2007年06月30日(土) |
歯科医院の地下に埋まっていた物とは? |
うちの歯科医院は今から35年前親父が開業をしたのですが、最初に開業をしたのは現在の地ではありませんでした。僕の生まれ故郷である某市でした。当時の自宅の一部を改造し、歯科医院として開業したのです。某市でのうちの歯科医院は5年で終わり、諸事情により今の地に移ったのです。今の地に移転して既に30年。光陰矢のごとしといいますが、時間の経過するのは早いものです。
先日、ある親戚が我が家を訪れました。その親戚は僕が生まれた家と歯科医院跡に住んでいるのですが、この度、住居が古くなったということで、今風に言えばリハウスとうのでしょうか、住居を全て壊し、土台から立て直そうということになったのだとか。 ところが、ここで思いもしなかったことが起こりました。それは、土台を作ろうと地中深く掘削していると、石器が出土したそうなのです。
昔の遺跡や出土品が見つかった場合、文化財保護法により教育委員会に届けなければならないそうで、その結果、工事の予定が当初より数ヶ月遅くなったのだそうです。すなわち、地中からの出土品のおかげで数ヶ月もの間、工事を中断せざるをえなくなったのだとか。
僕の生まれた某市には全国にも名前の通った○○遺跡があります。○○遺跡は弥生時代の遺構や墓の跡などが見つかった遺跡なのですが、僕の生家もその○○遺跡からさほど遠くない所にあります。地中を掘ってみると○○遺跡から出されるような出土品が出てきても不思議ではありません。
このような話は、何もうちに限った話ではないようです。僕の母校である某歯科大学では、校舎を新築する際、基礎工事を行っている最中に安土桃山時代のものと思われる出土品が見つかり、そのため、工期が1年以上延びてしまったという話です。ただでさえ予算が厳しい中、思わぬ掘り出し物のために工期が延びてしまったことに大学関係者は頭を抱えていたという話を伝え聞いたことがあります。
よくよく考えてみれば、どこの土地でも地中深く掘れば何らかの出土品が出てきても不思議ではありません。これまで何千年と数多くの人たちが栄枯盛衰を繰り返してきた日本の国です。当時栄華を極めていた人たちが暮らしていた社会がいつの間にか時代から姿を消すとともに、当時の住居、社会インフラなどが地中に埋まってしまうようなことは決して珍しいことではないでしょう。時代を経て何も知らない人々がいにしえの時代の住居跡に家を建てたとしても、仕方がないことかもしれません。
地中からいつの時代かの出土品が出てくるということは、マニアにとっては何とも夢のある話かもしれませんが、工事を行っている当事者にとっては何ともはた迷惑な話のようです。
ちなみに、今僕が開業している歯科医院は、かつて栗が一面に生えている栗畑だったそうです。
2007年06月29日(金) |
有名人口元チェック ビリーズ・ブートキャンプ隊長 |
アメリカに旅行をされたり、留学をしたり、定住をしている人ならよくわかると思うのですが、アメリカでの食事というのは日本の食事に比べ大きく異なるものです。
多くの日本人がアメリカの食事を見て大きく面食らうのは、量の多さです。僕自身、アメリカのファーストフード店で“ラージサイズ”を見た時、日本での“ラージサイズ”との大きな違いに開いた口が塞がらなかったものです。当時の僕には、アメリカの“ラージサイズ”は1リットルかそれ以上の大きさのペットボトルのような大きさに見えたものです。
アメリカのステーキは本場であるということでアメリカのステーキを食べたこともあるのですが、日本で想像するステーキとは異なり、何か大きな足の人の草履のようなステーキの大きさに度肝を抜かれました。
公園で散歩をしていると、ポップコーンを食べているお兄ちゃんがいたのですが、ポップコーンが入っていた容器は大きなバケツのような容器。その容器の中にはこれでもかと言うくらいのポップコーンが入っておりました。 アメリカ人の胃の大きさは果たしてどれくらいの大きさなのだろう? そんな疑問を感じざるをえなかったくらい多いアメリカの食事量でした。
アメリカの食事は、単に量が多いというだけではありません。カロリーも相当高いもの。僕はアメリカの知人宅を訪れた際、現地のチョコレートを頂いたのですが、食べた瞬間、余りの甘さに思わずチョコレートを口の外に出してしまいたい衝動に駆られました。チョコレートは甘いのは当然だとは思っていましたが、それまで日本で食べてきたチョコレートよりもはるかに砂糖の含有量が多いのは明らかで、しかも、そのようなチョコレートがアメリカでは標準だという話に思わずびっくりしたものです。
チョコレートだけでなく、他のアメリカの料理も味がはっきりとしたものが多かったように思います。味がはっきりとするということは、カロリーが多いということだと思うのですが、日本の料理に比べアメリカの料理はカロリー過多であることは事実だと思います。
また、アメリカの標準家庭の料理を何度か食べる機会がありましたが、日本で見る家庭料理とは異なり非常に雑というのでしょうか、大雑把な料理である印象を持ちました。栄養学的に見ればどうも栄養のバランスが取れていないように思えてならなかったのです。 アメリカでは補助食品というのでしょうか、多くのサプリメントが販売され、多く売れているそうですが、そもそもサプリメントが売れている背景には普段の食事では栄養のバランスが悪い、栄養に偏りがあるということを証明しているように思います。
このようなアメリカの食事の状況を考えれば、アメリカ人に肥満が多いというのは仕方がないことではないかと思います。彼ら、彼女らの肥満を改善するにはまずは食事の改善が先ではないかと思うのですが、肥満の改善ということになると、運動、ダイエット運動も大切な要素の一つでしょう。
アメリカでは数々のダイエット本や肥満改善運動のビデオ、DVDが販売されているのですが、その中でもよく売れているのがビリーズ・ブートキャンプなるDVDなのだとか。何でもこのDVDの売りは、軍隊式ダイエット運度により一週間でやせることができるということなのだとか。 このDVDを見たわけではないので評価をすることはできませんが、本当に一週間でやせることができるのなら大したものだろうなあと思いながらも、眉唾物ではないかとも思う今日この頃。
先週、このビリーズ・ブートキャンプのビリー隊長こと、ビリー・ブランクスさんが来日し、マスコミを賑わせていました。早速、例の如く口元を見てみました。ビリー・ブランクスさんの口元を見て感じたのは、歯の白さでした。
ビリー・ブランクスさんは黒人です。歯というもの、白いというイメージがあるとは思いますが、歯の白さというのは歯の地の白さだけで判断されるわけではありません。色というのは周囲にある物によっても影響を受けるものなのです。白い歯の周囲にある歯肉の色や唇の色、肌の色によって、歯の白さは見え方が異なります。 ビリー・ブランクスさんのような黒人の場合、黒い肌の色によって口元の歯の白さが強調されるもの。そのため、日本人の歯の白さよりもより白さが浮き出るように見えるものなのです。白い歯を望む日本人からすれば、黒人の白い歯というのは非常にうらやましく感じられる人もいるかもしれません。
ただ、実際のビリー・ブランクスさんの歯は被せ歯でした。特に、上の前歯に関してはメタルボンド冠と呼ばれるセラミックで前を被った被せ歯が装着されていましたね。黒人の白い歯は白く見えるのですが、ビリー・ブランクスさんの被せ歯はさらにその白さを強調するような白い色をした被せ歯であるように思います。
2007年06月28日(木) |
フードファイトには反対します! |
昨日、何気なくネットサーフィンをしているとこのような記事が目に留まりました。
アメリカ独立記念日である7月4日にニューヨークで開かれる、恒例のホットドッグ早食い競争を前に、6連覇中の小林尊さんが顎関節症に苦しんでいることを告白し、米メディアが相次いで報道されたというのです。 小林さんは数々のホットドッグ早食い競争で優勝し、圧倒的な強さから「TSUNAMI」と呼ばれているそうで、テレビのバラエティー番組に出演するなど米国で最も有名な日本人の1人なのだとか。 小林さんは自身のブログで顎関節症であることを告白。現在、指1本分ぐらいしか顎が開かない状態なのだそうで、「フードファイターにとっての顎関節症は、野球で言えば投手がひじの故障をしたようなもの」と現在の心情を書いているのだとか。 小林さんは信頼できる医師の下で顎関節症の治療をしながら、今回の大会にも出場する意向であるということなのですが・・・。
食事は、人間にとって無くてはならない、生きていくうえで必要不可欠な行為の一つです。毎日、食事を取ることにより人間は活動していく上でのエネルギーを得ていることは誰もが否定しようのない事実です。 食事による効能は単に栄養摂取だけではありません。食事を取ることは、人間に安らぎの場ともなります。どんなに興奮している人でも食事中は落ち着くものですが、これは、食事の場面では、神経生理学的に交感神経の働きが抑えられ、副交感神経の働きが活発になるためですが、おかげでどんな人でも落ち着いて興奮せずに食事を取ることが可能なわけです。よく“めしでも食いながら話をしよう”と言って、相談事に乗るようなことがあるものですが、これは神経生理学的には非常に理にかなったことで、食事をすることにより落ち着いて話ができることが経験的に知っている人が多いからできることなのです。 また、一人だけでなく周囲に気の合う仲間や家族と食事をすることは、家族や仲間同士の親睦を深めることができるもの。昨今、家庭内の団欒が少なくなったことが言われていますが、その理由の一つは家族同士が集まり、食事を食べながら何気ない会話を楽しむこと機会が失われているためではないかと思われます。
食事というのは単に食べるという行為以上に意味を持つことは明白です。
一方、世界では飢饉や社会体制の影響からか食べることもままならに人々が数多く存在します。満足に食事をすることができないまま、一生を終えてしまう。そんな悲惨で惨めな生活を過ごさざるをえない人々のことを考えると、毎日の食事を取ることができる環境を非常に有難く感じなければならないのではないかと強く思います。飽食の時代と言われていますが、飽食の裏には満足に食事も取れない人の世界がある。そのことをもっと考えなければならないと思うのです。 2年前、日本では食育基本法が制定され、徐々に周知されつつありますが、このような食育基本法なる法律を制定しないといけないくらい、今の日本の食文化は乱れているということになります。もっと食べることの意義を一人一人真剣に考え、当たり前だと思っている食事が実は大変有難いものであることを認識する必要があります。
このようなことを考えると、僕はどうしてもフードファイトなるものが理解できないのです。フードファイトをする人のことをフードファイターと呼ぶのだそうですが、前述の小林さんは、
“フードファイターは食べることのアスリートという尊厳を持たなければならない”という持論を持っているのだとか。
僕はこの考えに異議を唱えたいと思います。
そもそも、フードファイターなるものはアスリートなのでしょうか? アスリートと呼ばれる人は自分の肉体を鍛え上げることにより競技に臨む人たちのことを言うのだとは思いますが、フードファイトなるもの、一体何を鍛えるのでしょうか?食べ物を少しでも早く胃の中に詰め込むことがフードファイトなら、それは競技ではありません。 人間の体は、鍛えられる部分と鍛えられない部分があります。鍛えられる部分の代表格は筋肉でしょう。様々なトレーニング法が考案され、筋肉を競技により順応しやすいよう鍛え上げることが可能です。ところが、胃を含めた消化管はどうでしょう?大人になるまでは成長するでしょうが、成長期が終われば、これら消化管はそのまま。むしろ、年齢を重ねるに連れて消化管の機能は徐々に衰えていくものです。鍛えようとしても鍛えることができないのが消化管なのです。 鍛えられない消化管の代表である胃に短時間で多くの食物を詰め込むというフードファイトは果たして競技に当たるのでしょうか?フードファイトを行うフードファイターはアスリートと呼べるのでしょうか? こんなことを書くとフードファイターの人やフードファイト愛好者に怒られてしまうかもしれませんが、フードファイトというのは早食い競争ではないですか。早食い競争に“フードファイト”という横文字を当てることは、意図的に何らかの競技のようにイメージさせるように思えてならないのです。
今回、小林さんは顎関節症にかかり、治療を受けているのだそうです。僕は顎関節症になった小林さんのことは同情します。少しでも早く適切な治療を受けて体調を整えて欲しいとは思うのですが、その反面、どうして顎関節症にかかったかということを考えると、僕は素直に同情できないところがあります。実際の症状を確認したわけではありませんが、早食いするために大きく口を開けすぎた代償が顎関節にきているのではないかとも思えるのです。 小林さんは、ニューヨークで7月4日に開催予定のホットドッグ早食い競争には必ず出場するお気持ちのようですが、僕は長年フードファイトを行ったことにより小林さんの体が悲鳴をあげているように思えてなりません。某テレビ番組ではありませんが、体が最終警告を発しているようにさえ感じるのです。
小林さんは7月4日にニューヨークで開かれる、ホットドッグ早食い競争に出場する意向だそうですが、歯医者として、僕は出場を控えて欲しいと願います。そして、フードファイトなるものからすっかりと足を洗って欲しいと願っています。限られた時間に少しでも多くの量の食べ物を胃の中に詰め込むことは、スポーツでも何でもありません。単なる早食いに過ぎない。人間の生理に全く反した行為です。
今回の報道では、毎日新聞をはじめいくつかの大手のマスコミも取り上げていましたが、マスコミもマスコミです。フードファイトを好意的に取り上げているマスコミに僕は違和感を覚えずにはいられません。同じ取り上げるなら、もっと批判するべきではないでしょうか。
食事をする際、日本では“頂きます”ということを言ってから食べるものです。食べることができる幸せ、多くの生命の犠牲によって人間が美味しく食事をすることができることを感謝する意味で、食事前に“頂きます”と手を合わせるのではないでしょうか。食事とは楽しいものでありますが、実は神聖なものでもあると思うのです。
そんな食事を軽視するかのようなフードファイトは如何なものでしょうか。フードファイトは食事を冒涜する行為のように思えてなりません。 僕はフードファイトには反対します。
僕は、嫁さんとちびたちと川の字の如く一緒の部屋に寝ていますが、僕の周囲には夫婦別室で寝ている友人、知人が何人もいます。理由は様々ですが、皆に共通しているのは、決して夫婦仲が悪いというわけではないということです。 例えば、仕事の時間帯の違いで別室で寝ている夫婦。知人の夫婦は共働きなのですが、奥さんが昼間の仕事なのに対し、旦那は夜の仕事。お互い、睡眠時間が貴重なのは言うまでもりません。ちょっとした物音に睡眠の妨げにならないよう、寝室を別々にしているのだそうです。
また、夫婦のどちらによる(といってもほとんどが夫ですが)どうしようもない生理現象、体質の違いによって寝室を別室にしている場合もあります。 一例を挙げますと、昨日も書いた体感温度の違いです。夫が非常な暑がりなのに対し、奥さんが寒がりの場合。特に、夏場は夫が部屋を寒いくらいに冷房を効かせないと眠れないのに対し、奥さんは大の冷え性。そのため、夫婦の寝室を分けているそうです。ただし、この夫婦の場合、冬場は一緒に寝ているのだとか。何でも真冬になると暑がりな夫が一種の湯たんぽになるような状態なので、冷え性の奥さんは助かっているのだそうです。
僕の大学時代の友人Hも夫婦で寝室を別々にしている一人です。どうして友人Hが夫婦で寝室を別々にしているのか?僕はその訳が手に取るようにわかります。
今から22年前の夏のことです。当時、僕は某歯科大学1年生だったのですが、入学して気が合った仲間と友達になり、何度も呑み会に出かけたものです。大学になったばかりの頃ですから、夜遅くまで、時には夜を徹して呑み、たわいも無いことや人生論みたいなことを話していました。 ちょうど6月下旬の頃だったでしょうか、いつものように僕は気のあった仲間数人と呑みにいったのですが、いつものように夜遅くまで呑むと電車が無くなり、自宅に帰ることができなくなりました。仕方なく、友人Hの下宿に転がり込み、泊まったのですが、僕はその夜、一睡もすることができなかったのです。その訳は、下宿の主であった友人Hにありました。友人Hは大変ないびきかきだったのです。 轟音にも近いそのいびきは、今から思えば睡眠時無呼吸症候群か、その状態に近い症状ではないかと思うのですが、ご本人は熟睡しているものの、周囲にいる者にとっては耐えられる域を超えたいびきだったのです。おかげで酔いはすっかり吹っ飛び、僕は怒りだけが残る夜となったのです。
それ以降、夜の呑み会で友人Hとともにする時には、友人Hには絶対に眠らないよう、少なくとも周囲が眠るまでは決して寝ないよう、厳しく言っていたものですが、学生時代、友人Hのいびきに何度と無く苦しまされた夜を何度か過ごすことになりました。
「将来、Hと人生の伴侶になる彼女は大変だろうなあ。」
そんなことを周囲の仲間と密かに言い合っていたものです。 果たして、我々の心配は現実のものとなりました。後年、友人Hは人生の伴侶となる女性と見合い結婚したのですが、結婚後、我々仲間はまっさきに尋ねたものです。
「奥さんと一緒に寝ているのか?」 友人Hは言いました。
「初夜は一緒に寝たけど、嫁は初夜で俺のいびきに一晩で参ってしまったみたい。『夫婦で一緒に寝ることは諦めた』と早々に宣言していたよ。初夜以降、我々夫婦が別室で寝るようになったのは自然の流れだったね。」
友人Hのいびきを想像すれば、彼の奥さんの選択は正しかった、やむを得ない判断だったように思います。
2007年06月26日(火) |
汗かきな人たちの悩み |
当初、雨不足、空梅雨ではないかと梅雨ですが、当地ではそれなりに雨が降り、湿気もかなり感じている今日この頃です。既に夏至も過ぎたことですし、これから気温は益々上昇し、室内では冷房無しでは何もできない時期になってくるでしょう。環境省では今年も室内の温度を28度にして欲しいというクール・ビズ運動を繰り広げていますが、この室温28度というのはかなりの高い温度です。果たして、どれくらいの人がこのクール・ビズを守れるでしょう?
