歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2006年04月28日(金) 気がつけばユーザーID、パスワードだらけ

”はて、一体何だろう?社会保険庁がらみで何かまずいことをしでかしたかな?”

と、わけのわからないようなことを思いながら中身を確かめてみると、中には社会保険庁が指定したユーザーIDとパスワードが書かれた紙が入っていました。

社会保険庁では4月より国民年金の個人情報提供サービスというものを行っていて、自分の年金の加入記録をインターネットを通じて閲覧することができるようになりました。個人的に興味を持った僕は、社会保険庁のホームページにアクセスし、そのサービスが受けられるよう申し込んだわけなのですが、直ちに利用できるものではなく、後日、社会保険庁が郵送で知らせるユーザーIDとパスワードがないと利用できないものだったのです。僕は4月始めにこのサービスを申し込んだのですが、ユーザーIDとパスワードが郵送で送られてくることをすっかり忘れていたのです。

ということで早速アクセスして自分の年金加入状況を確認しようとした歯医者そうさん。そこで困ったことが起こりました。それは、実際にアクセスしたホームページに入力しなければならない、社会保険庁が指定したユーザーIDとパスワード以外に入力しなければならないパスワードがあったからです。

実は、社会保険庁のホームページで申し込む際、利用者自らが指定するパスワードを知らせないと申し込めなかったのです。そのこと自体は直ぐに思い出したのですが、困ったのはそのパスワードでした。

”一体どんなパスワードを書いたのだろう?”

いつもならパスワードは何処かに控えるのですが、この時に限りパスワードを控えていなかったのです。僕が好むパスワードはいくつかあるのですが、それらパスワードを入力しても一向にサービスを利用することができず、エラー表示が出てしまうばかり。気ばかりあせり、どうしようと思っていたところ、ふとしたことでパスワードを思い出し、何とか社会保険庁のサービスを利用することができました。

自分のだらしなさに情けなく思いながらも、社会保険庁のホームページでユーザーIDとパスワードを打ち込みながらふと感じたのですが、気がついてみれば、僕の周囲にはユーザーIDやパスワード、登録番号、暗証番号といったものだらけなのです。

先日も、日本歯科医師会から会員専用のホームページのユーザーIDとパスワードが書かれた葉書が送られてきたり、上のチビが小学校の携帯電話メール連絡網を登録する際に利用するユーザーIDとパスワードが書かれた紙を目にしたばかりなのですが、今年に入ってからもユーザーIDやパスワードが書かれた種類を何種類も受け取りました。

銀行や郵便局のATMを利用しようとすると、必ず画面に入力を求められるのは暗証番号。インターネットをしていても、クッキーがあって手で入力する手間は省けるとはいえ、ユーザーIDやパスワードがないとアクセスできないものばかりです。インターネットを繋げるプロバイダーへのアクセスしかり、ウェッブメールもパスワード入力が必要です。インターネットバンキングを利用する際も契約者IDとログオンパスワード、そして、入金確認用のパスワードの入力が求められます。それ以外にも、ネットショップ関係の利用には必ずパスワードが必要ですし、僕のサイトを登録している日記才人やテキスト庵もアクセスするにはパスワードがないとログインすることができません。パソコンソフトを販売会社に登録する際にも、パスワードが必要。

そうそう、今から4年前の平成14年8月5日、住民票コードなるものが各市町村から皆さんの家庭へ送られてきたわけですが、皆さんは自分の住民票コードを正確に覚えていますか?

気がつけば、僕の周囲には登録ID、ユーザーID、パスワード、暗証番号だらけなのです。しかもです。これらパスワードは悪用防止のために、自分の生年月日や電話番号、自家用車の車番といったわかりやすい文字、数字の羅列にしておくのは危険だというのは、もはや常識。そのため、どうしても複雑で、長いパスワードにならざるをえませんし、定期的にパスワードを変えていかないとセキュリティに重大な支障を与えます。

そうなると、僕は自分で全ての登録ID、ユーザーID、パスワード、暗証番号を覚えておくのはもはや不可能です。一応、全ての登録ID、ユーザーID、パスワード、暗証番号はある場所に控えてありますが、この書いてある物が盗難にあったり紛失してしまったりすることを考えると背筋がぞっとします。

今ではフリーソフトの中には登録ID、ユーザーID、パスワード、暗証番号などを専用に管理するソフトもあるそうですが、皆さんは登録ID、ユーザーID、パスワード、暗証番号をどのように管理されているでしょうか?妙案があったら是非教えて下さい。



2006年04月27日(木) 飽和状態

昨日は日記を休ませてもらいました。表面上の理由は体調を崩し、日記をかけるような状況ではなかったのですが、それ以外にもいろいろと肉体的、精神的、時間的にも限界に来ていたように思いましたので、思い切って日記を書くことを止めました。

世界保健機関(WHO)は、健康の定義を

”健康とは肉体的、精神的、社会的に全ての面に良好な状態であって、単に疾病や病弱が存在しないということではない”
”Health is a state of complete physical, mental and social well-being,not merely the absence of disease or infirmity”

としていますが、昨日の僕の状態というのはこのWHOの健康の定義とは全く逆の状態でして、あらゆる意味で健康状態とはいえない、ある種の非健康状態でした。別な言い方をすれば、あらゆる面で飽和状態だったと言うべきでしょうか。何とか連休までウィークデーは日記を書き続けていたいと考えていたのですが、さすがの昨日は日記を書くことを断念した次第。

今日は少しは状態が改善しつつあるのですが、まだ完全に戻っていないということで、今日の日記は短縮バージョンとさせてもらいます。

悪しからずご容赦のほどを。



2006年04月25日(火) レントゲンは体に悪くないのか?

「先生、レントゲンを何枚も撮っているけど、体が悪くなることはないの?」

先日、ある患者さんから発せられた質問です。この患者さんの場合、何本もむし歯があり、中には神経の治療を施さないといけないような歯もありました。歯の治療を行なう前、歯の状態を把握するために目で見えない部分を確認する目的でレントゲン写真は欠かせないものではあるのですが、その一方、原爆のイメージから多量の放射線を浴びると体に重大な障害が現れることが知られているためにレントゲン撮影に対し不安に感じる方も好くなからずいらっしゃるのも事実です。

果たしてレントゲンは安全なものなのでしょうか?

結論からいいますと、レントゲン撮影で使用するX線はほとんど体に悪影響を及ぼすことはありません。ほぼ安全だと言ってもいいでしょう。

自然界には目に見える可視光線以外に自然放射線と呼ばれる光、もしくは光に似た性質をもつものが多数降り注いでいます。この自然放射線と呼ばれるものは世界中の誰もが必ず浴びているもので、宇宙、太陽、大地、食べ物などから発せられているものです。場所によってばらつきはあるものの、一年間に2.4mSv(ミリシーベルトと呼びます。放射線が体に影響を与える実効線量の単位です)程度の量を誰もが浴びているのです。

一方、歯科で使用されるX線は、小さなフィルムであるデンタル型の場合、一枚あたり0.01〜0.034mSv、大きなフィルムで口全体を撮影できるパノラマ型の場合、一枚あたり0.025mSvです。自然界から否応無しに浴びる一年間浴びる自然放射線の量を歯科で用いるX線で浴びることを想定すると、デンタル型の場合は、70〜240枚、パノラマ型の場合は、ほぼ100枚分となります。正直言って、自然放射線と同じ量のX線を使用してレントゲン写真を撮影することは歯科の治療ではありえません。一年間に誰もが浴びる自然放射線の線量よりもはるかに少ない線量のX線を歯科治療では使用します。確かに、歯科治療においては、自然放射線以上の線量を体に与えていることにはなります。歯科治療におけるX線が体に悪影響を与える可能性はゼロだとは言えませんが、ゼロに近い、ほとんど問題がないと言っていいと思います。

しかも、最近ではデジタルレントゲン撮影と言って、従来のようにフィルムで用いる方法ではなく、パソコンの画面を通じて行う方法が広まってきています。この方法であれば、これまで使用していたX線量を更に下げても従来と同じ質のレントゲン写真を撮影することができます。従来のものでも悪影響を与えることがほとんどなかったレントゲン撮影のリスクを更に下げることができるのです。

