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2019年06月29日(土) |
Cowspiracy |
ふとしたきっかけで、リュカと一緒に食に関するドキュメンタリー映画を片っ端から貪るように観る。"Food, Inc."、"FORKS OVER KNIVES"、"Fed up"、"Cowspiracy"など。わたし自身はもともとこの手のことにすごく興味があって、かなりあれこれ観てきたので、特に真新しいことはなかったが、リュカは知らないことも多々あったとショックを受けていた。特に環境破壊という観点から肉食にメスを入れる"Cowspiracy"には閉口していた。わたしも畜産が環境に与える害は知っていたが、"ハンバーガー1つ作るのに2500リットルの水を消費する。これは2か月間シャワーを浴び続けるのと同じこと"というくだりには改めてはっとさせられた。
2005年に初めて南フランスを訪れた時、現地の人々との食事会の席で"わたしは肉は食べません"と言ったら人々がざわめいたという記憶がある。が、2017年に戻ってきてみると、ヴェジタリアンどころかヴェーガンはモードとでもいうかのように、書店にはヴェーガンレシピの本が並び、レストランのメニューには必ずといっていいほどヴェジタリアン・チョイスがあり、ヴェーガン・レストランだって簡単に見つかる。これだけ酪農の盛んな国でバターやチーズを口にして育った人々がヴェーガンになるとはどんななのだろう。ヴェーガンの人は周囲にわんさかいる。しかし、ヴェーガンがモードである一方でロウ・カーボ・ダイエットだってモードだ。筋トレして、プロテインに執着し、主食代わりに赤い肉を食べる男達もわんさかいる。
わたしは週に2,3度乳製品を、週に1度卵を、月に1度魚介類を口にする。決めているわけではないが、そのくらいの割合だろう。フランスのバターやチーズは美味しいので、越してきたばかりの時は少し食べる量が増えてしまったが、やはり乳製品は体に良いと思わないので控えたい。卵は贅沢なことに近所の人々がBIOの飼料で育てた庭を走り回る鶏の卵を分けてくれるので、ありがたくいただく。日本人なのでやはり魚を一切絶つことはきつい。でもダイオキシンも気にかかるし、環境にだってよくないから、現状と同じ月に一度くらいにとどめたい。
20年以上前に肉を食べることを止めた時は、周囲の人々との付き合い方や、体へどう影響を与えるかわからず、気を揉んだ。多くの人は親や学校が提供してきた食に甘んじる。意志をもってハンバーガーを食べている人というのはなかなかいないものだ。子供の頃カルシウムのためだと学校で強制された牛乳を断り、肉でスタミナをとか、魚を食べると頭がよくなるという広告も信じなかった。与えられる情報をひとつひとつ精査して自分の信念で食を選んできた。"買い物は投票だ"という。ブラジル政府がお金のために森林を畜産業界に売り渡しても、畜産こそが水不足と環境汚染の元凶だということを政府が隠そうとしても、"肉を食べない"という手段で何十年にも渡って静かな抗議を続けてきた。そして今至って健康で幸せに生きている。今となってはこの選択をしたことが人生でひとつの誇りとなっている。ひとりひとり"良い"と信じるものが違うから、みんなが"良い"選択をしたところで、世の中が良くなるとも限らない。しかし、末期癌のリュカの患者などから、
「無意識に喫煙を続けてきたのは間違いだった」
なんて言葉を聞くと切ない。
癌の手術から戻って、
「禁煙するなら死んだほうがマシ」
と言う人も知っている。同じように苦しむのなら、自分で選びとったことのせいで苦しむほうがよほどいい。
いつもいく小さな八百屋。おっとりしたおにいさんは、わたしがのろのろと喋っていても最後まで耳を傾けてくれて、いつもパセリなどのハーブを付けてくれたり、新しい野菜の食べ方を教えてくれたりするんで好意を持っていた。この町の店は(ドミニクに言わせれば南仏とそれ以南の国全体)、どの店も三度に一度くらいの頻度で会計ミスする。釣り銭が違う、果物の籠ごとスケールに乗せてる、スケールが壊れてる、表示価格と会計時の価格が違う、釣り銭がアメリカドルなどなど。この八百屋もそれは同じだった。店も店なら客も客。価格もろくに見ずにバスケットにぼんぼんと放りこんでるし、誰一人としてレシートと品物を付きあわせて確認したりしない。