2006年05月31日(水) |
歯医者は痛くなる前に行くところ |
5月から6月にかけ、全国の幼稚園、小学校、中学校、高校で歯科検診が行われていますが、これら検診の成果は生徒たちの歯の健康への関心を高め、歯の健康を改善することに役立っています。そのことは種々の歯科疾患の調査結果により明らかとなっているのですが、高校を卒業してしまうと一部の企業、組合を除き歯科検診はありません。高校までのように一年の行事の一環としての歯科検診がないのが実情です。いざ歯科検診を受けたくても実際に歯科検診を行っているのは、一般の歯医者しか行っていないのが現状です。
僕は常々皆さんにかかりつけの歯医者を持つことを勧めていますが、その理由がここにあります。単に歯が悪いから歯医者へ行くのではなく、自分の口や歯の健康維持のために利用するのが歯医者であると言いたいのです。そんな歯医者を受診するきっかけの一つが検診です。
多くの歯医者では患者さんに口や歯の健康を維持するために定期検診の案内の葉書や手紙を出しています。これら定期検診の案内をうまく利用してほしいと思います。普段何かと忙しい生活を送っている人にとって口や歯の健康はわかっているつもりでもついつい忘れてしまいがちです。そんな口や歯の健康を定期的に思い起こすきっかけとして歯医者からの定期検診の案内を利用してほしいのです。
歯医者からの定期検診の案内の葉書、手紙を見て、歯医者が商売熱心だと思われる方もいらっしゃるかもしれません。確かにそういった側面を僕は否定しません。数多くの歯科医院が乱立する時代、歯科医院では一人でも多くの患者さんを自分の歯科医院に引きとめようと一度でも来院した患者さんを定着させるために定期検診の案内の葉書、手紙、場合によっては電話やメールまで送ることがあります。それでも僕は歯医者からの定期検診の案内の葉書、手紙を無駄なものとして扱わないでほしいと思うのです。自分では適切に口の中を管理していると思っていても我々専門家からみると口の中がうまく管理がうまくいっておらず、せっかく予防できるむし歯や歯周病が皆さんが思っている以上に進行したり、予想もしていなかった場所に問題が生じていたりするものなのです。むし歯や歯周病の進行の原因は単に歯磨きだけの問題だけではなく、全身の健康状態や生活習慣などの影響を受けていることもあります。そういったところを総合的に判断し、問題点を指摘し対策を講じことができるのは、歯医者しかありません。
皆さんには歯医者を有効に利用して欲しいと思います。歯医者は痛くなってから行くところではなく、痛くなる前に行く所。そのような意識を一人でも多くの人が持ち、実践されることを願って止みません。学校の歯科検診の時期に歯医者そうさんがいつも感じることを今日は書いてみました。
2006年05月30日(火) |
身元不明遺体の特定につながった歯型 |
昨日、うちの診療所に地元歯科医師会から一本のファックスが届きました。そのファックスは、地元警察からのお礼の手紙が地元歯科医師会へ届いたというものだったのです。
実は、数週間前に地元の川のほとりで遺体が発見され、地元のマスコミ誌を中心に大きく取り上げられたのですが、その遺体は死後何ヶ月も経っていたそうで、地元警察では身元を特定するのに苦慮していたとのこと。地元警察では警察歯科医に応援を依頼し、遺体の歯型を元に身元不明遺体の特定を行おうとしたのです。地元警察の警察歯科医は地元歯科医師会のメンバーの一人でした。地元警察の警察歯科医は、歯型の記録と写真を取り、地元歯科医師会や周辺の歯科医師会にこれら情報を流し、歯型の照合から身元不明遺体の特定を促そうとしました。
既に皆さんもご存知のことと思いますが、口の中の歯や歯並びは全く同じ方は存在しません。指紋や声門と同様、人それぞれ固有のものなのです。しかも、ほとんど人は何らかの治療で歯科医院を受診し、歯の治療跡が残っています。歯科医院では、治療を行う前、カルテやレントゲンを撮影し、患者さんの口の中の状態を記録しています。しかも、カルテやレントゲンは患者さんの治療終了後5年間は保管しなければいけない義務があるのです。
詳細は書けないのですが、今回の身元不明者の歯型にはある治療を施した痕がありました。この治療痕はどんな歯医者でも行うというものではなく、特定の歯医者が行う特殊な治療なのです。僕自身、以前に数回行ったことがありましたが、ここ10年間は行ったことがありません。こういったことも治療を行う歯医者を特定する手がかりにもなったはずですし、そのことで身元不明者の特定にもつながりやすいということが言えるでしょう。
地元警察歯科医の情報提供の呼びかけからしばらくして有力な情報が寄せられたそうです。地元歯科医師会のメンバーの一人の診療所に今回の身元不明者の歯型と極めて似ている、というよりも全く同じ歯型の記録が記載されたカルテが見つかったとのこと。しかも、カルテだけでなく、口全体のレントゲン写真であるパノラマレントゲン写真も保管されており、これら記録を警察へ情報提供したいという申し出があったとのこと。地元警察歯科医はその記録を取り寄せ、警察へ出向き身元不明遺体の歯型と照合したところ、ピタリと一致したそうなのです。身元不明遺体の身元が特定された瞬間でした。
地元警察歯科医の話によれば、今回歯型を元に身元が特定された人には何か事件に巻き込まれたり、関係したりした事実はなかったそうですが、身元不明者の特定に苦慮していた地元警察は改めて歯型による身元特定の可能性に一目をおくようになったそうなのです。
警察に厄介になるようなことがあってはいけないとは思うのですが、身元を特定するという意味において歯科医院で残されたカルテや模型、レントゲン写真は有力な情報となります。僕はこれまで口や歯の健康維持のために、誰しもかかりつけの歯科医をもって欲しいと書いてきましたが、かかりつけ歯医者がいることのメリットには、身元を特定する有力な証拠を残すということもあるという側面もあるものなのです。
先週、僕の母校であり学校歯科医をしている地元小学校の歯科検診に行ってきました。僕が住んでいる地区はもともと山に囲まれた田園地帯であることから人口は少なめだったのですが、最近の少子高齢化の影響で更に人口が少なくなってきています。そのせいでしょうか、母校の小学校も年々生徒数が減少し、今では1学年あたり1クラスしかありません。しかも、その1クラスの人数が20数人という少なさ。僕が小学校の時と比べて半分以下になっています。そのため、以前であれば、一日で歯科検診を終わらせるためには、学校歯科医以外に応援の検診歯科医が必要だったのですが、今では小学校の隣にある幼稚園児と一緒に歯科検診を行っているのですが、それでも半日で歯科検診が終わってしまいます。今回の検診も僕が一人で幼稚園の年少児から小学校6年生まで歯科検診を担当したのです。
一人で担当するせいで、5歳から12歳までの園児、生徒たちの口の中を診ることができるのは歯医者として非常に興味深いものです。何せ、口全体が乳歯しかない園児から、乳歯の中に永久歯が混じった混合歯列と呼ばれる歯並びを持つ生徒、そして、乳歯が全て永久歯と生え変わった生徒に至るまで診ることができたわけです。歯並びの変化を診ることで、わずか半日で園児、生徒たちの成長の変化を感じることができるのは、検診歯科医師としての醍醐味の一つと言えるでしょう。
ところで、歯科検診は短時間で多くの生徒の口の中を診ます。一種のスクリーニング検査であるため、疑わしい場合には判定をきつめにするのが普通です。とにかく、むし歯や歯周病が疑わしい場合には、歯医者に行って精密な検査を受けてもらう。その結果、問題がなければそれでよし。実際に問題があれば治療を行ったり、指導を行ったりすればいいのです。
そんな歯科検診ですが、毎年検診の結果の傾向は微妙に変わるものです。昨年の母校の小学校では、歯に歯石が付着していた生徒が多く目立っていました。そのため、僕は歯医者で歯石の除去と歯磨き指導を受けるよう勧告書を出すような判定を行いました。後で養護教諭の先生の話を伺うと、昨年の歯科検診結果では、市内で歯石を取るよう勧告を出した数がトップクラスだったとか。その反動というわけでもないでしょうが、今年は昨年よりも歯石が歯に付着している生徒の数が激減していました。
歯石が付着しているということは、基本的に歯磨きの仕方に問題があることを意味しています。毎日丁寧に歯を磨いていれば、歯石が歯に付着することはないのです。歯石が歯に付着しているか否かは歯磨き習慣の問題ともいえることなので、歯磨きの改善のために専門家である歯医者の下を尋ねる必要があると言えます。今から思えば、歯石の判定はややきつめにしたように思いますが、その結果、多くの歯石が付いていた生徒が歯科医院を受診し、歯磨き指導を受け、歯石を取ってもらったことが今年の歯石付着の生徒数の減少につながったと思います。
