歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年04月30日(月) 女児を裸で遊ばせる親

ゴールデンウィークに突入した今週ですが、皆さん、如何お過ごしでしょうか?

ゴールデンウィークにも関わらず仕事だと言われる方、ご苦労様です。多くの人が休んでいる間に働くことは大変だとは思いますが、どうかお体には気をつけてゴールデンウィークを乗り切って欲しいと思います。

ゴールデンウィークが休みだと言う方、何かと忙しい日常の中でほっと一息つかれているのではないでしょうか?人間の生活は緊張と緩和の連続ですが、たまには緩和の日々が続いても何も罰は当たらないものだと思います。どうかごゆっくり骨休みして頂きたいものです。

かくいう、僕もゴールデンウィークは暦どおりです。すなわち、休日は休みで、休日ではない日は仕事という日程です。今年はゴールデンウィークの休みが前半と後半に別れているような日程です。僕は只今ゴールデンウィークの前半をゆっくりと過ごさせてもらっています。

と言いたいところですが、昨日は嫁さんと二人のチンチンボーイズを連れて某所へ出かけておりました。それほど遠くない近場へ行ってきたのですが、その施設が県立の施設で中に小さな子供が楽しめるような滑り台やアスレチックコースが無料で開放されているような所でした。そのため、チンチンボーイズたちは時間を忘れてはしゃぎまわっておりました。我々夫婦にとっては物足りないところもありましたが、家庭に子供ができると子供が楽しめるような場所に出かけることも大切な家庭サービスとなります。楽しそうに遊んでいるチンチンボーイズを見ていると、この施設は小さな子供を持っている家庭にとって重宝する施設だなあと感じた次第。

この施設には我々家族だけでなく、その他の多くの小さな子供連れの家族が来園していたのですが、一つ気になったことがありました。

施設内には噴水と水の流れの中に遊具をおいてある場所がありました。昨日は、日中の気温が20度を越え、汗ばむ陽気で、多くの子供たちが噴水や水の流れの中に入って遊んでいました。何を隠そう、我が家のチンチンボーイズたちも靴を脱いで裸足となり、ズボンやシャツの袖をめくって遊んでいたのですが、中にはズボンやシャツも脱いで裸になって遊んでいる子供たちがいました。その中には男の子だけでなく、女の子もいたのです。年齢は4〜5歳といったところでしょうか、無邪気に遊んでいたのですが、僕はこれは如何なものかなと感じてしまいました。

昨日の施設内は親子連ればかりでしたので問題なかったかもしれませんが、昨今、幼児の裸に興味を持っている輩が少なくありません。興味を持っているだけでなく、写真を撮ったり、触ってきたりするような行動を伴う輩がいないとも限りません。裸になっている女児の親御さんは近くにいたはずですが、それにしても人前で真っ裸で遊ばせるということは問題があるのではないかと感じたのです。少なくとも下着や水着ぐらいは着用させて遊ばせるべきではないだろうかと。

小さな子供たちは遊びに夢中になっています。昨日のような陽気の中では、裸になって遊ぶことは気持ちよかったことでしょう。けれども、小さい子供たちは周囲からどのような目で見られているかということに関しては全く気が行き届かない、無防備なことは自明のことです。親がしっかりと見ておかないといけないはずが、それができていない。親は、子供が楽しく遊んでいるし、自分たちが見ているから問題ないと考えているのかもしれませんが、他人からすれば、いくら小さくても小さな子供が、特に女の子が裸で遊びまわっているというのは問題があるのではないかと感じました。
小さい子供は、性を意識する年齢ではありませんが、周囲に性を感じる輩がいないとは限らないのです。そんな輩にむやみに刺激を与えるような行いは慎むべきではないでしょうか。
このような光景は夏場の海水浴場でもしばしば見たことがあったのですが、そのような場所であればなおさら親が注意してやらないといけないのではないかと思います。

ゴールデンウィークの休みの中、裸で楽しく遊んでいる子供たちを見て、少し考え込んでしまった、歯医者そうさんでした。



2007年04月28日(土) この世で最も公正公平なモノ考

現在、僕は週1回某専門学校へ講義に行っています。特に、5月中旬までは午前と午後の講義を受け持っています。朝9時から10時半までの講義が終わると、直ちに移動。途中、簡単に昼食を取ってから別の専門学校で1時から4時過ぎまで講義。

普段、歯科医院で仕事をしている者としては週1回とはいえ、朝から夕方までの2専門学校における講義は結構体力的に大変です。しかも、講義には準備がつきもの。これまでの蓄積があるとはいえ、いい加減なことを学生に教えるわけにはいきません。教科書の内容を吟味し、参考書や時にはインターネットから情報を集め、資料を作成する。普段は患者さんの治療とその準備に追われていますので、何とか時間をやりくりして講義の準備をします。この労力は決して楽なものではありません。
そのためでしょうか、まだ不慣れなのかも知れませんし、僕自身が小心者であるせいかもしれませんが、毎週水曜日の講義前は精神的につらいものがあります。自分ではそれなりに用意を怠らなくやっているつもりですし、講義のイメージもあるのですが、それでも気分が晴れません。早く講義が終わって欲しいと思いながら、講義の日に突入するわけです。

ところが、一連の講義が終わると、思わず束縛から解放されてほっとするような気分になります。今週の水曜日もそうでした。講義前の緊張感から講義が終わった後の解放感。
そんな解放感を味わいながら、帰りの電車の中で一息ついた歯医者そうさん。“フゥー”と息をつきながらふと感じたことがありました。
それは時間というものは公平に過ぎていくものだなあという思いです。

何か楽しみなイベントがあったり、旅行や恋人との出会う予定があったとします。その前はうきうきとしてものがあるのに、実際に事が行われた後は、楽しかった時間があっという間に過ぎてしまった感覚があるものです。楽しかった予定が思い出に変わってしまいます。
その一方で、緊張を強いられる仕事や業務、試験などの場合、事が終わるまでは精神的にきついものがありますが、実際に事が行われた後は、結果の成否がどうであれ、一種の解放感に浸れるものでもあります。

いずれの場合も人が感じる時間の感覚は違うでしょうが、時報が知らせる一秒、一分、一時間という時間は常に一定で、正確に時を刻んでいきます。この時間の過ぎ具合は老若男女、どんな身分であろうが、どんな社会に所属していようが、どんな状況にいようが皆公平です。いろいろと世の中不公平感が噴出し、格差社会なる有難くない言葉が流行していくなかで、唯一時間だけが皆に公平に与えられ、過ぎていく。

“同じ時間を過ごすなら、少しでも無駄にせず、有意義に過ごさないと人生、損だよな。”

疲れた頭の中でふと時間のことを考えながら、家路を急いだのでした。



2007年04月27日(金) 私をおいて出て行くわけね?

僕は歯医者を生業としているのですが、仕事の合間に趣味として週1度、通っている所があります。その団体とは某アマチュアオーケストラ。
僕自身、学生時代からクラシック音楽が好きだったのですが、音楽を聴くだけでは飽き足らず、自分で楽器を弾きたいという欲求にかられました。そこで、大学時代の先輩が参加していた某アマチュアオーケストラに入団し、楽器を弾いております。既に某アマチュアオーケストラに入団して4年半。クラシック音楽が好きであることから、忙しい仕事があっても何とか続けることができています。

某アマチュアオーケストラでいつも僕の隣にいるのは、僕を誘ってくれた大学の先輩O先生でした。O先生は既に還暦を過ぎた大先輩であるのですが、楽器の腕は大したもので、いつも僕はO先生の音を聴きながら弾いていたものです。O先生の大きな豊かな音を聴いていると下手な僕の楽器の腕も少しは上手くなったように錯覚して聴こえるものです。
そんなO先生が昨年、突然練習に来なくなりました。僕には一言の声掛けもなく来られなくなったのです。

“O先生、一体どうしたんだろう?”

某アマチュアオーケストラの世話人の人に話を尋ねても、事情がわからないという返事。僕自身、世話になった先輩ですのでどうして練習に来なくなったのか気になり、連絡を取ってみたのですがO先生からの返事は要領を得ないものでした。何かを隠していることは間違いなかったのですが、家庭の中での複雑な事情があるようで、そのことをしつこく詮索するわけにもいかず、そのままにしておりました。

そのO先生が、先週になって突然、某アマチュアオーケストラの練習に久しぶりに姿を現しました。

「そうさん、長い間ご無沙汰していて悪かったねえ。」

久しぶりに姿をみて某先輩の顔つきはどこか晴れ晴れとしていた様子でした。練習が始まる前、僕はO先生に練習を休んでいた理由を尋ねてみました。

「実は、昨年、息子が結婚したんだよ。そのこと自体は親としてうれしい限りだった。親として子育ての大きな仕事が終わったことを意味するわけだからね。結婚を期に、息子は長年暮らしていた我が家を出て、某所へ引越し、新しい人生の伴侶と共に新婚生活を始めたんだよ。」

「事前に息子とは話しをしていて、結婚したら家を出ることはわかっていたことだったんだけど、いざ息子が家を出てみると、これが寂しいものなんだね。今まで息子がいることが当たり前のように思っていたんだけど、息子が独立して家をいなくなった状態というのは何か心の支えの一つがなくなったような感覚なんだな。」

「私以上に寂しく感じていたのがうちにいたんだ。それは何を隠そう、家内だったんだね。家内は息子が出て行ってからしょっちゅう“寂しい”と言っていたんだね。そのうち、週1回私がオーケストラの練習に行こうとすると、『私を放っておいてオーケストラの練習に行くとはどういうこと?私をおいて出て行くわけね?』と詰め寄るんだよ。これまで全くそんなことを言ったことがなかった妻が突然言い出したことに驚いたよ。」

「妻は昨年、足を怪我してから歩行が困難なことが多くて、そのことが余計に精神状態の余裕をなくしたみたいだったんだ。結局のところ、僕はオーケストラの練習を休み、家内の面倒を見るというべきか、近くにいざるをえなかったんだね。」

「最初、息子が出て寂しかった我々夫婦も、最近になってようやく今の生活に慣れてきたように思う。悪かった家内も足の状態も最近は経過が良好のようで落ち着いている。体が落ち着くと精神状態も落ち着いてきて、今となっては“週1回のオーケストラの練習の参加を再開してもいい”とまで言えるようになってきたんだよ。家内のことを考えて、月2回は練習に参加することにしたんだ。そんなことだから、心配かけたけどこれからも宜しく頼むよ。」

当たり前だった生活が突然変わってしまうことは身の回りにたくさんあるものです。長年、あることが当然だと思っていたことがある日を境にして変わってしまう。変わることは事前にわかっていたはずだし、仕方の無いことだと思っていても、いざ変化した現実についていけないことが多いもの。特に、年を重ねた人たちの場合、頭と体、精神が柔軟に対応できず、時に精神的に不安定な状態に陥り、夫婦間の関係さえ危ういものとなりうる。
長年、人生を共に歩いてきた人生の先輩たちのカップルには深い絆で結ばれているのかなあと考えていたのですが、その絆というものは実に微妙で、繊細で、脆いものでもある。今回のO先生のことは、そのことを僕に強く感じさせてくれました。

人生というもの、何歳になってもそれなりの悩み、苦しみがあるものなのですね。

僕の隣で以前と変わらぬ豊かな音色を出して弾いているO先生の音を聴きながら、そのようなことを強く感じた、歯医者そうさんでした。



2007年04月26日(木) あの美人歯科医 ついに脱いだ?!

