My life as a cat
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2019年04月27日(土) Les Plaisirs

ニースから電車で30分程のペイヨン(Peillon)村へ。情報誌で見かけたレストラン"Les Plaisirs"でのランチが旅の目的。

ペイヨン駅の周辺はこれといって何もない。




そこからすぐにハイキングのトラックに入る。ここからは一面ローズマリーが生い茂る山の小径を行く。大した険しい径ではないものの、ひとり歩きはやっぱり避けたほうがよさそうなところ。



歩くこと25分。オリーブと松の木の向こうにペイヨン村が見えた。



ここまで来たら村へはあと5分ほどで着く。



小さな村はおとぎ話の中に紛れ込んだような気持ちにさせてくれる。なんとも愛らしい佇まい。



チャペルのある高台からの風景。



春色の風景。









1時間ほど散策して、オーベルジュでカフェして、ついにお目当てのレストラン"Les Plaisirs"へ。オーナー・シェフのロマンさんとお母さんのふたりで営む小さなレストラン。自分の畑とこの村の友人の畑で採れた野菜をその日の朝に摘んで調理するんだそうだ。だから決まったメニューはない。ロマンさんは21歳という若き精鋭。それでもこの道すでに5年というからその一途な情熱が読み取れる。5組ほどのテーブルを順番にまわって、メニューを口頭で伝え、書き取りもせずオーダーをとる。この日の客は13人。アントレ、メイン、デザートと各3種類ずつだといってもこの人数の注文を記憶してしまうのは驚きだった。どこからも運ばれた料理が間違っているという声は聞こえてこなかった。"料理がでてくるまでに時間がかかる"とはすでにお店のHPに書かれていたから遅くてもみんなその覚悟で待つ。遅いのは決して非効率だからではないと解るので納得する。アントレの前にピサラディエという玉ねぎのタルトとクロスティーニが出てきた。これはこの辺りのどこのブーランジェリーでも売られているが、やっぱり焼きたてのほわっと温かいのに適うものなし。ロマンさんはがたがたと歩き回ったりせず、ゆっくりゆっくり運んできて、そっとお皿を下げにくる。がさつなサービスにすっかり慣れてしまった身にはその真剣な姿に心が溶けてゆくようだった。アントレはホワイト・アスパラとポーチドエッグ。自家製のカンパーニュでとろっと流れた黄身をすくう。メインは塩鱈。付け合わせにとくれたポテトのチーズ焼きの美味しいことよ。デザートは苺のケーキ。入店してからカフェに辿り着くまで2時間以上が経過していた。そして会計を済ませるとみんなロマンさんと歓談している。短い人生のたったひとときを、さも限りなく時間があるかのように過ごす週末の優美なことよ。山を越え、花を眺めて歩き、3時間かけてゆっくり食事をする。悦びに溢れた一日だった。





















2019年04月20日(土) ヴィルフランシュ=シュル=メールを散策

パック(Pâques) の3連休の初日は晴天。やっとタイツもブーツも脱ぎ捨てて、素足にショート・パンツにスニーカーで家を出る。足取りが軽いのは、春の訪れに心が躍っているせいだけではない。ニースからほど近い海辺の港町ヴィルフランシュ=シュル=メール(Villefranche-sur-Mer)を訪れた。




見所の小さな港と旧市街は1時間もあれば十分に全部見て歩けるようなサイズ。だが肝心なオフィス・デ・ツーリズムはちょっと離れたところにあって、迷いながらやっと辿り着いて地図を入手した。





"La Caravelle"というちょっと港から奥に入ったレストランでランチにする。天気も良いし、寒すぎず暑すぎずで港の周りのテラス席は賑わっていたが、リュカが風が強いのでテラスは嫌だというので、ちょっと薄暗いこのレストランへ。最初から最後まで不気味に貸し切り状態だったが、料理はリーズナブルで、味付けもよくて気に入った。

