My life as a cat
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2019年05月28日(火) "女の子"の季節行事

苺のケーキを作る。カスタード・クリーム色のスポンジ、純白のホイップ・クリームに赤い苺。こんな色の食べ物をせっせと作っている時間は、すごく"女の子"の気分になれる。この先見た目は"女の子"からは遠ざかっていくばかりなのだろう。せめて気持ちだけはずっと"女の子"でいたい。

クリスティーヌとドミニクを夕飯に招く。先週末の選挙の話でもちきり。移民問題と税金のことが絡むからみんな真剣。いつも革命を求めているクリスティーヌのことをリュカは陰で“チェ・ゲバラ゛などと呼んで苦笑する。慈悲の気持ちに満ちていて、助けたい人がいっぱいいる。彼女の気持ちは尊重できるけど、わたしはそういうものに共感できないでいる。いつからか、視界にいない人まで助けたいというような気持ちがなくなってしまった。興味がないから視界にいないとも言える。自分はとても小さくて、目の前に存在する人々と助けあうのが精一杯。移民問題などはわたしのほうがよほど密接に絡んでくることだが、一番鼻息を荒くしているのはクリスティーヌであった。

食後にみんなで苺のケーキを食べる。ふわふわのスポンジを幸せいっぱい女の子気分で口に運んでいたのも束の間、チェ・ゲバラの革命の話は深夜まで続いたのだった(笑)。



2019年05月19日(日) フランスじゃない、日本じゃない、”自分”なんだ

知人が主催する野生の植物の見学ツアーに参加した。近所のハイキング・トラックを歩きながら説明を受ける。サラダとして食べられるとか、お茶にするとか、薬としての効用、似た植物との見分け方など詳しく説明してくれる。遠目にはただの雑草のように見えてもよく見るとそれはアスパラガスだったり、ブロッコリだったり、にんじんだったりして、栽培されているようなのとは全く違ったひょろりとスリムな見た目でも、口に入れて噛んでみるとちゃんとその味がすることにいちいち感嘆する。途中川べりで休憩。主催者が用意してきてきれた野草のお茶とアカシアの花が入ったベニエ(ドーナッツのようなもの)をいただく。この辺りでは藤の花なんかもベニエにして食べられているし、すみれなんかも砂糖漬けにされたりする。花はきれいだが味はない。主催者のアシスタントなのか彼氏なのか、熊みたいな大らかな見た目の男性が、昼も近付いてきてお腹が空いたのか、アカシアの木の下でムシャムシャと花びらを口いっぱいに頬張っていた。こんなさっぱりした軽い花びらじゃどんなに食べてもお腹を満たせそうにない。

午後、パリ在住のアメリカ人の大学生からSkypeでインタビューを受ける。彼女はフランスに移民した日本人について研究をしているらしい。移住する前のイメージと移住後のギャップ、文化の違いで苦労すること、フランスの良いところ、悪いところ、日本との違い、暮らしへの満足度など30分に渡りあれこれ質問される。思いつくままに答える。答えていくうちに気付く。20歳そこそこの女の子が美食、ファッション、芸術、ロマンスと素敵なイメージばかり持ってフランスへやって来て、そのイメージとのギャップにショックを受けて精神を病んでしまうなんていうのは解る。しかし、わたしくらいの年になってしまうとすっかり自我が固まっていて、フランスだから、日本だから、だから幸せだとか、だから不幸だなんていうのはない。自分の眼前に広がる世界をクリエイトするのは"自分"でしかない。自分がしっかりやっていることこそが大事といういかにも日本的な性質は変わらない。しかしそれを持って移民した先がどこの国であれ、わたしの回答は同じものになったのではないか。わたしの回答は参考になったのかどうか。リュカが背後で聞き耳を立てている気配をひしひしと感じたので、

「何はともあれ、優しい夫が支えてくれるということでフランスの生活でのあらゆる困難を乗り越えられているのです」

と答えておいた。

(写真:摘んできた野花。手をかけられて栽培された花も綺麗だが、こんな風に自生して逞しく生きる小さな花々により心惹かれる)


