歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2006年06月30日(金) 血は水よりも濃し

皆さんも何度も経験していることだと思うのですが、自分と両親を知っている知人から

「お父さんと顔が似ているねえ」

「お母さんに生き写しみたいだ」

などなど言われたことがあると思います。かくいう、僕自身も母親に似ていると言われたことは数知れず、結婚して二人の子供ができてからは僕にそっくりだと言われることはしばしばです。自分自身では全く意識していなくても、周囲から見れば明らかに親子だとわかるというのは遺伝のなせる業としか言いようがないかもしれません。

普段、人様の口の中を治療している僕の経験では、親子の顔形、口や歯の状態は似ていることが多いように思います。以前にも書いたことですが、嫁さんと嫁さんのお母さん、兄さんの口は本当によく似ています。これまで3人の口の中を治療したことがあるのですが、3人とも、

「口角をはさみで切ってしまったらもっと楽に治療できるのになあ!」

と思わずぼやいてしまいたいくらい小さなおちょぼ口をしているのです。3人が親子であることを痛烈に感じる証拠でもあるわけです。

先日、ある患者さんの親子が来院しました。二人ともむし歯があり、治療を行う過程で二人とも歯型を取りました。歯型をもとに石膏模型を作り、比較してみると、その歯型があまりにも似ていることに驚きを感じざるをえませんでした。顎の大きさといい、歯の形といい、咬み合わせといい、歯並びといい、全てが何か複製の模型を見ているような錯覚に陥りました。更に驚いたのは、二人とも治療対象になっている歯が同じだったことです。当初、僕は二人の関係をあまり意識せずに治療を行っていたのですが、並行して二人の歯型の模型を作り、治療計画を検討していると気がついたのです。二人とも全く同じ歯がむし歯になり、同じ修復処置を行う予定であることを。僕自身、これまで親子で治療する歯まで同じであることはあまり経験がなかっただけに、偶然の一致といえばそこまでの話であることは重々承知しているつもりです。それにしても、口や歯が似ているだけでなく、むし歯になるタイミングや治療方法まで同じだということになると、何か偶然以上の物を感じざるをえなくなりました。

血は水よりも濃しといいますが、歯やむし歯まで同じである親子の間柄、血というものは相当濃いものがあると感じた次第。あまりにも似ている二人の歯型模型を見て生命の神秘みたいなものさえ感じた、歯医者そうさんでした。



2006年06月29日(木) 葬式だったはずでは・・・

結局のところ、昨日は諸事情により日記をアップすることができませんでした。たまっていたメールやBBSの書き込み、メッセージに対してレスをすることはできたのですが・・・・。

申し訳ありません。ひらにご容赦の程を。

歯科医院を経営している歯医者であれば誰しも悩むことの一つに予約患者さんのキャンセルがあります。事前に連絡がある場合はまだいいのですが、予約日に、しかも、直前になっても何の連絡もなしに患者さんが来院しないというのは対応に苦慮します。単に来院が遅れているだけなのか?それとも、何か事情があって連絡することができずにキャンセルしてしまっているのか?単に予約を忘れてしまっているのか?次の時間帯の予約の患者さんとの兼ね合いを探りながら予約の調整をするのは思っている以上に大変です。これら予約患者さんの日程調整、管理は受付の仕事なのですが、急患の患者さんの対応も含め、受付の仕事はなかなかに難しい仕事であることが言えます。

うちの歯科医院では、予約時間になっても来院しない患者さんに対して、必ず電話で確認するようにしています。予約時間を過ぎても来院する意思があるのか確かめたり、前後の予約患者の状態によっては別の日に予約変更をお願いすることもあります。

先日も朝一番の予約の患者Hさんが来院しませんでした。うちの診療所の受付さんは早速Hさん宅へ電話を入れたところ、どうしても来院することができないと返事があったとのこと。その訳は何でも近所で急に葬式が入り、葬式の手伝いをしなければならなくなったのだったとか。Hさんの住んでいるところはうちの周囲と同様、昔ながらの隣保制度が存続している所で、近所で不幸があった場合、近所同士が手伝い、葬式を行う習慣があるのです。不幸というもの、誰もいつ起こるか予想もつかないもの。Hさんが予約時間になっても姿を現さなかったのも仕方が無いことだなあと思いながら、次の患者さんを待たざるをえませんでした。

その日の午後のことでした。Yさんという患者さんが来院されました。Yさんは長年うちの診療所に通って来られている患者さんの一人なのですが、何気なしにYさんのカルテを見てみると、Yさんのお住まいは朝一番にキャンセルをしたHさんの近所だったのです。僕は何気なくYさんに尋ねてみました。

「Yさんのご近所で何か不幸事でもありませんでした?」

Yさん曰く

「何ですか、それは?そんなもの、最近ありませんで。」

僕はなるほどと思いました。Hさんはキャンセルの理由を偽っていたのです。

おそらくHさんはうちの診療所の朝一番の予約をすっかり忘れてしまっていたのです。いつもどおり朝の時間帯を過ごしているとうちの診療所からの予約確認の電話で予約のことを思い出したのでしょう。そこで、とっさに口から”近所で葬式が入った”とうそを言ってしまったものだと思われました。葬式は誰も予想がつかない時に起こるもの。ドタキャンの理由としては説得力のあり、自分の不始末をごまかせるものでもあったので思わず口からでまかせを言ってしまったのだと思いました。

それにしても、自分が言った葬式がものの見事に近所の人によってうそがばれてしまうとは、さすがのHさんも予想がつかなかったことだと思います。

まあ、それほど害のないうそだけに、とやかく口やかましく言う必要もありません。自分ではうまくごまかしていたつもりでも、思わぬところから綻びは出るものだなあと改めて感じた、歯医者そうさんでした。



2006年06月28日(水) 取り急ぎ御礼まで

昨日の日記の末尾で、歯痛と出産痛の両方を経験したことがある女性の方からの体験を教えて欲しいと僕がお願いをしたところ、僕の予想を超える数の女性の方からメールやBBSに書き込みを頂きました。僕自身、決して経験することができない出産痛、陣痛についてわかりやすい例え話で解説して頂いた経験者の方からの体験談は僕にとって興味深く、迫力さえ感じました。何だか出産痛、陣痛と歯痛がどちらが痛いかと疑問に感じたこと自体愚問のように思えてならないくらいでした。僕の問いかけに答えて下さった皆さんには後で個別にレスを差し上げるつもりですが、取り急ぎこの場を借りて御礼申し上げます。



2006年06月27日(火) 歯痛と出産痛 どちらが痛い?

歯痛で来院する患者さんがよく訴える言葉の一つに

”我慢したくても我慢できないくらい痛かった”というものがあります。

一見すると如何にも屈強そうな男性の患者さんがむし歯による歯痛に耐えることができずに来院されたこともありました。我慢強さでは自信があったものの、持続性の歯痛に夜も眠ることができなかったと吐露される患者さんもいました。ある日、突如として歯に穴が空いたものの放置していると徐々に痛みが出現し、時間の経過とともに頻度と強度が増し仕事に身が入らなくなった、歯痛に正露丸が効くと効いたのでむし歯に正露丸を詰めてみたもののかえって痛みがひどくなった等々、一度起こった歯痛に耐え切れず、歯医者に駆け込んでこられる患者さんは後を絶ちません。

そもそも、痛みというものは体の異常を知らせる警告信号のようなものです。歯に痛みを感じるということは歯に異常があることを体が知らせてくれている、よく出来た体のメカニズムの一つなのですが、それにしても歯痛は通常の体の痛みとは異なり、強烈な痛みに多くの人が苦しんでいるのが現状です。そのような耐え切れない苦痛を取り除くために治療をし、その結果、後日歯痛がなくなり、患者さんが安堵の表情を浮かべる姿というのはいつ見ても印象的です。

ところで、耐え切れない痛みとして僕が思い浮かぶのが出産痛です。

僕は男なので出産痛を経験したことはありませんし、今後も経験することは絶対にありません。女性においても自然分娩の出産を経験した人でしか実感としてわからないものですが、この出産痛というのも相当痛い痛みのようですね。

嫁さん曰く、

「今まで経験したことがないような強烈な痛みで、出産ということでなければ気絶していたかもしれない」という痛みだそうです。

おそらく、家内以外の自然分娩を経験した女性も異口同音にそのようなことを言われるでしょう。女性だからこそ耐えられる痛みで、男性が同じ痛みを経験するなら卒倒し、耐え切れないだろうという話も聞きます。

そこで僕は疑問に思いました。歯痛と出産痛はどちらが痛いのだろうか?どちらの痛みも自分自身でコントロールすることが出来る性質のものではありません。歯痛と二人の子供を自然分娩で出産した嫁さん曰く

「子供の出産の時の痛みの方が痛いと思うけど、歯痛も確かに痛いよね。」

嫁さんはこうも語っていました。

「どちらも痛くて我慢できるような代物ではないけど、痛みの質が違うような気がする」とのこと。

読者の皆さんの中で、歯痛と出産の両方を経験された女性の方があれば、お尋ねしたいと思います。歯痛と出産痛はどちらが痛いものでしょうか?少なくとも出産痛を経験できない僕としては永遠のなぞだけに、両方の痛みを経験された女性の方から貴重な体験を知ることができれば有り難いなあと思う、歯医者そうさんです。



2006年06月26日(月) 人の不幸話で元気になる?