既にうちの歯科医院でも昼間の診療では冷房を入れ始めています。冷房を入れないと診療する歯医者としても仕事がしにくいのです。特に、問題なのが手。患者さん毎に使い捨てグローブを使い捨てしているのですが、冷房が入っていても自らの体温の高さと室温の高さ、そして、患者さんから発散される体温によりグローブの中の術者の手は蒸し風呂状態といっていいでしょう。患者さんの治療が終わり、使用したグローブを脱いだ時にはグローブの中は汗びっしょりです。時には治療中、グローブの袖から汗が滴り落ちるようなこともあるのは閉口します。
一方、汗をかくのは何も歯医者だけではありません。患者さん側も汗をかかれます。患者さんにもよるのですが、中でも体格が大きい人の場合、治療中にそれなりの汗をかかれます。診療が終わり、退室された後の診療台を見てみると、ヘッドレストのカバーには汗が浮かび上がり、濡れているのです。それだけではありません。診療台の背の部分も色が濃くなっていることもあるのです。これは、体温の放熱による湿気が診療台の背の部分に影響したためなのですが、中にはシャツからにじみ出た汗の一部が浮かびあがっていることさえあります。次に治療する患者さんの迷惑にならないよう、患者さんの入退室のほんの少しの合間にヘッドレストのカバーや汗で濡れている診療台はきれいに拭き取っているのですが、それでも、患者さんによっては
「今日の診療台は妙に熱いですなあ」 と言われる方もあるくらいです。
そんな話を地元歯科医師会の仲間の先生と話をしていると、歯科医院内の室温をどれくらいするかという話題になりました。
ある先生は、 「クール・ビズみたいに室温を28度にするというのは、歯科医院では難しいのじゃないの?僕のところは、25度ぐらいにしているよ。そうしないと患者さんも僕たちも耐えられないよ。」
「そうですよね。我々歯医者は人様の口の中に手を突っ込んで仕事をしますから、自分の体温のみならず患者さんの体温もまともに受けて仕事をしますからね。28度という設定温度は酷ですね。」
この話の中に割って入ってきたのが、M先生でした。
「うちでは室温を19度くらいにしていますよ。」 周囲の先生は皆一様に驚きました。
「19度ですって?それはかなり室温が低すぎるのじゃないの?患者さんやスタッフから寒いって言われない?」 「ええ、そう言われますが、僕はこの温度が適温なのです。僕の体型を見られれば納得されるんじゃないですか。患者さんやスタッフには申し訳ないとは思いながらも、夏場は冷房をかなり効かせて診療をしているんです。そうしないと、僕の体からは汗が滝のように落ちてきて、患者さんやスタッフに多大な迷惑をかけるのが目に見えていますから。」
M先生は若い頃、相撲をやっていたというだけあって、かなり恰幅のある先生で、体重が100キロに近い巨漢です。
「何もこれは自分の診療所だけの問題じゃないのですよ。自宅でも言えることです。夏場は自宅でも冷房を効かせているのですが、特に寝室では他の部屋以上に冷房を効かせています。結婚当初、僕は家内と一緒に寝ていたのですけど、僕がかなりの汗かき、暑がりですから、夏場は冷房をかなり効かせないと熟睡できないのです。ところが、家内は僕とは全く逆で冷え性なのです。冷房を入れながら眠ろうとしても寒くて眠れないと言います。僕ら夫婦は全く相容れない体質ですから、今では家内とは寝室を別にしていますよ。」
汗かきの人にとっては、夏場を過ごすことは想像以上に大変なことのようです。
2007年06月25日(月) |
歯科技工士を守ろう! |
うちの歯科医院には毎日、ある人が来院します。その人無くしてうちの歯科医院は成り立たないくらい大切な人です。その人とは某歯科技工所の歯科技工士です。
歯科医院では、多くの患者さんの治療の一環として、詰め物、被せ歯、差し歯、入れ歯を装着します。これら詰め物、被せ歯、差し歯、入れ歯のことを総称して補綴物(ほてつぶつ)と言うのですが、これら補綴物を製作するのが歯科技工士です。 歯科医院で補綴物を作ると言いますが、実際に歯医者が行うのは補綴物を作るための設計であり、歯を削ったりすることであり、歯型を取り、石膏模型を作るまでです。歯型をもとに作った石膏模型から補綴物を作ってくれるのが歯科技工士です。歯科技工士についての仕事については、以前こちらにも書きましたし、こちらの番組でも実際の仕事ぶりが放映されたのですが、歯科医院にとってまさしく縁の下の力持ち的な仕事なのです。
さて、最近、歯科技工士の仕事が危機に瀕しているとして、このようなニュースが流れていました。
全国の歯科技工士80人が中国など海外で安く作られた入れ歯の輸入を厚生労働省が認めているのは問題だとして、国を相手に訴訟を起したというのです。
歯科技工士に関しては、歯科技工士法という法律があるのですが、歯科医院で患者さんに装着する補綴物を作ることができるのは歯医者と国の免許を得た歯科技工士と定められています。ところが、昨今、保険診療報酬の引き下げにより、歯科医院の経営が厳しくなっています。影響は歯科医院だけでなく、歯科医院の下請け的な仕事である歯科技工士にも皺寄せがきているのです。歯科医院の経営者でもある歯医者は、歯科技工所や歯科技工士に対し、補綴物の作製費の値引きを求めてくることが多くなってきたのです。そのため、歯科技工所の中には人件費の安い海外に業務を委託し、補綴物の製作を依頼するところが多くなってきているというのです。また、海外で補綴物を作製することを仲介する斡旋業者も出てきた結果、多くの歯科技工所の経営が苦しくなり、倒産したり、廃業せざるをえない状況なのです。 今回訴訟を起した歯科技工士の人たちは、
「海外なら無資格者が作ってもよいのか」 「粗悪品や有害物質を検査しなくてよいのか」 と厚生労働省に実態調査や規制を求めてきたのですが、厚生労働省は2005年(平成17年)9月、各都道府県に対し、
「歯科医が患者に十分、情報を提供し、同意を得ればよい」 と歯科保健課長通達を出したのです。すなわち、海外で補綴物の作製を容認したのです。
昨年4月の診療報酬マイナス改正の影響を受け、ほとんどの歯科医院は経営が苦しくなっているのは事実です。歯医者というと裕福なイメージが依然として世間ではあるようですが、実際のところは、ほとんどの開業歯科医は多くの借入金を抱えているなか、何とかやりくりしながら歯科治療を行っているのが現状です。そうなると、少しでも経費削減に努力しないといけないのですが、その際、経費削減のために補綴物を作製する歯科技工所に更なるコスト削減を求めざるをえない状況があります。歯科医院の下請け的な位置づけのある歯科技工所は、これまで以上に厳しい経営を迫られ、多くの歯科技工所がつぶれていっているのが現状です。そして、地域によっては歯科医院が補綴物をお願いする歯科技工所の少なくなり、むしろ歯科技工所の方で歯科医院を選択するような事態になっている所も出てきています。
ただ、歯科技工士の仕事を考えると、歯科技工士の存在は歯科医院にとって何ものにも代えがたい、貴重な存在であるはずです。
うちの歯科医院は、極めて零細、弱小な歯科医院の一つですが、補綴物の作製に関しては懇意にしている歯科技工所にお願いしています。既に20数年近い付き合いであるわけですが、父親曰く
「○○さん(うちの歯科医院が世話になっている歯科技工所のこと)は普通の業者との付き合いとは全然違うからね。一種の親戚付き合いに近いものがある。」
いつもある時間帯にうちの歯科医院に来てもらっている歯科技工所の担当者には、補綴物の製作依頼時、模型や設計だけでは伝えにくい、細かいニュアンス、注意事項を伝えています。
患者さんの口の中というもの、全く同じ口の中の人はいません。一本、一本の歯の大きさ、形、歯並び、かみ合わせは微妙に異なるものです。年齢や性差、生活習慣、人種によっても違います。そんな千差万別な患者さんの口の中にセットする補綴物を作製するには、様々な情報を歯科技工士に伝えなくてはなりません。うちの歯科医院では、時には歯科技工所の担当者に直接患者さんを見てもらい、どうしても言葉では伝えにくい情報を歯科技工所の担当者に伝えることもしばしばです。何も言わなければ間違いやすい、誤解しやすいところを担当者に直接伝えるメリットは計り知れないところがあります。
近くに信頼できる歯科技工士がいることは、非常に心強いことであり、結果的に患者さんにとっても非常にメリットになるのです。 ところが、コスト削減だけを考え、安い人件費で済む海外に補綴物を作ることを依頼するということは。こうした歯医者と歯科技工士との繋がりを分断してしまうことを意味します。目先のことを考えれば、少しでも経費を削減できれば、歯科医院の経営にはプラスになるように思いますが、経費以上に人的財産としての歯科技工士の存在を失うことになりかねません。
このことを考えると、歯医者は歯科技工士を守らなければならない立場であるはずです。また、厚生労働省をはじめとした国もこの現状を把握しなくてはいけないはず。 ところが、厚生労働省では、
「歯科医が患者に十分、情報を提供し、同意を得ればよい」 と歯科保健課長通達を出し、海外で補綴物の製作を容認したのです。
昨今、介護保険に関する問題が大きく取沙汰されていますが、その背景には、介護という極めて厳しい労働条件にも関わらず、その労働に見合った介護報酬が充分で無く、法律を犯してまで無理をしなければ介護ビジネスが成り立たないということがあります。介護の現場で働く人たちに対し、正当な評価がなされていないのです。今後の少子高齢化時代を考えれば、介護の現場で働く人たちには、もっと手厚い評価がなされるべきなのですが、厚生労働省をはじめとした国は、医療費、介護費の抑制ばかりしか考えていません。どうも国は、机の上で考えることは得意なようですが、実際の現場で汗をかき、そのことを政策に反映させることは苦手なようです。
歯科技工士の仕事も同じです。これまでもぎりぎりの経営を強いられている歯科技工所、歯科技工士の首を更に締め付けるような海外への補綴物への委託行為、そして、このことを容認した厚生労働省の通達は、如何なものでしょう。 国民の健康を維持していくためにはかかりつけ医、かかりつけ歯科医の存在が不可欠だと思うのですが、かかりつけ歯科医にはかかりつけ歯科技工士の存在は一心同体といっても過言ではありません。厚生労働省の通達は、こうした歯医者と歯科技工士とのつながりを意図的に分断させ、歯科技工士の生活の糧を奪うような行為に思えてなりません。
海外への補綴物製作依頼は慎むべきではないかと僕は考えます。
2007年06月23日(土) |
パパはママのことが好きなんでしょ? |
幼少の頃、僕はお袋の両親と一緒に住んでいたのですが、お袋の両親、すなわち祖父と祖母の寝室で寝ていたことがありました。今から思えば、弟が誕生し、お袋が弟の世話にかかりっきりになっていた時、寂しさを感じていた僕はお袋ではなく、一緒に住んでいた祖母、祖父に安らぎを求めていたのかもしれません。 そんな僕を見ていた祖母は、寝る前に僕にあることをしてくれたのです。それは、足や手の指を回してくれること。祖母は、一日にあったことを話したり、昔話を語ったりしながら僕の手足の指を回してくれていたのです。たかが指回しですが、効果は絶大で、いつの間にか僕は寝息を立てて、夢の世界へ旅立っていたものです。どんなに興奮していた時でも祖母が指を回してくれると、興奮が収まり、気持ち良い心地がすると同時に意識が無くなる。幼少の頃の僕はそんな夜を過ごしていたように思います。
今、僕は祖母にしてもらった指回しをチンチンボーイズたちにしてやっています。基本的にチンチンボーイズを寝かせるのは嫁さんなのですが、どうしても眠れない時には僕が交代します。そして、彼らの指を回してやったり摩ってやったりするのです。最初のうちは
「何だかくすぐったいよ〜」 と言っていたチンチンボーイズも知らない間に体が温かくなり、寝息を立ててしまいます。そんな様子を見ていると、僕は祖母が毎晩僕をこのように見ていたのかなあと想像してしまいます。
この指回し、注意しないと指を回している方も眠たくなってきます。チンチンボーイズの指を回しているうちに僕自身も眠たくなり、いつの間にかチンチンボーイズだけでなく、僕自身も寝てしまっているのです。特に、最近は疲れているせいか、自分まで寝てしまっているようなことが多いと感じる今日この頃。
最近は、指回しの効果を肌でわかったせいか、チンチンボーイズは眠れない時、僕に指を回すよう言い寄ってきます。昨夜も下のチビの指を回しながら寝かしつけていたのですが、下のチビはふと下のようなことを言ったのです。
「パパはママのことが好きなんでしょ?」
どうしていきなりこのようなことを言ったのかどうかわかりませんでしたが、下のチビはニコニコしながら言っておりました。
「そうだね、パパはママのことが好きなんだねえ。」 「やっぱり、ハハハハハ・・・・。」 と笑いながら下のチビは寝息を立てました。
“これはやられたな”と思いながらも、寝息を立てた下のチビに布団をかけてやった歯医者そうさんでした。
2007年06月22日(金) |
日記才人はまだ終わっていない! |
既にいくつもの日記サイトで取り上げられていることですが、日記才人が7月をもって終了するというアナウンスがありました。昨日の朝、僕はいつものように書き上げたテキストをアップし、日記才人に更新報告をした際、日記才人が7月で終了するという表示に気がつきました。 来るべき時が来たか? そんな思いがしました。