その一方、今年の母校の小学校の検診では、乳歯に問題がある生徒目立ちました。一つは、乳歯のむし歯です。乳歯の中でも奥歯の歯と歯の間である隣接面にむし歯が多かったように思います。隣接面のむし歯ということは、多くの場合、2本の歯にむし歯があるということを意味します。何せ2本の歯が接しているわけですから、1本の歯が隣接面でむし歯になると、相対するもう1本の歯もむし歯になる確率が非常に高くなるのです。しかも、乳歯の場合、解剖学的に隣接面と神経との距離が近接しています。ということは、隣接面のむし歯を放置しておくと、神経にまでむし歯が到達し、場合によってはむし歯の治療のみならず神経の処置まで必要となることがあるのです。乳歯の隣接面のむし歯は非常に厄介なのです。そのため、乳歯の奥歯の隣接面のむし歯は小さいうちに直ぐに処置をしておく必要があります。
また、隣接面のむし歯を防ぐには日頃から隣接面の歯磨きが必要となります。といっても隣接面の歯磨きは普通の歯ブラシではなかなか難しいもの。やはりデンタルフロスと呼ばれる糸ようじや歯間ブラシを併用して歯磨きをする必要があると思います。子供の場合は、毎日の歯磨きの中で1日1回はデンタルフロスを使って歯を磨く習慣を身につけさせるようにしたいものです。これは子供だけでなく大人においてもいえることです。
もう一つ目だったことは、乳歯が抜け落ちない状態で永久歯が生えてきている生徒が何人も見つかったことです。本来なら、永久歯は第一大臼歯、第二大臼歯、親知らず以外の後続永久歯は、乳歯の真下に生えてくるものです。乳歯の根っこを吸収しながら、乳歯が自然脱落すると同時に永久歯が生えてくるものなのです。それが、乳歯が抜け落ちず永久歯が生えてきているというのは、本来生えるべき位置からずれて永久歯が生えてきているためなのです。どうしてそのような事態になったかどうかは定かではありませんが、本来抜け落ちなければならない乳歯が残ったまま永久歯が生え、そのまま放置しておくと永久歯の歯並びが乱れる原因となります。こういった場合、歯科検診では要注意乳歯という判定を下します。要注意乳歯ということは、直ちに専門家である歯医者に抜歯してもらわないといけないということを意味しているのです。永久歯の歯並びがうまくいくよう、抜け落ちていない乳歯を抜歯をしてほしいという、学校歯科医からの緊急勧告なのです
実は、僕の8歳になる上のチビの下の前歯がそうでした。下の歯の乳歯が抜け落ちていないにも関わらず、その乳歯の舌側から永久歯の一部が歯肉から生えてきていたのです。僕は直ちに上のチビの乳歯を抜歯しました。早期に抜歯をしたおかげで、今では本来生えるべき位置に永久歯は移動し、順調に成長しています。
歯科検診の結果を受けて、先週末にはうちの歯科医院にも検診結果を持った地元小学校の生徒と親御さんが来院しました。僕は直ちに処置を施したのは言うまでもありません。歯科検診は、一人でも多くの生徒たちの口の中の健康を管理し、維持できる。毎年行われる歯科検診は学校歯科医としての責任の重さを感じる機会だということを実感する機会なのです。
先週の金曜日、僕は歯医者さんの一服日記を休みました。休みましたというよりも書くことができなかったと言う方が正しいかもしれません。先週の後半はパソコンを起動させることすらしなかった日もあったくらいでしたから。
あれは先週の水曜のことでした。うちの診療所は毎週水曜日が休診日なのですが、僕は一日中某所の歯科関係の専門学校へ非常勤講師として教えに行っています。先週の水曜日もそんな講義をし終え、ほっとした気分で家路を急いでおりました。電車に乗っていると体中の筋肉に妙な疲労感があるのに気が付きました。
"毎日の診療ではほとんど体を動かさないから、一日中立ちっぱなしで講義をすると足腰の筋肉が疲れるんだろうなあ?"
そのようなことを思いながら帰宅しました。その日はいつもより長めに風呂に入り、翌日に疲れをなるべく残さないようにしたのです。睡眠時間もいつもより長めに取ったつもりでした。ところが、翌日である木曜日のことでした。寝床で目を覚ました僕が立ち上がろうとすると、全身に激しい筋肉痛が生じたのです。両手、両足、腰、背中の筋肉が痛いのです。前日、一日中講義をしていたとはいえ、これまでの講義後とは異なり、筋肉痛の範囲と強度がこれまで以上のものでした。体全体が熱い感じがしましたので、これは何か風邪でも引いたかと思ったのですが、いつもの風邪とも異なり、体中の筋肉痛のひどさに思い悩みました。本来なら、少しでも早くかかりつけの医者に診てもらい、原因を見つけなければならないわけですが、あいにくその日はうちの診療所に来院される患者さんの予約が満杯になっていたのです。僕自身、体調の不良の原因を早く探りたいのはやまやまでしたし、体調不良が原因で診療が滞っていれば結果的に患者さんに迷惑がかかります。本当は、誰か代わりの人がいれば代わりたかったぐらいでした。本来なら、うちの診療所は、親父も歯医者としているわけですが、親父はたまたまその日に近隣の市の場所へ出かける用事があり一日中家を留守にしていたのです。仕事を代わってほしくても代わってくれる人がいない。結局のところ、僕は自分の体調を考えながら、我慢しながら診療を行わざるをえませんでした。
その結果どうだったかと言いますと、診療が終わり、休みを取るために自宅に戻った途端、部屋の畳の上に倒れこみ、ばたんきゅう。食事も喉を通らず、診療時間がくればすぐに起き上がって診療所へ向かい仕事をするということをしておりました。仕事そのものは、自分で書くのも何ですが、集中力で患者さんに迷惑をかけずに治療ができたと思います。むしろ、いつも以上に集中していたせいか効率的に治療できたぐらいです。むしろ、患者さんの予約が患者さんの都合でキャンセルとなり、突然時間が空いた時などがつらかったでした。診療中忘れていた全身の筋肉痛、倦怠感がぶりかえしてくる始末。スタッフには普段と変わらぬ態度を取りながら、心の中では体調の悪さに一人泣いておりました・・・。
肝心の医者に診てもらったのは、休みの日になってからでした。近くの病院に勤める内科医の弟に診てもらったのですが、血液検査結果からは原因はわかりませんでした。 弟曰く
「そのうちましになってくるで!」
後日、再検査する予定です。幸い、体調は日が経つにつれ徐々に回復してきたのですが、体調が悪くても代わりがいない自営業のつらさを身にしみて感じた、今日この頃です。
2006年05月25日(木) |
漉し餡好き、粒餡好き |
昨日、嫁さんが買い物から帰ってきました。両手に近所のスーパーで買った食料品が一杯入った買い物袋を持ち、家の中に入ってきました。毎度我が家で見られる光景の一つではあるのですが、そんなスーパーの買い物袋以外にもう一つ別の袋がありました。それは、スーパーの中に入っているパン屋さんの袋だったのです。そのパン屋さんは我が家のお気に入りのパン屋さんでいつもパンを買うときはそのパン屋さんで買っているのです。今回もそのパン屋さんの袋の中には何種類かのパンが入っていました。チビたちが好きなロールパンやチーズパン、メロンパンなどが入っていました。
買い物から帰り小腹の減っていた嫁さんはおもむろにあるパンを取り出し、半分に引きちぎりました。そして、僕に
「そうさんも半分いらない?」 半分に引き裂かれたアンパンを見て、僕はあまりいい気がしませんでした。 その理由は、せっかくのアンパンが半分に引き裂かれ、小さくなったからではありません。僕はアンパンが半分になって怒るほどけち臭い人間ではありません。それでは、どうして嫁さんが引きちぎったアンパンを見ていい気がしなかったといいますと、それはアンパンの中身が問題だったからです。嫁さんが買ってきたアンパンは粒アンの入ったアンパンでした。この粒アンが僕には気に入らなかったのです。
幼少の頃から、我が家では餡子を家で作っていました。我が家では1年に最低2回は餅をついて作っていました。一緒に暮らしていた祖父や祖母が大の餅好きだったからですが、もち米を竈で蒸して、臼と杵で餅をついて作っていたものです。その餅のために必ずトッピング用に用意いたのが餡子でした。それも、粒アンではなく漉しアンだったのです。どうして漉しアンばかり作っていたのかということになりますが、これは祖母の好みだったようです。そのおかげと、僕も幼少の頃から常に漉しアンに親しみ、今日に至ったのです。そのため、僕にとって餡子とは漉しアンというイメージが完全に頭の中に出来上がってしまったのです。