レントゲン撮影で用いるX線は目に見えるものではありませんから、目に見えないものに対する不安、恐怖は人間なら誰しも感じて当然だと思いますが、上で書いたように歯科治療で用いるX線量は極めて少なく、限られたものです。レントゲンは決して怖いものではないことを理解して頂きたいと思います。



2006年04月24日(月) 『熱心な歯医者に悩む』という投稿を読んで

先日、某新聞の読者の欄を見ていると、ある読者からの投稿に目が留まりました。その投稿のタイトルは、”熱心な歯医者さんに悩む”というものでした。

「むし歯の治療に通っているが、歯周病の治療に力を入れている先生だそうで、毎回レントゲンを撮ったり、歯の隅々までチェックをしてくれるとのこと。そのことは有り難いとは思うのだが、それなりの時間と費用がかかる。違う歯医者へ行こうと考える時もあるが、また最初から検査をすることを考えると憂鬱で、結局のところ行き慣れた歯医者に通い続けている。自分の希望は問題のある場所だけを治して欲しいのだが、なかなか担当医に言いづらく悩ましく思う。」

そういった内容の投稿でした。

この”熱心な歯医者に悩む”という投稿に対し、多くの反響が寄せられたそうで、後日、同じ投稿欄で3通の反響が紹介されていました。

一つは、歯医者が自分が望んでいる治療以外の治療を行う場合には、事前に説明を求め、納得すれば治療をすればいいが、自分が望んでいない治療であれば、はっきりと担当医に意思表示をするべきであるという意見。

二つ目は、自分が望んでいない治療を意思表示することができないなら、早々に通っている歯医者を変えるべきだという意見。

三つ目は、ある歯科衛生士からの投稿で、歯周病は無症状に進むことがある病気であるので自分が気がついた時には歯を失わざるをえない状況の場合が多く、結果的に治療費がかかってしまう。担当の先生は患者さんのことを思って歯周病の治療を行なっているのではないかと思われる。そのような先生は信頼できる先生ではないか?歯科医院側も患者さんにしっかりと説明すれば納得してもらえるのではないか?

というものでした。

僕自身、”熱心な歯医者さんに悩む”という投稿に対し、3通の反響を載せるというほど読者からの反響が大きいとは思いもしませんでした。我々歯医者が行っている歯周病の治療が患者さんにとって悩みの種になっている人が多いという実態に僕は考えさせられました。

最近は、多くの歯科医院で歯周病の治療に力を入れているのは事実です。何せ国民の8割以上が歯周病に罹患していることを考えると、来院する全ての患者さんに歯周病の治療を行なうことは間違いではないと思うのです。

また、昨今の不景気の影響を受け、歯科医院も経営が厳しいのも事実です。特に、この4月に大きな保険診療報酬のマイナス改定があり、厳しい歯科医院経営が更に厳しくなりつつあります。そのため、歯科医院の中には、患者一人当たりの治療費用が下がり、来院する患者数が減少する中において、一人の患者さんに対し、時とすれば治療を多くせざるをえない場合もあることを僕は否定しません。

ただ、皆さんにわかってもらいたいことは、今回、歯科衛生士からの投稿でも触れていたことですが、歯周病の治療には手間と時間がかかるということです。

歯周病という病気は国民の8割以上が罹っている生活習慣病です。この歯周病を治すには常日頃の歯磨き習慣、そして、規則正しい生活、そして、何よりも患者さん自身が歯周病を治すという意識があって初めて歯周病の治療でき、歯周病の進行を防止し、コントロールすることができるのです。そのためには、長期間にわたり定期的に専門家である歯医者にチェックを受ける必要があります。そのチェックというのは単に視診だけでは不十分です。レントゲン検査や歯周組織検査を行い、客観的に診査、診断をしないと意味がありません。そうなると、どうしても歯科医院での治療時間、治療費用がある程度かかってしまいますが、一度歯周病が進行し歯を失ってしまうと、その治療の方がかなり高額な治療費を必要としてしまうのです。一見すると、歯周病の治療は過剰な治療のように思われがちですが、実際はそうではなく、むしろ必要不可欠な治療なのです。決して過剰診療ではないのです。

また、患者さんは自分の身は自分で守るという意識を常に持っていて欲しいと思います。歯医者が行おうとする治療に対し、疑問に感じる場合には積極的に質問して欲しいと思うのです。どうして治療を行なうのか?どこが悪いのか?治療の手順は?治療費はどれくらい必要なのか?何でも尋ねて欲しいと思うのです。そんな患者さんの質問に対し、丁寧に答えてくれる先生であれば僕は信頼していいのではないかと思うのです。

治療を受けるという患者さんの立場からすれば、ややもすれば担当の歯医者に遠慮してしまい、自分の尋ねたいことも尋ね難いかもしれません。もし、先生に尋ね難い場合には、周囲の歯科衛生士や歯科助手、受付といったスタッフに尋ねてもいいと思います。本当は患者さんからの質問を専門に受ける担当が歯科医院にいればどの患者さんも遠慮無しに治療に対する疑問、質問を尋ねることができるとは思うのですけども・・・・。

自分で歯周病の治療に対する説明を十分に受けた上で、それでも歯周病の治療は受けたくない、受けたいと思うが時間や治療にかける経済的な問題で受けたくない場合、むし歯だけを処置して欲しい場合は、僕は患者さんの意向は尊重すべきそだと思います。歯医者は患者のためを思って歯周病の治療を行おうとしてはいるのですが、諸事情でどうしても遠慮したい場合は、歯周病の治療をしないというのも患者さんの選択肢の一つではないでしょうか。患者さん自身、そのことを担当医にはっきりと意思表示して欲しいですし、歯医者もそのような希望を第一に優先し、無理強いさせてはいけないと思います。

今回の投稿のような悩みを患者さんが持つという背景には歯医者側の問題もあるのは事実でしょう。患者さんが気軽に質問できないような雰囲気を醸し出していないか?歯医者が患者さんに対し、必要な情報提供を行っていないか冷静に振り返る必要はありと思います。インフォームドコンセントという言葉が世の中にかなり定着してきているとは思いますが、先の読者欄の投稿のように感じている人がかなりいるということは、歯医者の歯周病に対する啓発はもとより、治療説明がまだまだ足りないことを物語っているように思えてなりませんでした。

今回の”熱心な歯医者さんに悩む”という投稿とその反響に、歯医者として大いに考えさせられた、歯医者そうさんでした



2006年04月21日(金) カリオロジーとは?

最近、テレビのコマーシャルを見ていると”カリオロジー”という言葉を時々耳にするようになりました。某歯磨き粉メーカーのコマーシャルでよく取り上げられていたと思います。おそらく歯科業界以外の方にとって、これまであまり耳にしたことがないカリオロジーだと思いますが、カリオロジーとは一体何のことなのでしょう。

カリオロジーとは英語でcariologyと書きます。CariologyのCarioとはむし歯を意味する言葉であり、logyとは学問を意味する接尾語です。ということで、Cariologyとはむし歯を研究する学問ということになります。専門的にはう蝕学とでも言うべきなのでしょうが、歯科業界においてはカリオロジーと呼んでいる人がほとんどです。

すなわち、カリオロジーとは、むし歯のことを専門に扱った学問です。むし歯について解剖学的、生理学的、生化学的、微生物学的、歯科材料学的といった基礎分野の研究から実際の修復処置という治療手技、そして、予防や公衆衛生といった分野に至るまで幅広く研究する学問なのです。

実はカリオロジーは古くから体系づけられた学問ではありません。歯科界ではここ20年余りの間に注目されてきた考え方です。口の中の二大疾患の一つであるむし歯について扱ってきた学問が歴史が浅いことに驚かれる方も多いかもしれません。もちろん、むし歯については様々な歯科の研究者が研究を行ってきたのですが、解剖学者や生理学者、生化学学者、微生物学者、歯科材料学者といった基礎研究の学者から実際の治療を行なう臨床学者、予防や公衆衛生を扱う衛生学者といったそれぞれの専門分野においてむし歯が研究されてきたのです。少なくとも、むし歯という一つの病気に着目して体系づけた学問ではなかったのです。