僕が日記才人の存在を知ったのは今から6年前、平成13年の夏でした。この時、ちょうど嫁さんが下のチビを出産しました。出産後、しばらく嫁さんは病院に入院していました。僕は仕事の合間にまだ幼かった上のチビの世話をしていたのですが、上のチビは同居していたお袋になつき、夜はお袋と寝ていたのです。その結果、僕は一人で夜を過ごすはめになったのですが、夜長インターネットサーフィンをしていてたまたま見つけたのが日記才人だったのです。見つけた当初は日記やテキストサイトを集めたリンク集だなあという程度の認識しかなかったのですが、時同じくして、たまたま購入していた某インターネット雑誌の推薦サイトの一つに日記才人が掲載されていたのです。
そこで、日記才人をじっくりと見てみると、これが面白い。日常生活の何気ない行動、感じたこと、考えなどを綴った日記は下手な小説を読むよりも面白く、僕は日記の虜になってしまいました。日記才人を通じ、僕は数多くのテキストサイトを毎日読むようになっていたのです。ただ読むだけでなく、メールをやり取りしたり、掲示板に書き込んだりして何人かの日記書きさんとも交流が生まれました。 そうなると単に読んでいるだけでは収まりがつかなくなってきた歯医者そうさん。自らテキストサイトを作り、日記を公開したくなったのです。試行錯誤の準備を重ねながらやっと公開したのが“歯医者さんの一服”でした。もちろん、日記才人に“歯医者さんの一服”を登録したのは言うまでもありません。平成14年8月1日のことでした。以来、僕にとって“歯医者さんの一服”日記を公開すると同時に日記才人に更新報告をするのが日課となりました。
日記才人は多くのテキストサイトのリンク集でしたが、遊び心に富んだサイトでもありました。アクセス数や投票数のランキングは当然ありましたが、アクセス数も当日だけでなく、累積アクセス数、累積投票数などもあったものです。今の現状からすれば想像もつきませんが。 投票ボタンにはメッセージを込めることができました。投票ボタンの表示にある種のメッセージが書いてあり、投票ボタンを押すとメッセージの続きが読めるという仕掛けです。以前、僕も投票ボタンにメッセージを入れていたものです。投票ボタンを押してもらうという意図もありましたが、一種のおまけみたいな感覚で投票ボタンを毎日書いていたものです。 また、今はありませんが、更新報告をする度に経験値が上昇したり、自分の日記が誰に読まれているか探る逆探知機能、日記書き自身が日記才人でのお勧めサイトを紹介するコーナーやメッセージ機能もありました。 僕自身、日記才人のいろんな機能を使って大いに楽しませてもらったうちの一人でした。
そんな日記才人も2年前あたりサイトリニューアルをしてから利用者が激減してきたように思います。日記才人全体の利用者が減少し、なじみのテキストサイトが日記才人から離れていったり、登録はしているものの更新報告をしていないサイトも多数見かけました。日記才人は廃れてきたなあと思っていた矢先のサイト閉鎖の予告。
以前から知ってはいたのですが、日記才人には管理人がいました。詳しい話はわかりませんが、ここ数年はdaisukeさん一人が日記才人の世話をされてきたように思います。仕事を持ちながら日記才人のような大きなサイトを維持、管理していくのはさぞ大変だったことでしょう。何度も日記才人を管理してくれる人を募集されていたようですが、結果的に誰も手が挙がらなかったようです。僕自身、何かの力になればと思ったことも何度もありましたが、“歯医者さんの一服”を管理するだけで精一杯。自分の本業もそれなりにありますし、コンピューターに関する知識も無い。結局のところ傍観するしかなかったのが正直なところです。 今回の日記才人閉鎖は管理人であるdaisukeさんの決断ですが、いろいろと悩み苦しまれた上での決断だったことだと思います。心情を察するに余りあるものがあります。 この場を借りて、daisukeさんには日記才人の管理人、御苦労様でしたと伝えたいです。
このようなことを書くと今にも日記才人は終わりそうな感じですが、実際に日記才人閉鎖までしばらくの猶予があります。乗りかかった舟ではありませんが、僕は日記才人が閉鎖されるまで更新報告をし続けようと決めています。まだ日記才人は終わっていませんから!最後まで付き合いまっせ。
2007年06月21日(木) |
有名人口元チェック 2007年ミス・ユニバース |
既に皆さんもご存知のことと思いますが、2007年ミス・ユニバースに日本人の森理世さんが選ばれました。ミス・ユニバースに日本人が選ばれたのは、1959年の児島明子さん以来48年ぶりということで、様々なマスコミで報道がなされていました。先週、森理世さんが帰国してからは故郷に錦を飾るが如く、取材申し込みが殺到。いくつものテレビでも森理世さんが出演していたようです。
そんな森理世さんが出ていた某番組を見ていた嫁さんが言いました。
「どうして彼女がミス・ユニバースに選ばれたのだろう?」
森理世さんには失礼な話かもしれませんが、おそらく日本のかなりの人たちが同じような疑問を感じられたのではないでしょうか。身長175センチの長身でナイズバディの持ち主、堂々とした振る舞い、英語に堪能である点などは魅力的ではあるのですが、テレビにアップで映し出される彼女の顔を見た時に、“美女なのだろうか?”と言いたくなった人は一人や二人ではないはずです。いくつものブログやテキストサイトでもこのような疑問を述べているものが見られました。
そもそも女性の美の基準というのは千差万別です。個人においても若い頃と年を重ねてからの美の基準は変化するもの。若い頃に美しいと感じていたことが、様々な知識、人生経験を重ねるに連れ徐々に変わってくることは誰しも経験があるはずです。 また、男性と女性といった性の違いによる美の基準も異なることでしょう。男性が美しい女性だと思っていても女性からすればそうではないと感じるようなことも珍しいことではありません。自分が生まれ育った環境、経済状況、学歴、職場、付き合っている仲間、地域等々、女性の美の基準を左右するものは多々あるものです。 しかも、ミス・ユニバースといった世界中の国々から選ばれた美女たちの中からナンバーワンの美女を決めるとなると、これは非常に難しいことではないかと思います。 森理世さんの美が今年の世界ナンバーワンに選ばれたのは事実ですが、果たしてどんな基準を元に選ばれたのか、僕は興味のあるところでした。 ネットで調べてみると、ミス・ユニバースを選ぶ審査基準は以下のようなものでした。
全世界の女性が手本とすべき女性を選ぶために 水着審査で健康的な肉体面の審査 ドレス審査で着こなしと表現力の審査 面接で内面の美しさが審査
とのこと。この審査基準は55年間変わっていないそうです。 ミス・ユニバースの特徴の一つは普段の生活態度、特に人との接し方が観察されていることだそうで、審査会は1日だけだが、各国の代表はほぼ1カ月前に開催国に入るとのこと。今年の場合、77人の美女たちは5月2日にメキシコに集まり、審査会当日の28日まで各地で現地住民と交流したり、エイズ・ウイルス撲滅のチャリティー・オークションに参加したそうです。初対面の人ともうまくコミュニケーションできるか、疲れた時でも積極的でいられるか、が試されたのだとか。 何でもミス・ユニバースになれば1年間にわたってニューヨークを拠点に世界各地を回り、HIV撲滅運動に参加しなければならない。その間、各地のミス・コンテストで王冠を渡したり、メディアへの対応などもあり、スケジュールは超過密。それに耐えられるかが観察されているようなのです。
審査員はファッションデザイナーのマーク・ボウェールやフィギィアスケート選手のミッシェル・クワン、アメリカンフットボールのプロ選手のトニー・ロモら17人。それに同機構の職員1人が加わり、一人一人の普段の様子を説明したとのこと。どうも審査員はアメリカ人中心の構成になっているようです。 また、ミス・ユニバースはミス・ユニバース機構といってアメリカのトランプ財団とテレビ局のNBCが共同出資している会社のようで、そのことからもアメリカ人から見た美の基準が大いに幅を利かせているのは間違いのないよううです。
愚考するに、今回、森理世さんがミス・ユニバースに選ばれた背景には、アメリカ人からみた彼女のエギゾチックさ、オリエンタルな魅力が、アメリカ人中心の審査員の心の琴線に触れたのではないでしょうか。別な見方をすれば、森理世さんがミス・ユニバース日本代表に選ばれたのは、アメリカ人が好ましいと思う美の基準に合致した美人であったからではないかとも言えるのではないでしょうか。この魅力は日本人には理解できないのかもしれませんが、所謂。グローバルスタンダードと呼ばれるアメリカ人を中心としが美の基準の中では、森理世さんの美は輝いていたのかもしれません。
ということで、森理世さんですが、下世話ではありますが、口元をチェックしてみました。 アメリカ人から見た女性の美の審査基準の中には歯並びのチェックもあるはずです。アメリカ人は歯並びの悪さを嫌います。彼ら、彼女らの写真を見ていると興味深いのですが、証明書やオフィシャルな写真では必ずといっていいほど微笑を浮かべ笑っている姿が写っています。その際、口元は開き、前歯が写っているものです。前歯の歯並びが悪ければ、前歯の歯並びの悪さのために見た目の印象がよくありません。特に、八重歯などはドラキュラを連想させるものとして極度に嫌う傾向にあります。そのため、歯並びの悪さが見られた場合には積極的に歯の矯正治療が行われます。
今回、ミス・ユニバース日本代表からミス・ユニバースを選ばせるために、ある外国出身のコーディネーターが付きっ切りで指導していたといいますが、おそらく事前に歯並びのチェックもしていたはずです。今回の森理世さんも歯並びという点では非常にきれいな歯並びをされていました。 ただ、彼女の上の前歯4本と左の第一小臼歯と呼ばれる歯がメタルボンド冠と呼ばれる表面をセラミックで被った被せ歯でありました。一見するとわかりにくいのですが、彼女が笑った時に見えた前歯の状態が奥歯や下の前歯に比べてわずかに白いのです。よく見ていただければ誰でもわかると思います。
以前、知人の歯医者から聞いた話しですが、ミスコンテストに出るような人は必ずといっていいほど審美歯科の治療を受けているとのこと。被せ歯だけでなく、歯の表面だけを削り、殻状のセラミックを被せるラミネートベニアと呼ばれる詰め物を詰めたり、歯の漂白であるホワイトニングやクリーニングを受け、歯の白さをアピールできるようにしているそうです。歯の白さというものも千差万別でそれぞれ個性があっていいものだとは思うのですが、ミスコンテストでは歯の白さが重要なアピールポイントになるようです。
とにもかくにも、森理世さんはこれから1年間、ミス・ユニバースとして非常に忙しい生活を過ごすことになりそうですが、日本を代表する美女として、世界にアピールし、日本の良さをもPRして欲しいものです。
2007年06月20日(水) |
子供の鉄棒逆上がり練習から感じたこと |
小学生の頃、体育ではいろんなことを習得するようなカリキュラムがあるものです。かけっこから、水泳、跳び箱、縄跳びなど、誰もが一度は習得するのに苦労をしたことがあるのではないでしょうか?どちらかというと運動が得意な方ではなかった僕は、水泳、跳び箱、縄跳びなどをマスターするのはクラスの中でも遅い方でした。クラスの友達がゾクゾクとマスターしていく中、いつまで経ってもマスターできない自分自身が情けなくもあり、悔しくもあったものです。
今、僕の子供たちも彼らにとって新しいことをマスターしようと努力しています。小学生の上の子は逆上がりにチャレンジ中ですが、上の子は非常に焦っています。それもそうでしょう。クラスの中で逆上がりがマスターしていないのは自分を含めわずか数人という現状だからです。親に似ているものです。先日、小学校から帰ってきた上のチビは、開口一番
「学校で逆上がりができなくて悔し涙が出たんだよ。」
これを聞いたお父さんである僕はいても立ってもいられませんでした。僕の仕事が休みである休日、上のチビを連れて近所の公園へ逆上がりの練習に出かけたのです。
近所の公園へ出かける前、僕は自分の小学生時代のことを思い出そうとしました。僕も逆上がりがなかなかできず苦労をしたのですが、どうやって逆上がりをマスターしたのか、全く記憶に残っていなかったのです。 そこで、僕は本屋で逆上がりに関する本を購入したり、インターネット上で逆上がりのマスターするためのコツのような情報を得ました。その結果、わかったことは、逆上がりをマスターするには、いくつかのポイントがあるということでした。
一つは、鉄棒に体を密着させること。これは逆上がりをする際、腕に力を入れて体をひきつけるために必要なことで、逆上がりができない子供を見ていると、この腕のひきつけによる鉄棒への密着ができていません。 二つ目が足を高く上げること。逆上がりは自分の体を後ろ向きに回転させるわけですが、そのためにはまず足を真上に高く蹴りだす必要があります。この蹴り出す力が不足しているとうまく体が上がりません。 もう一つが、頭が逆さまになる感覚です。
こういった逆上がりをすると当然だと思っている一つ一つの過程が一連の動作として理解し、体で把握して初めて逆上がりができるのですが、この過程の一つでもわからなければ逆上がりはできません。