先日、何気なく新聞の雑誌広告欄を見ていると、思わぬタイトルに目が行ってしまいました。

“あの美人歯科医 ついに脱いだ”

正直言いまして、僕も野郎の端くれです。雑誌グラビアに出ている女性アイドルや女優に興味がないなんてことは絶対にありえません。しかも、今回僕が目にしたのは僕と同じ同業の女性歯医者のグラビアだというのです。これは一度見てみないといけない!僕が本屋へ走ったのは言うまでもありません。

見てみました。
どこかで見たことがあるなあという女性歯医者でした。グラビア写真と共に書いてあった文面を見てみると、既にいくつかのテレビ番組に出演しているとのこと。今年、31歳になるこの女性歯医者は東京銀座の某歯科医院の副院長で予防歯科が専門とのこと。仕事の合間に芸能活動を行っているそうですが、この4月からは更に芸能活動に力を入れるということのようです。

僕は思わず考え込んでしまいました。
現在、日本全国には歯医者が10万人近くいます。10万人いる歯医者が全て歯科の仕事をしているかというそうではないのですが、この女性歯科医のように芸能活動をし、雑誌のグラビアまで出るようなケースは珍しいです。
歯医者が本来の仕事以外の仕事をしてはいけないという決まりはどこにもありません。極端な話、歯医者の免許を持っていても歯医者をしなくてもいいのです。僕の知っている限り、患者さんの治療は一切行わず、大学で研究活動に勤しんでいる歯医者は何人もいます。また、会社を設立し、ビジネスマンとして活躍している歯医者もいれば、政治家として活動している歯医者もいます。今回の女性歯医者のようにグラビアに出ても誰も文句はいえないわけです。

しかしながら、僕が気になったのは、グラビアのタイトルに書いてあった“女性歯医者”という文字です。少なくとも、グラビアに出ていた女性は歯医者を前面に押し出しているわけです。世間ではお堅いイメージの歯医者、しかも、女性歯医者がグラビアに出ているという意外性で売り出していることは確かなことだと思います。女性歯医者もそのことは十分承知で、自分を芸能界へ売り出していることでしょう。
僕はそのことを否定はしませんが、その反面、腑に落ちないところがあるのです。それは、この女性歯医者が歯医者のイメージをどのように考えているのだろうかということです。

どんな職種でもそうだと思いますが、全く同じ個性の人はいないものです。歯医者もそうで、いろんな個性の人がいますが、その一方で人々が持っている歯医者のイメージというものは、特定の歯医者によって決められてしまう宿命があります。自分が世話になった歯医者が素晴らしい歯医者であれば、その人にとって歯医者のイメージは良いものになるでしょうが、反対にトンでもない歯医者に巡り合えば、その人にとって歯医者のイメージは良くないものになるでしょう。一人の歯医者が歯科界全体の評判を決めてしまう可能性があるのです。そういった意味で、歯医者は一人一人が歯科の代表としての意識を常に持っておかなくてはならないと僕は思うのです。

そんな思いがある僕からすれば、果たして今回雑誌グラビアに写真が載った女性歯科医にこの意識があるのかどうか疑問に感じるのです。自分が歯医者であることを前面に出した結果、世間で歯医者に対するイメージがどう反映されるのか、真剣に考えているのだろうか疑問に感じざるをえません。

歯医者というと、怖いイメージ、できるだけ避けたいイメージが未だに強いと思います。そんなイメージを払拭するという点では、この女性歯医者は貢献しているのかもしれません。その一方で、歯医者は人様の体、口の中を治療しなければいけない立場でもあります。雑誌というメディアで肌を露出させるような歯医者が果たして人様の口の中を治療することができるのか?そんな不安を持つ人が出てこないのだろうかとも思うのです。

同じ歯医者として、いろんな個性の歯医者がいることは歓迎すべきことではあるのですが、それにしても白衣を脱いで雑誌に露出する女性歯医者まで出てくるようになるとは予想もしませんでした。時代は変わるものですね。



2007年04月25日(水) 歯医者の不養生

仕事柄、つい人様の口元に視線が行ってしまうのですが、最近よくみかけるのが歯が欠けたまま放置している人です。しかも、放置している人はただの人ではありません。歯医者なのです。

最近、地元歯科医師会関係の先生や僕の出身歯科大学の先輩の先生数人と会う機会があったのですが、偶然とは言えないくらい、全員の上の前歯が欠けていたのです。あまりにも目立ち過ぎて、歯医者でなくてもわかってしまうぐらいでした。

“こんなに派手に歯が欠けたままで恥ずかしくないのだろうか?”

僕は某先生にどうして前歯が欠けたまま放置しているのか尋ねてみました。

「歯が悪いのはわかっているのだけどね。普段の仕事はマスクをしているから患者さんにはわからないしなあ・・・。」

歯医者の不養生そのものです。

意外に思われるかもしれませんが、歯医者は自分自身の歯が悪かった場合、かかりつけの歯医者がいる確率は意外と少ないのです。
その理由としては、歯医者は歯の治療のことがわかっていること、自分の歯が悪いことを同業者である他の歯医者に知られたくないという変なプライド、自分の歯の健康にルーズなことなどが考えられますが、日頃患者さんに歯の健康の大切さを説いている歯医者であるならば、自らの歯の健康には気を遣わなくてはならない立場。それならば、自分の歯が悪い場合には、患者さんと同様かかりつけの歯医者を持つべきだと思うのですが、そうではない現実。
歯医者の中には、自分の歯を自分で治療する歯医者もいるようですが、僕はできません。ちなみに僕のかかりつけ歯医者は一応親父なのですが、親父も高齢になってきたため、最近では、同じ歯医者である叔父に診てもらう機会が増えてきました。

歯が欠けているということで思い出したことがあります。
ある歯医者が心筋梗塞で某大学病院に入院した時のことです。その歯医者の先生が入院していた病室に教授が部下である教室員を引き連れて大挙してやってきました。教授回診というやつです。教授は、担当医から説明を聞き、カルテを見ていたそうですが、患者である歯医者の先生がヘビースモーカーであることを知り、語調を強めて言ったそうです。

「○○さん、タバコを止められなかったから心筋梗塞になったということを理解していますか?あなた歯医者でしょ!歯医者でありながらタバコを止めることもできんのですか。こんなことではあなたの患者にも示しがつきませんわな。」

まるで歯医者を目の敵にするかのようにボロクソに言っていた教授。
その教授に対して、歯医者は一言
「あんたもその前歯、早く治さんと周囲の笑いものになりまっせ!」

教室員からは思わず“クスッ”という笑い声が漏れ聞こえたのだとか。その教授は以前から上の前歯が欠けていたそうですが、歯医者に通わずそのまま放置していたのだとか。教室員は教授の前歯のことを気がついてはいたのですが、この教授はかなり個性的なワンマン教授だったそうで、教室員は口ごたえすることができないような雰囲気だったとのこと。そのため、教室員は誰一人として教授の折れた前歯のことを面と向かって指摘することができなかったそうなのです。
そんな中、一入院患者である歯医者からモロに前歯のことを指摘され、嫌味を言われた教授。怒り心頭だったそうです。

狭心症の歯医者も前歯が欠けた歯医者もどっちもどっちです。医者の不養生という点ではお互い様といったところだったかもしれません。実に情けなく、患者さんに対し、示しがつかない話です。



2007年04月24日(火) これでも清涼飲料水を飲むことができますか?

先の僕の日記でコーラに含まれている砂糖量を書いたところ、かなりの反響がありました。おそらく、コーラは甘い清涼飲料水だというイメージをお持ちの方はいるにはいたでしょうが、実際のところ一本のコーラにこれほど多くの砂糖が含まれているとは予想もしなかった方が多かったものと思われます。

先日、テレビコマーシャルで某清涼飲料水メーカーのグレープジュースやオレンジジュースのコマーシャルが流されていました。実は、かつて僕もの清涼飲料水が好きで、一時期好んで飲んでいた時期がありました。炭酸の刺激とほのかににおうグレープやオレンジの香りが何とも言えなかったものです。暑い夏のシーズンを前にして、某清涼飲料水めーかーでは、最近知名度が上がってきた某漫才タレントを出してコマーシャルを流しております。

清涼飲料水のコマーシャルというもの、見ていると、飲んでいて如何にも楽しいという雰囲気作りが満載です。清涼飲料水を飲む一時が人生で最もハッピーであるとでも謳いたいような感じです。消費者の購買意欲をそそるようにうまく作られているものだなあと関心するのですが、僕は、清涼飲料水の実態を知ってしまうと、飲むのに二の足を踏んでしまいます。

前回はコーラの砂糖量だけを記しましたが、今回は僕の手元にある某学会雑誌に掲載されている資料を基に、他の清涼飲料水についても記します。
ちなみに、角砂糖一個は4グラムの砂糖が含まれているとします。

ファンタグレープ350ml  45.15グラム  角砂糖 11個
ファンタオレンジ350ml  41.30グラム  角砂糖 10個
スプライト   350ml  38.15グラム  角砂糖9.5個
コカコーラ   350ml  38.50グラム  角砂糖9.5個
UCCコーヒー   250ml  31.00グラム  角砂糖7.5個
ポカリスエット 250ml  18.40グラム  角砂糖4.5個
ヤクルト     65ml  11.90グラム  角砂糖 3個

よくスポーツドリンクは体のことを考えた成分であるということが言われているようですが、実際にはかなりの糖分が含まれていることがわかります。これから夏の暑い時期を迎えますが、咽喉が渇いたからといってスポーツドリンクを好んで飲むと、砂糖の摂取量も少なくなく、人によっては糖尿病になってしまう方もいることでしょう。

驚くべきはヤクルトです。小さなあの容器になんと角砂糖3個が入っているのです。これを350mlの容器に換算すると、約64グラム(角砂糖16個)に当たります。ヤクルトは乳酸菌が多量に含まれていることはよく知られていることですが、乳酸菌が多く含まれる食品はすっぱいもので、このすっぱさを隠すために多量の砂糖が使われているのです。

これから各地では夏を迎え、清涼飲料水の消費量も増えてくるものと思われますが、どうか清涼飲料水には上記のような多量の砂糖が含まれているということを知った上で、お飲み下さい。

ちなみに、僕は普段は清涼飲料水を全く口にしません。水かお茶ぐらいです。清涼飲料水に含まれる砂糖量を考えると、やすやすと市販の清涼飲料水を口にできなくなりました。



2007年04月23日(月) 歯で飴玉やキャンディーを噛まないで!

「歯が欠けてしまったので何とかして欲しい!」

このようなことを訴え来院されたのは50歳代後半の女性の患者Yさんでした。
口の中を診てみると、左上の第一小臼歯と呼ばれる歯が真っ二つに割れておりました。
“一体これはどうしたことがきっかけで割れたのだろうか?”
疑問に感じた僕はYさんに尋ねてみました。Yさん曰く

「飴玉を噛んでおりましたら突然“ボリッ”という音と共に歯が欠けたのです。」

更に詳しく尋ねてみました。Yさんのお宅にお孫さんが遊びに来たとのこと。お孫さんがかわいかったらしく何かおやつをあげようとしたところ、手元に飴玉があったのだとか。大き目の飴玉だったようでそのままお孫さんにあげるに少し大きすぎる。そう考えたYさんは飴玉を歯で割ってお孫さんにあげようとしたのだそうです。
何でもこれまで何度も飴玉を歯で割っていたそうで、問題なく割っていたのだとか。今回も何も考えず、いつもと同じように何ともなく飴玉を歯で割ろうとしたところ、飴玉ではなく歯が欠けてしまったそうです。

飴玉やキャンディーといったお菓子類は基本的には口の中で舐めながら食べるものです。当たり前のことといえばそこまでですが、少しでも早く食べてしまいたいと思う人は、舐めることを止め、上下の歯で噛んで食べてしまうことは多くの人が経験したことがあることでしょう。人間というもの、口の中に何か物を入れると本能的に噛んでしまいたい欲望にかられるものなのかもしれませんが、歯医者の立場から言わせてもらうと、この行為、決して勧められる行為ではありません。是非とも避けて頂きたい行為です。

以前にもこちらの日記に書いたことではあるのですが、人間の歯というものはかなり硬いものです。特に、歯の表層のエナメル質と呼ばれる組織は成分のほとんどが無機質でできています。歯医者で歯を削る際、金属製のバーというものを高速回転させて削るわけですが、バーには人工のダイヤモンドの粉末がまぶしてあります。その訳は、ダイヤモンドぐらいの硬さのものを高速回転しないと歯が削れないからです。
歯が非常に硬い組織である故、食べ物のほとんどを噛み切ることができるわけですが、その一方で硬さゆえの弱点もあります。それは脆いことです。

皆さんには是非イメージして欲しいのですが、石どうしを力一杯ぶつけ合えばどうなるでしょうか?石の種類にもよりますが、概ね石というのは非常に硬いものです。その硬い石どうしをぶつけ合うと、何度かぶつけ合っているうちに石が割れてしまうことが容易に想像できるのではないでしょうか。
歯も同様です。ダイヤモンド並の硬さの表面を持っている歯でも必要以上に硬い物を噛んでいるうちに表面にヒビが入り、ある瞬間に割れてしまうリスクがあるのです。
しかも、歯にも加齢現象があります。年齢を重ねるとともに歯は硬くなってくるものですが、その一方脆さも大きくなってくるものなのです。

今回、Yさんにとって不幸だったことは、割れた歯が以前に神経の処置を行っていた歯であったことです。
神経、専門的には歯髄と呼ばれていますが、歯髄には多数の微小な栄養を送り込む血管が入り込んでいます。これら血管の血液を通して、歯も新陳代謝が行われているわけです。ところが、むし歯が大きくなり歯髄にまで達した際、痛みを取り除くには歯髄を取り除かないといけません。歯髄を取り除いた後は、がっターパーチャと呼ばれるゴムを歯髄の代わりに入れ、詰め物を詰めたり、被せ歯を被せたりします。
このような歯髄を取り除いた歯は、歯髄のある歯に比べどうしても歯が脆くなる傾向にあります。歯髄を通して新陳代謝が行われないためです。
極端な例えかもしれませんが、歯髄を取り除いた歯は枯れ葉のような状態に似ています。通常の緑の葉であれば常に栄養が送り込まれ緑の色を呈しているものですが、枯れ葉であれば既に栄養の供給が途絶えている状態。いつ何時強風が吹けば吹き飛んでしまうかもしれない状態です。歯髄の無い歯はそんな枯れ葉に近い状態とも言えるのです。

