歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年03月31日(土) 僕らの結婚記念日

今日は3月31日。3月最後の日であると共に年度末でもあります。
僕にとっては、というよりも嫁さんと僕にとっては決して忘れてはいけない日でもあります。それは結婚記念日。よく結婚記念日を忘れてしまう男性が多い話を聞きますが、僕たち夫婦の結婚記念日はあまりにもわかりやすい日なので、いつも年度末がくると、僕は思い出してしまいます。

思い起こせば、今から12年前の9月、嫁さんと僕はお見合いで初めて出会い、二度目の出会いで僕がプロポーズし、11月に結納、そして、3月31日に結婚式。
今から思えばかなりのスピードで結婚に至ったものだと思います。出会って半年で結婚だったわけですから。どうしてそんなに結婚を急いだのかと言われると、未だによくわかっていません。ただ言える事は、嫁さんが某中学校の音楽の教師であり、11年前の年度末である3月31日が日曜日だということが関係していたと思います。嫁さんとしては、年度末で寿退職したかった希望があり、それに合わせるようなところが僕にもあったとは思います。

当時の僕はまだ某病院の研修医でした。研修医であり、薄給だった僕とよく結婚してくれたものだなあと思うのですが、そのことを嫁さんに訊くと

「将来稼いでくれると思っていたわけだね、ハッハッハ・・・。」
開いた口が塞がりません。

それはともかくとして、結婚してから11年間はあっという間だったように思います。
思い起こせば、いろいろありました。
研修医時代は、朝早くから夜遅くまでの病院生活。休みの日も病院へ出勤ということも多々ありました。新婚早々、いろいろと夫婦水入らずで過ごしたかった時期であったはずなのにそれができなかったのです。申し訳ないことをしたと後悔しています。

研修医を終えてから、僕は某病院へ出向したのですが、その時も嫁さんが一緒に来てくれたことは心強いものでした。そのせいかどうかわかりませんが、某病院に出向中、上のチビが無事誕生したのです。

某病院から今の自宅に戻ってからは、僕の両親との生活が始まりましたが、やはりありました、嫁姑問題。結婚を決める前、僕は長男なので両親と同居しなければならないことを伝え、嫁さんもそのことを受け入れ、結婚してくれたのですが、それでもお袋とはいろいろと問題があるものです。この嫁姑問題は今も現在進行形ではあるのですが、何とか同居をし続けてくれているのは、有難いことだと感じる今日この頃。

それができるのも一つは子供の存在かもしれません。上のチビに続き、今から6年前には下のチビが誕生。思えば、結婚してから最初の5年間、嫁さんは赤ん坊の世話をし続けていました。子育てを経験された方ならよくわかると思いますが、子育ての生活リズムは自分中心ではできません。赤ん坊の生活リズムに合わせないとだめなわけですが、これがなかなか大変。夜もまともに寝ることができない日が続いていたはず。二人目の子育ては一人目に比べ楽だといわれていましたが、実のところ、うちの場合、二人目の子育ても大変だったように思えてなりません。
そんな子育ても今では上の子が小学校3年生、下のチビが幼稚園の年長。違った意味での子育ての悩みが出てきますが、

子育てもしながら、時にはけんかもしながら過ごしてきたこの11年間。今日ぐらい我々夫婦は当時のことを思い起こしながらゆっくりと過ごしたいものですが、そうできるのは夜のひと時ぐらいでしょうか?二人で結婚記念日を静かに祝いたいものです。



2007年03月30日(金) 彼女いるの?

「そうさん、彼女いるの?」

僕が某歯科大学の学生時代、先輩の一人であったWさんにちょくちょく言われた一言です。Wさんは当時の僕がうぶに見えたようで、
“男であれば彼女の一人くらい作らないとだめだ!”ということを人生の先輩として言いたかったようです。
一時期、僕はWさんに会うたびに

「彼女いるの?」
と言われたものです。

実際のところ、僕には彼女がいたのですが、Wさんには黙っていました。理由は簡単です。彼女のことを言えば、今度は根掘り葉掘り彼女のことを訊かれるのが目にみえたからです。確かにWさんには世話になっていたことはありましたが、僕が悩みを打ち明け、相談できるような先輩ではありませんでした。僕はいつもWさんの問いかけに

「そうですねえ・・・」
と笑いながら答えなかったのです。質問にはっきりと答えない僕に、Wさんは執拗に

「彼女いるの?」
と問いかけてきました。最初のうちは適当に流しているつもりでも、何度も言われ続けられるとうっとおしくなるもの。

「いい加減にして下さい」
と何度口から出かかったかわかりませんが、先輩ということでひたすら忍の一字で堪えていました。

この手のプライベートなことに関する余計な質問は、誰もが一度や二度は経験したことがあるのではないでしょうか?一見すると心配しているというようなニュアンスを込めながらも、実のところは相手の気持ちを土足で踏みにじるような失礼な質問だと思うのです。
僕自身、これまでもWさん以外に何人かの人から何度と無く言われたものです。

結婚をするまでは
「そうさん、結婚しないの?」

結婚してからは
「そうさん、子供はどうなの?」

一人目の子供ができてからは
「二人目の子供はどうなの?」

さすがに二人の子供ができてからは子供を作る作らないということは言われなくなりましたが、今度は

「子供はどこの幼稚園に行くの?」
「小学校はどこの小学校に行くの?」
など言われる始末。その都度、適当に答えてはいるのですが、そんなに僕のプライベートのことを知りたいかと思いたくなります。

おそらく、今後も尋ねられることでしょう。

「子供はどこの中学校へ行くの?」
「子供はどこの高校へ行ったの?」
「大学は、家が歯医者だからどこかの歯科大学へ行くのでしょうね?」

子供が適齢期になれば、再び

「お相手はいらっしゃるの?」
とか
「結婚の予定は?」
なんて訊かれるのでしょう。
子供が結婚すれば、結婚したらで
「子供さんの奥さんとはうまくやっているの?」
というような嫁姑問題的なところまでふっかけてくるかもしれません。

考えるだけで、うっとおしいたらありゃしない!


ところで、冒頭に先輩のWさんですが、先日、街中で久しぶりにWさんと出くわしたからです。伝え聞いた話で、僕はWさんがまだ独身であることを知っていました。Wさんは今年47歳。失礼だとは思いながらも訊いてみました。

「学生時代、僕に『彼女いるの?』って言われていたでしょ。僕は今、結婚して子供も二人できましたよ。あの時の答えがやっとできたように思うのですけど、今度は僕が尋ねる番です。Wさん、彼女はいるんですか?」

Wさんは
“またか?”というような表情をしながら

「もう何度も周囲から聞かれたことだよ。僕はもういいんだ。彼女がいなくても。」

きっと、Wさんは人がうっとおしがる、嫌がることを尋ねるものではないということを肌で感じたことでしょう。ちょっとしたリベンジをした感がした、歯医者そうさんでした。



2007年03月29日(木) 患者が長時間待つのは当然のこと

春分の日を境に暖かさが増してように感じる当地。今年の冬は暖冬ではありましたが、3月に寒の戻りみたいな時期があったせいか、いつもの年と同じような待ち遠しい春を迎えたような気がします。
気候の変わり目と合わせたわけではないでしょうが、うちの歯科医院では3月に入ってから患者さんの来院が相次いでいます。予約帳を確認するとかなり先まで予約の患者さんで詰まっている状況。少し前では考えられなかった状況です。
歯医者も現金なもので、患者さんが多いとモチベーションが上がるような気がします。これまでも決して手を抜いていたわけではありませんが、多くの患者さんに来て頂けるという有難さをかみ締めながら仕事ができる喜びを感じる今日この頃・・・

と言いたいところですが、患者さんが増えると困った問題も出てきます。中でも頭の痛い問題が急患の扱いです。

“歯が痛くて我慢できない”
“親知らずの周囲が腫れて口が開かない”
“前の差し歯が取れた”
“入れ歯が割れて食事ができない”

などなど、直ぐにでも処置を行わないといけない患者さんが来院するのです。事前に電話で連絡がある場合、何とか予約の患者さんの時間を考えながら時間を指定して来院してもらうことが可能なのですが、問題は、業界で“飛び込み”と呼ばれる予約無しで来院される急患の扱いです。
“飛び込み“患者さんも大切な患者さんではあるのですが、予約制を敷いているうちの歯科医院では、予約患者さんを優先的に治療せざるをえません。だからと言っていつまでも待たせるわけにもいかず、結局のところ、予約の患者さんの合間をぬって治療をすることになります。
そうするとどうなるか?結果的に予約患者さんの予約時間が押してしまう結果とならざるをえないのです。

歯科の治療の場合、他の内科、外科の外来診療とは異なり、診察だけではなく必ず処置が伴います。処置が簡単に済むような場合であればいいのですが、中にはどうしても時間をかけざるをえない治療もあります。
しかも、“飛び込み”患者さんはぎりぎりまで我慢をした挙句駆け込んでこられる場合が多いのが特徴です。ぎりぎりまで我慢するような状態の場合、症状がかなり進み、治療をするにも時間を要するようなケースが多いのです。“今日は応急処置だけにしておきましょう”と言いたいところが、その応急処置に手間取ってしまうこともしばしばです。
そのため、せっかく貴重な時間を調整して来院してもらった予約患者さんにしわ寄せが来てしまいます。
この悩み、うちの歯科医院だけではなく、多くの歯科医院でも同様の悩みがあり、同業者と話をしていると、皆その対策に頭を悩ませているようです。これと言った妙案がないのが現状なのですね。

そのため、最近の僕は、
「長い間待たせて申し訳ありません」
と口癖のように言ってから治療を始めるようなケースが多いように思います。患者さんの中には、明らかに不機嫌な表情をされたり、受付で苦情を言われるような方もいるようですが、こちらとしては事情を説明して、平謝りです。

先週、1時間近く待たせてしまった患者Kさんがいました。その日も“飛び込み”患者さんが相次いで来院した日で、こちらとしては対応に四苦八苦、てんてこ舞いだったのです。
やっとの思いでKさんの治療に辿りついた感がありました。僕はKさんに治療が大変遅くなったことを詫びたのですが、Kさんはにっこりとしながら

「治療のために患者が長時間待つのは当然のことですよ。先生が謝ることはないです。」
と言って下さいました。

ちょっとした言葉ではあるのですが、迷惑をかけている患者さんからこのようなことを言われると、恐縮してしまいます。
ただただKさんの温かいこころざしに頭が下がる思いがした、歯医者そうさんでした。



2007年03月28日(水) 医療機関の領収書に収入印紙が貼っていない理由

うちの歯科医院は大半の患者さんが保険診療での治療をしているのですが、中には保険診療では無い自費治療を選択される方がいらっしゃいます。審美治療を行う場合や一部の入れ歯を作る場合が該当します。昨日も審美治療の一環で前をセラミックで覆ったメタルボンド冠と呼ばれる被せ歯をセットした患者さんがいました。メタルボンド冠の出来具合に患者さんも満足されたのですが、受付でちょっとした問題がおきました。それは支払いに関する領収書に関するものでした。

現在、医療機関では治療費に関する領収書を発行しなければなりません。うちの歯科医院でも領収書を発行していますが、これは保険診療、自費診療の区別は関係なく発行しています。
今回のメタルボンド冠をセットした患者さんに対しても領収書を発行し、手渡したのですが、その領収書を見て患者さんが質問をしてきたのです。
その質問とは、

“高額な治療費にも関わらず収入印紙が貼っていないのはどうしてか?”
というものでした。

メタルボンド冠の値段は各歯科医院で値段設定が異なります。歯科医院が自由に値段設定することができるのですが、概ね5万円〜15万円くらいの範囲です。かなりの幅がありますが、都会部であればあるほど値段設定が高い傾向にあります。これは都会部の物価が地方に比べ高いという事情が影響していると思われます。
それはともかく、うちの歯科医院でのメタルボンド冠の値段もこの範囲に入っています。通常の保険診療の治療費に比べかなり高額であることが言えるでしょう。それにも関わらず、収入印紙を貼っていない領収書を発行するのは何か理由があるのか?もしかしたら、印紙代をけちっているのではないか?そんな疑いを患者さんは持たれていたようです。

実際のところ、歯科治療における高額治療ということになると、保険診療よりも自費診療が多いと思います。特に、矯正治療やインプラント手術などの場合はかなりの高額になるはずです。そうした高額の治療費がかかったにも関わらず、領収書に収入印紙が貼っていないのはおかしいではないかと問われる患者さんが少なからずいるという話を同業者から耳にします。


実は、印紙について印紙税法という法律で定められています。この印紙税法の中に医療費についてはどう扱われているのでしょう?印紙税法第5条にはこのような記述があります。


別表第1の課税物件の欄に掲げる文書のうち、次に掲げるものには、印紙税を課さない。
1 別表第1の非課税物件の欄に掲げる文書


別表第1の非課税物件の欄を見てみると、2のところに下のような記述があります。
2 営業に関しない受取書

営業に関しない受取書の具体的内容については、印紙税法通達に述べられています。この印紙税法通達の第17号文書の25に次のような規定があります。

25.医師、歯科医師、歯科衛生士、歯科技工士、保健師、助産師、看護師、あん摩・マッサージ・指圧師、はり師、きゅう師、柔道整復師、獣医師等がその業務上作成する受取書は、営業に関しない受取書として取り扱う。

印紙税法と印紙税法通達から医療機関で出される受取書、すなわち、治療費に関する領収書は印紙税の対象とならない非課税扱いになるのです。そのため、いくら高額の医療費の領収書であったとしても法的に印紙を貼る必要がないということになるわけです。

今回の患者さんにはこのことを十分に説明し、納得してもらいました。決して無断で領収書に収入印紙を貼っていないわけではなく、法律に基づいて貼っていないという事実を伝えました。


読者の皆さんの中にも医療機関が発行する領収書に収入印紙が貼っていないことを不思議に思っておられている方がいたかもしれません。今日は、その理由を是非知ってもらいたいと思い、日記に取り上げた次第です。



2007年03月27日(火) コーラが歯や体に悪い理由

日頃、患者さんの歯の治療をしているといろいろなことがわかってくるものです。
中でも強く感じることは、歯医者が目の前に見えるむし歯、歯周病を治療するだけでは意味がないということです。むし歯や歯周病になった過程を考えれば、単に歯磨きが足りないだけでは言い切れないところがあります。むしろ、患者さんの日常の生活がむし歯や歯周病を引き起こすのに大きなウェートを占めているように思えます。
そういった意味で患者さんと何気ない話をしながら、患者さんの日常の生活習慣を垣間見ることは、歯医者にとって非常に大切なことと言えます。