誤解のないように書いておきますが、僕は粒アンを全く食べないということはありません。少なくとも他人の目がある場合、僕はこれまで何度も粒アン入りのアンパンや団子、ぜんざいなどを食べてきました。けれども、粒アンを食べた時にいつも決まって感じるのは、餡子を食べたという実感がわかないことです。どうして実感がわかないかということを言葉で説明しようとしても難しいのですが、どうも僕の頭の中には餡子イコール漉しアンというイメージが完全に出来上がり、粒アンを認めない思考パターンが出来上がっているからなのです。
一方、嫁さんは餡子といえば粒アンというほどの粒アン派です。僕とは全く異なり、粒アンを食べないと餡子を食べた気がしないと言います。話を聞いてみると、嫁さんの実家では昔から皆粒アンを好んで食べてきたそうで、嫁さんも幼少の頃から粒アンに囲まれて大きくなったらしいのです。そのため、アンパンももっぱら粒アンの入った物を選んでいるのです。
三つ子の魂百までと言いますが、幼少の頃の生活習慣、食習慣というものもその後の食習慣に影響を与えると言えるでしょう。我が家では僕は漉しアン派、嫁さんは粒アン派ということになっていますが、それぞれ育ってきた環境がこのようなことにしたことは想像に難くないことでしょう。
それでは、我々夫婦の二人のチンチンボーイズたちはどんな好みに育つのでしょう? 漉しアン好きに育つのか?それとも、粒アン好きに育つのか?僕と嫁さんの間では、それぞれ漉しアン好き、粒アン好きに育てようと虎視眈々と狙っています・・・。
2006年05月24日(水) |
外で大声で僕の名前を呼ばないで! |
皆さんは、外出しているときに知人や友人の姿を目にした時、どのように声をかけますか?僕の場合、自ら知人や友人の近くに近づいて声を掛けたり、肩を叩いたりして知らせるようにしています。状況によっては目線だけで合図を知らせたり、軽く会釈をするだけで済ますこともあります。状況に応じて臨機応変に対応しているつもりですが、大切なことは公衆の面前であるということです。周囲に知人や友人以外の人がいないなら問題はないのですが、多くの場合、知人や友人以外に多くの人々が行き来しているような場所では、自分の存在を知らせるためにあまりにも大きな声を掛けることは、場の雰囲気を乱したり、公衆の中でのマナーに反するのではないかと思うのです。
先日、僕はとある場所で買い物をしていたのですが、その際、何気なく顔を上げた時にたまたま視線が合った人がいました。 ”どこかで見たことがある人だなあ?”と思っていると、相手の方が僕の方へ近づいて会釈をされました。
「こんな所でお会いするなんて奇遇ですね、先生。白衣でない普段着姿の先生を見るのは初めてですよ。」
その方は長年うちの歯科医院を受診している患者さんでした。僕自身、思いがけぬ所で思いもかけぬ人と出会ってしまったわけですが、僕よりはるかに年配の患者さんにも関わらず、僕の所まで近づき、穏やかに声を掛けてくれたというのは実に有り難く感じたものです。そのスマートな挨拶ぶりを是非僕もマスターしたいものです。
その一方で、逆のこともあります。それは、いつもよく出かけるショッピングセンターでのことです。そのショッピングセンターの中には写真屋さんがあり、僕は買い物に出かけるついでに写真を現像したり、証明写真や写真入り年賀状をお願いすることがあるのです。何度も足を運んだせいでしょうか、その写真屋さんに僕の顔と名前をすっかり覚えられてしまい、今では店に行くと必ず 「毎度有難うございます、○○さん(僕の本名です)」 と声を掛けられます。
最近、僕の叔母がその写真屋さんへフィルムの現像をお願いし、出来上がった写真を撮りにいったのですが、写真屋さんが中身を確認していると、僕が写っている写真を見て思わず
「あっ、○○さんだ!」 と言われる始末。随分と写真屋さんに顔を覚えられたものです。
まあ、これだけであれば何も問題はない、客を大切にする写真屋さんだと言えるのですが、困ったのは写真屋さんに用事がない時にも声を掛けられるのです。写真屋さんはショッピングセンターの入り口近くにあるというロケーションです。そのため、僕がショッピングセンターに入る時には必ず写真屋さんの前を通らなければ中へ入れないのですが、最近、写真屋さんの前を通る度、
「○○さん、こんにちは!」 と声を掛けられるのです。それもかなり周囲に響く大きな声で。
声を掛けてくれること自体は悪い気はしないのですが、公衆の面前ということを考えると、そこまで大きな声で僕に声を掛けなくてもいいのではないかと言いたくなるのです。写真屋さんにとって僕は顧客の一人なのかもしれません。そのため、顧客を大切に思うがあまり、僕がショッピングセンターに入る際には大きな声で声を掛けてくれるのかもしれませんが、僕にとって写真屋さんは単に写真の現像をお願いするだけの商売上の関係であって、個人的な付き合いというのはないのです。そんな間柄を考えると、そう大きな声で気軽に僕の苗字を呼んで声を掛けるというのは、如何なものかと思うのです。将来的に友人や家族ぐるみの付き合いみたいな関係になる可能性もゼロであるとは言いませんが、今のところはそれほど深く付き合う関係ではないのですから。
今後、あまりにも度が過ぎるようであれば直接写真屋さんにお願いするしかないとは思いますが、願わくば、大きな声を掛けられて僕が嫌がっていることを気がついて欲しいと思うのですが、どうでしょうねえ?
先週の日曜日のことでした。小学校2年生の上のチビが勉強机の上で何やら悪戦苦闘している姿を目にしました。
”一体何をしているんだろう?” と思い覗いてみると、ある通信教育の練習問題集でした。その問題集には毎日しなければいけない課題があるのですが、上のチビはその課題をさぼっていたようで何日分もためてしまっていたのです。そのたまった分を一気に取り返そうと必死でやっていたみたいなのですが、ある問題につまづいていたために気ばかりあせり、いらいらしていたのです。その問題を読み、問題が意図しているところを把握した僕は、上のチビに問題を解くための手順を教えてやりました。最初半信半疑だった上のチビでしたが、僕が段取りをつけたやり方で問題が解けると、
「もう少しそばにいてほしい」 と言い出す始末。気が付くと2時間ほど上のチビの勉強を見てしまいました。勉強が終わりになるとさすがの上のチビもあくびを連発していましたが、ためていた課題が終わると満足そうなニコニコ顔をしながら
「今度は外でキャッチボールをしよう!」 と言って、晴れた天気の家の外へ駆け足で出て行きました。
僕はこの4月より歯科関係の専門学校で非常勤講師として教鞭を取るようになりました。教鞭を取るといっても週1回、期間限定の非常勤講師なのですが、患者さんの診療を行い、地元歯科医師会の仕事をこなしながらの講義というのは結構大変です。講義するだけならまだいいのですが、講義には必ず下準備が要ります。特に、今回初めて講義をする僕にとって、下準備は非常に手間隙がかかり、講義の下準備が整うのはいつも講義の前日という有様。
肝心の講義はというと、正直言って試行錯誤の連続といったところで、最初のうちは学生が本当に僕が講義している内容を理解してくれているのか自信を持てませんでした。特に、僕が講義している内容は歯科関係の内容とはやや縁遠いことが中心です。僕の某歯科大学時代、同じ分野の講義を受けましたが、結構退屈でいつの間にか夢うつつという状態だったものです。まさか、その夢うつつ状態に陥った分野を将来自分が講義しなければならない立場になろうとは夢にも思わなかった当時。そんなことならもっと学生時代に勉強しておくべきだったと思いながら講義の下準備をしているわけですが、学生時代にはわけのわからなかったことが実は非常に奥深い知識や技術、歴史などが背景にあることを知るに連れ、これはこれで面白く感じます。
そのような下準備を元に学生に講義をしているわけですが、当初僕が教える講義分野に関心を持ってくれる学生はいませんでした。それはそうでしょう。僕自身が退屈に感じた講義なのです。学生たちに興味を持てと命令しても無理な話です。けれども、ある言葉の由来やエピソードを冗談を交えながら解説すると、数少ないながらも興味を持っていたり、関心を持ってくれる学生の姿が出てきました。中には質問をしてくれる学生も出てきました。先週の講義では、ある言葉の説明をしていると、急に僕の話に耳を傾ける生徒が急に増えました。何がきっかけだったかはわかりませんでしたが、明らかに自分に対して視線の数が増えたのは確か。 これが教えるということの醍醐味の一つなのでしょうか?