リュカの前菜の山羊のチーズのサラダ(Salade de Chèvre)。



わたしの前菜は魚介のスープ(soupe de poisson)。ブイヤ・ベースよりもずっとカジュアルで魚のアラなんかを煮出して作る質素なスープで、わたしはこれが大好き。この店のが今まで食べた中で一番美味しかった。すごく濃厚で、ごはんにかけておじやにして食べたかった。



わたしのメインはサーモンの醤油ソース。美味しかったが醤油の味がしなくてやっぱりフレンチな味付けだった。



デザートはタルト・タタンにした。美味しかったが、南仏では唸るようなタルト・タタンにはまだ出会えていない。

腹ごしらえをして、古い要塞の中を散歩する。大きいものではないが、この中にはギャラリーや庭園があって悪くない。









午後の港のカフェは満員御礼。



リュカが枕を買いたいというので、帰りにニースに寄る。枕を買ってから他の店に行き、そこで枕のカバーを見る。サイズが数センチ合わない。でも枕のサイズなんて大抵決まっていて表示サイズが違うだけなんじゃないかと踏んで、ショップ・アシスタントのおねえさんにあの展示されてるカバーにこの枕を入れてみてもいいかと聞いた。すると明らかに苛立っているその人はリュカに向かってこんなことを言う。

「Non!なんで枕買ってそこでカバーも見なかったわけ?」

余計なお世話だ!そう言いたかったが、リュカはちょっとむっとして、こんな店で買いたくない、もう行こう、とわたしの手を引いた。3連休に働いていて苛立っているのか、いつも苛立っているのか、わたしに苛立ったのか知らないが、結局そんな風に生きて損をするのは彼女自身なのだからどうでもいいが。

帰りの電車の中、切符の点検がやってきた。隣のブースの若い母親と小さな娘は切符の日付を打つマシーンが壊れていたと主張した。それは本当だ。数か月ずっと壊れたまま放置されている。いつまでたってもこのマシーンを修理しないのはSNCFだ。ところが係員はこう言い放った。

「マシーンが壊れてて刻印できないならすぐに電車の中で係員を見つけて刻印を頼むのがルールですよ」

そして罰金も含めて€25支払わされていた。フランス人のこの母親はこの国のこんな理不尽に慣れているのか、お金を払うともう何もなかったような顔をしていた。ジップロックに入れてきたサンドイッチを電車の中で食べる母子の姿を横目に誰よりも腹を立てていたのはわたしだっただろう。

ヴィルフランシュでの一日は最高に素敵だった。でも、どこも住んでみれば、素敵なことだけというわけにはいかない。

2019年04月13日(土) 人生の指針

久々にクリスティーヌの家で夕飯をご馳走になる。わたしが仕事を始めてからは図書館にもあまり行けなくなった。こつこつと書いているフランス語の絵日記も久々にクリスティーヌに見せて添削してもらうことができた。単にちょっと間違えた単語のチョイスをしているだけなのだが、クリスティーヌに言わせれば、わたしの日記はとても詩的で美しいのだそうだ。

「あなた、黒大根の味が"pudique"だなんて・・・。なんて素敵な表現をするのかしら。でもね、大根とか食べ物に対しては普通使わないのよ」

控え目な辛みだと言いたかったのだけど。と、こんな風に説明しながら添削してくれる。

今が旬のアーティショーのサラダやラヴィオリを頂きながら、あれこれと話す。わたし達の共通の知人の話になり、彼女の旦那さんが仕事で海に荒波の写真を撮影しに行ったきり戻らなかったと聞く。彼の持ち物も遺体も何も見つからないまま数年が過ぎた。遺体もないから正式に死亡とも認められない。ほんの少しの希望を持ち続けて生きていくことが、どれだけ人を絶望させるのか。そう想像したら胸がぎゅっと締め付けられた。わたしは今の仕事の契約を決めるまでとても悩んだ。というのも仕事自体は興味があることだし、願ってもないチャンスだった。しかし、夏の間の3か月間はずっと仕事に拘束されることになり、リュカともクロエちゃんとも一緒に過ごす時間が無くなる。リュカはいとも簡単に