上のチビの場合には、家の中で逆さでんぐり返りの練習をし、逆さになる感覚を少しでもわかるように練習。公園ではタオルを3つ折りにして腰に当て、タオルの両端を鉄棒にかけ、腕で上から持たせて逆上がりをするようにしていきました。 逆上がりの際には、すのこやベニア板を使い、駆け上がるようにしながら足を蹴り上げる練習も行いました。
結果はどうだったかといいますと、かなり惜しいところまではいっているのですが、実際にマスターするところまではいっていません。上のチビは手にまめをつくりながらも必死で頑張っている姿を見ていると、お父さんとしても逆上がりができるまで付き合わなければならないと心に堅く誓った次第。
ところで、上のチビの逆上がりの練習を見ていると、僕はあることを考えました。それは、何気なく行われる動作、結果の裏には人にはわからない、目立たない過程があるということです。
世の中の専門家と呼ばれる職業の人は、結果を出して当たり前のように見られます。 例えば、僕のような歯医者の場合、患者さんの歯痛やむし歯を治して当然のように思われますが、実際のところは、患者さんの口の中をじっくりと観察し、検査し、患者さんの訴えを聞きながら何が原因かを探る診断をしないといけません。診断ができれば後は治療となるのですが、治療もきちんとした定石のようなものがあります。この定石のようなものにのっとり、段階を踏んで治療をした結果、患者さんの症状が無くなり、初めて信頼が得られるのですが、そこに至るまでの診査、診断、治療の個々の過程は評価されないものです。できて当たり前といったところでしょうか?それぐらい、プロというのは厳しいものであると言うことができるでしょう。 けれども、実際のところは、結果を得られるまでの過程が非常に大切なのです。我々歯医者は、この過程のために日々、知識を得て、研鑽しているものなのです。本当のプロと呼ばれる人が着目するのは、結果以上に結果に至るまでの過程ではないかと考えます。
上のチビが必死に逆上がりを習得しようとしている姿を見ていると、逆上がりという動作の中においてもいくつものポイント、マスターするための過程があることを実感します。これらポイントをつかみ、体で理解し、再現できて初めて逆上がりができるのです。
上のチビが逆上がりをマスターするにはまだまだ時間がかかりそうです。けれども、親心というのでしょうか、一生懸命頑張っていることをちゃんと評価しないといけないとも感じました。もし、逆上がりがマスターできなかったとしたら、周囲からは逆上がりができないと馬鹿にされるかもしれません。周囲では逆上がりができるかできないかで評価されるのでしょうが、少なくとも親としての僕は、僕は上のチビが決して怠けず、必死に努力していた姿勢は評価してやろうと思っています。何事もマスターするための過程の大切さを感じ、必死に努力する大切さを今の時期に学ぶことができれば、それは大人になってから決して無駄にはならない、今後の長い人生で大きな糧になるのではないか。そう信じて疑いません。
2007年06月19日(火) |
陣痛よりも痛い、最強の痛みとは? |
先日、僕はある歯科関係の講演会を聴講してきました。講演会の内容は口腔顔面痛について。口腔顔面痛というと何やら難しく聞こえますが、実際は歯や歯肉に問題がないのにも関わらず歯や歯肉が痛いと感じる痛みのことです。
患者さんが歯や歯肉が痛いと訴えると、歯医者は歯や歯肉に異常がないか調べるわけですが、多くの場合、むし歯や歯周病が原因です。これら異常を見つけては適切な処置を施すわけですが、数は少ないながらも歯や歯肉に全く異常が認めらない場合があるのです。 これまでそういった痛みは、不定愁訴として片付けられていたことが多かったのですが、最近の研究でどうやら原因があることがわかってきたのです。 僕が参加した講演会はそうした口腔顔面痛の症例を紹介した講演会だったのですが、中でも興味深かったのは、人間が感じる痛みの中で最強の痛みについてでした。
人間が感じる痛みの中で最も痛いと感じる痛みといって何を想像するでしょうか?歯痛でしょうか?確かに歯痛も我慢できない痛みではありますが、以前ここでも取り上げたように、出産を経験した女性なら出産痛、陣痛が最も激烈な痛みだと答えるかもしれません。 今回の講演会では、陣痛よりも更に激烈な痛みがあるという話だったのです。その正体とは、群発頭痛。 群発頭痛とはあまり聞き慣れない言葉かもしれません。群発頭痛とは読んで字の如く、頭痛の一種なのですが、20歳代〜40歳代の男性に多く現れる痛みで、目の周りを中心に奥歯や側頭部に現れるのが特徴なのだそうです。 どんな痛みかというと、患者さんの訴えによれば
“のたうちまわるような大激痛” “焼け火箸を突っ込まれたような痛さ”
とのこと。痛さのあまりじっとしていられず、歩き回ったり、床を転げまわるような動作があり、夜中に現れるとあまりの痛さに目が覚めてしまい、眠れないとのこと。持続時間は15分〜3時間ぐらいで酒を飲んだ後に必ず症状が現れる特徴があるというのです。
この群発頭痛、症状が頻繁に起こる群発期と症状がおさまっている寛解期があるのが特徴で2年周期ごとに群発期と寛解期が交互に現れるのだとか。
群発頭痛の原因は、歯や歯肉ではなく、頭にある動脈である内頸動脈に炎症が生じたために発症するそうで、神経内科医が治療する病気なのですが、症状が歯に現れるため、歯痛と勘違いする患者さんが後を絶たないようです。歯医者も歯だと思い込むところがあり、神経の処置をしたり、場合によっては抜歯をしてしまうケースもあるそうで、これら処置を行っても症状が続いているためにお手上げになってしまった歯医者が多くいるようで、今回の講演会では群発痛の鑑別方法を教授してもらったわけです。
この群発頭痛について、講師が下のような話をしてくれました。
「数は少ないのですが、女性の患者さんで群発頭痛と胆石痛、陣痛と歯痛を経験された方がいらっしゃいました。いずれも耐えるに耐えられない痛みの代表みたいなもので、よくぞこれら4種類の強烈な痛みを経験されたなあと思うくらい貴重な体験をされた方だと思います。その患者さんにどの痛みが一番痛かったか質問してみました。何と答えられたかわかりますか?最も痛かったのが群発頭痛だったのです。その次が胆石痛、陣痛、歯痛という順番だったそうです。いろいろな文献を調べてみると、群発頭痛は人類最強の痛みという表現が見られるのですが、実際に様々な痛みを経験された人の体験談からも、群発頭痛の痛みが最強の痛みであることを知らされたように思います。」
2007年06月18日(月) |
日本人の平均学力は小学四年生 |
幼少のころ、僕は母親の祖父と一緒に暮らしていました。親父とお袋が結婚した際、半ば親父が婿養子のような形でお袋の実家で住んでいたからなのですが、僕が初孫であったせいでしょうか、親父以上に僕のことをかわいがってくれていたのが祖父でした。 祖父は長年、公立小学校、中学校で教師として働いていたのですが、僕が物心ついた頃には地元中学校の校長を務めていました。祖父には、夕方、中学校から帰ってくるや否や、いきなり日本酒をコップ一杯呑む習慣がありました。孫であった僕が日本酒が入った一升瓶でコップに酒を注ぐと非常に喜んでくれていたことを今でも記憶に鮮明に残っています。酒が入り、陽気になった孫の僕にはいろいろと話をしてくれたのですが、その話の中で今でも覚えている話の一つが、日本人の学力についての話です。
「日本人って優秀だってよく言われるけど、本当はどれくらいの学力かわかるか?本当はな、小学校4年生くらいの学力しかないんだよ。うそだと思う人が多いかもしれんけど、これは本当なんや。わしが長年先生として現場に立っていた経験から言えることなんやで。」
わけがわからないまま聞いていた幼少の僕でしたが、妙に”小学校4年生”という言葉が何かキーワードのように印象に残っていました。
あれから30数年、僕は41歳になりました。自分の子供の一人が小学校3年生になってきました。時々、子供の勉強の具合を見ることがあるのですが、驚いたことの一つに、小学校2年生からの授業内容からレベルが一段高くなっていることがあります。小学校2年生までと比べ、授業の内容、進むスピードが異なっているのです。さながら、スローペースだったマラソンレースが何キロかの地点でいきなりペースアップしたかのような状態とでも言えばいいでしょうか。かつて僕自身、同じような教育を受けてきてはいるのですが、改めて自分の子供が小学校教育を受けている姿を見てみると、小学校3年生の授業内容というのは明らかにレベルアップしていることがよくわかります。しかも、その内容というのが大人から見てもかなり高度なのです。その証拠の一つを今日は下に紹介します。上の子供は学校の授業だけではなく、ある通信教育を受け勉強しているのですが、国語の課題の文章です。
みなさんが歯と言っているところは、ほんとうは、歯の上半分です。もも色の歯ぐきの中には、歯の根が長くのびて、あごのほねにつながっています。あごのほねの中で、新しい歯が生え始めると、古い歯の根が、下のほうから自然にとけてなくなっていきます。歯をささえている根が、なくなってしまうのですから、その結果、歯がぐらぐらになるのは当たりまえです。
けれども、虫歯でもない歯が、なぜ新しい歯と生えかわったりするのでしょうか。
それは、みなさんがずんずん成長していくからです。手や足のほねは、みなさんの体が大きくなるにつれて、のびていきます。歯がくっついているあごのほねも、おおきくなります。歯がぬけるのは、大きくなったあごのほねに合うような、新しい大人の歯と入れかわるためです。
ぬけてしまう子どものときの歯は、上下合わせて二十本です。新しく生えてくる大人の歯は、全部で三十二本ですから、十二本多く生えてくることになります。この多く生えてくる大人の歯は、全部おく歯で、あごのほねが大きくなるにつれて、順々に生えてきます。
前歯がぬけて、新しい歯と生えかわる前に、じつは大人のおく歯が、そっと生えてきます。このおく歯のことを、特に六才きゅう歯とよんでいます。六才ごろ生えるので、こうよぶのです。
六才きゅう歯は、初めて生える大人の歯です。この歯は、もう生えかわることがなく一生使うものです。そして、いちばんがんじょうでかむ力が強い歯でもあります。ところが、この六才きゅう歯が、歯のなかで最も虫歯になりやすいのです。
どうして、六才きゅう歯は、虫歯にかかりやすいのでしょうか。
それは、この歯の上の深いみぞや、となりの歯との間のすきまや、生え始めのときの歯ぐきとの間のすきまに、さとうや食べかすがたまって歯にくっつくからです。
歯にさとうや食べかすがくっつくと、口の中にすんでいる虫歯さんが、元気になってきます。そして、さとうや食べかすと力を合わせて「さん」を作り出し、歯にあなをあけて、虫歯を作るのです。と国、生えたばかりの歯は、まだしっかりかたい歯になっていないので、虫歯になりやすいのです。 平成十二年度版 日本書籍 教科書四下 35ページ〜38ページ 「じょうぶな歯を作る」 今西 孝博
どうでしょうか?小学校3年生とはいいながら実際は小学校4年生の教科書からの出題です。漢字の数は少ないものの、大の大人が読んでも読み応えのある内容であることがおわかりかと思います。しかも、内容は歯のこと。専門家である僕が読んでもかなり正確な内容が書かれてあります。正直言って、大人の中にこの内容を理解している人がいるかというと、結構な割合で“知らない”と答える人がいるはずです。
たかだか小学校3年生、4年生の教育内容だと思っていると、実は大人が読んでも恥ずかしくない内容だということがわかると思います。 祖父が語っていたのは、今から30年以上前のことですが、その言葉の意味は未だに通用するように思えてなりません。むしろ、ゆとり教育を受けてきた世代の人たちの場合、平均学力は小学校3年生、4年生以下かもしれません。
亡くなった祖父はこのようなことも言っていました。
「知識人とか教養人と呼ばれるためには、中学校3年生の教科書の内容がわかっていれば十分だ。」
今更ながら長年教職についていた祖父の指摘が如何に鋭かったか、思い知る歯医者そうさんでした。
2007年06月16日(土) |
父の日のプレゼントはないよ〜 |
「パパには父の日のプレゼントはないよ〜。」
発言の主は幼稚園に通う下のチビ。昨日、幼稚園から戻ってくるや否や、僕の顔を見るなり笑いながらこのようなことを言ったのです。
そう言われれば、今週末の日曜日は父の日です。僕が父となってから既に9年経っていますが、未だに自分が二人の子供の父親ということが信じられないでいます。結婚する前には、嫁さんとの間に子供ができればいいなあと思っていました。幸いなことに結婚してから二人のチンチンボーイが生まれてきてくれたのですが、子育てに参加をしながらも本当に僕が父親としての資格があるのだろうかと自問自答することがしばしばでした。
“僕はちゃんと父親としての役割を果たしているのだろうか?子供たちには父親として見られているのだろうか?” そんな思いが心のどこかにあります。
下のチビが戻ってきた後で嫁さんがやってきました。
「○○ちゃん(下のチビのこと)が幼稚園で父の日のプレゼントを作ってきたよ。」
そうなのです。下のチビは幼稚園で父の日のために何か作品を作っていて、家に持って帰ってきてくれていたのですが、僕の顔を見ると照れくさかったようで、上のようなことを言ったのです。嫁さんが手にしていた、下のチビのプレゼントとは下の写真でした。