教えるということは結果が直ぐにでるわけではないもの。むしろ結果が出ないことの方が多いかもしれません。ましてや学生たちの生き方に影響を与えるような内容の講義というのは非常に難しいものです。けれども、自分が持っているものを気持ちをもって教えた時に学生や生徒からレスポンスがあるというのは実に気持ちがいいものです。一種の快感に近いものがあるように思えました。決して自己満足に陥るというわけではなく、自分が教えたことが確実に相手に伝わっていることがわかるということは、何物にも勝るところがあるのではないか?素人教師の僕はそのようなことを思うのです。
僕の講師としての給料は決して高くはありません。むしろ、準備時間を含めれば安いのではないかと思うくらいですが、日頃の診療で得られるものができない、下の世代への知識、経験の伝達という行為を体験できるという環境は、非常に有り難く、有意義な時間を持つことができているのではないかと思うのです。これはお金では決して買えないものです。
4月以降、これまでに経験をしたことがない時間に追われるような生活を強いられ、体力的にはぎりぎりの状態が続いているのですが、教育というものの可能性の一端を肌で感じつつあるように思う、歯医者そうさんです。
2006年05月22日(月) |
最低限読むことができる字を書いて欲しい! |
先週の始め、地元歯科医師会で会合があったのですが、その際、先輩の先生であるH先生から僕は一枚のメモ用紙を見せられました。そのメモ用紙には手書きでいくつかのことが走り書きしてありました。
「このメモ用紙はそうさんと話をしていた時に取ったメモ用紙なんだけど、この部分が何て書いてあるか読めないのよ。どんな意味かわかるかな?」
以前、僕はH先生に地元歯科医師会での仕事の一部を引き継ぎ、その仕事の内容を口頭で伝えていました。H先生は僕が口頭で伝えた内容をメモ用紙にメモ書きしていたのですが、自ら書く字がきれいとは到底言えないH先生は、自らが走り書きした字の一部を読むことができなかったのです。そこで、僕に助けを借りて、話していた内容から読めなかった字の解読をしようと試みていたのです。幸い、前後の文脈がわかりましたので、引き継ぎの内容を思い出しながらH先生が読めなかった字は容易に解読することができました。
何だか冗談のような話かもしれませんが、歯医者を含めた医療関係者にとって、医療情報をやりとりする文書で書かれた文字が乱雑で何が書かれているか読み取れない文書に頭を悩まさせられることはしばしばあるのです。先月、僕はある内科系の病気で通院中の患者さんの主治医に医療情報の提供を求めて手紙を書いたのですが、数日後返信されてきた手紙を見て僕はわが目を疑いました。あまりにも丁寧な?走り書きのため書いてある内容を読み取ることができなかったからです。何だか酒に酔っ払いながらふざけて書いたようにも思えるような乱筆に僕は頭が痛みました。
僕自身、自分が書く字はきれいな字だとは口が裂けても言えません。特に、メモ書きの場合、他人が見れば僕が書いた文字を読むことは困難でしょう。けれども、自分流の書く字の癖は誰よりもわかっていますので他人には読めなくても何とか自分では解読できる自信があります。 一方、他人に対して文書を手で書く時にはゆっくりと丁寧に書くように心がけているつもりですし、後から読み返してみて自分が書いた文書が読めないことはありません。また、自分が書いた文書が読めないとクレームを受けたこともありません。
一見すると当たり前だと思われる読める文書を書くことですが、医療関係者の中には全くそのことを気にするそぶりさえ見せない人がいるのは悲しいことです。むしろ、”自分は忙しいのだから自分の書いた文書はちゃんと解読しろ!”言わんばかりの乱筆で書かれた文書さえあるくらいです。医療情報が記された文書は、患者さんの個人情報であり、微妙な内容が記されています。そのため、医療情報の取り扱いには細心の注意が必要であることは言うまでもないことですが、その一方、必要最低限の関係者が情報を共有せざるをえないものです。このような状況で手書きの医療情報が乱筆のために読めないというのははなはだ迷惑であり、必要以上の精神的ストレスを感じます。医療情報を手書きする際、医療情報を共有することができる関係者にも読める字を書くことは最低限のマナーだと思うのですが、そのことがわかっていない医療関係者が少なからず存在するのは如何なことかと思います。
幸い、最近ではテクノロジーの発展や個人情報の取り扱いを含め、医療情報をパソコンで管理することが多くなってきました。カルテも手書きのみならずワープロを用いるケースもしばしばですので、乱筆家である医療関係者もワープロソフトを利用することで自らの欠点をカバーすることができるようになってきたのはうれしいことだと思いますが、いつ何時手書きをしないといけない状況になるかわかりません。医療情報の場合、誰もが読み取ることができる、最低限の丁寧な字を書くよう努めることが医療関係者にとって義務ではないかと思う、歯医者そうさんです。
平成16年に厚生労働省が実施した医師・歯科医師・薬剤師調査によると、日本全国にいる歯科医師の総数は、95197人なんだとか。歯科医師国家試験に合格した歯科医師のことも考慮すると、平成18年現在ではおそらく10万人の大台を突破した可能性は非常に高いように思います。歯医者と言うと、誰もがイメージするのは痛くて、怖い、できるだけ関わりたくない業種の人だということが真っ先に思い浮かぶのではないかと思うのですが、平成18年現在、10万人の歯医者がいるということを考えると、一言歯医者と言ってもいろんな歯医者がいるということが容易に想像つくのではないでしょうか。
そんないろんな歯医者の一人にF先生がいます。F先生は僕が所属する地元歯科医師会の先輩の先生で、普段から何かと世話になっている先生です。患者さんに対して熱心に診療されているのはもちろんですが、地元歯科医師会の仕事も積極的にこなされ、多くの地元歯科医師会の先生の信頼を得ている先生です。
そんなF先生から定期的に送られてくるものがあります。それは、メールです。通称、『壁に耳あり通信』と呼ばれるF先生からのメールは、F先生と付き合いがあり、事前に登録している人に送られてくるメールで、毎週数通送られてきます。内容は、地元歯科医師会の内幕を書いたものを中心に政治ネタ、経済ネタ、芸能ネタなど多種多彩です。正直言って、配信される中身は?が付くものが多いのですが、F先生独自の視点と文書表現の巧みさ、絶妙な配信時期などからかなりの数の配信登録者が『壁に耳あり通信』を楽しみに待っているようです。
『壁に耳あり通信』は10年前ぐらいから配信されているようです。開始当初は、ファックスで送られてきました。F先生直筆の文字と内容にあった挿絵が絶妙で密かに地元歯科医師会の中にファンが増えていったのです。ところが、ファンの中から”ファックス用紙がいくらあっても足りない!”という文句が出たこと、それから、折からの携帯電話の普及が相まり、F先生は通信媒体をファックスから携帯メールに変更され、現在に至っています。
僕もいつもF先生からの送られてくる『壁に耳あり通信』を楽しみにしているファンの一人なのですが、いつも疑問に感じることがありました。それは、通信時間がどう考えても診療時間中だからです。F先生にそのことを尋ねると
「暇な時に打っているんや。ということで、いつもうちの診療所は暇だということやな、ハッハッハッハ・・・・・・・。」
多くの隠れファンがいるF先生配信の『壁に耳あり通信』、今回のゴールデンウィークを前後して突然配信が途絶えました。一体何があったのだろうか?毎日の診療が忙しくなったのか?それとも、スタッフもしくは奥さんに叱られたのか?そのような憶測が『壁に耳あり通信』ファンの中で流れた矢先、久しぶりの『壁に耳あり通信』が昨日配信されました。その中に『壁に耳あり通信』がしばらく音沙汰なかった理由が書いてありました。
”携帯電話を新しい機種に変更したのですが、その携帯電話のキーが打ちにくくて四苦八苦していたました。最近ようやく慣れてきたので、ぼちぼち『壁に耳あり通信』を再開しようと思います。壁に耳あり通信社”
一言歯医者といってもいろんな歯医者がいるものです。ハイ。
2006年05月17日(水) |
歯医者に似つかわしくない場所 |
先週末、僕は母校の歯科大学の同窓会地元支部の集まりがあり参加してきました。例会の後、懇親会というお決まりのパターンなのですが、その懇親会の席上、僕はある先輩の先生と同じテーブルで隣同士になりました。その先輩の先生とはA先生。A先生は齢70歳近い先生で、僕にとって大先輩に当たるのですが、僕が幼少の頃から世話になった先生だったことから気兼ねして話をするどころか、数年振りにお会いしたことからいろいろと話が弾みました。