2019年05月18日(土) 春を満喫中


仕事を辞めた。楽しかったけど、後から違う条件をつきつけられて、のめるものではなかったので辞めてしまった。仕事をはじめたことも辞めたこともすぐに村中の知るところとなったが(苦笑)、誰もそのことには触れない。ただクリスティーヌが一緒に憤慨してくれて、ドミニクは静かに話を聞いてくれた。フランスでの初仕事がこんな結末だなんて先行きが不安で、辞めた日は心がどんよりと曇っていたのだが、結局それでよかったみたい。クリスティーヌが庭のデッドスペースを貸してくれるというんで、こつこつ耕して、野菜を育てたり、リュカともあちこちにでかけて春を満喫している。

生粋のジェノヴェーゼのドミニクが、ジェノヴァを訪れたならまず食べるべきものはパンソッティ(Pansoti)だと言う。彼は週末は家族と過ごすためにジェノヴァへ帰る。いつでも遊びにおいでよ、家にも泊めてあげられるし、とオファーしてくれているが、クロエちゃんもいるし、やっぱりそう簡単に泊まりがけでは出かけられない。ジェノヴァへ遊びにいくのもいつになることやら。だから作り方を聞いて作ってみた。野山を歩いて野草を摘んできた。野草だけだと苦いから、買ってきたほうれんそう、自家栽培の春菊と混ぜる。少しだけ白ワインを入れてパスタを練って、湯通しして刻んだ青菜とリコッタ・チーズを混ぜたフィリングを包む。ソースはスペルト小麦のミルク(本来は牛乳)に浸したパンとにんにくをとんとんと包丁でたたいて、オリーブ・オイル、パルミジャーノ、胡桃と混ぜる。野山を歩きまわっておなかもぺこぺこで、やっとありつくパンソッティは格別。この辺りの家庭ならいつも常備しているようなもので作れる庶民の一皿なのだろう。それだけに馴染みやすい。それにしても春菊を入れたのは正解だった。


































ドミニクの案内でイタリア、リグーリア州のドルチェ・アクア(Dolceacqua・・・甘い水、なんて甘美な響きなんだろう)を訪れる。小さな村ながらもそれなりに観光客で賑わっている。ボンゴレが名物だというレストランでランチにする。リュカは貝がダメなので別のものを。わたしとドミニクはボンゴレにする。英語を話す若いウェイターの男の子がまっすぐわたしに向かってきて、"スプーン要りますか?"と聞く。日本人の観光客も来るのね、きっと。本場ではスプーンを使って食べる人を見たことないけど、わたしは絶対スプーンがあったほうが食べやすいと思う。肝心のボンゴレは残念ながら自分で作ったほうが美味しいなと思った。ドミニクもあさりの磯臭さがなくていまいち良くないという評価だった。食べながら聞いたドミニクの妹の話が面白かった。野菜を食べず、加工された肉やパンなど適当に食べて生きてきた彼女が、子供の誕生を機にすっかり変わってしまったという話。今ではほぼヴェーガンで子供にも可能な限り動物性食品を与えないのだそうだ。クリスマスに彼女の家に行き、パルミジャーノと思ってパスタにかけた粉がなんだかおかしい。よく見るとそれはアーモンド・プードルだった。

「ドミニク、子供達に何か食べさせておいて」

と頼まれたのでパスタを茹でて市販のバジルペーストを混ぜて食べさせた。3人の男の子達はがつがつ食べている。そこへ妹が飛んできて、自分の2人の息子にストップをかける。

「こんなにたっぷりバジルペーストを混ぜて、オイル過剰よ!子供達、ストップ!そこでおしまいよ」

ドミニクの息子だけが気まずい沈黙の中パスタを食べ続ける。ある日、子供達のために茹でたパスタに大方のイタリア人がもう殆ど癖でやるようにパルミジャーノをふりかけた。また妹が飛んでくる。

「ちょっと!うちの息子達にパルミジャーノを食べることを義務付けないでちょうだい!」

その夜、お母さんからの電話でとどめをさされる。

「あなた、もう少しちゃんとやらないとダメよ」

気の毒なドミニク。フランス側ではシングル・ライフを静かに過ごしているが、イタリアに帰るや否や家の女達に滅多打ちされているらしい。女好きといわれるイタリア男の口からこんなセリフがこぼれる。

「女はこりごり」

息子だけが癒しだということだ。

Michelina |MAIL