先日、うちの歯科医院にしばらく姿をみかけなかった患者さんの一人が来院しました。患者さんの名前はDさん。

「以前から定期健診の案内の葉書をもらっていたんだけど いろいろとあってこちらへ来ることができなかったんよ。」

と言われながら、診療室に入室したきたDさん。以前に比べ心持ち頬がこけ、お疲れになっている様子が見て取れたDさん、挨拶もそこそこに早速診療台の上に寝てもらい、口の中全体を診て、悪いところを治療していくことになりましたが、何本もの歯がむし歯になっており何回かの通院が必要でした。そのことをDさんに伝えますと
「やっと落ち着きましたから、悪い歯を治しにきますよ。 今まで歯が悪いことはわかってはいたんですけどね」と言いながらDさんは待合室に出て行きました。

その後、診療が終わり後片付けをしていると受付さんが僕に

「治療が終わってからDさんはかなりの時間私と話をして帰られましたよ。」

と苦笑いしながら語りかけてきました。 受付さんの話によれば、Dさんは下のようなことを言っていたそうです。

「実はね、私の主人が亡くなったんですよ。 つい数年前までは元気だったんですけど、たまたま健康診断へ行ったかかりつけのお医者さんのところでがんが見つかりまして、手術を受けたんですよ。手術はうまくいったんですけど、しばらくしてから痴呆が始まりましてね。最初のうちは”何をぼけたことを 言っているかしら、うちのお父さんは”って思っていたのですけど、そのうちにボケの症状が進んできたんですわ。最後の方は何も言わずに食べさせたり、おしめを変えたりと介護で明け暮れましたよ。 私ってどうしてこんなに年を食ってから苦労をしないといけないんじゃないかなと思うこと仕切りでしたよ。そんなこんなでお父さんが亡くなったのが数ヶ月前。やっと介護から開放されたと思っていると、お父さんが 隣にいないことに気がつきましてね。やっぱり寂しいですわ。」

そんなDさんが落ち込む姿を見た受付さんはDさんを励ましたそうです。

「それでも、Dさんは立派な息子さんがお父さんの跡を しっかりと継いでいるじゃいませんか?お孫さんも3人もいて。私の知り合いなどは、息子さん夫婦が共働きで二人が仕事の間お孫さんの世話をずっとしていたんですよ。それなのにいざ自分が体調が悪くなって介護が必要になった身なのに息子さん夫婦はほとんど知らん顔なんですよ。そんな知り合いの息子さんみたいな人じゃないでしょ。Dさんの息子さんは?」

受付さんの言った言葉を聴いたDさんは、突如目を輝かせながら

「うん、そうや。息子はちゃんと私の面倒を見てくれるしね。孫もしょっちゅう”おばあちゃん”って言って私のそばに遊びに来てくれるわね。この前も”おばあちゃんにプレゼント”って言って幼稚園で描いた私の絵を持ってきてくれたんよ。うれしかったわ・・・。」と息子自慢、孫自慢に終始したと受付さんは苦笑いしていました。

人の不幸を話のねたにするのはよくないことだと思いますが、人というもの他人の不幸の話に思わず身を乗り出して話を聞いてしまうものでもあります。
まあ、全く縁故関係の無い、利害関係の無い人の不幸話で悲しんでいる人の気を少しでも紛らわすことができるなら、それもそれでありかなと思った、歯医者そうさんでした。



2006年06月23日(金) 隣同士は仲が悪い

昨日、某新聞の第一面に掲載されているコラムを読んでいると興味深い記事が載っていました。その記事とは、椎間板ヘルニアを代表とするような脊椎、脊髄の手術をどの専門医が行うべきかという論争です。100年以上の歴史がある整形外科医が行うべきか、それとも40年の脳神経外科医が行うべきかという論争だそうで、現状は背骨の中の神経は脳に続くことや欧米での主流という理由から脳神経外科医が論争を責め、整形外科医が守っている構図だというのです。最近の脊椎の手術が顕微鏡で手術部位を拡大して行うことが主流となってきたことから、顕微鏡手術では一日の長がある脳神経外科医が主導権を握っているとのこと。

この手の論争というべきか、治療の主導権争いは何も脳神経外科医と整形外科医の間だけで行われているのではありません。例えば、甲状腺の治療に関しては外科医と耳鼻咽喉科医との間で主導権争いがあります。僕自身、某病院の歯科研修医だった頃に病院の麻酔科実習を受けていたことがあるのですが、甲状腺腫瘍の手術の主治医が外科医の患者さんと耳鼻咽喉科医の患者さんであるケースを受け持ったことがあります。どちらも手術そのものはうまくいったのですが、後で話を聞いてみると、甲状腺の病気に関する治療の主導権争いが外科医と耳鼻咽喉科医の間で未だに続いている現状を聞かされ驚いたことがあります。

実は、耳鼻咽喉科医と歯科医(歯科口腔外科医)との間にもこの手の手術の主導権争いがあるのです。例を挙げてみると、舌の異常、疾患に関すること、蓄膿と呼ばれる上顎洞炎の処置や顎の骨折に関する処置に関してなどです。
形成外科医と歯科口腔外科医との間にも主導権争いがあります。その最たる例は唇顎口蓋裂の処置に関してあり、お互いがその正当性を主張しており、中にはかなり過激な論調もあると伝え聞いています。

耳鼻咽喉科医や形成外科医が歯科口腔外科医と主導権を争う際、必ずといっていいほど指摘してくることがあります。それは、免許に関することです。耳鼻咽喉科医や形成外科医は歯科口腔外科医に対し

”歯科医師免許しか持っていないのだから、口以外の全身に関わる手術を行うことは医師法、歯科医師法に抵触する”

と主張しますが、歯科口腔外科医は

”口や口周囲の全身麻酔を必要とする手術は歯科医師法に照らし合わせても合法であり、全く問題ない。むしろ、口や歯のことを知らない耳鼻咽喉科医や形成外科医が手術をすると後でかみ合わせ、咀嚼に悪影響が及ぶからアフターケアが大変である”

と主張して譲りません。

医療界には専門領域が近い分野の治療に関しての線引きが曖昧なため、専門医による主導権争いがいくつもあるのが現状です。僕自身、病院の歯科で働いていた経験がありますので、こちらは望んでいなくても耳鼻咽喉科医や形成外科医との間の主導権争いに巻き込まれてしまった経験があり、悩んだことがあります。

歯科口腔外科の診療領域に関しては、歯科口腔外科の専門医制度が確立された際、歯科口腔外科医と耳鼻咽喉科医との間に話し合いがもたれ、ある程度枠組みが定められました。その結果、以前に比べ隣接領域の主導権争いは少なくなったそうですが、全く無くなったわけではなく依然としてくすぶりつづけているところがあります。そんな現状を知っていた僕ですから、脊椎や脊髄の治療に関する主導権争いが脳神経外科医と整形外科医との間にあるという記事には改めてその意義を考えさせられました。

近い位置にいる者同士というのは仲違いすることが往々にしてあります。例えば国レベルにおいて、日本と韓国、アメリカとカナダ、スイスとドイツ、インドとパキスタンといった国同士の中の悪さというのは歴史的な背景もあいまって相当根深いものがあります。お互いの権益が絡んでくると隣同士はそれぞれが相容れない、譲れないところが出てくるもので、外交では如何に妥協を図るかということで苦心しているのが常です。

医療界においても同様のことが言えます。専門領域に関する主導権争いにはお互いの診療科の専門性、正当性、面子などが複雑に絡み合い、相容れないところにまで達していることがあるのです。

これは大いに批判されるべきことです。なぜなら、実際に治療を受ける患者のことを全く考慮に入れていないからです。患者の側に立ってみれば、どの専門家が治療しようが自分の異常や病気を治してくれる専門家であればどこでもよいと考えるのが自然だからです。医療の専門家の基本は、患者の立場にたって治療を行うことです。このことを医療の専門家は忘れていないはずですが、ともすると治療の専門領域に関して意地を張り合ってしまう傾向にあるのです。

いい加減にこの手の主導権争いは止めるべきだと僕は思います。患者の立場を考えるなら、このようなくだらない主導権争いをしている余裕はないはずです。お互いに感情抜きで何が協力できるかどこを譲り合うかを検討し、お互いを尊重しあう姿勢が求められていると思うのですが、現実はなかなかうまくいかないようです。

医療の世界でも隣同士は仲が悪いことが言えるかもしれません。悲しいことです。



2006年06月22日(木) 薄皮一枚の差

先週の日曜日のことでした。家で雑用をしていると突然家の電話が鳴りました。電話をかけてきたのは弟でした。

「歯が欠けたから診てほしい!」

弟は僕の近所の病院で働いている循環器内科医です。以前の日記にも書いたことですが、弟は循環器専門医として外来を担当したり、入院患者の面倒をみたり、手術を担当したり、救急患者の処置をするといった感じではまともな休みが取れないくらい働いています。現在、弟の勤務している病院の内科医が人員が足りないという事情と、循環器内科医として30歳代後半というまさに脂が乗り切ろうとしている年齢ということから多くの仕事をこなしている弟ですが、あまりにも忙しいと過労で倒れないかと心配しているくらいです。

と書きながらも、僕自身、体が不調の時には弟に面倒をみてもらっています。自宅から近くの病院に勤務しているという安心感もあり、何か体に問題があると思った時に真っ先に相談し、診てもらうのが弟なのです。そんな弟の歯が欠けたというのです。兄として直ちに診ない訳にはいけません。直ぐに来るように伝えると間も無くして弟はやってきました。早速、診療所の診療室へ入ってもらい欠けた歯を診てみました。問題の歯は右上奥歯で、歯と歯の境目である隣接面と呼ばれるところが欠けていました。レントゲン写真を撮影して詳しく調べてみると、原因はむし歯であることがわかりました。

弟に話を聞いてみると、普段の仕事はまともに昼休みを取ることができないため、患者さんが途切れるごくわずかの時間に甘い物を口の中に放り込んで空腹をしのいでいるとのこと。愚考するに、仕事中は唾液の分泌も少ないこと、仕事のため歯を磨けないことなども関係して、むし歯が出来た可能性が高いようです。

いずれにせよ、欠けた歯を直ぐに処置しようとしたのですが、問題がありました。それは欠けた部分のむし歯を取り除く神経(専門的には歯髄といいますが)が近いことでした。弟は痛みや違和感などの症状はありませんでしたが、むし歯を全て取り除くことになると神経に非常に近いところまで歯を削ることになります。場合によっては神経が露出してしまうこともあります。そうなると、神経の処置まで行わないといけません。神経の処置になると数回程度の通院が必要となりますが、普段なかなか休みが取れない弟ですので、なるべくそのようなことがないようにしたいと思うのは兄としても同感でした。

僕は弟の問題の歯の周囲に麻酔を注射し、麻酔が効いたのを確かめてから慎重にむし歯を取り除いていきました。レントゲン写真を見ながら注意深く取り除き、何とか全てのむし歯を取り除いた時には神経は露出していませんでした。僕は神経を保護する薬を入れながら欠けた部分をレジンと呼ばれる詰め物で修復したのです。治療終了後、レントゲン写真で確認すると、まさに神経とは薄皮一枚程度の差しかないことがわかりました。治療した僕としては冷や冷やものでした。