実はA先生に関して、僕は以前から気になることがありました。それは、A先生の姿を地元のスーパーやデパートでお見かけしたからでした。それも一度や二度ではありません。僕が嫁さんと買い物していた時には必ずと言っていいほどその姿をお見かけしていたのです。いつも、買い物袋を下げ、時にはお孫さんを連れながら食料品売り場をうろついているA先生。しかも、A先生は奥さんと一緒ではなく、お孫さん以外はほとんどお一人だったのです。僕はA先生の姿を目にする度挨拶はしていたのですが、それにしても買い物客層の大半が主婦という食料品売り場で70歳近いA先生が一人で買い物をされている姿には疑問を感じざるをえませんでした。何か家庭に事情があることは間違いなかったのですが、そのことを直接伺うわけにもいかず、今まできていたのです。
そのような疑問が解ける時がやってきました。今回の同窓会の懇親会の席上、僕はA先生に地元のスーパーやデパートで何度かお会いしたことを話していましたが、その際A先生や僕と同じテーブルにいたH先生が会話に加わってきたのです。
H先生はA先生声を掛けました。
「そう言われれば、わしもA先生を○○スーパーで何度も見かけたよ。A先生にはふさわしくない場所でね(笑)。どうして先生に似つかわしくない場所でうろついているんですか?」
A先生曰く
「別に隠すことでもないんだけど。実は、家内は数年前からある足の病気で歩行が困難な状態なんだよ。家の中にいる時も装具を身につけないと歩けないくらいなんだ。家事をするのも一苦労なんだよ。ましてや外へ買い物となるとだめでね。そうすると家の中で外へ動けるものといったら俺しかいないんだよ。息子や娘たちも遠くに住んでいるからいつも手伝いに来てとも言えないしね。家内に買い物しなければいけない物をリストアップしてもらって、メモに書いたものを元に俺が買出しに出かけているというわけ。
最初の頃はね、いざ買い物に行くとなると大変だったよ。何せ、それまで家事のことは家内に全部任せていたから。野菜や果物がどこにおいてあるかどうかもわからずに苦労をしたもんだ。今となってはそれも慣れて良い気分転換みたいな感じになっている。孫がうちに来た時なんか家にずっといても退屈するだけだから一緒に連れて行くんだよ。そういったところをそうさんに見られていたわけだ。年老いた歯医者がたむろするような所じゃないかもしれないけどな、ハッハッハ・・・・・。」
70歳近い年齢のA先生は普段の診療だけでも体力的にかなり大変なはずです。そんなことはおくびにも出さず、難病の奥さんの代わりに毎日買い物に出かけているA先生。そんなA先生の姿に思わず目頭が熱くなった歯医者そうさん。どうか無理はなさらず、いつまでも元気な姿を見せてほしいと思わずにはいられませんでした。
2006年05月16日(火) |
髪の毛が少ない患者さんへの悩み |
歯科医院で歯の治療を受けられた方はよくわかると思うのですが、歯の治療を行う際、多くの場合、患者さんは診療台の上に仰向けに寝てもらい、口を開けます。術者である歯医者は患者さんの頭頂部に位置し、患者さんを上から覗き込むような形で治療を行います。このような診療スタイルを水平位診療というのですが、歯医者が長時間にわたり何人もの患者さんの歯の治療を行うには最も体の負担がかからない診療スタイルだということが言われています。
僕も普段の診療はこの水平位診療で行っているのですが、この診療スタイルでは他人と接する際には考えられないようなことが起こることがあります。その一つが患者さんの頭頂部が僕の腹部に直接接触するということです。他人と話をする際、ほとんどの場合向かい合って話をするものです。向かい合う相手に対して接触するということは何かの意図がない限りありえません。特に頭頂部となると、日常生活においてその頻度はほとんどないと言っていいのではないでしょうか。ところが、歯の治療のために水平位診療を行っていると、患者さんの頭頂部と接触する機会が必然的に多くならざるをえないのです。頭頂部と接触するだけならまだいいでしょうが、接触することにより思わぬことが起こったりするのです。
先日のことでした。ある患者さんの治療を行っていました。治療の途中、ある器具を診療台の近くのキャビネットから取り出そうと診療台から離れようとしたその時でした。何かが僕の腹部に付いてくるのです。付いてくるというよりもまとわりつくと言った方が正しかったかもしれません。一体何だろうと思い、自分の腹部を見た僕の目に映ったものは、髪の毛でした。単に髪の毛だけであればよかったのですが、治療を受けていた患者さんの頭頂部は髪の毛の数が少なくなっている、所謂バーコード状態だったのです。どうやら患者さんの頭頂部と接触した僕の白衣との間に静電気が生じたようで、患者さんの残り少ない髪の毛が見事に僕の白衣にまとわりつき、まるで”怒髪天を突く”ような状態へ様変わりしていたのです。その患者さんは頭に整髪料を付けていなかったこともあり、静電気によって髪の毛が他のものにくっ付きやすい状態にあったかもしれません。しかも、僕の腹部の白衣が診療することによって何度も患者さんの頭頂部に接触するということが起こることにより、見事に髪の毛が僕の白衣の腹部に付いてしまったのです。
誰でも年若き頃、頭の上にセルロイド製の下敷きを何度も擦りつけると、下敷きに生じた静電気により髪の毛が持ち上がるということを経験されたことがおありだと思いますが、今回の場合、まさしくその状態が診療によって再現したようなことになります。
仕方がないことでしたが、僕は白衣についてきた髪の毛を自分の手で払い、取り除いたわけですが、結果として僕が見たものは、患者さんのヘアスタイルの乱れでした。ある程度櫛を入れて整えていたであろう患者さんのヘアスタイルがまるで寝起きのような乱れになってしまっておりました。こういった場合、患者さんにどう言ったらいいのか考えますね。不可抗力だとはいえ僕のせいで患者さんのヘアスタイルを乱すことになったわけですから。かと言って、まともに髪の毛が乱れたことを患者さんに直接伝えるのもはばかれます。髪の毛がバーコード状態であることは患者さん自身一番ご存知のことですし、そのことを気にしている場合が多いわけですから。僕としては他人が体のことで気にしていることを面と向かって言うことはできません。最終的に僕がその患者さんに髪の毛の乱れを伝えたのは、診療が終わって治療の説明をした後のことでした。
「帰られる前に洗面所の鏡を見てから帰ってくださいね。」
洗面所で乱れたヘアスタイルを自分で直されて帰宅されたことを願った、 歯医者そうさんでした。
2006年05月15日(月) |
妊婦の歯の治療について |
地元歯科医師会の仕事をしていると、歯や口の中のことに関する問い合わせの連絡があります。さまざまな種類の問い合わせがあるようなのですが、僕がたまたま地元歯科医師会の事務局へ雑用に出かけていた時にある市民の方から電話がありました。事務局に居合わせた僕は歯医者としてこの方の相談に耳を傾けました。
相談者は妊婦の方でした。既に妊娠5ヶ月を迎える身であるが、最近食事をしていると奥歯の詰め物が取れてしまったとのこと。妊娠していなければ直ぐにでも歯科医院を受診するところだが、歯の治療をすることで自分ののみならずお腹の中の子供に影響がないかどうか心配しているという質問でした。
それに対し僕の回答は、
”歯の治療に関して問題なく行うことができるので、安心して近所の歯医者、かかりつけの歯医者へ行って歯の治療を受けてほしい。”
歯の治療の際、レントゲン写真撮影をしたり、麻酔注射を打ったり、薬を飲まざるをえないことがありますが、妊婦の方の場合、自分ひとりの身ではないだけに歯の治療に不安を抱える方が多いように思います。確かに妊娠初期の時点では、お腹のお子さんは成長が著しい時期ということもあり、歯の治療の影響を受けやすい可能性があります。そのため、この時期は歯の治療の必要があってもなるべく応急処置を行うのが普通で、本格的な処置は安定期である妊娠中期以降に行います。
実際の歯の治療が体に与える影響を考えてみても、レントゲン写真撮影をしなければいけない場合、あらかじめ鉛の入った防護用エプロンを着用すればレントゲンのX線による被爆はほとんどないと考えていいでしょう。麻酔の注射に関してはあくまでも治療を行う必要がある歯の周囲に限定されることから、麻酔の注射液が全身に影響を与えることは考えにくいもの。薬に関しては、ある種の抗菌剤や鎮痛薬、抗炎症薬の服用は避けた方がよいでしょうが、それ以外の抗生物質や抗炎症薬を服用したとしても、妊婦やお腹の子供へは悪影響が出ないのです。どうしても服用しないといけない薬でも内服ではなく頓服であれば問題ないようです。
今回の相談者は妊娠5ヶ月目の妊婦さんでしたので、歯の治療に関しては全く問題がないように思えましたので、僕は近くの歯科医院やかかりつけの歯科医院で歯の治療を受けることを勧めました。その際、自分は妊娠5ヶ月目であることを担当医に伝えてほしいことはお願いしました。いくら問題を起こす可能性は少ないとはいえ、歯医者もそれなりの心積もりが必要なのです。また、変に歯医者に行くことを怖がり、我慢をしたくなりがちですが、むしろ痛みを我慢し続けることの方が精神的ストレスとしてお腹の赤ん坊に悪影響を与える可能性さえありますので治療を受けるべきだと僕は相談者に伝えました。