細かく間違いを指摘するわたしはちょっと変わり者なのだろう。この八百屋でも何度か指摘した。これまでは"Excuse-moi"といって差額を返してくれたのだが、今日は明らかに面倒くさそうな表情でお金は返してくれたが、謝りもしなかった(そもそもわたしは"Excuse-moi"は謝罪の言葉としては認めたくないのだが)。彼にこんな失礼な態度をとられたのはすごくショックだった。チェーンのスーパーマーケットでは短期契約の若い女の子などは間違いを指摘しても"C'est pas ma faute(わたしのせいじゃない)"というだけで、何が間違ってるか見ようともしないのだから、おかしな人達の沢山いる国ですね、と呆れるのみだが、この八百屋で同じような目に合うとは思いもしなかったのだった。でもこの小さな町では町と結婚したようなもの。嫌な店と思ったって嫌な人と思ったって、じゃぁ他に行くというような選択の余地はなく、これからも付き合っていく以外にないのだ。
心がどんよりと沈んだ日。こんな日に限って、行く店全部で会計ミス。すっかり疲れ果ててしまった。ここで日本人のような細かさで生きているわたしが悪いのだろうか。
「絶対にそんなことはない。間違うほうが悪いのだから、君はそのまま続ければいいよ。ただダーウィンは"唯一生き残るのは、変化できる者である"って言ったけどね」
とリュカ。変わらなければいけないのは彼らではなくわたしなのだろうか。
その日、曇った心にぱっと光がさすようなことが起きた。家の前の通りで3mくらい前を見かけない中学生くらいの女の子が歩いていた。中性的で男の子みたいな服装で、綺麗なブロンドの髪の毛は細くてくるくるにカールしてて天使みたい。その子がふと振り返ってわたしを見て、動きを止めて立ち止まった。この辺りの子供は珍しがってわたしの顔をじっと見たりするから、いつものことだろうと思っていた。が、違った。この子は物怖じせずまっすぐわたしの目を見て、こう言ったのだった。
"Vous êtes très jolie(あなたはすごく綺麗)"
この子こそ肌も歯も真っ白でぴっかぴっかで本当に綺麗なのだもの。しかもその堂々とした物言い。とっさに
"Merci"
と返すのが精一杯だったが、一瞬で恋に堕ちたような気持ちになったのはいうまでもない。彼女は天使なのかもしれない。落ち込んだわたしを慰めに降りてきたのではないか。それくらい彼女は威光を放っていて、その一瞬のすれ違いは大きな印象を残したのだった。
ニースでの一泊二日のヴァカンス。こちらでたったひとりの日本人の友人と女子サッカーのワールドカップ日本VSイングランドの試合を観て、彼女の家に泊めてもらい、翌日は彼女とそのシェア・メイトと3人ビーチでのんびり過ごす。
スポーツ観戦なんてあまりしたことがない。友人に手を引かれ、顔に日本の国旗のペイントをしてもらい席に着く。日本人ってけっこういるものなのね。禁煙、禁酒っていうのは知らなかった。乱闘が恐いわたしとしては嬉しい。ペットボトルも凶器になるっていうんで持ち込み禁止。それにしても英語を母国語とする人ってよく通る声の大きい人が多い。フランス人の何が好きって、声が小さいこと。スタジアム行きの無料バスの中は英語が飛び交ってて、もうその声のボリュームで勝てそうにない気がしてして、試合が始まってまたイングランド女子の走る姿ときたら、筋肉ぶるぶる振るわせて、子供を守るため人間に猛突進するサングリエみたいで、やっぱり勝てそうな気がしなくて、結局2-0で負けてしまった。
試合が終わったのは夜の11時。ニースの中心地まで戻って、そこから友人宅まで海沿いを歩いて帰る。夏のニースは観光客で賑わってて毎日お祭りみたい。月光に照らされた水面が神秘的で美しい。"Morning lark(朝のひばり)"のわたしだが、今夜ばかりはずっとこの道を夜更けまで歩いていたい気分だった。
翌朝は快晴。女3人ビーチでのんびり過ごす。オーストリア出身のエマは躊躇することなくビキニで太陽の下に寝転ぶ。日常紫外線くらいならいいが、肌がひりひり痛むほどの日焼けは避けたいわたしは日陰に座る。
「あそこの赤いパンツの人みたいな体型が好き」
「あのブーメランはゲイよ。じゃなかったらイタリア人だわ」
「初デートは最高に盛り上がって、ふたりとも帰りたくなくて、何杯もカフェ飲んだわ」