その後、弟に確認を取ったところ、麻酔が効き終わってから多少違和感があったが症状はそれだけで今では問題ないとのこと。何はともわれ治療した兄としても一安心でした。

それにしても、仕方が無いこととはいえ仕事中に甘い物を口の中に入れておかなければならないという習慣は問題があるように思えます。かといって仕事を中断する暇も無いという事情も理解できます。僕は、甘い物を食べる際にキシリトールの入ったタブレットやガムなどを咬むように伝えました。砂糖の入った食事の後にキシリトール入りの菓子を食べるとむし歯の発生率が下がるというデータがあるからです。本来あまり勧められるむし歯予防予防ではないのですが、時間のある時にはきちんと食事をし、歯を磨くということを前提に、今のような食事を取る暇も無い時に窮余の策として弟に提案しました。



2006年06月21日(水) 歯科用金属のよる思わぬ副作用

今日の日記も昨日の日記に引き続いてのテレビネタです。

昨夜、この番組で掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)という病気が取り上げられていました。この病気は皮膚に発疹や肌荒れ、水疱などが多発する病気で原因が何か不明だった病気でした。最近(といっても十数年以上前ですが)、この掌蹠膿疱症の原因の一つが歯のむし歯や歯槽膿漏、そして、歯科用金属と関連していることが指摘されたのです。

今回、掌蹠膿疱症の原因としてこの番組で取り上げられたのは、むし歯の治療に使用されたアマルガムという合金でした。アマルガムというのは主に銀、スズ、銅からなる合金粉と水銀を連和し、むし歯を除去した歯に詰める詰め物のことをいいます。アマルガムは1970年代頃にむし歯治療に盛んに使用されていました。当時、アマルガムに代わるむし歯修復用の詰め物材料が開発されていなかったこともあり、多くの歯科医院で使用されてきましたし、健康保険適用材料として今もなお認められている詰め物材料です。水銀を使用するということで、以前からその危険性が指摘はされてきたのですが、多くの研究結果によれば、アマルガムからの水銀蒸気あるいは水銀イオンの溶出は微量であり、急性水銀中毒あるいは慢性水銀中毒を生ずることはないというものではないというのが定説でした。

実は、僕の口の中にも7本の歯にアマルガムが詰めてあります。既にアマルガムの処置を受けてから20年以上経過していますが、今もって何ら持続性の体の異常は見られません。親父の口の中にもアマルガムが詰まった歯があります。このアマルガムは詰めてから既に40年以上経過するそうですが、齢75歳になる親父にも特定の皮膚症状は見られません。全ての人がアマルガムによって掌蹠膿疱症の症状が出るわけではありません。アメリカ歯科医師会では何年も前にアマルガムについての安全性を宣言しているくらいです。

ところが、最近になり安全であると言われていたアマルガムを除去したら長年悩んできた不定愁訴が治ったという話がいくつも出てきたのです。中でも原因不明だと言われていた掌蹠膿疱症の患者さんの中にアマルガム除去によって症状が改善した患者さんが何人も出てきたのです。アマルガムだけではありません。歯科で使用している歯科合金にアレルギーがある人がいることがわかってきたのです。

皮膚科専門医はこのような金属アレルギー患者に対してパッチテストと呼ばれる検査を行い、特定の金属にアレルギーがあるかどうかを調べるようになってきました。その中で、歯科治療で用いる歯科合金にアレルギー反応があれば、歯科治療時に歯科合金以外の材料で治療しなければならない注意義務が歯医者に出てきたのです。

ただし、誤解のないようにしておきたいのですが、歯に詰められた金属が全てアレルギー反応を起こしたり、掌蹠膿疱症の原因であるかというと、そうではありません。確かに歯に詰められた金属、中でもアマルガムが原因であることはあるのですが、アレルギー反応や掌蹠膿疱症の原因は多岐に渡っているます。口の中だけでなく、鼻や咽頭部の異常が掌蹠膿疱症の原因であることもあるのです。また、所謂アレルギー体質であるかないかということも大きく影響しているとも言われています。ある皮膚科の先生の話では、入れ歯を調整しただけで掌蹠膿疱症が完治した例もあるとのこと。歯に詰めた金属製の詰め物が全てが悪いというわけではない一例です。

いたずらにアマルガムを悪者扱いする必要はないとは思いますが、アマルガムを除去すると掌蹠膿疱症治った患者さんがいるのも事実。掌蹠膿疱症の原因をもっと様々な観点から究明していく必要があるのは事実だろうと思いますし、歯医者も掌蹠膿疱症についてもっと関心を持ち続け、皮膚科医と情報交換を頻繁に行う必要があると思います。



2006年06月20日(火) 縁の下の力持ち 歯科技工士紹介番組を見て

昨日、一日の診療が終わり自宅に戻ると親父が熱心にあるテレビ番組を見ていました。一体何を見ているのかと思ってみてみると、それはこの番組でした。

この番組では岐阜県で仕事をしている24歳の歯科技工士の仕事ぶりと歯科技工士の紹介をしていました。僕が歯科技工士について説明するよりもうまく説明されていますので、歯科技工士について知りたい方はここを参考にして欲しいのですが、歯医者に比べあまり目立つことの無い歯科技工士、今や歯科治療においては無くてはならない存在だということは断言できます。

それでも敢えて歯科技工士とは何かということについて書きますと、歯科技工士とは、患者さんの差し歯や詰め物、入れ歯といった技工物を製作する専門家です。むし歯や歯周病で歯が欠けたり、歯を失ったりした時、歯医者は欠けた歯や失った歯の代わりになる詰め物や差し歯、入れ歯を作ります。作るといってもほとんどの歯医者は患者さんの診療に忙しく、詰め物や差し歯、入れ歯を作る時間的、体力的余裕がないのが実情です。そこで、歯医者は詰め物や差し歯、入れ歯のための歯型を取り、どのような詰め物や差し歯、入れ歯をつくるか設計をし、指示をして歯科技工士に製作を依頼します。歯科技工士は歯医者が取った歯型の模型と指示を元に、時には実際に患者さんの口の中を歯医者と見て、話をしながら技工物を製作するのです。一部の歯医者は診療の合間に技工物を作りますが、今や技工物の製作に関しては、歯医者と歯科技工士は分業態勢ができあがっていると言ってもいいでしょう。

歯科技工士は歯科医院で勤務している人もいれば、歯科技工物を専門に製作している歯科技工所で働いている歯科技工士もいます。どちらかというと、歯科技工所で勤務している歯科技工士が多いのが現状です。うちの歯科医院も何十年も世話になっている歯科技工所があり、診療日には、担当の歯科技工士が技工物を作るための歯型模型を取りに来てくれています。これは非常に助かっています。本来なら歯型模型を歯科技工所へ持っていき、技工物の製作をお願いしなければいけないのですが、毎日何人もの患者さんの治療をしているためにそれができません。歯科技工所としても、何件もの歯科医院と契約をしている方が経営がうまくいくことから、サービスの一環として担当者が歯科医院に歯科技工物の注文を取りに来てくれます。

歯科技工士は、実際に作った歯科技工物を直接患者さんにセットすることはできません。歯科技工物をセットできるのは歯医者だけなのです。このことは歯科技工士法という法律で定めれていることなのです。

歯科治療の分業ということから言えば、歯科技工士は歯医者と対等な仕事のパートナーであるべき歯科技工士でなければいけないのですが、実際のところは歯科技工士は歯医者の下請け的な立場に甘んじなければなりません。このこと自体は、歯科技工士法という法律的な縛りの関係から仕方のないことではあるのですが、優秀な歯医者には必ずといっていいほど優秀な歯科技工士がおり、裏方として支えています。また、優秀な歯医者になるためには優秀な歯科技工士から様々なことを学ばなければなりません。お互いに持ちつ持たれつの関係が歯医者と歯科技工士の関係なのです。

これは歯医者と歯科衛生士との関係でもいえることですが、患者さんの口の中の健康を守るためには歯医者だけでなく、歯科衛生士や歯科技工士らの協力なくしては成り立たないのです。ともすると、歯医者は自分だけが患者さんの治療をしていると思いがちなのですが、そもそも医療とは医者を頂点とするチーム医療体制が整わないと成立しません。そのことを肝に銘じ、日々の患者さんの口の中の治療をすることが歯医者の使命ではないかと思います。

歯科技工士は歯医者にとって無くてはならない必要不可欠な、縁の下の力持ち的な存在なのです。



2006年06月19日(月) 挨拶に伺いました?

先週の日曜日のことでした。僕はある用事で診療所で仕事をしていたのですが、昼前に診療所のインターフォンが突然鳴りました。うちの診療所は休診日は玄関のドアのみならずシャッターも閉めているもので、誰かが尋ねてくれば玄関先にあるインターフォンのボタンを押すことが多いのです。僕はインターフォンの受話器を上げ誰が尋ねてきたか確かめてみると、男性の声で

「K地区に住んでいますEです」

という返事がありました。Eという名前とその声から直ぐに僕は思い出しました。Eさんは僕が長年担当している患者さんだったのです。Eさんは歯の健康に関心を持ち続けている患者さんで、毎年2回はうちの診療所に定期検診来院する熱心な患者さんだったのです。しかも、Eさんは自分自身だけではなく、奥さんやお子さんもうちの診療所の患者として家族でうちの診療所をかかりつけ歯医者として利用してもらっている患者さんでした。

”Eさんが休日の日曜日に改まって挨拶に来るとは一体何事なのだろう?”

”挨拶というぐらいだから診療に来たというわけではないののだろうか?”

そんな思いを持ちながら診療所のシャッターを上げてみると、そこにはEさんと奥さんの二人が立っていました。Eさんの手には何か挨拶状のような封筒と風呂敷に包まれた何かを持っておられていました。

Eさん曰く

「先生、せっかくのお休みのところ申し訳ありません。今日こちらへ伺ったのは治療のことではありません。実は、私の娘がこの度T歌劇団に入団し、S組みに配属になりました。その娘が先日初舞台を踏んだ次第なんです。」

僕は思い出しました。Eさんには長女であるお嬢さんと長男である弟の二人のお子さんがいました。二人とも幼少の頃からうちの診療所の患者さんで定期的に診ていたのですが、お嬢さんの方はここ数年うちの診療所に姿を見せてはいませんでした。以前、そのことをEさんに尋ねたことがあったのですが、その際、Eさんの口からお嬢さんがT音楽学校に入学し、寮生活を過ごしていることを聞いていたのです。入学者が日本全国から殺到し、競争率が高いことで有名なT音楽学校。T音楽学校に入学したということは将来はT歌劇団に入団し、舞台に上がることはほぼ間違いありませんでした。お嬢さんのことを話すEさんの表情からは喜びと不安の表情が垣間見えたものです。そんなEさんのお嬢さんがこの度無事にT歌劇団に入団し、S組みに配属されたというのです。

「まだまだ未熟者ですからこれからだと思いますが、娘が幼い頃から世話になっていた先生には是非お伝えしたいと思い、早速伺った次第です。」

僕はEさんやEさんの奥さんにお祝いの言葉を伝え、Eさんが手に持っていた封筒と風呂敷の中身を受け取ったのですが、封筒の中にはEさんのお嬢さんの舞台衣装を着た写真が写っていました。

”これがあのお嬢さんなのか?しばらく見ないうちに大きく、美しく育ったものだなあ?それにしても、お母さんによく似ている!”

