになっているといっても過言ではありません。

今後、子供たちがどのように育ってくるかわかりませんが、僕ら夫婦の遺伝子を受け継いだ子供たちを無事に育てあげることは、子供たちだけでなく、僕ら夫婦の絆を深めることにもなる。そう信じて、今二人の子供の子育てに四苦八苦している今日この頃。

そのようなことをふと感じた、こどもの日の朝の歯医者そうさんでした。



2007年05月04日(金) 患者様と患者さん

ゴールデンウィーク中、神妙な話を持ち出して申し訳ないのですが、何卒お付き合いの程を。

先日の某新聞の第三面を見ていると“患者様と呼ぶのを止めた”という内容の記事が掲載されていました。某有名病院では、数年前から患者さんに対して“患者様”と呼ぶようにしていたそうですが、患者さんからの評判がよくなかったこと、患者様と呼ぶことによって生じた医療スタッフに対するトラブルが頻発したこと等から患者さんのことを“患者様”と呼ばず“患者さん”と呼ぶようにしたというのです。

かつて、日本における医療の世界では、医者は絶対的な立場にありました。

“拠らしむべし、知らしむべからず。”

患者は医者の言うことをそのまま信じ、治療を受けなければならない。そういった雰囲気があったように思います。
ところが、昨今の患者意識、患者権利の高まりから患者側も医者の言うことを一方的に、鵜呑みするのではなく、自分の健康は自分で管理しなければならない。そのためには患者も積極的に治療に参加し、医療情報提供を積極的に求めるべきである。こういった動きが最近加速しています。

医療機関側にも事情があります。大都市部では、多くの医療機関が現在、患者さんを如何に確保するかということが経営上、頭の痛い問題となってきています。以前であれば、3時間待ち3分治療ということで世間から批判を浴びてきたものですが、最近では患者さんが病院を選ぶ時代になってきています。病院ランキング本などが多く出版され、病院の評価を医者がするのではなく、患者が行う時代。
こういった事情から、病院では患者さんをお客様として扱うようなところが増えてきたように思うのです。その流れの一つが“患者様”という言い方ではなかったのかと感じます。

僕は、患者のことは一貫して“患者さん”と呼んでいます。このサイト“歯医者さんの一服”日記でも、常に“患者さん”と表現していますし、今日の日記でもそうしています。“患者様”という呼び方はしておりません。これには理由があります。

僕は患者さんと医者というのは対等な立場であるという考えを持っています。本来ならば、自分の体に何か異常が起きた場合、自分の体を治療するのは患者さんであるべき。ところが、患者さんのほとんどは医学的知識が少なく、治療経験はありません。そんな患者さんに代わって患者さんの体の異常を治すのが医者の役目だと思うのです。患者さんの体の悪いところを患者さんに代わって治療する代行業みたいなものが医者だと思うのです。そのことを考えると、患者さんに関する医療情報は、基本的に患者さんに公開すべきであると考えます。

僕は普段の歯科診療においては、治療前に必ず患者さんに治療の説明を行い、納得してもらい、許可を得てから治療をするようにしています。治療後もその日の治療、これからの治療予定を話して理解を深めてもらっているつもりです。
場合によっては、僕が絶対にした方が良いという治療を提案しても、患者さんが絶対に納得せず、放置しているようなケースもあるくらいです。放置すれば更に悪くなるから早期の治療を患者さんに求めても患者さんが拒否されれば、治療はできない。僕自身、納得できないところがあるのですが、患者さんの意思が治療拒否であればそれは仕方がないことだと思っています。この問題は非常に難しい問題ではありますが・・・。

患者さんと医者が対等な立場であるということを考えれば、僕は患者さんに変に媚びへつらうことは無いと思うのです。医療はサービス業に含まれる産業であるとは思うのですが、自分の体の異常を治す特殊なサービス業です。決して“お客様は神様”的な考えで成り立つ産業ではないと思うのです。
あくまでも患者さんと医者側は対等。
そのことを思えば、僕は患者さんのことを“患者様”と呼ぶには違和感があります。決して、患者さんをないがしろにしているわけではなく、患者さんと同じ目線で対応しようとは思っています。けれども、同じ立場であるということを考えると、どうも“患者様”という呼び方になじめないのです。

医療機関において何が何でも“患者様”と呼ばないといけないという雰囲気には以前から如何なものかと感じていた、歯医者そうさん。今回の新聞記事を見て、僕のような考えを持っている人が少なからずいるのだなあということを改めて感じた次第です。



2007年05月03日(木) 困り者の話好き先輩

今日からゴールデンウィーク後半に突入します。暦の上では4連休。休みを取っている方、働いておられている方いろいろでしょうが、少なくとも通常の生活サイクルとは異なっているゴールデンウィーク。皆さんは如何お過ごしでしょうか?

