My life as a cat
My life as a cat
DiaryINDEXpastwill


2020年12月26日(土) 出産の記録

朝リュカが産院まで迎えに来てくれて、ロクちゃんと三人で帰宅した。5日前、慌てふためいて飛び出した夫婦二人と猫一匹で暮らしていた家の景色がすっかり変わって見えた。この5日の間、何年分もの新しい経験や気持ちを味わったみたいだ。きっと忘れることはないが、出産の記録として残しておこう。


12月21日 月曜日

朝ニースの産院に定期検診へ。出産はノエル近くになるだろうと言われていたのに、今日の検診では子宮口が閉まったままで、胎児がまだ降りてきていないからもうちょっとかかるかな、と言われる。妊娠後期の体がキツくて、年内にはこの体から逃れられると思っていたのでがっかりする。と、同時に既に3.2kgになっている胎児がこのままお腹の中で成長して巨大になったら出産に耐えられるのかと恐れおののく。

帰宅して妹とこんな会話をしてから床につく。

「わたしはねぇ、38週で破水から始まって、でも胎児が降りてきてなくて、陣痛促進剤を打って産んだんだぁ」

「そうなんだ。その陣痛促進剤とかいうの嫌だなぁ。」


12月22日 火曜日

2時間後、夜中の3時。ふと目が覚めて脚の間が濡れているような気がする。トイレへ行って確認してみる。ピンク色の水が下着を染めていた。もしや?とも思い匂いを確認したが無臭。尿ではなかった。トイレで叫ぶ。リュカが飛び起きてきた。助産師のレクチャーでとったノートを開き確認する。"ピンク色の水なら2時間以内に病院へ"。リュカがポンピエに電話をする。来るまで準備する時間があるだろうと思ったが、思いの他たった5分で3人のポンピエがやってきた。血圧などを確認する。わたしは痛みも何もないから歩けたが、念の為なのだろう、車椅子で運ばれ産院に向けて出発した。

車内ではリュカとポンピエとわたしが普通に世間話をしていた。3人のポンピエは全員男性だったが、うちの奥さんもこのパターンだったとかそんな話をしていた。あまりにもドラマなどで見て想像してた出産シーン(ポンピエの車内ではぁはぁいいながら苦しみ悶てる)の出だしと違った。

産院に到着すると、深夜勤務の助産師達が控室でノエルのパーティーの途中だったのだろう、サンタの帽子を被って出迎えられ、リュカもいつの間にか同じのをもらって被せられていた。その格好で心配そうに真顔でわたしの手を握っていた。これまた想像と違った。

1時間ほど胎児のモニタリングをしてから病室に案内され、朝食が出された。子宮口が開いてないと言われたばかりなのだ。もちろん陣痛も始まらなかった。まさに38週で夜中の3時に破水で陣痛促進剤投与という妹と同じパターンになってしまったのだった。

朝食を平らげる。2時間おきに助産師が胎児のモニタリングとわたしの血圧をチェックし、陣痛はないかと聞く。何も起こる様子もなかった。やることもなく病室でふたりでまったりと待ちぼうけして、夜、リュカは近くのホテルをとり、わたしはそのまま病室で夕飯を食べた。