Eさんのお嬢さんの舞台衣装写真を見ながら、Eさんのお嬢さんの幼少の頃を思い出す歯医者そうさん。光陰矢のごとしといいますが、時間の経つのは本当に早いものです。それだけ僕も年を重ねたということにもなります。認めたくなくても認めざるを得ないのが時間の経過だということを改めて感じました。それにしても、自分の患者の一人からT歌劇団に入った人が出たというのは、うれしくもあり光栄なことでもあります。僕自身、T歌劇団には興味がなかったのですが、こうなると無関心であり続けるわけにはいけなくなったかもしれません。T歌劇団のS組公演がある時には見に行かないといけないなあ!



2006年06月17日(土) 学校歯科検診よもやま話 その2

昨日の日記に書いた勝手にむし歯が治るということについてですが、このようなことが起こる理由としては以下のような考えられるます。

まず考えられることは、むし歯かどうか微妙な歯における判定の仕方が歯科検診医によって異なるということです。明らかに歯に穴が開いているようなむし歯を検診で見落とすことはありませんが、歯の表面にある溝が黒かったり、茶色だった場合、これをむし歯と判定するか、そうでないと判定するか判断が分かれるのです。最近の判定ではむし歯が微妙なものについては要観察歯として治療対象とはしないようにするのが普通ですが、それでも歯科検診医によって判定にばらつきが出ています。全国各地の歯科医師会の中には、検診前に検診説明会を開き、検診基準の確認を行っているところもあるのですが、それでもむし歯であるか微妙な歯の判定については難しいところがあります。

僕は前年の歯科検診の結果をみながら、なるべくこのような検診の誤りを無くそうとしているつもりではありますが、それでも検診エラーが出てしまうことは否定しません。

むし歯が勝手に治ったと判定される理由の一つにはむし歯の治療による影響があります。以前であればむし歯の治療は金属の詰め物をを詰めたり、金属の被せ歯をセットされることが多かったのですが、今では白色のレジンと呼ばれるプラスチック材料を詰めることが主流になっています。このレジン、検診歯科医にとってはなかなかの難物です。明らかに歯の色と異なるレジンであればいいのですが、最近のレジン材料の進歩から歯の色と区別できないレジンが詰められている歯が多いのです。これを検診するのに十分な明るさとは言えない体育館や教室で、限られた時間内で検診するわけですから、むし歯の治療痕が健康な歯であると判定してしまう可能性があるわけです。レジンによるむし歯治療は検診歯科医にとっては曲者なのです。

むし歯が治るというよりもむし歯そのものが存在しなくなることもあります。それは乳歯のむし歯です。幼稚園から小学校の時期の生徒は乳歯から永久歯に歯が生え変わる時期でもあります。乳歯にむし歯があった場合、乳歯が抜け落ちるとむし歯そのものが存在しなくなります。いくらむし歯の基準が微妙に異なる歯科検診医でも乳歯が抜け落ちていることを見落とすようなことはありません。ところが、生徒の中には乳歯のむし歯が勝手に治ったと勘違いする生徒もいるのです。むし歯が勝手に治ったのではなく乳歯が抜け落ちることによりむし歯そのものが存在しなくなっただけなのですけどもね。

このような場合、むし歯が無くなって一安心といったところですが、口の中にむし歯が発生しやすい状況というのは変りはありません。生え変わった永久歯が同じようにむし歯になりやすいのです。しかも、生まれたての赤ん坊と同様、永久歯も生えてきた当初は歯質が未熟です。このような時に口の中がむし歯ができやすい環境であればせっかく生えてきた無傷の永久歯がむし歯に侵されてしまう可能性が非常に高いのです。乳歯の時期にむし歯にならないような歯磨きの方法や食習慣、生活習慣を身につけることが大切で、その責任は親御さんにあるのは言うまでもないことなのです。

さて、僕の地元市内の学校では、全生徒の人数分の2倍の検診ミラーが準備されています。そして、検診時にはミラー2本を使い、一人の生徒が終わり次の生徒の検診の際には全く新しいミラー2本で検診をするようにしています。これらミラーは検診前には全て滅菌処理をしています。以前のように限られた数のミラーを消毒液で消毒しながら使いまわすようなことはしていません。このような検診体制ができあがったのは今から10年ぐらい前だったと思います。僕が検診を受けていた頃は、限られた数のミラーを消毒液に浸しながら検診に使用していましたが、検診の合間にミラーを浸していた消毒液は検診の合間に交換していました。僕はその光景を見たことがあるのですが、その消毒液を注意してみてみると消毒液の中は何やらもろもろとした浮遊物がたくさん浮かんでおり、本当に消毒液でミラーが消毒されているのか疑問に感じたものです。どうも僕のような疑問を感じた人が多くいたようで、いくら検診であったとしても使いまわしの器具を使う問題点が指摘されました。そこで、地元の歯科医師会では地元市と粘り強く協議を重ねた結果、市内全生徒の2倍の数のミラーを購入し、検診に際しては全て滅菌済みのミラーを使用することを認めさせたのでした。

このような動きは全国各地で広がっているとは思いますが、自治体の経済状態が逼迫しているため全国全ての市町村の学校で検診ミラー2本体制が整っているとは言えない状況です。そのこと自体は仕方がないことかもしれませんが、将来のある生徒たちの健康のためにミラー2本体制による歯科検診というのは必要不可欠なことであり、最低限の投資といっても過言ではないかと思うのです。どうか全国各地の市町村の教育関係者の方には、歯科検診の際にはミラー2本体制で臨んでもらえるよう、各市町村の全生徒数の2倍のミラー購入をしてもらいたいものです。



2006年06月16日(金) 学校歯科検診よもやま話 その1

現在、日本全国の保育園から幼稚園、小学校、中学校、高校に至る学校では授業の合間をぬって様々な体の検診が行われています。内科検診、眼科検診、視力検査、耳鼻科検診などの中に歯科検診も行われています。

皆さんもこれら検診を受けてこられたことでしょう。この検診ですが、どうして、4月から6月に至る時期にこれら検診が集中して行われるかご存知でしょうか?それは、これら検診を行う時期が法律によって定められているからなのです。学校に通う生徒たちの健康、保健管理について定めた法律に学校保健法という法律があります。この法律では生徒たちの健康状態を把握するために、各学年6月30日までに検診を行わないといけないように定めてられているからなのです。そして、その検診の詳細については学校保健法施行規則に項目が定められており、その中に歯および口腔の疾患および異常の有無について規定があるのです。

歯科検診では、以前であれば口の中の状態だけを調べていました。歯の数、むし歯や歯周病の状態、乳歯と永久歯の生え変わり状況などをチェックしてきたわけですが、今では口の中を診る前に顎関節の雑音や動きの異常の有無、かみ合わせ、歯並びのチェックを行います。これらの状態を異常なしの0、要観察の1、歯科医院での精査の必要ありの2というように3段階で調べるようになっています。そのため、口の中を検診する前に、検診担当歯科医は必ず”0000”とか”012”とか言うことがあるのですが、これら数字は顎関節や歯のかみ合わせ、歯並びの検査結果を言っているわけです。

僕自身、生徒であった時期には歯科検診を毎年受けてきた経験者の一人であるわけですが、歯科検診を受けていた際疑問に感じていたことがありました。それは、以前の検査でむし歯と判定されたにも関わらず今回は異常無しと判定されたことでした。むし歯というのは勝手に治るものかと疑問に感じたものです。

現在、歯科検診医として検診をするようになった歯医者そうさんですが、その立場から言わせてもらうと、むし歯というものごくごく初期のむし歯でない限り自然に治るということはありえません。初期むし歯というのは歯の表面がやや白っぽくなった状態を指すものであり、実際に歯に穴が状態は初期むし歯ではなく、むし歯が進行した状態なのです。こうなってしまうとむし歯は自然に治ることはないのです。ところが、歯科検診ではむし歯が勝手に治っているという判定が結構出ている。この矛盾はどこにあるかといいますと、いくつかの要因がありますが、基本的には歯科検診医の判定基準の微妙な違い、見落としが判定の違いを生むのです。

歯科検診は体育館や教室の中で行われるものですが、口の中を診るのにこれら体育館や教室の中というの暗すぎるのです。明るさを示す単位としてルクスという単位があるのですが、体育館や教室で必要な明るさは100〜300ルクスと言われています。ところが、口の中を診るには3000ルクスの明るさが必要とされているのです。実際の歯科検診では口の中を診るために側にライトを置いて診るのが普通で、僕自身、それ以外にLEDライトを持参し、口の中をなるべく明るくしながら検診しているのですが、実際の診療室のように正確に検診できているかどうかというと、明るさという点からみれば自信がないのが現状です。

検診は一度に多くの生徒たちを限られた時間内で検診しないといけません。そのため、検診はふるいわけ検査、スクリーニング検査とも言われているのですが、じっくりと時間をかけて検診できない以上、どうしても検診の誤り、誤差というものが生じざるをえないのです。歯科検診医は誰しも正確に検診していこうとは考えてはいるのですが、限られた時間内に検診するという性格上、どうしても検診の誤差というのは避けられないものなのです。そのため、僕は判定の微妙な場合は厳しめの判定をするようにしています。そうすることにより、詳細な検査は歯科医院を受診してもらい、何もなければそれでよし、何かあれば治療してもらうというように微妙な歯の判定を十分な診査態勢ができる歯科医院で行ってもらうように仕向けています。

続きは明日へ。



2006年06月15日(木) 未だに穴だらけ ウィンドウズアップデートに怒る

昨夜のことです。僕の仕事用に使っているメールボックスに来ていたメールを開封していると、あるところから発信されたメールにウィンドウズXPが新たにアップデートを行っているという知らせが書かれていました。早速、ウィンドウズアップデートにアクセスしてみると、確かにウィンドウズXPやその他のアプリケーションソフトのセキュリティホールが見つかったみたいで、いくつものセキュリティパッチをダウンロードしないといけない旨の書き込みが書いてありました。