下のチビが下から僕を見上げているような視線で作られていることがよくわかります。下のチビなりに想像を膨らませて作ったのでしょう。下のチビは、僕の顎ひげのことを指摘しているせいか、ちゃんと顎の下には点々のひげまで描いていてくれています。 作品の中にはメッセージが書かれていました。メッセージは幼稚園の先生が代わりに書いてくれたものです。
おこられても、すぐにゆるしてくれるおとうさんがだ〜いすき
下のチビにはそれなりに父親として見られているのだなあ。 ほっと安堵すると同時に温かいものを感じた、歯医者そうさんでした。
2007年06月15日(金) |
これは増税じゃないか? |
昨日、我が家の郵便受けに入っていた郵送物を確認していると、ある郵送物が届いたことに気がつきました。“今年もこの時期が来たのだなあ”と思ってしまった郵送物とは、市県民税の納税通知と振込用紙でした。
国民の三大義務の一つである納税の義務。正直言って、僕は、お金が入ってくることに関してはうれしく感じますが、お金が出て行くことに対しては気持ち良く感じられません。お金が出て行くにはそれなりの理由があれば自分を納得させられると思い、支払うべきことにはきちんと支払っているつもりです。税金もそんな支払いの一つです。納税というのはあまり気乗りするものではないのですが、国民の義務としてちゃんと税金は払わないといけないものとわりきっていますが、気になるのはやはり納税額。どれくらいの納税額があるかということには常に目が行ってしまいます。 今回郵送されてきた、市県民税の納税通知と振込用紙ですが、納税通知の中身を見た僕は、驚きました。その理由は、昨年度に比べ市県民税の納税額が増えていたからです。どうしてなのだろう?これは増税ではないかと感じざるをえませんでした。
皆さんご存知のことと思いますが、市県民税は前年の所得から割り出されて算出されます。当たり前のことですが、所得が増えれば市県民税は増え、所得が減少すれば市県民税は減るはずです。歯科医院を経営している僕ですが、詳細は書けませんが、昨年の所得はその前の年の所得よりも減少していました。保険診療中心のうちの歯科医院は、保険診療のマイナス改定の影響をまともに受けました。本来なら納税すべき市県民税も減っているはず。ところが、今回送られてきた市県民税の納税通知を見ていると、昨年よりも増えているのです。この謎は同封されていた平成19年度税制改正の概要と呼ばれる説明用紙に理由が書いてありました。
いわゆる三位一体改革の一環として、今年度から所得税から市県民税への恒久措置として、3兆円規模の本格的な税源委譲が実施されるとのこと。この税源委譲にあたり、市県民税所得割の税率が変更になったようで、一律に10%になったようなのです。具体的には市民税が6%、県民税が4%。 その一方、所得税の税率も現行4段階から6段階に改正され、税率構造が全面的に改められるのだとか。 この影響で、多くの納税者は市県民税が増額になるそうです。うちの歯科医院の所得が減ったのにも関わらず市県民税の納税額が増えたのは、今回の税制改正の影響があったのでした。
その一方、説明用紙には以下のようなことも書かれていました。
今回の変更により多くの納税者は市県民税が増税となりますが、その分所得税は減額となり、市県民税と所得税の合計額において、納税者の負担が増えないように配慮されています。
それであればいいのだけれどもと思いながらも、僕は前年度及び一昨年度の確定申告書を元に実際に納付した所得税を確認してみました。その結果はといえば・・・
増えていました!
市県民税と所得税の合計が増えているではありませんか!
納税者の負担が増えないように配慮していると説明用紙には書いてありながら、実際、僕が支払うべき市県民税と所得税の合計額は増えておりました。
どうも所得税の税率に関する改正は、平成19年分の所得から適用されるようなのですが、今年に限って言えば、市県民税の新たな税率は昨年の所得を対象としています。昨年の所得にかかる所得税と市県民税の合計を考えれば、今年、僕が支払わなくてはならない額は実質増税になるのです。
納税は国民の三大義務ではあるのですが、実際に収入が減っているにも関わらず納税額が増えている現実。収入が減少すれば、納税額も減るのが筋ではないか?そうとはなっていない矛盾に納得できない週末を迎えた、歯医者そうさんでした。
2007年06月14日(木) |
そして、誰もいなくなったが・・・ |
インターネット全盛時代、あらゆる会社、企業、学校、官庁、医療機関にホームページがあります。ホームページとっても千差万別で活動的で更新が頻繁に行われているホームページがある一方、一度立ち上げてみたものの、放置されているホームページもあります。僕も“歯医者さんの一服”というちっぽけなサイトの管理者ですから、ホームページを継続して管理していく難しさは肌身をもって感じていますが、たとえどんな形であれ、ホームページを更新していくと、何らかの反応はあるもので、そんな反応がモチベーションとなりホームページを維持していく糧になると言っても過言ではありません。 たかがホームページですが、生き物のように新陳代謝するものだということを強く感じています。
ところで、昨夜僕は久しぶりにとあるホームページを尋ねてみました。そのホームページとは僕がかつて所属していたK大学某教室のホームページです。K大学には大学の公式ホームページが存在するのですが、学内の各学部の教室ごとにホームページが用意されています。それぞれの教室のホームページには、外部の人たち向けに自分たちの教室の研究内容やこれまでの研究成果、教室の人員などが紹介されているのです。 僕がかつて大学院生として過ごした某教室にもこれまでの研究テーマの紹介や業績が掲載されているわけですが、久しぶりに訪れた某教室のホームページを見て、僕は一抹の寂しさを感じました。それは、僕が知っている先生の名前が誰一人見あたらなかったからです。
既に僕がK大学大学院を修了してから12年という月日が経過しているのですが、その間に、僕のボスであった教授はガンのために鬼籍に入られました。直接指導を受けた恩師であるM先生は、5年前に外部の大学の教授として転進され忙しい日々を送られています。僕の相談相手になって頂いていた大学院の先輩の先生も外部の大学へ移られ、今は講師として活躍されています。そして、昨年の時点まで僕が知っている先生で唯一某教室に在籍し続けていた先生がいました。Y先生でした。
Y先生に関して、僕はあまり良い思い出がありません。大学院入学当初、僕はY先生について研究をしていたのですが、どうもY先生とは肌が合わず、衝突を繰り返していました。今から思えば若気の至りだとは思うのですが、当時の僕としては様々なことでY先生を受け入れることができず、感情的に爆発してしまったことがしばしばでした。そして、何を考えたのか、僕は自らY先生のもとを去ったのです。自ら去ったといえば聴こえはいいものの、指導教官がいなくなった僕は自分の研究が出来ないのも同然の身になってしまったのです。 そんな我がままな僕を拾ってくれ、面倒を見てくれたのが恩師M先生でした。M先生には大変な迷惑をかけたと思っていますが、M先生の寛大なお心で僕は大学院での研究生活を実りのあるものにできたのではないかと思っています。M先生を恩師の一人として今も尊敬している理由の一つは、そんな経緯があったからなのです。
それはともかくとして、僕の最初の指導教官であったY先生が昨年まで助教授としてK大学某教室に在籍していたのですが、昨夜見たK大学某教室のホームページにY先生の名前が掲載されていなかったのです。一体どうしたことなのだろう? インターネットとは便利な物です。Y先生の名前を検索エンジンで調べてみると、直ぐにY先生の現状がわかりました。Y先生はこの4月に設立された大学の教授として赴任されていたのです。
Y先生も不遇でした。何年も前からいくつかの大学の教授に応募しておきながら落ち続け、いざK大学某教室の教授選挙では、自分よりも年齢が若い外部大学からの先生が教授となり、助教授のまま過ごされていましたから。Y先生のことを快く思っていない僕でも、Y先生の不遇には少し同情するところがありましたが、そんなY先生が無事に新設大学の教授に転出されたのです。 大学院を修了して既に12年。咽喉もと過ぎれば熱さ忘れるではありませんが、不思議なもので、かつて肌の合わなかったY先生が無事に教授になられたことを知って、僕はある意味、安堵したような気になりました。
最後まで残っていたY先生もいなくなった今、かつて僕が所属していた教室には僕と面識のある先生が誰もいなくなりました。時代の流れとはいえ、自分の出身教室に僕と関係していた先生が誰一人いなくなった事実に僕は何とも言えない寂しさを感じました。
ただ、うれしかったことが一つ。それは、K大学某教室のホームページに紹介されている写真です。教室の研究成果を紹介するための写真なのですが、その写真、実は僕が撮影したものなのです。今から13年前に撮影した写真ですが、それが未だに教室のホームページに公開されているのです。
自分が知っている先生はいなくなりましたが、僕がかつて撮影した写真が残っている事実。僕の分身が未だK大学某教室に残っているようで、知っている先生がいなくなり寂しさを感じた僕の気持ちを和ませてくれました。
2007年06月13日(水) |
数字のトリック、グラフのマジック |
先日、僕は嫁さんと一緒に近所のスーパーに出かけたのですが、スーパーに入る際、入り口に掲げてあったポスターのキャッチコピーに視線が行きました。
もう7割、まだ7割
これは何のキャッチコピーかといいますと、スーパーの利用客の7割がマイバッグを利用しているという意味のキャッチコピーです。 最近、全国のスーパーではマイバッグを持参しようというキャンペーンが広がっているようです。資源の無駄使いを止めたり、環境を考えようというキャンペーンの一環です。僕がよく利用するスーパーでも同様のキャンペーンが行われていて、マイバッグを持参する人が増えているようです。我が家でもマイバッグを持参し、買物をしているくらいです。スーパーで全て買物袋が有料化されたこともあるのかもしれませんが、以前のようにスーパーの買物袋を常に利用するようなことはしなくなっています。その結果、スーパー利用者の7割がマイバッグを持参するようになったというのです。
この数字、以前から考えれば大きな進歩だと思うのですが、その一方で違った見方も出来ます。まだ7割しかマイバッグを利用していないという見方です。 スーパー利用者の7割がマイバッグを利用している事実は変わらないのですが、物の言い方の違いにより、“7割も利用している”というニュアンスと“7割しか利用していない”というニュアンスとも受け取ることができるのです。スーパーの入り口に掲げてあったポスターは、そのことを巧みにつき、もっと多くの利用者にマイバッグを利用してもらおうという意図のポスターのように思えました。
このように、同じ数字でも表現の仕方、見方の違いによって正反対に受け取ることができることがあるものです。最近、僕の歯医者の友人から聞いた話です。
友人はある市の小学校の学校歯科医をしているのですが、ある夜、地元歯科医師会の先生から呼び止められたというのです。
「君が学校歯科医をしている小学校の歯肉の状態が良くないと地元市の関係者から話を聞いたのだけど、一体どうなっているんだ。」
友人が学校歯科医を担当している地区の市では、地元歯科医師会の先生がそれぞれ小学校の学校歯科医を担当しています。毎年、今頃の季節、全国の学校では、定期健康診断があり、その中に定期歯科検診も行われます。友人のいる市も例外ではなく、友人も学校歯科医として自分の小学校の歯科検診を担当しています。歯科検診終了後、友人の市では、市内の全部の小学校のデータが検診終了後集計され、市内の小学校生徒たちの歯の健康状態が調べられ、結果は、歯科医師会にも報告されるのです。 その結果を見た、地元歯科医師会の先生の一人が、友人が学校歯科医をしている小学校の歯肉検査結果が他の小学校に比べ、悪いということを言ってきたのです。
友人にとっては寝耳に水の話でした。確かに決して友人が学校歯科医をしている小学校の歯肉検査が市内の小学校で最も芳しいものであるとは言いきれないのですが、それにしても突出してよく無いと言われるとは思いもしなかったというのです。 疑問に感じた友人は、地元歯科医師会の先生にデータを見せてもらうようにお願いし、データを見せてもらったそうです。 そのデータにはこのようなものでした。市内には数多くの小学校がありますが、今回は話をわかりやすくするために4つの学校分だけのデータを出します。
歯肉の異常所見のある生徒の割合 A小学校 10% B小学校 20% C小学校 8% D小学校 12%
友人が地元歯科医師会の先生から見せてもらったデータはこの数字をグラフ化したもので、下のようなものだったそうです。縦軸は歯肉の異常所見のある生徒の割合をパーセントで記しており、横軸はそれぞれの小学校を示します。ちなみに、友人が学校歯科医をしているのはB小学校です。
この図からみると友人が学校歯科医を担当しているB小学校の異常者の数は他の小学校の比べ悪いように思えます。
ところが、縦軸の最高を100%にすればどうでしょう?