12月23日 水曜日

夜中の1時に陣痛促進剤が投与された。自分の病室のベッドに戻る。そして3時くらいに陣痛がくる。もう3分おきくらいに波のように痛みに襲われる。胎児の心臓とわたしの陣痛の波のモニタを眺めながら、痛みの波が来ると深呼吸を繰り返す。泣き叫ぶほどの痛みではないが、これが延々続くので体力を消耗していく。痛みの波が去ると眠気で意識が遠のく。そして3分後にまた痛みの波で飛び上がる。8時にリュカがやってきたが話すこともままならなかった。9時。6時間の間やっと水を飲んだだけで食べることはできず、体力を消耗しきっていた。助産師に麻酔をするかと聞かれたので、お願いすることにした。車椅子に乗せられ、病室から階下の分娩室に移された。後でリュカがその時のわたしの様子はもう肩をがっくり落として死んでしまいそうにしてて本当に見ているのが辛かったと言った。10時、予め面談していた麻酔科医がやってきた。背中の血管の中に小魚が侵入して泳ぎはじめたような感覚がして、10分するとすっと痛みが遠のいていった。無痛分娩といっても痛いと聞いていたが、わたしにはよく効いたのか本当に無痛になり、6時間ぶりにやっと体を休めることができた。その後16時まではうとうと眠っては起きてリュカに口を湿らせてもらうということを繰り返した。たまにスパルタ体育教師のような女性の助産師がやってきて、子宮口を確認した。窓の外は地中海でジョギングやウォーキングをする人々が行き交っていた。17時半分娩台に足を乗せられた。ここからは目まぐるしくジェットコースターのように出産に突っ走った。突然見知らぬ医師が現れて、わたしの主治医は渋滞に巻き込まれて間に合わないんで自分が担当すると告げられた。

「じゃぁ行きましょう。息を大きく吸って、はい、止めます。そして・・・プッシュ!!!!!」

無痛分娩は下半身に感覚がないので陣痛の波はこうして教えてもらわないとわからないのだった。わたしは毎日ヨガをやってきた癖でプッシュと言われた瞬間息を空中に吐いてしまったのだった。スパルタ体育教師に怒られる。

「あんた!何やってるの?息を空中にプッシュしたってしょうがないじゃない!!お腹をプッシュするのよ!!」

一同笑う。本当、わたし何やってるんだろう。

プッシュ!と言われたらお腹に力を込めてをたった5回くらい。

「はい、頭がでましたよ」

えっ?もう?

「次は肩出しますからね。もう一度プッシュ!」

お腹に力を入れたら怒涛のごとく胎児がでてきて、胸の上に乗せられた。

「はい、あなたの子よ!!」

プッシュ!とやりはじめてたった5分くらいで出てくるとは思いもせず、驚いた。17時51分、ロクちゃん誕生!胸に乗せられた子は掘りたてのじゃがいものように汚れていて、わたしの胸に頭をぺっとりと置いて泣いていた。リュカがへその緒をカットした。胎盤も5分くらいででてきた。裂けたのか切られたのか、脚の向こうでドクターが会陰を縫合しているのが見えた。わたしはこの会陰切開とかいうのに恐れおののき、オイルマッサージなどに勤しんできたのだった。主治医は会陰切開は体に負担をかけるのでしない方針だというので、裂けないようにとプッシュのしかたを勉強した(ただ欧米人は母体が大きく、それに加えて胎児の頭が小さい傾向にあるのであまり切れない人が多いと聞き、胎児の頭のサイズがリュカに似ることを願った)。ところが当日主治医が到着できないというオチだった(しかし、結局2針縫っただけで、妹が言うにはそんなのかなり軽症だということで、オイルマッサージ効果があったのかもしれなかった。ただこのマッサージ自体がわたしには結構痛くて苦痛だったのだが)。

出産から30分くらいして、助産師がおっぱいをあげてみるかと聞くので挑戦した。ロクちゃんは乳首を吸いはじめた。これも痛くて飛び上がる人もいるというんで胸もオイルマッサージを続けてきたのだった。その甲斐あったのか、痛いということは全く無くて、むしろくすぐったいという感覚だった。こんなに小さな生き物が本能的におっぱいを飲めることに感動した。

わたしもロクちゃんも体をクリーンにしてもらい、一緒に病室に戻った。夜の9時。26時間ぶりに食事にありついた。ひどくお腹が空いていた。リュカは近くのホテルにチェックインだけしてまた戻ってきた。彼は酷く感動していて、多分ロクちゃんとずっと一緒に過ごしたかったんだろう。わたしはもう疲れていて頭もぼんやりしていたので、ロクちゃんは助産師さんに預けて眠ることにした。