僕の某歯科大学学生時代、カリオロジー教室、カリオロジー講座と名のつく教室、講座はありませんでしたし、カリオロジーそのものの授業もありませんでした。

同じ二大疾患の歯周病とは随分と異なります。歯周病について歯周病を専門に扱う歯周病学や歯周病学を専門に研究する歯周病研究室があったものですが、カリオロジーに関してはありません。これは僕の母校である某歯科大学のみならず、他の歯科大学、大学歯学部でも同じことが言えているのではないかと思います。

カリオロジーが体系づけられ、その研究を元にむし歯の数を減らし予防が実践できているのがスウェーデンをはじめとした北欧の国々です。これらの北欧の国々は一昔前は日本よりもはるかにひどくむし歯ば蔓延していたのですが、カリオロジーの発展により今や社会全体でむし歯で苦しむ人の割合が激減しています。

どうして日本においてカリオロジーという考えがなかなか浸透しないのでしょう?理由は僕にもわかりませんが、これまでの歯科の学問体系がアメリカから導入さ、根付いていることが大きな理由の一つではないかと考えています。アメリカでは、歯科の分野においてカリオロジーという考え方はなく、先ほど書いたようなそれぞれの既存の講座の専門化がそれぞれ独自に研究してきた経緯があります。現在の日本の歯科教育、研究のスタイルは、第二次世界大戦後ほとんどすべてをアメリカから導入され、定着したわけですから、カリオロジーが日本になかったのはアメリカによる影響が大であったといっても過言ではないと思います。

今のカリオロジーの大きな特徴の一つは、治療一辺倒だったむし歯治療に対し、なるべく歯を削らす歯を残し、予防を重視しようということです。もちろん、一度むし歯になった歯は削って完全に除去しないといけないことは変わりませんが、これまではどうしても多く歯を削りすぎる嫌いがありました。これはむし歯が見た目以上に進行しており、予防的に歯を削ることがむし歯の再発を防止するという考えがあったからです。ところが、その後のカリオロジーの研究では、予防をしっかりとすれば最低限むし歯の部分だけを取り除き、なるべく歯を残す方が歯が長持ちするということが明らかにされてきたのです。

北欧でむし歯の数が激減した経緯を見ると、カリオロジーという学問は非常に有意義なものであることは間違いありません。現在、日本でもカリオロジーに注目し、研究、臨床応用している歯医者が何人も出てきました。日本の歯科大学、大学歯学部においてもっとカリオロジーが専門的に扱われてもいいと思いますし、これまでの既存の学問体系を見直す良い機会ではないかと思います。歯の病気に対する予防が口やかましく言われ始めた背景の一つには、カリオロジーの考えが元になっていると言っていいでしょう。



2006年04月20日(木) 機械は動いてなんぼのもの

先週末、我が愛機である診療台の装置の一部が不具合を起こしました。その装置とは、毎日の診療で使うもので欠かせないものでしたので直ちに修理が必要でした。そこでうちに出入りしている歯科材料店の担当者を通じ、診療台メーカーM社のサービスマンに来院してもらうようにお願いしました。

M社のメンテナンス担当のサービスマンは昼休みの時間帯にうちの歯科医院へやってきました。事情を話し早速修理をしてもらったのですが、そのサービスマンはベテランのなせる業ともいうべきでしょうか、わずかな時間で不具合の原因をみつけ、手際よく修理し、交換すべきところは交換して作業を終えました。直ぐに対処してもらいその日の午後の診療から支障はなくなってほっと一安心したわけですが、それにしても最近僕の診療台は何かと故障があるのは気になります。そこで、僕はこのサービスマンにそのことを尋ねてみました。

「今回修理をお願いした診療台は購入して20年以上になります。最近、結構な頻度で不具合が出てきているように思うのですが、そろそろ新しい診療台を購入してもいい時期ではないかと考えているんですが。」

そのサービスマン曰く、

「我々メーカー側としては、先生が新しい診療台を購入していただくということは大歓迎ですよ、ハッハッハ・・・・・。」

「ただ、この診療台を見ていますと、既に使用されてから20年以上経っているのはよくわかるのですが、元々の診療台の構造が今のものに比べてシンプルですし、丁寧に扱っていらっしゃることもよくわかります。部品の中には限界に達したものもありますが、我社のポリシーとして、先生方が使用されている診療台が機能している限りは交換部品、パーツは残しておきます。最近の診療台は多種多様な機能が付属しているのが多いのですが、機能が増えるに従って中の構造も複雑になってくるものなのです。そうなると一度不具合が起こると原因を探るのも一苦労です。今回のように現場に行ってその場で修理が利くことができない場合もあるんです。そんな反省から我社では、以前に販売させて頂いたシンプルな構造の診療台を見直すことになりまして、現在そのリバイバル製品みたいな診療台を売り出しています。その診療台の交換部品は、実は先生の診療台と同じものなんですよ。そういったことから、今後不具合が出たとしても部品には困りませんからご心配しないで下さい。」

「機械って何物でもいえることですが、動いて何ぼのものだと思います。動いていると当然のことながら耐久性の問題が出てくるわけですが、それでも、動かしていないよりはずっとましです。機械というもの、一度動かさなくなると、その時点からどこかで不具合が生じ始めると言っても過言ではないんです。常に動いていることで機械としての性能を保つことができる。それが機械というものなんです。

こんなことを言うと何ですが、機械は人間とよく似ていますよ。毎日働いているうちは元気だった人が仕事をリタイアし、悠々自適になって何もしなくなった途端ダメ人間になるという話は結構耳にする話です。悠々自適になっても仕事や仕事にかわる何か打ち込めるものを持っている人はいいのですけど、何もしなくなると頭を使わなくなりますから、自然と痴呆になってしまうなんてこともあるみたいです。まあ、機械も人間も、忙しく動き回っているうちが華ということでしょうかねえ。」

確かにそのとおりだと思った、歯医者そうさんでした。



2006年04月19日(水) 鉛筆とノート

この4月より小学校2年生になった上のチビは、家に帰ってくると宿題をしているようです。昨日、たまたま診療の合間に自宅へ帰らなければならないことがあり、自宅に戻ったところ上のチビが宿題をしているところが目に入りました。何やら神妙そうな顔つきでノートの上に鉛筆で書いていたのは漢字でした。どうも国語の宿題で漢字の練習があるようで、同じ漢字を何回もノートに書いていたのです。

思い起こせば僕もそんな時代がありました。小学生の頃、毎日の宿題の中に漢字の練習があり、下敷きを敷いたノートの上に鉛筆で何回も漢字の練習をしていたものです。なぜかわからないのですが、当時僕はシャーペンを使うことはなく、ひたすら鉛筆を使っていました。鉛筆は使っているうちに字が太くなるもの。その度に手回し式の鉛筆削りで鉛筆の先を削りながら漢字の練習をしていたものです。

普段、何か報告書を提出する際、鉛筆を使用することはほとんどありません。多くの場合、パソコンのワープロソフトを使用しプリントアウトしています。ワープロは便利です。何度も文章の加筆、修正がききますし、知らない漢字も変換機能で直ちに打ち込むことが可能です。最近のプリンター機能の向上により非常にきれいな印字が可能となったので、乱筆の僕でもワープロを用いて打ち出した文章は誰でも容易に読むことができます。

そんな便利さの反面、書くという体を使った行為からは縁遠くなってきているように思います。普段治療をしているとカルテを書かないといけませんのでカルテは手書きで書いているのですが、カルテは規則上ボールペンまたはサインペン等を使用しないといけないことになっています。それは仕方のないことだと思うのですが、何だか紙に書いている気がしません。

鉛筆で紙に書くということは、忘れていた体で表現することを実感するように思うのです。紙に鉛筆で書くことは、表現者としての自分を再確認するような行為のように思えてなりません。

上のチビが漢字を書いている姿を見て、久しぶりにノートに鉛筆で書きたくなった歯医者そうさん。ノートの上に鉛筆を用いてつれづれなるままに書いてみると、やはりいいですね。鉛筆がノートの上を擦る感じが何とも心地よさを感じます。日頃忘れていた何かを思い出し、感覚を取り戻したような気がしました。