うちの歯科医院に通い続けている患者さんの一人にYさんがいます。正直言って、Yさんの口の中の状態は決して芳しいものとは言えません。たくさんの治療箇所があるのですが、治療をすればするほど、治療しなくてはいけない場所が増えているような感覚に捉われる
ことがあるのです。ある歯の治療が終わったと思いきや、別の場所の歯がむし歯ができたり、詰め物が取れたり、歯が揺れてきたり、入れ歯が割れたり等々、歯の悪化のスピードに治療のスピードが追いつかないのです。
時折、Yさんは

「いつになったらわしの歯の治療は終わるのでしょう?」
と言われる始末。

ある日のこと、僕はYさんに一日の食事のことを何気なく尋ねてみました。するとYさんはこんなことを漏らしたのです。

「先生、わしは、寝る前にコーラを飲むのが好きなんですわ。」

清涼飲料水、炭酸飲料水の代表のようなコーラ。テレビのコマーシャルを見ていると、コーラを飲むことが人生の至福の時と言わんばかりの演出のものばかり。コーラの製造、販売会社は多額の宣伝費を投入しているようですが、それだけ多額の宣伝費を投資しても元は取れるくらい、コーラは今でも売れ続けているのでしょう。

このコーラですが、歯の健康を考えると、あまり勧められた飲み物ではありません。

以前にも書いたことですが、コーラにはどれくらいの砂糖が含まれているか
ご存知ですか?
コーラ350ccの中には砂糖が38.5グラム含まれているというデータがあります。これだけではもう一つピンときにくいですから角砂糖で換算してみましょう。角砂糖1個には砂糖4グラムが含まれています。ということは、コーラ350ccの中にほぼ角砂糖10個分の砂糖が含まれているということになります。
皆さんはコーヒーを飲まれる際、角砂糖は何個ぐらい入れられるでしょう?想像してみて下さい。10個も入れることはあるでしょうか?おそらく角砂糖10個を入れてコーヒーを飲まれる方はほとんどいないはずです。コーヒーではできないことをコーラでは平気でできてしまう。これは、コーラが常に冷やされていること、炭酸飲料であることが影響しています。人間の味覚というもの、飲み物の温度が冷えると味覚が鈍るのです。また、炭酸であることから味覚は炭酸の刺激によりより味覚が麻痺する。そうしたことから、多くの人は過剰な砂糖が入っているコーラを平気で飲むことができるのです。

もう一つ忘れてはいけないことは、コーラは強酸であるという事実です。コーラのpHをご存知でしょうか?開封直後のコーラのpHは2.5〜3.0程度ということが言われています。コーラは炭酸飲料の代表選手みたいな飲み物です。炭酸というくらいですからpHは酸性であることは誰でも容易に想像できると思いますが、酸性といっても強酸といえるpHであることを知っている人はまだまだ少数派ではないでしょうか。
幸い、人間の口の中は唾液があり、強酸の飲料水が口の中に入っても唾液によって緩衝され、pHが中性の方向へ調整されるので体にダメージが残ることは少ないのですが、飲み方によっては歯が酸によって溶けてしまう現象がおきてしまいます。

Yさんに質問をしてみると、コーラを一気に飲み込まず、口の中で溜め込んでから飲むという飲み方なのだとか。
Yさんのむし歯の中には、歯が酸で解けているようなむし歯があるなあとは感じていたのですが、その理由も寝る前のコーラに一因があることが想像できました。

早速、僕はYさんに寝る前のコーラを控えることを提案しました。単に歯の問題だけではなく、体にとってもよくありません。実際のところ、Yさんは糖尿病も抱えているのです。

Yさん曰く
「寝る前のコーラというのは、一日最後の楽しみなんですわ。コーラは止められませんわ。」

機会をみてはYさんに寝る前のコーラを諦めてもらうよう説得するつもりですが、Yさんが僕の申し出を聞き入れてくれるには難しいかもしれません。頭の痛い問題です。



2007年03月26日(月) 下請け崩壊の危機

先週末、僕は地元歯科医師会関係の会合で某歯科技工士専門学校の関係者から話を聞く機会に恵まれました。この講演を聴いた率直な感想は、10年先、歯医者の世界はとんでもない事態になりそうだということでした。

歯の治療を行う際、被せ歯や差し歯、金属の詰め物、土台、入れ歯などは歯医者が作っているように思われる方が多いかもしれません。確かに歯医者が作っている場合もあるのですが、大半は歯医者が歯型を取り、指示を出したものを歯科技工士と呼ばれる専門家が作ります。
今や歯科の世界は分業が進んでいます。歯医者は歯の治療を行い、歯科衛生士は歯の予防、口の中の健康指導を担当し、歯科技工士は被せ歯や差し歯といった補綴物を製作する役割を担っています。

歯科衛生士はこれまで2年の専門学校教育課程を経て国家試験に受かれば歯科衛生士の資格を得ることができたのですが、最近では、3年制へ移行しているのが現状です。それに伴い歯科衛生士の業務の見直しが行われ、単に歯の予防、衛生指導のみならず、口腔ケアを通じ、他の医科との連携ができるようになってきています。
新聞の折り込み広告などを見ていると、歯科医院のスタッフ募集が散見されるのですが、歯科衛生士を募集する広告が後を絶ちません。歯科衛生士を養成する歯科衛生士学校でも歯科医院からの募集申し込みが多いと聞きます。歯科衛生士は歯科界において需要が多く、ひっぱりだこであるところがあります。

それに対し、歯科技工士の現状は非常にお寒い状況です。現在、全国にある歯科技工士を養成する歯科技工士学校はたった65校、大半が2年制です。歯科技工士学校は年々減少をし続け、僕が住んでいる県でも歯科技工士学校が次々と廃校になっているのが現状です。
歯科技工士の募集もごく限られた歯科技工所しかありません。どうして歯科技工士の需要が少なくなってしまったのか?それは歯科技工士が働く労働条件の悪さにあることに尽きます。

保険診療では各治療行為に対し、点数が付けられています。抜歯であれば○○点、神経の治療であれば○○点といった具合です。治療費用はこの点数の10倍が必要となります。例えば、1回の治療で150点の保険点数がかかった場合、治療費は150点の10倍である1500円となります。患者さんは保険証に定められた割数を窓口に払う仕組みとなっています。仮に保険証に3割の記載があるなら、1500円の3割である450円を窓口で支払い、残りの1050円は保険組合が負担することになっています。
保険診療であれば、被せ歯や差し歯といった補綴物も点数がついています。歯医者は保険診療で定められた補綴物の点数を患者さんから徴収しますが、補綴物の製作経費は、補綴物を製作した歯科技工士に支払うことになっています。
昨年、小泉政権の下で国民医療費抑制の掛け声のもと、保険診療における保険診療点数の引き下げが行われました。これは全ての医療機関の経営に大きな影響を与えましたが、歯科医院でもかなりの経営的損失をもたらしました。
この損失はそのまま歯科技工士にも直結しました。補綴物の保険点数が下げられると、同じ数の補綴物を製作しても単価が下がるため、歯科医院の収入が低下します。
歯科技工士が製作する補綴物の制作費は、慣習的に保険点数に連動して決められています。しかも、この制作費は保険点数に定められた点数よりもかなり安めに設定されています。
ということは、補綴物の保険点数が下げられると、歯科技工士が手にする補綴物の制作費も少なくなるのです。歯医者が風邪をひけば、歯科技工士も風邪を引く、場合によっては気管支炎や肺炎にまでなってしまうくらいの影響が出ると言っても過言ではありません。
歯科技工士はこうした報酬の低下を食い止めるため、これまで以上に多くの補綴物を作らざるをえなくなります。単価が下がった分、製作する補綴物の量でカバーせざるをえないのです。その結果、これまで以上に長時間労働をせざるをえなくなったのです。全国各地に点在している下請け会社と同様の事態が歯科技工士の世界にも当てはまるのです。

それでは、補綴物の製作の効率化を図ればいいのではと思われる方もいるかもしれません。ところが、補綴物の製作は機械化が難しいのが現状なのです。補綴物の製作には削る、彫る、曲げる、研磨、盛るといった工程があります。このうち、削る、彫るといった過程は機械化が可能ですが、曲げる、磨く、盛るといった作業は機械化が難しく、人間が行わざるをえないのです。効率化を図ろうとしても効率化しにくい側面があるのです。

厳しい長時間労働に加え、実入りが少ない。こうした事情があると、せっかく歯科技工士学校を卒業して歯科技工士になった若手が離職する割合が多くなってしまいます。ある調査によれば、歯科技工士は歯科技工士学校を卒業し、国家試験を受け、資格を得て3年以内の離職率が75%という高率なのだとか。そのため、現在、若手の歯科技工士が少なくなく、深刻な問題となっているのです。
歯科技工士の半数以上が45歳以上。しかも、多くの歯科技工士は補綴物をつくりながら、各歯科医院をまわり仕事をもらってくるという営業も行っているという現状。歯科技工士が一人で歯科技工所の経営を行いながら、補綴物も作るという加重労働を強いられているのです。

ということは、今後10年後どういったことが起こるか?想像するのは簡単です。現在、必死で頑張っている45歳以上の歯科技工士が高齢のため、現場を離れる。その結果、歯科業界で必要とされる歯科技工士の数が激減してくるのは目に見えています。歯科業界そのものが激変してしまう可能性が高いと言えるでしょう。

仕事の性格上、歯科技工士はどうしても歯医者に対して受身にならざるをえません。企業においては下請け、孫請け的な会社が存在するものですが、歯科の世界においても歯科技工士は歯医者の下請け、孫請けのような存在であるのが現状です。本来ならば、お互いが分業態勢で対等な立場ではあるのですが、保険制度のしがらみから歯医者が歯科技工士を見下すような状況にあるのです。悲しいことです。

歯科技工士の減少問題は今後しばらくの間、続くことでしょう。歯医者はもっと歯科技工士の問題を真摯に考え、対策を講じていかなくてはならないはずですが、歯医者がこの状況を改善しようとする努力は十分なものだとは言えません。歯科技工士不足は、歯医者に与える影響が大変大きいもの。今一度、歯科技工士の現状を考え、歯科技工士が歯医者と共に生き残っていける方法を模索しないと大変なことになる。

将来の歯科界の危機を痛烈に感じた、歯医者そうさんでした。



2007年03月24日(土) 郵便番号だけで届く郵便物

我が家には毎日いくつもの郵便物が届けられます。我が家の隣がうちの歯科医院ということがあり、郵便物は歯科関係のものが中心です。歯科医師会関係、歯科業界雑誌、歯科材料関係、母校同窓会関係等々の郵便物が送られてきます。最近では郵送代の関係かもしれませんが、日本郵政公社(まだ日本郵政公社ですよね?)以外の宅配便による郵送物も届くようになっています。
これら郵便物に共通しているのは宛先です。言わずと知れた宛先です。郵便番号と共に我が家の住所が書かれてあるのが普通です。これはどこの家庭、企業宛への郵便物にも共通したことでしょう。

さて、時折我が家には変わった宛先の郵便物が届きます。今年の年賀状を整理していると、ある先輩からの年賀状があったのですが、その表書きには郵便番号と“○○番地”という宛先しか書いていないのです。それでもちゃんと僕は年賀状を受け取っています。

“せっかくの年賀状なんだから宛先ぐらいはちゃんと書いた方がいいんじゃないの?”と言いたくなりましたが、その反面、郵便番号7桁により住所を省略してもちゃんと届くことに新鮮な驚きを感じたものです。

上には上があるもので、先日、そんな先輩の年賀状をはるかに上回る郵送物が届きました。それは地元歯科医師会事務局からの郵送物だったのですが、その宛先にはなんと僕の名前と郵便番号しか書いていなかったのです。郵便番号7桁による効果であることは間違いないのですが、それにしても郵便番号だけで僕の手元に郵便物が届くとは驚きです。
愚考するに、僕が住んでいる郵便番号7桁が指定する地区は人口が500人程度しかいません。しかも、僕の名字は我が家だけ。地元の郵便局の人は○○地区の△△さんということでピンと来たのでしょう。郵便番号7桁だけ書いた郵便物はちゃんと我が家に届けられました。
後日、この話を地元歯科医師会事務局の担当者に尋ねてみると、平謝りでした。

「そうさん先生、申し訳ありません。ちゃんと宛先の住所は書いたつもりだったのですが、郵便番号だけしか書いていなかったのですね。ですけど、郵便番号だけで届いたということですから、これから先生のお宅へ郵便物がある時は郵便番号だけ書けばいいですね?」

ええ加減にしなさい!

かつて友人から聞いた話ですが、地元の有名人になるとちゃんと住所を書かなくても郵便物は届けられるようなことはあるとのこと。例えば、地元の有名な資産家で家の前に○○公園があるような立地条件の場合、ちゃんとした宛先を書かなくても“○○公園前”と書くだけで郵便物が届けられるのだとか。それだけ地元では名前の知られた大物だからこそなのでしょうが、日本の郵便制度って結構融通の効くところもあるのだなあと感じた、歯医者そうさんでした。



2007年03月23日(金) 一肌脱いでやるか!