仕方なくウィンドウズアップデートを行った歯医者そうさん。これで通算何回目のウィンドウズアップデートなのでしょう?回数を覚えていた時期もあったのですが、あまりにも頻繁なウィンドウズアップデートのおかげで回数さえ記憶のかなたに飛んでいきました。

ウィンドウズXPが導入されたのは今から4年前ぐらいだったでしょうか?それまで基本ソフトであったウィンドウズMeから大幅な性能アップ、セキュリティ対策を施し、鳴り物入りで投入されたウィンドウズXPだったように記憶しているのですが、当初からセキュリティの脆弱性があちこちで指摘され、未完成ソフトといううわさが絶えませんでした。実際にウィンドウズXPが世の中に流布すると、セキュリティに対する危惧は現実のものとなりました。様々なウィンドウズXPのセキュリティホールを突いたウィルスがインターネット上に蔓延し、そのため多くの人がウィルスの被害に遭うことが多発しました。ウィンドウズXPの生産、販売を行っているマイクロソフト社ではセキュリティホールが見つかる度に、そのセキュリティホールに対応プログラムをウィンドウズアップデートとして配布し続けています。

このウィンドウズアップデート、よくよく考えてみれば、ウィンドウズアップデートなるものが存在するということもおかしなことです。テクノロジーの発達、発展は日進月歩である時代であることは言うまでもないことです。インターネットがこれほど世界中に普及し、多くの人が利用するようになれば、基本ソフトの重要性というのは如何に大切なものであるかということは誰もが理解していることです。しかも、パソコン業界のディファクトスタンダードである基本ソフトであるウィンドウズXPとなると、その安全性の確立が社会に与える影響は計り知れないもの。安全性の確立には念には念を入れないといけない義務があると思うのですが、実際は頻繁にセキュリティホールに対する修正プログラムを公開して対策を立てないと安全性が保障されないという事実。

本来ならこれだけセキュリティホールが見つかるような製品は、リコールの対象ではないでしょうか?リコールを行うことをせず、小出しにセキュリティホールの修正プログラムを配布し続けていても何ら問題の解決には結びつかないような気がしてなりません。僕のような小心者のユーザーは数限りないウィンドウズアップデートに閉口しています。

そんな中、伝え聞く話では、今年秋にはウィンドウズXPの後継の基本ソフトVistaが投入されるとのこと。そのニュースを初めて耳にした時、僕は思わず

”おいおい!”と叫んでしまいました。

未だにウィンドウズXPの安全性を維持、確立することができず、問題があり続ける状態であるのにも関わらず、後継基本ソフトであるVistaに代えるというのは如何なものでしょう?いくつもの新機能を搭載し、安全性も増したということをマイクロソフト社は宣伝しているようですが、その結果たるや言わずもがなといったところです。問題の先送りに過ぎないだけでなく、新たなセキュリティホールだらけの欠陥ソフトが社会に流布するだけのことです。

しかも、後継基本ソフトであるVistaを導入したあかつきには、ウィンドウズXPを含めたこれまで基本ソフトに対するアフターサービスを中止するとのこと。開いた口が塞がりません。マイクロソフトという会社はユーザーのことを全く考えていないということがよくわかりました。

ビルゲイツさん!世界一のお金持ちであるなら、もっと足元をしっかりと見てくださいよ。あなたは商売上手だとは思いますが、あなたの作る不良ソフトのせいで世界中の人が迷惑を被っているのです。もっと真剣に世界中のウィンドウズユーザーのことを考えて、真剣に基本ソフトを作るようにしなさい!少なくとも今一番世の中に行き渡っているウィンドウズXPの安全性を十分に確立しないと、後継ソフトにセキュリティ対策はいきませんよ。過去の反省なくして未来の発展はありえません。



2006年06月14日(水) 一見改善したように思えても

今月初旬ですが、厚生労働省からこのような調査結果が出され、マスコミ各社でも大きく取り上げられていました。

この調査は6年に1回行われる歯科疾患実態調査と呼ばれる調査で、この調査は全国を対象として、国民生活基礎調査により設定された単位区から無作為に抽出した300単位区内の世帯及び当該世帯の満1歳以上の人を対象とした調査で、むし歯や歯周病の有病率、治療状態から歯磨き習慣にいたるまでの口腔衛生状態の意識までを調べた全国調査で、あらゆる歯科施策を決める上で基礎資料となる重要な調査なのです。今回概要が発表された歯科疾患実態調査は昨年、平成17年11月行われたもので、僕自身その結果に注目していたのですが、6月になってやっとその結果の一部が今回公表されたのです。

今回の結果の大きな特徴は、マスコミでも大きく取り上げられていたのですが、80歳以上の方の歯の残存歯数が増えたということです。日本歯科医師会では以前から80歳で20本の歯を残そうという8020(はちまるにいまる)運動を展開しています。これは80歳で20本の歯を残すような状態である人はそうでない人に比べ歯の健康のみならず体全体が健康であることが多い。80歳で20本以上の歯を残すためには若い頃からの口の中の健康管理が大切だということで、一人も多くの人に口の中や歯の健康に関心を持ってもらい、かかりつけ歯医者をもち、定期的に歯医者に診てもらい、管理してもらう必要がある。そのことをアピールしているのが8020運動なのです。厚生労働省でもかねてから8020運動には注目しています。その理由は、8020達成者、すなわち、80歳で20本以上歯を持っている人の医療費がそうでない人の医療費に比べ少ないためで、少しでも医療費の高騰を抑えたい厚生労働省としては、少子高齢化が着実に進む今の時代、8020の成果に興味があるようなのです。

実際の結果としては、80歳〜84歳までの人が20本以上の歯を持っている割合が6年前の平成11年に行われた調査時では13.0%だったのが、今回の調査では21.1%と大幅に増えていました。それだけではなく、全体的にも20本以上歯を持っている人の割合が前回調査と比べ増えていたのです。

この結果だけを見ると歯が残っている人の割合が増えているということで大いに歓迎すべき結果なのですが、その一方で大いに不安になることもあります。それは歯周病を持っている人の割合です。

歯周病の進行を診査する方法として歯周ポケットの深さを測定する方法があります。歯周ポケットとは、歯の周囲にある歯肉と歯との微細な隙間のことで、誰でもあるものなのですが、歯周病が進行すると歯周ポケットの深さが深くなるのです。詳しい話はここでは省略しますが、歯周ポケットの深さが4ミリという値は、歯周病があるかないかの境界値なのです。

実は、65歳以上の人の中で、この歯周ポケット4ミリ以上を持つ人の割合が前回調査の時と比べ増えているのが今回の歯科疾患実態調査の大きな特徴でもあるのです。ということは、高齢者の中では歯が20本以上残っている人の割合は増えてきてはいるものの、その健康状態は必ずしも良いものではなく、歯周病を抱えたまま歯が残っている人がいる可能性が高いことが言えるのではないかと思うのです。

8020というと80歳で20本の歯があればそれだけでいいのだろうと思う人もいるかもしれませんが、実際は20本の歯が健康で機能していないと意味がありません。歯は残ってはいるもののむし歯崩壊寸前であったり、歯周病が進行してぐらぐらである状態では意味が無いのです。今回の歯科疾患実態調査では高齢者の口の中や歯の衛生状態の改善が依然として大きな課題であることを浮き彫りにしたような結果だったように思います。

ただ、歯周ポケット4ミリ以上を持つ人の割合は54歳以下では減少傾向にあること、それから、一日に歯を回数が増えている傾向などは大いに歓迎すべきことだと思います。徐々にではありますが、歯や口の中の健康に積極的に携わろうとする人の割合が増えてきている可能性が高いことを示すデータのように思えてなりません。今後一人でも多くの人が歯や口の中の健康に目覚め、その維持のために歯医者を利用してもらいたいものだと願わずにはいられません。



2006年06月13日(火) 僕、私、俺、わし、自分・・・

今年2月に齢40歳になった歯医者そうさんですが、今密かに悩んでいることがあります。それは自分のことを第一人称でどのように言うべきかということです。

これまで周囲の人に自分のことを言う際、いつも使っていた第一人称は”僕”でした。”僕”という第一人称は、おそらく物心付いた頃から使っていたと思います。ということは30数年にわたって自分のことを”僕”と言ってきたことになります。この歯医者さんの一服日記でも自分のことを表す第一人称として”僕”を使ってきました。ということで、ここでは”僕”を使っていきますが、そんな僕がどうして40歳を過ぎてから第一人称を変えようと思ったかと言いますと、”僕”という言葉の響きに何となく自信の無さみたいなものが含まれているのではないかと感じたからです。

自分自身を振り返ってみると、周囲の人からは年齢よりも若く見られることが多いようです。僕が今年40歳になったことを伝えると、皆異口同音に40歳には見えないということを言ってくれます。自分のことを年齢よりも若く見られるということはある面うれしくはあるのですが、その一方で相手に甘く見られたり、未熟に見られたりしやしないかと思うこともあるのです。見た目だけで人の評価をするのは如何なものかとは思うのですが、僕自身、自分のことを必要以上に甘くみられ、なめられたりするのは、正直言っていい気がしません。それであれば、少しでも周囲にそれなりに年相応に見られるにはどうしたらいいのだろうと無い知恵を絞って考えた結果、思いついたのがいつも自分のことを指して言う第一人称を変えることでした。すなわち、長年使い親しんできた”僕”を違う第一人称に変えることだったのです。40歳にふさわしい第一人称は何か?”俺”というのも乱暴な響きがあるし、”わし”も品が無い。”わて”や”わい”もコテコテの関西系という感じで自分のキャラに合っていない。”自分”というのも旧日本軍の兵隊みたいだし・・・・。ということで最も無難な第一人称として僕が使ってみようと結論づけたの”私”でした。

そんなわけで、僕は自分を表す第一人称として”私”を使い始めました。中でも、先輩や公の場などでは積極的に”私”を使い始めたのですが、これがなかなかうまくいきません。”私”と言っているとどうも自分のことを指して言っていないかのような錯覚に陥ることがしばしば。話が込み入ったりするとついつい”私”と言えず、”僕”と言ってしまいます。