12月24日 木曜日

朝6時半。助産師さんが、ロクちゃんを連れてきてくれた。

「大きなウンチしましたよ〜」

胎児は羊水を汚さないようにお腹の中ではウンチをしないで、生まれるまで待っているんだそうだ。だから生まれたての赤ちゃんはすごく大きくて黒いウンチをする。

ひたすら眠っているロクちゃんを眺めながらベッドの上で朝食をとっていたらリュカがやってきた。産後の体は交通事故にあったような状態というが、確かにトイレまでの数メートル歩くにもちょっとよろめいた。お腹もなんだか片付いていないおもちゃ箱のような感覚で違和感があるし、会陰切開の傷が痛くてお尻をつけて座れないし、用を足すとしみる。昨日一日中点滴を指し続けた腕は腫れて熱を帯びて痛んだ。出産を終えたらもう少し萎むと思っていたお腹は、ほんのひと廻り小さくなっただけで依然妊娠しているように膨らんでいる。臨月に入る少し前くらいから痺れだした手もまだ痺れたままだ。出産直後の妹を訪ねた時、足が象のように浮腫んでいたから、自分もそうなるものかと思っていたが、足はいつも通りだった。妊娠中ずっとリュカの職場へ通い、足の浮腫をとる機械にかけてもらっていたおかげかもしれない。それにしても、と昨日を振り返る。無痛分娩にもかかわらずかなりキツい体験だった。これを自然分娩で乗り切る日本の母親というのはどんなに強い人々なのか。同じ女でも同じ日本人でもこればかりはどうなってるのか本当に解らない。

10時半。ロクちゃんがまた大きなウンチをしたので、初めてオムツ交換に挑戦する。リュカと二人がかりだったのにかなり悪戦苦闘した。11時に助産師さんに沐浴の仕方を習う。さっき替えたばかりのオムツを取ると今度はおしっこをしてあった。台の上に寝かせて石鹸で体を洗っている時は大泣きしてたのに、温かいお湯に体を入れたら突然泣き止んで、天に昇るような顔で気持ちよさそうにしていた。

午後は3人病室でゆっくりと過ごす。おっぱいをあげることに挑戦したけど、なかなか乳首を咥えさせることが出来ず、助産師さんにも手伝ってもらってやっと一度だけ成功した。母乳がでるまでには通常3日くらいはかかるらしいので、まだ大して出ていないせいもあるのだろう。

夕方リュカは家に戻った。隣人のドミニクがノエル休暇でジェノヴァの家に帰る直前の出産で、二晩クロちゃんの面倒を見てくれたことは幸運だった。そしてコロナの影響でつい先日までは父親は産院を出たり入ったりすることが難しかったが、少し規制が甘くなって、リュカはクロちゃんのために帰宅し、翌日またわたし達に会いにくることができることになったことも。

この産院の食事は野菜たっぷりでとてもよかった。それに加えてノエルだったからちょっと良い料理だったり、ケーキが付いてたりした。アンジェリーナ・ジョリーもここで双子を出産したというが、彼女にも同じ食事が出されたのだろうか???なんて想像したりしながら頂いた。ベッドにさえまともに座れていないひとりの静かな夕飯だったけど、隣で眠るロクちゃんがたまに発する声になんとも幸せな気持ちになった。