先週のある日の夜のことでした。仕事を終え、食事をしていると一本の電話がかかってきました。電話をかけてきたのは僕の出身歯科大学の現役学生からでした。その学生は僕がよく知っている学生であったのですが、相談事があるということで僕に電話を掛けてきたのです。相談事の詳細を書くことはできませんが、あることで是非力になって欲しいということだったのです。電話で話をしていると、あることについての彼の思い、情熱がひしひしと伝わってきました。僕がいくつか感じた疑問に対しても彼なりの考えをしっかりと述べていました。わかるところはわかる、不明な点はわからない。自分が足らないところは素直に認めた上で、あることを実現するために是非僕の力を貸して欲しいと訴えていました。

こういうことって僕は弱いのです。はっきり言って、彼に協力をすることでお金が入ってくるような一銭の得になることはありません。むしろ、僕の方から持ち出すことが多いはずです。
しかも、普段の診療や歯科医師会の仕事があります。4月からは再び某専門学校での講義も始まります。僕には嫁さんや二人のチビがいますから、仕事の合間に家庭サービスの時間も確保しないといけません。
普段、こちらで更新している日記はこうした時間の合間をやりくりして書いています。

以上のようなことを考えると、今でもかなり時間的な余裕が無いことはわかりきっています。彼の申し出を受け入れ協力をするということは僕にとって首を絞めるようなことにもなりかねません。それなのに彼に協力することを受け入れたのは、純粋に後輩の情熱を支えてやりたいという思いからでした。彼の申し出がいい加減なことであれば僕はその場で断っていたことでしょう。けれども、彼の申し出が彼の純粋な気持ちから発したものであること、是非とも実現したいという強い思いに僕は思わず心を動かされてしまったのです。

僕にも彼と同様の経験がありました。
僕が学生時代、あることで先輩の先生の協力を仰がなければならなくなり、僕は何人もの先輩の先生の所へ電話をかけました。ところが、電話をかけてもかけても僕の申し出を断る先輩が続出。

「わしは忙しいからそんなことを協力する暇がない。」
「そうさんの気持ちはよくわかるけど、今うちは家庭のことで大変だから協力できない。」
「電話でお願いするとはけしからん。ちゃんとうちの家に挨拶に来い!」

このように発言されるのならまだましな方で、中には僕からの電話を取り次ごうともしない先輩のお宅や無言で電話を切られる先輩がいたのです。
僕も断られ続けると気持ちが落ち込んできました。僕の力では先輩に協力してもらうのは無理ではないか?わらをもつかむ思いである先輩の所へ電話をかけてみると、その先輩は僕の話に真摯に耳を傾けてくれたのです。そして、僕の申し出に是非とも協力を惜しまないことを言ってくれました。
実際のところ、その先輩が最も協力してくれた先輩でありました。経験不足の後輩である僕を様々な点でサポートしてくれたのです。
あることが無事終わった後、僕はその先輩のもとへお礼に伺いました。その際、その先輩はこのようなことを語って下さいました。

「僕も今回のようなことを学生時代に経験したことがあってね。いろいろと苦しんでいた時に助け舟を出してくれた先輩がいたんだよ。本当に物心両面で助けてくれてね。そんな経験があったから、君の申し出には過去の僕のことが思い出されてね、それで協力をしたんだよ。僕の方は、はっきり言って時間のやりくりは大変だったけど、得られるものも大きかったんだよ。それは、決して金銭的な物ではないけど、金銭では得られない貴重な物だった。人の気持ちを認め、力になることで真の気持ちの交流ができたんだよ。あなたも、これから同じようなことがあるかもしれないけど、できることなら僕と同じように後輩の力になってやって欲しい。それは後輩のためでもあり、君のためでもあるんだよ。」

電話をかけてきた彼に、僕は協力する旨の返事をしたところ、非常に喜んでいたようでした。話を聴いてみると、なかなか申し出を受け入れてくれる人が現れず、半ば諦めかけていたとのこと。かつての僕と同じです。僕が恩を受けたものを今度は僕が後輩に返す番かもしれません。

いろいろと大変なことは目に見えていますが、ここは一肌脱いでやるか!



2007年03月22日(木) ユーミンは演歌?

昨日の春分の日、皆さんは如何お過ごしでしたでしょう?
僕は朝早くから僕はチビたちに起されました。前日、地元歯科医師会の会合が遅くまでかかり、深夜に帰宅した僕は、翌日休みだということでいつもより長めに睡眠を取ろうとしていたのですが、その希望はチビたちにより木っ端微塵に打ち下されました。このような光景は子供をお持ちの家庭であればよくある光景だとは思うのですが、昨日起された理由は変わったものでした。

「パパ、回転寿司が食べたいよ!」
春分の日の朝早々から回転寿司が食べたいと言い出すのです。
もちろん、これには伏線がありまして、学校が春休みになるまでに一度回転寿司を食べようかという話をチビとしていたのです。そのことを言った当人はすっかり忘れていたのですが、チビたちはちゃんと記憶しておりました。前日から“明日は回転寿司に行こう!”と呪文のように言っていたのですが、まさか休日の朝早く、まだまだ眠りを取りたかった時点で言われるとは思いもよりませんでした。そのせいでしょうか、昨日は一日中何となくだるい感じが抜け切れませんでした。トホホホホ・・・。

お約束の回転寿司店へ行く途中のことでした。車ではあるCDを流していました。そのCDとはこのCDでした。
嫁さんがユーミンのファンで、僕はホワイトデーのプレゼントの一つにこれを購入したのです。嫁さんはこのCDを気に入り、回転寿司店へ行く際にも車でこのCDを聴きながら出かけていたのです。さて、何曲かこのCDを聴いていると、上のチビがこんなことを言ったのです。

「この曲って演歌?」
思わず噴出してしまった嫁さんと僕。本当の演歌のことをまだ知らない上のチビではあるのですが、ユーミンを演歌と言ってしまう感覚に僕たち夫婦は思わず笑ってしまったのです。

ユーミンといえば嫁さんや僕のような40歳代にとっては青春時代を共に歩んできた音楽の一つです。何曲ものヒット曲を出し、芸能界を生き残ってきたユーミンはもはやJポップのビッグネームの一人と言える事でしょう。身近なJポップの代表的な歌手の一人とも言えます。歌手としての実力はどうかと問われれば議論の余地はあるところでしょうが、その話は置いといて・・・。
今年ユーミンはデビュー35周年とのこと。僕らの世代にとっては同時代を共に過ごしてきた音楽という意識がある中で、年齢が離れた8歳のチビにとっては何とも古めかしい音楽、懐メロに聴こえたのかもしれません。
僕らの世代にとってはユーミンと演歌というのは全く異なったジャンルの音楽ではあるのですが、年齢が離れた若い世代にとってはもはやユーミンの音楽は中年の音楽という意識を持っていても不思議ではありません。かつて、僕には演歌というのはお父さん、お母さんといった上の世代の音楽という意識がありました。歌詞の意味がわからず、お父さん、お母さんが口ずさむ演歌は、自分たちの生活とは異なった音楽という感覚ではありました。今になって当時の演歌を聞くと、かつてお父さん、お母さんが親しんでいた演歌の魅力を理解し始められるようになったと思います。

おそらく、現在8歳の上のチビにとっては演歌もユーミンも同じ大人の音楽という認識しかないようなのです。僕らの世代は演歌とユーミンは明確な違いを理解していますが、年齢がかなり離れた世代になってしまうと、もはや演歌とユーミンの区別がつきにくく、一緒くたになるのだろうか?そんな思いを強くもってしまいました。

僕の歯医者仲間でアマチュアバンドを組んでいるグループがいます。仕事の合間をぬって様々な老人養護施設で演奏活動を行っているのですが、最近、その歯医者仲間に会う機会があり、興味深い話を聴きました。
彼らは、老人養護施設で演奏をする際、必ずリクエストに答えるのだそうですが、最近の傾向としては演歌よりもポップスをリクエストされる機会が増えてきているのだそうです。グループサウンズの曲やビートルズ、中にはサザンオールスターズやユーミンの曲もあるのだとか。今後、段階の世代と呼ばれている世代の人たちが更に年齢を重ねるにつけ、この傾向は更に高まるのではないかという話をしておりました。

ユーミンは演歌。近い将来、大いにありうるかもしれませんね。



2007年03月21日(水) パチンコだけにして欲しい出血大サービス

今日は春分の日。昼と夜が同じ時間帯の日であります。いつも春分の日を迎えると、僕は長い冬が終わり、暖かい春がやってきたなあと感じます。昔から、“暑さ寒さも彼岸まで”という言葉があるように、春分の日は季節の区切りという感覚が日本人にはあるようです。僕もそんな日本人の一人、小市民の一人なのかなあと思う、今日この頃。

さて、話は変わって・・・
患者さんの歯を抜歯することは、普段の診療ではしょっちゅうあることです。僕もほとんど毎日、どなたかの患者さんの歯を抜歯しています。抜歯する際、僕が必ず注意していることがいくつかあります。その一つが止血です。僕は抜歯後、自分の目で止血が確認できるまでは治療を終えない主義です。これは当たり前のことだと思っています。なぜなら、いくら患者さんの歯が悪く抜歯せざるをえなかったとしても、抜歯したのは歯医者です。抜歯するならきちんと血が止まるまで面倒をみるのが歯医者の務めであり、責任であり、義務だと思います。

さて、人間の体は出血している部位を圧迫すれば止血できるようになっているもの。何らかの病気や薬を服用している人の中には止血しにくい人もいますが、健康な人は出血している場所を圧迫すれば血の流れが止まり、血が固まり、止血されるものなのです。
これは抜歯においても当てはまります。抜歯は出血が伴う場合がほとんどですが、出血している場所を圧迫すれば血は止まるのです。抜歯を経験した人ならばよくわかると思いますが、抜歯した後、抜歯した部位をガーゼで強く噛んでおくよう歯医者から指示されますが、これは圧迫すれば止血することを利用した止血方法なのです。

閑話休題、鼻の手術をされた方は経験あるでしょうが、鼻の粘膜は出血しやすい特徴があります。この出血を止めるには鼻の穴からガーゼを押し込むのですが、”これだけの量のガーゼが入るのか!”と言いたくなるくらいのガーゼが押し込まれるのです。鼻の中は空洞が多いため、相当多い量のガーゼを押し込まないと空洞を圧迫して埋まることができないためなのですが、その量は尋常の量ではありません。“

話を元に戻しまして、僕も抜歯した際には患者さんにガーゼを数分程度ガーゼを強く噛んでもらいますが、より止血を完全にするため、抜歯した部位の歯肉を縫合糸で強く縫合します。抜歯した部位を圧迫するのと同じ効果が縫合にあるからです。場合によっては、止血剤を抜歯した部位に入れ、縫合し、強く噛んでもらう。念には念を入れて止血するように努めています。

ところで、先日、そんな念には念を入れての止血方法でも止血困難な場面に遭遇しました。
歯がぐらぐらで痛くて咬めないということで来院された患者さんがいました。僕が診たところ、歯周病がかなり進行し、今にも抜けそうなぐらいグラグラの状態でした。レントゲン写真でも歯の周囲に骨が全くない状態が写し出されていました。このような場合、まずは抜歯ということで、僕はいつものように麻酔の注射をした後、抜歯を行ったのです。そして、いつもと同じように抜歯した周囲を糸で縫合し、止血剤を抜歯した部位に填入し、ガーゼで強く噛んでもらったのです。

それから10分後、止血確認をしたところ、抜歯したところからは血がにじみ出ていたのです。これはおかしい!そう感じた僕は縫合していた糸を抜糸し、再度抜歯したところを掻爬し、糸で縫合をしたのですが、それでも血は止まりません。
患者さんが申告していなかった病気があるのか?それとも、ワーファリンのような血液凝固をしにくくするような薬を服用しているのか?患者さんに確認しなおしたところ、どうもその可能性はないとのこと。
もう一度、抜歯した部位から出る血をガーゼでふき取りながら、出血している源を確認したところ、抜歯した一部に不良肉芽と呼ばれる組織が残っていることがわかりました。
一見すると何かの脂肪組織のような不良肉芽。歯周病などが進行すると、歯の周囲の骨が溶け、周囲の歯肉がもろもろとなるものなのですが、このもろもろが不良肉芽の正体です。不良肉芽は非常に出血しやすく、取り残すといつまでも血が出てくる性質があります。抜歯の際、不良肉芽をきちんと取り除くことが鉄則なのですが、どうやら今回は不良肉芽の取り残しが一部あったようなのです。不良肉芽を掻爬し、再度止血剤を入れ、念入りに縫合。そして、ガーゼで強く圧迫して噛んでもらうこと10分。
結局のところ、何とか止血はできましたが、気が付くと抜歯してから40分以上の時間が過ぎていました。

思わぬ出血大サービスはパチンコだけにして欲しいと改めて感じた、歯医者そうさんでした。



2007年03月20日(火) 『お近くにお越しの際、お立ち寄り下さい』考

3月という時期は年度末ということがあり、学生や会社勤務の方は入学や転勤などにより新しい土地へ移動される時期でもあります。皆さんの周囲にも転居される人が少なからず思い浮かぶのではないでしょうか?
移動をされる人であれば、世話になった人、友人、知人に転居の案内を書いた挨拶状を送るもの。僕自身、何度も転居案内の手紙をもらい、また、僕自身も書いたものですが、転居案内の文面の最後に、よくこのような文面が書いてあるものです。

『お近くにお越しの際、お立ち寄り下さい』

“残念ながら自分は今の住み慣れた土地を離れ、新しい土地へ移動することになりました。自分は新しい土地で新しい生活を営み始めますが、もし、あなたが自分が過ごす新しい土地へ来られる機会があるならば、是非私たちのもとを訪れて欲しい。歓迎しますよ”
というようなニュアンスが込められているのではないかと思います。

ところが、ひねくれ者の僕は、この文句に疑問を感じることがあるのです。それは、この文句が書き手が心底思っていることなのであろうか?単に社交辞令だけの文句ではないだろうか?と思うからです。

誰しも入学や転勤、結婚、退職などの機会に住み慣れた土地を離れ、新しい土地へ移る時、期待と不安で一杯になるもの。中でも、新しい土地での生活の中で心配になること一つは新たな人間関係を築き上げることができるかどうかの不安ではないでしょうか。
社会は人間同士がを作り上げているもの。余程人里離れた土地で無い限り、その土地の人、新しい勤務先、学校で新しい人間関係を一から作らざるをえません。これまで全く見ず知らずの人同士、お互いがある程度の信頼関係を築き上げるには大変な苦労と時間がかかるもの。そんな中で旧知の人が自分の住みかを訪れることは一時の安心感を得られるものです。
かつて、僕も仕事の関係で故郷を離れ、新しい土地へ赴任したことがあります。当時の僕は既に結婚し、嫁さんと二人で新しい土地へ移ったのですが、全く知り合いもいない土地で生活をするにはそれなりのストレスを感じたものです。全く自分一人だけの生活ではなかったので寂しさを感じることはありませんでしたが、新しい土地での生活では期待よりも不安の方が大きかったように思います。
そんな不安から解放されたのが、嫁さんの友達が僕たちの住んでいた官舎へ遊びにやって来た時でした。しかも、ほとんどの場合嫁さんの友達は僕たちの住まいにお泊り。嫁さんは旧友との再会に喜び、楽しそうに会話に華を咲かせていましたが、そばにいた僕も楽しく感じたものです。これまで直接縁があったわけではなかった嫁さんの友人であっても、友達の友達は皆友達だではないですが、全く友人、知人がいない土地においては安心感を感じることができたからです。

