歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2006年10月31日(火) あちらのお客様からです その2

今回の僕が話を伺った女性の中で、実際にバーで何度も見ず知らずの男性から酒をプレゼントされたことがあるというこの方からは非常に具体的な話を教えてもらいました。この方の話が全ての女性客に当てはまるとは限りませんが、なかなか男性からお酒をもらい慣れている女性の本音を知ることができないだけに、ご本人のお許しを得てこの方のコメントを紹介したいと思います。

この方は、バーで酒をプレゼントしてくる男性は年代により異なった対応するのだそうです。
相手が自分よりも若い男性の場合には、必ずバーテンダーに酒がバーテンダーから直接渡されたものであるかどうかを確認するそうです。若い男性の場合には、プレゼントする酒の入っているグラスに薬を盛るような奴らが少なからずいるそうで、酒のプレゼントが一種の悪戯目的である可能性があるので危険なのだとか。もし、バーテンダーから直接渡されたものであることが確認された場合には、相手に軽くグラスを掲げて合図をし、帰りにお礼を言うのだそうです。

相手が自分と同年代のような男性の場合、自分が知らない酒である場合があるので、その場合はバーテンダーにレシピを尋ねるのだとか。あまりにも強い酒が入っているような場合には、相手に対しやんわりと断りを入れるのだそうです。酒が飲めるような場合には、相手に対し「ありがとう」と言い、帰りにもお礼を言うのだとか。

一番好感が持てるのは、自分が飲んでいるカクテルと同じもの、あるいは着ている服と同じ色のカクテルを持ってきてくれる場合だそうで、相手が自分より一回り以上年配の男性が多いのだとか。
こういった男性は遊び慣れた中年老年紳士がほとんどだそうで、あまり心配をせず、近くの席に移っていろいろと話をすることもあるのだとか。相手もその場の話相手として紳士的に対応してくれるのだそうで、帰り際には自分の会計も全て支払ってくれるそうです。

この方の経験では、このようなことをきっかけに交際が始まるということはほとんどなかったそうで、あくまでもその場を楽しむための演出に過ぎないという考えだそうです。
“何せ薄暗い照明のバーではお互いが素敵に見える”という言葉で閉められていたコメントは非常に意味がある言葉だと思いました。


彼女のコメントは、僕が予想していたとおり、全く見ず知らずの女性にお酒をプレゼントする行為は、奥が深い芸当であることを意味するものでした。女性とバーの雰囲気に調和した気配りと雰囲気作りに徹することができる、そんな余裕がある男しか相手にしてもらえないのです。一種の男と女の大人のゲームと言えるのです。若い輩が街中でナンパと称して気軽に声をかける行為とはレベルが違うのです。そのことをわかっていない男性は、例えバーでお酒をプレゼントしても相手にしてもらえないのです。
そのことをわかっていなかった僕の後輩は、美女にお酒をプレゼントはしてみたものの、御礼の言葉はあれど、その後の展開は全く何もなかったと肩を落としておりました。人生経験を積んでいない僕の後輩はこの手のテクニックを使うには早すぎたということが言えるでしょう。


さて、

「そうさんはバーで女性に酒をプレゼントしたことはあるのか?」

と問われると、その答えは「ノー」です。なぜなら、元来僕自身が奥手であるということもありますが、女性に何かしらの物をプレゼントするのは、やはり女性と話をし、ある程度の情報を得てからでないとできない性質だからです。
その一方、僕はむしろ逆の状況を経験したことがあります。すなわち、バーで全く見ず知らずの女性から酒をプレゼントされたことがあるのです。


あれは今から10年以上前のことでした。友人の結婚披露宴に参加した後、一緒に参加していた同級生と3人でとあるバーに飲みに行ったのです。野郎3人でバーで酒を飲んでいると突然、バーテンダーがグラスに入ったシャンパンを持ってきたのです。僕らが頼んでいたのはいずれもウィスキーだったものですからこれは何かの間違いではないかと思い、バーテンダーに尋ねたところ、

「これはあちらのお客様からです。」

振り返ると同じカウンターの隅の方に一人の女性が座っていました。年端は50歳ぐらいの女性だったでしょうか。小柄ながらもおしゃれな着こなしをしていた女性客はどこかの会社のオーナーといった感じでした。僕らがきょとんとしていた光景を見たのでしょうか、その女性客は軽くウィンクをしながら、関西弁のしゃがれ声で

「兄ちゃん、びっくりしたかもしれんけど、ワシからのプレゼントや。遠慮無しに飲んでや。何も変なものとちゃうからな。」

僕たちは戸惑いながらもプレゼントされたシャンパンを頂きました。その後、その女性客との会話はありませんでした。どうもその女性客はバーの常連のようで、バーテンダーをずっと話をしていたからです。
30分ほど時間が経過した頃、その女性客はおもむろに立ち上がり、店を出て行こうとしました。僕らはその女性客のところへ行き、お礼を言ったのですが

「兄ちゃんら、あの酒はあくまでもワシからのプレゼントからな。ワシがあんたらを気に入ったからプレゼントしたんやで。せやから、くれぐれもあの酒代を自分で払うなんて思ったらあかんでえ。こう見えてもなあ、ワシはあんたらよりは金ぎょうさん(ぎょうさんとは関西弁で“多く、たくさん”の意味)もっているんやからな。こういう時は遠慮無しにもらうもんや。」と店を出て行きました。

女性客の勢いに圧倒され、皆酔いが覚めてしまったそうさん一行。落ち着いて酒を飲むという雰囲気がどこかへ吹き飛んでしまった感じでした。

後にも先にもバーで女性から酒をプレゼントされたのはこれだけです。世の中、男に酒をプレゼントできる女性がいるとは全く知らなかっただけに、今では良い人生勉強をさせてもらったと、その女性客に感謝しています。

それにしても、女性が男性に酒をプレゼントするような場合って、こんなに色気もへったくれもないものなのでしょうか?そうではないことを信じたい・・・。



2006年10月30日(月) あちらのお客様からです その1

先日、ある歯科関係の会合で大学時代の知人、後輩と会う機会がありました。某所での会合で会ったのですが、彼らと10年以上会っていなかったということで、食事でもしながら話をしようということになりました。久しぶりに出会ったということで、いろんな話が出ました。歯科業界の話からそれぞれの近況のこと。最近、凝っていること、悩んでいることなど話に華が咲きました。
話が佳境に入った時、後輩の一人があることを切り出したのです。

「最近、友人の結婚披露宴に出席したんです。結婚披露宴が終わってから何となく飲みたりないなあと思ったもので、行きつけのバーに一人で行ったんですね。そのバーのカウンターの席で飲んでいたら、ある一人の女性が店にやってきて、僕と同じカウンターの端の方の席に座って酒を注文したんですよ。この女性が今までに見たことがない美人の女性で、僕は思わず見とれてしまったわけなんです。しばらくちらちらと様子を見ていたんですが、誰かと待ち合わせているというわけでもなく、一人で飲んでいるみたいでした。そこで、僕はバーのバーテンダーに頼んであるカクテルをその女性のところへ持っていくように頼んだんですよ。言うまでもなく、カクテルは僕もちです。どんな反応をするかなあって思ったら、ちらっとこちらの方を見て微笑みながら会釈してくれたんですよ。」

30歳代後半にして独身の後輩の話に、我々家庭持ちのおじん達は思わず彼の話に聞き耳を立ててしまいました。バーでの偶然の出会いが後輩の独身生活に終止符を打つのか見ものだったからです。果たして結果は、

「結局のところ、それだけでしたよ。ハッハッハ。女性の方が先に店を出て行ったのですが、お礼だけ言わただけでね。先輩たちが期待しているような方向に話は発展しませんでしたよ。残念でしたね。なかなかドラマのような話にはならないものです。」


この手の話、僕はこれまで何度か聞いたことがあります。バーにお酒を飲みにきた女性が自らの好みの女性である場合、声を掛ける前にお酒をプレゼントし、こちらに関心を惹きつけ、あわよくば女性と近づき、話をする。あわよくば、お付き合いができれば・・・という展開を期待している話のようなのです。
しかしながら、この手の行為は非常に高度なテクニックだと思います。何せ相手は美人とはいえ、全く見ず知らずの女性です。バーに何の目的で来たのかさえ定かではありません。単にお酒が好きなだけなのか、ストレス発散のためにやってきたのか、誰かと待ち合わせのためにやってきたのか、わからない状況。どんな人間関係があるのかはっきりしません。場合によっては相当危ない人間関係を持っている可能性さえあるのです。しかも、お酒をプレゼントするわけですからその女性がどんなお酒が好みかもわかりません。
女性について何の情報も得ていない状況でいきなりお酒をプレゼントするわけです。単にお酒をプレゼントするだけならそれでもいいでしょう。男がバーで見ず知らずの女性にお酒をプレゼントするということは、それ以外の目的を前提としている行為のはずです。如何に自分に関心をもってもらうかという点において、このお酒をプレゼントする行為というのは相当繊細に、かつ大胆な行為だと言えるはずです。一種の大人のナンパと言っても過言ではありません。

このような男からの行為ですが、女性は一体どのように感じるものなのでしょう?今回の日記を書くにあたり、僕は何人かの女性有志から意見を聞いてみました。
その結果、非常に興味ぶかい共通点があることに気がつきました。それは、全く見ず知らずの男性からお酒をプレゼントしてもらうという行為自体は決して嫌なことではないということです。たとえ見ず知らずの男が自分の好みではなくてもです。自分のために酒をごちそうしてくれる行為そのものは、女性としてのプライドをくすぐるようなところがあるようなのです。
ただし、その後の展開となると話は違ってくるようです。口説くための行為ということになると、やはり相当警戒してしまう意見が多数を占めました。まして、その後の付き合いとなるようなことはほとんどないということだったのです。