本音を書かせてもらえば、妊娠する可能性のある女性は、妊娠するまでに定期的にかかりつけの歯科医院を受診する習慣を持っていてほしいと思います。妊娠は肉体的にも精神的にも体に負担を抱えるものです。少しでも妊娠の時期を楽に過ごすことができるよう、少なくとも口の中のトラブルで心配の種が増えないよう、普段から歯の病気を早期発見、早期処置するだけでなく、歯の病気に罹らないために予防を行うことが大切です。そのためには、普段から歯の健康に関心を持ち、かかりつけの歯医者で定期的に歯のチェックを受けるようにすることが大切なのではないかと思います。いざ妊娠しても歯のことは心配しなくてよいという心の余裕を持てるよう、妊娠の可能性がある女性の方には心がけてほしいものです。
全国各地の幼稚園、小学校、中学校、高校では、4月後半から6月にかけて検診が行われているはずです。検診の中には口の中の歯や粘膜、噛み合わせや顎関節を調べる歯科検診も行われ、学校歯科医を中心とした歯医者が生徒たちの検診に当たっています。僕もそんな学校検診を担当する学校歯科医の一人であり、5月後半に学校検診を行うことになっています。
そんな学校検診でしばしば目にする処置の中にシーラントというものがあります。シーラントとは一体どんなものなのでしょう?シーラントとは、乳歯の奥歯である乳臼歯や生えてきたばかりの永久歯の奥歯である小臼歯、大臼歯の表面にある多数の溝を埋める材料のことをいいます。
どんな奥歯にも、歯同士がかみ合う面には多数の皺のような溝があります。乳歯や生えてきたばかりの永久歯の小臼歯、大臼歯の場合、その溝は深く、歯ブラシで磨こうとしても歯ブラシの毛先が届かないほど深いものもあります。そのような溝の深い歯の場合、深い溝に歯垢や食べかすや歯垢が入ると歯磨きで除去することが難しく、残ってしまうことがあります。しかも、乳歯や生えたばかりの永久歯は通常の永久歯よりも幼弱で、歯質が弱い特性があります。そのため、溝が深い乳歯や生えたばかりの永久歯の小臼歯、大臼歯はむし歯になるリスクが高いことが多いのです。それならば、食べかすや歯垢が歯の深い溝に入り込まないよう、予防的に深い溝に詰め物を詰め、塞いでしまう処置がシーラントなのです。
シーラントの処置の大きな特徴は、リン酸という酸を歯面に塗り、化学的処理のみ行った後、詰める詰め物なのです。通常、歯に詰め物をする時には、詰め物をする場所は削るものですが、シーラントの処置において、歯を一切削らなのです。ということは、シーラントはむし歯の治療で用いる材料ではなく、あくまでもむし歯にならないように予防的に用いる材料だということを意味します。
それでは、あらかじめシーラントで歯の深い溝を塞いでおけばむし歯にはならないのではと思われるかもしれませんが、実際のところはそうではない場合があります。何せシーラントで用いる詰め物は歯を削らず化学的な処理だけでくっついているわけですから接着が弱く、時として一部が破損してしまうことあります。この破損が生じるということは、せっかく塞いだ歯の溝の一部が露出することを意味します。むし歯にならないように予防的に溝を塞いだつもりでも、溝の一部が塞がず露出しているとその部分にむし歯菌を含んだ歯垢が入り込み、むし歯になるリスクが高くなるのです。
シーラントをしたからといってむし歯にならなくなったというわけではないのです。シーラントを行えばシーラントがちゃんと保たれているかどうか確認するために、定期的に歯科医院でチェックしてもらわないといけないのです。もし、定期的なチェックでシーラントに破折が見つかった場合には、直ちにシーラントの再修復が必要となります。
学校での歯科検診を行っていると、シーラントの処置を受けている生徒をしばしば目にしますが、そのような生徒の中にはシーラントが欠けているにもかかわらず気づかずそのまま放置している生徒がいます。シーラントの処置を受けた経験のある子供さんが周囲にいましたら、必ず歯科医院でシーラントが保たれているか定期的にチェックを受けるよう伝えてあげてほしいと思います。
昨日のことです。僕はいつものようにパソコンを起動させ、メーラーを使用してメールチェックを行っていました。メールは10通ほど届いていたのですが、数通ほど受信した後残りのメールの受信がなかなかできずにいました。時間にして10分ぐらいだったでしょうか。メールの受信に時間がかかることはこれまでも何度かあったのですが、10分近く受信できない状態はあまり経験したことがありませんでした。
”パソコンやメーラーに不具合があるのだろうか?新しいノートパソコンになってから1週間も経っていないのになあ”
と思いながら他の用事をしていました。その後、パソコンが置いてある場所に戻りパソコンの画面を見ていると受信は終了していました。そこでメーラーの受信画面を確認すると、受信に時間がかかった理由がわかりました。それは、ある知人からのメールに付いていた添付ファイルの容量が大きかったせいだったのです。その容量は数メガバイト。
”数メガバイトぐらいだったら問題なく受信できるんじゃないか?”
と思われる方もいるかもしれません。確かにそのとおりだと思うのですが、問題は僕が利用している通信の環境がいまだにブロードバンドではないということです。ADSLや光ファイバー、ケーブルなどのブロードバンドを利用したいのはやまやまなのですが、僕が住んでいる場所は地理的な理由から未だにブロードバンドを利用できる環境ではなく、しかもその状況が改善される見通しが今もってついていないのです。何度もブロードバンドを提供する通信関係の会社に問い合わせはしているのですが、帰ってくる返事はいつも
”サービスの予定は当分ない、今後サービスを提供するかは未定”
どうもうちのような人口が少なく、地理的に都市部とは離れているような場所にブロードバンドの設備投資をすることは経費がかかるようで、採算に合わないようなところは切り捨てるという考えが通信会社にはあるにしか思えません。
とにかく、僕は今もってISDNしか利用できずにいます。ISDNは、通常のネットサーフィンやメールのやり取りぐらいであればさほど問題はないのですが、大容量のファイルやメールのやり取りとなると時間がかかって仕方がありません。 例えば、今回新しいパソコンを導入するに当たってワクチンソフトをインストールしアップデートをしたりウィンドウズアップデートを行ったのですが、完了するまでに2時間以上かかりました。 最近、音楽ファイルをダウンロードするサービスが全盛ともいえますが、僕も試しに某サイトから70分程度のクラシック音楽のCDファイルをダウンロードしたのですが、それにかかった時間は3時間余り。 いつも診療所で仕事で利用しているレセプトコンピューターがあるのですが、今回4月の保険診療報酬改定のためにバージョンアップが頻繁にあったのですが、バージョンアップにかかった時間は合計5時間余り。 おそらく、ADSLであれば10分もかからないぐらいで受信できるようなファイルでしょう。光ファイバーであればもっと短い時間で済むかもしれません。僕はフレッツISDNを申し込んでいるので受信に時間がかかろうとも通信料の心配をすることはないのですが、それにしてもこれら大容量のファイルを受信している間はパソコンを使って他のことをしようにも気になってできません。以前ならブロードバンドを利用している人は限られているため、お互いのデータ交換はデータ容量を少なくすることが常識のようなところがあったのですが、ブロードバンドが普及してきた現在、そのようなことはもはや遠い昔のようなところがあります。けれども、日本の中にはうちのように未だにISDNのようなナローバンドしか利用できない環境の人たちがいるということを是非知ってほしいです。
ある知人に僕が未だにナローバンドしか利用できない環境であることをぼやいたところ、その知人曰く
「ブロードバンドが利用できる所へ引越しすればいいんじゃない?」
引越しと簡単に言われても、ブロードバンドを利用するだけのために引越しできないんですよね・・・・・。
2006年05月10日(水) |
窮屈な世の中になったなあ |
昨夜、一日の診療が終わってからの時間帯に地元歯科医師会の主催で学校検診の説明会がありました。
一年に一度、市町村によっては一年に二度行っている所もありますが、幼稚園、小学校、中学校、高校では生徒を対象に歯科検診を行います。各学校には必ず学校歯科医と呼ばれる歯科医がいるわけですが、歯科検診は学校歯科医にとって非常に大切な仕事です。ところが、生徒数が少ない学校であるならばいざしらず、数多くの生徒を抱える学校の歯科検診を学校歯科医一人だけで行うのは大変です。学校歯科医が一人で検診を行う場合には、何日間かに分けて行いますが、様々な行事が行われる学校としては、歯科検診はできるだけ短時間で行ってほしいというのが本音です。そこで、学校歯科医としては、自分以外に検診を協力してくれる歯科医をどこからかお願いしなければいけないのです。そんな事情から、市町村の中には地元歯科医師会と委託契約を結び、学校検診に協力してくれる歯科医を地元歯科医師会の会員の歯医者の中から人選し、派遣してもらうような態勢をとっているところが多いのが実情です。 僕が住んでいる市においてもそうで、地元歯科医師会が音頭を取り、市内の各学校への検診協力歯科医の人選を行っています。僕も地元の小学校以外に他地区の小学校、中学校、高校の検診を手伝いに行っていますが、これも全て地元歯科医師会の指示によるものです。昨夜はそんな歯科検診を前にしての学校検診での約束事を確認する学校検診の説明会だったのです。