このような場合、『お近くにお越しの際、お立ち寄り下さい』という文句は有意義なことだと思うのです。
ところが、実際に新しい土地の生活に慣れ、地元の人たちとの交流ができ、新しい土地での生活基盤が出来上がってきたような状況になればどうでしょう?
旧知の人の訪問はどんな状況においても歓迎するものでしょう。けれども、夫婦に子供ができ、家庭生活が軌道に乗って来たような段階では、必ずしも『お近くにお越しの際、お立ち寄り下さい』とは言えない状況になってくるのではないかと思うのです。

まだ、電話や手紙、メールなどで日程調整をした上で立ち寄る場合はいいでしょう。事前の連絡が全く無い、所謂アポなしで突然立ち寄られた場合、これは迷惑になる場合が多いのではないでしょうか?学生時代でよくある一人暮らしの場合であれば融通が利くことが多いでしょうが、家庭を持っているような身分の人の場合、突然の訪問は戸惑ってしまうものではないだろうかと思うのです。戸惑うだけならまだしも自分の生活リズム、計画していた予定が狂ってしまうことも考えられます。このような場合、困惑以外の何物でもないようなことになりはしないかと思うのです。
このようなことを考えるのも僕には一つあることが思い浮かんだからです。

以前、叔父と一緒に暮らしていた時のことです。病院で口腔外科医として働いていた叔父の仕事関係の友人F先生が何の前触れも無しにいきなり我が家を訪ねてきたことがありました。一体何事かと思いきや、

「たまたま○○君(叔父のこと)の家の近くを車で通ったものだから、○○君のことを思い出し訪ねたんだ」
とのこと。叔父はまだ仕事場から戻っていませんでしたのでそのことを伝えると

「今日はそんなに急いでいないから○○君が帰るまで待ちますよ” 」

突然のことで、F先生に何も構わないで待ってもらうわけにもいかず、我が家では急遽F先生のために夕食を準備し、食べてもらい、後に僕がF先生の話相手となりながら待つこと2時間。叔父が帰ってきたのです。叔父はF先生が我が家に来ているのを聴いてびっくり。叔父自身、F先生が我が家を訪れることを何も事前に聞いていませんでした。単なるF先生の思いつきの訪問だっただけに、我が家ではその日の夜はF先生に振り回されるだけの時間を過ごすことになってしまったのです。その後、F先生は機嫌よく帰られましたが、残された我が家は皆疲労困憊。F先生には失礼ながら、F先生の突然の訪問は有難迷惑だったのです。


このことがあってから、かつて書いた転居案内の葉書に僕は
『お近くにお越しの際、お立ち寄り下さい』という一文を入れませんでした。
もし書いてしまったら、突然思わぬ人の訪問を受け、断ることができない事態に追い込まれるのではないか。そんな小心の気持ちを持っていたのです。

実際のところ、うちの家を訪問する人はほとんど事前に連絡を取り、僕や家族が了承してから訪ねてきてくれます。きちんとした礼儀を守ってくれる人がほとんどなので迷惑を被ることはないのですが、『お近くにお越しの際、お立ち寄り下さい』には一種のトラウマのようなものを感じてしまう、歯医者そうさんでした。



2007年03月19日(月) 潮吹き?

突然、僕の目の前で透明の液体が“ピュッ、ピュッ”と勢いよく飛び出てきた。それほど刺激を与えてわけでもないのに、こんなに潮が吹いてくるとは・・・。


週明け早々、日記冒頭からこんな話で申し訳ありません。これは別に嫌らしい話ではありません。患者さんの口の中の話です。
患者さんの治療をしていると、舌の付け根あたりから時折、“ピュッ、ピュッ”と唾液が跳んでくることがあるのです。その様はまるで潮を吹くような感じです。唾液が一気に大量に出ようとする中、唾液が出る出口が狭いために起こる現象なのです。歯科関係者ならば誰もが見ている光景の一つです。

さて、今回取り上げる唾液とですが、一体どんなものなのでしょう?
唾液は唾液腺と呼ばれる組織で作られる無色、無臭の液体です。口腔生理学の教科書によれば、唾液は99%が水です。比重は水よりわずかに大きく(1.004〜1.009)、pHは5.0〜8.0ぐらいです。

唾液を作る唾液腺は大きなものが3つあります。舌下腺、顎下腺、そして耳下腺です。それ以外に粘膜などに小唾液腺と呼ばれる小さな腺もあり、これら全ての唾液腺から唾液が作られ、口の中に分泌されているのです。その量は、一日あたり1〜1.5リットルぐらいと言われています。口の中が絶えず潤うような状態に保つためには、想像以上に多い唾液が口の中に分泌されているのです。

それでは、唾液は一体、何処から出てくるものなのでしょう?口の中には唾液が出てくる穴が主たるもので2つあります。
一つが舌の裏側と下の前歯の裏側あたりにある舌下小丘と呼ばれるところ。更に頬の裏側の粘膜で上の奥歯付近にある耳下腺乳頭。舌下小丘には舌下腺と顎下腺で作られた唾液が、耳下腺乳頭では耳下腺で作られた唾液が分泌されます。

唾液の役割は様々です。思いつくだけで以下のようなものがあるでしょう。
・食べ物を飲み込みやすくするため円滑作用
 食べ物に湿り気を与えて飲み込みを助けます。
・化学的消化作用
 でんぷんをマルトース(麦芽糖)に分解する。これは小学校か中学校の理科の実験で
習った方が多いのではないでしょうか?
・歯や口の中の粘膜に対する保護作用
・洗浄作用
  歯や粘膜についた食べかすや汚れを洗い流す作用
・殺菌、抗菌作用
  唾液中には何種類かの殺菌物質、抗菌物質が含まれています。

最近では、唾液を様々な検査に利用する傾向にあります。例えば、唾液分泌量やその性状を調べることによりむし歯や歯周病になりやすいかどうかを調べるリスク判定に用いられたり、体に起こっている変化を調べる研究も進められています。

普段なかなか意識しない唾液ですが、唾液が出る量が少なくなると、口の中の環境が急速に悪化します。
高齢者や何らかの重篤な病気に罹った人の場合、口の中が乾燥することにより歯がむし歯や歯周病が進み、崩壊する。それだけではなく、口の中にある雑菌が繁殖したものが飲み込まれ気管から肺へ入り、肺炎を引き起こすことが多い。現在、日本人の死因の第4位が肺炎です。年間95000人近くの人が肺炎で亡くなっています。この肺炎になる理由の一つが口の中の汚れと飲み込む反射(嚥下反射)の低下が原因がかなりの部分を占めることがわかってきました。こういった肺炎を防ぐために口腔ケアの重要性が以前にも増して重要で、口腔ケアを実践することにより肺炎の防止に役立った報告がいくつもされています。

そんな唾液ですが、歯の治療の際には厄介な場合があります。歯の治療には乾燥させないといけないことが多いもの。被せ歯、差し歯、詰め物をセットする際、歯が濡れているときちんと歯に接着させることが困難です。また、神経の治療の際、唾液に触れないようにすることが鉄則。歯の治療には乾燥状態であることが必要な場合が多いのですが、治療中の唾液量が多いと乾燥に一苦労です。唾を取るバキュームや綿花を駆使して口の中の唾液を吸い取る必要に迫られます。唾液の多い人の場合、わずかな時間でも大量の唾液が口の中に溜まるもの。歯医者にとって、治療中の唾液の管理は非常に気を遣うものなのです。

潮吹きのような唾液の分泌が見られる患者さんの口の場合、歯の治療は注意しながら行わないといけないものなのです。



2007年03月17日(土) 肌のつやが違う

昨日は、下のチビが通う幼稚園の卒園式。下のチビはまだ年中なので卒園するわけではないのですが、僕はPTA会長として、年度末最後の仕事として出かけてきました。卒園式は幼稚園が主催ということで、PTA会長の僕は来賓として来賓席に座らされました。来賓か?と考える暇も無く、僕に用意されていたのは、来賓代表の挨拶。
この1年間、幼稚園行事で何度も多くの園児、父兄の前で挨拶をしてきましたが、改めて挨拶は難しいものだと実感しました。何せ挨拶の対象が園児とその保護者です。園児には園児向けの挨拶を、保護者には保護者に向けた話をしないといけないのは結構気を遣います。今回の僕の挨拶は、自己採点では可もなく不可もなくといったところでしょうか。その点、園長先生の挨拶は上手い。普段から園児や保護者との付き合いが長けているだけに短時間でツボを押さえた話しぶりは歯医者そうさんとしても参考になるところが大。
普段、僕は患者さんに対してどうしても先生目線で話をしがちですから、如何に患者さんの目線で話すかということは苦手です。それだけに園長先生の挨拶は勉強になるなあと感じた次第。

卒園式終了後、卒園児と保護者、担任の先生、園長先生に加え、PTA会長として僕も各クラスの卒園写真を撮りました。
卒園写真撮影中に気が付いたことですが、興味深かったことは、各クラス個性があるということ。わずか数クラスですが、各クラス微妙にクラスカラーが異なるのです。元気なクラス、落ち着いた雰囲気のクラス、笑いの多いクラスなどなど。この点を園長先生に確認すると、どうもクラス担任の個性がクラスの雰囲気に影響するとの事。確かに担任の先生が元気一杯なクラスは賑やかなクラスカラーですし、おっとりとした先生のクラスは落ち着いた雰囲気です。実際のところ、類は友を呼ぶというのでしょうか、元気な担任の先生の下に不思議と元気一杯な生徒が、おっとりした先生のクラスの下には大人しい生徒が集まってしまうところもあるのだということを園長先生は語られていました。

あるクラスの卒園写真を撮影している時でした。僕の隣に園長先生が座るという構図だったのですが、園長先生が僕にささやいてきました。

「会長の手の甲を見ていると肌のつやが違いますな。」
「一体何のことを言われるのやらと思いますよ。何か中年女性みたいな言い方ですね。」
と笑う歯医者そうさん。

「若いと言っても僕は今年厄年ですよ。」
「いやいや私に比べればまだまだ。私は既に還暦ですからね、やはり会長とは肌のつやが違うわけだ。」
と言いながら、続けてこんなことを言われたのです。

「私は若い頃に戻りたいとは思わないんですよ。確かにやり残したことが無いということを言われればそうではないのですが、還暦を過ぎても今が大切だと思うのですね。」
「かつて私は某社の会社員だったんですよ。縁あって数年前から教職についているわけです。毎日、園児たちと接していると新鮮な刺激を受けるんですね。還暦を過ぎた年齢であれば、普通だったら退職してのんびり余生を過ごすところなのに、自分の孫のような園児たちと触れられる。いろいろと大変なこともありますが、園児と接していますとこちらまで元気をもらうような感覚になりますね。過去を振り返るよりも今がいいと思うのですね。まあ、最近では、もし過去に戻ることができるなら、園児の年齢まで戻れるのであればいいのかな?とも思うようにまでなりましたけどね。」
「なるほど。サミュエルウルマンではないですけど、青春とは心の持ちようを言うというわけですね?」
「そのとおりなんですよ。ただし、体の衰えを否定することはできませんけど。こうやって会長の手の甲の肌のつやを比べるとその差は一目瞭然ですからね。」
「園長先生、見比べるのはいいですけど、僕にはその気がありませんからご勘弁下さいよ。」
「会長、私もその気はありませんからご心配なく、ハッハッハ・・・。」



2007年03月16日(金) 次なる金属泥棒のターゲットとは?

患者さんの歯を抜歯した際、僕は患者さんに必ず抜歯した歯の処理をどうするか尋ねます。いくら抜歯した歯とはいえ、元はといえば患者さんの物。患者さんが親から授かった大切な臓器です。患者さんの意向が最優先するものだと思うからです。
患者さんが抜歯した歯を必要であると意思表示されれば、抜歯した歯は患者さんに手渡しします。

「処分して置いて下さい」
「必要ありません」
など、患者さんが不要であると言われた場合には、僕が患者さんに代わって処理をすることになります。

患者さんが不要だと言われた抜歯した歯。具体的に抜歯した歯をどう処理するかということになりますが、基本的には歯も血液が付着している感染性廃棄物として処理を行います。一般ごみとは異なった箱に集め、専門処理業者に委託処理してもらうのです。
歯が無傷であるような場合、歯はホルマリンの入った容器に保存することがあります。標本として残す場合と、削ったり、詰めたり、神経の処置の練習用として残しておくことがあります。

どこの歯医者でも共通している話だと思うのですが、抜歯した歯が差し歯、被せ歯の場合はどうでしょう?差し歯、被せ歯は歯のみならず何種類かの貴金属を含んでいます。
歯科で最もよく用いられている金属は金パラといわれている合金です。金パラの成分はJIS企画で決まっています。12%の金、20%のパラジウム、50%の銀、17%の銅、その他の金属1%という具合。
金パラは一見すると銀色ですから、銀だけで出来ていると思われがちですが、実際には金やパラジウムといった貴金属が3割も含まれている合金なのです。
それでは、抜歯した歯が金パラを用いた差し歯、被せ歯の処理方法はどうするか?これも専門の廃棄物処理業者に処理を委託するのが普通です。廃棄物処理業者は回収した差し歯、被せ歯を専用の施設で高温で溶かし、分析し、それぞれの金属ごとに回収します。回収した差し歯、被せ歯に含まれた金属分の料金は、各金属の相場に合わせ、手数料を差し引いた額が歯医者に支払われるのです。
一方、回収した各種金属は、廃棄物処理業者によって市場で売られるのです。昨今の金属高騰の折、廃棄物処理業者によって販売される各種金属はかなりの利ざやを稼いでいるものと思われます。

ところで、ここで心配なのが各地で頻発する金属泥棒事件です。各地で鉄板や銅線などの盗難が相次いでいます。昨日もこのようなニュースが流れていました。お隣の国、中国の北京オリンピックをにらんだ建設ラッシュによる影響でしょゆか、日本ではどんな金属でも高く売れるということで、これまで誰も見向きもしなかった公共物で使用されている金属でさえ、盗難にあっている始末。金属が置いてある場所ならどこでも盗んで売って設けようという輩が多い今日この頃です。
今後、金属泥棒達が歯医者が患者さんの差し歯、被せ歯を回収している事実を知れば、今後は歯医者も金属泥棒のターゲットになるかもしれません。先に書いたように、歯医者に行けば回収した貴金属を含んだ金パラの差し歯、被せ歯が保管してあるわけですから。

これまで歯医者に侵入した泥棒は受付から現金を奪うことが多かったのですが、これからは技工室や診療室内で回収した金属の差し歯、被せ歯が回収されている箱が狙われるかもしれません。もしそうなれば、歯医者にとっては戦々恐々の日々が続くのではないかと心配する今日この頃です。