2006年04月18日(火) 「会長」と呼ばれて

今から15年前、僕は歯科医師免許を取得し晴れて歯医者となったのですが、歯医者になった当初、戸惑ったことの一つが「先生」と呼ばれたことでした。

歯医者になる前まで、僕はいつも「先生」と呼ぶ立場である学生でした。先生とは、自分よりも知識も経験もある人生の先輩に対してつける呼称であると思っていた僕が歯科医師免許を取得し歯医者となった途端、周囲から「先生」と呼ばれるようになったのです。歯医者にはなったものの未熟そのものだった当時の僕が周囲から「先生」と呼ばれ、頭を下げられる。僕よりも後輩であればまだましでしたが、自分よりも年長者から「先生」と呼ばれることに対し、僕は恥ずかしく、非常な抵抗感を感じたものです。”どうか先生と呼ばないでくれ!”と思わず叫びたくなったこともしばしばでした。

そんな僕も歯医者になって16年目を迎えた今では、さすがに「先生」と呼ばれることに対して抵抗感はなくなりました。抵抗感がなくなったというよりも慣れてしまったという方が正しいかもしれません。決して先生という地位にあぐらを掻いているわけではありませんが、まだまだ勉強不足だとはいえ歯医者になったばかりの新人よりは知識と技術、経験はそれなりに持っているつもりです。少しは「先生」と呼ばれても恥ずかしくはなくなってきたのではないかと思う今日この頃です。

そんな僕ですが、この春より別の呼称で呼ばれる機会が増えてきました。その呼称とは会長です。実は、ひょんなことから一年間ある団体の長を引き受けることになったのです。診療や歯科医師会関係の仕事だけでも大変なのにもかかわらず、ある団体の長を引き受けるとは自分でも如何なものかと思っているのですが、詳しい理由は書きませんが、事の成り行きで会長を引き受けざるを得なかったのです。先日もその団体の会合があったのですが、挨拶をすれば「○○会長、こんにちは。」(○○は僕の名字です)、名刺交換をすれば「初めまして、○○会長」、報告を受けると「先日行われた会議の議事録です、○○会長」、その団体が発行する通知文には発行者の名前に「会長 ○○」。

会長というのは言うまでも無く組織の長です。企業や団体のトップであるわけですが、トップというのはそれこそ仕事のキャリアのみならず、人生経験も豊富で、人脈も幅広く、多くの部下から一目を置かれている人こそ会長だと思っていたのですが、まだまだ40歳を過ぎたばかりの僕には見分不相応の会長は荷が重いのです。そんな僕の心境も知らず、周りからは「会長」と呼ばれる今日この頃。

まあ、この一年だけの限定会長です。気恥ずかしいと思いながらも、将来、本物の会長になることはない僕にとって、一時の会長を楽しんでも悪くはないかもしれない。そんなことを思いながら気分転換を図っているつもりの歯医者そうさんです。



2006年04月17日(月) 初めての自分の名刺

「この度初めて自分の名刺を作ってもらったんですよ!」

うれしそうに笑顔を浮かべながら話をしていたのは、N君。N君はうちの歯科医院に出入りしている歯科技工所の歯科技工士です。

歯科医院では患者さんの治療のために被せ歯や詰め物、入れ歯といった補綴物をセットしますが、通常これら補綴物を歯医者は作りません。もちろん、補綴物を作る歯医者もいるにはいるのですが、歯医者は補綴物をセットするために歯を削ったり歯型を取ることだけを専念し、実際の補綴物は歯科技工士に依頼し作ってもらうことがほとんどです。しかも、歯科医院では自院で歯科技工士を雇っているところは少なく、多くの歯科医院が外部の歯科技工所へ依頼して補綴物を作ってもらうのが現状です。うちの歯科医院もそんな歯科医院の一つで、長年世話になっている歯科技工所に補綴物の作製を依頼しています。診療日には特定の時間帯に必ず歯科技工所の担当者が来院し、補綴物をつくるための石膏模型などを持ち帰ってくれます。N君はそんな歯科技工所で働く歯科技工士で、長年うちの歯科医院を担当してくれているのです。

N君が勤務している歯科技工所は数年前に経営者が交代しました。前任の経営者が体調を崩したため、前任の経営者の息子さんが後を継いだのですが、その息子さんがこの度、N君に名刺を作ってくれたのだとか。

「『外回りをしている君が名刺を持っていないというのはおかしな話だから』ということで、この度名刺を持つことになったんですよ。会社や役所勤めの人なら名刺って必需品でしょうけど、僕ら歯科技工所に勤務する歯科技工士は補綴物を作るのが第一の仕事でしょ。こうやって先生やその他の数人の先生と顔を会わせる以外は、ずっと歯科技工所の中で補綴物を作っていますから、名刺って必要性がなかったんですよ。ところが、今回初めて名刺を作ってもらったんですよね。自分の名前が書いてある名刺って何だか恥ずかしい気がしましたけど、実際に手に取って見ると思わず頬が緩むというか、何となくうれしくなってしまうんですよ。」

N君の言うことは僕もよく理解できます。僕自身、初めて自分の名刺を作ったのは大学の最終学年で臨床実習を行っていた時でした。自分が治療を担当する患者さんに自己紹介をしたり、今後の連絡を取るために名刺を作ったのですが、名刺を作った当初は、自分の名前が書いてある名刺を見るにつけ、何だか社会人の一員になったような気持ちがして、うれしくなったものです。大学を卒業後、僕は職場が変わるごとに名刺を作ってきたわけですが、必ずどの職場の名刺も自分用に取って置きました。これら名刺を並べてみると自分のこれまで辿ってきたことが思い出され、感慨深く感じます。たかが名刺、されど名刺とでも言ったところでしょうか。

僕は、名刺を初めて持ったN君に名刺の保管方法や渡す時のマナーについて簡単に話してあげました。

「名刺を手渡すのもまだ慣れていないもので、先生の言われるようなマナーがあるということも初めて知りましたよ。これから注意して渡すようにしますよ。」

僕がN君から名刺を直ちにもらったのは言うまでもありません。



2006年04月14日(金) むし歯だらけの現代人と健康な420万年前の猿人の歯

昨日、うちの歯科医院歯痛を訴えて20歳代の患者さんが来院しました。右上の奥歯が痛んで夜も眠れなかったとのこと。実際に口の中を診て、僕は考え込んでしまいました。その理由は、この患者さんは全ての歯がむし歯に侵されていたからです。まだ20歳代だというのに口の中にある28本の全ての歯にむし歯があり、しかも、どのむし歯も深く進み、どの歯が痛くなってもおかしくない状態だったのです。

”よくもここまで放置したものだ”と思い、尋ねてみると、むし歯があることは以前から気がついていたそうですが、歯医者嫌いで我慢し続けていたのだとか。ところが、数日前から今までに経験したことのない激痛が右上の奥歯に生じ、市販の鎮痛薬を飲んでも全く利かず、食事が満足に取れないどころか睡眠も満足に取れなかったとのこと。自分の我慢も肉体的にも精神的にも限界で、うちの歯科医院を訪れたのだそうです。僕は取り急ぎ激痛の原因の歯を特定し、処置を施しました。

そんな20歳代の患者さんの治療を含め、一日の診療を終えた後、僕は何気なく新聞を見ていると、アフリカのエチオピアで人類の祖先と思われる猿人の歯が発見されたとのこと。今後の猿人の進化の研究に一石を投じることになるそうです。

何でもこの化石の歯は今から420万年前のものだとか。420万年もの間、原形を保って残っている体の臓器は歯や骨ぐらいのものです。中でも歯は、エナメル質と呼ばれる表面はダイヤモンド同じくらいの硬さの物性があります。そのため、土の中の細菌の影響を受けても抵抗力があり、原形を留めて残っているのです。