患者さんに対しても”私”と言っていたのですが、ある患者さんからは

「先生いつになく肩に力が入っておりますな、ハッハッハ・・・・」
とからかわれる始末。

僕のこれまでの経験では、今まで接してきた多くの男性の先輩の中でも、高齢にも関わらず自分のことを”僕”と言う人が少なからずいました。そのような高齢の人が言う”僕”に幼さ、未熟さといったニュアンスが含まれているかというとそうではありませんでした。むしろ、年齢の割りに若々しかったり、ウィットに富んだ響きや格好良さ、ダンディささえ感じることがありました。日本人はどんな第一人称を使おうが似合うものは似合う、似合わないものは似合わない、使う人次第であるのだろうとは思っています。

そのようなことを感じてはいるのですが、一度使い出した”私”をそうそう引っ込めるわけにもいかないというのが今の僕です。無理してでも”私”を使い続けていれば自ずと”私”が自分のものになるだろう。そんなこだわりを持って今しばらくは、”私”を使っていこうと考える歯医者そうさんです。

ただし、歯医者さんの一服日記では自分を表す第一人称として”僕”を使い続けていくつもりではおります。歯医者さんの一服日記での歯医者そうさんは”僕”が似合っているのではないかなと思うからです。

賢明な読者の皆さんにおかれましては、よくもそんなくだらないことにこだわっているなあと呆れられる方が多いかもしれませんね。



2006年06月12日(月) メール誤送信

最近、集中力が欠けていると言われても仕方がないことが多い、歯医者そうさんです。前回、6月9日の日記を当日朝にアップしたのですが、午前中の診療が終わり昼休み中にその日記をチェックしたところ、誤字脱字、意味不明な文章表現のつじつまの無さなどが連発しておりました。よくもこんな出鱈目な日記を書いていたものだと我ながら呆れる始末。穴があったら入りたい気持ちになりました。誠にお恥ずかしい限りです。そんな中でもこの日記に対するコメントがBBSに寄せられていました。読者の方の寛大なお心に感謝の念が絶えません。

と書いていた矢先、更に集中力が欠けているようなことを仕出かしてしまいました。それは携帯メールの誤送信です。

ある日のこと、僕はある会合について確認をするため、知人に携帯メールを送りました。僕は、いつもこの手の連絡は電話で連絡するのですが、思いついたのが深夜だったため電話をかけるわけにもいかず、携帯メールを利用することを思いついたのです。

”メールは時間を選ばないから便利なものだなあ。”

そのようなことを思いながら知人にメールを送信したことを鮮明に記憶しています。

翌日のことでした。いつものように診療所で仕事をしていると大学時代の先輩Y先生から電話がかかってきました。ここ数ヶ月以上後無沙汰をしていたY先生からの電話に僕は”一体何事か?”と思い、話をしてみました。

「そうさん、昨日の夜俺にメールをくれたけど、もしかしたらこのメールは別の人に送らないといけない内容のものだったんじゃないか?」

僕は言葉を失いました。直ちに携帯メールを確認したところ、知人に送らなければいけない内容のメールをY先生宛に誤って送ってしまっていたのです。僕は直ちにY先生に謝りました。

「誰でもミスはあるからな。どうも何かの会合の確認のメールだったから、俺以外の他の人に誤って送信したとしても問題は起こらなかったとは思う。けれど、これが微妙な問題や秘密事項だった時は大問題に発展するリスクがあったはずだよ。おそらく、世間にはこの手のメールの誤送信というのは山のようにあるのだろうし、俺にもその可能性がないとはいえない。けれども、避けようと思えば避けられるものなんだよ、メールの誤送信はね。メールを送る時には慎重にも慎重を重ねて、送信アドレスは何度も確認してから送る習慣を身につけるように心がけることだね。今回のことは教訓にして、今後このようなことがないよう、いろいろと自分なりに対策を考えるようにするんだよ。わかったね?」

電話越しに何度も何度も頭を下げ続けた、歯医者そうさんでした。



2006年06月09日(金) 小心者で未熟者

歯医者を15年以上続けてきた僕ですが、治療の途中で未だに

”どうしたらいいんだろう?”

と悩み、あせる時があります。患者さんの治療を行う時には患者さんの現状を把握し、診断、治療方針をたててから行いますすが、実際に治療を行ってみると自分が治療前にイメージを抱いていたこととは異なることがあるのです。

先日も、ある患者さんの親知らずの抜歯を行っていましたが、親知らずの根っこが僕が想像しているよりも湾曲していたため予想以上に抜歯に手間取ったのです。抜歯を行う前にはレントゲン写真で親知らずの状態を確認はしました。抜歯の対象となった親知らずはほとんどが顎の骨の中に埋まっており、しかも、横向きになっていました。そのため、親知らずを抜歯するには顎の骨を一部削り、横向きになっている親知らずの頭の部分である歯冠と根っこの部分である歯根を切断する。そして、切断した歯冠を先に取り出し、その後歯根ぶを取り出す。その際、歯冠や歯根が取り出せない場合には、歯冠や歯根を必要に応じて更に削ったり、周囲の顎の骨を削ったりしながら抜歯を行います。

そのようなパターンが骨の中に埋まった横向きに生えた親知らずの抜歯なのですが、人の顔が同じ顔がほとんどないように歯の生え方も様々なものです。自分が想像していたようには異なり、抜歯に時間がかかってしまうこともしばしばなのです。先日の場合も自分なりに立てたプランを元に親知らずの抜歯をしようとしたものの、いざ抜歯しようとしても歯がびくともせず、僕は内心あせりました。

”もしこのまま抜歯できなければどうしよう?”
”長時間かけて抜歯できなかった場合、患者さんにどう言い訳しよう?”
”下手に顎の骨を削りすぎて後で後遺症が出ないだろうか?”

そんなことが僕の頭の中をよぎるのです。


皆さんは、

”そんなあせっている暇があったら少しでも抜歯できる方法を考えろ!”
”歯医者だったらどんな歯でも抜歯するのが義務だろう!”

と思われるかもしれません。その通りです。自分ができないと焦る間に以下に現状を打破し、抜歯を行うことができるかどうかは歯医者の力量にかかってくるところで、僕もただ単に口をくわえてみているだけではなくそれなりの対策を考え、実行しながら目の前の困難を解決しようとしていますが、小心者の僕はどうしても、未だに最悪のことをイメージしてしまうのです。

”できることならその場から逃げ出したい”
”誰か代われる人がいるなら代わってほしい”

など逃げたくなりような思いを強くする時があるのです。実際はそんなあせりを患者さんに感じさせたりはしていないつもりですが、処置に必要以上に手間取った時には、いつも背中に冷や汗が流れるような錯覚に陥ります。こんな情けないことを書くと皆さんにいたずらに歯の治療を怖がらせるだけかもしれません。他の歯医者はどうか僕はよくわかりませんが、僕は実際に歯の治療に手間取った時に必要以上の不安が頭をよぎる性質なのです。
僕はまだまだ未熟者だと思う瞬間ですね。



2006年06月08日(木) 盗作作品騒動から思うこと

既に皆さんもご存知のことと思いますが、数ある話題の中で洋画家の和田義彦氏が描いた作品のうち、少なくとも20数作品がイタリア人画家アルベルト・スギ氏の作品と酷似しており、盗作ではないかということが言われています。文化庁では和田氏に2005年度の芸術選奨文部科学大臣賞を(美術部門)を授与したわけですが、今回の盗作騒ぎから再度同賞の選考審査会を開き、賞の取り消しを決めました。選考審査会によれば、和田氏の描いた作品は、スギ氏の作品と構図、色彩、主題などが酷似しており、盗作と見られてもやむを得ないという判断に至ったようです。文化庁の調査に対し、和田氏は「オマージュであって、盗作ではない」とし、盗作疑惑を否定し続けているようですが、スギ氏の方は「和田氏は私の作品を無断で盗作した」と答えているようです。

僕は絵画に詳しいわけではない素人なので和田氏の作品が盗作かどうかを正式に判断することはできないのですが、僕のような素人が見ても和田氏の作品はスギ氏の作品と同じように思えてなりません。今わかっているだけで和田氏の作品中、スギ氏の作品との酷似している。しかも、全てスギ氏の作品発表年の後に和田氏の作品が作られている事実を考えると、長年にわたりスギ氏の作品と酷似する作品を作り続けた和田氏の力量には、ある意味お見事としかいいようがありません。それにしても、和田氏はどうしてここまで徹底してスギ氏の作品に酷似した作品を制作しつづけたのでしょう?

僕は歯医者ですが、僕が今行っている治療は僕がかつて師事した先輩の先生方の影響を強く受けています。歯医者になった当初何もできなかった僕が歯医者になるために必要なことは知識の追求と技術の習得でした。歯医者になった当初、僕は知識に関しては自分で専門書や論文を手にしながら学ぶ術を知っていましたが、技術に関してはどうして身につけれべきかわかりませんでした。一応、某歯科大学の学生時代には教科書に書かれている技術の話は頭では理解していたつもりですが、いざ実践となると体が動きません。そんな僕を助けてくれたのが、僕が世話になった指導教官の先生方でした。教科書に書かれている基本技術を元に自らの経験を加味した指導教官の術式は、歯医者の卵だった僕にとって新鮮で、目からうろこが落ちるようなものばかりでした。僕はこれら技術を直接目で見て、メモを取り、不明な点は指導教官に直接質問をしながら、叱咤激励を受けながらも何とか自分の物にしたいと努めたものです。そのためには、僕は理屈抜きで徹底的に先輩の先生のやり方を真似ました。技術を伴っていない僕にとって技術を習得するには真似ることが一番早く効率的な方法だったからです。

真似るというと簡単なことのように思うかもしれませんが、実際は非常に難しいことです。一筋縄で自分の物にすることができず、試行錯誤を繰り返していました。そんな苦労をしているうちにある瞬間、先輩の先生の技術のコツみたいなものを感じ取る瞬間があるのです。

”もしかしたら、これがポイントではないか?”