ガールズトークに耽り、若い女の子ふたりはセルフィーしてはインスタグラムにアップしている。一緒にいるだけで少し若返った気分。
たっぷり泳いで、少しだけ日焼けして家に戻ると、リュカとクロちゃんが大喜びで出迎えてくれた。すっかり乾いてしまった庭の野菜にもたっぷり水を与えた。日常に戻って同じことをしてもなんだか違う。最高のヴァカンスは日常生活に新しい風を吹き込んでくれた。
寄付金を頼まれたことが心に引っかかって、人助けということについてこのところずっと考えていた。どんなにちゃんとやっていたって人は人生のある時点で窮地に陥ることがある。地震や津波で家を失うとかそんなこと。思い出だってたくさん詰まっていただろうに、お金だけで解決できないだろうけど、せめてお金があって新しい家を買えたらずっといい。そんな人達はやっぱり助けたいと思う。でも一方で永続的に助ける側、または助けられる側という立場に立ち続けるのは絶対によくない。助けられる側はどんどん自立するチャンスを奪われていく。助けないことも人助けということもあるのだ。恵まれない人を救済したいというアイデアは時に傲慢だ。自分を世界の中心に据えて、自分と同等のものを持っていない人を哀れんで、助けたいと思うこと。そしてそういう正義感に燃える人は、実はその人自身の気持ちを助けたいと思っていることが多いものだ。自分がそうだったからわかる。もっと若い頃いつも誰かを助けなければとかそういう気持ちに囚われていた。それで、自分自身は暮らしの中で満ち足りていたかといえば全くもってそうではなかった。自分の足元がふらついていて、辛そうな人々の中に自分自身を投影して誰よりも自分を助けたいと思っていたのだと思う。現に自分の心がすっと満ち足りて、これでいいんだ、こうやって日々を過ごしていければいいんだ、と思えるくらい落ち着くのと同時に人助けしたいとかいう気持ちは消え去った。遠くの誰かを救いたいという気持ちに囚われて、自分の目の前にいる大切な人々の心の動きに気付かないのではいけない。自分の目の前にいてくれる人々に精一杯集中して気持ちを注ぐべきだ。
(写真:今日のにゃんこ。彼女が階下の雄猫に追い回されている時、わたしは酷くなる寸前まで割って入らない。でもそれで猫も自分の身を守る術を学んでいく。ここへ来たばかりの時は追い回されては物影に隠れてびくびく震えていたのに、今では近所でボス猫のようにふるまっているのだから、それも困ったものだが・・・。)
2019年06月05日(水) |
Le temps des cerises |
いつもの散歩道でさくらんぼのようなきれいな赤い実がたわわに生っているのを見つける。昨年のこの季節は引越と結婚のことが重なって、物理的にも精神的にも余裕がなくて全然気付かなかった。家に帰って調べる。葉の付け根に赤いぽっちのような点があるのがメリジエ(Merisier, Prunus avium)で日本語ではセイヨウミザクラというものらしい。こちらで買った食べられる野生の植物の本にも載っていた。ひとつ口に入れてみる。小さくって日本のさくらんぼのような酸味がある。アメリカン・チェリーとよばれる大振りで酸味のないのより山形とかの繊細な見た目の可愛いさくらんぼが好き。よし摘んでこよう。コンフィチュールにしようか、それでパイでも焼こうか・・・。ところが手が届く範囲ではコンフィチュールにするほど収穫できない。一旦家に戻り知人の中でいちばん背の高そうな隣人のドミニクを引き連れてまた戻る。メリジエを見るなり彼が声をあげる。
「あぁ、これか!懐かしいなぁ。子供の頃、学校の帰り道によく食べたよ。この辺り一帯では珍しくもなんともないよ」
彼が腕をひょいっと伸ばして、高いところの枝を引っ張り、もう片方の手で摘み取る。結局わたしの役目は器を持って待つのみ。
「高枝ばさみでもあればもっと高いところのも採れるんだけど。あっ、それとも君を肩車してみる?」
肩車って・・・。子供なら可愛いけど、わたしがドミニクの肩に跨ってさくらんぼ採ってるなんてホラーでしかない。
まぁまぁ収穫できて家に向かう途中、もう一本メリジエの木を発見。こちらは背の低い木でわたしでも届く。たんまり収穫できた。
「たまにはいいでしょ、こういうの。買うのは簡単だけどさっ」
「うん。子供の時以来だな、こんなの。そういえば日本語ではサクランボウって言うんだよね」