以上のような悪条件が重なったこと、そして、Yさん自身の歯に対する過信から、Yさんの歯は真っ二つに割れてしまったのです。その結果、僕はYさんの割れた歯を抜歯せざるをえませんでした。

かつて僕は日記の中で、氷を口の中で割らないで欲しいと書きましたが、今回のような飴玉、キャンディーのような硬いお菓子類も同様です。決して自分の歯で噛み砕かないようにして欲しいと思います。人間の歯は道具ではないのです。同じ割るなら、口の外で包丁などで砕いて細かくしたものをゆっくりと口の中で舐めながら賞味して欲しいと思います。



2007年04月21日(土) 結婚指輪をはめない既婚男性の一例

昨日の昼間、下のチビの幼稚園の担任の先生が家庭訪問のため、我が家を訪れました。歯科医院が自宅の隣にあること、家庭訪問の時間帯が昼休憩の時間帯であったことから僕も幼稚園の担任の先生と話をさせてもらいました。
話の内容は下のチビのことで特に注意してもらいたいこと、要望などを伝えたり、下のチビの幼稚園での様子を尋ねたりしたのですが、何気なく担任の先生の左手を見てみると、薬指にはリングをはめておられました。結婚指輪です。後で嫁さんに尋ねてみると、担任の先生は最近結婚され、名字も変わったとのこと。

「新婚ホヤホヤの若い女性担任の先生なんだねえ!」
と口をそろえた、結婚11年の歯医者そうさん夫婦。お互い遠い目になったのは言うまでもありません。

僕は結婚指輪をはめたことがありません。正確には、結婚式と結婚旅行の間ははめていたのですが、それ以降はめていないのです。理由は単純です。僕の商売が水商売?だからです。

歯医者の仕事は常に人様の口の中に手を突っ込み治療をする仕事です。患者さん毎にグローブを交換して治療を行っていますが、治療が終わるたび、グローブを捨て、手を洗っています。そういった意味で僕は自分の仕事を水商売と呼んでいるのですが・・・。

それはともかく、常に僕の手は水や汗といった湿気と隣り合わせなのです。そんな状況で結婚指輪をはめていれば、せっかくの結婚指輪の輝きが無くなってしまいますし、傷ついてしまいます。

“仕事の時は結婚指輪をはずしておけばいいじゃないか?“と言われる方もいるでしょうが、どうも僕は取り外しをするものは紛失してしまう性分でして、大切な結婚指輪もどこかへ行ってしまう可能性が高いように思えたのです。
そのため、僕は既婚でありながら結婚指輪をはめていません。
まあ、結婚指輪だけではなく、最近は腕時計をはめることもほとんどありませんね。手元には時計がある携帯電話がありますし、街中のあちらこちらに時計がありますから、時間を知るのは苦労しませんから。

ということで、僕が既婚であるのに結婚指輪をはめていない理由は、多くの女性にモテタイからではないということであります。

誰もそんなことを訊いていませんって?

お呼びでない?

これゃまた失礼致しました!



2007年04月20日(金) 予約時間を守れない患者

人々が暮らしている社会では最低限のマナーというものがあると思いますが、約束の時間を守るということもそんなマナーの一つであることは誰もが異論の無いところでしょう。約束の時間を守る、守れないということは相手に対する信頼感のバロメーターになると言っても過言ではないと思います。

約束の時間を守るということでは医療機関でも同じであるはずですが、約束の時間である予約時間を過ぎても自分の診察の順番が回ってこないことが多いもの。
中でも多くの患者さんが集中する大きな病院で待ち時間3時間、診察時間3分などと批判があることも事実です。
患者さんの立場からすれば、せっかく時間を作って来院している。予約を取っているにも関わらず予約時間を守らないのはルール違反だ。そのようなことを感じている方が多いと聞きます。しかも、長時間待っているにも関わらずちょっとしか診てもらえないとなるとその不満は更に大きなものになることでしょう。
気持ちはわからないでもないのですが、診療している側からすれば、明らかに自分の診察、診療能力を越えた数の患者さんが来院していることが多いのです。そのため、一人一人の患者さんに時間を割くことができない現実。治療する側もつらいものなのです。

予約時間に関しては、歯科医院でも同様の悩みを抱えているもの。
多くの歯科医院では予約制を取っています。歯科の場合、他の内科などと異なり、必ずといっていいほど処置を伴います。患者さんの問診をし、検査をして、薬を出すといったことだけではなく、多くの場合、歯を削って詰めたり、歯型を取ったり、抜歯をしたりなど処置が伴うのです。予約制を取っている歯科医院では、一人当たりの治療時間を決めておき、一日の診療時間中にいくつかの治療時間を前もって取っておくのです。そうすることで、一人の患者さんに治療計画に基づいてきちんと治療できるための時間を確保するのです。
これがうまくいけばいいのですが、以前にも書いたように歯科医院には急に歯が痛くなった、腫れた、入れ歯が割れたなどといった急患の患者さんが来院します。そういった患者さんの治療も歯医者にとっては大切な仕事の一つなのですが、予約制をとっているとどうしても先に予約を取っていた患者さんの治療の合間に治療をせざるをえません。せっかく予約時間に合わせて歯科医院に来院してくれた患者さんに迷惑をかけざるをえないのです。こちらとしては非常に心苦しいことではあるのですが、急患の患者さん治療には対応するのがいつも大変なものなのです。

患者さんが長時間待つということは医療機関の対応に原因があるようなことがマスコミなどで報じられることが多いのですが、逆に治療をする側が患者さんに振り回されるということも意外と多いものなのです。その代表例が予約時間を守らない患者さんです。

予約時間になっているにも関わらず一向に姿を見せない患者さん。事前に登録してもらっている連絡先に電話をかけたところ、予約時間を忘れてしまっていた、仕事で出かけてしまった後、他用が入ったなどという返事。
治療する側としてはその患者さんのために治療時間を取っていたにも関わらず、それが無駄になってしまうということは大きな損害でもあります。時間だけではありません。電気代、ガス代、人件費など本来予約患者のためにかかる諸経費が無駄になり、損害を被ることになります。

まだ、事前に連絡してこられる患者さんはいいとは思いますが、それでも診療当日になって急に来られなくなったという電話も困りものです。前日までであれば何とか他の患者さんをその時間枠にまわすような段取りを組みなおすことも可能なのですが、当日ともなるとそれが難しい。もちろん、当日になってから避けられない用事が入り、やむを得ず予約をキャンセルせざるを得ない場合もあるでしょう。それは仕方のないことではあるとは思うのですが、歯医者の本音としては予約の変更はできるなら前日までして欲しいものだと思うのです。

予約時間を遅れて来院される方も対応に苦慮します。他の予約枠の患者さんとの兼ね合いが非常に難しくなります。あまり大きな声ではいえませんが、そういった場合、僕ならば、10の処置をする予定だったところ、2しかしないといったようなことをせざるをえません。
それから、予約時間があるにも関わらず予約時間を無視して来院される患者さんも困りものです。

「今日は11時の予約だったんですが、急に用事が入りまして、9時に診てもらえないかと思いまして早く来ました。」

事前に連絡があるのでしたら、予約の患者さんに断りを入れて予約時間の変更もしなくもないのですが、いきなりこのようなことを申し出られてもこちらとしてはどうしようもありません。自分の都合で来られてもこちらとして対処のしようがない場合もあるのです。
予約をしている患者さんの治療時間に余裕がある場合でしたら、急患の患者さんのような扱いで予約枠の間で治療をすることも可能ですが、それができない場合は、別の日に予約を取って引き取って頂く場合もあります。

かつて、上記のようなケースで患者さんに予約していた時間よりも早く治療ができないことを伝えた際、

「お前ところは、患者の希望も聞き入れられないというのか!」
と受付で怒鳴り声を上げられた患者さんもいました。こちらとしては事情を理解してもらうしか仕方なく、何度も事情を説明したのですが、怒りは収まらなかったようで、その患者さんは二度とうちの歯科医院には来院しませんでした。
うちの歯科医院側の対応にも問題がなかったとは言えませんが、どう考えても予約日当日、患者さんの自分勝手な都合に歯科医院が合わせられなかったことが果たして歯科医院に落ち度があるのか?僕は未だにその問題に明確な答えを出すことが出来ません。

いずれによせ、この日記を読んでいる読者の皆さんには、予約制の歯科医院を訪れる際には、予約時間は正しく守ってほしいと願っております。



2007年04月19日(木) 週一回の刺激を得られる日

昨年から僕は某専門学校で半年間、非常勤講師としてある科目の講義を受け持っています。講義は4月から夏休みを挟み6ヶ月間。毎週水曜日が僕は学生たちに講義をすることになっています。

この仕事、一昨年までは親父が長年していた仕事でした。親父はこの仕事のため、週の真ん中である水曜日を休診日とし、時間を空けていたのです。高齢になった親父から昨年、僕が親父の職を引き継ぎ、講義を担当しているというわけです。

僕はかねてから不思議に思っていました。某専門学校で非常勤講師として受け取ることができる給料はそれほど高いものではありません。正直言って、休診せず、自分の歯科医院で患者さんを治療している方がずっと実入りはいいのです。それにも関わらず、ずっと親父は自分の歯科医院を休診してまで講義を続けてきました。その理由が僕にはわかりませんでした。
親父に尋ねても
「そのうちにわかるよ。」

初めて講義を担当した昨年、僕は必死でした。何を講義すればいいのか試行錯誤を繰り返し、四苦八苦しながら講義の準備をし、講義をしたものです。
正直言って、大変なことを引き受けてしまったものだと後悔していたところもあったのです。
それに比べ、今年は去年講義を担当した経験があります。講義の準備も去年作り上げた資料があります。一度作り上げたものを再確認しながら、今年用の講義を準備する。ゼロから始めた昨年とは異なり、下地がある今年の講義の準備は多少は楽になったように思います。

そんな余裕があるせいでしょうか?僕はあることに気がつきました。
それは、講義を担当することで、ともすれば自分が見失っていた知的好奇心が呼び覚まされるような感覚が生じてきたことです。

普段、歯医者の仕事をしていると、これはこれなりに日々新しい発見の連続ではありますが、普段の仕事とは全く異なる仕事である講義を担当するには、毎度きちんと専門書を読み、資料を作成し、講義の準備をしなければなりません。
僕が担当する科目は、どちらかというと生命科学の分野というよりも社会科学の分野の一つともいえる科目であり、法律の改正や国の政策の変更により教科書に書かれてある内容が微妙に変化をします。もし、科目の内容の変更に気がつかず、説明してしまうと、学生は誤解したまま僕が説明をしたことを覚えこんでしまうリスクが生じます。それを避けるために僕は念入りに下調べをする必要があるわけですが、この下調べが今年は実に楽しく感じられると思うのです。
昨年、必死で理解しようとしていた項目の理解が更に進み、さらなる内容を追求したいという気持ちが強くなってきたように思いますし、新たな変更、発見に新鮮な驚きを感じたりもします。ともすると惰性になってしまう日々の生活に適度な刺激が与えられる。知的な潤いを与えてくれるようにさえ思うのです。

表面上の給料の額は安い方ではあります。仕事の合間に講義の準備をすることは、結構きつい仕事であることは確かです。普段から教壇に立っている教職の方ならいいのかもしれませんが、何せ普段は患者さんの口の中を触っている身です。学生にきちんと講義しないといけないという精神的なプレッシャーは相当なものがあります。

それでも、講義を重ねるごとに、この講義が学生のためだけでなく、自分のためだと思えるようになってきたと感じる今日この頃。

親父の一言
「そのうちにわかるよ」の意味が少しは理解できるようになってきたと感じる、歯医者そうさんです。



2007年04月18日(水) ベッドより畳の布団の上で寝たい

一日が終わり、睡眠を取ろうとする時、皆さんはベッドの上で横になりますか?それとも、畳や床の上に布団を敷いて寝ますか?
僕は後者です。現在、我が家の寝室ではチンチンボーイを真ん中に川の字?になって寝ています。
夕方になると嫁さんが布団を敷き寝床を整えます。朝になると、仕事に出かける前、僕が布団を上げ、押入れにしまうということをやっています。

