My life as a cat
My life as a cat
DiaryINDEXpastwill


2019年03月31日(日) ソビエトから来たマッシュルーム

ちょっとはまっているダーニング。マッシュルームを持ってないから玉ねぎで代用していて、ある日は八百屋が休みだったと代用の代用で石ころ入れてみたりしてたのだが、ついにダーニング・マッシュルームを買った。1930年代のソビエト製のアンティーク。大粛清、食糧難など厳しい時代に生み出されたこんな明るい絵柄のマッシュルーム。どんな経緯を経たのか、イギリスへ渡り、ついには南仏コートダジュールまでやってくる。どこでどんな人々と暮らしてきたの?マッシュルームが話すことができたらその人生の物語を聞いてみたい。

ブラッドリー・クーパーが監督したというんで、"A Star Is Born"を観る。ミュージシャンの話で最初に酒やら薬やらがでてきたところでもう嫌な予感がしてたけど、やっぱり予感的中。こんなことを言うと、冷たい人だと思われるかもしれないけど、わたしは精神的に弱い人に対する慈悲の気持ちとかない。だってそういう人々っていつも自分こそは弱くて他の人は強いって決めつけて、被害者ぶって、自分で自分の面倒を見られない人任せな人ばかり。実生活での歌手としてのガガのことはよく知らないが、この映画の中では歌手としてのガガの実力が十分に描かれていたし、それに強くて夢にまっすぐで好人物だった。ひきかえブラッドリー・クーパー演じるジャックは、もう酒浸り、薬漬けで、汚らしくて、最後の最後までガガを裏切り続けて酷い奴だった(もっとも裏切り続けたというのはわたしの見解で、リュカにいわせれば、彼は最後はガガを救ったんだそうだ)。で、最後まで観て知ったのはこの物語は古い映画のリメイクだということ。どうりでべたで退屈なストーリーなわけだ。ガガのライブだけが良い映画だった。


2019年03月30日(土) イタリアの春を味わう

イタリアへ出かける。バンティミリア(Ventimiglia)の市場を歩き、春を感じる。空豆、菜の花、グリーンピース、アーティチョーク、苺に鉢植えのバジル。そしておかひじき(イタリア語で"Agretti(アグレッティ)"と呼ぶらしい。お店の人は塩茹でしてヴィネガーで食べるといいと言っていた)まで見つけた。フランス側では青果の価格はひどいものだと倍額する。国境のトンネルひとつくぐるだけなのに、フランス側では美味しいパスタやピッツァにありつくのは難しく、イタリア側では美味しいバゲットやクロワッサンにありつくのは難しい。それにひきかえ遠く海の向こうにあってどちらも手に入る日本は、勤勉に外国の文化を吸収した感のある国だと今更ながら感心する。

カルフールへ行くとなんだか知らないけど、小さな店内に日本人がいっぱい。あちこちから聞こえてくる日本語をなつかしく聞いていたのも束の間、話の内容やその言葉尻が理解できるだけになんとなく気持ちが悪くなるような会話を聞いてしまう。そのわたしと同年代くらいの女性ふたりはひとりがフランス在住でひとりが日本からのヴィジターらしかった。日本からのヴィジターは生パスタひとつでも、これはどうやって食べるの?とか聞いている。そのたびにもうひとりがちょっと苛立ち気味に、そんなのただ茹でればいいのよ、みたいに答える。ヴィジターがあまりにも無知でずっと滞在中苛立たせているのかそれはわからないが、とにかくここらへんに住んでいると思われるほうの女性が常に上から目線で話しているのに気にかかった。知恵袋とかの回答を書き込んでる人でこんな感じの人よく見かけるんだよな。人にアドバイスをあげる時は上から目線じゃなくてもいいと思うのだけど・・・(わたしよりうんと若い友人はさらりと"あぁいうのの回答は家族に相手にされない意地悪なおばちゃんとかが書き込んでるに違いないよ"などと言ってのけたが、彼女からしたらわたしは"おばちゃん"の年齢であるからせめて"家族に相手にされない意地悪な"と形容されないように気をつけようと気を引き締めたのであった)。