420万年前の歯に時代のロマンさえ感じた僕でしたが、同時に28本全ての歯がむし歯になっている患者さんのことを思い出してしまいました。20歳の患者さんにとって、口の中の歯は、乳歯と生え変わってまだ10数年程度です。歯によっては10年も経っていない歯もあるくらいです。そんな10年余りの間に原形を留めず崩壊している20歳代の患者さんの歯と原形を留めている420万年前の歯。この違いは一体何でしょう?420万年前の猿人がどれくらいの寿命だったかはわかりませんが、彼らの歯が原形を留めて化石になっているという事実から考えると、当時の彼らにはむし歯はなかったということになります。愚考するに、現代人と420万年前の猿人との大きな違いは、食事にあるのではないでしょうか。420万年前の猿人の口の中にもむし歯菌があるということが前提ですが(おそらくあると思いますが)、現代人の食事には、むし歯菌が好む砂糖を含んだものが多量に含まれています。それに対し、420万年前には砂糖が人工的にあるとは考え難く、主に狩猟や採集によって栄養を摂取していたに違いありません。砂糖の摂取量は現代の時代よりも遥かに少ないのは容易に想像がつきます。むし歯菌が好物である砂糖の量が少ないということは、むし歯になる可能性が少ないということになります。

420万年も形を留めることができる歯がわずか10年余りで原形をとどめない口の中。現代人の口の中というのは、420万年前の猿人の口の中とくらべはるかに過酷な環境であると言えます。それ故、現代人が自らの歯をむし歯や歯周病に侵されずに健康を維持することは如何に大変なことであるかということを改めて感じた、歯医者そうさんでした。



2006年04月13日(木) こんな所では酔えないよ!

4月という月は年度始めですが、僕にとって今回の4月は今までに経験したことがない忙しさを経験しています。日頃の診療は相変わらずですが、それ以外の雑用に初めての事が多く、自分自身で消化しきれず、気持ちに余裕がありません。4月に新しい職場へ異動したり、就職、入学する人たちの気持ちを改めて実感するとともに、早く新しい雑用に慣れ、こなしていけるようにしていかないと気ばかりあせる今日この頃です。

そんな中、忙中閑ありとでも言うべきでしょうか、先週末に地元歯科医師会である会合があったのですが、その会合が終わってから食事に行こうということになりました。ある先輩の先生の行きつけの店に出かけたのですが、その店の雰囲気がよく、出された料理も美味しく、気心の知った先生同士での食事でしたので非常に楽しい一時を過ごすことが出来ました。そのせいか、気がつくと予想以上に時間が経過していたのですが、名残惜しい雰囲気があったため、自ずと二次会へ行かなければならなくなってしまいました。

二次会は、これまたある先生の行きつけのカラオケバーでした。店の中には何人かお姉ちゃんが待ち受けていて、僕らを接待してくれていたのですが、僕の友人であるS先生は、何となく落ち着かない様子でした。この店に来るまで楽しく話しに華が咲いていたS先生が店に入るなり、大人しくなったのです。僕はS先生に尋ねました。

「S先生、急に物静かになったけど、体調は大丈夫か?」

「体調は悪くは無いんだけどね」と口ごもるS先生。

”S先生は急に黙り込んでどうしたのだろう?はしゃぎすぎてエネルギーを使い果たしたのだろうか?それとも変に酔いがまわったのだろうか?”

そう思った矢先、S先生は突然

「僕の目の前の女の子、実は僕の患者なんだよ。」

S先生の視線の前には20歳代後半の店の女の子が立っていました。その女の子は、S先生を見つけるなり、

「先生、久しぶりですね。こんなところでお会いするなんて!ハッハッハッハ・・・」と笑い出す始末。

「患者の女の子の前ではね・・・・こんな所では酔えないよ!」と叫ぶS先生。

そんなS先生のことはお構い無しに、その女の子はS先生に問いかけます。

「先生、何かデュエットで歌いませんか?私が何曲か探してあげますからね。」

僕がその場を離れたのは言うまでもありませんでした。



2006年04月12日(水) 歯医者間のデジタルディバイド

既にこちらの日記でも書いたことですが、全国各地の保険医療機関では4月1日より診療報酬が改定され、これを元に患者さんに治療費を請求しております。今回の診療報酬改訂は、マイナス改訂ということで全ての保険医療機関の経営者は、診療報酬が下がっていることを実感していると思います。
中でも、保険医療機関の中でも歯科の診療所においては、他の医科の診療所以上にマイナス改訂がなされ、実態として10パーセント前後の診療報酬が下がる事態が予想さています。僕自身も今度の診療報酬が下がったことを日々実感しています。初診料は以前に比べ3分の2に下がりましたし、日々よく行う診療行為に対する診療報酬が軒並み下がっています。中には診療報酬が上がったところもあるのですが、微々たるもので結果として月末に集計予定の診療報酬は下がることは必定です。

今回の診療報酬改訂のもう一つの特徴は、患者さんに対し行った指導などを書くことを義務付けられたことです。これまで指導内容はカルテには記載したものの、患者さんに対しては口頭でよかったことが、紙に文書化し、患者さんに手渡さないといけないことになったのです。診療行為に対する曖昧さを無くし、インフォームドコンセントの一手段として評価されるべきことだとは思いますが、この文書化は非常に事細かいところまで行わないといけないもので、結果として患者さんが手にする文書の数はかなりの数に及ぶこともあるのです。治療に出かけた帰り際には、何枚もの説明文書をお土産として持って帰ることがあるのです。

文書化といえば、診療報酬が改訂されるにあたり、歯科医院では国に対し様々な届出を提出しないといけません。これは施設基準届出と呼ばれるもので、いくつかの診療行為に対し、診療報酬を請求する歯科医院には該当する条件をクリアしないと診療報酬として請求できないというものです。例えば、

”歯科医院には常勤の歯医者二名以上、もしくは、常勤の歯医者一名及び常勤の歯科衛生士が一名以上配置されていること”

”当該地域において内科等を標榜する保険医療機関との連携体制が確保されていること”

といった縛りとも言うべき条件が課せられるのです。そんな縛りの中で興味深いものがありました。それは電子加算というものです。電子加算とは、主に診療所の業務にコンピューターを導入している医療機関に診療報酬で加算を認めようというものです。診療報酬に電子加算を導入することで医療機関での電子管理を浸透させようという国の意図なのですが、このような電子加算に四苦八苦している人がいます。それは、パソコンを使用していない医療関係者です。ある年齢より上の層の人たちはパソコンというだけで遠慮したい、関わりあいたくないという意識が強い人がいます。人間というもの、ある程度年齢を重ねると新しいことを行おうとしても面倒くさく、遠慮し避けてしまいたい傾向があるものです。パソコンなどはそういったものの最たる例ではないでしょうか。今年75歳になる僕の父親もパソコンといっただけで全く手に触れようとせず、パソコンの利便性は頭の中ではわかっているものの、いざ自分で手に触って使おうという気はありません。パソコンを使った仕事は全て僕にさせようとするのが常です。うちでは僕がパソコンを使用するので問題ないと思うのですが、周囲にパソコンを使用する習慣の無いベテランの歯医者が新たにパソコンを使用するというのは思っている以上に大変なことのようなのです。いわゆるデジタルディバイドが歯科界でも存在しているのです。

国の立場としていえることは、医療機関で電子化を推進することにより、医療機関が請求する診療報酬を正確に把握しやすくなり、不正請求を防止し、管理しやすくなる利点があります。今後、診療報酬明細書のオンライン化が進められていますが、それに先立てて電子化を進める事は、診療報酬明細書のオンライン化を進める上で、大きなステップとなるのは確実です。

そうなるとますますパソコンが苦手な医療関係者は窮地に追い込まれます。パソコンを何時までも敬遠していると診療報酬は下がったまま。デジタルディバイドが診療報酬格差を生み出す。そのような時代が間近に迫っていると言えます。



2006年04月11日(火) 最新治療が最も優れているとは限らない

先日、ある最新の治療法について話をしていると、ある患者さんから質問がありました。

「先生、最新の治療法というのは時代の最先端なのですから、最も優れた治療法なのではないですか?」

その質問に対し、僕は最新の治療法は必ずしも最も優れた治療法とは限らないと説明をしました。僕の回答にその患者さんは少々驚かれました。どうもその患者さんの頭の中では、最新の治療法イコール最も優れた治療法という方程式が成り立っていたからです。