さて、今回話を伺った女性の中にかなり具体的なことを教えてくれた方がいらっしゃいました。この方の話と僕自身の経験談について書くつもりではいるのですが、話が長くなるので続きは明日へ。



2006年10月27日(金) 突然の失踪

皆さんご存知だとは思いますが、歯科医院では患者さんの入れ歯や差し歯、詰め物をセットします。これら入れ歯、差し歯、詰め物のことを歯科技工物と呼びます。この歯科技工物、今では歯医者が作ることはほとんどありません。歯型を取り、模型を作り、設計をした後、歯科技工物の製作を依頼します。これら歯科技工物を専門に作る人を歯科技工士といいます。

歯科医院では自らの歯科医院に歯科技工士をスタッフとして採用しているところもあるのですが、多くの歯科医院では歯科技工士を雇うことをせず、歯科技工所と呼ばれる製作所へ依頼しています。
うちの歯科医院でもお世話になっている歯科技工所があります。かれこれ30年以上の付き合いのF歯科技工所なのですが、先代の歯科技工所の所長さんが数年前に脳梗塞で倒れてからは、先代の娘婿であるYさんが所長を引き継ぎ、仕事をしていました。
うちの歯科医院の診療日には、F歯科技工所の所員の一人である歯科技工士O君が訪問し、うちの歯科医院でお願いする患者さんの歯科技工物の製作をお願いしていたのです。

先月のことでした。O君がいつものようにうちの歯科医院にやってきました。僕はいつものようにO君に挨拶をし、患者さんの歯科技工物の製作をお願いしました。一通り説明が終わった後、O君は僕にあることを切り出したのです。

「先生、しゃれになりませんよ!」

いつも明るいO君が妙に深刻そうな顔つきになって僕に言うのです。一体何事だろうと思い、話を聞くと

「Yさんが突然行方をくらましました。」

僕はO君の言った意味がわかりませんでした。

「それどういうこと?」
「Yさんが突如いなくなったんです。失踪したんですよ。」

O君曰く、Yさんは先月末の週末の夕方、誰にも何も言わずF歯科技工所を外出したまま、帰ってこないのだとか。Yさんの奥さんや子供、先代の所長さんに行く先も告げず、突然、いなくなったのだそうです。
Yさんが突然いなくなった日を考えてみると、僕はあることを思い出しました。

「その日といえば、夕方にうちの歯科医院にYさんが来たよ。『明日セット予定の入れ歯をO君が持っていくのを忘れたからもってきました』と言ってこられたよ。僕自身、『ぎりぎり間に合ってほっとしましたよ』なんてことを言っていた記憶があるくらいだから、間違いないよ。そうすると、その時Yさんは失踪する途中だったかもしれないなあ。その後Yさんからは連絡はないの?」
「全くないんですよ。週末だったので『日曜日や週明けには何らかのコンタクトがあるんじゃないか』と、先代の所長や奥さんが言っていたんですが、全くないんです。Yさんの携帯電話に何度も連絡したんですけど音信普通です。Yさんの友人、知人にも事情を言って連絡したんですけど全く音沙汰無し。困ったのは僕らですよ。Yさんからは何の説明もなく、何の引継ぎもないまま放っておかれたんですから。おかげで、残ったスタッフでいつも世話になっている歯科医院へ行って頭を下げまくりです。ある歯科医院では『信頼関係につながる』と言われ、かなりお叱りも受けました。まったくこちらが悪いのでただただ頭を下げるだけですよ。」

O君曰く、以前からF歯科技工所での仕事中、Yさんは何かとぼやくことが多かったそうですが、別段とりたてて深刻そうなには見えなかったのだとか。
実際のところ、Yさんには人には言えない仕事面の悩み、あるいは、何らかの家庭的な問題、先代所長さんとの確執があったのかもしれません。少なくとも、Yさん自身が失踪し、行方をくらましたことは事実です。どんな問題や原因があったにせよ、Yさんの失踪は結果的に多くの人に多大の迷惑を掛けたのです。

あれからほぼ1ヶ月。Yさんからはいまだ何の連絡もないのだとか。幸い、うちの歯科医院では担当のO君がしっかりと対応してくれているので、何も問題がなく、今後もこれまでと同じように仕事を依頼したいことは伝えました。O君はお礼の言葉言った後

「僕はYさんみたいに逃げませんから!」

と力強く言ってうちの歯科医院を出て行きました。

「頼りにしているよ!」

自分の歯科技工所の所長の突然の失踪で何かと対応が大変なO君。いろいろと大変だろうとは思うけど、僕は彼の頑張りを応援してやりたいという気持ちで一杯でした。



2006年10月26日(木) 決してお金では得られないもの

昨日、うちの歯科医院は休診日だったのですが、僕自身は休みではなく一日中動いておりました。午前中は某専門学校での講義、そして、午後からは学校歯科医を勤めている地元小学校での就学時検診があったのです。

実は、午前中の某専門学校での講義は今回が最終回でした。4月から中旬から夏休みをはさみ、今日まで続いた19回の講義。単に講義だけをするならいいのですが、講義には準備がつきものです。講義のため、週末はいつも準備をしていたといっても過言ではありませんでした。
しかも、僕が担当していた科目は、年々刻々と変化する項目が多く、教科書に書かれていることが必ずしも最新の情報ではないことがしばしばでした。そのため、教科書に書かれていたことを一つ一つ確認する作業は予想以上に手間取りました。正直言って、厄介なことを引き受けたものだと思うのも後の祭り。四苦八苦しながら準備をし、講義を行っていたのです。講義だけではなく、レポートの点検や前期試験の作成、採点などもあり、診療の合間に行う仕事としては結構きついものがありました。
そんな講義が昨日をもって終了しました。我ながら試行錯誤で行ってきた講義でしたが、今年度の講義がこれで終わるかと思うと、どこかしら寂しい気持ちが出てきたのは不思議なものです。
そんな中、授業終了後、僕は学生から呼び止められました。

「先生、今日が先生の講義の最後なのでクラス全員で写真を撮りますよ。」

何でも、卒業アルバム用に講義の最後には学生と先生が一同に集まって記念写真を撮るのが某専門学校の慣習なんだとか。僕が真ん中に座り、学生が集まり記念写真を撮ってしまいました。僕の隣に座っていた女子学生は皆一様にピースポーズを取りながらの写真撮影。何ともほんわかとした写真撮影でした。

記念写真を撮ってから講義室を後にしようとすると、ある学生が声を掛けてくれました。

「先生、どうも有難う!」

思わずこみ上げてくるものを感じた、歯医者そうさん。


ほっとしたのも束の間、午後からは地元小学校で就学時検診がありました。ご存知の方も多いとは思いますが、学校保健法で翌年の4月に小学校へ進学する子供は前年の11月末日までに体の検診をうけないといけない決まりがあります。検診の項目の中には歯科に関する項目があり、学校歯科医はむし歯の有無とその他の異常項目を調べ、保護者へ勧告する義務があるのです。今回の就学時検診は、昨年よりも受検者数が少なくなったため1時間半あまりで終了。特に何事もなく終わったなあと思い、地元小学校を後にしようとすると、養護の先生から呼び止められました。

「先生に授業をして頂いた生徒が先生にお礼の手紙を書いたのですけど、その手紙をお渡しします。本来ならもっと早くお渡しするべきだったのですが、遅くなってしまい申し訳ありませんでした。」

夏休み前、僕は地元小学校で低学年を対象に歯の特別授業をは行いました。そのことは以前の日記に書いたのですが、その授業を聞いていた生徒たちが僕に感想とお礼の言葉を書いていてくれていたのです。おそらく、担任や養護の先生が書くよう指導したのだと思いますが、帰宅して生徒全員が書いた文書を読んでみると、非常に温かいものを感じざるを得ませんでした。小学校の生徒たちですから非常につたない文字で書いてはいるのですが、自分が感じたことを正直に書いてくれ、僕に感謝の言葉を書いてくれているのです。


某専門学校の講義にせよ、地元小学校での特別授業にせよ、僕の診療所の治療とは関係がないのですが、僕が診療の合間をぬって準備し、講義、授業をしたことに対し、反応を示してくれる。しかも、最後には感謝の気持ちを表してくれた。

この半年間、何かと忙しく、時には体調を崩し、寝込んでしまうようなこともありましたけど、僕が診療以外にやっていたことは決して無駄ではなかった。人様に対し何か通じたものがあった。僕のような何のとりえも無い、下らない人間が少しは人様のお役に立てた。それだけでも僕が生きている価値はある。


昨日は、決してお金で得られないものを与えてもらった貴重な一日でした。



2006年10月25日(水) お近づきの印に

これまで何度も書いていることですが、僕の仕事は患者さんの口の中、歯の悪いところを治療することです。毎日、患者さんの口の中を見ているわけですが、悲しい性でしょうか、治療ではない日常生活においても他の人の口元に視線が行ってしまいます。

「あれ、前歯が欠けている」
「あの人の前歯は高額な自費の被せ歯だなあ」
「全体的に歯が擦り切れている」
「前歯が変色して汚れている」
「詰め物が取れかかっている」
「口の中が乾燥しているなあ」
「歯肉が腫れている」
「歯並びが乱れているなあ」
などなど。

テレビなどに映っている有名人も直ぐに口元に目がいきます。

例えば、
高島礼子は上の前歯6本はメタルボンド冠と呼ばれ高額な被せ歯である
とか、
安倍総理夫人の前歯はレジン前装冠と呼ばれる保険治療の前歯が使われているが、色調や歯肉との調和が取れていない
なんてことを言ったりします。

そんな僕ですが、通常、他の人の口元を見て感じたことは相手には言いません。歯医者稼業をしている者からすれば、口の中というのは見慣れているものですが、一般の方からすれば、口の中は見られて非常に恥ずかしいもの。いくら歯医者だとは言え、面と向かって相手の歯のことを指摘するのは、礼儀にに反すると思うからです。