夜、買いこんできた野菜を料理する。おかひじきはナムルに。これは食感がこりっとした感じで海藻好きにはたまらない。空豆はラヴィオリに。イタリアで売られている空豆は、生でも食べられるくらい若くて小さいのだけれど、これはラヴィオリなんかにしてパルミジャーノなどをかけてしまうと、チーズの味に負けてしまう感じがした。


2019年03月27日(水) ふわふわの時間




暖かい春の日差しの下で、こつこつとセーターを編む。愛猫はいつでもわたしの側に居てくれる。ふわふわ柔らかな毛糸と猫の体に触れていると心癒される。ふと、あまりにも幸せで胸がいっぱいになって、手を止めて写真を撮る。

隣人のドミニク(イタリア人)と話す。確定申告にまつわるあれこれ。知人は多額の税金を納めた後、調整されて、多額の返金があった。あぁ、よかったと家の購入の頭金に使ってしまった。ところが、その後税務署から連絡が入り、計算が間違っていたから返すようにと要求される。もう使ってしまったよ。いや、でもあなたは返すべきた。そっちが間違えたんだろっ。と結局は裁判に持ち込まれる。それから数年経過しているが、何も進展せず、いまだに判決がくだっていない。信じられる?よくあるよ、とドミニク。僕も後で計算が間違ってたから返してって言われたことある。少額だったから返せたけど。この国では日本的感覚でいるとひっくりかえってしまうようなことが日常的に起こる。そしてどれほどこの国が物事を複雑にするのが好きかという話になる。フランスには無意味に複雑なものが多い。フランス料理なんて無意味に複雑に時間をかけて作ったお腹に重くて大して美味しくなソース、で、フロマージュ、ソース、で、またフロマージュ・・・飽きるんだよね。それにフランス語なんてなんのために80という数字を"20の4倍"なんて複雑に表現するワケ?とドミニク。あぁ、そういえば日本に「フランス語は数が数えられないので、国際語の資格なし」とか言って大バッシングにあった知事がいたっけ。

静かな午後は、猫と編み物と隣人との世間話に過ぎていった。

2019年03月23日(土) 辻仁成のオレンジ・ソルト

辻仁成さんが紹介していたオレンジ・ソルトを作ってみた。150℃のオーブンでオレンジの皮を10分ほど焼いて、柔らかいうちにみじん切り。冷めて乾いたら塩と混ぜる。ゲランドの塩と混ぜるのが彼のレシピだったが、色がきれいかな、とヒマラヤのピンク・ソルトと混ぜてみた。淡いピンクとオレンジでなんとも見栄えはいいのだが、粗挽きの塩のほうがよかった。しかし、この塩は重宝する。例えばいつものペペロンチーノにも最後にこの塩を振りかけると、ちょっと爽やかな柑橘の香りがプラスされて、いつもとちょっと違うテイストを楽しめる。気に入って何にでも振りかけている。簡単だし、人にプレゼントするのもいいかもしれない。ただ、フーガスやフォカッチャに振りかけてオーブンで焼くと、オレンジが黒焦げになって見栄えが悪くなる。辻仁成さんは物書きさんとしても好きなのだけど、疾風怒濤のごとく毎日発信してるジャーナルやエッセイの中には、生活に役立つ情報が多々あって、わたしにはカリスマ主婦的な存在でもある。

さて、主婦なのは今月まで。知人から突然ジョブ・オファーを頂いて、4月から働くことになった。南仏らしい季節労働者。やりたい分野の話で半分嬉しいけど、半分はがっかりした。だって、ここへきてたった2度目の夏。毎週末リュカと海へ泳ぎに行くのを楽しみに冬を過ごしたのに、わたしは週末労働でそれはかなわない。まぁ、ひとりでも休日に海へ行くのだろうけど。