「何で知ってるの???」
「だって、"ラ・ムー"っていう日本のアニメで見たもん」
どうも「うる星やつら」というトラ柄のビキニの女の子ラムちゃんが主役のアニメのことらしい。それに"サクランボウ"が登場するというのだが、後で見てみると"錯乱坊"という可愛くもなんともないお坊さんのことらしかった。
まずは白ワインで煮てみた(シナモンをひとつまみ加えて)。ポワールの白ワイン煮は大好きでよく作るのだが、メリジエは酸味が強いだけに白ワインで煮ただけではいまいち。結局汁がなくなる寸前まで煮詰めて、ブランデーをどぼりと注いでみた。出来立てはぼやけた味だったが、これが冷やすとなかなかいける。砂糖を加えてないから、料理のちょっとした添えものとしてもいいかも。摘んでくれたお礼にドミニクにもお裾分け。酒好きだからかな、彼はかなり気にいった様子だった。
(写真:今日のにゃんこ。毛糸入れてるボックスでの昼寝は定番)
2019年06月01日(土) |
Gente di Mare |
サンレモにある「海の人」という名のレストランまで足をのばした。わたし達夫婦のお気に入りで、半年に一度くらいはここで思いっきり魚介類を堪能したいね、と話す。ビーチの中にある海の家的な立地で、朝仕入れた魚介類を適当に調理して7皿出してくれる。ワインも水もカフェもデザートも食後酒も全て含んでひとり40ユーロ。日本人にはアホかと思うほど魚介類のお高いフランス側のコート・ダジュール感覚では全くもって悪くない。しかも魚介類がクリームとバターのソースに溺れてたりすることもないイタリア的調理法で日本人の舌に合う。わたし達は電車で向かう。タッジア・アルマ(Taggia arma)というサンレモの隣の駅で降りる。大きいのに周辺には車で乗り付けるような大型のカルフール以外は何もないし、下車する人もいない少し不気味で寂しい駅。ここから歩く。道中にも大した面白そうなところもないから、真剣に歩いて30分くらい。これでかなりおなかが空くので料理が本当に美味しくいただけるのだ。ビーチの周りまでくるとやっと人々のざわめきが聞こえてきて、気の利いたカフェやレストランが見えてくる。焼いたイカの匂いか、なんというか磯の香りに満ちていて、勝浦の海を思い出す。地中海(sea)では慣れ親しんだ太平洋やインド洋の海(Ocean)を思い出すことはめったにない。この磯の香りだけが懐かしい気持ちに浸らせてくれる。
到着するとすぐに白ワインを出してきてくれる。これはさっぱりしていて、まったく料理の味を邪魔しない。グッド・チョイス。
一皿目はサーディンのマリネ。
二皿目はバターで味付けした白身魚とズッキーニ。なんといったかな、名前がわからないがこれふっくらしていて本当においしかった。
三皿目はイカ焼き。軽く焼いただけ。赤キャベツのマリネとよく合う。
四皿目はホタテ貝のディップ。ばらした身をチーズやバターなんかと合わせてある。パンに塗っていただいた。
五皿目はムール貝。オリーブオイルで炒めただけ。
六皿目はアサリと海老とトマトとグリーン・ピースのパッケリ。どうやって作るのか、グリーン・ピースがよく煮てあって半分潰れている。これは本当に美味かった。
そして最後七皿目はまた海老。これも甘くて本当に美味しかった。
デザートは選べる。クレーム・カタラーナとホワイト・チョコのプディングにした。
カフェと食後種も選べる。エスプレッソとレモン・チェロにする。
前回はサーディンのフライで始まって、クリーム・ソースのニョッキがでてきて、最後にはフリトゥーラだった。お腹に重くて自分の分を食べきれなくて、リュカに食べてもらったのだが、今回は全て軽めで大丈夫だった。隣のテーブルには日本人が3人座っていた。久々に聞く日本語。年はわたしと同じくらいのようだったが、駐在員らしくて、きっとわたしとはすごく違う世界の人達。日本人会とかそんな言葉と会話に登場するのは日本人の名前ばかり、その小さな世界でのいざこざの話が聞こえてくる。料理を運んでくる店員のことは気にもかけず喋り続け、食べ続け、お礼のひとつも伸べない。わたしの住む世界にはどこにも日本を思うものはないけど、心の優しい人々に囲まれて、みんな国籍が違っても同じ料理に舌鼓を打って、もうそれでいいや。この人達は信じないかもしれないけど、言葉の壁を越えて感覚で解りあえるってあるんだよ。そんなことを思いながら食べていた。