歯科において最新の治療法というのはあります。これまで歯科で多くの研究者がこれまで培ってきた知識、経験を元に研究、実験を行い、試行錯誤を繰り返しながら、実際の臨床現場に用いられている治療法がいくつもあります。研究者は今ある治療法よりもより患者さんのために益する治療法を開発するため、日々努力しています。これら研究結果を元に多くの患者さんに最新の治療法を施し、実績を残している歯医者もいます。

ところが、これら最新の治療が最も優れた治療法であるかと問われると、僕は必ずしもそうだとは限らないと答えざるをえないのです。その理由は、最新の治療法には歴史がないからです。

例えば、ある最新の被せ歯が開発されたとしましょう。その被せ歯の開発には多額の資金が投入されました。口の中の考えられるあらゆる過酷な情景に耐えうる材料を元に開発され、実験が繰り返された結果、実際に患者さんに用いられる段階となったわけですが、それでは、そんな最新の被せ歯が果たしてどれくらい口の中で機能するのかは誰もわかりません。予想がつかないところが多々あるのです。

口の中の状況というのは人それぞれ全く異なります。その多様性は研究段階の想定を遥かに超えるもので、しかも、時間という要素が加わるとその多様性は更に増すのは必定です。また、患者さんの遺伝、体質、生活習慣、生活環境などを考慮すると、研究段階で想定できなかった思わぬことが起こりうるのです。そんな想定外の事態に最新の被せ歯が対応できるか、その回答ができる人は一人もいないのです。もちろん、最新の被せ歯を開発するに当たっては、直ぐにダメになるような被せ歯を作っているわけではありません。過去の研究から得られた知識、経験を元により良い被せ歯が作られているはずです。が、実際に被せ歯がどのような経過をたどるかは、その場に立ってみないとわからない。これが正直なところなのです。

むしろ、従来使用されてきた治療法で評価されている治療法の方が信頼がおけ、現時点において最も優れた治療法であると言えることもあります。一見すると古くさい治療法であったとしても、治療法が用いられた時間を考えると、その治療法が現時点で消えずに生き残っているという事実には大きな意味があると言えるのではないでしょうか?温故知新という言葉がありますが、新しい物よりもむしろ古いものにこそ学ぶべきこと、評価するものがある場合があるのです。

このことは何も治療法に限らず、全ての物事においていえる事だろうと思います。一見すると新しい知識、技術というものは時に多くの人を魅了し、刺激的でさえあります。新しい知識、技術には明るい未来が広がっているように思いがちですが、実際に新しい知識、技術を使用してみると、多くの人に益することがある反面、思わぬ弊害が現れたりするものです。

大切なことは、新しい知識、技術を鵜呑みにするのではなく、熱くなりすぎず、冷静に、客観的に評価する意識を持つことだと思います。新しい知識、技術は、マスコミなどに大々的に取りあげらると、一大ブームとなり、多くの人々の関心を惹き、注目を浴びることがあります。そのこと事態、僕は否定はしませんが、多くの人が良いと信じる時こそ、誰にも流されず冷静に見つめる目を持つ事。このことこそが常に求められていることではないかと思う、歯医者そうさんです。



2006年04月10日(月) 高橋尚成投手の顔面骨折について

ワールドベースボールクラシック(WBC)で日本代表が優勝したこともあってでしょうか、プロ野球が開幕してから球場へ足を運ぶ観客はどこの球場とも前年より増えているそうです。昨今、プロ野球の球団合併問題に端を発して以来、プロ野球の人気が落ちたことは皆さんもご存知のことと思いますが、WBC優勝の勢いがそのままプロ野球人気を復活させ、維持できるのか見物です。

そんなプロ野球が開幕してからショッキングなことが起こりました。それは、読売ジャイアンツのピッチャー高橋尚成投手がヤクルトの青木選手のファウル打球が顔面にまともに当たったというニュースです。プレー中ではなく、ベンチで試合を見ていた中での突然のハプニングです。何とも運がなかったとしか言いようがありません。

そんな高橋尚成投手ですが、報道によれば右頬骨折だったそうで、早速手術が行われ、一週間程度の入院で済むのだとか。思ったよりも復帰が近くなるということで、本人はおろか読売ジャイアンツの原監督や関係者もほっと胸をなでおろしているのではないでしょうか?

さて、右頬骨折なのに一週間程度の入院で済むということですが、どうしてそのようになったのでしょう。おそらく、高橋尚成投手が骨折した状態に近い思われるレントゲンCT写真がこれだと思われます。この写真では左側の頬骨の頬骨弓という部分が陥没しているのがよくわかると思います。

骨折の処置は通常、骨折した部位を元にあった位置に戻す整復という処置とその位置で骨折した部位をくっつける固定という処置が行われるます。顔面の骨の場合も同様で、骨折した部位を元にもどし、その部分をチタン製のプレート、スクリューを用い、骨が動かないように固定し、骨が骨芽細胞によってくっつくのを待つのです。(ちなみに、これがそのチタン製のプレートです。多種多様です。)

下顎が関係した骨折の場合は更に複雑で、噛みあわせが狂ってしまう可能性がありますので、上下の歯にシーネという器具とワイヤーを用い、口を動かさないように固定してしまうことがあります。顎にはギブスを装着することができませんから上下の歯をワイヤーを用いて固定し、口を開かないようにせざるをえないのです。

頬骨の頬骨弓の場合、通常は落ち込んだ骨を元に戻すとそのままにしておきます。側頭部の皮膚に切開を入れ、挺子と呼ばれる外科器具を骨折部位に入れ、整復するだけです。チタン製のプレートやスクリューを用いずに整復のみで自然と骨折部位がくっつくのを待つのが普通なのです。骨が弓状になっていることから整復しただけでも骨折部位が安定しやすいためだろうと思われます。当然のことながら骨折した頬骨弓に相当する部位は絶対に安静にしておかなければいけないのですが、整復するだけですから手術時間は短時間で済むのは大きな利点となります。

思わぬ打球による頬骨骨折で最もショックを受けたのは高橋尚成投手自身でしょうが、一週間程度の入院で済むというのは不幸中の幸いと言えるでしょう。少しでも早い骨折部位の快復を願っています。そして、我が阪神タイガースのライバルとしての勇姿を一日も早く見せてほしいものです。



2006年04月07日(金) ピンクスポット

”ピンク”という単語で多くの日本人が真っ先に頭に浮かぶのは、風俗関係のイメージではないでしょうか?ピンク映画といえばアダルト向けのポルノ映画のことですし、ピンク産業といえば風俗産業のことを指します。ところが、実際の英語の”pink”の意味は少々異なるようです。英語の”pink”には、健康的なイメージが含まれていることが多いようです。
例えば、
”pink cheek”となるとピンク色の頬ということから健康的な顔というイメージが思い浮かぶのだとか。決して日本語のような猥雑なイメージを思い浮かぶ人は英語圏の人にはいないそうです。

そうそう、”pink slip”といえば、ピンク色の紙ということから解雇通知を意味するそうで、必ずしも”pink”が健康的な意味ばかりではないのは確かなようです。

ところで、むし歯の治療をしていると、予想していた以上にむし歯が深いことがあります。治療開始前、歯には小さい穴しか開いていないのではないかと思っていても、実際にむし歯を除去していくと内部でむし歯が相当進行していたということは歯医者であれば誰しも経験したことがあるはずです。歯医者にとってそんな深いむし歯を治療するに当たり常に注意しないといけないのは、歯髄、いわゆる神経との位置確認です。

深いむし歯の場合、むし歯を除去していくと神経との距離が近くなります。むし歯が神経に近いような場合、歯医者は慎重にむし歯を除去していくのですが、あるところまで除去するとピンク色の部分が見えることがあります。これはどういうことかといいますと、神経が薄い歯質の状態で透き通って見える状態である、わかりやすく言うと、神経が薄皮一枚で隔たれている状態を意味しているわけです。まだ、神経は露出していないがこれ以上歯質を取り除くと神経が見えてしまうといった状態です。この状態のことを歯科業界ではピンクスポットと言います。

このピンクスポットが見えた場合、どうするか?ケースバイケースです。ピンクスポットが見えた時点でむし歯が完全に除去されている場合は、神経が過敏にならない薬やセメントを塗布してから詰め物を詰めます。一方、ピンクスポットが見えても依然としてむし歯が残っているような場合、むし歯を取り除くと神経まで露出してしまいますから、神経の処置を同時に行うケースがあります。最近では、神経の処置を施さなくてはならないくらい深いむし歯でもある種の抗生物質を混ぜ合わせた薬を塗布して経過を診てなるべく神経を残そうとする治療法もありますが、全てのケースで行うというわけではなく、ケースバイケースで神経を残す治療法を選択したり、神経の処置を行ったりします。

いずれにせよ、歯医者にとってピンクスポットが見えるというのは非常に緊張する瞬間であることは確かなことです。間違ってもピンクスポットをみて妙な方向に興奮することはありませんから。残念!