先の日記にも書きましたが、ゴールデンウィーク中、うちの歯科医院は基本的に暦どおりです。すなわち、休診であり、休みを頂いております。日頃、何かとすることが多い中、連休が続くということは非常に有難いことではあるのですが、その反面、日頃からたまっていた雑用を済ましてしまわないといけないというストレスもあります。

そんなストレスの一つが、某先輩への連絡です。ある用件のことで連絡を取らないといけないのですが、いつもこの先輩の先生に電話をする時、僕は憂鬱になるのです。

誤解の無いように書いておきますが、この先輩が決して嫌いというわけではありません。同じ歯医者の先輩として知識、技術、経験が豊富でありながら、常に謙虚に歯科診療に取り組まれている姿勢には頭が下がる思いがします。また、仕事以外の時でも妙な先輩面した偉そうなところがなく、気楽に話ができる雰囲気を醸し出しています。
“どこが問題あるのだ?“
と言われる方がいるかもしれません。確かにそのとおりなのですが、実は、この先輩、大のおしゃべり好きなのです。

「そうさん先生、ちょっとお茶でも飲みながら話をしましょうか?」

こう言われて、某喫茶店で話をしだしたら最低限数時間は解放してくれません。一度話し出したら、止まらないのです。よくもここまで話題が尽きないものだなあと思いながらも、時間が経過するとどうしても時計を気にしてしまうのです。

ある意味、うらやましいです。僕は元来、口下手な人間です。何か相手に伝えようとしても適切な言葉が見つからず、黙り込んでしまうことが多い性質です。このようなことを書くと、最近の僕を知っている人からは冷たい眼差しを向けられそうなのですが・・・。
それはともかく、口下手な性格からこれまで話好きの人の聞き役に徹してきていたところがあるのです。
某先輩との付き合いもかれこれ20年近くになるのですが、未だに僕を気に入って下さっている理由の一つは、僕が良い聞き役になっているからではないかと自己分析しております。

ただ、いつも会うたびに、電話をする度に長時間の会話に付き合わされるというのは、なかなかに大変なものです。用件はほんの数分で済むことなのに、実際の会話は数時間掛かってしまう。ということは、某先輩との会話のほとんどは雑談であるということです。しかも、会話は某先輩が話す時間が8割、僕が2割ぐらいときています。聞き役も結構大変なものがあります。

かつて、臨床心理学者の河合隼雄氏がカウンセリングの極意を
“全力を挙げて何もしないことだ”
ということを語っておられていました。あくまでもカウンセラーは聞き役に徹することが大切であることを言われていたと思うのですが、某先輩の話に数時間付き合わされる僕としては、カウンセラーの仕事の如何に大変か、容易に想像がつくというものです。

ゴールデンウィーク中、その某先輩に電話をかけないといけません。いつ電話をかけようか?ちょっと憂鬱な気分になりそうな、歯医者そうさんです。



2007年05月02日(水) 矯正治療中の抜歯は保険が利きません!

先日、ある患者さんが来院しました。その患者さんは歯の矯正治療を希望されてうちの歯科医院に来院された患者さんでした。
うちの歯科医院では、歯の矯正治療は行いません。行わないというのは正確ではありません。行うことができないのです。

僕自身、歯の矯正治療について、歯医者としてある程度のことはしっていますが、実際の治療となると別問題です。それなりのトレーニングと経験が必要となってきます。僕はこれまで矯正治療に関する技術を学び、実践してきませんでした。
言い訳になるとは思うのですが、歯の矯正治療というのは歯科の中でもかなり特殊な分野になります。歯を削ったり、むし歯を治したり、抜歯をしたり、歯磨き指導をすることといった治療とは異なり、歯を移動させ歯並び、噛み合わせを治す矯正治療は一線を画している治療なのです。そんな矯正治療を行うには、矯正治療に専念しなければ矯正治療をマスターできない側面があるのです。中には通常の歯の治療と歯の矯正治療をこなすことができる歯医者もいますが、少なくとも僕は歯の矯正治療を行う自信がありません。
そのため、僕は歯の矯正治療が必要と思われる患者さんには、懇意にしている矯正治療専門医を紹介し、治療を受けてもらうことにしているのです。

今回の患者さんも僕が紹介をした矯正治療専門医の元で治療を受けていたのですが、その矯正治療専門医からの手紙を携えて来院したのでした。
手紙の内容は抜歯依頼でした。歯の矯正治療を行うために、何本かの特定の歯の抜歯をお願いしたいという内容でした。そして、文面の最後には以下のようなことが書かれてありました。

なお、患者には抜歯には保険が利かず、治療にかかる費用は全額自費扱いであることを説明し、納得してもらっています。

“抜歯は保険の適用になるのじゃないか?“
と思われる方が多いかもしれません。確かに、むし歯や歯周病などに侵され、保存することができない歯を抜歯する時は保険が利きます。ところが、一連の矯正治療の一環としての抜歯は保険が利かないのです。

ご存知の方も多いとは思いますが、歯の矯正治療は基本的には保険が利きません。特に、審美を目的とした歯の矯正治療は自費治療となります。矯正治療の中の全ての処置にかかる費用が自費扱い、全額患者負担となるのです。
実は、矯正治療には単に歯を移動させることだけではなく、歯を動かすスペースと作るための抜歯も含まれるのです。すなわち、矯正治療における抜歯処置も保険が利かず、自費扱いとなるのです。