それぞれの家庭には様々な環境、事情があります。一概にベッドの上で寝るのがいいのか、畳の上に布団を敷いて寝るのがいいのか優劣をつけるのは難しいでしょう。
僕の場合、生まれてからほとんど畳の上に布団を敷いて寝てきましたから、ベッドの上に寝るということにはどうも違和感があります。
一時期ベッドに憧れていた時があり、ベッドで寝ていた時期がありますが、熟睡することができず、結局、元の畳の上に布団を敷いて寝ることになった経験があります。

各地を旅行や仕事で行くことがありますが、宿泊先のホテルはほとんどがベッドです。仕方がなくベッドの上で寝ることになりますが、どうも背中が柔らかい感じがして落ち着かず、これまた熟睡とは程遠い状態になってしまいます。
僕の知人の一人も畳の上で布団を敷いて寝るクチなのですが、その知人は、旅先のホテルでも和室がある場合は和室で泊まるのだとか。和室が無い場合には、ホテルのベッドの上の布団をはずして、床の上に敷き、その上で寝るのだとか。

ところで、ベッドでいつも疑問に感じるのはベッドの掃除のことです。
もちろん、ベッドでもベッドメイキングがあることは知っています。ベッドの上のシーツは毎日交換し、掃除し、整えるものです。けれども、ベッドそのものを移動してまで掃除する機会は限られているように思うのです。特に、大きな立派なベッドになるとどうしても据え置き型であり、移動してまで掃除するということはかなり大儀なことのように思うのです。

また、ベッドを設置すると、その面積分だけ部屋の空間が無駄になるようにも思えます。大きな余裕のある部屋であればいいのかもしれませんが、部屋の面積が限られている人にとって、ベッドの分だけ空間が占拠されるのは、空間の有効利用の面からすればもったいないように思うのです。それに比べ、畳の上で布団を敷くということは、まいど布団を下ろしたり、あげたりすることでベッドのように一定の空間が占領されることがなく、寝る必要の無い時は有効に空間を利用できるように思うのです。

話がわき道にそれますが、ベッドと似て非なる物として歯科診療用の診療台、診療用チェアがあります。この診療用チェアは非常に寝心地が良いということをご存知でしょうか?
歯科の診療というとどうしても緊張感を強いられるイメージが強いですが、そんな緊張感を少しでも緩和するため、診療用チェアは人間工学的に快適に過ごせるようなデザインになっているのです。ある程度治療に慣れられた患者さんの場合、仰向けに水平になって治療をしていると、いつの間にか目がうつろになり、口が閉じてくる方が少なからずいるのです。口が閉じてしまうと治療ができなくなるので、その都度、口を開けてもらうよう患者さんにお願いはするのですが、それでも治療が終わると

「いつの間にか寝てしまっていましたよ」
と言われる患者さんもいるくらいです。
数ある歯科医院の中には、昼休みの間、診療スタッフが診療用チェアの上で昼寝している光景も見られます。


とにもかくにも僕の屁理屈を書いてきましたが、ベッドにはベッドのよさがあるのは承知しています。ベッドの上で寝るのか畳の上で布団を敷いて寝るのか、どちらに優劣をつけることは愚問でしょうが、僕は、畳の上に布団を敷いて寝ることが身にしみているが故に、こだわりがあるということなのですよ。



2007年04月17日(火) 理想的な死に方とは?

人間は誰しも人生の最期が来るものですが、人生を終えるにあたりどのような亡くなり方をするものでしょう?
昨夜、遅くまで地元歯科医師会で会合があったのですが、先輩の先生の知人が立て続けに亡くなったという話からどのような死に方があるものか、話題にあがりました。

死の病で亡くなるような場合を想定すると・・・
心筋梗塞であれば、心臓の冠状動脈が詰まり、心筋が壊死し、心臓が停止するのが心筋梗塞であるわけですが、心臓に強烈な激痛が襲い、苦しみながら絶命するとのこと。
脳梗塞であればどうでしょう。こちらも脳内の血管が詰まることにより死に至る病気ではあるのですが、突然意識を失い絶命に至るとのこと。
肺炎であれば、息が苦しく呼吸困難な状態というのはもだえ苦しむような状態で死に至るといいます。
癌であれば、どうでしょうか?癌の症状は様々ですが、往々にして痛みを伴う場合が多いとのこと。そのため、ホスピスなどでは癌による疼痛を緩和するためにモルヒネが投与され、痛みを緩和するような処置を取ることが多いようです。

病気ではなく、不慮の事故で死ぬ場合、いろんな亡くなり方があるかもしれませんが、某先生曰く

「自分が関わっていた仕事や事業、家庭のことなど、今まで自分が関係していたことの引継ぎがうまくなされないまま、そのようなことを考える余裕もなくこの世を去るというのも如何なものかなあ?決して幸せな死に方とは言えないよ。」

ちなみに、自殺のことは誰も取り上げませんでした。理想的な死に方とは程遠いものであるという共通認識があったからだと思われました。

どんな死に方にせよ、理想的な死に方などは思い浮かびませんでした。話に参加していた先生同士、意見が合ったのは、人間というものは、いつまでもこの世の中にしがみついていたいものだということでした。

そんな話をしていると、後輩の先生がこんなことを言ったのです。

「どんな病気になるか予想はつきませんが、同じ死ぬなら病院ではなく自宅の布団の上で死にたいものですね。」

僕は病院の研修医でした。患者さんの中には病院で息を引き取り、病院の裏口から出て行かれる方を何人も目にしました。医者は精一杯努力をしているはずですが、力及ばず病院内で息を引き取る。これは仕方のないことではあるのですが、同じ亡くなるなら病院ではなく、自分のなじみのある家で亡くなる死に方をしたいという気持ちは僕もよく理解できました。
人生の最期に自分がいるのは自宅の布団の上という気持ち。

先日、数年ぶりにYさんという患者さんが来院しました。

「先生、ご無沙汰しております。本当はもっと早く来たかったのですが・・・」と言いながら入室されたYさん。

久しぶりに見たYさんの口の中は、以前よりも歯の状態が芳しくありませんでした。以前であれば定期検診を積極的に受けられていたYさんだったのですが、ここ3年ほどは定期検診の案内にも音沙汰なかったのです。そんなYさんが久しぶりに来院されたのです。
Yさんの口の中の状態を考えると、何回か通院が必要な歯の状況でした。そのことをYさんに伝えると、Yさんは突然言われました。

「実は昨年、先生にも診てもらっていた母が亡くなりました。」

Yさんの話によれば、Yさんのお母さんは数年前から癌を患っていたそうですが、入退院を繰り返していたとのこと。僕も退院時にYさんのお母さんの入れ歯を調整したことがあるのですが、歩行も付き添いがないとできないくらい弱っておられていました。そんなYさんのお母さんが病が急に進行したのが、昨年の夏ごろだったとのこと。当初、病院で入院していたそうですが、Yさんのお母さんの強い希望があり、担当医が往診するという約束の下、自宅療養をすることを選択されたのだそうです。

病状は一進一退を繰り返していたようですが、病状は落ち着いていたそうです。そんな昨年の秋のある朝のこと。Yさんは、お母さんが安らかに眠っていると思い、外出をしたとのこと。ところが、昼頃帰宅した時、Yさんが目にしたのは、お母さんの体が寒くなっていた姿だったといいます。

「母は数年間、癌の闘病生活をしていましたが、最期は眠るようにして逝きました。何も苦しまず、自宅の布団の上で亡くなった母は幸せな死に方をしたのではないかと思います。」

きっと、Yさんのお母さんは生前の行いがよかったのでしょう。苦しまずして眠るようにして自宅の部屋の布団の上で亡くなられたのだとか。

理想的な死に方というのはこのような死に方なのかもしれないと感じた、歯医者そうさんでした。



2007年04月16日(月) かつて書いた釣書を見て思い出したこと

昨日、自分の部屋であるものを探していると思わぬ物を見つけてしまいました。それは釣書。
僕は何度か見合いをしているのですが、その都度、自分のプロフィールを書いた釣書を書いていました。自分の名前から生年月日、住所、年齢、家族構成、自分の学歴、職歴、趣味など、便箋に書かれた釣書。何度なく書き直していた釣書の一部が部屋の片隅に残っていたのです。先日、11回目の結婚記念日を迎えたばかりですが、過去のお見合いをついつい思い出してしまいました。
お見合いは、人それぞれいろんな考えがあるでしょうが、僕は特に嫌いではありませんでした。お見合いは仲人を通じ、結婚を前提に男女同士を紹介しあう仕組みであるわけですが、堅苦しいところを嫌う人が多いと聞きます。確かにそのようなところはあるかもしれませんが、僕は女性と出会うチャンスがあるということには貪欲な方でした。恋愛であろうが見合いであろうが形式には全く拘らないクチだったのです。ですから、“こんな女性がいる”というお見合いの話を断ることはなかったのです。

お見合いと言えば、以前僕の出身歯科大学の後輩との話を思い出します。
その後輩は某病院に勤務していたのですが、非常に世話になった医局の先輩がいたのだとか。病院の中だけでなく、仕事以外でも頻繁に付き合っていたそうなのです。ある時、その先輩の家に遊びに行くと、その先輩は非常に憂鬱な顔をしていたというのです。
後輩が
「何か心配ごとでもあるのですか?」
と尋ねると、その先輩は一枚の写真を持ってきたのだそうです。その写真は写真館で取った写真だったそうですが、黙って後輩にその写真を見せたのだそうです。

「俺が見合いだけは嫌だとあれほど言っていたのに、両親がこんな写真を持ってきたよ。」

その写真を見た後輩は思わず驚いたのだとか。
その写真とは、僕と後輩の共通の知人の女性Sさんだったのです。

僕はこの話を聞いたとき、Sさんがあまりにもかわいそうに思いました。なぜなら、お見合いのためとは言え、自分の写真がお見合い相手だけでなく、直接関係のない人にまで回されている、表現が悪いかもしれませんが、たらい回しされていたからです。お見合いとは自分の人生の中でも最も大きな節目となる結婚のきっかけとなる出会いです。その出会いの際、お互いに自分たちのことを知ってもらうために釣書や写真を交換したりするわけです。ところが、そんな大切な写真が当人や家族だけでなく、関係者以外の人にも見られているという事実。これはあまりにも非常識なのではないかと感じたのです。

お見合いの際、僕は自分の釣書や写真を手渡すことに抵抗はありませんでしたが、間に入る人には、関係者以外に釣書や写真を見せることは絶対にしないことを約束してもらいました。僕は結婚相手を探している人間であって、商品ではない。このことを強く言っていたものです。

実際に僕も釣書や写真を相手に渡しました。その釣書や写真がどんな人に見られたかは定かではありません。関係者以外には回されていないことを信じるしかありませんでしたが、結果的に釣書や写真は全て僕の手元に戻ってきました。そんな釣書の一つを部屋の片隅で見つけたのです。
かつて書いていた釣書を見て、感慨深く感じた歯医者そうさんでした。



2007年04月14日(土) 突然メールが送信できなくなった理由

異変に気がついたのは今年の正月明けでした。
僕は仕事用のメールを二つ持っていますが、仕事用名刺にも記載している某大手プロバイダーのメールアドレスからメール送信ができなくなったのです。昨年末までは何ら問題なく送信することができました。設定は何も触っていませんでした。受信は問題なくできた。それなのに送信だけができない。せっかく某大手プロバイダーメールアドレス宛にメールを頂いても、そのアドレスからの送信ができない異常事態に陥ったのです。
僕は仕方なく、サブの仕事用メールアドレスからメールを送信して何とか迷惑を掛けないようにはしていたのですが、それにしてもどうしてこのような事態に陥ったのか、理由がわかりませんでした。

某大手プロバイダーのホームページやインターネットを検索していると、異変の原因のようなことがわかってきました。それは25番ポートブロックによる影響でした。
25番ポートブロックとは既にご存知の方もいらっしゃるでしょう。僕は詳細がわからないのですが、インターネット上に多くはびこっている迷惑メールを防止するため、大手プロバイダーが取り始めた迷惑メール防止機能の一つのようです。この25番ポートブロックによる弊害がメール送信障害に現れたようです。
僕が使用していた某大手プロバイダーのメールは、直接某大手プロバイダーのサーバーに接続するタイプではなく、別のプロバイダーのサーバーからインターネットを介し、某大手プロバイダーのサーバーに接続するものでした。僕がメールを送信できなかったのは、どうも25番ポートブロックにより迷惑メールと判断されたようでした。25番ポートブロックによる弊害をまともに受けていたみたいでした。

それではこの25番ポートブロックによる弊害をどのように解決すればよいか?
これがわかりませんでした。某大手プロバイダーに解決方法が書かれてあったのでそれを実行しようとしたのですが、全く埒があきません。他のインターネット上のサイトでも解決方法が書いてあり実行しようとしたのですが、これもだめ。
諦めかけていた最中、何気なく本屋に立ち寄って読んでいた某インターネット雑誌にメール送信できない場合の設定方法についての記事が書いてありました。藁をもつかむ気持ちでその設定を実行したところ・・・
見事に送信できました!4ヶ月ぶりのメール送信復活です。

実に単純な設定変更だったんですよ。全ての人に当てはまるとはかぎりませんが、僕が変更した設定を紹介してみます。ちなみに僕のメーラーはアウトルックエキスプレスver6.0です。

ツールからアカウントの画面を出し、メールを見ます。自分が利用しているプロバイダーをダブルクリックし、詳細設定を開けます。そこにサーバーのポート番号という欄があります。そこの送信メール(SMPT)(O)の数字が25と書いてあります。これを587に変更します。そして、このサーバーはセキュリティで保護された接続(SSL)が必要のチェックをはずすのです。
たったこれだけです。これだけで僕のメール送信は復活しました。

どうもこの25番ポートブロックの弊害は至るところで出ているようで、意外に多くの人が悩んでいるのではないかと思います。この問題はプロバイダーの責任が重大です。ユーザーに対するアフターサービスが不適切だと言わざるをえません。僕自身、4ヶ月間、メインのメールアドレスからメールを送信することができず、悩みました。
僕の方法が全てではないですが、僕と同じような悩みを持っている人にとって少しでも参考になれば幸いです。



2007年04月13日(金) 入浴後のバスタオル 何回使えるものか?