2006年04月06日(木) 遺作となった100号の絵

昨日、うちの近くの病院で医者をしている弟から電話があったのですが、その内容に僕は絶句してしまいました。

「Eさんが息を引きとったよ。」

Eさんとは、以前こちらの日記で紹介した画伯です。うちの歯科医院に縦162.1センチ、横130.3センチという100号サイズの絵を寄贈して頂いた方だったのです。

たった2週間前には血色もよく元気そうな好々爺といった感じでうちの歯科医院を訪れたEさん。そのEさんが突然亡くなられたという話に僕は言葉が出ませんでした。

Eさんは元々循環器内科医である弟の患者でした。今から数ヶ月前、弟がカテーテル治療で心臓を治療した後、健康状態が落ち着いた時期を選び、僕にEさんの歯の治療を依頼してきたのです。何でもEさんは前歯の一部に穴が開いていたのが気になって仕方がなかったようで、歯の治療を受けたいと弟に頼んだのだとか。Eさんの健康状態が落ち着いたいたため、弟は僕にEさんの歯の治療を依頼してきたのです。

Eさんの歯の治療は、数ヶ月前のある休日に行ないました。病院の非番であった弟が側につきそい、何かあれば直ぐに対処できる態勢を取りながらEさんの歯の治療を行なったのです。幸い、Eさんの心臓の状態は落ち着いた状態で歯の治療も問題なく行うことができました。

そんな僕達兄弟の治療の連携にEさんは大変喜ばれたようで、感謝の気持ちとした描かれたのがここの写真の100号の絵だったのです。

そんなEさんが急変したのが数日前だったのだとか。

「Eさんは元々心臓が悪くて半年前に心臓の冠状動脈にステントを入れるカテーテル治療をしたんだよ。その時は治療は上手くいってEさん自身、これまでの心臓の悪さがうそのようだということを言っていたんだ。ところが、数日前、Eさんのステントを入れた冠状動脈に再び狭窄が起こったようで、うちの病院に救急車で運ばれてきた時には意識が既になかったんだ。何とか救命しようと努力はしたんだけど、力及ばずだった・・・。」

最近のEさんは創作意欲も旺盛だったそうで、うちの歯科医院に寄贈して頂いた絵の完成後、他の作品に着手し、筆を運んでいたのだとか。そんな創作活動を行っていた矢先に突然意識を失ったそうです。

まさかうちの歯科医院に寄贈して頂いた絵がきっかけとなって命を落とされたとは考えたくもないですが、結果として遺作となってしまいました。人間の命、一生とはこんなにも突然終わりを告げるものなのか?命のはかなさを痛感せざるをえなかった、歯医者そうさん。今は、ただEさんのご冥福を祈るのみです。
合掌



2006年04月05日(水) 同じ入れ歯は二度と作れない

先日、僕はある患者さんの総入れ歯をセットしました。長年使用していた総入れ歯が割れたということでその患者さんは来院されたのですが、修理を行うにあたり、様々な点でその総入れ歯が限界に達していたことがわかりました。そこで、僕は新しい総入れ歯を作ることを提案し、その患者さんも僕の提案を受け入れ、新しい総入れ歯を作り出したのです。結果的に、その患者さんは総入れ歯の出来に満足してくれていたのですが、セット時何気なく新しく作った総入れ歯と古い総入れ歯を並べてみると、全く別物のように見えました。

新しい総入れ歯と古い総入れ歯が別物であるということは、当たり前といえばそうかもしれませんが、実際のところ、新しく作った総入れ歯は患者さんがこれまで使用していた総入れ歯を参考にして作ったものだったのです。それにも関わらず、出来上がった総入れ歯は古い総入れ歯とは形が異なっているのです。古い総入れ歯を作った当時の患者さんの口の中と今回の治療時の患者さんの口の中の状態は全く異なるわけですから、オーダーメイドである総入れ歯も当然のことながら形が変わるのは仕方がないことではあります。けれども、作った入れ歯の形が異なるのはそれだけの理由なのでしょうか?

僕が某歯科大学の学生時代のことです。僕は総入れ歯をつくる模型実習を受けていました。僕を含めた同級生百数十人が一斉に総入れ歯を作っていました。全く同じ模型を元に型を取り、全員が同じ材料で噛みあわせを決め、人工歯を並べて総入れ歯を作ったのです。そんな総入れ歯を作った実習の最終回のことでした。僕たち学生は講義室に一堂に会しました。手元には自分達が作った総入れ歯を置いていました。実習の最終回ということで、担当の教授がまとめの講義を行なったのですが、講義を始める前、その教授は僕を含めた学生全員が作り上げた総入れ歯を一つ一つ手に取り、眺めていきました。全ての総入れ歯を見終わった教授は僕達学生に対し、しみじみと語りました。

「毎年思うことなんだが、全く同じ模型を元に同じ材料、同じ製作方法で総入れ歯を作っているはずなのに一つとして同じ総入れ歯がない。私は長年総入れ歯を作り、学生に教えてきたのだが、どうして同じ入れ歯を作ることができないか全くわからないままでいる。」

教授が言ったように、実際の臨床とは異なる意図的に同じ条件の下での模型実習の場においても、誰一人として同じ総入れ歯を作られることがないということは全くもって不思議な気がします。機械が総入れ歯を作るのであれば全く同じ総入れ歯を作ることは可能かもしれませんが、人間の手によって作られた総入れ歯に同じ物が一つとしてないのは、実に興味深いことです。

以前、数人の高名な総入れ歯作りの名人の先生が一堂に会し、ある一人の患者さんの総入れ歯を作るという試みがありました。実際に出来上がった総入れ歯を見て、誰しも驚きを隠せませんでした。それは、総入れ歯作りの名人が作り上げた総入れ歯が同じものが全くなく、むしろ個性があるという事実でした。しかも、どの総入れ歯も患者さんは満足に使用したそうなのです。

このことは、総入れ歯作りの奥の深さを物語っていると思います。総入れ歯を作ることを科学的に分析しようと世界中の歯医者が研究を行なっています。長期間研究が行なわれているならば、総入れ歯作りが科学的に分析されてもいいようなものですが、実際のところは、それなりの知識、治療経験に基づいた多種多様な総入れ歯作製方法が考案されるだけで、科学的に分析できないままでいるのです。

愚考するに、人間の体というのは、ある一定の生理学的許容範囲内であれば、どんな入れ歯でもなじむことができる不思議が特性があるのだと思います。人間の体の不可思議な適応力がある故、総入れ歯は一定の基準を満たせば誰でも個性のある総入れ歯を作ることができ、患者さんに満足して頂けるのだろうと思うのです。

それ故、総入れ歯を含めた入れ歯作りは奥が深いように思えてなりません。完全な答えが求められていないことを探究することは実にやりがいのあることだと思う、歯医者そうさんです。



2006年04月04日(火) 父親になった日

今日は僕の上のチビの誕生日。8年前の今日、上のチビは産声をあげたのですが、それと同時に僕が生まれて初めて子供の父親になった日でもあります。正直言って、8年前まで僕は自分が父親になるなんて想像もつきませんでした。学生時代、僕は

”将来結婚をし、子供ができるのだろう”

と何気なく想像したことは何度もありましたが、本当に僕と共に人生を歩んでくれる伴侶ができるのかわかりませんでした。

”広い世の中の何処に自分の伴侶となるなる女性が生きているのだろう?

そんな女性といつ出会うことができるのだろう?”