但し、相手との間柄が親密になってきた場合、相手の口の中に何か問題があることを発見した際、僕は状況によって伝えるようにしています。このまま放置しておくとあまりよくないように思えるような場合は特にそうします。伝え方としては、相手に気持ちの余裕がありそうな時で周囲の人がいない時に、口頭で伝えるか後日、メールや電話で伝えたりします。
あくまでも僕が他人の口元を見て相手に伝えるのはお互いの親交が深まり、打ち解けた相手が対象であるということが言えるでしょう。

こんなことを書くと、誰も僕と会いたくなくなるかもしれませんね。
全くもって自分は嫌な野郎だと思う、歯医者そうさんです。



2006年10月24日(火) 肝心なことを忘れた日

昨日は週明けの月曜日だったわけですが、僕の周囲には肝心なもの忘れることが連続して起こった1日でありました。

まずは朝の出来事。
上のチビは某小学校の二年生。上のチビは最寄の駅から小学校のある駅まで電車通学をしています。小学校は我が家の最寄の駅から一駅離れた所に位置しています。我が家では、いつも嫁さんが上のチビを車で最寄の駅まで送っていきます。その理由は、通学時間帯に我が家から最寄の駅まで行くバスがないからです。それだけ我が家が不便な山間田園地帯にあるという証拠でもあるのですが。
昨日の朝、上のチビは嫁さんの車に乗り込み、元気に小学校へ出かけていきました。僕は嫁さんの車を見送った僕は家の中に入ったのですが、入るや否や一本の電話がかかってきました。

“こんな朝早くから何事だろう?“
と受話器を上げると、電話は嫁さんからでした。

「○○ちゃん(上のチビのことです)がランドセルを忘れたから玄関先まで持っていってくれる。」

台所に行ってみると確かに上のチビのランドセルが置いてありました。上のチビは肝心のランドセルを持たずに学校へ行ってしまっていたのです。
ランドセルを持って玄関先へ向かうと直ちに嫁さんの車が帰ってきました。ランドセルを直ちに嫁さんの車へ持って行ったところ、いつも生意気な上のチビもさすがに恥ずかしそうな姿で苦笑いしておりました。


話は変わって、午前の診療時。入れ歯の調整予定であった患者Yさんが診療室へ入ってきました。Yさんは開口一番

「先生、申し訳ないんですけど、今日ね、自分の入れ歯を持ってくるのを忘れました。実は今朝は歯医者の予約がないものとばかり思っていたんです。ところが、予定表で確認したところ、今日あることがわかって、急いで身支度して出てきたんですが、肝心の入れ歯を忘れてしまいました。」

本来昨日は入れ歯の治療の予定だったので入れ歯無しでは治療が進みません。結局のところ、この日は治療を受けなかったことにして、別の日に予約を取り直してもらうことにしたのです。


上のチビといい、Yさんといい、肝心なものを忘れる人が多いものだなあと思いながら治療をしていると診療所に一本の電話が入りました。電話は地元歯科医師会の上司の一人であるK先生からでした。

「そうさん、わかっているとは思うけど、先週からお願いしていたレポートはどうなった?期限は今日までだよ。」

僕は思わず“えっ”と驚きました。数週間前にK先生から依頼されていた件だったのですが、今に至るまで僕の記憶の中から消えていました。完璧に忘れていたのです。そのことを思い出したのです。言い訳はできませんでした。僕は仕方なく診療の合間の昼休み中にレポートを書き上げ、K先生の下へメールを送り、何とか事を繕うことができましたが、実にあわただしく過ごした診療の合間の時間帯でした。


周囲だけではなく自分自身も肝心なこと忘れるということは、どこか集中力が散漫な、気が抜けている雰囲気が自分や自分の周囲に満ち溢れているかもしれません。こういった時に何か大きなミスをしでかしたりする可能性が高いもの。今一度気を引き締め、慎重に事を進めるようにしていかないといけないと固く誓った歯医者そうさんでした。



2006年10月23日(月) ある元教師の本音

昨今、いじめに関する報道が多くなされている今日この頃。生徒が自殺した原因が周囲からのいじめであったり、きっかけが教師の何気ない言葉であったりといろいろと取沙汰されています。学校長や教育委員会に隠蔽体質があるだの、文部科学省の教育行政の問題が一気に噴出したのと言われているのですが、どうも今回の一連の報道を見ていると、何か偏った報道がされているように思えてなりません。そのような違和感の一つに現場で教育を行っている教師の人の意見が報じられる機会が少ないからではないかと思う今日この頃。

実は、僕の嫁さんは結婚まで某公立中学校で教師をしていました。何年か担任としてクラスを持っていたのですが、僕との結婚を機に寿退職したのです。そんな教師OGである嫁さんと昨今のいじめ問題の話をしていると興味深いことを言ってくれました。

「教師をしていた時、問題を起す生徒を何度も指導するんだけど、そんな生徒に限ってうまくいかないことが多いのよ。不謹慎なのは承知の上だけど、時々、『どうして自分の子供でもない、問題児の面倒をみてやらないといけないのだろう?』と自問自答する時があったよ。」

僕はこれこそが現場に立っている教師の本音の一つではないかと思うのです。自分が誠心誠意生徒指導を行った。ある時は厳しく、ある時は二人ひざを交えて話し込み、保護者と連絡を取り合い、時間外に家庭訪問もする。そんな努力をしているにも関わらず、問題を起す生徒は自分の行為を踏みにじるかのように問題を繰り返し、裏切る。また、保護者と相談しようにも保護者と話が通じない。聞く耳をもっていない。むしろ、逆切れされ自分が攻められる。その一方で、学校には様々な雑用や行事、研究授業の準備等々がある。そんな労働に対する対価としての給料は決して高いとは言えない。
嫁さんが言うには、自分自身が教師を勤めている時にも数人の同僚が休職、退職をしていったというのです。中には自ら命を絶った先生もいたのだとか。嫁さん自身もそんなストレスに悩まされていた一人で、結婚後は全く教師として現場に立つつもりはなかったのだそうです。

この話はたった一人の元教師の話です。たった一人の元教師の言うことが全てであるとは言えません。教師も千差万別、いろんな意見を持っている人がいるはずです。実際に現場に立っている教師は立派に生徒指導を行い、実績をあげている教師も少なくないでしょう。ただ、嫁さんが言っていたことは少なくともマスコミ報道では知ることができない本音であり、現場で苦しんできた人として非常に説得力がありました。

最近、安倍総理の肝いりで教育再生会議なども立ち上がっていますが、メンバー17人の人選を見て驚きました。以下がその人選です。

浅利慶太(劇団四季代表)
池田守男(資生堂相談役)=座長代理
海老名香葉子(エッセイスト)
小野元之(日本学術振興会理事長)
陰山英男(立命館小副校長)
葛西敬之(JR東海会長)
門川大作(京都市教育長)
川勝平太(国際日本文化研究センター教授)
小谷実可子(日本オリンピック委員会理事)
小宮山宏(東大総長)
品川裕香(教育ジャーナリスト)
白石真澄(東洋大教授)
張富士夫(トヨタ自動車会長)
中嶋嶺雄(国際教養大学長)
野依良治(理化学研究所理事長)=座長
義家弘介(横浜市教育委員)
渡辺美樹(ワタミ社長)

メンバーの中に現場の教師が極端に少ないように思えます。ノーベル賞化学者や元オリンピック選手、劇団代表が悪いとは言いませんが、少なくとも現在の教育の現場を肌で感じている人だとは到底思えません。そんなメンバーが教育再生のことをきちんと考え、適切な処方箋を出すことができるのでしょうか?安倍総理は教育基本法改正を含め、教育改革を積極的に進めていきたい考えのようですが、教育には日本の未来がかかっています。もっと現場の教師の声を積極的に耳にしない限り、教育改革は絵に描いた餅に過ぎなくなってしまいます。僕は日本の将来を非常に危惧しています。



2006年10月20日(金) なが〜い目で見て下さい

先週末、僕は某所で学会に行ってきました。 全国規模の大きな学会だったのですが、その会場である人に出会いました。その人とは歯科衛生士のOさん。Oさんと僕は旧知の仲で、お互いに気心の知れた間柄。 再開したのは数年ぶりでしたので、しばらくお互いに話しこんでしまいました。

Oさんは僕と同い年の歯科衛生士。歯科衛生士になって20年になるベテランです。普通、歯科衛生士の仕事を長年やり続けていると、惰性で仕事をこなしている場合が多いのですが、Oさんはいつも患者さんにとって自分が何をすることがベストかということを考え、実践している歯科衛生士です。ベテランの域に達した立場になった今でも自分の興味ある講演会や講習会には積極的に参加し、勉強しているOさん。僕は歯科に対する彼女の情熱、真摯な姿勢が好きで、彼女と話をするのが非常に楽しみだったのです。

会話が弾んでいた中、Oさんはふとこんなことを漏らしました。

「実は、今回の学会は私は勤務先の歯科医院の診療のお休みを頂いて来たのですけど、私が担当している患者さんをキャリアの浅い勤務医の先生にお願いしてきたんですよ。ところが、その勤務医の先生に任せて大丈夫かどうか不安で仕方がないんですよ。」

Oさんの心配、僕には手に取るようにわかりました。 なぜなら、僕にもOさんが言う勤務医のような立場であった時があったからです。

僕が某病院の歯科研修医になった時、正直言って技術的には何もできませんでした。全てが見よう見まねの状態であったと言っても過言ではないくらいでした。
点滴の針を血管の中に入れようとしても2度、3度失敗する。その一方、看護師は1度で入れてしまう。
また、歯型を取ろうとすると2度、3度失敗するが、歯科衛生士は1回で見事に取ってしまう。
などなど、周囲の医療スタッフの技術が新人研修医であった僕を上回っている時期があったのです。新人研修医は自分の医療技術の未熟さを実感するもの。その一方、周囲の医療スタッフは新人研修医を見る目は冷たいものがあるものです。

”こんな基本的なことがどうしてできないの?”
”患者さんを実験台にしてどうするの?”