夜、朝連れてこられてからずっと眠り続けていたロクちゃんが起きて泣き出した。どうしようか。助産師さんを呼ぶ。

「お腹空いてるんじゃない?おっぱいあげた?」

「一応。少しだけ」

「足りてないのね。ミルク持ってくるから」

慣れた手付きで彼女が抱えてミルクをあげるとすぐに泣き止んで、突然電源が落ちたかのようにまた眠ってしまった。へぇ、そんなものなのか。

夜中にもう一度泣いたので、オムツを替えて、残っていたミルクをあげた。夜中に起こされて赤ん坊のオムツを替えてゲップを拭くような生活なんて何が楽しいのか?と思ってたのに、大して苦になっていない自分がいた。すやすやと眠る顔を眺めて幸せすら感じながらまた眠りについた。この子はつい数時間前まで羊水の中で体をギュッと丸めて暮らしていたんだ、と思ったら健気で愛らしくて、胸がいっぱいになった。この世にでてきてくれたからには美しいものを沢山見せてあげよう。


12月25日 金曜日

7時半に朝食をベッドまで運んでもらえる。今日はカフェ・オレとブリオッシュ。思えば入院なんてしたのは人生で初めてで、朝食をベッドの上で食べたことなんてなかったな。今日は昨日より少し気持ちに余裕ができた。

オムツを替えたり、おっぱいを飲ませるのに挑戦したりしてるとリュカが来た。助産師さんが沐浴の時間だと呼びにきた。今日はリュカが挑戦した。慣れない手つきでちょっと手間がかかり、ロクちゃんは震えてた。

医師がロクちゃんを診察し、パーフェクトだと言った。

ランチはわたしのランチとリュカが買ってきた食料を並べて、一緒に食べた。リュカが作ってきてくれたかつて見たことのないほど不細工な昆布のおにぎりは、味には別状はなかった。パティスリーで美味しそうなケーキも買ってきてくれたが、これはちょっとハズレで産院で出してくれたモンブランのほうが美味しかった。

夕方、雪が降り出した。家で過ごしていたなら素敵なホワイトクリスマスというところだったけど、リュカは家に帰らなければならないし、明朝退院するわたし達を迎えに来なければならず、少し心配になった。

リュカが帰る間際、打ち明けられた。

「実はね、君がロクちゃんを産んだ日、アナが死んだよ」

泣いた。泣くことしかできなかった。

この夜ずっとおとなしかったロクちゃんがずっと泣き続けた。オムツでもミルクでもないようだ。具合でも悪いのかと助産師さんを呼んだが、理由なく泣き続けるのはフツウなんだそうだ。


12月26日 土曜日

朝リュカが迎えに来た。もう一度ロクちゃんの検診。やっぱりパーフェクト。沐浴はわたしがやる。ソープを使うと教わったけど、我が家は大人も外から帰宅した時と食事前の手洗い以外は使わないので、お湯だけにしておいた。

この産院での出産、とても良かった。職員達はノエルの労働も機嫌よくこなし、みんな知識豊富で、よく教えてくれて、とても親切にしてくれた。食事も良かったし、窓から地中海が見えるのも良かった。

使い方のいまいちわからない抱っこひもをリュカに装着して階下に降りた。外出規制でカフェやレストランは開いていなくて、よく階下のベンチに座って手にしたエコグラフィーの写真を眺めながら、リュカとはしゃぎ、自動販売機のカフェを飲んだ。そして今、同じようにいつもの場所に座るわたし達の隣にロクちゃんが寝ている。病院というものは嫌いだったが、この産院だけはわたしにとって甘い思い出の場所になった。

電車で帰宅。ロクちゃんにとっては全て初めての体験。車内で黒人女性の職員がわたし達の前で立ち止まり声をあげた。

「まぁ!なんて可愛い乗客でしょ!もし電車の中に置き忘れても心配要らないわ。わたしがちゃんとお世話しますよ」


2020年12月18日(金) 神様、もう一つだけミラクルを

願っていた奇跡が起きた。

リュカの職場から一緒に帰宅する途中、留守電を聞いたリュカが声をあげた。

「あの家!!!購入するって言ったカップルが結局キャンセルしたって!!僕達の物になるかも!!」

わたし達が家を探し始めて一番最初に内見して、一目惚れして、すぐに購入すると申し出たのに既に先約があったすぐ隣の家だった。一目惚れしただけに購入を断られたことは、一目惚れした男性から付き合おうと言われ、舞い上がってるところで、フラれたような気持ちだった。しかも隣人で毎日嫌でも眼中に入ってしまう存在で。その家の前を通る度に、あぁこんなに近くにいるのにわたしの物にはならないんだ、と落胆した。あぁ、奇跡が起きて、そのカップルがキャンセルしないかなぁ、と願った。しかし立ち止まってもいられない。不動産屋に着いて他の物件を見に出かけたが、見れば見るほどやっぱりあの家がよかったとがっかりした。