と思いながら生きていた学生時代のそうさん。ましてや、自分自身が家庭を持ち、子供ができるとは考えも及びませんでした。

思いもよらぬ縁で、10年前に僕は嫁さんと出会い結婚を果たした訳ですが、結婚してからもしばらくは自分達夫婦に子供がいる生活は想像がつきませんでした。もちろん、するべきことはしていました!が、本当にコウノトリが僕たち夫婦に子供を連れてきてくれるのか疑心暗鬼だったものです。結婚して間もなく、嫁さんは妊娠したものの流産を経験したものですから、本当に僕たち夫婦が子宝に恵まれるかどうか不安でなりませんでした。

そんな中、結婚して1年後に嫁さんが再び妊娠しました。流産しないかどうか心配していたのですが、お腹の子供は無事に大きくなり嫁さんのお腹は日に日に大きく脹れあがっていきました。

子供が順調に大きくなっていっているのはよかったのですが、僕は一つ心配していたことがありました。それは、お腹の子供の出産予定日が4月1日だったということです。暦の上では4月1日は4月の始まりであり、年度始めではあるのですが、4月1日生まれの子供は早生まれとして分類されるのです。一年一区切りであるわけですから、一年のうちある一日を境にして年度がかわるのは仕方がないことではあります。

”よりによってお腹の子供が4月1日に生まれたなら、どうしよう?同学年の幼稚園、小学生の生徒の間で生活をするとなるとどうしても成長のハンディがあるのではないか?”

僕自身、2月生まれでしたので経験があるのですが、小学生の間はどことなく他の同級生との間に何らかの差があるような気がしてならなかったものです。今となっては全く気にならないことではあるのですが、当時の僕は言いようのない不安みたいなものを感じることが多かったことを記憶しています。そんな経験がある僕ですから、自分の息子は早生まれであってほしくないと密かに願っておりました。

8年前の4月1日の深夜、午前0時を過ぎて4月2日になった時、僕は思わず胸をなでおろしました。これで生まれてくる子供は早生まれでは無くなったと。

ところが、僕自身勝手なものだと思うのですが、今度は予定日を過ぎてからいつ生まれるのか不安になってきました。お腹の子供が大きくなりすぎ自然分娩では生まれることができず、帝王切開になるようなことはないだろうか?そんな思いをもっていた4月4日の早朝のことでした。忘れもしません。その日は土曜日。病院に勤務していた僕は休みの日でした。嫁さんが破水したため、直ぐに病院へ連れて行きました。当時のことを振り返って嫁さんは
「そうさんはいつもと違って相当慌てていたわよ。」

自分でもかなり慌てていたのは自覚していました。何せ出産に立ち会うのは初めての経験でしたから。自分が出産するわけではありませんが、無事お腹の子供が僕の目の前に出てくるか期待と不安で一杯だったのは無理もないことです。

病院に入院した嫁さんに陣痛が現れ、苦しみながら無事に出産したのは4月4日の夕方のことでした。嫁さんの出産に立ち会うことができた僕は、子供が出てきた瞬間の声とその姿を間近で見ることが出来ました。

「子供さんの心臓の音を聴きますか?」

僕が勤務していた病院の同僚の産科の先生が僕に聴診器を渡してくれました。僕は生まれたばかりの子供の心音を聴きました。

「ドッドッドッドッドッドッドッドッド・・・・・・・・・」

実に力強い心音に僕は生命の神秘を感じざるをえませんでした。しかも、誰の子供でもない自分の子供の心音なのです。僕は思わず目頭が熱くなりました。そして、僕は実感したのです。僕が父親になったことを。

あの時から8年。その時の子供は小学校2年生となります。既に赤ちゃん気はとうに無くなり、少年になりつつある上のチビ。周囲の人は、上のチビが僕によく似ているといいます。確かに僕のDNAの半分を受け継いでいるわけですから、僕と似ていても不思議ではありませんが、僕の遺伝を受け継いでいる子供がいるということは不思議な気がします。そんな上のチビは僕のことを”パパ”と言います。まだまだ上のチビが大人になるには先が長いですし、僕がパパとして役割を果たしているかどうかはわかりませんが、僕を初めて父親にしてくれた上のチビには、これからも健やかに育って欲しいと願わずにはいられません。



2006年04月03日(月) 携帯電話の普及で失ったもの

どこの歯科医院でもそうだと思うのですが、患者さんが初めて自分の診療所に来院された際、患者さんには自分の名前や住所、連絡先、治療をしてほしい主訴や病歴などを問診表に記入してもらいます。歯医者にとって全く見ず知らずの患者さんである場合、その患者さんに関して何の情報も持ち合わせていないわけですから、治療を行なう前に患者さんに問診表を書いてもらうのは当たり前のことなのです。

最近、問診表を見ていると、ある傾向があるとに気がつきました。それは、連絡先についてです。連絡先には通常、患者さんが連絡を取りやすい場所の電話番号を記入してもらうことがほとんどです。これまでの場合、自宅の電話番号が大部分、一部に仕事先の電話番号を記される場合が多かったのですが、最近目立つのは携帯電話の番号を記す患者さんが増えてきたということです。


歯医者としては、何か緊急の連絡が必要となった時、患者さんと連絡が取れる電話であれば自宅の電話であろうが、仕事先の電話であろうが、携帯電話であろうが何ら問題はありません。むしろ、患者さん本人が常に携帯している確率が高いであろう携帯電話である方が都合がいいかもしれません。

その一方で、連絡先に携帯電話番号が書かれているのを見ると、僕は何か一抹の寂しさみたいなものを感じざるを得ないのです。どんな患者さんであったとしても家庭や企業といった社会に所属している、治療は患者さん個人との関係であったとしてもその背後には何らかの社会が控えているということを無意識ながらも感じていたつもりでした。実際、これまで緊急の連絡をした際、患者さんに連絡を取ろうとして自宅に電話をかけたところ、本人が不在で家の人に伝言を託けたケースが何度かありました。こちらの伝言がきちんと伝わっているかどうか不安は無きにしも非ずでしたが、患者さんが電話番号の書いてある家の家人であり、身元がはっきりとした安心感みたいなことも感じたものです。ところが、携帯電話であれば、話すことができる相手は患者さん本人にほぼ限定されます。もし携帯電話が繋がらなかったとしても、携帯電話のサービスの一つとして伝言サービスなるものがあり、誰かを介せず直接本人にこちらの伝言が正確に伝わるだろうとは思うのですが、その人がどんな社会に所属し、どんな人たちと交わっているのか想像がつかなくなってきているように思えてならないのです。

最近の調査によれば、携帯電話の契約数は固定電話の契約数を上回ったのだとか。既に9000万台以上の携帯電話が日本国内で使用されているという話を伝え聞くと、既に携帯電話は生活必需品の一つとしての地位を築いたといえるでしょう。携帯電話には本来の電話機能だけでなく、メールやインターネット、カメラ機能、スケジュール管理といったものからこの4月からはワンセグなるデジタルテレビ放送が受信できるような携帯電話も発売されています。携帯電話はどんどん高機能化していっています。

携帯電話が普及したことは日常生活まで変わってきました。例えば、僕の上のチビが通っている小学校では、電話連絡網の代わりに携帯電話メール連絡網なるものが登場し、小学校からの緊急連絡に重宝しているようです。これらは、個人情報保護の観点からも有用なようで、今後益々他の学校でも普及していく傾向にあるようです。

また、かつて男女カップルの連絡を取り合う際、お互いの自宅の電話を入れる時には、彼氏、彼女の家族にどうやって話をするか、電話をかけるタイミングなどを計りながら結構ハラハラドキドキしながら電話をかけた経験は誰しもあることではないかと思うのですが、携帯電話が普及した昨今ではそのようなことに神経を使う必要がほとんどなくなりました。便利になったといえばそうなのですが、その反面、相手とのコミュニケーションを取る際の細やかな配慮、気持ちの機微を感じる機会が少なくなってしまったようにも思います。

携帯電話の普及は確かに世の中を変え、様々な利便性を手にすることができたとは思いますが、これまで長きにわたって培ってきたものを同時に失っているような気がしてならない今日この頃。患者さんの問診表に書かれている携帯電話の電話番号を見る度、その念を強く感じる歯医者そうさんです。


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