そんなニュアンスを含んだ視線が新人研修医に降り注ぐのです。
ところが、医療現場では医師を頂点としたピラミッド型の医療体制です。いくら新人研修医であったとしても、技術が未熟であったとしても、新人研修医も医師なのです。周囲の医療スタッフは文句を言いたくても正面きってなかなか言えない立場でもあるのです。そこに医療スタッフのジレンマがあります。そのジレンマが新人研修医に注がれる冷たい視線につながるわけです。
新人研修医は馬鹿ではありません。冷たい視線、雰囲気というものを肌で感じ、何だか自分の居場所がないようなプレッシャーを感じるものなのです。僕もそんな冷たい視線を受けてきました。新人研修医はその視線に耐え、なにくそと思い、自己研鑽に励んではじめて確かな医療技術を会得することができるもの。医師、歯科医師が一度は通らなければならない、つらい道の一過程なのです。

旧知の歯科衛生士Oさんの嘆きは非常に良く理解できるのですが、彼女に僕が言いたかったことは唯一つでした。

キャリアの浅い勤務医は、どうか寛大な心で

なが〜い目で見て下さい。



2006年10月19日(木) 産科大学 小児科大学

奈良県で行ったこの事件、いろいろと考えさせられる問題です。
このような事件が起こった背景は、ここに詳しく載っていますが、この問題の本質に迫ってみると、特定の科の専門医の数が不足しているという事実が浮かび上がってきます。医師の数は現在全国各地に26万人以上いるはずで、決して少なくはずなのですが、労働条件の過酷さなどから、特定の科の専門医のなり手が限られているのが現状です。
それでは、どうすれば、特定の科の専門医を充実させることができるでしょう?いろいろと意見はあると思いますが、歯医者である僕が愚考するに、歯科を参考にしてはどうかと思うのです。

本来、医科の一分野であった歯科は、他の医科とは異なり独自に発展してきました。法律も歯科医師法という法律が存在するくらいです。歯科医を専門に養成する歯科大学、歯学部を全国に作ることにより、かつて足りないと言われていた歯科医師は一気にその数が増え、今や過剰となり歯科医師の淘汰が始まっているぐらいです。これはこれでもんだいではあるのですが・・・・。

それはともかく、全国の大学医学部や医科大学では医師を養成していますが、医学も専門分化が進み定着している事実を考えると、産科大学、小児科大学といったような医学の中の特定の分野の専門医を養成するような大学制度、資格制度を考えてもいいのではないかと思うのです。現在の医師法では、一端医師免許を取得すればどんな科を選択しようが自由なのですが、実態は、医師は最終的に内科医、外科医といったように専門が決まってしまいます。内科医が皮膚疾患を治療するようなことはないのが実情です。それであれば、大学入学時点から医学専門分野を特化した教育カリキュラムを組み、その専門分野だけのエキスパートを養成すれば、特定科の医師不足問題は解消されるとはいかないまでも改善に向かうのではないかと思うのです。

特化した専門医教育を受けた者には専門医免許が交付され、専門家として臨床の場に立つ。このような考えは簡単に実現するものではないでしょう。医師法の改正が必須です。場合によっては新たな法律が必要になってくるかもしれません。
また、現在の卒後臨床研修は特定科に偏らない幅広い医学知識、技術の習得を目的としていますから、専門科に特化した大学というのはこういった流れにも反するかもしれません。既存の大学医学部、医科大学との兼ね合いの問題も生じてくることでしょう。また、何よりも資金の問題が生じてくることでしょう。しかしながら、医師が特定の専門科に集中する傾向が続くならば、いっそうのこと歯科のように、医科においても専門科に特化した大学を作り、確実にその科の専門医を確保できる方法を考えることは無駄ではないと思うのです。
如何なものでしょう?

単なる歯科医師のたわごとですが。



2006年10月18日(水) 前医を批判しない理由

歯科稼業をしていると様々な人から相談を受けることがあるわけですが、中には他の歯科医院での治療に対する相談を受けることもあります。聞いていると明らかに自分がかかっていた歯科医院に対する不信感を募らせた上で、治療に対する不満、治療費の妥当性、前医の人間性などを言われるのです。どちらかというと苦情です。

この苦情に対し、僕が必ず心がけていることがあります。 それは前医の批判をしないことです。 相談者はいろんな経緯があってか、自分がかかっていた前医に不満を持っているようなのです。歯は誰もが親から与えてもらった大切な臓器の一つ。その歯をないがしろにされた、信頼していたのに裏切られたという気持ちから不満を聞いてほしいという気持ちがあります。 相談者の話を聞いていると、確かに相談者が被害者で、前医が悪者であるように思えます。

ところが、これだけで前医が全面的に悪いかということになると、それは言えないと思うのです。なぜなら、前医自身の言い分を聞いていないため、客観的に判断することができないからです。

日頃、歯の治療をしていると患者さんには必ず主訴と呼ばれるものがあります。歯が痛い、しみる、浮いた感じがするといったものから、入れ歯が割れた、歯肉が腫れている、歯が折れたなどなど多種多様です。これら主訴は必ず聞いた上で、歯医者は自分の目で患者さんの口の中がどのようになっているかを確かめます。そして、必要ならレントゲンなどの検査を行い、何が本当の原因かを探します。
興味深いことに、患者さんが訴えている主訴と実際の原因が異なっていることがしばしばあるものなのです。
例えば、歯と歯の間に物がはさまって仕方がないから詰まらないようにして欲しいという場合があったとします。このような場合、歯の境目にむし歯ができている場合が多いのですが、患者さんにそのことを伝えると意外そうな表情をされることが多いのです。自分の感じていた違和感と真の原因にギャップがあるからです。実際にむし歯を治して経過をみてもらうと、歯と歯の間に物がつまらないようになった。患者さんに確認すると

「歯の境目にむし歯があっとは思いも寄りませんでした」
と答えられるものなのです。

また、明らかに治療をしていないようなケースの場合でも敢えて行わなかったこともあるのです。
例えば、根っこの治療が必要なのにしていなかったようなケースがあったとします。患者とすれば、どうして放置したままなんだろうと思うケースでも、前医からすれば、無理して根っこの治療をすると歯が割れてしまうリスクがある。そのことを考えると敢えて治療せず、経過観察をする必要があると判断していた。このような事情を知らず、勝手に前医の批判をしてしまうことはあってはならないことだと思います。

同じ前医の批判をするなら、裁判官のように患者さんの訴えと前医の処置内容を冷静に検討した上で判断し、批判するべきは批判することが筋ではないかと思うのです。
僕は患者さんを決してないがしろにするわけではありません。また、医療側を弁護するわけでもありませんが、患者さんからの情報だけで判断をすることは結局のところ、患者さんにも医療側にも益するところがないと考えます。

僕が前医を批判しない、批判できない理由は、前医の治療方針、事情を知らずして批判することができないからなのです。



2006年10月17日(火) 歯の治療を異常に怖がる理由

以前、患者さんを治療していてつくづく患者さんとのコミュニケーションが大切だと感じたことがいくつもありました。今日はそんな経験の一つを書きたいと思います。

むし歯ができたので診て欲しいということでうちの診療所を訪れたのはHちゃん。5歳の女の子でお母さんに連れられてやってきました。お母さんは数ヶ月前からHちゃんの奥歯に穴らしきものが開いていることに気がついていたそうなのですが、仕事の関係でなかなか歯医者に行くことができず、今に至ったとのこと。どうもむし歯である可能性が高いので、治療をして欲しいということだったのです。

そのHちゃんですが、待合室で待っている間から何やら不機嫌そうで、時折泣き声が響き渡っているのが診療室にも聞こえてきました。

“次の患者さんはちょいと厄介そうだなあ”

と思っているうちにHちゃんの診療の番となりました。
診療室に入ってきたHちゃんはお母さんにしがみついていました。目には涙が一杯溢れていました。今にも泣き出しそうです。お母さんに尋ねてみると、Hちゃんは生まれて初めての歯医者、しかも、歯医者に来院するまでの車で寝ていたそうで、寝起きだったのです。ストレスと機嫌の悪さで非常にナイーブになっていたようなのでした。

こういった小さなお子さんの患者さんの場合、一度子供を歯医者嫌いにさせない工夫が必要です。ポイントは無理やり治療を進ませないということ。いくらむし歯が深いからといって嫌がっている子供の患者さんに対し強引に治療を行うと、その場は何となってもその後の治療に支障が生じます。嫌なことは子供は非常によく覚えているものです。小さな子供相手であったとしても、少しずつ歯の治療が怖くないことをわからせること、そして、来るたびに何か新しいことを我慢するように努力目標を立てることなどが必要となります。何の説明もなしにいきなり治療を行うのが一番よくないことです。これは子供だけでなく大人でも言えることですが。

今回のHちゃんの場合、いきなりの治療は無理だと判断しました。Hちゃんはとにかく診療台の上に乗り、仰向けに寝ることをできるように目標を立てました。その後、使用する器具を順番に見せ、触らせ、顔に触れさせ、口の中に入れさせというように慣れさせる。そして、タイミングを計って治療を行うようにしました。