学校検診の説明会と言っても毎年同じ内容のことを確認するわけですが、今回の説明会では、担当の先生が興味深いことを話していました。それは個人情報保護法がらみのことでした。 これまで、学校で生徒が何らかの事故に遭い、学校から医療機関を受診する際、医療機関の担当医は、生徒に同伴している養護教員や他の職員の先生に対し、生徒の状態や治療内容について説明していたそうですが、昨年、個人情報保護法が施行されて以来、医療機関側が説明を渋る場合があったそうなのです。何でも、生徒の治療内容を説明するということは、生徒の個人情報を伝えることになる。その際、いくら学校の養護教員や職員であったとしても生徒の個人情報を伝えるということは個人情報保護法に抵触する可能性があるから問題だという指摘があったそうなのです。 昨年、そういったケースが何件かあったそうで対応を求められた学校や市の教育委員会は、事前に生徒たちの保護者に対し、学校内でのトラブルにより医療機関に受診せざるをえないような状況の場合、保護者の代わりに医療機関を受診することに同意するという内容の同意書を作成し、保護者に配布し、同意書に署名、捺印するように求めたそうなのです。時間がかかったそうですが、最終的に全ての生徒の保護者から同意書を得られたということで、今後は個人情報保護法のことは気にせず、学校側の付き添いの養護教員や職員に生徒たちの診療内容を説明してほしいということだったのです。
昨今、個人情報保護法の扱いについて様々な混乱を生じていることは皆さんもご存知のことと思います。これまで当たり前だと思っていたことや常識的なことだと思っていたこと、暗黙の了解があると解釈していたことなどが個人情報保護の観点から問題があると指摘を受け、多くの人々が過敏に反応してしまい、戸惑っているのが現状のようです。今回の学校検診がらみの同意書の件もまさしくそんな混乱の現場の一例だと言えるでしょう。
自分の子供が学校にいるということは、学校が親の代わりに預かっているということであるはずです。学校で生活をしている子供に何かトラブルが起きた際、学校の先生は親の代わりとして子供たちを世話する義務があるのは当然のことではないでしょうか?少なくともこれまではそうだったはずです。ところが、個人情報保護法は個人情報の保護の観点から、これまでのような暗黙の了解ともいうべき事項を許してくれない側面があるのです。いくら学校の教員であったとしても、生徒は他人である。他人である生徒の個人情報の取り扱いについては、生徒ならびに保護者の同意がなければならないのが個人情報保護法なのだとか。
結果的に生徒の親から同意書を得たということで、学校で生活している間、子供たちは先生が親代わりであるということが文書で明確になったということは評価されるべきことかもしれません。けれどもがお互いの信頼関係をいちいち文書で取り決め、明確化、明文化しないといけないものかということに関して、僕はどうも腑に落ちません。何かと世知辛い世の中になってきた今、人と人との人間関係がこれまでと同様に築きにくくなってきているのは事実かもしれませんが、個人情報保護法というのは本来の意味から逸脱して、人間関係の構築までもしにくくしている、妨げる面さえあるように思えてなりません。
人間関係というのは時には曖昧さ、ファジーさが許される、余裕のあるものではないかと僕は思うのです。決して人間関係を軽んじるというわけではありませんが、予期せぬことが生じ、臨機応変に対処しても人間関係の維持に何ら問題がない、そんな懐の深いものがこれまであったと思うのです。そんな曖昧さを一切排除しなければならないように追い込んでいるのが個人情報保護法のように思えてなりません。
何とも窮屈な、暮らしにくい世の中になってきたことを改めて感じた、歯医者そうさんです。
2006年05月09日(火) |
取れた歯、差し歯、詰め物は捨てないで! |
歯科医院に来院される患者さんの中には、歯に詰めていた詰め物や差し歯、被せ歯がはずれたから診てほしいということで来院される患者さんが少なからずいらっしゃいます。
”食事をしていたり、歯磨きをしていると大きな塊のようなものが取れた” ”歯と歯の間に食べかすが入りやすいと思っていた矢先、突然差し歯が脱落した” と言って駆け込んでくる患者さんの姿はどの歯科医院でも遭遇する光景です。
患者さんに取って、歯以外の異物が突然口の中に出現したわけですから、いったい何事かと思い、戸惑うことは自然なことだと思います。口の中に現れた異物は、金属の詰め物や差し歯、被せ歯かもしれません。患者さん自身の歯の欠片かもしれません。もし患者さんが入れ歯を装着しているような場合、入れ歯の人工歯やクラスプと呼ばれる歯にかける金属の一種かもしれません。 また、以前からぐらついていた歯が突然大きく揺れだし、自然に取れてしまうようなこともあることでしょう。屋外で何らかの原因で顔が衝撃を受け、歯が脱臼し、脱落してしまうこともあることでしょう。
こうした場合、歯科医院に駆け込んでくださるのは結構なことではあるのですが、歯科医院を受診される場合には、取れたものは決して捨てず、一緒に持ってきてほしいと思います。その理由は、取れたものを再利用し、再装着することができる可能性があるからです。取れた金属の詰め物や差し歯、被せ歯をセットしていた歯に何の問題もない場合であれば、適合状態や噛み合わせチェックし、調整した上で再装着することができます。天然の歯の欠片であっても、場合によっては再度接着させることもできるケースもあるのです。
再装着が無理な場合でも、取れた歯や詰め物、被せ歯などが手元にあると決して無駄にはなりません。何が原因で取れたのか探ることが可能だからです。むし歯が原因だったのか、噛み合わせが狂っていたのか、金属やセメントの材質の劣化が原因か、食習慣、喫煙、歯軋り、歯磨き習慣などの影響などを検討することができるのです。そして、これら原因を探ることにより改善点を検討し、分析し、より良い差し歯、被せ歯、詰め物を作り直すことが可能となるのです。
自分の歯であれば、怪我などで脱臼した場合であれば、再度抜歯窩に再植することも可能です。その際、脱臼した歯は乾燥させないようにしてほしいと思います。取れた歯は生理食塩水や新鮮な牛乳などに浸漬することで乾燥を防ぎ、一刻も早くお近くの歯科医院へ駆け込んでほしいと思います。生理食塩水や新鮮な牛乳などがない場合は、取れた歯は歯科医院を受診するまで口の中に入れておくというのもありだと思います。
口の中に詰め物や被せ歯、差し歯などが突然取れると誰もがびっくりするもので、どうしていいかわからず、思わず自分で処分してしまうことがあるようですが、是非取れた物は処分せず、そのまま持参して歯科医院を受診してほしいと思います。ケースバイケースで再利用し、復活させることができる可能性がありますから。決して自分勝手にあきらめないでほしいと思います。
2006年05月08日(月) |
息の臭い女、歯の揺らぐ男 |
休みの日に恵まれたともいえる今年のゴールデンウィーク。皆さんは如何お過ごしになられたでしょうか?僕はゴールデンウィーク前に体調を崩していたため、もっぱら体力回復に努めながら、新しいパソコンのセッティングと雑用の準備、整理を行い、合間に嫁さんと共に二人のチンチンボーイズを近場へ遊びに連れて行っておりました。
そんな僕とは異なり、親父とお袋はゴールデンウィーク中にあちこち出かけていたようです。親父たちが訪れた場所の一つがこちらの博物館でした。この博物館ではゴールデンウィークを中心に国宝や重要文化財の絵巻物の一部が展示してあり、会場は多くの人で賑わっていたそうです。絵巻物といっても源氏物語絵巻や鳥獣人物戯画、信貴山縁起絵巻といった日本史の歴史の教科書で取り上げられているような超有名な絵巻物が展示しているようです。僕自身体調がよければ是非とも見ておきたい絵巻物ばかりです。
この博物館から帰ってきた親父に話を聞いてみると、最も印象に残ったのは源氏物語や鳥獣人物戯画などではなく、病草紙だったそうです。 病草紙とは、12世紀ごろ、平安時代に描かれた絵巻物で当時の様々な病や奇形、またはそれらの説話を集めたものです。画風としては、全体として抑制を利かせた線画を主体としているようなのですが、病気に罹った人たちを写実したものから風俗画的な要素のあるものまであるようなのです。
今回の展覧会では病草紙の一部が飾られていたのですが、その病草紙の中でも親父の目に最も印象に残ったのは、”息の臭い女”というタイトルの絵だったそうです。美人の女房が息が臭く、男や同輩の女房に避けられるといったコメントのような文言が入った絵だったそうです。実際の絵には、二人の同輩らしき女房に指を指されて笑われている女房が描かれていたそうで、その女房は手を口元に当て、自分の息が周囲に漏れないようにしている仕草が痛々しく描かれていたそうです。 また、当日は展示されていなかったそうですが、”歯の揺らぐ男”というタイトルの絵があるそうで、歯が揺らぎ痛みはないものの固いものが噛めずに難儀している男の姿が描かれた絵も展示される予定なのだとか。