また、歯肉の異常所見の無い者の割合でグラフ化してみるとどうでしょう? すなわち、 A小学校 90% B小学校 80% C小学校 92% D小学校 88% ということです。
確かにB小学校の成績は良いものとは言えませんが、一番上のグラフを見れば最も悪いように見えるものの、二番目や三番目のグラフを見てみると、印象はそれほど著明に悪いようには見えません。しかも、これらグラフは全く同じデータを意味しています。
友人曰く
「数字のトリックというのかな、グラフのマジックというのかな、同じデータであっても表現の仕方で随分の人の見方って変わるものだということを痛感したよ。このことは世の中のいろんな調査結果においても言えることじゃないかな。一見すると大変なように思えるデータも、違った視点で見てみると全く異なった解釈がなされることが多いと思う。中には意図的にあるデータを強調したいがために表現の仕方を誇張しているものもあると思うよ。数字やグラフって客観的な物のように思うけど、意外に主観的なものかもしれないな。」
医療の世界には、かつてなら死病だと言われていた病に原因を発見し、治療法が見つかったという例が数多くあります。数多くの感染症などはその最たる例でしょう。歯科の世界でもそうで、むし歯や歯周病はそれぞれある種のばい菌が原因である感染症であることが明らかにされ、しっかりと対策を講ずれば予防が可能となってきています。 その一方で、医療の世界では、多くの研究成果があがり、技術進歩があったとしても、まだ原因さえ明らかになっていないことがあるものです。数多くのガンなどはそうで、原因さえ特定されていないものがほとんどです。 歯科の世界においてもまだ原因が特定されていないことがあります。その一つが歯ぎしりです。
歯ぎしりを知らない人はいないでしょう。歯を食いしばったり、何度も噛み合わせたり、歯をすり合わせたりすることの総称です。誰もが一度や二度は経験したことがある生理現象の一つですが、これがどうして起こるのかまだ解明されていないのです。
全く手をこまねいてきたわけではありません。過去から現在に至るまで多くの研究者が歯ぎしりについて研究してきました。どうも精神的なストレスを感じた時に歯ぎしりが起きるであろうというところまではわかっているようなのですが、はっきりとしたメカニズムは未だに解明されていません。 これまで薬による治療法や心理療法なども行われていますが、原因が不明である以上、これら治療法が功を奏しているようには思えません。個人的には、歯ぎしりのメカニズムを解明すれば、その研究成果はノーベル賞級のものではないかと思うくらいです。
歯ぎしりはほぼ全ての年代で起こります。幼児から高齢者に至るまで全ての年代で歯ぎしりは起きるのです。歯ぎしりのひどい人は、歯の噛み合わせの面が磨り減り、元来凹凸があった歯の表面がまっ平になっています。歯の表面はダイヤモンド並みに硬い組織であるはずなのですが、それがまっ平になるということはそれくらい歯ぎしりの力が強く作用している証拠です。
歯医者にとって、患者さんの歯ぎしりは悩みの種の一つです。せっかく歯医者が精密な被せ歯や差し歯、入れ歯、インプラント治療を行ったとしても、無意識のうちに歯ぎしりをされると、台無しになってしまうことが多いからです。 ところが、歯ぎしりのメカニズム、原因が解明されていないということは、原因療法もわかっていないということです。 それ故、歯ぎしりは歯医者にとっても頭痛の種の一つなのです。
ただ、患者さんに歯ぎしりがあったとしても、歯医者が何も対策を講じてこないわけではありません。歯ぎしりに対しては対症療法を行うのが普通です。
具体的には、睡眠時にスプリントと呼ばれるプレートのようなものや、マウスガードを装着してもらい、歯ぎしりしても直接歯と歯が擦れ合わないようにします。歯ぎしりが生じても、歯に影響を与えないようにするための工夫です。
歯医者としては、今後の歯ぎしり研究の進展を期待したいところです。歯ぎしりがどうして起こるかそのメカニズムが解明されれば、自ずと根本治療の道は開けると思うのですが。 歯ぎしりは歯医者にとって頭の痛い問題です。思わず歯ぎしりしたくなってしまいます・・・。
2007年06月11日(月) |
おじいさん、孫を虐待か? |
先週末、僕が所属する地元歯科医師会では一般市民向けに公開講座を開きました。この公開講座は、毎年数回程度行われているもので、広く一般市民の方に歯や口に関する健康の大切さを知らしめようと、地元歯科医師会が主催している催し物の一つです。講師は地元歯科医師会の会員の歯医者が担当しているのですが、僕はこの講演会の裏方の一人として参加してきました。
今回の講座は市内の某公民館の一室を借りて行われたのですが、一室がほぼ満員になるくらい盛況でした。参加者は年齢層が高めではあったのですが、どの方も熱心に聴講され、講演後、いくつも質問が出されました。質問が活発に出るということは、参加者の関心が高いという証拠でもあるわけですが、中には歯医者からみて非常にユニークだと感じられる質問がありました。 質問者は高齢の男性の方でした。
「私には孫がいるのですが、いつも孫の乳歯がぐらぐらしてくると抜いてやっているんですが、抜いてよいケース、抜いてはいけないケースがあれば教えて下さい。」
誰もがご存知のことと思いますが、乳歯は3歳前後で生えそろい、小学生の間に永久歯と生え変わります。質問者のお孫さんはどうも小学生の低学年のようで、お孫さんの歯がぐらぐらしてくると、質問者であるおじいさんのもとにやって来て、歯を抜くように言うそうです。孫にぐらぐらの乳歯の抜歯を頼まれた質問者は、その歯に糸をくくりつけ、思い切って引っ張ることにより乳歯を抜歯しているようです。
このような光景、以前であればおじいさんやお父さんが孫や子供の成長の手助けをする光景の一つとして、どの家庭でも見られた光景かもしれません。おじいさんが孫の子育てに参加する一光景として、微笑ましく見えるものかもしれません。
歯医者の本音として書かせてもらうと、あまり感心できません。 いくらぐらぐらして抜け落ちそうな歯だったとしても、無理して抜歯をするということは痛みを伴います。一瞬だったとしても痛いものです。咽喉もと過ぎれば熱さ忘れるではありませんが、孫にすれば一瞬の痛みくらいは我慢できるものかもしれません。けれども、歯のことがよくわからなかった昔ならともかく、歯科医学が進んだ現在においては、麻酔をして痛みを感じないようにして抜歯をすることが可能です。 また、麻酔をすることは痛みを感じさせないようにするだけでなく、抜歯後の出血を抑制する意味合いもあります。麻酔注射液の中には血管を収縮させる薬が含まれています。抜歯をする歯の周囲に麻酔注射液を注入すると、抜歯する歯の周囲にある微小血管を収縮させます。その結果として、抜歯後、歯を抜歯した周囲の歯肉からは出血しにくい、出血しても直ぐに止血する状況になるのです。 無理をして家庭で乳歯抜歯をするよりは、痛みを感じさせないようにして抜歯し、止血効果が期待できる歯医者で抜歯した方がいいのではないかと思います。
ぐらぐらしている乳歯であれば問題なのですが、乳歯がぐらぐらしていないにも関わらず後続の永久歯が生えてくるような場合があります。これは要注意です。本来、乳歯の真下に生えてくるはずの永久歯が位置をずれて生えてきているからです。こうなると、永久歯になった時の歯列やかみ合わせに乱れが生じることになります。そうならないようにするために、乳歯の前後に後続永久歯が生えてきた場合には、歯医者で乳歯を抜歯する必要があります。
ある程度の年齢になっても乳歯が生え変わらない場合があります。この場合、後続の永久歯が生まれつき無い場合や後続永久歯が埋まっていて生えてこない場合もあります。レントゲン写真を撮影すれば一目瞭然なのですが、家庭の中だけでは決してわからないものです。いつまでも後続永久歯が生えてこない場合は、不安がるだけでなく近所の歯医者、かかりつけ歯医者を受診することをお勧めします。
今回の講演会で講師は上記のようなことを回答していましたが、僕も全く異論はありません。家庭の中のことですから、孫のぐらぐらした歯を親やおじいさん、おばあさんが抜歯しても問題ないのかもしれません。孫は親やおじいさん、おばあさんを無条件に信用していますから。けれども、痛いことは誰でも嫌なもの。虐待するというわけではないでしょうが、抜歯で痛い、嫌な思いをするなら、歯医者で痛くない抜歯をしてもらった方が孫のためになるのではないか?講演後の質疑応答を聴きながら、そのようなことを感じた歯医者そうさんでした。
6月4日から6月10日までは歯の衛生週間ということで、全国各地で歯や口の健康に関する啓発事業と称して様々な催し物、PR行事が行われています。僕も普段の診療の合間をぬって地元歯科医師会の関連の歯の衛生週間がらみの行事に参加してきました。 他の地元歯科医師会の先生とも話をしていたのですが、年々、歯の衛生週間がらみの行事には参加者が増えてきています。中でも、幼い子供を連れた親子が参加されるケースが多くなってきています。このこと自体は好ましい傾向だと言えます。三つ子の魂百までといいますが、幼い頃に歯や口の中のことに関心を持つということは、一生歯は口の中に対する関心が持続するきっかけともなります。既に大きな大人になってから生活習慣を変えようとしてもなかなか難しいものです。頭の柔らかい、柔軟性のある子供の時期に好ましい習慣を身につけさせると、その習慣は一生続く可能性が高いと思います。そういった意味で、親が幼い子供を連れて歯の衛生週間記念行事に参加して頂くことは、将来の歯や口の中の健康に大きなプラスに働くことは間違いないことでしょう。
さて、昨日は歯の衛生週間後半。偶然重なったというべきかもしれませんが、僕は1歳6ヶ月児歯科検診に検診医として出務してきました。 1歳6ヶ月児健康診断というのは、母子保健法に定められている母子保健事業の一つですが、全国の1歳6ヶ月の子供を対象に各市町村が責任をもって行う事業です。この1歳6ヶ月児健康診断の中に歯科検診があります。 1歳6ヶ月児の口の中というのは一つの目安があります。乳歯は全部で20本生えるものなのですが、1歳6ヶ月の時には一番奥に生える第二乳臼歯以外の16本の歯が生え揃う時期でもあるのです。口の中の衛生状態を調べると同時に、歯の生え具合をチェックすることが歯科検診の大きな目的でもあるわけです。 ちなみに、3歳児健康診断というものもありますが、この時行われる歯科検診では乳歯が全部生え揃っている時期でもありますから、乳歯の生え揃っている様子をチェックすることも検診項目の一つとなっているのです。
1歳6ヶ月児の歯科検診はいつもながら非常に賑やかなものとなりました。1歳6ヶ月児は、まだ他人との言葉によるコミュニケーションが取りにくい年齢でもあります。自分から口から言葉を発して意思伝達をすることもままならない年齢。そんな1歳6ヶ月児の口の中を全く見ず知らずの検診医が診ようとするわけです。 「お口を開けてみてね」と言っても逆に口を真一文字にしてしまう子供もいるくらいです。説得して口の中を開けてもらうことができませんし、多くの1歳6ヶ月児を限られた時間で検診しないといけない時間的制約もあります。
このような場合、検診を受ける1歳6ヶ月児には泣いてもらいます。泣くといっても厳しい言葉をかけたり、暴力を振るうということではもちろんありません。どうするかといいますと、検診時、親御さんに子供を抱えてもらい、子供を仰向けにさせるのです。子供の体は親御さんに支えてもらいながら、子供の後頭部を僕の膝の上にのせてもらうわけです。子供としては、いきなり仰向けにされるため“一体何をされるのであろう?”という不安から泣き出してしまいます。その時がチャンスです。泣くということは口を開けてくれるということでもあります。この泣いた瞬間を見逃さず、直ちにミラーを口の中に入れ、歯や口の中の異常がないかチェックするのです。
おかげで、歯科検診の場は子供たちの泣き声で賑やかそのものです。同じ検診でも3歳児健康診断の際の歯科検診とは対照的です。3歳児の場合は、言葉によるコミュニケーションが出来る年齢でもありますから、ほとんどの子供が口を素直に開けてくれ、実に静かな雰囲気ではあるのですが、1歳6ヶ月児の場合は、仕方なく泣いてもらっています。
ただし、検診が終われば直ぐに泣き止んでくれるもの。検診が終わり、僕が“バイバイ”と言って手を振ると、直前まで泣いていた子供も“バイバイ”と手を振ってくれます。
子供ってかわいいものだなあと改めて感じる瞬間です。
2007年06月08日(金) |
うちの歯科医院 閉院します |
昨夜、地元歯科医師会の会合があり出席してきたのですが、いつもながら会合の合間に何人かの先生と話をしました。話題の中心は歯科医院の経営のこと。
昨今、むし歯の数が減少してきたことは各種調査が証明しているのですが、国民全体の健康福祉の面から言えば好ましい傾向であるものの、歯科医院の経営にとっては厳しいものがあるなあという認識で一致しました。以前であれば5月、6月の時期というのは歯科医院の経営にとっては稼ぎ時でありました。全国各地の学校では6月末までに定期歯科検診が行われ、治療勧告書が出た児童、生徒たちはこぞってかかりつけの歯科医院を訪ね、むし歯治療を受けたものです。むし歯が蔓延していた時期では、この時期多くの児童、生徒で歯科医院はごった返していたものですが、その分、歯科医院にとっては収入アップにつながっていた時期でもあったのです。ところが、むし歯の数が減少してくると、治療勧告書が出ない児童、生徒が増えるということになります。ということは、学校の定期歯科検診によって歯科医院を受診する児童、生徒の数も自ずと少なくなるということになります。全国の児童、生徒のむし歯の数はここ10年間の間でも半減しています。親御さんの口の中の衛生に対する関心が高くなった証拠でもあり、好ましいことではあるのですが、歯科医院の経営を考えると厳しいものがあると言わざるをえません。