通常は何度かこのようなことをやっているうちに子供慣れてくるものですが、Hちゃんの場合、ある関門がありました。それは、歯を削るタービンと呼ばれる切削器具を使用する時でした。あの“キィ〜ン”という高音を発する器具です。口の中に入れず目の前で見せるまではよかったのですが、フットスイッチを押していざタービンを動かすと、尋常でない怖がり方をするのです。
初診時には器具に慣れていないせいだろうと思っていたのですが、その後数回の来院時の治療でも一向に慣れません。タービンを口の中に入れさせるところまではうまくいくのですが、切削用バーをつけずにタービンを動かすだけでも怖がるのです。まだ、タービンを歯に接触させてもいません。仕方なく、僕は手用器具で丹念に辛抱強くむし歯の治療を行うようにしていったのですが、Hちゃんがどうしてタービンに慣れないかわからないでいました。
そんな中、何回かの治療が終わった際、Hちゃんのお母さんと話をしていると、あることを言われたのです。

「先生、この子は大きな音にすごく敏感な子でして、大きな音を出すものを受け付けないのですよ。風呂から上がった後、ヘアドライアーか髪の毛を乾かそうとしてもヘアドライアーの音を嫌がって受け付けてくれないのです。それでいつも自然乾燥させてしまうんです。」

なるほど。Hちゃんがタービンを極度に嫌がる理由がわかりました。Hちゃん本人や家族のことも尋ね、僕はなぞが解けたような気がしました。それは、Hちゃん自身、弱視傾向にあるという事実でした。そのため、同世代の子供に比べ音に敏感なことが想像できました。タービンのような高音を発する器具ではなお更で、異常に怖がってしまうのです。 これらのことは治療を行いながらもお母さんといろいろと話をしていて初めてわかったことであって、上面だけでは決してわからないことでした。

患者さんの治療を行うには患者さんとの密な意思疎通が欠かせませんが、今更ながらその大切さを実感したHちゃんの治療でした。




2006年10月16日(月) 歯医者がマスクをする理由

僕が歯医者であることを打ち明けると必ず言われることの一つに

”良い歯医者って知りませんか?”

というのがあります。歯医者に通いたいのだけれども歯医者の数が多いので選択するのに苦労をする。どんな歯医者を選べばいいのかわからない。そんな悩みを持っている方が意外と多いものです。
この質問ですが、正直言って、非常に答えにくい質問なのです。なぜなら、”良い”という意味が人によって異なるからです。一言”良い”といっても非常に幅広く、曖昧なニュアンスがあるのです。

そんな”良い”ですが、”良い”という意味を僕なりに想像すれば

・治療技術が高いこと
・治療の説明をしっかりとしてくれること
・患者の話をよく聴いてくれること
・先生、スタッフの言葉使いが丁寧なこと
・治療費が手ごろであること
・スタッフの対応が良いこと
・通院しやすい場所にある
・予約時間に遅れることなく治療してくれること
・診療所の設備がきれい、整っている、こぎれい、バリアーフリーであること
・器具の滅菌が行き届いていること
・先生の人柄が良いこと
・予防に熱心な歯科医院であること
・痛くない治療をすること
等々、あるのではないでしょうか?これら”良い”といわれることに共通していることと言えば、強いて言うと

自分の体を安心して任せられる

ということになるのではないかと思うのです。


以前、歯医者でない知人と話をしているとこんなことを
言われたことがあります。

”専門のことは専門家が一番良く知っている。ということは、良い歯医者は医者が一番良く知っているはず。それなら、歯医者の主治医である歯医者を教えてもらったらいいじゃないか?”

なかなか鋭い指摘だと思いました。
歯のことを専門にしている歯医者であるなら、歯医者の表裏も知っているに違いない。それならば、歯医者が診てもらっている主治医を紹介してもらうのが一番確実ではないか?
確かに一理あると思うのですが、それでは歯医者がどんな歯医者に診てもらっているのでしょう?その実態とは?

意外に思われるかもしれませんが、歯医者は互いがどんな診療をしているかわからないことが多いのです。自分が勤務していた診療所の先生ぐらいなら他の歯医者の知識、技量、診療姿勢、診療体制などわかるものです。
ところが、歯医者同士の付き合いとなると、表面的な付き合いであることが多いのです。かくいう僕もそうです。地元歯科医師会などで付き合いのある先生は数多くありますが、そんな先生方がどんな診療をしているかが知らないのです。実際のところはお互いに話をしていると、その内容から歯医者がどんな治療をしているのか想像できることもありますが、実態を知る機会が非常に少ないのです。
結局のところ、自分が信頼できる歯医者の主治医を見つけられないまま、自分の歯を放置してしまっている歯医者が意外と多いのです。

僕の周囲を見渡しても、
・歯の欠けたまま放置している先生
・歯周病がひどく口臭がする先生
・歯が抜けたままの先生
・むし歯を放置している先生・・・・

医者の不養生そのものです。

器用な先生は自分の歯を自分で治していると言っている先生もいますが、自分の口を自分で治すというのは視野の関係で非常に難しく、確実性に欠ける場合が多いのです。

ほとんどの歯医者は診療中、マスクを着用していますが歯医者が歯科医院でマスクをつけている理由は、

”自分の歯のひどさを患者さんに見せたくない!”
ということかもしれません・・・・。


誤解のないようにしてほしいのですが、全ての歯医者が自らの歯が悪くはないということを最後に書いておきます。




2006年10月13日(金) 現金に目がくらむ

先週末の夜、我が家では心配していたことがありました。それは、親父がなかなか帰ってこなかったからです。その日、親父は関東方面へ日帰りの公用があったのですが、

「夜9時ごろには戻る」
と言い残して出かけたのです。ところが、夜10時を過ぎても連絡がありません。

”一体何があったのだろう?”

我が家ではかなり心配したのです。親父が携帯電話を持っているのであれば直ぐにでも連絡したかったのですが、残念ながら携帯電話というものを持っていない親父に連絡をとることは不可能でした。

”もう少ししたら知人の先生に連絡してみようか?”

そんなことを言っていると電話が鳴りました。電話は親父からで、我が家でもほっと胸をなでおろしたのですが、どうして遅くなったのか理由を尋ねてみると

「羽田発7時の飛行機に乗ったんだけど、天候不良でなかなか伊丹空港に着陸できなかったんだ。どうも旋回飛行しているなあと思っているうちにアナウンスがあったんだ。『天候不良のため関西空港へ着陸することになりました』。ということで、今関西空港へ着いたばかりなんだよ。」

大阪空港(伊丹空港)に着陸すべき飛行機が天候不良のため旋回飛行を繰り返していた。しかも、着陸時間との関係もあったようで(大阪空港では夜9時を超えると原則として飛行機の離着陸ができなくなる)急遽着陸先を関西国際空港に変更したのだそうです。

関西方面の方からはわかりにくいかもしれませんが、大阪空港と関西国際空港はかなり距離が離れています。大阪空港は大阪府と兵庫県にまたがったところに位置しているのですが、関西国際空港は大阪府の南部の海上沖にあります。大阪空港と関西国際空港は車で約70分走らなければならないくらいの距離あります。電車だと約1時間40分ぐらいです。大阪空港から比較的近くにある我が家にとって、関西国際空港はかなりの遠方になるのです。

結局、親父は深夜の0時過ぎに我が家に帰ってきました。75歳の親父にはかなり体力的に大変だったと思うのですが、意外に元気そうにしていました。親父曰く

「機内で行き先が伊丹空港から関西国際空港へ変更になるアナウンスがあったんだけど、着陸してから乗客全員に3000円の現金が配られたんだよ。だいたい、関西国際空港から大阪市内へ行くことができるくらいの現金だな。飛行機の中には400人くらいいたはずだから合計すれば120万円の現金が配れたことになるなあ。」

いくら天候不良という不可抗力なことが原因だったとはいえ、着陸地変更のために飛行機会社が乗客に支払ったお金はかなりの金額です。思わぬ支出といわざるをえませんが、どうも航空会社には遅延や着陸地変更の場合、何らかの基準があって、その基準に触れる場合には乗客に現金を支給したり、場合によっては臨時に宿泊先を提供したりする場合もあるようなのです。一種の保険のようなものなのかもしれません。多くの乗客を一気に目的地へ運ぶ飛行機です。まさかの時にはとんでもない被害が及ぶこと、そして、その後の保障が大変なことを考えると、今回のような着陸地変更に支給された現金というのはまだ安いのかもしれません。また、乗客が飛行機会社に対して持つ印象も違ったものになるでしょう。実際に疲れきっていたはずの親父があまり不服そうに見えなかったのは、飛行機会社から現金をもらっていたかもしれません。

人間というもの、多くの人が現金に目がくらむものです。飛行機会社はそのことをよく知り抜いているのだなあと感じた、歯医者そうさんでした。



2006年10月12日(木) なぜ僕だけが??