2007年03月15日(木) 東大現役合格者のノートを見て感じたこと

昨日、診療所の待合室用に置いてあった雑誌を見る機会がありました。どこの歯科医院でも待合室には何種類かの雑誌が置いてあると思います。うちの歯科医院でも何種類かの雑誌を購入し置いています。週刊誌と言っても雑誌によってはグラビアがかなり過激なものがありますので、そういった物は置かず、比較的地味な物を置いているつもりです。患者さんが診療前に興奮しても問題ですしね・・・。
それはともかく、待合室に置いてある雑誌は比較的新しい号の物を置くようにしています。いつまでも古い物を置いていると患者さんからの印象がよくありません。おおむね発行されてから1ヶ月を過ぎると交換するようにしています。先日も、そんな雑誌がないか待合室でチェックをしていたのですが、何気なく見た某週刊誌に思わず目を留めた記事がありました。

その記事とは、写真入りの記事で、タイトルが“東大現役合格者に共通する「ノートの法則」”と銘打った記事でした。記事にはかなりの部分に東大に現役合格した人たちのノートの写真が掲載されていたのです。
そこの記事でも触れられていることですが、どのノートもきれいに美しくまとめられているのが特徴です。4人の東大現役合格者の英語、物理、日本史、現代史のノートが掲載されていました。4人は性別は男性2人、女性、2人。
この記事の担当者によれば、合計100冊以上の東大現役合格者のノートが集まったそうですが、文系、理系に関わらずきれいにまとめられたとのこと。本当に板書しただけなのかと言いたくなるくらい解説が書いてあったり、図示かしていたりしていました。中には参考書として世に出してもおかしくないくらいの出来の物もあったそうで、非常に興味深い傾向があるとのことでした。
受験関係者の中にはノートをきれいにまとめることに力を注ぐより、もっと他のことに力を注ぐべきという意見があるようですが、実際に掲載されたノートを見て僕が感じたことは、非常にビジュアル的なのです。きれいな字を書いてはいなくても、非常に見やすく、まとめられているのです。一見して直ぐに頭の中に内容が入っていくような感覚に襲われるのです。他人である僕が見てそう思うのですから、おそらく書いた本人はノート上だけではなく、内容が頭の中で整理され、それをアウトプットしているのではないかと思うのです。少なくともノートに書きながら考える思考パターンではないはず。ある程度頭の中でイメージができあがっていたものを確認のために書き写しているというのが実態ではないかと思うのです。

今回の記事で思い出したことがあります。それは、昨年生誕200年を迎えたクラシックの作曲家モーツァルトのことです。モーツァルトは僅か35年の生涯の中で700曲あまりの曲を書いた作曲家ですが、どの作品も後世に残る傑作ばかり。奇跡の作曲家の一人でもあります。アイネクライネナハトムジークや交響曲40番、クラリネット協奏曲、レクイエム等々彼の名曲は枚挙に暇がありません。
そんなモーツァルトが父親に送った手紙がいくつか残されています。手紙の中に彼の作曲について触れているところがあります。その手紙によれば、モーツァルトはメロディが頭の中で泉のように湧き出てくるのだとか。そのメロディを頭の中でまとめ、完成させる。そうすれば、後はお茶を飲んだり、おしゃべりをしながらでも紙の上に譜面として書くことができるというのです。まさしく、天才のエピソードの一つと言えるでしょう。実際は多少の下書きや修正はあったようですが、基本的にモーツァルトは下書きをしないことで有名な作曲家でした。
僕も実際にモーツァルトの自筆譜面を見たことがありますが、非常に美しい譜面です。書き直したところはほとんどない譜面。モーツァルトが頭の中で浮かんだメロディをまとめあげた挙句、アウトプットしたことを裏付けるものだと思います。

現役合格する東大生とモーツァルトと比較するのは無理があるかもしれませんが、限られた時間で美しい書き物を残すという意味において、僕は何か共通するものがあるのではないかと感じました。東大というところは、現役合格するには非常に難しいとされている難関大学の一つ。そこに現役で入る受験生の特徴がきれいなノート作りにあるという裏には、既に内容が頭の中で理解、定着し、確認する意味が含まれているのではないかと感じた次第です。

それでは、きれいなノートつくりができない人が東大に合格できないかというとそうでもないと僕は思うのです。そこで思い出したのが同じくクラシックの大音楽家の一人ベートーヴェン。
ベートーヴェンの自筆譜面が今も残されていますが、彼の譜面には音符が非常に乱雑に書かれています。合唱や田園、英雄といった名曲ばかりの交響曲をはじめとして、ピアノ曲、弦楽四重奏曲等々の譜面は書きなぐったといった方がいいような書き方です。この自筆を書く前には、スケッチと呼ばれる段階があります。自分が思い浮かんだメロディを書きとめておく帳面のようなものなのですが、ベートーヴェンはスケッチで思い浮かんだ曲を下書きし、何度も何度も書き直した上で、自筆譜面に書いていたのです。この点、モーツァルトとは対照的です。
モーツァルトとベートーヴェンの作品のどちらが優れているかということになると、そのような比較は愚問でしょう。好みはあるものの、どちらも作品も数多くの人に評価され、見本とされ、今に至るまで生き残り、演奏され続けているのです。

ノート作りもこれに似ているところがあるのではないかと思うのです。確かに現役で東大に合格した人はきれいなノートを作る人が多いかもしれません。限られた時間できれいにまとめたノートを作ることは一種の才能かもしれません。けれども、ノート作りがきれいでなくても、最終的に東大に現役合格すればいいのではないでしょうか?労力という意味においては、きれいにノート作りできるヒトの方が効率的ではあるでしょう。けれども、効率は努力によって補われることが多いもの。結果が良ければどんなノート作りであってもいいのではないかと感じた、待合室での歯医者そうさんでした。



2007年03月14日(水) ホワイトデーのプレゼントは何がいいのだろう?

今日は3月14日。世間ではホワイトデーなる呼び名が定着しつつある日であります。バレンタインデーと異なり、ホワイトデーの起源は日本なんだとか。ホワイトデーの起源は、諸説あるようですが、有力な説なのはこことかここのようです。

お菓子業界主導で始まったホワイトデー。今やバレンタインデーでプレゼントされた世の男性が女性にお返しをする日という意味合いが強くなっています。今やホワイトデーに関する商業効果は1200億円市場なのだとか。バレンタインデーが1300億円市場なのだそうで、ホワイトデーの市場効果はまだバレンタインデーには及んではいません。ただ、年々ホワイトデーの市場は拡大しつつあるそうです。バレンタインデーにチョコレートをもらった男性がお返しとしてもらったチョコの倍返し、3倍返しが一般的となっていることから、ホワイトデー市場がバレンタインデー市場を追い越すは時間の問題かもしれません。

先日の日曜日。うちの家に弟がやって来ました。勤務先の病院で忙しく働いている弟の久しぶりの休日だったのですが、うちの家で用事が済むや否や直ぐに帰宅しようとしました。
せっかくの休みなのに何をそんなに急いでいるのか尋ねてみたところ、弟曰く

「バレンタインデーのお返しを買いに今からデパートへ出かけないといけないんだよ。」

弟はバレンタインデーに病院内の女性看護師や臨床検査技師、事務の職員からチョコレートをもらったのだとか。義理チョコではあったのですが、ホワイトデーにもらった分のお返しをするために、デパートへ物色しに行かないといけないそうです。

「うちの病院みたいな狭い社会では、もらいっ放しというのは何かと不都合があるものなんだよ。しかも、もらったものと同額というよりも少し値段が高めのものを選ぶ必要があるんだ。幸い、デパートではホワイトデーにちなんだ商品がたくさん販売されているはずだから、その中で適当な物を手に入れるつもり。」

うちの歯科医院ではどうでしょう。うちの歯科医院ではスタッフの年齢層が高いということもあってバレンタインデーにチョコレートを送ったりする習慣はありません。しかも、うちは歯科医院です。歯科医院で義理チョコをやり取りするのも如何なものかという判断の下、バレンタインデーのチョコレートのやり取りはしていません。そのため、お返しの意味合いが強いホワイトデーのプレゼントも無しということにしています。

けれども、家庭においては別です。
先月のバレンタインデー、僕は嫁さんからM社のチョコレートをもらいました。嫁さんということで、一応本命チョコレートだったわけです。有難くチョコレートを頂戴した反面、一抹の不安が頭をよぎりました。ホワイトデーのことでした。僕は嫁さんに尋ねました。

「ホワイトデーは何が欲しい?」
「何でもいいわよ。期待しているね!」

何と言うプレッシャーでしょう。
“何でもよい”ということは、下手なものは受け付けないわよという雰囲気満載です。しかも、追い討ちをかけるように出てきた言葉が
“期待しているね!”。期待を裏切ったらどういうことになるかわかっているかしら?というニュアンスが含まれているように感じたのは深読みのしすぎでしょうか?

とにもかくにも、ホワイトデーの当日である今日。うちの歯科医院は休診日であるのですが、雑用の合間に僕はホワイトデーのための買い物をせざるをえなくなりました。
一体何がいいのだろうか?
試行錯誤、戦々恐々としている歯医者そうさんです。



2007年03月13日(火) 先見性とは博打みたいなもの

僕はいつも親父と一緒に仕事をしているのですが、親父が診る患者さんにはある特徴があります。それは患者層が高齢であることです。親父が診ている患者さんは長期にわたり親父を慕って、親父をかかりつけ歯医者として信頼して来院している患者さんです。親父が年を重ねると共に患者さんも年を重ねていく。その結果、親父が診る患者さんは高齢である確率が高くなっています。
高齢であるということはそれなりの人生経験を積んだ可能性が高いということでもあります。そのような高齢の方が何気なく言われる一言には含蓄のある言葉、箴言が多いもの。高齢の親父の患者さんが話す言葉には興味深いものが多いのです。親父の隣で診療している僕も思わず聞き耳を立ててしまうこともしばしばです。

先日のことでした。
ある企業で社長を務められてきた患者Yさんが親父の診療を受けていました。その際、このようなことを言っていました。

「よく企業には将来のことを見越して行動を起こさないと未来がないということが言われるじゃないですか?あるヒット商品が当たった企業に対し、世間では“先見性がある”なんて評価を下します。その一方で、傾きかけている会社に対しては“見通しが甘い”ということを平気で言われることがあります。」
「確かにそのとおりなのですが、正直言って、この先何が起こるかなんてことは誰にも予想がつかないのですよ。一寸先は闇なのです。けれども、そういうことでは競争が激しい社会の中、企業は生き残っていけません。そのため、どの企業も将来どんな展開になるか、どんなものに興味が集まるかを必死になってリサーチするわけです。社内でプロジェクトチームを作り、その中でリサーチした結果を詳細に検討し、将来に向けての企業戦略を立てます。それでも、最終的にその成否が決まるのは運なのですね。綿密な計画の下に行動したとしても吉と出る場合もあれば凶と出る場合もある。
こんな言い方をするとおかしいかもしれませんが、先見性とは、とどのつまり、博打みたいなものなのですよ。」

“先見性とは博打みたいなもの”

僕はなるほどと感じました。
昨今の赤字企業、地方自治体の事業の失敗などのニュースをよく耳にします。当初、これら企業、地方自治体も赤字になろうとして事業を計画し、実行したわけではないはず。それなりに将来の見通しを考え、計画を練って実行に移したはず。それなのに財政破綻してしまうのはどうしてか?今となっては見通しが甘かったということは簡単なことでしょう。単に見通しが甘かっただけなのか?僕はそのことを常に疑問に感じていました。誰も好きで財政破綻してしまうようなことはしないはず。それなりの将来性を考えて事業を計画し、実行に移したはず。それを“見通しが甘かった”という言葉だけで言い切ってしまっていいのだろうかと感じていたのです。

そんな中でのYさんの一言、“先見性とは博打みたいなもの”。

僕は自分の疑問がYさんの一言で氷解したような気がしました。将来を見通す能力というものは誰でも絶対的なものではない。うまくいく場合もあるしそうでない場合もある。
もちろん、将来は過去から現在にわたる状況を熟慮し、詳細に予想するものではあるのですが、その予想が当たるかどうかは結局のところ神のみぞ知る世界。まさしく、博打なのです。

Yさんの箴言を聞き、得がたい人生勉強をさせてもらったと感じた歯医者そうさんでした。



2007年03月12日(月) ○○病院未払い治療費回収係

昨今の格差社会の拡大のせいなのかわかりませんが、医療機関を受診したのにも関わらず治療費を滞納する患者さんが増え、社会問題化しています。先に報じられた全国の6割以上の病院が加入する四病院団体協議会の調査によれば、把握できた病院の未収金は、過去3年間で計426億円とのこと。1病院あたり1620万円で、公的病院は4424万円と著しく多かった。莫大な未回収治療費です。

多額の未回収治療費の背景には、患者さんの経済的な問題があります。バブル後の不況下で生活困窮者が増えたこと、高齢者の1割負担やサラリーマンの3割負担など、治療費の自己負担増が続いたこと等により治療費の不払いに拍車がかかったようです。患者別では、国民健康保険の滞納者や産科の入院・外来患者、交通事故などで救急医療を受けた患者で未払い額が多い傾向があったとのこと。しかしながら、患者さんの中には支払い能力があるのに治療費を何度も踏み倒す確信犯や、患者を入院させて行方不明になる家族など、モラル低下に伴う悪質な例も少なくないのだとか。

医師法では、患者さんが治療費が支払えないからといって医療機関が受診拒否をすることを禁じています。このため、多くの医療機関で未回収治療費がかさばる一方、どのようにこの問題を解決すべきか対応に苦慮していました。
保険診療を行っている医療機関では、昨年の診療報酬改定などで医療機関経営も厳しさを増してきています。そのため、未回収治療費への取り組みを強化せざるをえなくなってきた。
具体的には、患者さんが支払わない場合、保険者である企業の健康保険組合や国民健康保険組合の保険者である市町村などに負担金の支配を求める動きがあります。保険者が支払いに応じなければ訴訟も辞さない構えとのこと。
それだけではなく、医療機関ではクレジットカードの支払いができるようにする動き。また、治療費を支払う際、保証人をつけるような動きまであるようです。
こうなると医療機関というよりも金融機関のような感じですが、それくらい治療費の不払い、未回収の治療費が医療機関の経営に深刻な影響を与えているということなのです。