上記のような話をしていると、話に参加していたT先生がいきなり下のようなことを言われたのです。
「今月をもってうちの歯科医院を閉院します。」
話に加わっていた先生は一同全員驚きました。突然、何の前触れもなく自分の歯科医院の閉院を宣言するとは一体どういうことだろう?何か特別な事情があるのだろうか?通常、歯科医院を閉院する際には何がしかの噂が流れてくるものですが、T先生の歯科医院は多くの患者さんが来院し、歯科医院を閉院するような雰囲気ではなかっただけに、T先生の発言の意外さに驚いたのです。
「閉院といっても実際に閉院するわけじゃありませんよ。あくまでも書類上の話ですから。皆さん、そんなに驚かないで下さいよ。」
T先生のその後の話を聞いて納得しました。T先生はあるビルのテナントで開業していたのですが、そのテナントそのものが古くなったこと、近所に好ましい物件を見つけたことから歯科医院を移転させようとしたのです。このような場合、実際には近くの健康福祉事務所に届けを出さないといけないのですが、新しく移転する場合、実際は閉院しなくても書類上は診療所廃止届書を出し、新たに診療所開設届書を提出しないといけないのです。どうしてこのようなことになっているかと言いますと、一度提出した診療所開設届書に何らかの変更があった場合、修正が認められないことになっているからなのです。
実は、数年前、僕は父親から歯科医院の院長となったのですが、その際も父親が院長である自院の診療所廃止届書と僕が院長である診療書開設届書を同時に近くの健康福祉事務所に提出しました。実際のうちの歯科医院は何ら閉院してはいなかったのですが、書類上は一度閉院して、新しく歯科医院を開院していたのです。
T先生の場合もそうでした。自分の歯科医院を移転する場合、かつて提出した診療所開設届書の住所が変わります。その際、診療所開設届書の住所の変更届けだけではだめで、一端閉院手続きを取り、新たに歯科医院を開設する診療所開設届書を提出しないとだめだったのです。そこでT先生は、我々に自分の歯科医院が閉院することを伝えたわけです。
住所の一部を変更したり、開設者が変更になった場合、かつて提出した診療所開設届書を一部変更すれば済むだけの話のように思うのですが、どうもお役所はそのようなことを認めないようで、オールオアナッシングではないですが、変更があれば閉院しろと言うのです。そこまで大げさにしなくてもというのが正直なところですが、お役所の指導を受ける我々開業医は従わざるをえません。そうしないとお飯の食い上げなってしまいますから。
2007年06月07日(木) |
やっと安眠することができました! |
最近、うちの歯科医院で多いのが歯痛の患者さんです。患者さん自身、痛み止めを飲んだり、噛み方を工夫したりして痛みを我慢しようとしていたものの、痛みは治まらず、挙句の果てには夜眠れないくらい痛みがひどくなる。その結果、仕方なく歯医者を受診する患者さんが多いように思います。
歯痛の原因の中で最も多いのがむし歯によるものでしょう。むし歯が深く進行し、神経近くまで達した場合、ある時を境に突如激痛に襲われる方が多いようです。 むし歯は突然出来るものではありません。ある程度の時間の経過とともに歯の表面から深部へ進行していきます。 初期のむし歯の場合、エナメル質に留まっている場合がほとんどですので、むし歯があってもほとんどの方は症状もなく気がつかない場合が多いでしょう。定期検診でたまたまみつかったようなケースが多いはずです。むし歯が象牙質に達すると、冷たい物を飲むとしみたり、痛みが生じるものの我慢しているうちに症状が無くなるようなことがあります。この時に、歯科医院を受診し、治療しておけば、神経の処置まですることはないはずなのですが、そのまま放置してしまう人がいるものです。そのような方が何か物を噛んだり、飲んだりしたことをきっかけに突如、激痛に襲われる瞬間があります。むし歯菌が神経にまで達し、神経が炎症を起してしまった結果です。 一度神経が炎症を起してしまうと、神経は自ら炎症を抑えることができません。とうことは、痛みが持続し、痛み止めを飲んでも痛みが止まらなくなることがあるということです。 こうなると、神経そのものを取り除く必要があります。歯痛が我慢できなくなって歯科医院を来院する患者さんはこのような患者さんが多いのです。
そこで歯医者の出番ということになりますが、往々にして神経が炎症を起こし、痛みが持続する歯は麻酔が効きにくいもの。その理由の一つ麻酔注射液の化学的特性があります。 麻酔注射液は化学的には酸性なのです。人の体の中は中性ですので、酸性の麻酔注射液が浸透、拡散しやすいものなのです。 ところが、炎症が起こった神経は酸性になってしまいます。炎症により酸性の化学物質が神経から放出されるために酸性になってしまうわけですが、この時に麻酔注射液を浸透させようとしても、同じ酸性ということで麻酔注射液が浸透しにくいのです。そのため、麻酔の注射を打ったもののなかなか麻酔が効かないことが多いものです。 僕もこれまで何度も麻酔が効きにくい歯の神経を治療したことがありますが、そのような場合、いつもよりも多めに麻酔注射を打ったり、場合によっては炎症が起きている神経に直接注射を打つこともありました。さすがに神経の直接麻酔の注射を打った瞬間、患者さんは飛び上がるほど痛がられますが、注射液を注入していくと確実に神経の痛みはなくなります。
充分に麻酔の注射をしてからいざ神経の治療を行うわけですが、奥歯であればあるほど神経の処置には時間がかかります。その訳は奥歯の方が根っこが多くあり、枝分かれしている本数が多くなるためです。通常、大臼歯と呼ばれる奥歯には神経が3つ枝分かれしていますが、中には4本枝分かれしているものもあります。それに比べ、前歯では通常は根っこが一本であるため、神経も1本しかありません。そのため、治療もスムーズに終わるのですが、奥歯の場合、前歯3本〜4本分の処置をするようなもので、そのため治療時間がかかるというわけです。 奥歯の神経の治療には非常に多くの労力が必要なのです。
ただし、神経の治療を適切に行うと、あれほど苦しんでいた歯痛から見事に解放されるもの。多くの患者さんは、次回来院時、歯の痛みから解放されたことを喜ばれるものです。
「先生、夜も眠れないくらい苦しかった歯痛が全くうそのように無くなりましたよ。治療の終えた日の夜は熟睡できました。」
眠れなかった夜を安眠できる夜にした事実。
日々患者さんの口の中の治療をしていて感じることは、歯の治療をすることにより症状が劇的に変化することで患者さんの信頼感を得ることが多いということです。歯の痛みや歯肉の腫れ、歯が欠けたり、入れ歯が割れたりした際、治療前と治療後では大きく症状が異なります。自分でどうすることもできず、駆け込んできた患者さん。その患者さんの悩みを取り去ることに成功し、患者さんの笑顔を見る事ができることは、歯医者冥利に尽きるところがあるものなのです。
2007年06月06日(水) |
毒入り中国製歯磨剤についての一考察 |
昨今、アメリカで販売されていた中国製の歯磨剤の中にジエチレングリコールが混入していたそうで、アメリカ食品医薬品局では、該当する中国製歯磨剤を回収するように命令を出したというニュースが流れていました。かねてから中国製品の質の悪さが健康に悪影響を与える事件が後を絶ちませんが、今回のようなニュースを知ると、中国歯磨剤製造メーカーがやったことは、“安かろう、悪かろう、危なかろう”とでも言いたくなるような不始末です。 今回問題となった歯磨剤ですが、歯医者として僕は、どうして、中国の製造メーカーがこのような不始末を仕出かしてしまったのか考えてみました。
その前に、皆さんに知ってもらいたいことがあります。それは、歯磨剤の正体についてです。一言で歯磨剤といいますが、歯磨剤とは一体どんなものなのでしょう? 歯磨時に使用するペースト状のものであることは容易に想像できると思うのですが、歯磨剤の正体をご存知の方は数少ないはずです。
歯磨剤は、薬事法という法律によって化粧品、または、医薬部外品に分類されます。 化粧品としての歯磨剤というと何となくイメージが結びつかないかもしれません。けれども、歯の汚れや歯垢を取り除くという効能を考えると、まさしく歯磨剤は化粧品に分類されるのです。石鹸と同様の扱いなのです。この歯磨剤になんらかの薬理作用、生化学的作用をもつ成分を加えた歯磨剤は医薬部外品としての扱いを受けます。よくフッ素入りは磨きとか知覚過敏抑制とかいう文句がついて売り出されている歯磨剤がこの医薬部外品に相当します。
それでは、歯磨剤にはどんな成分が含まれているのでしょう?歯磨剤の製造販売会社によって若干の差はあるのですが、基本成分はほぼ同じで、以下のものから成っています。
研磨剤、保湿剤、発泡剤、結合剤、香味剤、保存料、着色剤、薬用成分
研磨剤とは歯磨剤の主体であり、歯に付着した歯垢や色素を取り除くものです。リン酸カルシウム、炭酸カルシウム、二酸化ケイ素などが相当します。
保湿剤とは歯磨剤の湿り気とクリーム状の形を与えるものです。ソルビトール、プロピレングリコール、グリセリン、ポリエチレングリコールなどが使われます。
結合剤とは粉末と液体成分との分離を防ぎ、薄い濃度で強い粘り気を出す材料です。カルボキシセルロースナトリウム、カラギーナンなどが相当します。
発泡剤とは、呼んで字の如く、歯磨時に多量の泡を発生させる成分です。界面活性作用により多量の泡を発生させ、歯磨剤を拡散しやすくさせ、歯の汚れを剥離し、除去しやすくさせる材料です。ラウリル硫酸ナトリウム等があります。
香味剤とは、一種の香料や甘味剤のことです。歯磨剤使用時に使用後に爽快感、快適さを引き出すために加えられています。 香料としてはペパーミント、スペアミント、シナモンなど、甘味剤としてはサッカリンナトリウムなどがあります。
保存料とは、湿潤剤や結合剤の中に微生物やカビの影響を受けるものがあるため、これらの影響を阻害する目的で加えられている材料です。安息香酸ナトリウム、パラベンなどがあります。
薬用成分とはむし歯予防や歯周病予防を期待する薬理作用、生化学作用をもった成分のことです。例えば、むし歯予防のためにはフッ素成分を含んだフッ化ナトリウム、酵素の作用を阻害するデキストラナーゼ、歯周病予防のためのヒノキチオール、トラネキサム酸などがあります。
以上のような成分の合剤が歯磨剤なのです。
多くの成分の合剤である歯磨剤ですが、歯磨時においては脇役に過ぎません。歯磨は歯に付着した歯垢や汚れ、色素を取り除くことですが、このことは歯ブラシを使用することで成り立ちます。歯ブラシを適切に使用すれば、歯垢や汚れ、色素は取り除くことができるのです。ある研究によれば、歯磨剤を使用しなくても歯垢は取り除くことができるという結果が出されています。歯医者の中でも歯磨時に歯磨剤を使用しないよう指導する人もいるくらいです。
よくテレビの宣伝で、歯磨剤を歯ブラシの毛先の端から端まで山盛りでつけているシーンがありますが、あれは量が多すぎます。歯磨剤製造メーカーによる戦略で、消費者に刷り込みことによりたくさん歯磨剤を使用してもらうようにするための宣伝に過ぎません。はブラシの四分の一から三分の一程度の量で充分です。 ちなみに、下の写真は某歯磨剤メーカーが歯医者向けに出している写真です。テレビの宣伝とは違うことがよくわかると思います。
さて、今日の本題に戻りますが、中国の歯磨剤製造メーカーがジエチレングリコールを混入された理由ですが、愚考するに保湿剤の一つであるポリエチレングリコールを入れるところを、誤ってジエチレングリコールを入れたのではないかと思うのです。
ポリエチレングリコールとジエチレングリコール
歯磨剤は上記のような多くの成分が含まれる合剤です。それ故、それぞれの成分の管理は厳密に行わないといけないはずですが、それが何かの手違いで誤ったものが混入してしまった。中でも保湿剤であるポリエチレングリコールを加えるべきところを誤って名前が似通っているジエチレングリコールを加えてしまった。 しかも、このミスが誰にも見つからず、チェックもなされないまま、製品化され、アメリカまで輸出されたと見るのは考え過ぎでしょうか。
いくら中国でも最初から毒物であるジエチレングリコールを敢えて意図的に歯磨剤に加えるようなことはしないのではないだろうか?それよりも製造工程で何かの人為的ミス、ケアレスミスが起こり、それが修正されないまま製品となり出荷されたのではないだろうかと思う、今日この頃です。
2007年06月05日(火) |
もしも歯医者にテロリストがやって来たら・・・ |
昨日、報道されたこのニュースには正直言ってびっくりしました。 奈良県奈良市にある某病院の内科診療室内で、診察中だった医師が突然入ってきた男に腹部をナイフで刺されたというのです。男はその場で男性職員3人に取り押さえられ、駆けつけた警察官に殺人未遂容疑で現行犯逮捕されたのだとか。
これまでも、歯科医院を含めた医療機関には窃盗などの被害は少なからずあったものですが、先のニュースのようにいきなり医療機関に侵入して暴れたり、危害を加えるような事件も少しずつ出てくるようになってきました。
最近、僕が所属する地元歯科医師会の会員の歯科医院でのこと。患者だった男が突然、診療室内に入り込み暴れ始めたのだとか。身の危険を感じた院長先生は、地元歯科医師会の警察歯科医の先生の所へ助けを求め、警察歯科医の先生から警察に連絡、直ちに警察官が現場に急行し、男を取り押さえたそうですが、あまりにも突然のことで、精神的にまいっておられているとのこと。何とも気の毒としかいいようがありません。