”息の臭い女”、”歯の揺らぐ男”とも歯槽膿漏、すなわち歯周病が進行していたのは容易に想像がつきます。今の時代であれば、歯周病の治療も確立されていることから歯科医院での治療、指導によって口腔衛生状態を良好にコントロールすることにより臭い息や歯の動揺を抑えることは可能でしょう。ところが、今から800年前の平安時代では、歯のことが医学的に研究されていないのは無理もないところです。歯ブラシや歯磨き粉なんて影も形もなかったことでしょう。いわんや歯の病気について何も解明されていませんから、どうして自分の息が臭くなったのか、どうして自分の歯が揺れているのか原因がわからず、ただひたすら悩むだけだったことでしょう。そんな苦悩の”息の臭い女”、”歯の揺らぐ男”の表情が病草紙には克明に描かれているそうで、歯医者として実に興味深い絵だったそうです。
是非一度”息の臭い女”、”歯の揺らぐ男”が描かれた病草紙を生で見てみたいものです。展示期間はまだしばらくあるようなので機会があれば是非この博物館へ出かけ、見に行きたいですね。
前回の日記を書き上げてからゴールデンウィークを利用してマイパソコンのデータ、ファイルの引越し作業を行いました。
何事も溜め込むことが得意な僕にとってこのパソコンデータ、ファイルの移動は結構面倒な作業でした。単にデータやファイルを移動すればいいというだけでなく、必要なデータやファイルをフォルダーにまとめたり、不必要なデータを消去しながらの作業でしたので思いのほかに時間がかかりました。何気なくパソコンのドキュメントフォルダーに入れていたファイルやブラウザーのお気に入りの数の多さに我ながら驚きと閉口の連続だったのですが、散らかっていた部屋を大掃除するかのごとく、何とか自分なりにきれいにデータをコンパクトにしながら新しいパソコンに引越しすることができたのではないかと思っております。
新しいパソコンへのデータ、ファイル移動と同時に”歯医者さんの一服”サイトも若干衣替えしております。まだ全て完了したわけではないのですが、一見何も変わっていないようですが、細部に若干の変更を行いました。最終的にはサイト全体を更にスリムにしようと考えております。サイトを始めて3年9ヶ月が経過したこともあり、パソコンの引越し作業を機会に、よりコンパクトなサイトにしたいと思います。
ということで、心機一転、新しいパソコンを使用して歯医者さんの一服も再スタートを切ります。
今日の日記タイトル”引越し準備”というのは、僕が住んでいる家が変わるというわけではありません。実はこのゴールデンウィークを境に今使用しているパソコンを明け渡すことになったという意味です。
以前の日記にも書きましたが、今使用しているパソコンは地元歯科医師会から貸与してもらっているパソコンでした。無料で貸与してもらってわけですが、その裏には地元歯科医師会の雑用をしなければならないという制約があったわけです。そうは言ってもずっと雑用をしているわけでもなく、雑用以外の時間は自分の好きなようにパソコンを使用して構わないという条件でしたので、僕はこの”歯医者さんの一服”日記をはじめ、様々なインターネット活動や音楽ファイル収集、多種多様な文書の作成や画像編集などに使用してきたわけですが、平成18年度が始まる前に突如、パソコンの引渡しを宣告されました。予想していたこととはいえ、代わりのパソコンを購入しないといけませんでしたので、移行期間としてゴールデンウィークまで期日となっていたわけです。
先月末、購入を申し込んだ某通販系D社のノート型パソコンが我が家に届きましたが、4月に入ってからというもの僕にとってこれまでに経験が無いくらい殺人的スケジュールの連続でして、じっくりとパソコンを引越しする時間的余裕がありませんでした。やっとのことでゴールデンウィークにたどり着いたわけで、ぼちぼちと引越しの準備を始めております。データのバックアップから使用ソフトの確認、中でもウィルス対策ソフトはパソコン単位でないと対応していないようで、ユーザー特典の追加シリアルナンバーなるものを購入した次第。そんなわけで今日から本格的にパソコンを引っ越すことになりそうです。
このパソコン引越しの機会を利用して、”歯医者さんの一服”も若干の模様替えを行おうと考えています。以前から考えていたことではありますが、サイト開設して既に3年と9ヶ月が経過しましたので、よりシンプルなサイト構成にしようと考えております。
ということで、ゴールデンウィークの更新は休みがちになる可能性大ですが、何卒ご容赦の程を。
この4月より僕は週一回某所へ講義に出かけているのですが、午前中最初の講義ということで10年ぶりに朝の通勤ラッシュの時間帯に電車を乗り継いで出かけています。普段、家と診療所の往復だけの生活が続いていただけに久しぶりの朝の通勤ラッシュの時間帯の通勤は、どこか懐かしいものがあったのですが、実際に電車に乗ってみると驚かされることがありました。それは、乗客のモラルの変化です。
いくつか例を挙げますと、僕がいきなり電車の中で見た光景は、缶ジュースや缶コーヒーを飲んでいる人が何人もいたということです。少なくとも僕が通勤していた10年前までは通勤時間帯に缶ジュースや缶コーヒーを飲んでいる人は駅の売店、キオスクなどの周囲にはいたものの、動いている電車の中で缶ジュースや缶コーヒーを飲んでいる人は見かけませんでした。ところが、10年ぶりに朝の通勤ラッシュの時間帯の電車の中には、座席で堂々と缶ジュースや缶コーヒーを飲んでいる人がいたのです。 また、女性の通勤客の中には他人の目を気にせず、化粧をしている姿を何人も見かけました。別に僕はスッピンの女性の素顔を見たいというわけはないのですが、僕の目の前に座っていた女性などはおもむろにバッグから化粧道具を取り出し、鏡を見ながら念入りに化粧をし出す始末。このような光景に慣れていない僕としては目のやり場に困りました。 その一方で駅の構内でタバコを吸う人はほとんど見かけなくなりました。駅そのものが全面禁煙になっているようで、タバコの吸殻入れなどはどこにも見当たりません。以前であれば、タバコの吸殻入れからタバコの煙がもくもくと上がっていた光景をよく見たものですが、今では駅の構内では全くタバコとは関係のない世界が広がっています。
上記のことを電車通勤をしている先輩の歯医者の先生に話したところ、その先生は興味深い自説を話してくれました。
「そうさんが通勤で利用していた10年前とは朝晩の通勤電車の中の光景は大きく変わったよね。電車の中で平気で物を食べたり飲んだり、化粧直しをする人が多くなったのは事実だよ。以前なら考えられなかったようなモラルの乱れがここ数年で顕著になったよ。私もどうしてこんなことになったのだろうと考えるよ。いくつも理由はいろいろとあると思うんだけど、最近思うに、今の人は、自分と他人の区別がつかない人が多いんじゃないかなと思うんだよ。よく今の人は挨拶ができないという話を耳にするけど、外の社会と自分の家の中と区別できなくなってきている人が増えているように思えてならない。何だか冗談みたいな話だけど、そのように考えるといろんなことの辻褄が合ってくるんだよ。挨拶ができない人というのは、目の前にいる人を家の中にいる人だと思い込んでいたらどうだろう?そうさんが言っていた、電車の中で缶ジュースや缶コーヒーを飲む人だって、電車の中を自分の家の中と思い込んでいたらどうだろう?電車の中でおもむろに化粧直しをする女性にしても、電車の中を自分の家の鏡台や洗面所と思っていたらどうだろう?
私は、外の社会と自分の家の中を区別できない人のことを人類皆兄弟症候群と呼んでいるんだよ。自分の周囲に自分とは異なる他人から構成されている社会があるという自覚に欠け、自分の周囲にいる人を他人と感じず、自分の家の中にいる兄弟姉妹だと感じ何の遠慮もない。そのように信じ込んでいる世代が多いのじゃないかなと思う。
公私をわきまえることができない、常に妙に馴れ馴れしいというべきかな。とんでもない勘違いだと思うし、礼儀知らずも甚だしい。こんなことではこの先社会そのものの崩壊につながっていくと危惧するよ。それじゃ、どうすればよいかということになるけど、その対策の一つが法律だよね。駅の構内から喫煙者やタバコそのものの姿が消えたけど、そうなった理由は健康増進法という法律で公の場での喫煙が厳しく制限されたためだよ。多くの公的な場所では全面禁煙になったり、分煙部屋があってその中でしかタバコを吸うことができないということになったのは、全て健康増進法の条文が効いているんだよ。その効果が駅からの喫煙者やタバコの消滅に繋がっているんだよね。同じように電車の中でのモラルを戻そうとすれば、法律で制限するしか仕方がないのが現状じゃないかな。電車の中での飲食禁止、化粧禁止、携帯電話禁止みたいにね。以前なら、このようなことは不文律というか、誰が言い出さなくても社会規範というべきか誰しも承知していたモラルだったんだけど、モラルが崩壊しつつある今となっては法律で明文化しないと気がつかない人が多くなっているように思えてならない。悲しい現実だけど、そこまで今の社会というのは乱れているのが現状じゃないかな。」
|