さて、先日、某病院に勤務する知人の勤務医から聞いた話に僕は思わず考え込んでしまいました。知人が勤務している病院には未払い治療費を回収する専門のスタッフがいるというのです。
知人が勤務する病院は救急医療指定医療機関ということで、毎日多数の救急患者が運び込まれてくるのですが、全ての救急患者が治療費を支払ってくれるとは限らないとのことです。
救急医療の場合、命の危機に瀕しているわけですからたとえ高額な治療費がかかっても救命処置を行わざるをえない状況があります。救急の現場は一刻一秒を争う場です。患者さんやその家族にとっても悠長に考えている余裕はなく、高額の治療費がかかると説明されても結局救命のためには仕方なく高額医療を選択せざるをえない状況があります。患者さんの状態が落ち着き、いざ治療費の支払いとなったところで、莫大な治療費の請求に驚き、支払えないというケースが後を絶たないというのです。知人が勤務する病院には、そうした患者さんを相手に治療費の回収に当たる専門の担当官がいるというのです。仮称、未払い治療費回収係。

これまで治療費の回収には及び腰だった病院の経営担当者と異なり、未払い治療費回収係は、治療費回収のためにかなりの権限が与えられ、積極的に未払い治療費を回収に当たるというのです。時には、未払い治療費回収係は時として法に触れるか触れないかのようなことも行うのだとか。無い袖は触れないと言い張る患者さんに対し、徹底的に身辺を調査するようで、その調査ぶりは患者さん本人だけでなく、家族、親戚に至るまで調べ、支払ってもらえるところから支払ってもらうまでは一歩も引かないのだとか。
この未払い治療費回収係は病院内でも公にはされていないそうですが、未払い治療費回収係が設置されてから、未払い治療費の額はかなり減少し、効果をあげているとのこと。

正当な理由で治療費を支払えないということに同情の余地はあるとは思いますが、医療機関は赤ひげではありません。日本では国民皆保険です。基本的には全ての国民が何らかの医療保険に加入しているはず。こういった状況において医療機関がかかる治療費を免除するということはあってはならないこと。
実際のところは、経済的な理由で保険料が支払えない人や諸事情で生活保護を受けられない人が多いのも事実。そうした人に対し何らかの公的扶助があってしかるべきだと思うのですが、国や各地方自治体の財政的困窮からそれもままならない状況です。

今後、多くの医療機関で未払い治療費回収係のような担当者は増えていくことでしょう。借金取りは何も金融機関の代名詞ではなく、医療機関においても増えてくる時代がやってくるのかもしれません。



2007年03月10日(土) 涙の卒業

三月も気がつけば今日で10日。三月は去ると言いますが、年度末ということで何かと行事が多いのが三月。学生であれば各種入試や卒業、4月からの入学準備、終業式と春休み、勤務されている方であれば異動とそれに伴う準備など、本人だけでなく家族を巻き込んで時間に追われる日々を過ごされている方が多いのではないかと思います。
さて、三月に行われる行事の一つ、卒業。僕は幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院まで通学し、卒業したのですが、卒業の際、涙を流したのは1回だけです。それは大学院を卒業した時。正確には、大学院は卒業したと言わず修了したと表現するのが正しいのですが、ここでは大学院も卒業という言い方にさせて頂きます。

幼稚園から大学までの間、僕は卒業の際、泣いたことは一度もありませんでした。ほとんど笑顔で卒業式に臨んでいました。もちろん、感慨深いものはいろいろとあったはずですし、様々な友人、知人、世話になった先生と離れ離れになることは寂しいものがあったのです。そういった感傷にふけるよりも、新たに来る新生活に対する期待、憧れの気持ちの方が勝っていたのでしょう。そんな僕ですから、卒業式の際、周囲ですすり泣きの声が聞こえた時には、正直言って理解できませんでした。
内心
“人生の最後ではないんだから、今泣いていてどうするんだ。卒業は笑顔で迎えるものだ!”
と思っていたものです。

ところが、大学院を修了し、式を終え、医局に戻った時のことです。4年間の大学院生活を追え、研究室の机の周囲を見ていた僕、は突然目頭が熱くなってくるのを感じました。どうしてそうなったのかわかりません。理屈では説明できない、体が勝手に涙腺を緩くしているとしかいいようのないものを感じたのです。せめて人前では涙を流しているところを見せたくない。そんな思いを持ちながら必死で涙腺から涙が出るのを自分なりに押さえながら、世話になった先生方に挨拶に伺いました。数人の先生に祝福されながら、最後の先生に礼を伝えている最中、僕は急に言葉が出なくなりました。僕の雰囲気を察したその先生は、

「そうさん、よく頑張ったね。」
と声を掛けて下さりました。僕は礼の挨拶もそこそこにその場を立ち去りました。そして、廊下を歩いている途中、目から溢れ出る涙を抑えることができませんでした。何とか向かいから歩いてくる人に見られないよううつむきながら歩いていたものです。

思い起こせば、大学院時代の生活は、研究室での研究生活だったのですが、指導して下さる上司や先輩の先生、友人や後輩はいるものの、研究の段取りは全て自分で自己管理しなければなりませんでした。自分の仕事は自分ひとりで行わないといけない。生まれて初めて、自己責任の重さを痛感しながら日々を過ごしていたように思います。
順調に研究生活を過ごせればよかったのですが、どちらかといえばうまく事が運ばず、頭を抱えてしまうような事態が多かった大学院生活。このままで大学院を卒業することができるのか?卒業できず、オーバードクターになってしまわないか?そんな不安が常に付きまとい、時には中での人間関係に悩まされながらも自分なりに必死に耐えた大学院生活。そんな大学院生活が無事に修了した安堵感が僕に涙を流させたのかもしれません。
中学、高校、大学時代も決して手を抜いた学生生活を過ごしてきたわけではありませんが、大学院時代はこれまでの学校と比べ、レベルの違う濃度の濃い時間帯を過ごした自負。そして、達成感。そのことがが僕の体に変化を起させ、涙腺を緩ませたのかもしれません。それくらい、自分なりに全身全霊を傾けて必死に仕事をしてきたつもりです。

この時の経験が原因かどうかわかりませんが、不思議なもので、緩くなかった涙腺が緩くなってきたような気がします。感動的なドラマや映画を見たり、音楽や人の話を聞いて目頭が熱くなるような時が増えました。友人の一人のこのことを話すと

「それは年を食ったからだよ!」
と一笑に付されました。そうなのかもしれませんが、少なくとも僕が涙もろくなった直接のきっかけは大学院の卒業式であることは間違いがありません。

大学院の卒業式があったのは今から12年前の3月の某日。遠い昔のように思う今日この頃です。



2007年03月09日(金) レインマンジュニアと共生する社会へ

昨日は下のチビが通っている幼稚園の参観日。いつもなら嫁さんに参観は任せるのですが、昨日は僕も参観に出かけてきました。その訳は、参観の後にPTA総会が開催されるからです。この3月までの任期なのですが、僕は下のチビの幼稚園のPTAの会長。以前からPTA総会と卒園式だけは出席しないといけないということで、僕はあらかじめ診療を休診にしておいたのです。

PTA総会が始まるまでしばらく教員室で園長先生と歓談。その際、園長先生が興味深い話をしてくれました。

皆さんもご存知のことと思いますが、体や心に障害を持った園児がいます。
園長先生曰く、学習障害や発達障害と言われた園児が意外と多いことがわかってきたとのこと。全国調査によれば、5〜6%の園児に学習障害や発達障害が見られるという結果が出たのだそうです。100人中5から6人に何らかの障害があるという事実。
これまでの幼稚園であれば、学習障害や発達障害の園児は入園を許可しなかったり、通園を遠慮して欲しいとお願いする場合もあったそうですが、全国レベルで5〜6%もの園児に学習障害や発達障害があるとなると、もはやそんなことは言っていられなくなります。中でも学習障害は、幼稚園生活をするにあたり初めて明らかとなってくることが多いとのこと。如何に学習障害や発達障害の園児を受け入れ、彼らがよりよく発達していくか、幼稚園側が創意工夫をして教育していかなくてはいけなくなったのだとか。以前であれば、これら園児は親の躾や家庭環境が悪いといって済ませていたのですが、どうも教育の仕方を変えれば、これら園児は十分に成長することができるようなのです。

最近の研究によれば、学習障害児や発達障害児は確かにある能力に関して健常な児童よりは劣っているのですが、それ以外の部分においては正常、むしろ優れている場合もあるようです。例えば、算数の能力や記憶力、芸術性といった能力が勝っているなどなど。
かつてダスティン・ホフマンの主演の映画で“レインマン”という自閉症の男性の映画がありましたが、ダスティン・ホフマン演じる主人公は飛行機に全く乗れない恐怖症がある一方、一瞬にして複雑な計算をやり遂げてしまうという特技がありました。

おそらく、これまでも”レインマンジュニア”は数多くいたことでしょう。他人との共同生活をなじめず、周囲からみれば理解しにくい言動を繰り返す”レインマンジュニア”は周囲から理解されず、避けられ、疎まれるだけの存在でした。しかも、“レインマンジュニア”は親の育て方が悪かったからだと強引に結論付けられていました。先天的、生まれつき何らかの障害があってのことだったにも関わらず、親が一方的に責任を取らされていたのです。親は肩身の狭い思いをせざるをえなかった悲しい現実が多々ありました。
けれども、最近の研究で“レインマンジュニア“には彼ら彼女らなりの思考パターン、行動パターンが確実にあり、この点を理解して接すれば、”レインマンジュニア“も確実に社会に共生していくことができる可能性が見出されてきたのです。

”レインマンジュニア”と共に生きるにはどうすればよいか?
実際のところ、”レインマンジュニア”自身は自分自身を変えることはできません。“レインマンジュニア”の能力から推し測れば、それは仕方のないこと。それならば、周囲が”レインマンジュニア”を理解し、生活しやすい手助けをする。実に大変なことではありますが、“レインマン”や”レインマンジュニア”と共生する社会を目指すには、周囲が余裕を持って懐の大きい態度で接する必要でしょう。

このことは何も障害を持った人に限った話ではないと思います。
人と言うもの、欠点だけを見ようと思えばそればかり目につくもの。特に相手に対して不信感を持っているようならば欠点ばかり目につき、それが元でさらに人間不信に陥ることは誰でもあると思うのです。
それ以上に重要なことは、いくらこちらが望んでいても相手は自分が臨んでいるように変わってはくれないこと。世の中にある人間関係のトラブルの根源はここにあるのではないでしょうか。
それならば、相手の悪いところを見るのではなく、相手の長所をみつめ、言動を変えていく。相手が変わるのを待つよりも、まずは自分が相手に対する接し方を変える。この姿勢が結果的に相手との人間関係を風通しのよいものにでき、相手も変わってくれる可能性ができてくるのではないでしょうか。
実に難しい課題であることは百も承知ですが・・・。

今回の”レインマンジュニア”に対する幼稚園の接し方の変化は、何も障害を持っている人だけの話ではなく、我々の日常生活の中で気持ちよい人付き合いをするための秘訣ともいえるのではないか?
そんなことを自問自答した、歯医者そうさんでした。



2007年03月08日(木) お嬢さんを僕に下さい!

昨日に引き続き、最初は寺島しのぶがらみの話をば。
フランス人の彼からプロポーズを受けた寺島しのぶは彼を両親と弟に会わせるために自宅に彼を招待したとのこと。家族で会食中、フランス人の彼から「結婚させて下さい」という申し出あったとか。一瞬尾上菊五郎は表情を変えたそうですが、フランス人の彼とウィスキーのボトル3本を空けると打ち解け、「(結婚を)許す」と承諾したそうです。

花嫁の父親が手塩にかけて育ててきた一人娘を花婿に”下さい”と言われる、このシーン。花嫁の父親も花婿もとても緊張する場面だと思いますが、結婚に際して避けては通れない場面のようにも感じます。
この話を聞き、僕は同じような話を思い出しました。

僕が結婚する前の某病院での研修医時代のある日の夜のことでした。
僕の指導教官の一人であったO先生は、普段の診療では非常に厳しい先生でした。僕も何度か外来の診療室やオペ場で雷を落とされたのですが、素顔のO先生は非常に知的で温和な方だったのです。特にアルコールが入ると、いつも以上に淀みなく話をされる先生でした。
研修医仲間同士が将来のことを話していると、O先生が会話の中に入ってきました。一日の仕事が終わり、緊張から解放されたのでしょうか、帰宅する前医局でO先生はアルコールが入っていたようで顔を少し赤くされておられていました。
O先生自身、自分の研修医時代の苦労や自分の上司の先生のことを話されたのですが、奥様へのプロポーズにまつわる話をしてくれたのです。

「家内にやっとのことでプロポーズして受け入れられた時は天にも舞い上がるくらいうれしかったよ。ところが、これで結婚という段階になって僕は一つ憂鬱になったことがあるんだ。」
「それは一体何だったんですか?」
「家内のお父さん、お母さんに挨拶に行くことだったんだよ。特に問題だったのがお父さん。家内と付き合っている最中、何度か家内の家に電話をしたんだよね。今みたいに携帯電話が無い時代だろう?いつも電話を掛ける時、家内に出て欲しいといつも願っていたよ。ところが、人生ってそううまくいかないもので、僕が電話を掛けるといつも最初に受話器を上げるのがお父さんだったんだよ。お父さんには特に文句も言われなかったんだけど、電話越しの雰囲気がね、わかるんだよ。“うちの娘に何かあったら承知しないぞ!”っていう無言のプレッシャーがね。」

「そんなお父さんだったから、プロポーズしたらきちんと挨拶に伺わないといけないと思っていたんだけど、緊張しまくりだったよ。事前に家内を通じてお宅に伺う約束をしていたわけだけど、応接間に通されお父さんに挨拶をしようとすると膝がガクガク震えるんだよ。そんなことはおくびにも出さないようにしながら、自分なりにきちんと挨拶をしてね、タイミングを計って言ったんだよ。『お嬢さんを僕に頂けないでしょうか?』ってね。」

「お父さんは最初は無言だったんだ。そのうち、食事をご馳走になったんだけど、お父さんのお酌の相手は僕だったんだよね。そこでお父さんの人生訓みたいなことをいろいろ聞かされたんだよ。こちらとしては早く返事が欲しいのだけど、お父さんはそんなのはなに吹く風って感じで一向に僕の言ったことに返事をくれないわけ。そのうち僕も酒を勧められてね。相当時間が経ったんじゃないかな。おそらく食事を始めて数時間以上は経っていたいたと思う。ある時突然、『娘を頼む』って言われたんだよ。僕はうれしさと長時間の緊張が解けたせいか思わず泣いてしまったんだ。男らしくないといわれればそれまでなんだけど、僕の誠意が通じたかなと感激してしまったんだね。」