「たった3か月じゃない。秋になったらまた元通りになるし」

と言う。でもわたしはいつからかそんな風には考えられなくなっている。だって大切な人は自分の人生からある日突然消えていくものなのだ。それに自分だって人の人生から消えてしまうかもしれないのに。短い人生の中の3か月は果てしなく大きく感じる。2005年にこんな日記を書いた。そして40代になった今、わたしはまさにこれを人生の指針として暮らしている。

「明日も同じような日であることを願ってやまないような今日を過ごすこと」

今日やれることは今日のうちに精一杯こなす。リュカとごはんを食べて、クロエちゃんと沢山遊ぶ。家族にも友達にも好きな人には精一杯その気持ちを言葉や行動で示す。せかせかと働いてやっと床に就いて目をつぶる。そしてあぁ、素敵な一日だった。明日も今日と同じような素敵な一日がありますように、と願ってぱったりと眠りに落ちる。大抵の日はこんな風に過ごせている。仕事はとっても楽しい。今は家族との時間もとれているからまったく悩みもない。しかし夏の間の3か月間は仕事がどんなに楽しかろうと結局わたしはクロエちゃんを半日以上家に置き去りにして退屈させ、リュカに食事を作る時間もなくなり、一緒に食べることもできなくなり、今日と同じ明日が欲しいとは願わないだろう。明日も続けてはいけないと思うことを今日やるというのがとても心にひっかかるのだった。神経質過ぎると思われるかもしれないが、わたしはそれだけ自分の余生に神経質に生きているのだった。一日たりとも納得のいかない日を過ごしたくない。好きな人と好きなことだけに生きたい。仕事の話はAll or nothingのような条件で、フルにこなせる人を探しているとのことだったので、結局チャンスを全て逃すのは嫌で引き受けることにしたのだが。

リュカがベッドの中でポツりと謝ってきた。

「君の気持ち解った。軽々しくたったの3か月なんて言ってごめん。秋になったら、なんて秋まで生きてる保証なんてないのにね」

しかし、仕事を引き受けると決めたからには、今わたしにできることはできるだけ家族と過ごす時間を作り、健康で元気に乗り切ることだ。

今日は久々にクリスティーヌと会えて沢山話せた。クロエちゃんとも沢山遊んで、リュカともゆっくり料理をしたりして一日中一緒に過ごせた。素敵な一日だった。明日も今日のような日が来ますように。そう願いながら眠りに落ちた。


2019年04月08日(月) はじめてのニット




人生初の手編みのニット完成。二本どりの糸のメリヤス編み。初心者の手編み丸出しな感じではあるけれど、世界にひとつのオリジナルだし、形になったので良しとしよう。今の季節にコットン・シャツの上にさらりと被るのにぴったり。散歩へ出ると桜か桃か?というような花があちこちで咲いている。空が突き抜けるような青空の日は、ゴッホが残した薄桃色の花の絵画ような風景の中に溶けこめてしまいそう。

次は母のリクエストのヴェスト、そしてリュカにセーターを編もう。

2019年04月04日(木) 翼を持たずに生まれてきたのなら

人はみんな平等に生まれつくわけではない。ある人は美しく、ある人は醜く、ある人は平和な場所に、ある人は戦争のさなかに、ある人は五体満足に、ある人は障害を持って・・・。それでその後の人生にうんと努力したら何でも手に入るかといえば、そうもいかない。諦めなければならないことは沢山あるのだ。しかし、生まれ持って人より劣っている事柄に対して被害者意識だけを持っていても、何も物事は好転しない。壮絶な祖国の人生から逃れてこの国にやってきて、教育の機会を得たことに感謝して笑って暮らしている難民もいれば、裕福な家庭に生まれ育って、良い教育を受けて、良い職にもありつけたのに、鬱で酒と薬漬けになっているフランス人もいる。自分の生まれ持ったものをベースにどうやって人生を味付けしていくかで物事はどうにでも変わっていく。わたしは太らない体質なのではなくて、毎日45分のウォーキングと15分のエクササイズを頑張って続けて、20代の時と同じサイズを保っているのである。わたしはタフな体に生まれたのではなく(むしろ人よりずっと弱く生まれついたので)、努力してタフな体を作りあげているのである。"あなたのような幸運な人にはわからないでしょうけど"というニュアンスで自分のできないことを被害者面で語る人には"そうね、全然ワカラナイわ"と言いたい。