「ほらバーもBBQもあるから友達呼んでプールサイドでカクテルパーティーなんかできていいでしょ!(酒も飲まないし、BBQもしないし、パーティーも興味ないんだけどなぁ))」

「この大きな庭で果物の木を沢山植えるのもいいしね(こんな大きな庭自力ではとても手入れできないわ)」

「ゲストルームとしてスペアの寝室があるといいよ(ゲストなんてそう滅多に来ませんよ)」

不動産屋はわたし達の希望を理解してるのかしてないのか、求めてもいないものばかり出してくる。ただ一つ解ったことは、この辺りでは一軒家(Maison)とはそういうものが一般的のようなのだ。わたし達が求める"地面に立った小さなアパルトマンの一室のような一軒家"を見つけるのは難しいということ。

「大金払って不要な物がいっぱい付いてくる家に住む以外ないのかねぇ」

溜息をついていたところに奇跡が起きたのだった。でもなぜキャンセルされたのか?何か致命的な欠陥でもあったのか?聞いてみたら、彼らはもっと職場に近い町に住みたかったが、予算の関係で妥協して、一度はこの家を購入することに決めたのだが、やっぱり職場に遠すぎると思い直したとのことだった。

翌朝すぐに不動産屋へ行き、購入の意思を表明する書類にサインした。まだ第一歩を踏み出しただけで、本当に入居するまでどうなってしまうのか判らないが、全て順調に行けば来春には入居できそうだ。

リュカと手を取り合って喜んだのも束の間、夕飯時、リュカがふと箸を置いて、悲痛な面持ちで話しはじめた。

「こんな時にこんな話をするのは辛いんだけどね・・・。アナの状態がいよいよ悪くなって、もう治療はせず痛みを緩和するケアだけになったって」

心臓がばくばくと音を立てた。アナはこちらへ来て初めて仲良くなった人だった。すぐに引っ越していってしまったが、たまにこちらへ戻ってきては一緒に食事をしたりした。記憶の中のアナは、いつも美味しそうに何かを頬張っていて、音楽がかかればちょっと太めの体を揺さぶりながら楽しそうに踊った。それがたった3年の間にみるみる癌に蝕まれて、25kg体重が落ちて末期の状態にまでなってしまうとは誰が想像しただろうか。50歳そこそこ、こんなになるには若すぎる。アナの旦那さんはリュカの同僚だった。ピンピンして逞しく働いて、70歳でやっとリタイアして、自分よりずっと若い3番目の奥さんであるアナと余生をプロヴァンスの家でのんびり過ごすつもりで引っ越していったのだった。口数は少ないが、心の優しさが外ににじみ出ていて、アナと同様彼のことも大好きだった。彼は2番目の奥さんも病気で亡くしているのだった。

「そんなのフェアじゃない・・・。」

呟きながらリュカと涙ぐんだ。アナとわたしよりもっと多くの時間を共有してきたナタリアは、先日彼らを訪ねていって、アナの変わり果てた姿に胸を痛めてすっかり具合が悪くなってしまった。

神様、もう一つだけミラクルを!