何気なくネットサーフィンをしていると、このようなアンケート結果に出くわしました。風呂に入った後に使用するバスタオルを何回使用するかというアンケート結果だったのですが、1回が39%、3〜5回が26%、2回が16%、1週間以上使い続けるが13%、それ以上使うが5%使うという結果だったようです。
バスタオルを複数回使う人たちが回答者数の半数以上いるという結果。

このアンケートの調査対象がどのような人たちを対象にしているかよくわかりません。
回答総数が不明ですし、回答者の性別構成もよくわかりません。どんな職業か、どんな地域の人か、既婚か否かということもわかりません。少なくともこのアンケート結果が全ての年齢層を対象としたものではないのは確かなようです。
ですから、このアンケート結果で全ての人の傾向と決め付けるには無理があるとは思うのですが、今の20歳代後半の人たちの結果の一部として考えるならば、それはそれなりに興味深い結果ではないかと感じました。

いずれにせよ、一度使ってから更に使ったバスタオルというものは、清潔さからは程遠いものではずです。水分や体の汚れがついたバスタオルの表面には雑菌が繁殖するのは自明の理。そんな状態を気にせず、使い続けることができる意識。
世の中清潔志向が強いと言われている中、実際のところは清潔の意識が乏しい、気にしない人たちが少なからずいることは新鮮な驚きでした。


僕自身は、仕事柄手を洗ったり、体を拭くことには気を遣う方です。診療所では患者さんの治療が終わる度に手を洗います。洗った後は紙タオルで拭き取り、使い捨てます。もったいないように思うかもしれませんが、自分が不潔であれば、患者さんに不潔さを移してしまいます。それだけではなく、何らかの病原性の雑菌を患者さんに感染させてしまうリスクもあります。そのため、僕は手洗い後のタオルも使い捨て紙タオルにせざるをえないと考えます。
実際のところはもったいなあと思いますし、ゴミの量の減量を考えると頭の痛い問題ではあるのですが・・・。

そんな僕が入浴後に体を拭く際に使用するのはバスタオルではありません。通常のタオルを2枚使用します。一枚は髪の毛を拭くために使用し、残りの一枚は体の水分を拭き取りために使用します。そして、拭き取ったタオルは洗濯機へ直行。すなわち、一回使用すればそれで終わりです。

自分の下着についてもそうですが、僕は肌に接触するものは一日以上使い続けることはできない派です。タオルについてはいくら水気を拭き取ったとしても、それを洗わずに乾燥したものを再利用するというのはどこか不潔な感じがして仕方がありません。それよりも、洗った後、十分に乾燥し、アイロンを当てたタオルの感触が好きなのです。風呂に入り一日の体の汚れを洗い流した。その後は清潔で感触の良いタオルで拭き取る。これが何ともいえない心地よさがあるのです。

ただし、毛の乾燥に関してはこだわりがあります。それは髪の毛はタオルだけでなく、ドライアーで乾燥させるのです。それなら誰でもやっていると思われ方もいるかもしれませんが、僕は頭の髪の毛だけでなく、脇の下や陰毛もドライアーで乾燥させるのです。
かつて、某有名人が語っていたのですが、風呂から上がった際、陰毛をドライアーで乾燥させたら気持ちがよく、病み付きになったということを言っていました。何か卑猥なイメージがしたものですが、試しにやってみたところ、これが意外と気持ちが良かったのです。今まで湯あげタオルで十分に拭き取っていたつもりだったのですが、ドライアーで乾燥させると、水気が全て吹き飛び、サラサラになるのです。当たり前のこといえばそこまでですが、それまでタオルで拭いていた時に残っていた陰湿感が全くなくなったことは新鮮な驚きでした。以降、僕は風呂から上がった後はドライアーで陰毛、脇の下を乾かすことが当たり前となりました。

皆さんも、是非一度試してみては如何でしょう?意外と気持ちが良いものですよ。



2007年04月12日(木) 男を磨く・・・ということ

かねてから僕は池波正太郎のファンで、いくつかの小説を読んではいたのですが、最近、池波正太郎の本にご無沙汰しておりました。久しぶりに池波正太郎の本を読んでみようかと何気なく思い、本屋で買ったのが、エッセイである“男の作法”(新潮社新潮文庫:ISBN4-10-115622-0)。

この本の中のテーマは“如何に男を磨いていくか?”
池波正太郎が日頃から考え、実行していた生活習慣とそこに至った背景、考えなどがインタビュー形式で書かれていました。食べる時の礼儀作法から始まり、服装、持ち物から人生哲学にいたるまでの幅広い内容で、“男の作法”とは銘打っているものの、男性ばかりだけでなく、女性も含めた人間の不変的な内容を取り扱っていました。
勘定、人事、組織、ネクタイ、日記、贈り物、小遣い、家具、酒、月給袋などなど、どのテーマについても豊富な人生経験を持つ池波正太郎が語る言葉はどれもが共感できる内容で、中には溜飲が下がるテーマもありました。
そんなテーマの一つがチップに関することでした。

池波正太郎は生前、タクシーに乗った時に料金以外にチップをあげる主義だったのだそうです。タクシーメーターが500円であれば、100円でも余分にチップとしてあげるのだとか。例え、100円であっても、もらった運転手は、気持ちよく受け取るだけでなく、その日一日は気持ちよく運転する。些細なことかもしれないが、一人が100円でも世の中にもたらすものは積み重なって大変なものになる。

今の時代チップを出さなくてもサービス料を勘定で払っているのに、どうして余計にチップまで払わないといけないのだという世の中の風潮がある。確かに理屈ではそうであるが、人間というもの形に出さなければ気持ちは通じないもの。言葉だけでは気持ちは通じない。
たとえ100円であってもその100円は身銭を切って出したもの。だから運転手に気持ちが通じる。そこに意味がある。

この話を読んだ僕はある歯医者の先輩から言われたことを思い出しました。
かつて僕はその先生に誘われ、食事に連れて行かれたことがあったのですが、僕がおごってもらったのです。先輩の先生ですから、おごってもらったことに対して感謝の意を表すのは当然のこと。僕は“ご馳走様でした”とお礼をいったのですが、その先生は一言

「勘定は感情に繋がるものだよ。」

下手なしゃれのように思えるかもしれませんが、僕には箴言のように思いました。

今の世の中、お金がないと何かと不自由するものですが、かつてのバブル景気やITバブルのようにがむしゃらにお金儲けのことを考え、前面に出して行動することについて、僕は違和感を覚えます。反対にお金を溜め込み、必要以上に使わないケチくさい金銭感覚も如何なものかとも思うのです。いずれの場合にせよ、変に金に執着することによって益するものは何もないのではないかと思うのです。
金は天下の回り物です。世の中は金が回る経済で成り立っているもの。それならば、人間同士の意思疎通のための潤滑油として使うのも一考ではないか。お互いのより良い人間関係構築のために、時には身銭を切ることも必要だろうと思うのです。
一見すると自分が損しているように思えるかもしれません。給料が限られ、税金もたくさん払っている。自分の懐が余裕がない時に身銭を切るというのはつらいものではあります。けれども、ほんの少しの金額でも自分が身銭を切って示したお金というものは、お金だけでなく、お金に託した気持ち、誠意まで相手に伝わる。その気持ちが相手の心を揺さぶり、結果的に人間関係の風通しをよくする。
池波正太郎や歯医者の先輩はそんな金の使い方を肌で感じていたのでしょう。相手に対する思いやりを言葉だけなく、形で表すことで実践していたのだろうと思います。

池波正太郎はこのことを
“男を磨く・・・ということ”
と評しました。

僕自身、ダンディな男の一人として憧れでもある池波正太郎の言葉ですから、非常に説得力があると感じた次第。

もっと男を磨いていかなくてはならないと感じた、不肖、歯医者そうさんでした。



2007年04月11日(水) 兄弟同士が同じ職場で働くことの難しさ

先週末、弟夫婦が我が家にやって来ました。これまで救急病院勤務で忙しく仕事をしている弟ですが、この4月から大学から新たに専門医が何人か派遣されてきたそうで、過労気味だった仕事がが少しは楽になるかもしれないということを言っておりました。

そんな過労の弟と話していると、美容室の話が話題にあがりました。
弟は先日まである美容室に通っていたのですが、最近になって美容室を変えたというのです。その訳を訊いていみると

「僕がいつもカットをしてもらっていた担当者がいなくなったからなんだよ」
とのこと。
このような話はよくあることだと思います。自分のお気に入りの美容師さんが店から独立したり、他の店に移ったりしてなじみのお客さんも一緒についていくなんて話はよくある話ですから。
更に話を詳しく聞いてみると、事情は複雑だったようです。

「いつも通っていた美容室は兄弟が一緒に仕事をしていたみたい。僕はいつも弟さんに担当してもらっていたんだよ。最近になって、兄弟同士何か問題が起こったみたいで、僕がいつも髪の毛をカットしてもらっていた弟の方が美容室を出て行ったらしい。先月、僕がその美容室に行った時には既に弟さんの姿はなかったんだ。」

「仕方なく兄貴の方にカットしてもらったんだけど、これがひどくてね。こちらがいろいろと注文をつけると、しぶしぶし直す始末。やる気がないのかしらないけど、お客さんに対する態度がなっていないよ。こんな所は二度と行きたくなくなってね。違う美容室へ移ったというわけ。」

兄弟同士が同じ職場で働くことの難しさ。

現在、僕は歯医者、弟は医者として仕事をしていますが、もし、弟が僕と同じ歯医者の道を歩んでいたなら、僕が弟を見る目は今のものとは確実に異なっていると言えるでしょう。その理由は、どうしても、同じ業界のライバルとしての見方が入ってくるからです。お互いにうまくいっている間はいいのですが、どちらかの仕事が上手くいかなくなった場合、ねたみ、嫉妬が感情に入り、冷静に話をし合うことができなくなってしまいそうでなりません。ましてや同じ職場で働くとなると、いつ何時不仲になるか心配でなりません。

僕と弟は仲が悪いわけではありません。むしろ良い方ではないかと思うのですが、もし、僕と弟が同じ歯医者であったなら、同じ職種の魔の手とでもいったものに導かれ、感情的な衝突が避けられない可能性があることは非常に怖いことです。
京都の某カバンメーカーではありませんが、如何なる事情があったとはいえ兄弟が同じ道を歩むと、場合によっては骨肉相食む争いとなる場合さえあるものです。

幸い、弟は僕とは違った医者、循環器内科医として仕事をしています。弟とはよく仕事の話をするのですが、お互いの仕事が違った領域の仕事であるため、冷静に話ができることは有難いと感じています。

誰でも専門職として知識、技術、経験を積むと、仕事に対してそれなりのこだわり、誇りというものが芽生えてきます。このこと事態はプロとして自然なことだと思うのですが、一人で仕事をしている立場ならまだしも、何人もの人と一緒に仕事をしていくと、あまりにも自分の道を追求しすぎると、周囲と感情的な衝突、摩擦といったものが生じやすくなります。

ましてや、同じ職場に同じ仕事をしている兄弟がいれば、兄弟があるが故に意識せざるをえない状況になるのは自然のことだと思います。しかも、どちらかが職場の経営者である場合、兄弟の場合は兄が経営者である場合が多いのですが、お互いのプライド同士がぶつかり合い、感情的になりやすい。その結果、仕事場の雰囲気が険悪となり、修復できないレベルにまで達してしまうのではないかと思うのです。

歯医者の中には、兄弟が歯医者である人たちが少なからずいます。僕としては、うまくやれているものだなあと思うのですが、少なくとも、兄弟が同じ診療所で仕事をしているケースはほとんどありません。それぞれが別々の歯科医院を経営し、仕事をしています。数少ないケースで同じ歯科医院で兄弟が歯医者で仕事をしている方がいますが、その兄弟は一人が矯正歯科の専門医、もう一人が一般歯科医として働いています。お互いの仕事に干渉しないような形を取っておられていますね。

兄弟が同じ屋根の下、同じ職種で仕事をしていくには、余程の気配りが必要ではないかと思います。兄弟間で同じ職場で上手く仕事を務めている方はどんな気配りをしているのでしょう?そうした方の話を聞いてみたいものです。



2007年04月10日(火) 歯医者が敗者?