“結婚を決める際にはこのような場面に遭遇するものか?”と僕ら独身の野郎研修医仲間は皆熱心にO先生の話を聞いてみたものです。O先生曰く

「結婚前、花嫁のお父さんと酒を酌み交わしながら話をするのは、結婚前の男の洗礼みたいなものだ。」

将来、花嫁となる人の両親に挨拶をしなければいけない時、親御さん、特にお父さんに長時間酒を酌み交わすような場面に遭遇する。アルコールが弱い僕は果たして耐えられるだろうか?途中で酔っ払ってしまい恥をかかないだろうか?
そんな不安さえ感じたものです。

実際の僕はどうだったでしょう?
僕は今の嫁さんのお父さんに「お嬢さんを僕に下さい」とは言いませんでした。いや、言えなかったのです。
その訳は、嫁さんは母子家庭だったからです。嫁さんのお父さんは嫁さんが小学生時代亡くなられました。以降、嫁さんはお母さんと同居していたおばあさんに育てられてきたのです。そのため、僕は嫁さんのお父さんに“お嬢さんを僕に下さい”と言う経験をしませんでした。もちろん、嫁さんのお父さんと酒を酌み交わすこともありませんでした。
代わりと言っては何ですが、僕は嫁さんのお父さんの仏前で“お嬢さんを僕に下さい”と手を合わせたのです。おそらく、何処かで嫁さんのお父さんは僕たちの結婚を許してくれている。そう信じています。

今後、僕が「お嬢さんを僕に下さい」ということは無いでしょう。幸か不幸かわかりませんが、僕は嫁さんのお父さんと「お嬢さんを僕に下さい」と言うことはなく、一緒に長時間酒を酌み交わすことはありませんでした。それはそれで仕方のないことかもしれませんが、不謹慎かもしれませんが、実際にこのような場面に遭遇すれば自分はどう対応しただろうと今でも思う時があります。きっと酔いの勢いと格闘しながら、お父さんの話を聞いているのだろうなあと想像する、歯医者そうさんです。



2007年03月07日(水) 国際結婚で思い出すこと

女優の寺島しのぶが2月末に婚姻届を提出し、昨日記者会見を開いていました。結婚のお相手はフランス人とのこと。国際結婚ですね。
寺島しのぶは尾上菊五郎、富司純子夫妻の長女。梨園のお嬢さんであるわけですから、よくぞご両親が結婚を認めてくれたものだなあと思います。彼女の談によれば、フランス人の旦那さんとは仕事を通じて出会ったそうですが、アプローチは彼女からかなり積極的に行ったとのこと。一昨年秋ごろから交際をはじめ、今年の正月にはフランスはパリで一緒に過ごしていたとのこと。生活習慣や言葉の問題を乗り越え、よくぞゴールインできたものだと思います。寺島しのぶファンのそうさんとしては、彼女の結婚に心からお祝いの言葉を言いたいと思う今日この頃。

ところで、国際結婚と言えば、僕は二組のカップルを真っ先に思い出します。

「娘が琴欧洲と結婚するんです。」

昨年の秋のことでした。僕が週末に練習に参加している某アマチュアオーケストラで同じパートのNさんと話をしていた時のことでした。某アマチュアオーケストラの団長夫人でもあるNさん。Nさん夫妻は互いがクラシック音楽愛好家であったことから、今から20年前、お二人で地元にアマチュアオーケストラを立ち上げました。以降、夫婦で二人三脚で某アマチュアオーケストラを運営し、今日のように大きなアマチュアオーケストラに育てあげました。
Nさん夫妻には一人お嬢さんがいました。子供は親の背中を見て育つではありませんが、Nさんのお嬢さんもご両親の影響を受けたのでしょう。クラシック音楽好きであることから音楽家の道を歩まれたのです。某音楽大学を卒業後、プロのチェリストとしてヨーロッパへ渡り、活躍されています。
ヨーロッパで一人で渡ったNさんのお嬢さん。妙齢である彼女に彼氏ができるのは自然な話です。そんなお嬢さんのフィアンセが琴欧洲とは一体どういうことだろう?と思っていると、

「もちろん相撲取りではありませんよ。お相手の方がブルガリア出身の方なのですよ。」

何でもヨーロッパでの演奏活動中、某所でブルガリア人のフィアンセと出会い、親密に交際をし始め、結婚に至ったというのです。ちなみにフィアンセはヨーロッパのオーケストラのコントラバス奏者。
当初、Nさん夫妻は結婚には全面的に賛成ではなかったそうです。生まれた場所も育った環境も生活習慣も言葉も違う。そんな二人が果たして結婚をしてうまく生活していけるのであろうか?手塩にかけて育てた一人娘が全く見ず知らずの外国人の男性と結婚してしまう。期待よりも不安の方が大きかったといいます。実際は、お嬢さんの熱意に負けてしまい、結婚を認めたというのです。結婚式は昨年のクリスマスイブ。日本の某所で行われました。結婚式に参列した人の話によれば、国際結婚式らしく、結婚式はブルガリア語、ドイツ語、フランス語、英語、そして、大阪弁が飛び交う国際色豊かな結婚式だったとのこと。音楽家の結婚式らしく、アマチュアオーケストラの合奏や合唱、そして、新婚の二人が奏でる“六甲おろし”が場を盛り上げたそうです。

結婚式の後、婚姻届を出したそうですが、そこで問題が発生。旦那さんがブルガリア人ということで、地元市役所では婚姻届を当初受理しなかったそうなのです。どうも旦那さんがブルガリア人であることを証明する書類に不備があったようで、わざわざ東京のブルガリア大使館にまで出向いて証明書をもらった来なければならなかったとのこと。
国際結婚の大変さを物語る一つだと言えます。

もう一組の国際結婚のカップル。僕はある親父の患者さん夫婦を思い出します。
親父は歯医者ですが、歯医者になる前は某大学文学部英文科で英文学を専攻した変わった経歴を持っています。そのためでしょうか、大学病院に勤務時代、英語が話せるということで外国人の患者さんが来院した際にはその担当にさせられたようです。今でこそ多くの人が外国へ留学し、外国語に堪能な人も珍しくありませんが、親父が若かりし頃は親父のような英語が話せる歯医者は珍しく、大学病院では重宝がられていたようでした。
そんな親父が大学病院を辞め、開業した際、親父が担当していた外国人患者も多数うちの診療所で歯の治療を受けるようになりました。当時僕はまだ幼かったのですが、日本人ではない、外国の患者さんが時折うちの歯科医院を訪ねていたことが記憶に残っています。

何人かうちの歯科医院を受診された外国人患者さんの中にRさんご夫妻がいました。Rさんはイラン人、奥様が日本人で国際結婚カップル。当時、イスラム革命が起こる前で、イランはパーレビ王朝だったわけですが、Rさんは貿易関係の会社を立ち上げ、広く世界各地で商売をし成功を収めていたようです。仕事の関係で日本に立ち寄った際、奥さんに一目ぼれしたRさんは奥さんに積極的にアプローチ。その甲斐あってRさんはほどなく奥さんと付き合い、愛をはぐくみ、結婚されたのです。
Rさんは大学病院時代、親父の患者となり、日本を離れるまでの10年間、親父を頼りしばしばうちの歯科医院を訪れました。最初のうちはRさん一人だったのですが、そのうち日本人の奥さんも連れてこられるようになったのです。

順調に見えていたRさん夫妻ですが、突如Rさんに悲劇が訪れます。Rさんの母国イランでイスラム革命が起こったのです。権勢を振るっていたパーレビ国王が処刑され、イランに混乱が起こりました。海外に亡命していたホメイニ師がイランに帰国し、熱狂的に民衆に迎えられたニュースが今の僕の記憶にも残っています。このイスラム革命、Rさんにとっては大いなる脅威でした。Rさんのような実業家はイスラム政権にとっては目の敵のような存在。Rさんは母国イランに戻ることができなくなったのです。イスラム革命以降、Rさんはフランスに居を構え、そちらを中心に会社経営を営むようになったのだとか。日本人であるRさんの奥さんもご主人と一緒にフランスに渡り、以降10数年フランス暮らしが続いています。母国に戻れなくなったRさんをひたすら支え続け、Rさんが順調に仕事をし続けてこられたのは奥さんの内助の功があればこそではないかと思っています。

そんなRさんも現在80歳。奥さんからは今でも時々手紙をもらいますが、Rさんも体力が衰え、病院に入院しがちとのこと。
子供たちも独立し、現在は夫婦水入らずで過ごしているとのことです。うちの歯科医院に来られていた頃から仲睦まじかったRさん夫妻。今もその様子は変わってはいないとのこと。
国際結婚は日本人同士の結婚以上に苦労されることが多いかもしれませんが、そうした苦労を乗り越えられて作られた絆はゆるぎないものになっているようです。Rさん夫妻の話を聞く度に、人生の伴侶の良し悪しに国籍の違いは関係ないのかもしれないなあと改めて感じる歯医者そうさんです。



2007年03月06日(火) 三國連太郎への疑問

歯医者で治療をする患者さんの中には入れ歯を装着する患者さんもいます。失った歯の数が多く、ブリッジで対応できない場合、保険診療であれば入れ歯となります。インプラントという手もありますが、インプラントは保険が適用されない自費治療となります。

入れ歯を初めて装着される方は、皆さん一様に不安を訴えられます。気持ちはわからないでもありません。初めて自分の口の中に取り外し式の人工物を入れるわけですから。自分が使いこなせるものか不安になられる方が多いのです。そのような時、僕は患者さんに入れ歯を使っている一人の有名人の話をします。その有名人とは三國連太郎。

僕が紹介するまでもなく、今や日本を代表する大俳優の一人である三國連太郎。佐藤浩市のお父様であります。三國連太郎は上顎が総入れ歯であることは有名な話です。ご本人もインタビューなどで自分が総入れ歯を装着していることを認めているくらいです。

若い頃、ある映画に出演の際、老け役をするために自分の上顎の歯を抜歯してしまったのだとか。本人曰く、麻酔無しで抜歯した歯もあるのだそうです。いくら役作りのためだとはいえ、親からもらった歯を全て抜歯し、総入れ歯にしてしまうとは恐れ入ります。俳優バカここに極まると言っても過言ではありません。いくら役作りのためだとはいえ、自分の歯を抜歯してまで望む役者さんは限られていることでしょう。役作りのために抜歯をしてしまった役者さんの話については、後日取り上げたいと思いますが、僕なんてとても真似できる芸当ではありません。
三國連太郎の演技を見て、総入れ歯をはめているとは思わないことでしょう。僕はそんな三國連太郎を例にあげ、入れ歯もそれなりに慣れるものであることを患者さんに伝えるわけです。

さて、三國連太郎は上顎の歯を抜歯してしまったため、総入れ歯を使用しているのですが、総入れ歯を何種類か持っており、役によって総入れ歯を代えてドラマや映画に望むのだとか。入れ歯もそこまでこだわっているのかと思いたくなるのですが、歯医者としては疑問を感じるところがあります。それは、入れ歯に対する疑問です。

よく、入れ歯をはめている方から“入れ歯を失った時のために予備の入れ歯を作ってくれないか?”と言われることがあります。何か不測の事態が生じ、入れ歯を失った時のため用に欲しいということなのですが、僕の答えはいつも同じです。

“予備の入れ歯は思っているよりも役に立たない。”

理由は単純です。入れ歯というもの、入れ歯を作った時の口の中の状態に合わせて歯型を取り、作っています。その一方で、体というもの、一見すると常に同じように思えても常に新陳代謝が行われています。顔や口の中も常に新陳代謝があり、変化が生じているものなのです。短時間であれば気がつきませんが、何年も時間が経過するとその変化に誰もが気がつくものです。数年前の写真と今の鏡に写し出される自分の姿を見比べ下さい。誰もが自分の体が変化していることに気がつくはず。口の中も同様です。

口の中も新陳代謝が行われ、変化するものである。このことを考えると、せっかく予備の入れ歯を作っていたとしても、いざ必要となった時、その入れ歯が使用に耐えられるでしょうか?そうではないことは容易に想像がつくのではないでしょうか。予備の入れ歯があったとしても、いざ使用するためには、現在の口の中に合わせるように、歯医者で調整して使わないと使えないのです。それならば、予備の入れ歯は、必要となってから作る入れ歯とそれほど大差がないと思うのです。
僕が患者さんに予備の入れ歯を勧めない理由がここにあります。

三國連太郎の場合、何種類もの総入れ歯を持っているということですが、果たしてこれら入れ歯を日頃どのように管理しているのでしょう?愚考するに、絶えず歯医者で何種類もの入れ歯の調整を行い、管理していることでしょう。何種類も総入れ歯を持っていたとしても、いざドラマや映画で使用しようとした時点で使い物にならなくては意味がありませんから。
釣りバカ日誌でスーさんの会話中、上の入れ歯が常に落ちるようでは興ざめです。

まあ、入れ歯の管理に関しては、直接三國連太郎に尋ねるしか真相はわかりません。今後、僕が三國連太郎に会う機会があれば、是非僕の素朴な疑問を尋ね、真相を明らかにしたいものです。



2007年03月05日(月) 歯磨きはどこで?アンケート結果について

我々の日常生活の中で、何気ない習慣が人によっては目障りになっていることがあるものです。特に、一つ屋根の下暮らしている家族同士で、互いの習慣の相違というのは時として感情的なトラブルにまで発展することがあります。
ほとんどの人が毎日行っている歯磨き。この歯磨きも時によっては家庭内トラブルの元になっていることがあるようなのです。
先週末、インターネットサーフィンをしているとこのようなアンケート結果が出ていました。歯磨きをどこでするかという結果。歯医者として人様の口の中を治療している者として、実に興味深い結果でした。

歯医者は歯磨きの大切さを常に説き、具体的な歯磨きの方法を教えています。最近では、歯医者よりも歯科衛生士にその役割が移っているのが現状です。
歯科関係者は歯磨きの方法については詳しく教えているのですが、歯磨き場所までは教えていないことが多いように思います。歯科関係者は患者さんが適切な歯磨きをしていることには関心があったのですが、歯磨き場所までは注意がいっていない人が大半だと思うのです。正直言って、僕も歯磨き場所まで教えていたことはありません。

ところが、一般の方にとっては歯磨き場所も大いに関心があるようなのです。
以前、僕は地元歯科医師会が主催する一般市民対象の歯磨き講座を受け持ったことがあるのですが、その際、こんな質問を受けたことがあります。