僕は歯科医院の院長であると同時に地元歯科医師会の会員でもあります。診療の合間に地元歯科医師会の仕事を行っているわけですが、本業は患者さんの診療です。常に地元歯科医師会の仕事に集中できるわけではありません。このことは地元歯科医師会に所属する全ての歯医者にも言えることです。一方、地元歯科医師会の仕事は各種多様なものがあり、いつ何時どんな連絡があるかわかりません。そのため、地元歯科医師会では事務局に選任の事務員を1人、パートの事務員を2人配置し、地元歯科医師会の事務の仕事をしてもらっています。

地元歯科医師会の事務局の仕事ですが、僕自身何度も事務局で仕事をしたことがあるのでわかるのですが、息つく暇もないくらい忙しいものです。絶えず問い合わせや依頼の電話やファックス、メールが送られてきます。それらを瞬時に適切に処理しなければなりません。微妙な判断は上司である地元歯科医師会の幹部役員にお伺いをたてないといけません。何よりも神経を使う仕事の一つは歯科医師会会員への情報伝達でしょう。保険診療情報の変更や各種講演会、例会の案内、そして、地元歯科医師会が委託されている各種検診事業に参加する担当医のへの通知、連絡です。

普段、診療の合間に地元歯科医師会の仕事を行っている歯医者は、地元歯科医師会の仕事をつい忘れがちなところがあります。そんな歯医者の先生の注意を促ため、地元歯科医師会では各担当の先生に事前に仕事があることを電話やファックスで連絡してくれるのです。何とも至れり尽くせりの事のように思うかもしれませんが、地元歯科医師会にとってはリスク管理の一つなのです。地元歯科医師会の仕事を担当する先生のミスは全て地元歯科医師会の評判に跳ね返ってきます。たった一人のミスが組織全体の評価につながる。これはどんな会社、組織においても言えることですが、歯科医師会という組織も例外ではありません。普段患者さんの治療を行っている合間に歯科医師会の仕事を行っている歯医者であればなおさらで、自分ではそのつもりがなくても、つい大切な地元歯科医師会の仕事を忘れてしまい、多方面に迷惑をかけてしまう可能性があるのです。

このように地元歯科医師会の事務局の仕事は、地元歯科医師会に所属する歯医者にとって必要不可欠なものなのですが、彼ら、彼女らも人間です。ミスというものもあるものです。実は、先日地元歯科医師会の事務局の事務員は連続して2回ミスをしてしまいました。しかも、そのミスの対象は僕だったのです。

先週、地元歯科医師会が行っている事業の一つに地元市民を対象に行う歯科相談という事業がありました。これは、地元市民を対象に歯や口の健康についての悩み、相談を地元歯科医師会に所属する歯医者が答える事業で、無料で行っています。この事業は既に何十年も行っている事業の一つで地元行政の広報誌に掲載されていることもあり、常に予約が詰まっているぐらい人気のある事業なのです。
先週、この歯科相談の担当が僕だったのでした。僕自身、久しぶりの歯科相談の担当でしたのであらかじめ注意はしていたのですが、事前にあるはずの事務局からの連絡が全くなかったのです。不安になった僕は、歯科相談前日に事務局に問い合わせの連絡をしたところ、

「あっ!先生、大変申し訳ありませんでした。私たちが先生へ連絡しなければなかったところ、連絡をすることを忘れていました。」

それから数日後の夜のこと。僕は地元歯科医師会の事務局へ出向きました。その際、歯科医師会の来月予定が書かれたホワイトボードを確認したのです。
"確か、来月に僕はある歯科医師会の仕事の当番にあたっていたはずだ"と記憶していたからです。ところが、そのホワイトボードには僕の仕事の当番であるはずの日に僕の名前が書かれていませんでした。僕は自分の予定表を確認したのですが、予定表には当番日の記載があったのです。
"僕が知らないうちに当番からはずれたのだろうか?"
そう思った僕は翌日事務局へ電話をかけ確認しました。返って来た返事は

「先生、重ね重ね申し訳ありません。こちらがホワイトボードに書かないといけない先生の当番日を書き漏らしていました。それにしても、どうして先生ばかりご迷惑をかけるようなことをしてしまったのでしょう?申し訳の言葉もないくらいです。」

事務局の事務員も人間です。ミスがあるのは仕方のないことだと思います。
しかも、普段の事務員の忙しそうな仕事ぶりを何度も見ている僕は、ミスをしてしまった事務員を責めることはできませんでした。たまたま連続したミスを犯した対象が僕であったのだろうと信じています。
事務員に話を聞いてみると、最近、対処が難しいことが連続して続いていたとのこと。そのため、集中力が散漫になることがあったようなのです。
確かに事務員の言うことは一理あると思います。誰しもあまりにも切羽詰ったり、時間に追われていたりするとケアレスミスを犯してしまいがちです。けれども、一度ミスを犯してしまうと取り返しのつかないことに発展する可能性もあります。

結局のところ、多くの人が指摘しているように、ミスを防止するには小さなケアレスミスを犯した時点で原因をしっかりと分析し、今後二度とこのようなミスを起さないように具体的対策を立てることしか方法はないのではないでしょう。今回の場合、地元歯科医師会の事務員のミスを連続して被ったのは僕でした。正直言って決して気持ちの良いものではありませんが、ミスを責めるよりは互いによく話をして今後ミスを起さないよう、何を注意すればよいか検討する方が得策のように思えました。ミスをした人を責めるのは簡単ですが、お互い人間同士。持ちつ持たれつの関係です。自分が常に完璧ならいいのですが、少なくとも僕はそうではありません。僕自身、いつ何時ミスを犯すかわかりません。相手のミスは他山の石として自分の問題として考え。そして、相手のミスには感情を抑えながら冷静に対処する。そんな積み重ねが人間関係の信頼につながり、いざ自分がミスを犯してもさりげなくカバーしてくれる人間関係を築くことになるのではないか?

気持ちの余裕をもつことは非常に大切なことであることを感じた、歯医者そうさん。

非常に難しい課題ですが・・・。



2006年10月11日(水) 虫好き歯医者

先週、地元の歯科医師会で某大学の皮膚科の先生の講演会がありました。僕はその講演会を聴講したのですが、僕が座っていた隣の席にはY先生が座っていました。
Y先生は開口一番

「今日の講演をされる皮膚科の先生は歯科関係のアレルギーの講演をされるみたいですが、実はね、昆虫の皮膚疾患の治療でも有名な先生でもあるのですよ。」

僕は面食らいました。Y先生がどうして昆虫の皮膚疾患の専門家のことを知っていたのかわからなかったからです。そんな戸惑っていた僕を後ろの席に座っていたK先生が見ていたようで、僕に助け舟を出してくれました。

「そうさん、Y先生がいきなり昆虫の皮膚疾患のことを言い出して戸惑っただろう。Y先生の趣味を知らなければそうだろうね。実は、Y先生は無類の虫好きなんだよ。」

何でもY先生は幼少の頃から虫が大好きだったとのこと。一昔前、Y先生の家の近くはのどかな田園風景が広がっていたとのこと。学校が終わり、家に帰るや否や虫取りケースを持って一目散に虫取りに出かけにいっていたそうです。その習慣が大人になってからも続いていたそうで、近隣の田園地帯、山間部のみならず、北は北海道から南は沖縄の離島まで足をのばし、虫集めに奔走しているのだとか。虫好きが高じて、Y先生は他の虫好きの同行の士で同人誌まで作ってしまったそうです。その同人誌に度々投稿していた虫好き仲間の一人が今回講演をした皮膚科の専門医だったのです。


「最近、僕も年を取ったせいか以前ほどパワーが無くなりましてね、しょっちゅう虫を取りに行くことはなくなりましたが、歯科の仕事をしていてストレスが溜まった時、虫取りをするとストレスなんてすっかり忘れてしまいますよ。」

「もしかしたら、先生の診療室には虫の標本が置いてあるんじゃないですか?」

「ええ。いくつかの昆虫の標本を飾っていますよ。今年の夏は久しぶりにカブトムシの標本を出しましたけどね。」

「カブトムシですか?小さなお子さんの患者さんは喜ぶんじゃないですか?歯の治療というよりもカブトムシ目当てで来院する子供の患者さんがいたりしませんか?」

「以前はそんな患者もいましたよ。いつまでもカブトムシやクワガタなどの標本を見続けて、なかなか治療に進めないなんて子供もいましたよ。今では、子供の患者そのものが少なくなりましたから、せっかくのカブトムシの標本も患者集めにはつながりませんけどね、ハッハッハ・・・・。」

虫の話をするY先生の姿は、普段のY先生からは想像できないくらい生き生きとした表情をされていたのが印象的でした。虫好きの少年がそのまま大きくなったようなY先生の姿は、実に微笑ましいものがありました。



2006年10月10日(火) 死の四重奏

最初に断っておきますが、今日のタイトルは有名な音楽のタイトルではありません。似たようなタイトルの曲名にシューベルトが作曲した“死と乙女”という名の弦楽四重奏曲がありますが、これとは全く関係ありません。

僕が某総合病院の歯科口腔外科で勤務していた時の話です。総合病院では各科が他科からの紹介の患者さんを治療することが多々あります。例えば、内科から外科、婦人科から泌尿器科、耳鼻科から皮膚科という感じです。歯科に対しても他科から紹介の患者さんがあるものです。僕自身、某総合病院の歯科口腔外科勤務時代にも他科からの紹介患者を多数診たものです。

そんな紹介患者さんの一人に循環器内科からの紹介患者Fさんがいました。Fさんは循環器内科の外来患者でした。何でも入院中、入れ歯が壊れ、放置していたということで入れ歯の修理をしてほしいと希望され、循環器内科から紹介があったのです。

Fさんは杖をつきながら歯科口腔外科の外来診療室にやってきました。杖をつきながらではありましたが、問診ではしっかりとした受け応えをされていました。その受け応えとは裏腹に、循環器内科からの紹介状を見て僕はびっくりしました。

Fさんはかつて多発性脳梗塞を起こし、脳外科にて手術を受けられていました。手術は幸い成功し、歩行困難の後遺症は残ったもののリハビリを続け、杖をついて歩けるようにまで回復していたようです。ところが、僕の元を受診された年に狭心症、ならびに左下肢閉塞性動脈硬化症を併発し、心臓と左足に循環障害が出るようになったとのこと。このまま放置すると心臓は心筋梗塞を起しかねず、左足は切断の危機に至ったのです。そこで、Fさんは冠動脈と左大腿膝窩動脈バイパス手術を受けたのです。その後、症状は安定し、通院できるようになるくらい回復していたようです。以前に脳梗塞に罹り、更に心臓や足の手術を受けたのにも関わらず歯科口腔外科外来に通院できるというFさんの運の強さというべきか、生命力の強さというものに感心した歯医者そうさん。ところが、Fさんには依然として生命の危機が存在していることを実感せざるをえない記載を見つけたのです。