2019年03月18日(月) 蕪のキムチ

そろそろ蕪の旬が終わる、というタイミングで新玉ネギが出てくる。韓国のキムチ用のチリも手に入ったので、キムチを漬けた。適当に切った蕪と新玉ネギ(青い部分も入れる)に粗塩をまぶして(砂糖もふたつまみくらい入れる)、2時間ほど置く。水を切って、擦り下ろした生姜、にんにく、リンゴ(皮ごと。季節によっては梨でもいい)チリを入れてよく手で揉みこんでぎゅっと押し込むように隙間なく容器に入れる。1日後くらいから食べられる。アミの塩辛は入らないヴェーガン・キムチだけれど、リンゴと韓国のチリと新玉ネギの甘み、それに対するにんにくと生姜の辛みでとっても美味しい。この辺りで暮らしているとどうしてもオリーブ・オイルたっぷりとか、バターなんか使った食事が多くなりがちだけれど、そんな食事に疲れた時、冷蔵庫に常備したキムチを取り出して、玄米入りのごはんと食べるとほっとする。

鉄道も図書館もスト。ちゃんと自分の仕事をこなさないのにあれこれ文句と要求が多い。いや、ちゃんとこなさない人が多いからこそ、あちこちから文句と要求の声があがるのか。最近疑っていることは、路上でデモを繰り広げている人と、ちゃんと自分の仕事をこなさい人が同じ人なのではないかということ。だって仕事を真面目にちゃんとこなす人は、文句をたれる暇があったら仕事終わらせたいと言うし。中高生なんかもデモ行進する。でも、あれもどれだけ政治的意志があるのか怪しいものだ。から騒ぎして、あとはビール飲んでるだけみたいな雰囲気もある。本当に貧しくて情勢の不安定な国では小さな子供でも政治的意志を語ったりする。生きるか死ぬかだから切実(子供がただ遊びまわって生きていられないということはすごく切ない・・・)。でもこの国の子供は大人の真似してるだけ、みたいに見えること多々ある。

最近、日本人はどうしてあまりそういうインテンションにないのか、と聞かれて考えた。わたしの知っている日本人には自分こそがしっかり自分の決めたルーティンの中で、自分が自分を納得させる仕事をすることが大事と考える人が多いからなのではないか。わたしは少なくともそのひとりだ。朝早起きして中庭を掃く。誰も見ていないから、誰も知らないだろう。リュカは文句を言わないから、家事は手抜きしようと思えばいくらでもできる。でもわたしはちゃんとやる自分が好きだからやる。それで夜ぐっすり眠ることができる。他人の認知とリワードよりも自己満足に重点を置くというのは日本的ではないか。


2019年03月16日(土) 空気に漂う言葉を口にしてみたら

リュカの仕事仲間のアレッサンドロ君がイタリア人らしくパルミジャーノを手土産に遊びにきてくれた。仕事の合間で、長居もできないというし、いつも通りの簡素なランチをひとりぶん多めに作る。ほうれんそうのサラダときのこ餃子、自家製のライ麦パン(天然酵母で作るフランス人さえ褒めてくれる自慢のパン。失敗に失敗を重ねやっと安定して風味よく焼けるようになった)。アレッサンドロ君はサラダ用に出したいつも冷蔵庫に作り置きしている人参ドレッシングが大変気に入って、餃子にもこれをかけて食べていた。デザートくらいは作ろうかと思っていたが、彼はうんと甘いものが苦手なのだと聞いたので、大して砂糖を使わないゴルゴンゾーラといちじくのスコーンを焼いてカフェと一緒に出した。これもすごく気に入ってくれた様子。あぁよかった。食事の間、彼はあらゆることを熱っぽく語る。それはレストランで食べたケーキの話だったり、自分の作った料理の話だったり。本当に他愛のない話なのに、そのケーキの質感や味を事細かに説明されると、それはわたしの耳になんとも詩的に響いてうっとりと聞き入ってしまう。フランス人やイタリア人には本当にこういう人が多い。行動はがさつでも言葉で伝えることに労力を惜しまない人々。日本の男には説明不足な人が多いから、わたしはこんなことに心がとろけてしまうんだ。父がもう少し言葉を発していたら、母はもっと満ち足りていたのではないかと思ったり。日本的な"空気で伝える"という空想の余地を残したものも美しいけれど、それでも人は空想の先の真実を知ることで安心を得たりするものだ。午後の散歩をしながらそんなことをあれこれと考えた。