僕は患者さんに抜歯のことを説明した際、抜歯にかかる治療費が自費扱いになることを説明しました。患者さんは既に矯正治療担当医からも十分に話を聞いていたようで、僕の言うことも直ちに納得されておられていました。

この日記をお読みの皆さんには、通常の矯正治療における抜歯処置は、保険が利かないことを理解してほしいと思います。



2007年05月01日(火) 紙袋に入れないコンドーム

先日、僕はいつもよく行く薬局へ行きました。薬局へ行った目的はといますと、日記タイトルからもわかるかとは思いますが、避妊具であるコンドームを買いに行った訳です。

いつものように行きつけの薬局の扉を開けた僕はしばし戸惑いました。その理由は、薬局のレイアウトが変わっていたからです。これまで何度も足を運んでいた行きつけの薬局でしたので、おおよそ何処にどの製品が置いてあるかはわかっているつもりでした。もちろん、今回僕が目的としていたコンドームの陳列してある場所も把握していました。ところが、店の中の様子が一変してしまっていたため、僕は戸惑ってしまったのです。

幸い、各棚の上には掲示板が掲げてありました。殺虫剤、基礎化粧品、漢方薬、栄養剤・サプリメント、生理用品、救急用品などが書いてありました。ただし、掲示板には避妊具やコンドームといった表示はありません。さて何処を探すべきか?

明らかに除外すべきは殺虫剤、基礎化粧品、漢方薬といったところでした。まさかこれら商品のところにコンドームが陳列してあるとは思えませんでしたから。真っ先に僕が探したのが生理用品の棚。コンドームを含めた避妊具が置いてある可能性が一番高いのはここだとにらんだからです。ところが、生理用品の棚にはコンドームは置いてありませんでした。何回か見渡したのですが、全くコンドームの“コ”の字も見当たりませんでした。この時、店内は僕一人でしたので問題なかったとは思うのですが、もし生理用品を求めていた女性客が僕を見たなら、おそらく奇異な目で見ていたのは確実でしょう。

考え込んでしまった歯医者そうさん。コンドームは漢方でもないし、栄養剤・サプリメントでもない、救急用品とは性格が異なるし・・・。
ここは店員に尋ねるしかないかと思い、いざ店員に尋ねようとレジの方へ向かうと、ある見慣れたパッケージが僕の目に入ってきました。そう、僕がよく購入しているコンドームのパッケージだったのです。

“こんなところにあった!”

置いてあった場所の上の掲示板には“救急薬品”の文字が。絆創膏やガーゼ類と同じ棚にコンドームが数種類置いてあったのです。コンドームが救急薬品の棚のところに陳列してあったとは思いも寄りませんでした。どんな意図で救急薬品の棚にコンドームを配置したのか、よくわかりませんが、深読みすれば、コンドームを使用する時は、ある意味救急の時か・・・なんてバカなことを考えてしまった、歯医者そうさん。

目的のコンドームを手にした僕はレジで清算をしました。ここで薬局の店員さんはコンドームを紙袋へ入れようとしました。僕は

「別に紙袋に入れなくていいですよ、シールで構いません。」

薬局の店員は思わず僕の方に目を向けました。少々驚いていたようです。
気持ちはわからないでもありません。生理用品や避妊具の場合、通常はレジでは紙袋に入れて客に手渡すものですから。それをしなくていいと客から言われれば驚くのも不思議ではないでしょう。

僕はいつもコンドームを紙袋には入れずにそのままシールを貼ってもらい、手持ちのバッグの中に入れる主義です。
生理用品のようなものであれば、かさばるものですから紙袋に入れて何が入っているかわからないようにする意味はあるかもしれません。ところが、コンドームのパッケージは非常にコンパクトなもの。バッグやポシェットの中に入れて持って帰ることができます。手ぶらだったとしてもポケットに入れることができるサイズもあるくらいです。むしろ、紙袋に入れる方がかさばり、手ぶらで持って買える人の場合、かえって目立つのではないかと思うのです。

確かにコンドームはあまり人目に見られたくない避妊具かもしれません。けれども、僕はコンドームを買うことがそれほど恥ずかしいことかという思いを強く持っています。コンドームなくして避妊はできないと言っても過言ではありません。特に、もう子供を作らないつもりの我々夫婦のような場合、コンドームのような避妊具は無くてはならないものです。それほど意識せずに購入してもいいものではないかと思うのですが。

それにしても、最近のコンドームのパッケージは一見するとそれとはわからないようなデザインになっています。今では薬局だけでなくコンビニでも堂々と売られています。それなのに、購入する際、紙袋に入れられ販売される習慣。
少なくとも、僕はいつもコンドームは紙袋に包んでもらいません。

「紙袋がもったいないですからね。」

薬局の店員さん、複雑そうな笑みを浮かべながらもシールを貼ったコンドームを手渡してくれました。



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