そのようなきっかけがあり、更に技術を追求していくうちに、指導教官の先生とほぼ同じ技術を身につけることができるようになったのではないかと思います。一度会得した指導教官の先生の技術を用いて診療をしていると、その技術のすばらしさに改めて気づかされることがあり、その技術により患者さんの症状、悩みが解決されることを経験すると、歯医者として生きていく自信がついてくるように思います。

その一方、同じ技術を繰り返していくと、欲みたいなものが僕にはでてきました。もっと他の技術がないだろうか?自分が身に着けた技術のみならず別の方法を模索したいという気持ちが出てきたのです。決して自分が身に着けた指導教官の技術が劣っているいうわけではありませんし、飽きがきたというわけでもないのですが、同じ事を繰り返していると何か違った変化を求めたくなる。そんな思いが募ってきたのです。僕は自分なりに得た知識、経験を元に指導教官の技術を更に発展させ、自分独自の方法もアイデアとして加えながら、今もなおどうすれば患者さんの症状にあった、効率のよい治療ができる技術ができるのかどうか模索しているつもりです。

興味深いことは、僕が教えを請うた指導教官自身も変化していたということです。先日、何年かぶりにこの指導教官の下を尋ねたのですが、話をしているうちに自分自身の治療法に変化があったことを話してくれました。その話に僕も驚かされました。これまで指導教官が考えていたことと正反対異なると言ってもよい発想の転換を元に生み出された技術だったのですが、話を聞いているうちにその技術が実に理にかない、実際の臨床に合っているのです。この指導教官の飽くなき技術への追及心に僕は再度敬意を表しました。

上記の話はあくまでも僕の歯医者としての経験の話ですが、芸術の分野においても同じようなところがあるのではないかと思うのです。芸術家も新人時代は自分のオリジナルを世に問うほどの技量、経験はありません。自分が師事をした師匠、または影響を受けた芸術家のまねをしながら基礎となる技量を身につけていくものだと思うのです。そういった技量を試行錯誤を重ねながら習得した時点で、変化を求めたくなる、もっと他の表現方法はないかと模索したい欲求に駆られるのが芸術家ではないかと思うのです。芸術家の芸風というものも時間の流れと共に変化するものだと思うのですが、その背景には現状に満足しない探究心が芽生えてくるからではないかと僕は思うのです。

和田氏の場合、イタリア留学をした際にスギ氏の作品に出会い、大きな影響を受けそれまでの芸風から変化したようですが、20年以上もの間スギ氏の作品に酷似した作品を作り続けていたというのはどういう意図だったのでしょう。世界的にあまり知られていないスギ氏の作品のまねをし続けていれば日本では評価が高かったことに胡坐を掻いていたのでしょうか。20年以上まねをし続けたくなるくらいスギ氏の作品にほれ込んだのかもしれませんが、向上心、探究心を持ち続ける芸術家なら、スギ氏の作風から脱皮し、自分独自の作風を追及してもよいのではないかと思いますし、それが芸術家の使命ではないかと思うのですが、和田氏はそんな気持ちがなかったのでしょうか?

いずれにせよこれほど見事なまでにスギ氏の作品をまねし続けるというのは尋常ではないのは確かです。スギ氏の作品にのめりこみしすぎたために起こった悲劇なのか?それとも、うぬぼれが生じ、芸術家として向上心を放棄してしまったがために起こった悲劇なのか?僕は後者のように思えてなりません。和田氏が盗作疑惑を否定すればするほど和田氏を憐れに思う、歯医者そうさんです。



2006年06月07日(水) 歯医者の息子なのに・・・

先週のある日、夕食を終えた僕に嫁さんがある物を持ってきました。

「○○ちゃんがこんな物を持って帰ってきたのよ。」

○○ちゃんとは僕の下のチビのことです。下のチビは現在某幼稚園の年中生なのですが、そのチビの幼稚園の連絡帳の中にある紙が入っていたようです。その紙を見た嫁さんは直ちに僕の元に持ってきたのですが、その紙を見て僕は思わず

「しまった!」
と声を出してしまいました。理由は簡単です。嫁さんが持ってきた紙が下のチビの歯科検診の結果だったからです。単に歯科検診の結果だけであれば問題はなかったのですが、結果の中身に問題があったのです。下のチビの歯科検診の結果には上の前歯がむし歯である記載があり、治療を勧める勧告の記載があったのです。

実は、下のチビのむし歯には僕は気が付いていました。今から2年ほど前、下のチビは上の前歯に小さなむし歯ができたのですが、僕はそのむし歯を治療し、詰め物を詰めました。その詰め物が最近になって取れてしまっていたのです。僕は、ほとんど毎日チビたちの歯を磨いているのですが、数週間前に下のチビの歯磨きの際、前歯の一部が欠けているのことに気がついていました。それが以前に治療をし、詰め物を詰めていた所だったのです。本来なら直ちに詰め物が取れたところを治療してあげるべきだったのですが、それほど深い詰め物ではなかったことや僕自身の体調がすぐれなかったことから直ちに治療をしなかったまま放置していたのです。

幼稚園では歯科検診が5月から6月にかけて行われることも僕も知っていました。歯科検診までには下のチビのむし歯を治療しないといけないなあと恥をかくなあと思っていた矢先でした。僕の予想よりも早くに幼稚園の歯科検診が行われたようなのです。下のチビは歯科検診結果のことは何も関心がない、というよりもよくわからなかったようなのですが、親として、そして、歯医者として自分の息子が歯科検診でむし歯を指摘されるというのは、何とも複雑なものがあります。歯医者である僕が自分の息子の口の中さえ管理できないのかと言われて仕方がありません。

直ちに、下のチビのむし歯を治療したのは言うまでもありませんでした。そして、幼稚園へ提出しなければならない歯科治療完了報告書に記入をしたのですが、治療をした歯科医師欄には、当然のことながら僕の名前を書きました。

自分の名前を書いた歯科治療完了報告書を見て、何とも恥ずかしい限りの気持ちになった歯医者そうさんでした。



2006年06月06日(火) 診療用ライトのトラブル

昨日は月曜日、言わずと知れた一週間の始まりの日でした。

”これから新たな一週間が始まる。気持ち新たに頑張ろう”と思いながら診療の準備をし、最初の予約の患者さんを診療室に招き入れた時に問題は起こったのです。診療室に入ってこられた患者さんに診療台上に横になってもらい、いざ治療を始めようと口の中を照らす診療用ライトのスイッチを入れようとしたのです。ところが、スイッチをオンにしてもライトは一向に明るくなりません。何回かスイッチのオン、オフを繰り返しましたが、ライトは全く明るくなりません。僕は診療開始前に点検した際には診療用ライトはちゃんとついていました。ところが、いざ診療を始めようとしたその瞬間、診療用ライトがつかなかったのです。直ちに僕は診療台を含め、周囲の電気機器類の電源を確認しましたが、どれも正常に作動していました。それならばと思い、急いで診療用ライトのカバーを取り除き、中の電源球を確認すると、電源球の電線が切れていたことがわかりました。

口の中は想像以上に暗い場所です。いくら室内が明るかったとしても周囲を粘膜で被われ、開口することにより中に入る自然光だけでは十分に歯をみることができません。それならば懐中電灯で口の中を照らせばいいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、懐中電灯の明るさは暗いものですし、診療用ライトが復旧するまで懐中電灯をスタッフに持たせることはできません。しかも、事が起こったのは週の最初も最初、いきなり一週間のトップバッターである患者さんの治療開始前に起こったのですから、正直言って僕はあせりました。

ところで、室内の明るさを表す単位にルクスというのがあります。教科書的には1ルクスとは1国際燭光の光源から1メートルの距離の光の方向の垂直な面の明るさである定義されています。これでは何のことかよくわかりませんので具体例を示しますと、

居間や応接室、座敷などの明るさ 30〜75ルクス

食堂や台所の明るさなると50〜100ルクス

図書室の明るさなると100〜200ルクス

教室や研究室に必要な明るさ200〜500ルクス

診療室になると500ルクスが必要なのですが、手術室となると更に明るさが必要で500から1000ルクスが必要となります。手術という精密作業を行うにはそれくらい十分な明るさ必要なのです。これが口の中の場合、更に明るい環境が必要で、特別精密作業並みの照度が必要なのです。具体的には3000ルクスぐらいとなります。歯科治療では、室内を照らす電灯と備えつきの診療用ライトを併用することで3000ルクスの照度を得ているのが現状です。従って、備え付けの診療用ライトが故障し、使用できないとなると途端に歯の治療はストップせざるをえないのです。

それくらい明るい光源の元で歯医者は仕事をしている関係上、歯医者は目を酷使すると言っても過言ではありません。僕はできる限り昼の時間に休みを取るようにしていますが、これは単に体力の回復という意味ではなく、目を休めるために時間を当てているといっても過言ではありません。僕は視力が弱い僕は、こうでもしないと視力を維持することができません。目が見えなくなるということは、僕にとっては死活問題ですから。まあ、目の健康問題はどんな方にとっても死活問題ではありますが。

そんな突発的に起こった診療用ライトの電源球のトラブルですが、幸い事前に買っていた交換用ライト電源球がありましたので直ちに交換し、使用できるようにし、事なきを得たつもりです。ただ、このライト電球交換は普段あまりしないことですから、時間に手間取ってしまい、患者さんに迷惑をかけてしまったのは心苦しい限りでした。今回の診療用ライトのトラブルはまるで一週間の仕事の最初に出鼻を挫かれたような感じで、幸先悪い週明けとなってしまった、歯医者そうさんでした。



2006年06月05日(月) 往診車両は駐禁除外のはず

皆さんもご存知のことと思いますが、6月1日より迷惑駐車対策の強化などが盛り込まれた道路交通法が施行されました。今回の改正道路交通法は、これまで警察官しか行うことができなかった駐車禁止地区での駐車の取り締まりが民間の駐車監視員によって行われるようになったこと、短時間の車両放置でも駐車禁止が取り締まれるようになったことが大きな特徴なのですが、車が欠かせない仕事の人にとって、この新制度の対策は大変なようで、運転手以外に補助員を同伴させ、駐車監視員の動向に目を光らせたり、駐車場の確保に一苦労されている方も多いようです。車を使用する業界の混乱も相当なものようで、某トラック運送業界の方の話によれば、有効な対応策がないというの現状のようです。

そんな混乱の様子がテレビの報道番組で流れていたのですが、その中に往診診療をしている医療関係者のインタビューが流れていました。これまで往診のため、駐車禁止地域に駐車をせざるをえなかった患者さん宅への往診をどうすればいいのか対応に苦慮しているという内容でした。

僕はこの医療関係者のインタビューを聞いて疑問に感じました。なぜなら、往診目的のために車を使用する場合、事前に所轄の警察署に届出をすれば、駐車禁止除外車両として許可証が発行され、例え駐車禁止地域の患者宅であったとしても、駐車禁止除外車両許可証を駐車中に掲示すれば、駐車禁止とならないからです。

僕自身、往診治療のため患者さん宅へ自家用車で出かけることがあります。その際、その患者さん宅の駐車場や敷地内に駐車するようにしていますが、そのような場所が見つからず、しかも、駐車禁止地域であるなら、僕はためらわず駐車禁止除外車両許可証を掲示します。

この駐車禁止除外車両許可証は、地元歯科医師会を通じ、届出用紙に必要事項を書き、地元警察署に届け出ます。そうすると届出をしてから1ヶ月後ぐらいに許可証が発行されます。ただし、許可証が使用できる地域は地元との市町村と周辺の3つの市町村に限らます。僕の場合、実際に往診に出かける地区は地元の市と隣接の市、町に限定されますので何ら問題はありません。
また、有効期間は1年間ですので、毎年更新手続きを行わないといけない煩わしさがあります。

これらのことは、今回改正された道路交通法によっても何ら変わるものではありません。僕自身、今後往診に出かけることがあるわけですが、ちゃんと許可証を持っているので何ら心配はしておりません。

そういった事情を知っている僕からすると、今回のインタビューで答えていた医療関係者が今回改正された道路交通法への対応に苦慮するというコメントの意味、意図が理解できません。往診のような正当な理由があれば、駐車禁止除外車両許可証は容易に手に入れることができるはずなのです。駐車禁止除外車両許可証の制度を知らないのか?それとも、何か特殊な理由があってこの制度を使えないのか?敢えて使っていないのか?