一昨日は統一地方選挙投票日。全国各地で知事選挙や県議会、市議会議員選挙などが行われました。
実は、僕の出身大学の先輩T先生が今回の統一地方選挙で某県議会議員選挙に立候補していました。T先生は大学在学中から結構弁の立つ人ではあり、学生時代から結構政治のことを話をされていました。政治に疎かった僕は何気なくT先生の話を聞き流していたものですが、後にまさか政治の道を志すとは思いもよりませんでした。
T先生が政治の道に足を踏み入れたのは今6年前だったでしょうか?T先生は地元市の市議会議員選挙に立候補され、見事に当選されたのです。そこで、2期、市会議員としての実績を上げておられました。
今年の正月、T先生から年賀状を頂いたのですが、その文面には
“今年は新たな出発点に立てるべく努力していく所存です”と書かれていました。
僕はピンときました。

“今度は県議会議員選挙に出馬するつもりだな”と。
政治家として市議を務めれば、次は県議ということは大いに考えられることでしたから。

今回の選挙でT先生は地元の選挙区から県議会議員選挙に立候補されました。定員1人のところ、3人が立候補。そのうち1人は現職でした。結果は、900票差という僅差での次点落選となりました。風はT先生には吹きませんでした。
世話になったT先生が落選されたのは残念でなりませんが、まだ42歳という若さ。次の選挙では必ず当選して欲しいと願っています。

さて、歯医者は全国で今や10万人いるとされていますが、これら歯医者の中にはわずかながらも政治を志す人がいます。

今回の統一地方選挙で最も注目を浴びたといっていい東京都知事選挙。
結果は既に皆さんご存知のとおり、石原都知事の圧勝でした。先の宮崎県知事選挙での動きから東京都知事選挙でも一波乱あるのではないかと密かに思っていたのですが、東京都民の審判はこれまで石原都政を肯定する結果を出したようですね。
今回の東京都知事選挙には共産党推薦で元足立区長 吉田万三氏が出馬していました。吉田氏も歯医者です。経歴を見てみると、北海道大学歯学部を卒業し、歯科医を務めながら政治家の道を志し、1996(平成8)年に東京都足立区の区長になったという経歴の持ち主。
今回の東京都知事選で、僕は選挙権がありませんでしたが、同じ歯医者の仲間、先輩として密かに応援していましたおりました。結果は、残念ながら現職の壁は厚く、当選には至りませんでした。
T先生の場合と同様、吉田氏も歯医者が敗者になってしまいました。

落選した吉田氏の今後はどうなるのか?インタビューに吉田氏は答えていました。

「医療業界に戻りますよ。」

すなわち、歯医者に戻るということです。歯医者が敗者になり歯医者に戻ったということのようです。

T先生や吉田氏以外にも今回の統一地方選挙に立候補された歯医者は何人かいるようです。結果の詳細はわかりませんが、全国では数人の歯医者が当選されていたようです。
僕の住んでいる県では、T先生は落選されたものの、別の選挙区で歯医者の先生が当選されていました。

国会議員のレベルではどうかといいますと、現在のところ、4人の歯医者の国会議員がいます。その詳細はここに書かれていますが、衆議院1人、参議院3人が国政の場で汗を流しています。

今回の東京都知事選挙では歯医者都知事は誕生しませんでしたが、世界に目を向けると既に歯医者が一国の首長になっている国があります。中央アジアのトルクメニスタンがそうで、ここのベルドイムハメドフ大統領は歯医者出身なんだとか。独裁を続けてきた前大統領の急死後に就任したそうですが、この国では歯医者が敗者ではなく、勝者となっています。


ちなみに、僕は全く政治活動に興味がありません。政治に力を注ぐよりは毎日患者さんの歯や口のお世話をする方が性に合っていると思う、敗者、いやいや、歯医者そうさんです



2007年04月09日(月) たかがゴミ、されどゴミ

今日は週明けの月曜日。一週間の始まりということで、皆さんの家庭では、朝からいろいろと忙しい時間をお過ごしではないでしょうか?
家事に勤しまれている方にとっては、家庭から出るゴミの処理も何かと気を遣われることではないかと思います。ゴミ出しも大切な家事の一つであり、特に週明けには週末に溜まったゴミを出さなければいけませんからね。

皆さんのお住まいのところでも、ゴミの分別収集は当たり前のようにされているのではないでしょうか?以前であれば可燃物と不燃物といった大まかな分別によるゴミ収集だったのが、可燃物、かん、びん、紙や布、ペットボトル、小型不燃ゴミといった分別収集が進められています。
電化製品などでは法律によりエアコン、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、パソコンといったものは市町村では収集せず、購入店や買い替え店などで出さないといけないようになっています。
消火器、プロパン、バッテリーといった危険物、タイヤやバイクといった処理不適物なども専門の収集業者に委託するか、市町村が経営するゴミ処理センターなどで直接持ち込まないと処理できなくなっています。
しかも、多くの市町村ではゴミの収集袋は市町村が指定する収集袋で、中身が見える透明、もしくは半透明のものになってきています。以前のような黒や青のナイロン袋が使えなくなってきていますね。

僕が住んでいる市では、この4月からゴミの分別収集の方法が一部変更になりました。分別項目に新しくプラスチック類という項目ができたのです。
食料品や日用品のナイロン袋やマヨネーズのチューブ、発泡スチロール、食料品のカップやパック、プラスチックトレイなどを分別してゴミ出しをしないといけないようになったのです。
先月末から、うちの歯科医院にパートの来られている主婦のアシスタントの間ではこの話題で持ちきり。何がプラスチックで何がそうでないかということをしきりに情報交換しておられていましたね。我が家でもプラスチック類を専用に収集するボックスを作り、その中にまとめて集めるようにしていますが、嫁さんやお袋などは、
「慣れるまで面倒ね」なんてことを口々に言っていました

家庭ゴミに関しては分別収集が当たり前になっていますが、医療機関ではどうなっているでしょう?

廃棄物に関しては、法律で厳密に処理方法について定められています。
廃棄物の処理および清掃に関する法律(以下、廃棄物処理法)という法律です。廃棄物処理法では、一般廃棄物と産業廃棄物に別れています。一般廃棄物とは一般家庭ゴミのことを指し、産業廃棄物とは事業所や工場といった職場から出されるゴミのことを総称していいます。

医療機関から出される廃棄物は、概ね産業廃棄物として扱われます。
医療機関で出される廃棄物で特に問題があるのは、感染性や毒性のある廃棄物が排出されることでしょう。医療においては血液や汚物などの付着した様々な廃棄物がたくさん出されるもの。これらを一般廃棄物として一般ゴミとして処理することはできません。そのため、医療機関では廃棄物を事前に分別して処理をすることになります。
例えば、血液や体液のついたガーゼや綿花、グローブなどと注射針やメスの替え刃、カテーテル類などは別々に分別しないといけません。
うちの歯科医院では、ガーゼやグローブなどはこのような箱に一括してまとめています。




一方、注射針やメスの替え刃、注射用のアンプル、カートリッジなどは下のような箱にまとめています。鋭利なものばかりですから、丈夫なプラスチック製の容器を回収容器としています。




歯科医院で発生する廃棄物の中で、石膏類は下のような袋にまとめ、専門の業者に委託して処理をしてもらいます。




うちの歯科医院では現在、デジタルレントゲン装置を使用していますので関係はないのですが、通常のレントゲン装置を使用しているような歯科医院であれば、レントゲン現像液の廃液として現像液や定着液が必ず排出されます。これらは産業廃棄物として、それぞれの廃液入れに溜めておき、専門の処理業者に委託して処理されます。

抜歯した歯や粘膜などの病理廃棄物も感染性廃棄物として扱います。これらも特別な容器に保存して専門業者に委託して処理してもらうことになります。

他の医療機関と異なり、歯科医院では、患者さんから収集した詰め物や被せ歯の金属の処理が問題となります。これも別途回収箱に集めて、専門業者に委託処理することになります。




廃棄物処理業者は歯科医院で発生する詰め物や被せ歯の収集には非常に熱心です。なぜなら、詰め物や被せ歯には金、銀、パラジウム、銅といった貴金属が含まれているからです。昨今の金属需要の増加からこれら詰め物や被せ歯に含まれる金属も非常に貴重です。廃棄物処理業者は、歯科医院に対して詰め物や被せ歯を回収すると、貴金属を分析、分離します。得られた貴金属はどうするかといいますと、貴金属市場で売りに出しているのです。すなわち、廃棄物処理業者は歯科医院で回収できる詰め物や被せ歯をリサイクルすることによりかなりの収益をあげているはずです。昨今の金属需要の高まりから貴金属類の価格の高騰が続いています。それ故、廃棄物処理業者は以前にもまして被せ歯や詰め物の収集に熱心に取り組んでいると言えるでしょう。

それでは、医療行為によって発生するゴミではない紙くずなどの処理はどうでしょう?紙くずであっとしても、医療機関から出されるゴミは事業所のゴミとして一般ゴミと一緒に捨てることができません。これも専門の業者に委託して処理することになります。
しかも、医療機関で発生する紙くずの中には患者さんの個人情報が書かれた様々な書類が含まれていますから、これらはシュレッターなどを利用して個人情報が特定されないようにしてから処理する必要があります。
うちの歯科医院では、シュレッターを使用して紙くずから個人情報が特定されないようにして処理をしています。





話を元に戻しまして、うちの市で行われるプラスチック類の分別収集ですが、嫁さんの話では、プラスチックゴミを分別することで、家庭から出される一般ゴミの量が確かに減ったらしいのです。
地元市の担当者の話では、プラスチック類のゴミは容積比で約37%を占めているのだとか。このプラスチックを分別収集することで、プラスチック類がリサイクルにまわされ、資源化を促進するとのこと。また、焼却炉の延命や二酸化炭素排出削減による環境への付加の低減を図れるそうです。

環境に気を遣わなければならない時代になっていますが、ゴミの分別排出、収集はまさにその一歩と言えるかもしれません。たかがゴミ、されどゴミといったところでしょうね。



2007年04月07日(土) プロは目立たない所で働くもの

昨日、嫁さんが髪の毛をカットしに行ってきました。近所の美容室に行ったのですが、なじみの美容師さんといろいろと話をしていたのだとか。
その中で、美容室は営業時間を終えた後、何をしているのか尋ねてみたところ

「後片付けはもちろんのこと、夜遅くまで残務整理や若手がカットやパーマの練習をしている」とのこと。

嫁さんが通っている美容室は若手の美容師がたくさんいるのですが、実際にお客さんのカットやパーマをかけたりすることができるのはチーフと呼ばれている人だけなのでそうで、残りの若手の美容師はチーフのアシスタントや洗髪当番や受付を担当しているのだとか。そのような若手は、仕事が終わってから自らの美容技術の習得のために深夜まで美容の練習に励んでいるのだそうです。

「私たちのわからないところで美容室って動いているものなのね」
と言う嫁さん。

先日、友人の銀行マンと話をする機会があったのですが、
「どうして銀行の営業時間は短いの?」と尋ねたところ
「お客さんと接するという意味での営業時間は限られているかもしれないけども、銀行のシャッターが下りてからも内部では様々な残務整理や取引先とのやり取りなどが行われているんだよ。帰宅するのが深夜近くになって、朝もそれなりに早い。目立たないところで重労働しているものなんだよ。」
ということを言っておりました。
そうそう、昨日取り上げた“お持ち帰り”ですが、銀行業界で“お持ち帰り”は自宅に仕事を持ち帰ることを指すのだとか。“お持ち帰り”って決して楽しいことばかりじゃないのですね。情報提供、有難うございました!