「翼を持たずに生まれてきたのなら、翼を生やすために、どんな障害も乗り越えなさい」

というココ・シャネルの言葉。わたしはこんな強い精神を持った人が好きなんだ。


2019年04月03日(水) マダム”テンプラ”を食べる

ひとりでニースを散歩。当てもなくぷらぷらと歩いて土産物屋なんかを眺めて歩く。観光客がちらほら増えはじめたものの、今日は小雨がちらついているんで、いつもよりうんと静か。お気に入りのイタリアン・レストラン(Di Più)でランチを食べようと店の前まで行って、こんな文字を見つける。"Plat du jour : tempura de gambas avec salade asiatique(海老の天ぷらとアジア風サラダ)"。

「これ、ライス付くの?」

「ノン。バゲット付くよ」

そうか・・・。まぁいいや、食べてみるか。このレストランはモダンで活気に満ち溢れてて、南仏の非効率なのんびりムードに飽きて、日本が恋しくなったなんて時には良い。サーブする人々の肌色は様々で、みんな身なりをきっちりとしているし、ちゃんと教育されていてきびきびと動く。オーダーして10分かからずわたしのランチがやってきた。ぎゃー、こんな天ぷらみたことない!大きな海老が4本頭ごと揚げられてる。こりゃフリトゥーラってやつで、決して天ぷらではないのである。だいたい添えられてるのはスウィートチリソース。しかし、これが美味い!フランスやイタリアでは骨付きの魚はみんな嫌がるのだが、わたしは魚介類の骨や殻をしゃぶりながらゆっくり味わうのが大好きだ。わたしの父がいつも夜な夜な酒を飲みながら、魚を箸で口に運び、一口食べては骨を口から出して、ゆっくりゆっくり味わっていたのを思い出す。頭の殻も尻尾も割ってキレいに中の身まで食べる。周囲を見回すとみんな同じものを食べていたが、皿の上に殻や尻尾など山積みで終わりにしている。キッチンの近くの席にいて、"シェフ"と呼ばれる人が忙しそうに前を何度か行き来していたのだが、その度にぎょっとしてわたしの前で一瞬動作を停止する。そして殆ど皿の上に何もなくなった頃、ついに彼がわたしの前で立ち止まる。

"Madame! Ça va?"

シェフは客に声をかける必要はないのだが、わたしがあまりにもきれいに平らげるんで気にかかったのだろう。

"Oui!! C'est très bon!!"

とグーサインを出すと、彼は本当に嬉しそうにウィンクして仕事に戻って行った。ここのデザートもとても美味しいのだが、もうおなか一杯で、カフェで終わりにして、チップを置いて店を出た(わたしはケチンボなので相当気に入った時しかチップを置かないのである)。

帰りにMonoprixに寄って食料を買う。いつも人のいるレジは混んでいるので、セルフのレジで済ます。マシンは無駄口をきかず、客を待たせて誰かとのんびりビズビズの挨拶を交わすこともなく、30分ごとに煙草やカフェに席を外すことはない。釣り銭を間違えることもない。まして給料が少な過ぎる、労働条件が悪過ぎるなどと文句をたれストライキにでることもない。何もかもが機械化されて人の仕事がなくなっているというが、当たり前だ。わたしが雇用主だったらマシンのほうがよほど信頼できるもの。日本はまだまだセルフのレジは少ない。そして人はマシンの如く忠実に働くのであるからセルフである必要もない。


Michelina |MAIL