2019年03月09日(土) LA BEAUTÉ

L'important, c'est la rose!

"LA BEAUTÉ(美)"をテーマに行われたこの町のアート・イベントで、講師を務めた"Atelier Origami(折り紙のワーク・ショップ)"は成功に終わった。今回は折り紙に慣れ親しんでいても少し難関の薔薇。参加者はみんな日本に興味を持っているフランス人の方々で中には日本語を話す方もいた。しかし教えながらはっとする。この人達は折り紙自体に慣れ親しんでいないから、こちらは"これくらいは簡単にできるだろう"と気に留めなかった箇所にすでに手間取ったりした。"もう無理"って投げ出してしまう人もいるかも、と思っていたが、2時間後みんな一本の薔薇を仕上げることができて、各自自分の作った薔薇を手に記念写真に写ることができた。みんな楽しんでくれたようで、また何かしら日本に由来したイベントを企画して欲しいと言ってくれた。このワーク・ショップの成功の背景にはアシスタントを務めてくれたリュカの働きがとても大きい。アシスタントとして着いてこられない人を助けるという役を担うため、彼は1週間前から1個折るのに2時間くらいかけて練習していたのだった。最初の3つくらい折った様子では"この分じゃ、リュカの助けは期待できないな"と思っていたが、突然4つ目でパッと視界が開けたような顔でさくさくと折り始め、わたしを驚かせたのだった。ワーク・ショップの間もフランス語がまだまだのわたしに代わり、みんなと雑談を交わし、詳しいことを説明してくれたりで本当に助かった。彼の助力なしには成し得なかった。持つべきものは勤勉なパートナー。本当に感謝。

このアート・イベントに携わる人々とレストランでランチを摂っていると、そこで思いがけず仕事の話が舞い込む。こんなことをやってみたい、とか夢を語っていたけど、言葉の壁があって、いつ実現するのか、と遠い未来に考えていたのに、突然降って沸いたチャンス。来週、詳しい話を聞きにいくことになった。

あらゆることが自分の"好き"という気持ちの向かう方向に沿って動き出しているように感じられる"Un beau jour"だった。


2019年03月04日(月) ダーニング

ヨーロッパでは、伝統的に衣類の穴や擦り切れを補修するダーニングと呼ばれるものがあるそうだ。ダーニング・マッシュルームとかダーニング・エッグと呼ばれる木工細工の玩具のような器具に布をあて、補修していく。目立たぬように補修するのではなく、ワンポイントのような感覚でオリジナリティを出すようなやりかたをするようだ。基本のやりかたでリュカのソックスを修繕してみた。ちゃんとした器具はないから丸みを帯びたものなら何でもいいのだろう、と玉ねぎを使ってみた。問題なし。毛糸はお店で売っていた中で一番細いものを使用。まだまだ寒い夜、カウチでチクチクやる時間は心安らぐ。2時間かけて、ソックス4セット救済。ただのブラック・ホールだった踵はカラフルに生まれ変わった。

ソックスなんて、穴が開いたら切って雑巾にして使い捨ててたけど、たまには愛情をもってこうやって修繕してもう少し長く使ってもらうのもいいかな。リュカにも愛情が伝わったのかな、とても気に入ったみたい。


Michelina |MAIL