この医療関係者の嘆きが理解できなかった、歯医者そうさんでした。



2006年06月02日(金) 今では見る事ができない患者さんの口の中

「先生、今日来院されたYさんのご主人亡くなられたそうですよ。」

昨日、午前中の診療が終わり、後片付けをしながらスタッフと雑談をしていた時に診療所の受付さんから発せられた言葉に僕は思わず言葉を失いました。Yさんのご主人は僕の患者でした。僕は今の診療所で仕事をし始めて今年で9年目を迎えますが、Yさんのご主人は僕が当初から担当した患者さんの一人だったのです。

歯医者家業をしている僕は、自分が担当している患者さんの名前、顔だけでなく口の中の状態も全て把握しているつもりですが、数多い患者さんの中でもYさんのご主人の口の中は特に印象に残る口の中をされていました。前歯の被せ歯の独特の白色といい、よく磨り減った奥歯のかみ合わせの面、口蓋と呼ばれる上顎の天井部には大きな瘤状の骨の隆起がありました。下顎には入れ歯を装着していたですが、どうみても適合がうまくいっているとは思えないのにYさんのご主人はその不適合さが妙に気に入っておられ、調整もせずに使用されていました。

そんなYさんのご主人の奥歯にはブリッジが装着されていたのですが、そのブリッジの支えとなる根っこの一部がむし歯になっていました。本来、このような場合はブリッジをはずし、根っこの部分を治療しなおし、再度ブリッジをやり直すか、場合によっては抜歯し、取り外しの入れ歯にする、保険診療でなければインプラントを行ってもよいようなケースでした。ところが、Yさんのご主人は今のブリッジをできるだけそのまま残したいという希望を持っておられていました。話し合った結果、ブリッジの土台になっていてだめになった奥歯の根っこの一部だけを抜歯し、そのまま経過を見ることにしたのです。当初、そのブリッジは早晩だめになるだろうと思っていたのですが、そんな僕の予想に反してこのブリッジは5年以上機能していたのです。正直言って、僕はYさんのご主人の奥歯のブリッジが気になって仕方がありませんでした。早く処置をしてあげないと思い、Yさんのご主人が来院される度にこのブリッジをチェックしていたのです。

僕がYさんのご主人を最後に診たのは今年初めのことでした。このブリッジがまだ機能していることを確認した僕は

「それにしてもこのブリッジはよくもっていますねえ。違和感はありませんか?」と尋ねたところ、Yさんのご主人は

「全く問題がないんですよ。僕もブリッジが問題あることはわかってはいますし、少しでも異常を感じれば直ぐに処置してもらおうと思うのですが、今のところ問題ないのでこのまま様子をみておきたいです。」

Yさんのご主人が亡くなったのはそれから数日後でした。昨日、うちの診療所を治療に訪れたYさんが受付さんに伝えた話しによれば、Yさんのご主人はいつもどおりに家を出て車で出勤していたそうですが、通勤途中で交通事故に巻き込まれ帰らぬ人となったのだとか。あまりにも突然のことでYさんは、放心状態に陥り何もすることができなかったそうですが、子供のことや今後の生活を考えるといつまでも落ち込んでいるわけにはいかないと思い直し、死に物狂いで立ち上がったのだそうです。今では歯の治療に何とか来ることができるくらいにまで落ちつくことができたのだそうですが、それでも、何かの拍子にYさんのご主人が家の玄関を開けて戻ってくるのではないのかと錯覚することがあるのだとか。

そのようなことがあったとは全く知らなかった僕は、Yさんのご主人宛てに定期健診のお知らせの葉書を送っていたのですが、Yさんはご主人が既に亡くなったことを連絡ができないまま今まで来たことを詫びていたそうです。

長年僕が担当させて頂いた患者さんであるYさんのご主人が既にこの世の人でない事実。今では僕が気になっていたブリッジも既に存在しません。だめになったらやり直そうと言っていたブリッジ見ることもできない現実。

今はただYさんのご主人の冥福を祈るだけです。
合掌



2006年06月01日(木) おしゃぶり裁判沙汰で感じたこと

昨日、ネットサーフィンをしていると、6歳の娘の顎が変形したのは、おしゃぶりを3歳まで使い続けたためであり、その責任はおしゃぶりを販売した会社にあるとして母親がおしゃぶりを販売した大手ベビー用品会社に約1000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしたというニュースを見ました。この女の子は、生後2カ月ごろから1歳まで1日約15時間使用。その後も3歳10カ月で歯科医に止めるよう言われるまで、就寝中に使ったとのこと。その結果、あごが変形したほか、歯並びが悪くなったそうで、歯並びは矯正治療で改善したが、受け口や舌足らずな発音、口でしか呼吸しないなどの症状が残ったととのこと。完全に治すには、今後13年間かかるとして、治療費などに相当する賠償を求めたそうです。

実は、おしゃぶりについては小児科医や小児歯科医の間で様々な意見があるのが実情ですが、最近では、過度の指しゃぶりやおしゃぶりは歯並びや顎の骨格に悪影響を与えるので少なくとも2歳までにはやめさせるようにすることが必要であるという意見が大勢を占めてきています。そのあたりの見解は日本小児歯科学会がこのような見解を出されていますので参考にして頂きたいたいと思います。

そのような最中、おしゃぶり製造メーカーが過度のおしゃぶりに対する注意書きを書いていなかったというところが問題となるのですが、この原因の一端は、小児科医や小児歯科医の間でおしゃぶりに対する意見が統一されていなかったことにも責任の一端があるといってもいいかもしれません。どちらかというと、小児科医の法は子供の精神的な成長の面からのおしゃぶりの効用を重視したのに対し、小児科歯科医ではおしゃぶりの使用が歯並びや顎の骨格への悪影響を及ぼす例を数多く見てきたことから、過度のおしゃぶりの使用に警告を発してきていたのです。

僕自身も歯医者として明らかに過度のおしゃぶりの使用で、咬んでも上の前歯が下の前歯を被わない開咬と呼ばれる子供や奥歯のかみ合わせの乱れがある子供を見てきました。話を聞いてみると親がおしゃぶりを3歳、またはそれ以上使用させてきたようです。

先輩の小児歯科医の先生から話を聞いてみると、おしゃぶりがブームになったのは、亡くなったイギリスのダイアナ元皇太子妃が自分の息子たちにおしゃぶりを積極的にさせていたことが世界的にブームとなり、日本でも子供におしゃぶりをさせることがおしゃれであるかのようなことが急速に広がったのだとか。

今の親の世代の人たちの間でおしゃぶりがどのような評価をされているかわかりませんが、僕個人としてはおしゃぶりが無くても問題ないのではないかと思うのです。僕の二人の子供の例ですが、二人ともおしゃぶりよりもお母さんの本物のおっぱいの方を好みました。嫁さんは母乳が出たということもあり、赤ん坊だった子供たちはお腹が空くといつもお母さんのおっぱいが欲しいと意思表示し、いつも嫁さんはおっぱいをあげていました。二人の子供とも十分過ぎるほどおっぱいを飲んだと思います。上の子などは2歳8ヶ月に至るまでおっぱいを飲みました。その影響もあり、乳歯の何本かにむし歯ができてしまいましたが、小さいむし歯でしたので僕が何とかむし歯を治しました。おっぱいを長く与えすぎる弊害みたいなものが上の子供に出たかもしれませんが、僕は歯医者としてもっと早い時期に離乳させたかったのはやまやまでしたが、子供の精神的な成長を考えた時、2歳8ヶ月まで離乳させなかったのは仕方が無かった、むしろ今から考えればプラスだったのではないかと考えるくらいです。そんな経験が僕にはあるものですから、個人的にはおしゃぶりが必要なのかと問われると疑問符をつけざるをえないのです。

ただ、世の中には子供の側にずっといたくても働いている女性の中には仕事に復帰せざるをえない人が多々いらっしゃいます。そんな女性の子供にとっておっぱいの代わりとしてのおしゃぶりというのは精神衛生上必要なものなのかもしれません。おしゃぶりを全否定するわけではありません。ただ、先に紹介した日本小児歯科学会の見解にも書かれていることですが、2歳以上のおしゃぶりというのは歯並び、顎の骨格に悪影響を与えるリスクが高いのです。そのことを知らずして、または知っていても子供がおしゃぶりを欲しがるからといって惰性でおしゃぶりを続けるのは如何なものかと思います。確かにおしゃぶりメーカーがおしゃぶりの危険性について説明書に文言を入れていなかったということは問題かもしれませんし、メーカーとしての責任を問われても仕方ないことかもしれませんが、子育てをする親としておしゃぶりの利点、欠点はある程度知識として知っておく義務があるのではないかと思うのです。少なくともおしゃぶりの利点、欠点を何も知らないということで一番迷惑を被るのは生まれてきた子供です。おしゃぶりについて親が盲目的に信じるというのはリスクがある。今回の裁判はそのことを世間に認めさせるのに良い機会かもしれないと感じた、歯医者そうさんです。


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