歯科医院でも同様のことが言えるでしょう。多くの歯科医院の診療時間は8時間前後だと思いますが、これは患者さんを治療するための時間をカウントしたものです。診療以外に費やされる時間というものそれなりにあるものなのです。
診療開始前には、電気、ガスなどのチェックや診療用具の点検、材料、歯科技工物の点検、歯科医院内の掃除、コンプレッサーやレントゲン装置の作動、冬場でしたら暖房、夏場であれば冷房・・・。
あれこれ準備をするだけで小一時間はゆうに経ってしまいます。
診療が終われば終わったらで、後片付けがあります。掃除やごみの収集、器具の清掃、消毒、滅菌、材料、薬剤の点検など。それ以外にも患者さんの歯型を下に石膏模型を作ったり、中には歯科技工物と呼ばれる詰め物や被せ歯を作るようなこともする場合があります。また、窓口の収支計算や診療の合間に撮影したレントゲン写真や写真の整理、様々な残務整理が残っているものなのです。
歯科医院によってはスタッフの間でミィーティングがあったり、勉強会を行ったり、講演会に参加することもあるでしょう。美容室ではないですが、基礎的技術のトレーニングの時間も設ける場合もあります。
月末や月初めになると診療報酬明細書の発行準備にもおわれます。

うちの場合は、診療所が自宅の隣にあるので、診療が終わり、ある程度の後片付けが済むととりあえずは夕食を取ることがあるのですが、それでも、夕食を取ってから再度診療所に戻り残務整理に時間を費やすことになりますね。

歯科医院というと患者さんが出入りし、歯医者が診療をしている姿をイメージされる方が多いとは思いますが、他の業界と同様、人目につかないところでいろんな仕事をしているものなのです。シャッターが開いている間だけ動いている職場ではありません。

どんな職場でもそうでしょうが、人目につく時間帯と人目につかない時間帯というのがあるものだと思います。どんな業界でもプロと言われる人たちは派手な仕事に目を奪われがちですが、皆が見ない間に様々な仕事をしているのが普通ではないでしょうか?人目につく時間帯というのは、職業人にとって仕事に接する時間のほんの一部に過ぎないものなのだと思います。



2007年04月06日(金) お持ち帰りを考える

昨日、午前中の診療が終わり、自宅に戻った歯医者そうさん。居間のテレビを何気なく見ていると、画面にワイドショー番組。放送の中で某芸能リポーターがある男性アイドルがかつてコンパをした後、“お持ち帰り”をしたことがあることを話していました。何とも下世話な、ワイドショーらしい内容であったのですが、現在春休み中、一昨日9歳になったばかりの上のチビも見ておりました。上のチビは僕が帰ってきたのを見て、尋ねてきました。

「パパ、“お持ち帰り”って一体何のこと?」

思わず答えに窮してしまいました。

「大人のおもちゃって一体何なの?」
以来の答えに困る質問でした。

いつか“お持ち帰り”の意味がわかってくるだろうとは思うのですが、本当のことを言うにはまだ早すぎる年齢でもあります。
「お土産のことだよ。何かお土産をもらって帰ったということじゃない?」と答えておきました。
「ふ〜ん、なるほどね」と納得した顔つきの上のチビ。

こういった特殊な意味の“お持ち帰り”はともかく、本来の“お持ち帰り”は誰でも楽しみにするものではないでしょうか?
例えば、小さい子供の場合。小さい子供がレストランでお子様ランチを注文した際、必ずついてくるのが景品です。最近のお子様ランチには、単価がかなり安いであろう、どこか外国製であることは間違いのない、子供が喜ぶおもちゃがついているもの。小さい子供はこの景品をゲットすることが目的でお子様ランチを注文するくらいですが、単にお子様ランチを食べるだけでなく、一種のお土産として“お持ち帰り”ができる楽しさを、小さい子供は知っている。このことを見事についたのがお子様ランチだと思います。

“お持ち帰り”は何も小さな子供だけが喜ぶ物ではありません。大の大人においても”お持ち帰り”は楽しみにするものです。
レストラン、中華料理店などで食べきれない物を持ち帰ることができるというのは、もったいないという意味合いもあるでしょうが、心の底には何か得した気持ちになるものです。中華料理店などで用意される折り詰めなどは”お持ち帰り”そのものです。
ちなみに、アメリカではレストランでの残り物をドジーバッグと呼ばれる袋に入れて持って帰ることができる場合があるとのこと。さながら日本の折り詰めですが、ドギーバッグとはdoggie bag。犬の食べ残しを入れる袋というところから派生してできた言葉のようですが、言葉が発するイメージでは何か夢もへったくれもないようなイメージに見えてしまいますね。

“お持ち帰り”は何も若い人だけが楽しみにするものではありません。人生の先輩である高齢の方にとっても”お持ち帰り”は楽しみにするものであります。いや、むしろ子供以上に喜ぶ場合もあるくらいです。

かつて、僕が所属する地元歯科医師会では、地元の市とタイアップして健康に関するイベントを行ったことがあります。その際、動員をお願いするため、僕は地元の市の関係者と共に、事前に地元の老人クラブ連合会の代表の人と会う機会がありました。その際、地元の市の担当者が興味深いことを言っていました。

「高齢者の方をイベントに動員するには、イベントに参加すると必ず“お持ち帰り”があることを事前に知らせてあげることです。鉛筆1本やメモ帳一冊、うちわ一つ等等、何でもいいんです。そうしますと、高齢の方というのは、喜んでイベントに参加されるものなのです。”お持ち帰り”目当てでね。」

果たして結果はそのとおりとなりました。事前に老人クラブ連合会の担当者に”お持ち帰り”があることを伝えると、担当者は老人クラブ連合会の会員に積極的にイベントのPRをしてくれました。
いざ幕が上がると、数多くの高齢者の方がイベントに参加されました。中には“本当に歩くことができるのか?”と言いたくなるような、歩行困難だと思われる高齢者でさえ、イベント会場の階段を必死に上がられていた姿を目にしました。
“そこまでしてイベントに参加するのか?”と思われるくらいの気合です。地元市の担当者の話はうそではありませんでした。高齢者が体をはってイベントに参加した、そのモチベーションには、”お持ち帰り”の効果があったのは間違いありませんでした。

老若男女、誰もが楽しみにする“お持ち帰り”。
歯医者での”お持ち帰り”はどうでしょうか?
歯医者と“お持ち帰り”というイメージに結びつかないということが第一かもしれませんが、本来、歯の治療のために取り除いた金属の被せ歯、詰め物、抜歯した歯などは全て患者さんの物です。僕はこれらの物が治療で取り除いた場合、必ず患者さんにどうするか尋ねます。

「“お持ち帰り”なさいますか?」

幼少の子供には抜歯した乳歯やなどは”お持ち帰り”される親御さん、子供が多いように思えます。それに対し、大人の場合、“お持ち帰り”は少数ですね。


ちなみに、日記冒頭の“お持ち帰り”ですが、僕は今までいわゆる”お持ち帰り”をしたことはありません。何せ僕は奥手ですから。
いきなり初対面の女の子を口説き、その女の子を何処かへ連れて行くような”お持ち帰り”はできませんでしたねえ。
あまり人に勧められるような”お持ち帰り”ではありませんけども、一度くらい経験してもよかったなあとも思う、今日この頃。



2007年04月05日(木) 君は死神みたいな奴だな

昨夜は夜遅くまで地元歯科医師会での会合がありました。例によって会合の後、何人かの先生と話をしていたのですが、その中の一人、地元警察歯科医のH先生が興味深い話をしてくれました。

「先日、警察歯科医の仕事で地元警察署へ出向くと、顔なじみの刑事と出会ったんだけど、その時に言われたんだよ。『君は死神みたいな奴だな』ってね。」
「『死神みたいな奴』とは縁起でもないですね。それは一体どんな意味で言われたのでしょう?」
「警察歯科医の仕事は身元不明遺体を検死する時に呼び出しがかかり、出向くわけだよ。いつもご遺体を相手にする仕事であるわけ。少なくとも警察署内で生きた人間を相手に仕事をするわけではない。そんな俺の仕事ぶりを見て、顔なじみの刑事は俺のことを冗談で『死神みたいな奴』と言ったんだよ。決して気持ちの良い冗談ではないけども、顔なじみの刑事としてはそれだけ俺のことを同じ仕事をする同士といった感じで考えてくれているようなんだな。」
「先生は、警察歯科医になられて何年になるのですか?」
「もう7年になるかな。警察歯科医を引き継いだ直後は、仕事の要領もわからずいろいろと警察には迷惑をかけたよ。警察の関係者も俺が警察歯科医だからそれなりに丁寧には対処してくれたんだけど、実際のところはよそ者扱いしているようなところがあった。」

「けれども、継続は力なりとはよく言ったものだよ。長年警察歯科医として仕事をしていると、それなりに俺の仕事ぶりを認めてくれるようになったんだ。その評価の一つが『死神みたいな奴』だと思うよ。変な冗談だけども、刑事からすればそれくらい自分たちと同じ土俵の上で仕事をしてくれているという一種の愛情表現みたいなんだな。」
「警察という組織は結構特殊な組織なのですか?」
「警察というのは国民の安全を守るための公僕としての役割がある。それは警察関係者の誰もが持っている意識なのだけども、君も知っているとは思うけど、警察って二重構造なんだ。キャリア層と現場層とでも言うべきかな。キャリア層はエリート官僚だよ。彼らは一定の期間が経つといろんな場所へ転勤していく立場。じっと同じ場所で仕事をし続けるわけではない。それに比べて現場層とでもいう警察官や刑事というのは長年同じ警察署で働き続ける立場。そうなると思う?」

「仲間意識が強くなるんだよな。お互いの仲間意識が強くなることで、犯罪に対処する力が相当強くなるらしい。ところが、これには大きな欠点があるんだよ。」
「光と影の部分があるということですか?」
「そうなんだ。影の部分があるんだな。それは、自分たちの部署と関係の無いことには積極的に関わりたくないという意識が強いことだよ。」
「ある事件が起こったり、市民から苦情、相談事があったとしても、“自分たちには関係ない、関わりあいたくない”という気持ちがおこり、これらにそっけない態度しか示さないことが多いんだよ。これまでストーカーやいじめ問題などで警察に相談にいっても相手にされずに、事態が悪化したということで社会問題になったことがいくつもあったよな。この問題の背景には、こういった仲間意識の強さが裏目に出ている面がある。自分たちの範疇ではないところには関わりあいたくないという気持ちだね。」

「これは大きな問題じゃないですか?」
「俺もそう思うよ。ただ、この体質を変えようとしてもなかなか変えられるものじゃないんだよ。何だかんだいっても警察の現場の仕事は大変な苦労を伴うからね。現場の苦労を知らない奴に頭ごなしに言われると、妙に反発してしまうのが警察の現場の人間なんだよ。」
「一見で相談にいったら見向きもせず、冷たくあしらわれる可能性がある一方、現場を直に知っている者からの相談には素早く対応するものなんだ。かつて、地元歯科医師会関係の人が堅気では無い人とのトラブルに巻き込まれた時、俺に相談にのってきたんだ。俺が知り合いの刑事に相談したら、『それは大変だな』と言うや否やすばやく動いてくれ、解決に導いてくれたんだ。正直言ってびっくりしたよ。」

「警察っていろいろと批判があるんだけど、警察の体質を変えようするよりも、彼らの事情を理解し、日頃から協力することで彼らの力を引き出してやるというように考えないとうまくいかないのじゃないかな。本当はこんなことではいけないんだけど、長年培われてきた警察の体質というものは直ぐに変わるというものではない。いろんな警察の不祥事があって以来、表面上、警察の対応はソフトになってきたというけども、本質は変わっていないよ。俺は長年警察歯科医をやっているけど、最近になって警察の体質というものを心の底から理解してきたような気がするよ。」



2007年04月04日(水) 冒険と挑戦とは違う

先週のある夜、僕は地元歯科医師会の御大の先生Y先生から食事の招待を受け、出かけてきました。
1月から2月にかけY先生が地元市民向けの公開講座の講師をされたのですが、その際、僕は講座の準備を手伝ったのです。公開講座の終了後、お礼の代わりに食事に行こうと声を掛けられていたのです。

Y先生は地元歯科医師会では会長よりも年上の大先輩。そんな先輩に対し最初は緊張気味でしたが、アルコールも少し入りだすとそんな緊張も解けはじめ、和やかな雰囲気で話が弾みました。日頃の診療の話Y先生の開業時のことや地元歯科医師会の裏話など、あっという間に時間が過ぎていきました。
食事会も佳境に入った時、Y先生はこんなことを言われたのです。