昨日、偶然読んでいた某歯科雑誌にアメリカの某州の医院スタッフトレーニングに関する特集がありました。アメリカで活躍している日本人歯科医師による寄稿文だったのですが、その中に興味深い記述がありました。その内容とは、まさしく診療所に突然やって来る不審者に対する記述だったのです。
アメリカは50州からなる多国籍、多民族国家である国。広大なアメリカ大陸、及び周辺の島々には全部で50州あり、それぞれの州が独自の法律、行政を行っています。その中のある州の法律では、開業医に義務付けられているルールの一つに“診療所のスタッフトレーニング”があるとのこと。“診療所のスタッフトレーニング”なるものは決して珍しいものではなく、日本でも幅広く取り入れられてきているものでもあるのですが、そのトレーニングのガイドラインの中に以下のような記載があるというのです。
侵入者またはテロリスト、危害を及ぼすおそれのある来院者について
武装した来院者に対して 1.決してパニックを起さないこと 2.侵入者の持っている武器を注視しないこと 3.侵入者と目を合わさないこと 4.決して自分一人で対処、解決しようとしないこと
まるでどこかの飛行場のようなリスク管理ですが、これが今のアメリカの実情だというのです。銃社会であるアメリカならではのリスク管理です。それだけアメリカ社会というのは危険と隣り合わせだと思わざるをえません。
日本はアメリカほど銃社会ではないはずですが、それでも昨今の銃乱射事件を見ていると水面下で多くの拳銃が出回っているのは確かなようです。また、銃が無くてもナイフや包丁といったものならば比較的簡単に手に入りますし、凶器になりえます。
かつては患者さんの病気を治す医療機関に侵入し、危害を加えるようなことは考えられなかったはずなのですが、今やアメリカのように対策を講じなければならないようになってきているのかもしれません。
病院や診療所などの医療機関においては、患者さんに対するリスク管理という点に関してはかなり対応が整いつつあります。特に、この4月から医療法が大幅に改正されたのですが、この医療法の改正の目玉の一つが患者管理の徹底であり、医療機関が患者さんに対し安心して医療が受けられるような対策を採ることを義務付けているところがあります。 ところが、今回のように患者でもない輩が医療機関に入り込み、危害を加えるということに対して、ほとんどの医療機関は対応ができていないのが現状だと思います。
何とも怖い、物騒な、困った時代になってきたものです。
昨年、国家の品格という本がベストセラーになってから“○○の品格“というネーミングがブームのようになっています。このブームに乗るわけではないのですが、今日は歯医者の品格について少し考えてみようと思います。
歯科業界の人たちが集まって話をすると、皆が異口同音に口にする文句があります。その文句とは“患者さんのため”。
患者さんのための治療 患者さんのための口腔衛生指導 患者さんのための診療体制
などなどあるのですが、僕はこのような文句を耳にする度、違和感があるのです。その理由は、どうして歯科業界の人たちは、今更当たり前のことを口々に言っているのだろうかと疑問です。
歯科業界を含め、これまでの医療の世界は医療を提供する側が常に患者側よりも上段に立つ所がありました。
“拠らしむべし、知らしむべからず”。
患者は自分の病気について知る必要はない、全ては医者の言うことを聞いておけば病気は治るもの。患者は医者を全面的に信頼しさえすればいいのだ。
このような考え方が医療の世界では一般的でした。ところが、患者意識の高まり、患者の知る権利を求める動きから、真の医療のためには患者の参加なしでは成り立たない。そのためには患者も医療の知識を持ち、医者とともに自らの病を治す意識を持ち、立ち向かうことが必要であるという考えが一般的になりつつあります。医者はこれまで以上に患者に対し医療情報を公開し、治療参加を促すことが求められてきています。インフォームドコンセントというのはその最たる例でしょう。 “患者さんのため”の治療というのはこのような動きを反映したものであることは疑いようもありません。
僕自身、“患者さんのため”という考えに関して異論はありません。むしろ当然のことであると考えていますが、その反面、声高に“患者さんのため”と叫び続けている歯科業界の動きに対してはどうも腑に落ちないところがあるのです。 歯科業界では未だに患者に対して上段に構えている傾向が強く、そのことを戒めるために“患者さんのため”を連呼せざるをえないところはあるでしょう。これは確かにそうだろうなあと思うのですが、天邪鬼の僕としては、“患者のために”と主張している背景には、“自分のために”という意識がどこかに働いているのではないかと思わざるをえないのです。“患者のために“と言いながら、実は己の利己主義的なところへ導こうとしている意図があるのではないかと勘ぐってしまいたくなるのです。
以下は僕の独断と偏見です。
今でこそ医療の世界というのは崇高な精神に基づいた世界のように思われがちですが、よく考えてみれば、病気である人様の体を商売にしている世界でもあるわけです。医療というもの、病気を治すという目的があるとはいえ、人様の体を対象にし、時には体を傷つけながらお金を頂いている仕事です。この仕事が果たして崇高な仕事でしょうか?僕はむしろ、医療とは非常に卑しい仕事ではないかと感じるのです。お上から免許証を与えられているが故に何も言われませんが、免許証がなければ、人様の体を対象にして商売をする行為は、非常にヤバイ行為であるはずです。一種のヤバサがあるような医療の仕事。時には危険と隣り合わせの仕事が果たして崇高なものであるのだろうかと疑問に思うのです。一般の人なら敬遠したいことを率先して仕事にしている医療の世界の本質には、卑しさがあるのではないかと思うのです。
また、歯医者の世界は他の医療の世界と比べ、特殊なところがあります。それは、ほとんどの歯医者が個人開業医であるという点です。僕もそんな個人開業医の一人であるわけですが、個人開業医という立場上、どうしても自分の城である歯科医院しか視点が行かない傾向にあります。世の中は広い世界であるはずなのに、自分の足元しか見ない、見えなくなってしまうところがあります。前述の“患者さんのため”という言葉は、そういったことに対する警鐘として言われ続けているところがあるのですが、自分の立場をわきまえるためにはもっと原点に立ち戻らなければならないと思うのです。
歯医者は、自分の仕事を卑しい仕事であるということを認識する必要があると思うのです。世間では、歯医者といえばハイソな世界、セレブな世界といったような雲の上の世界のように思われがちですが、僕から言わせればとんでもないことです。むしろ逆。歯医者こそ周囲の人からは引け目を感じなければいけない立場であると思うのです。 それ故、歯医者は常に自分の卑しさを克服するために、常に謙虚であらねばいけませんし、卑しい自分のもとをわざわざ尋ねて治療に来られる患者さんに感謝をしないといけないのではないと思うのです。歯医者の仕事で患者さんに迷惑をかけないよう、常に最新の知識を技術の研鑽を積まないといけないはず。天狗になっている暇、余裕はありません。もし天狗になっているようならば、自分の卑屈さをさらけ出している。そのようなことを歯医者は常々考えておかないといけないのではないかと思います。
歯医者が常に心のどこかに自分の卑しさを感じ、卑しさを克服するために日々努力し続けるなら、“患者さんのために”という言葉をいい続けなくても、自然と“患者さんのため”の治療をすることになるのではないか?僕はそのような思いを強く感じています。
自分の卑しさを克服する努力を怠らなければ、いつか歯医者は多くの人から尊敬される存在になるはず。歯医者の品格とは、まずは自分の卑しさに気づくことから始まるのではないか。 そのようなことを考えている、歯医者そうさんです。
歯医者が卑しい存在であると言えば、多くの歯医者からは反発があるかもしれませんね・・・。
2007年06月02日(土) |
検診医のバカヤロウ! |
昨日、歯科検診の話を書いたばかりですが、タイミングを合わせているかのように下のチビが幼稚園から歯科検診の報告書なるものを持って帰ってきました。その結果は・・・、 むし歯が2本。
思わず首を傾げてしまった歯医者そうさん。その訳とは、下のチビの検診前に僕が下のチビの口の中をチェックしていたからです。
恥ずかしい話ですが、下のチビは歯医者の息子でありながらむし歯が数本ありました。これらむし歯は初期の段階でしたので直ちに治療を施し、その後は定期的にチェックをしておりました。今回、幼稚園での検診前にも下のチビを診療所へ連れて行き、診療台の上に寝かせ念入りに調べてみました。
“これなら問題なし” と思い、歯科検診に送り出したのでした。ところが、下のチビは幼稚園の歯科検診でむし歯2本を指摘され、治療勧告書をもらって帰ってきたのです。
直ちに、下のチビの口の中を再度調べてみました。全く問題はありませんでした。ただし、むし歯と見間違えるような場所があることはわかりました。かつて、下のチビに詰めたプラスチックの詰め物が一部変色していたのです。その部分は僕が診療所の診療台の上で見て全く問題がなかった場所だったのですが、歯科検診ではその部分をむし歯と判定してしまったことが想像つきました。
実は、この手のような検診のエラーというのは結構あるものです。検診というのは一種のスクリーニングです。短時間で多くの人たちを検診していくわけです。しかも、検診場所は歯科医院の診療台の上とは異なり、暗い中でミラーを用いて調べていきます。当然のことながら見落としがある場合が考えられるのです。また、むし歯かどうか判定しにくい場合、厳しく判定することが普通です。これは疑わしい歯の精査を歯科医院に依頼する意味合いがあるのです。
下のチビの場合も上記のようなことがあったことが予想されました。同じ検診歯科医として事情はよくわかっているつもりですが、その一方で僕はむし歯を指摘された親として納得いかないところがあります。まあ、親ばかと言われても仕方がないのですが、診療所の診療台の上で下のチビの歯に問題がないことがわかり、治療勧告書を書いている最中、思わずつぶやいてしまいました。
検診医のバカヤロウ!
2007年06月01日(金) |
ごまかしは利きませんよ! |
昨日、僕は母校であり学校歯科医をしている地元小学校へ歯科検診に出かけました。 皆さんも記憶のどこかに残っているとは思うのですが、学校の健康診断はいつも4月、5月、6月の時期に行われます。どうしてこの時期に学校の健康診断が行われるかご存知でしょうか? 学校の生徒の健康管理について定めた法律に学校保健法という法律があります。この学校保健法により定められた学校保健法施行規則というものがあるのですが、その第三条に、
“健康診断は、毎学年、六月三十日までに行なうものとする” という条文があります。 すなわち、毎年6月30日までに全国の幼稚園、小学校、中学校、高校では、園児、児童、生徒たちに健康診断を受けさせないといけない義務があるのです。歯科検診もそんな健康診断の一つなのです。
今年の歯科検診は無事に終了したわけですが、全体的な感想としては、歯が悪い子供は少ないなあというのが実感です。特に、むし歯が目立たなくなってきました。かれこれ僕は10年近く地元小学校の歯科検診を行っていますが、10年一昔とはいえ、10年前と比べても生徒たちのむし歯の数は減少してきています。
このことは地元小学校の話だけではありません。同世代の全ての小学校生徒についてもいえることです。 先日もここで取り上げた歯科疾患実態調査には、12歳児における永久歯のむし歯経験歯数という調査項目があります。12歳児ということは小学校6年生ということですが、小学校6年生という年齢はおおよそ乳歯から永久歯に生え代わりが終了した頃です。もちろん、個人差はあるわけですが、僕が今回検診した6年生の生徒たちもほぼ全員が永久歯に生え変わっておりました。その12歳児のむし歯、ならびにむし歯を治療したり、最近ではほとんどないのですが、むし歯を抜歯した歯が何本あるか調べたのがむし歯経験歯数なのです。
昭和62年 4.9本 平成5年 3.6本 平成11年 2.4本 平成17年 1.7本
むし歯の数が確実に減少してきていることが歯科疾患実態調査でも数字になって明らかになっているのがよくおわかりだと思います。
ところで、今回の歯科検診では興味深いことがありました。歯科検診では歯の歯垢のつき具合、歯肉の炎症の状態を調べる項目があるのですが、昨年の検診では歯垢が付着している生徒が多く、養護教諭の先生に指摘、歯磨き指導を念入りに行うようにしました。 今年の検診ではどうだったといいますと、歯垢がついている生徒が激減したのです。
“これは良い傾向だなあ”と思いつつ、何となく腑に落ちないものを感じました。 そこで、僕は養護の先生に尋ねてみました。
「歯科検診前に生徒たちに歯磨きをさせませんでしたか?」
養護教諭の先生は苦笑いを浮かべながら答えました。
「先生、わかりましたか?」
普段から歯を磨いているか、普段はそれほどでもないのに治療の直前に念入りに磨いているかどうかは簡単に区別がつくものです。それは歯肉の状態を診ればわかります。 歯を磨けば歯に付着していた汚れは取り除くことができるのですが、一方で歯肉の炎症は普段の適切な歯磨きを行わないと治まりません。すなわち、普段いい加減に磨いていている人の場合、検診や治療の直前に磨いたとしても歯肉の炎症は残っているものなのです。その証拠に歯肉の一部から出血の痕や歯ブラシによる擦過傷が見られるのです。
このあたりは歯医者であれば全てお見通しといったところでしょうか。ごまかしは効かないものなのです。
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