わたしに他に何ができよう。アナのためにただただ願った。


2020年12月15日(火) コート・ダジュールの家探し

不動産屋に出向いたり、お金のシュミレーションをしたり、物件を見に行ったり、家の購入に本腰を入れはじめたものの、まだまだ時間がかかりそうな予感。わたし達が求めている暮らし、または身の丈と住んでる地域がちぐはぐというのがもっぱらの理由。

わたし達の条件
●庭付き一軒家
●車を持たずに暮らせる(パブリックトランスポートと子供の学校まで徒歩で行ける)
●プールなし
●(できれば)ガレージなし
●日当たり、立地(この辺りは大雨で生命の危機にさらされるようなレッドゾーンが多々ある)問題なし

そんなにワガママじゃないと思うが、これがここでは本当に難しい。まずもって一軒家(Maison)がそんなに沢山ない。そして少ない一軒家の大方がハリウッドスターか、という大きな敷地と不要な沢山の寝室があり、プールやジャグジーも付いてる。そして価格もすごい。モナコが近いという土地柄、地元の人は"モナコの金持ちがこの辺りの土地の値段を引き上げた"と口を揃える。車のメンテナンスも面倒だと考えるわたし達がプールのメンテナンスなどしたいはずもなく、だいたい美しいビーチがすぐ近くにあるのに家のプールなど入らないだろうし、これだけは本当に要らないな。ガレージは不要だが、あれば賃貸にして収入を得るという手もある。そして家も庭も極小さなものがいい。この辺りでは金持ちの部類じゃなくても大きな家に住んでる人は大抵自力で掃除が出来なくて人を雇ってる。自分の手が行き届かないということは、すなわち自分の生活に必要じゃないスペースを所有してるということで、わたし達にとってはただの無駄だ。そんな中、すぐ隣に条件を全て満たした家が売りに出された。スウェーデン人のカップルが夏を過ごす為のセカンドハウスとして使っていたのだが、奥さんが病気になり家も売りに出された。家も庭も大きすぎず、暖炉があり、木のぬくもりに満ちた家。ひと目で気に入って、見学して即購入を決めたのだが、先約があった(不動産屋はいつも保険をかけるように売れてもお金が支払われるまでは人に紹介し続けてるんだろう)。がっかり。また振り出しに戻ってしまった。アパルトマンならそう難しくなさそうだけど、やっぱり地に足をつけたいんだよなぁ。

これを母に話したところ、

「そういえばね、うちの後ろの後ろの家の夫婦も亡くなってまた空き家になったの。また親族が放置してて、そのうち"買わないか?"って言われそう。そしたら家を壊して更地になってからなら買ってもいい(土地なら購入してもいいが、家は不要で、それを壊すにもけっこうなお金がかかるそうだ)って言うつもりなんだ」

となんとも贅沢な話をする。両親は数年前後ろの家の夫婦が亡くなって、親族が持て余していた土地を二束三文のような金額で購入したばかり。そこにあれこれ果物の木を植えたり、野菜を作ったりして結構楽しんでいるらしい。この地球上にはこんな誰も欲しがらず放置されてる土地も存在するのに、わたし達が暮らしてるところといったら鬼のような競争率。だけど、リュカはここに仕事があるし、わたしは何より歩いてでもイタリアへ入れるのが気に入ってるし、気長に探すしかなさそうだ。

----------------------------

大きなカルフールに買い物に行った。レジはざっとみたところ50レーンくらいある。電車の時間があって少し急いでいた。最初は普通のレーンに並んでいたが、動きが鈍い。じりじりしながらふと横を見ると妊婦優先レーンというのが目に入った。妊婦優先というものはなんとなく気がとがめて一度も使ったことがなかった。しかし一瞬行ってみるか?と考えた。だが、列を見ると明らかにただ太ってる女性達がそこに並んでいた。リュカと苦笑しながら諦めた。ところがその更に隣の10レーンくらいはなんと医療従事者専用レーンと書かれているではないか。明らかに普通のレーンより空いている。コロナ渦で医療従事する人々に対する慰労の印なのだろう。リュカのプロフェッショナルカードを提示すれば通れる。しかし、、、リュカは仕事柄コロナ患者とは関わることはない。やっぱりちょっと気が咎めたが、電車の時間が迫ってきて、結局そこで会計を済ませてしまった。こういうのって複雑。先日レジに並んでたら車椅子に乗せた子供をひいた母親が、身体障害者カードをかざしてわたしの前に割り込んできた。