その訳は、Fさんについていた病名にありました。

糖尿病、高血圧、高脂血症

糖尿病に関してはインシュリン注射を常時打たないと血糖値が管理できないところまで悪化していました。実際は管理困難な状態でした。
高血圧に関しては、作用の異なる3種類の降圧剤を一日に何錠も服用しないと血圧の管理ができない。
高脂血症についても同様で薬物療法を受けておられていました。
しかも、Fさんは手術を受けたにも関わらず立派な体格をしていました。肥満体型だったのです。

いくつもの疫学調査から糖尿病、高血圧、高脂血症、そして、肥満を持っている人は死亡する確率が非常に高くなることが言われています。医療業界では、糖尿病、高血圧、高脂血症、肥満の4つの要因を合わせ死の四重奏と呼ぶことがあります。Fさんはこの死の四重奏を見事に体現した患者さんだったのです。Fさんが脳梗塞や狭心症などを次々に罹った背景には死の四重奏と呼ばれる病気があったからなのです。これら死の四重奏は別名、生活習慣病とも呼ばれています。長年続けてきた栄養の偏った食習慣、アルコールの飲みすぎ、運動不足、喫煙といった生活習慣が体に悪影響を及ぼしたのです。生活習慣病の恐ろしいところは本人の自覚がない間に病状がどんどん進行するところです。そのため、何か病状が現れた時には既に病状がかなり進んでいることが多いのです。
Fさんも、脳梗塞を引き起こした時点でその背景に死の四重奏である、糖尿病、高血圧、高脂血症、肥満をはっきりと自覚し、治療を開始したのですが、病状の管理はなかなか難しく、後に狭心症を引き起こす結果となったのです。

幸い、歯科口腔外科を受診された理由は入れ歯の修理でした。入れ歯の修理であれば、抜歯や歯石除去といった出血を伴う処置ではないので体に負担をかけるリスクが格段に低いもの。僕はその場でFさんの入れ歯を修理しました。Fさんは入れ歯の修理具合に満足されていたようで、これで普段の食事が不自由なくできるようになると満足の表情を浮かべながら歯科の診療室を後にされました。

あれから10年以上経過しますが、Fさんはどうされているのでしょうか?死の四重奏のリスクを負ったFさんが今もどこかで元気に暮らしていることを祈るのみです。



2006年10月06日(金) 故障続きの愛車

我が家は都市部に近いとはいえ、郊外の山間部田園地帯にあります。そのため、交通の便が極度に不便で、移動には車が欠かせません。僕も家からの移動にはもっぱら自家用車を利用しています。僕の愛車は国産の某社のセダンタイプなのですが、この愛車、最近調子が芳しくありません。

最初の兆候は2ヶ月前でした。全く見ず知らずの場所へ車で移動しようとした時のことでした。僕の車にはカーナビがつけてあるのですが、カーナビのスイッチをオンにしたところ、カーナビが動きません。カーナビの画面には

”ディスクを読み込むことが出来ません”

という表示がでるだけで、何度もスイッチをオンオフをしてもうんともすんともいいません。とにかく、その場はてんやわんやしながら何とか目的地へたどり着くことができたのですが、実際にディーラーに持ち込んでみると、カーナビのディスクを読み取る本体に問題があり、修理に数万円かかるとのこと。試行錯誤の上、まだカーナビを使う機会が多いだろうという判断の元、カーナビを修理に出しました。

やっとカーナビが直ったと思いながら車を走らせていた時のことでした。時刻は夕暮れ時、そろそろライトをつけないといけないと思いながらライトのスイッチを入れたのです。当初は何も感じなかったのですが、外が徐々に暗くなるにつれ、僕は何やら違和感を感じざるをえませんでした。どうもいつも運転している夜の光景とは違う!この違和感の訳は程なくわかりました。車の右側を照らすライトが暗いのです。僕は車を止めて前のライトを見てみると、右側のライトの電球が切れ、ライトがついていないことに気が付きました。僕は直ちにライトの電球を交換してもらったのは言うまでもありませんでした。

さあ、カーナビも直った、ライトも無事つくようになったと思っていた矢先のことでした。僕の車を使って買い物に出かけていたお袋が家に戻ってきたのです。その際、お袋は僕にこう言ったのです。

「あんたの車、何か変やで。車を止めたらどうも硝煙のような臭いニオイがするで。」

僕が実際に確かめてみると、確かに車を動かしていると何やら硝煙のようなニオイがするのです。それだけではありません。車を停車させようとすると以前には感じられなかった振動、ノッキングが感じられたのです。エンジンに何かあったら大事です。直ちに点検に出したところ、エンジンの発火プラグの一つが全く作動しなくなっていたことが判明。修理の担当者曰く

「問題の発火プラグだけでなく、全ての発火プラグを交換した方がいいですよ。同じような症状が他の発火プラグで起きる可能性がありますから。」

ということで、エンジンの発火プラグを交換してもらった、歯医者そうさん。

僕の愛車は今年で7年目、走行距離は7万キロに達します。今年秋には車検を迎えているのですが、ここまでくると車の各パーツそのものにいろいろとガタがくる時期なのでしょうか最近、修理ばかりしているような気がしてなりません。修理費も馬鹿になりません。それなりの額に達しています。そろそろ新車に買い換えなければいけない時期なのかもしれませんが、諸事情により今は車を直ちに購入できません。もうしばらく今の車と付き合っていかなくてはなりません。

と書いていたところ、今日になって愛車車のクラクションを鳴らそうとしても鳴りにくくなっていることが判明。クラクションが鳴らないでは車の安全ばかりでなく、事故を避けように避けられないリスクが高くなります。

”またまた修理に出さないといけないのか”

と思うと憂鬱な気分満載になってしまう歯医者そうさんでした。



2006年10月05日(木) 南の島での歯科医院開業

昨日、自宅の郵便ボックスを開けてみると僕宛に一通の葉書が届いていました。その葉書にはこう書いてありました

○○島に引っ越しました
空と海の青さ、人のあたたかさにつつまれて
心豊かな暮らしができそうです。
一度遊びに来て下さい。


その下には手書きで

開業することになりました。12月の予定です。


葉書の送り主はM先生。M先生は僕が某大学の大学院時代、同じ研究室で世話になった先生の一人です。M先生は某大学の口腔外科学講座の先生だったのですが、忙しい臨床の合間に僕が所属していた研究室で学位の仕事をしていたのです。

M先生の初対面での印象は非常にぶっきらぼうとした感じで、とっつきにくい先生だなあという感じでした。けれども、実際に何回か話をしているうちに打ち解け、公私ともに世話になるようになった間柄になったのです。

僕が大学院を修了し、研究室を去ってからも付き合いは続きました。僕が大学院を修了後、間もなくM先生も学位を取得され、その後、某大学の口腔外科学講座から某大都市の病院の歯科口腔外科部長として派遣、赴任されたのです。その時のM先生はうれしさ一杯で、

「僕は一般の歯科治療はせずに口腔外科一本でいくよ!」

と声高らかに宣言されていたのが今でも昨日のことのように思い出されます。

そんなM先生だったのですが、大学の医局との折り合いが悪かったせいか、本人に何か問題があっとのかどうかわかりませんが、その後某病院の歯科口腔外科部長を交代させられ、いくつかの病院を転々とさせられていました。毎年僕の元に来る年賀状には“今年は○○病院です”とか“某大学へ呼び戻されました”などという直筆の文言が書かれていました。なかなか一定の場所で仕事ができないM先生は苦しいなあと思っていた矢先に届いたM先生からの葉書だったのです。

大学に残って仕事をしていてもポストがなく開業せざるをえない歯科医師が多いのですが、M先生もそんな悲哀を味わった一人といえるでしょう。大学や病院で仕事をしている歯医者にとって最後の選択肢が開業であるのが現実です。M先生も開業せざるをえない立場に追い込まれたのですが、それにしても開業先が○○島とはちと驚きました。日本本土よりも台湾の方が近いのではないかと思われる○○島。南の常夏ともいえる○○島で開業とは思い切ったことをしたなあというのが正直なところです。

歯科医師は過剰で今や都市部においては至るところに歯科医院が乱立する時代。多くの歯科医院と競合しそうな場所を避け、南の○○島で開業するというのは思い切った決断だったと思います。M先生のことですから、これまで様々なしがらみを立ち、リラックスした精神状態で歯科治療をしたいという思いもあったかもしれません。

○○島は本土とはかなり離れた島ですが、島の大きさとしてはそこそこ大きな島です。歯科医院を開業できるくらいのインフラ、人も住んでいそうです。むしろ、歯科医が少なく、歯の治療に苦慮している人が多いくらいかもしれません。子供さんの教育が問題かもしれませんが、いずれ本土の方へ進学するにしても、まだ小学生のお子さんの情操教育といった意味では長い目でみればプラスになるかもしれません。

M先生の○○島での開業がうまくいくように願って止みません。



2006年10月04日(水) 飯を食うために抜歯する

昨日、僕はある患者さんの歯を一度に多数抜歯しました。今回の場合の多数とは、10本以上の歯ということでした。

抜歯するにはそれなりの理由がありました。その患者さんの口の中は元々歯周病が進行し、動揺があった歯が多数ありました。その患者さんにはこれまで何回も歯周病治療を行ってはいたのですが、その甲斐無く、歯周病が徐々に進行していたのです。そのような状況の中、先月のことだったのですが、その患者さんは階段を下りる際、足を踏み外し転倒しました。その際、上顎と下顎が強く当たり、噛んでしまったのだとか。思わぬ転倒は歯周病が進行していた歯に大きなダメージを与えました。多くの歯の動揺が大きくなり、噛んで食事をすることができなくなってしまったのです。