「いつも僕はね、若い先生にアドバイスを求められた時に言う言葉があるんだよ。
『冒険はするな、挑戦はしろ』とね。」

「冒険というのは自分の未知なる世界に足を踏み入れるということだよな。自分が何も知識も経験もない中で探っていくという意味合いがある。どこか未知なる世界を旅するという意味においてはいいのかもしれないが、歯医者の世界においてはやってはいけないことだよ。なぜなら、歯医者稼業は確かな知識と自分が持っている技術、経験なしでは何もできないからね。自分が持っていない知識、技術、経験なしでいきなり新しい治療を行うということは、これはまさしく冒険だよ。冒険は歯医者にとっては有意義なように見えるかもしれないが、患者さんにとっては甚だ迷惑な話に過ぎない。これでは何のために患者さんの治療を行っているかわからんよ。」

「それに対して、挑戦というのは、自分が今まで築き上げてきた知識、技術、経験を元に新しい知識、技術、経験を積もうとすることだよ。挑戦するためには、常日頃から専門書や文献を読み、多くの歯医者の同士と交流しながら情報交換し、時には教えを受け、自分でじっくりと想像しながら、満を持して行うことだ。上手くいけば、それで自分新たな武器となるし、上手くいかなかったとしても何が悪かったのかフィードバックすることで新たな挑戦の足がかりとなる。」

「僕はこれまで常に挑戦をしてきた。今回、そうさん先生に手伝ってもらった市民向けの公開講座も僕の新たな挑戦であったわけだ。これまで何度か市民向けの公開講座の講師として仕事をしたことがあったけど、今回、初めてパソコンを使用して資料を作り、パソコンを使って市民に講義をした。これまでの僕なら考えられなったことだけども、そうさん先生のおかげで、新しい方法を模索し、無事終えることができた。今年で僕は70歳になるのだけど、70歳になってもこうやって挑戦することができた。僕は幸せ者だと思うよ。」

「『冒険と挑戦とは違う』。そうさん先生はわかっているとは思うけど、これからまだまだやるべきことがたくさんあるはず。決して冒険はするな。けれども、挑戦はたくさんするんだよ。」

含蓄のあるY先生のお言葉。何十年も患者さんの治療をし続けてきた大ベテランの先生ならではの含蓄のあるお言葉。

いつまでも挑戦し続けるY先生を目標に、いつまでも挑戦し続ける歯医者でいたいと感じた、歯医者そうさんでした。



2007年04月03日(火) 親知らずは若いうちに抜歯すべき

先日、40歳代の患者さんが下の親知らずが痛いということで来院されました。僕が診たところ、親知らずに大きな穴が開いており、歯髄(神経のことです)にまでむし歯が達していることがわかりました。下の親知らずに対してかみ合うべき上の親知らずはありませんでした。患者さんに確認したところ、以前抜歯した記憶があるとのこと。

このような場合、親知らずは抜歯するのが普通です。親知らずよりも手前にある歯の場合であれば歯髄を処置し、歯を残すことを第一に考えるわけですが、親知らずの場合、歯髄の処置を行うにも器具や歯医者の手が入りにくく、処置が難しいこと。そして、何よりもむし歯になったことを考えると、今後患者さんがこの歯をむし歯にさせる確率が高いことが考え、抜歯するのです。

そこで、いざ親知らずを抜歯しようとしたのですが、一苦労でした。事前のレントゲン写真では下の図のように写っていました。





この絵は親知らずの側面から見た図でもあります。

一見すると、親知らずの根っこは一つで、真っ直ぐ。抜歯は直ぐにできるだろうと高をくくっていたのです。ところが、実際の親知らずは下のような感じでした。





この絵は抜歯した親知らずを側面ではなく正面から見た図なのですが、根っこの先が釣り針のように曲がっているのがよくわかると思います。レントゲン写真では真っ直ぐでくせのない根っこに見えていたのですが、実際の親知らずは根っこの先が釣り針のように曲がっていたのです。

歯は顎の骨の中に根っこの形にそって固定されています。抜歯する場合、根っこが真っ直ぐであれば、そのまま引っ張ったり、揺さぶってやれば歯は顎の骨から脱臼し、抜くことができるのですが、根っこの先が肥大していたり、曲がっていたりすると、抜歯の際、根っこの先が骨に当たり、抜歯することができないのです。
このような場合、どうすれば抜歯できるのでしょう?根っこを割ったり削ったりするか、周囲の骨を削って抜歯するしか方法がありません。非常に厄介です。

なぜこのようなことを書いたかといいますと、年を重ねれば重ねるほど根っこの先は肥大したり、曲がったりする確率が高くなるからです。特に、親知らずは口の中の一番奥に位置しています。いざ抜歯が必要となった場合、高齢であればあるほど抜歯が難しくなります。

実は、歯は顎の骨と直接固定されているわけではありません。歯根膜と呼ばれる線維が介在しています。この歯根膜は非常に重要な働きがあります。物を咬む際、歯根膜がなければ咬んだ時の振動は直接骨に伝わり、顔だけでなく頭全体が響く感じがあるのです。歯根膜が介在しているため、物を咬んだ時の衝撃が緩和され、そのため、食事をしてもあまり顔や頭には響かないようになっているのです。
そんな歯根膜ですが、年を重ねれば重ねるほど段々と無くなってきます。萎縮してくるのです。どうしてこのようになるのかはわかっていませんが、一種のエイジング、老化現象の一つであるようです。そして、歯は骨と癒着するようになるのです。

こうなると、抜歯は非常に厄介です。歯根膜があってこそ、歯は骨から脱臼しやすく、分離して抜歯しやすいのですが、骨と癒着した歯を抜歯する場合、癒着した骨ごと抜歯しないと抜歯できないのです。高齢者の抜歯の場合、こういった癒着した歯が時折あるのです。
僕自身、80歳代後半の患者さんで骨に埋まった親知らずを抜歯した経験があるのですが、この時は非常に難儀しました。骨に埋まっていた親知らずの周囲の大半が骨と癒着していたからです。仕方なく僕は親知らずの周囲の骨を取り除き、抜歯したのですが、高齢ということもあり、傷の治りに時間がかかったものです。

このようなことを考えると、親知らずはできるだけ年齢が若いうちに抜歯すべき歯であるように思います。

そういう僕も上の親知らずが2本そのまま残っています。早く抜歯しないとなあと思いながら放置しております。今年中には抜歯してしまわないと・・・。



2007年04月02日(月) 人は基本的にお人よしでは?

今日はまず昨日の日記についての釈明から。
昨日は4月1日、俗に言うエイプリルフールと呼ばれる日でありました。1年に1回は他人に迷惑を掛けないうそであれば、うそをついても構わないという日であります。ということで、昨日は思わずうそを書かせてもらいました。
一応、タイトルには“今日、テレビ出演します・・・”と“・・・”というタイトルをわざわざ入れ、胡散臭い感じを入れたつもりですが、思わずドキッとされた方が少なからずいらっしゃったようです。
読者の皆様の寛大なお心で、どうかお許し頂ければと思います。


昨日、ねっとサーフィンをしているとある記事に出くわしましたのですが、その中にある調査に対する興味深い結果が掲載されていました。
男女の大学生と大学院生24人に1週間、日記を持ち歩いてもらい自分がうそをついた時と他人にうそをつかれたと感じた場合に内容を記録してもらい、結果を比較したというのです。その結果は、男性は1日平均1.57回、女性は1.96回のうそをついていたのに比べ、うそをつかれたと感じた回数は、男女とも1日平均0.36回
自分がうそをついていた回数よりも自分がうそをつかれた回数の方が少なかったという結果がだったのです。

調査対象が大学生と大学院生という20歳代という年代であること、それにもまして調査対象人数が24名であることから、調査結果が正しいというわけではないですが、少なくともうそをつかれても気がつかない場合が多いのは興味深い結果だと思います。
調査をした担当者によれば

“人はうそをつき、一方で、つかれてうその多くを見逃しながら円滑なコミュニケーションを営んでいるのではないか”と考察されているようです。

僕が感じたのは、人は基本的にはお人よしなのではないかということです。
生まれたばかりの赤ん坊を見ていると、彼ら彼女らが母親に対しては絶対的な信頼があることがわかります。理由は簡単です。母親がいないと赤ん坊は生きていけないからです。何もできない赤ん坊はひたすら母親を求め、おっぱいから乳を飲み、おしめを替えてもらったりして常に母親の元で保護されているもの。これは理屈ではなく本能です。
赤ん坊は徐々に成長していきますが、いわゆる乳離れしても、親に対する愛情や求め、信頼することにより人間として成熟していきます。人というのは、基本的に身近な親との信頼関係を得てから社会に旅立っていくものである。
一方、社会ではいろんな環境で生まれ育った人の集合体です。様々な価値観を持った人で満ち溢れています。そんな社会では様々な利害関係や軋轢があるもの。うそをつきたくなるような状況、うそをつかざるをえない状況が生じるのは仕方がないのではないでしょうか。
人と人が共同生活を営む社会を生きていくうえで、人はうそを学んでいくわけですが、三つ子の魂百までといいます。親の愛情を一杯受けて育って人であれば、基本的にはお人よしにならざるをえないのではないか?うそをつかれてもうそと気づかない、うそを見逃してしまう場合が多いのではないかと思うのです。
今回の調査担当者のコメントでは、“つかれてうその多くを見逃しながら円滑なコミュニケーションを営んでいるのではないか”という内容でしたが、意図的にうそを多くを見逃しているのではなく、本当につかれたうそがわからないまま意思疎通を図っているのが現状ではないかと感じた次第。

僕が属している医療の社会では、患者さんからの信頼を得るためにうそをつかないことが絶対的な条件ではあるのですが、場合によってはうそをつかざるをえない時があるものです。本当のことを伝えると、相手に対して精神的なショックが大きく、結果として治療を進めるにあたり支障がでるような場合、僕は敢えて本当のことを言わず、言葉をぼかしたり、結果を敢えて言わなかったり、場合によってはうそをつくこともあります。

僕の考えていることが正しいかどうかはわかりません。基本的にうそをつくことはいいことではないとは思うのですが、時には命に関わるような微妙な医療情報をやり取りする際、慎重な言葉選びが必要です。時にはうそをつきながらでも、そのことが患者さんの治療結果にプラスに働くものであれば、うそをつくことは仕方が無いことではないかと思うのですが・・・。



2007年04月01日(日) 今日 テレビ出演します・・・

“歯医者さんの一服”は2002(平成14)年8月1日にサイト開設以来、4年7ヶ月経過しました。日頃、何かと敬遠されがちな、怖いイメージがある歯医者ですが、そんな歯医者のイメージを少しでも払拭したい。そんな思いから、ほぼ毎日日記をアップし、活動を行ってきました。

この4年7ヶ月の間、何人もの方々に駄文を読んで頂きましたが、中にはマスコミ関係者もいたようで、2年前には僕の書いた駄文の一部が某大手新聞の紙面を飾ることもありました。
“奇特な人もいるものだ”と思いながらも、実際に紙面に掲載されたものを見ていますと、日記を書き続けてきたことが決して無駄ではなかったことを実感したものです。当初、“歯医者さんの一服”は派手に宣伝するつもりは毛頭ありませんでしたが、地道に活動をしていくとたまには人目に惹く様な場面に遭遇するものなのかもしれません。

どうして、このようなことを書いたかといいますと、2月末、僕は某テレビ局の関係者から取材の申し込みを受けたのです。

いつものようにメールボックスを開けてみると、誰もが一度は目にしたことがあるテレビ局の関係者からのメールが入っていました。最近、迷惑メールが横行しています。中には有名人の名前を平気で語って出されている迷惑メールも多々あることは皆さんもご存知のことでしょう。当初、僕は某テレビ局関係者から頂いたメールがその手の迷惑メールだと思っていたのですが、書いてある内容を見てみると、結構まじめに“歯医者さんの一服”のことを評価して頂いたのです。
何度かメールのやり取りしているうちに、実際に話を伺いたいという話に発展しました。驚くべきことは、取材記者のみならず、テレビカメラを含めたテレビ局の取材陣が数人同行してくるというのです。

かつて某新聞の取材でも緊張したのに、今度は某テレビ局からの取材です。実際の取材は3月中旬。僕はあせりましたが、僕以上にてんやわんやだったのは家族でした。

“家の中がめちゃくちゃだ、きちんと片付けないと!”
“取材を受ける時の服装はどうしたらいいのだろう?”
“幼稚園の送り迎えの問題を調整しないといかん!”

家族は完全に舞い上がっておりました。

3月中旬の某日、約束どうり某テレビ局の取材陣が我が家に到着、取材を受けました。
そして、その取材を受けた時の放送が、なんと今日放映されます!
ただの地方局の放送ではなく、全国ネットです。ネットで活動する歯医者の一例ということで10分程度の番組が放送されるはずです。
番組を見たい方は、新聞やネットのテレビ欄を注目して下さい。
“えっ!”と思われるような番組に僕が出演しているはずです。

読者の皆さん、生そうさんを見たい方は、今日のテレビに注目ですよ!
















































最後に断っておきますが、今日は4月1日、エイプリルフールです・・・。


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