「みなさん先に行かせてね。ほらこれ持ってるから」

列に並んでる人は誰も返事をしなかった。その母親は当然のようにわたしの前に入り、お金を払う時にわたしのお腹を一瞥して子供の車椅子を押して去っていった。明らかにお腹がせりだしてから、あらゆる場所で"先にどうぞ"と譲ってくれる人々がいる。そういう時はお礼を述べて有り難く受け取ることにしてる。でも、逆に健康で働いてる人のことも考える。自分でちゃんと体を管理して、健康を保って、よく働いて、さぁ夕飯の食料を買って家に帰ろうかという頃には、妊婦のわたしより疲れ果ててるんじゃないかと。それに妊婦こそ体力をつけなければ子供なんて産めやしない。そう思ってなるべく自分の体を甘えさせないようにしてきた。しかし、この国は弱者に手厚く、一度その立場にたったら、最大限それに頼って、そこから抜け出そうとはしない人が多々いる。こういう社会は一見優しいようにも見えて、弱者をその域から救いだすことはしなくて、彼らが社会から諦められ、隔絶された存在のように見えてしまう。

夜になると具合が悪くなるから、電車に間に合って早く家に到着できたことはよかったが、やっぱりできればこういう恩恵に慣れてしまわない身でいたい。


2020年12月04日(金) バターナッツの食べ方





















コンフィヌモンで通りはあまり人影もないけど、ちゃんとノエルのデコレーションが施されてた。寒い寒い通りをリュカの職場から家まで一緒に歩いて帰宅する。リュカはシャワーに直行。その間彼のバスローブをヒーターの側で温めておいて、シャワーからあがるその瞬間に持っていってあげる。よく乾いた温かいバスローブは最高。湯船のない暮らしをなんとか少しでも快適にするひと工夫。

近所の家の庭で生ったバターナッツを頂いた。この南瓜、いまいち美味しい食べ方を見つけられないでいた。以前一緒に暮らしていた人は、これを摩り下ろして、少々のスパイスと水で煮て、ぽってりしたスープというよりもカレーというような濃厚でクリーミーなピュレを作ってくれた。これが大好きだったのだが、記憶にあるやり方で作ってみても何故か彼が作ったような味に仕上がらなくて、何度か試して諦めた。今日はアメリカで大人気の料理研究家のアイナ・ガーテン(Ina Garten)さんの"Cooking for Jeffrey"という本に載っているリコッタとローストバターナッツのブルスケッタを作ってみることにした。バターナッツは1.5cm角に切ってオーブンで焼いて、オニオンをバターとオリーブオイルで炒めてメープルシロップとリンゴ酢で味付けして、これをバターナッツと合わせる。トーストの上にリコッタチーズをたっぷりと塗って、炒めものを乗せて完成。この本のレシピはどれも素材をひとつひとつ指定してる。塩はコッシャー、挽きたての胡椒、グレードAのメープルシロップ、自家製リコッタチーズ・・・。家にあるもので適当にやったが、とびきり美味しかった。アイナさんのこだわり材料で作ったらもっと美味しいのかもしれない(ここにもレシピが載ってた)。この本随分前に購入して、美味しそうだなと眺めてたけど、はじめて作った。なにせどれもカロリーが高そうで、ちょっと勇気を振り絞らないとならない。アイナさん自身も愛らしい見た目ではあるけど、やっぱりちょっと横に大きいものね。わたしなら横に大きくなる前に血液とかおかしくなってしまいそう。アメリカ人の作るレシピはやたらチキンのスープストックを使う。日本人がやたらかつお出汁とか入れるのに通ずる。これだけはこの本のマイナスポイントかな。野菜と塩だけで十分美味しいのに、そこに他の出汁を入れたいとは思わないんだよなぁ。今夜はこのブルスケッタを二切れとフィノッキオのポタージュでおしまい。洋風一汁一菜ってやつだ。