実際に口の中を診てみると、残っていた歯はどれも今にも抜け落ちそうな状態でした。例えるなら薄皮一枚で持っていると言っていいような感じでした。レントゲン写真で確認してみると、本来歯の根っこの部分を支えている骨が全く無い状態の像が写っていました。残っていた歯の動揺が激しくなったせいで、この患者さんがこれまで装着していた部分入れ歯も装着することが不可能となり、満足に食事をすることもできなくなっていました。僕は患者さんの同意を得て、だめになった歯を抜歯し、直ちに、部分入れ歯に人工歯を追加したり、裏打ちを足したり、噛み合わせを調整しながら最終的に総入れ歯として使えるように改造したのです。

その日の診療終了後、僕は考え込んでしまいました。僕自身が行った行為事態は間違った行為ではありませんでした。患者さん自身、早く入れ歯を使って噛めるようにしてほしいという強い希望もありました。患者さんの健康状態を考慮しながら思い切って10本以上の動揺していた歯を抜歯し、部分入れ歯を総入れ歯に改造することで食事ができるような状態にすることは必要不可欠な行為でした。けれども、どうしようもなかった歯とはいえ、抜歯した歯は全て患者さんが親からもらった大切な臓器です。このことを思うと、一度に多数の歯を抜いたことに罪悪感みたいなものも感じざるをえなかったのです。

ある知人の歯科口腔外科医はいつも

「私は人様の歯を抜くことで飯を食っているんだ」

と口癖のように言っていました。知人の歯科口腔外科医は一般の歯科医よりも歯を抜く機会が多いもの。そんな知人の口から出た言葉には同じ業界人からみても説得力があります。僕も歯科医として歯を抜いてもいい立場ではあります。歯科医師免許のもと、歯医者は治療行為の一環として抜歯が許される職業人ではありますが、毎日患者さんの口の中を診ているとそのような意識が次第に無くなってくるのです。歯を抜くことが当たり前のような感覚になってくる、感覚が麻痺してくるのです。僕もそんな歯医者の一人でした。

今回の多数歯の抜歯は、僕に歯の抜歯の原点に立ち戻らせてくれたような気がしました。患者さんの飯が食えるように抜歯をしましたが、歯医者である僕は飯を食うために抜歯をしているという現実。患者さんの大切な臓器の一つである歯を抜歯することで生活させてもらっているという現実。

このことは決して忘れてはならない、肝に銘じていきたいと思う、今日この頃です。



2006年10月03日(火) ワシも泣きたいよ・・・

歯科医院にはいろんな患者さんが来院します。老若男女、様々な経歴、職業の方が来院されます。うちの歯科医院もそんな歯科医院の一つなのですが、来院される患者さんの中には治療を行うのに一苦労という患者さんがいるものです。

先日もそんな患者さんが来院しました。患者さんは診療室に入るなり、いきなり泣き叫ぶのです。

「ここにすわるの、いやだよおぉぉぉぉぉ・・・・・・・・・!」

問題の患者さんは5歳の患者さんでした。お母さんに連れられてやってきた患者さんRちゃん。Rちゃんは以前から奥歯にむし歯があることはわかっていたそうですが、お母さんの仕事の都合でなかなか歯科医院を受診することができず、今に至ったそうです。治療を行う前から、診療室に入るなり、大泣きです。

気持ちはわからないではありません。大人でさえ歯科医院というと遠慮したい場所の一つに挙げたい場所の一つです。歯科医院イコール怖い場所という先入観は多くの人が持っているものです。そんなイメージを少しでも払拭しようと僕ら業界人はそれなりに努力はしています。この”歯医者さんの一服”ホームページも歯医者に対するイメージ、印象を少しでも変えたいという気持ちがあって立ち上げたサイトであるわけですが・・・。

5歳の子供では、いくら治療前であっても何となく違和感を感じる子供もいます。いやむしろ多いかもしれません。その気持ちをダイレクトに歯医者に表現する場合もあります。歯科医院の診療室に入るなり大泣きし、診療を嫌がるのも無理はありません。

そんな場合、無理して診療をしようとしても仕方がありません。少しずつ歯医者の雰囲気に慣れるよう、気持ちの緊張を解くように仕向けるよう策を講じながら、タイミングを計って治療に進んでいくようにします。急がば回れといいますが、泣き叫ぶ子供を無理して強制的に行おうとすると、思わぬトラブルに巻き込まれたりして治療にリスクを伴います。また、変に心理的恐怖やトラウマを生じさせてもいけません。その後の治療に差支えがでてきます。場合によっては母子分離といって親御さんと子供を分けて治療を行うこともしたりします。

むしろ、症状を伴う子供の場合は意外と診療しやすいものです。このような場合、恐怖感があると言っても症状を何とかして欲しいという気持ちもあるもの。そこを突いて強引に治療に持ち込んでも意外と後は平気なことが多いものです。

今回のRちゃんの場合、どうも昼寝の後の寝起きということもあってか機嫌は最後まで直りませんでしたが、少なくとも診療台の上で寝てもらい、口の中を診るところまではさせてくれました。今回はそこまでとし、次回から様子を見ながら治療を進めていくことにしたのです。

Rちゃんの治療が終わった後、ある老人の患者さんTさんが診療室に入ってきました。開口一番、

「さっきの女の子、派手に泣いておったなあ。」

「歯医者は何となく気持ち悪いイメージがあるんでしょうねえ」

と答えると、Tさん苦笑いしながら一言

「そらそうだろうなあ、ワシも泣きたいよ・・・。」

歯科医院のイメージアップにはまだまだ時間がかかりそうです。



2006年10月02日(月) 主役は患者

雨が降りしきる昨日、僕は朝から某県某所である歯科関係の講演会を受講してきました。講演会のテーマは歯周病の治療と経過を歯医者が如何に管理するかどうかについてでした。 今や国民の8割以上が罹患している歯周病ですが、歯周病の治療の長期経過症例について3人の歯周病治療の有名な先生が講演をされていたのです。

僕は個人的に長期の経過症例の研究が好きです。その訳は、一度行った治療を何年もかけて経過を観察することにより、当初予想もしなかったことがわかり、それに対しどのような処置を施せばいいか見えてくるからです。当初の自分の知識、経験をフルに生かして治療を行ったとしても、時間の経過によってその治療がどのような変化が起こるか?患者さんの口の中でうまく機能しているのか?それとも、何らかのトラブルになるのか?これらの背景にはどういった事情が関与しているのか?などなど、長期間経過を見ていくことが当初行った歯科治療にフィードバックされ、将来的に歯科治療の進歩につながるからです。今回の講演会で取りあげられていた長期経過観察症例はいずれも15年以上のものばかりでした。

3人の先生のよる講演はそれぞれ特色のあるもので、どれも興味深かったのですが、その中でも特に目をひいたものがありました。それは某講師による30年以上の経過をおった症例でした。

今から30年以上前、某歯科医院を受診したのは30歳前半の塾の講師でした。歯磨き時、何本かの歯肉から血が出るということで来院されたそうなのですが、詳細に調べてみると口全体に歯周病が進行していることがわかったそうです。そこで、徹底的に歯磨き指導を行なった上で口全体に溜まっていた歯石を除去したところ、歯磨き時の歯の出血のみならず、歯周病の進行も抑えることができたとか。それから、その患者さんは定期検診にも応じ、経過を観察し、写真や検査記録を残していったそうです。

治療直後は歯磨きの状態も安定し、歯周病も再発せず落ち着いていたそうですが、初診から10年後ぐらいに定期検診を受けた時、担当医は歯肉の異常に気が付いたそうです。それまで問題なかった歯肉の一部がやや腫れ、歯磨き時の出血が再発したのだとか。歯磨き指導を再度行ったそうですが、一向に症状は改善せず、頭を悩ましていたところ、1年後ぐらいに突如、歯肉の腫れや歯磨き時の出血が無くなったのだそうです。その時、患者に問診を取ってみると、どうも塾に非常に手を焼く問題児がいたのだそうで、その問題児が最近になって自主的に退塾したのだとか。塾の講師の患者さんにとってこの問題児のことが相当ストレスになり、歯磨きまで気がまわらなかったのではなかったのだったそうです。

それから、5年経過したところ、歯肉の状態は以前にも比べ安定したのだとか。何気なく担当医が塾のことを尋ねたところ、返って来た返事は

「塾を辞め、某会社で事務員として勤務しています。」

その後も定期的に歯科医院の定期検診を受けていた元塾講師の患者さんだったのですが、数年前から歯肉の状態が一変したそうです。それまで完璧ともいえる口の中の衛生管理にほころびが出てきたようで、歯肉のいたるところが腫れ、これまで無かったむし歯も何本か生じる始末。明らかに患者本人による口腔衛生管理がうまくいっていないことがわかったそうですが、本人に確認しても

「理由がわからない」

そんな中、担当医は偶然、近所のスーパーでその患者の奥さんに会う機会があり、尋ねてみたところ、元塾講師の患者さんはパーキンソン病が発症したそうで、仕事も辞めざるをえなくなり、自宅で療養することが多くなったのだとか。それでも、歯医者だけは定期検診に行くと言っていたそうで、担当医は思わず目頭が熱くなったそうです。

担当医も何とか元塾講師の口の中の状態を改善しようと、患者が来院されるごとに治療に工夫を加えたり、往診も行うようにもなったそうですが、結果的にほとんどの歯が無くなり、現在総義歯をはめざるをえなくなったそうなのです。

このような症例は示唆に富んだことがいくつもあると思いますが、歯の健康はいくら頭でわかっていてもストレスや全身の健康状態によって左右されるものであり、自己管理できないといくら歯医者が頑張っても歯の健康を維持することができない。歯医者はあくまでも患者が歯の健康が大切であることを気付かせ、自己管理できるようお手伝いすることしかできないのではないかということを問いかけていたように思います。

上記のことは僕自身の拙い経験でも何となく気が付いていたことではありますが、30年以上同じ患者さんの経過を追った症例報告は実に説得力があるもので、僕自身いろいろと考えさせられた講演でした。


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