「私はいつも風呂に入りながら歯磨きをしているのですが、それでもいいのでしょうか?」

僕は学生時代のことを思い出しました。
仲のよかった友人宅に泊まった時のこと、友人は寝る前におもむろに歯磨きを洗面所から取り出しました。“こいつもちゃんと寝る前に歯を磨く奴だなあ。やはり歯医者の大学へ通っているだけのことはある”と思っていたのですが、その後の行動に僕は思わず“えっ”と叫んでしまったのです。それは、彼が寝室で歯を磨き始めたからです。僕は彼に問いました。

「歯磨きは洗面所でしないのか?」

彼は答えました。

「歯磨きを洗面所でしないといけない法律か何かあるのか?歯磨きというのは口の中の汚れを取るものだろう?きちんと歯磨きができるのであれば場所はどこでもいいんじゃないか?」

彼の言うことは一理ありました。確かにそのとおりです。歯磨きの目的はむし歯や歯周病の原因となるばい菌の塊である歯垢を取り除くことです。歯垢を取り除くことができるのであればどこで磨こうと問題はないのです。僕は自分が当然だと思っていたことが実はそうではないという事実に新鮮な驚きを感じたものです。
それまでの僕のイメージでは、歯磨きは洗面所で磨くものだと思い込んでいました。僕は歯医者の父親の元に育ってきましたが、生まれた時から父親は洗面所で歯を磨いていました。そんな父親の姿を見て、僕も歯磨きは洗面所で磨くものだと思っていたのです。


さて、今の僕ならば歯磨き場所についてどう答えるでしょう?
基本的には、場所にこだわる必要はないと答えます。ただし、歯磨きを行うに際して、条件をつけます。
条件の一つは、歯磨き時、鏡が使用できる状況であることです。
歯磨きを行う際、僕は患者さんに必ず鏡を見ながら歯を磨くことをお願いします。理由は単純です。自分の目で歯ブラシが歯のどこに当たっているかを確かめないときちんと歯を磨けないからです。自分の口元を見るには人間は直接見ることができません。これは仕方のないことです。目と口の距離が近すぎるからです。自ずと鏡を使わざるをえないのです。鏡は手鏡でもいいですし、据置型の鏡でもいいでしょう。ポイントは我流にならないことです。目で見ないで歯を磨いていると磨いているつもりでも、磨いていないところが出てくるものです。
女性が化粧をする際(男性の場合も否定はしませんが)、女性の方は必ず鏡を見て化粧をします。鏡を見ないで化粧をする女性はあまり聞いたことがありません。顔を化粧するには自分の目で確かめながらでないと悲惨な顔になるからです。
歯磨きも化粧と一緒ではないかと思うのです。鏡を見ながら歯磨きをしないと入念な歯磨きはできないはずなのです。

それから、歯を磨いていると必ず出てくるものがあります。それは唾液です。歯磨きは口の中を刺激するものです。口の中を刺激すると人間の体は唾液が出るようになっているのです。この唾液の処理を適切に行わないといけないと思うのです。歯磨きをしながら出てくる唾液は、口の中に溜まります。当然のことながら溜まった唾液の中には食べかすや歯垢が混じっています。汚れた唾液です。僕はこの唾液は口の外へ出すべきではないかと思います。歯医者の中にはこの唾液を飲み込んでも大丈夫だという意見の方がいますが、わざわざ汚れた唾液を飲み込む必要はないのではないかと僕は考えます。

そうなると、歯磨きの場所としては、鏡があり、汚れた唾液を常に口の外へ捨ててもいい状況が必要となると思うのです。そこで真っ先に思い出すのが洗面所でしょう。確かに洗面所は歯磨き場所として理想だと僕は考えます。けれども、居間や台所でもいいかもしれません。洗面器や何らかの桶、盆があるなら、その中に唾液を捨ててもいいと思うのです。また、風呂場でもいいかもしれません。

歯医者として歯磨き場所に必要と考える条件を書きましたが、歯磨きという行為は決して他人から見て美しい行為とは言えないものです。
最近は電車の中でお菓子を食べたり、化粧をしたりする人が多く、モラルの低下が叫ばれていますが、さすがに電車の中で歯磨きをする人はいないでしょう。もし、電車の中で歯磨きをすればどうでしょう。ほとんどの方が不快な思いをするはずです。
家庭の中でも同様だと思うのです。親しき仲にも礼儀ありといいます。自分ではいいと思っていても家族からみれば決して快く思わないのが歯磨き。一人暮らしの方であればまだいいのかもしれませんが、家族の方がいるような状況において、他の人が不快だと感じる行為は慎むべきではないかと考えます。

アンケートでは居間で歯磨きをする人が53%いるようです。こんなに多くの人が居間で歯磨きをするものかと驚きの結果でした。それぞれ自分の考え、好み、家の構造の問題、家庭の事情があることでしょう。けれども、家族は一つ屋根の下で暮らしています。皆が気持ちよく暮らすことができるようにしたいものです。歯磨きという行為が家庭の和を乱す原因となってほしくはありませんからね。
家庭円満のために、家族の同意が無い限り、歯磨きは迷惑のかからない場所で行った方がいいのではないかと感じた、歯医者そうさんでした。



2007年03月03日(土) 白衣がピチピチな女性スタッフに悩む

先日、僕の大学の後輩に会う機会がありました。後輩も歯医者で、数年前に開業した開業歯科医。開業当初は来院する患者さんが少なく苦労が絶えなかったそうですが、最近になり来院する患者数が徐々に増え、何とか開業歯科医としてやっていけるめどが付いたと安堵の声を出しておりました。

そんな彼が最近悩んでいることがあるのだとか。それは受付を担当している女性スタッフのことなのだとか。
彼女は知人の紹介で開業当初から受付を担当してもらっているそうですが、頭の回転が早く、複雑な事務作業を能率的にこなすとのこと。また、患者さんとの対応も臨機応変に対処し、患者さんからの評判も上々。今や後輩の歯科医院では必要不可欠な人材となって働いているそうです。そんな彼女について後輩は
「仕事の面や歯科医院内での人間関係は問題ないのですが、彼女に関しては一つだけ注意したいことがあるんです。」
「職場の人間関係や仕事の面以外で注意しなければならないことってどういうこと?」
「それはですね、彼女の着ている白衣に関してなのです。うちの歯科医院ではスタッフは全員白衣を着てもらっています。歯科衛生士や助手はもちろん受付である彼女も白衣を着てもらっているんですよ。受付の彼女は元々体ががっちりしていて肉付きが良いほうなのです。白衣も大き目の白衣を用意して着てもらっていたんです。ところが、最近になって彼女は成長してきたんですよ。」
「成長ってどういうこと?」
「栄養をある物をたくさん食べているのか、運動不足なのかよくわかりませんが、見るからに体重が増えてきているのです。去年、スタッフと食事会があってその時に撮影した写真と見比べてみるとまるで別人のように大きくなっているんですね。それだけならいいのですが、最も頭の痛いのが白衣の問題なのです。」
「今でも結構ピチピチなのですよ。このままだと特注の白衣を作らないといけないんです。こちらとしてはそれでも構わないとは思うのですけど、女性でしょ。特注を注文するとなると本人がどのように感じるか心配です。もっとウェートコントロール、ダイエットしろとも言えませんし。言い方によってはセクハラ、パワハラになってしまいますから。彼女にどのように注意すればいいのか、正直いってわからないんです。一番いいのは、本人が自覚をしてダイエットをして体重を落とすか、特注の白衣を買うように言ってもらうことですね。他の女性スタッフにそのあたりを言ってもらおうとも考えたのですが、問題が体に関することだけにお願いするのも難しくて・・・。そうさん先生、何かいい方法はありませんかね?」

僕も正直言ってどんなアドバイスをしてあげればいいのかわかりませんでした。仕事はできるし、人柄も良い。今や職場では必要不可欠な人材なだけに、体に関することで無用な波風を立たせたくないという後輩の悩み。何か本人に角が立たないように伝える方法はないのでしょうか?難しい問題です。



2007年03月02日(金) 勘弁してほしい夜のスイーツ攻撃

僕の大学生時代、付き合っていた彼女がいました。彼女は見た目はスリムな方に入る女の子だったのですが、やせの大食いと言っては何ですが、よく食べよく飲む女の子でした。今と違い、僕もよく食べていた方ですが、野郎である僕に負けずと劣らず食欲旺盛ぶりでした。そんな彼女は大の甘党でもありました。さっきあれほどたくさん食べて満腹だったはずなのに、デザートとなると途端に食べだすのです。呆れ果てていた僕を尻目に
「甘いものは別腹なのよね」という彼女。
彼女には牛みたいに胃が二つはあるのではないかとしばしば感じたものです。

彼女だけではありませんが、女性は甘いものが好きな方が多いのではないでしょうか?食後、食間にスイーツを口にしないと生きていけないと言われる女性は少なくないはずです。以前、お菓子に税金をかけたらどうだろうかいうことを日記に書いたことがありましたが、何人かの女性の読者から“絶対反対!”とのコメントもらいました。女性のスイーツ好きを改めて感じたものです。

甘党ですが、何も女性だけのものではありません。確実に男性の甘党も存在します。
昨今、”男が甘党で何が悪い!”をキャッチフレーズに元横綱大乃国の芝田山親方が出しているスイーツ本がひそかにブームになっているのだとか。男の甘党の肩身の狭さを打破するような動きになるのかもしれません。

男の甘党ということで真っ先に思い出すのが、地元歯科医師会の先輩であるY先生。
先日来、Y先生の歯科医師会での仕事の打ち合わせのために、僕は何度かY先生の診療所を訪問する機会がありました。診療所を訪問する時間帯はいつも診療が終わってからの時間帯。具体的には夜8時以降という時間帯です。Y先生は”僕はもう年だから夜遅くまでは働かないよ”ということなのですが、僕の方はそういうわけもいかず、診療が終わってからその先生の診療所を訪問することになります。

夜8時以降の時間帯は非常に気兼ねする時間帯です。夜8時を過ぎるとさすがの少食の僕も腹が空いてしまいます。かといって空腹のままとなるとY先生に食事をご馳走にならざるをえなくなります。僕は診療が終わり次第、直ちに掻き入れるように夕食を食べ、Y先生の診療所に行くのです。

一方、Y先生ですが、僕のことを気にかけ
「そうさん、お腹は空いていないか?」と尋ねてくれます。
僕は家で食べてきたことをいつも答えるのですが、それだったらということで、いつも出されるのがスイーツ。ある時はロールケーキ、ある時はシュークリーム、ある時はイチゴのショートケーキ、ある時はプリン。
どのスイーツもジャンボサイズです。僕は恐縮しながらも食べざるをえません。ところが、先輩先生は大の甘党です。

「わしは歯医者でありながら甘い物には目がないんだ」と
大きなお腹を叩きながら豪快に笑われます。

「夜に甘い物を食べるからな、完全にメタボリックシンドロームというわけやね」
と顔を紅潮させながら笑う先輩先生。血圧が高いのもさもありなんといったところでしょうか。ただし、

「歯だけはね、歯医者だから完全に磨いているよ」
ご自慢の歯を見せられる先輩先生。確かにメタボリックな体とは異なり歯や歯肉の状態は健康そのものです。

正直に告白しますと、夜遅くの時間帯に甘党のY先生に付き合わされるつらいです。打ち合わせの始まる前にスイーツ、途中の休憩時にスイーツ、帰宅間際にスイーツ。わずか2〜3時間の深夜の時間間に甘いものを食べなくてはならないのです。かといってY先生は先輩ですから断るわけにも行かず、僕も食べざるをえません。少食の僕にとっては拷問にも近いものがあります。胃の中がもたれるのは、いつもY先生の診療所を訪問した翌朝です。本当は遠慮すべきところは遠慮すべきところなのでしょうけど、僕自身の優柔不断さもあり、夜のスイーツに付き合わざるをえません。

Y先生、専門分野に関する真摯な取り組みに僕は大いに学ぶところがあり、主張される言葉には説得力があります。心から尊敬できる先輩の一人なのですけども、夜のスイーツ攻撃だけは、勘弁して下さい!



2007年03月01日(木) 病室に市長が来られます・・・

今日から3月ですね。2月はあっという間に終わってしまったような気がします。この勢いで3月もいつの間にか過ぎていくのでしょうか?あっ、カレンダーをめくらなくてはいけないなあ・・・。

昨日のことです。お袋が友人の入院先へ見舞いに行ってきました。その友人はお袋の大学時代の友人だそうで、これまで病気一つしてこなかったとのこと。そんな友人が突然倒れ、救急車で病院に担ぎ込まれたというのです。幸い、命に別状は無く、軽症だったそうですが、連絡を受けたお袋は早速見舞いに出かけたのです。その時に起きたハプニングをお袋は話してくれました。


「○○さん(お袋の友人のこと)どうだった?」
「今まで病気らしいものをしたことがなかった人だからショックだろうと思っていたけど、実際は思っていた以上に元気にしていた。こちらとしても一安心よ。」
「入院先はどんな病院だった?」
「もっと騒々しいところを想像していたんだけど、落ち着いたところだったよ。中のスタッフも評判がいいみたいで、○○さんなんて『このままここに居ついちゃおか!』なんて冗談を言っていたぐらいだからね。」

「そうそう、○○さんと話をしていると、看護師さんの一人が部屋にやって来たのよ。○○さんの検温かなと思っていると、『あとでこちらに市長さんが参ります』て言うのよね。○○さんと私はびっくりしたわけ。市長さんってどういうこと?○○さんに『あなたいつの間に政治の世界に関係していたわけ?』と尋ねたら『市長さんとは一面識もないわよ』っていう話。今年は地方選挙がある影響からかもしれないなあと思ったけど、確か市長選挙は去年あったばかり。一面識もない人のために市長が来る理由がわからなかったわけ。」
「結局、市長は来たの?」
「市長さんは来たわよ。ドアを“コンコン”と叩く音が聴こえてドアを開けられると市長さんが入ってきたわよ。女性だった。しかも白衣を着てね。」
「もしかして、その市長って・・・」
「そのとおり、市長じゃなくて“師長”だったのよ。最近は看護婦と言わずに看護師って言うでしょう。病院の看護師の総責任者である看護婦長も看護師長って言うようになったらしいのよ。そこで、病院の中では看護師長のことを略して“師長”と言うならわしになっていたのよ。病院のスタッフの人にとっては当たり前かもしれないけど、私たちにとってはびっくりするよね。“しちょう”と言われれば真っ先にイメージするのは“市長”だもの。“師長”さんが病室を退室してから、私たち笑ったわ。何だかワープロソフトの誤変換みたいな大ボケねって。」


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