最近自家製納豆を作ってる。結構簡単にできるものなんだな。"納豆とごはんがあればそれでいい"って人に憧れてきたけど、納豆嫌いを克服できてから朝食は納豆ごはんにすることが多くなった。美味しく仕上がった自家製味噌と納豆に温かい雑穀米。どんなに美味しいものを食べても、やっぱり日本人なら誰もがこういう味にほっとするんではないか。


2020年12月01日(火) ハッピーマタニティライフというけれど...

師走。今月で終わる妊婦生活を振り返ってみる。全てが順調で、つわりも恐らく軽いほうだったし、妊婦のマイナートラブルと言われるものも頻繁にトイレに行くこと以外は大してなかった。それでもキツくなかったかと聞かれれば十分キツくて、"ハッピーマタニティライフ"なんて言葉とは程遠かった。妊娠は病気じゃないし、期間限定の苦しさなんだから、これくらいのことは涼しい顔で乗り切れる強い人でいたかったのに、実際はたらたらと歩き、はぁはぁと息を荒くして、具合が悪くなると日本の母が恋しくて泣きべそをかき、身なりにもあまり気を使えなくなった。中村江里子さんの妊娠や出産の時の様子をBLOGで見かけた。さすがメディアに顔を晒してる人は違う。妊娠中もお洒落をして妊婦の野暮ったさはなく、出産直後でも髪は整っていた。もちろんこの写真の裏側ではわたしと同じようにキツい思いをしていたのかもしれないが。しかし、三人子供を産んでも、できればもう一人なんて書かれているので、相当な子供好きで、その辺りの根本が既にわたしとは違うのかもしれないとも考えられるが。

この時期にになると日本が恋しくなる。年末の慌ただしい雰囲気、クリスマスのデコレーション、頬に感じる冷たい空気、祖父の家でコタツに足を突っ込んで過ごす年越しが好きだった。両親にも孫を見せたいし、来年のこの時期に帰国できたらいいのだけど。

"Maudie(邦題:しあわせの絵の具)"という映画を観た。はじまってすぐに舞台がわたしの人生で訪れたい場所リストに入ってるノヴァ・スコシアだということに興奮する。物語のテンポや展開も、遅すぎず、早すぎず、うるさ過ぎず、静か過ぎず、とてもよかった。なんとなくだけど、モードは単に仕事を得て自立したかっただけじゃなくて、エベレットの見た目に惹かれてて、男女の関係をはじめから少し期待してたんじゃないかなと思った。対照的にエベレットは初対面ではモードのことは全くタイプではなかったっぽいけど。でもモードという人は結局本当に芯の強い人間で、相手を強く説き伏せたりするわけでもないのに、結局事はすべて彼女の思うように進み、不幸な家族の中で唯一しあわせを掴んだ。自分の中に楽園を持ってる人の強さを思い知らされた。愛情や優しさを表現することが苦手なエベレットが最後のほうで素直に"君が必要だ"とモードに告げるところでなんだかホッとした。だってどんな言葉が不器用だっていったって、一度くらいはちゃんと自分への愛の言葉を聞きたいのが女ってものじゃないのかな。

それにしてもモードの絵は現在ものすごい高値で取引されているのね。

(写真:韓国映画の中でよく見かけて気になってた黒い麺チュンジャンミョンを作ってみた。具は韓国かぼちゃ、マッシュルーム、玉ねぎ、キャベツ、ズッキーニ。麺は手打ち。ヴェーガンにアレンジしたものだけど、十分美味しかった)


Michelina |MAIL