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数日前ワードローブが壊れて、新調しようと考えていたところ、町の掲示板に素敵なアンティーク調のものが売りにだされているのを見つけた。まずは現物を見たい。リュカが電話をかける。すぐに迎えにきてくれるという。
「年配女性でちょっと聞きなれないアクセントがあるからフランス人じゃないと思う。名前はドミニクで青い車で来るって。妻はフランス語がまだ流暢じゃないけどゆっくり話せば解るっていっておいたから」
そう言い残してリュカは仕事にでかけた。
待ち合わせ場所に立っていると、青い車が目の前に停まり中年男性が顔を出す。電話にでたのは奥さんで、きっと旦那さんが迎えにきたのだろうと勝手に解釈して乗り込む。車中でお互いに自己紹介する。なんと、彼がドミニク本人だというではないか。確かにすごく女性的でソフトな話し方。
「英語は話す?」
「はい。英語は問題ありません」
「なら簡単だ。僕はアメリカ人なんだ」
車中であれこれと話す。LA出身でアメリカを50年前に去ったこと、ヨーロッパで今のパートナーのイギリス人男性(つまり彼らはゲイ・カップル)に会ってそれ以来二人でヨーロッパのあちこちに住んで、結局この町の山の中腹に家を買ったこと、など。彼はとても繊細な気遣いを見せる。
「恐がらせるといけなから事前に伝えておくよ。今、家にひとり男性のゲストが来て泊まってて、だから家にもう二人男がいるからね」
車はローズマリーの生い茂る庭に入っていき、大きな邸宅の前で停まる。山の中腹で見晴らしは最高。空気も美味しい。この辺りではスタンダードな古い蔵を買って、自分達で内装を作り上げたという邸宅は、リビング雑誌から飛び出したようなセンスの良さ。広々していて、風通りがよくて、この辺りでは珍しいカリフォルニア・スタイルな家。中からパートナーのジュールスがでてきて出迎えてくれる。
「紅茶はいかが?イギリス人は紅茶の時間よっ」
数分棚をチェックして、紅茶をいただく。添えられたビスケットはマクビティ。
彼らが日本で旅行した時の珍道中やら、この町に来た時の話やら、仕事の話をあれこれと聞く。そして彼らは30年以上ヴェーガンだとも。きっと、しっかり自宅で料理して食べているのだろう、キッチンにはスパイスがずらりと揃えられている。ドミニクさんはリタイヤして数年経ってるというから60代。ジュールスさんはおそらく50代。ところがこの二人からは"年配男性"特有の加齢臭などは漂わず、傍によるとほんのりパフュームだけが香る。体もフィットで肌艶も良く年齢よりもずっと若く見える。まさに"I Love You Phillip Morris"のジム・キャリーとユアン・マクレガーみたいな雰囲気。明るくて、幸せそうで、几帳面ゆえにビジネスでも成功しているからこんな素敵な邸宅を構えられるのだろう。この町に来てから、前の通りでみかける人々といったら、着ている服はちょっと汚れた風で、いつも片手に煙草。午後4時、カフェは酒を飲む人で満員御礼でわたしの通う図書館などはがらがら。肌も髪もぼろぼろで、年齢よりもずっと年上に見えるし、病気になった、手術しただのという人ばかりだった。ここへ来てはじめてこんな東京都心のオフィス街を歩いている日本人みたいなきちんとした人を見たのだった。わたしは肉を食べるのをやめて約20年。今はまだ若いから健康そのものだ。たまにプロテインが不足する、とか、ヴェジタリアンは偏ってて不健康だという意見も聞く。医者でもないわたしには真実は判らない。でも彼らを見て自信が湧いてきた。
翌朝、電話を入れる。
「購入することに決めました!ただ問題があって・・・。どうやってここまで運んだらいいのか考えてて」
「そうね、ジュールスと相談して電話折り返すわ」
午後4時。突然彼らが自宅にやってきた。
「うん、ここは通れそうね。ここもOK」
搬入が問題ないかを事前にチェックしにきたのだった。さすが几帳面。そして、
「この棚はどかしといてね。1時間後に運んでくるから」
そう言い残して、そそくさと去って行った。なんという機敏な行動力。アマゾンのデリバリーより迅速。わたしはせっかちだから、こういう人々が大好き。
大急ぎで今あるワードローブを崩す。組立式の家具というのは持ち運びが楽という良い面もある一方で、一般素人が組立できるような簡単な作りで壊れやすいのが難点だ。そこそこ値のはる日本製の組立式家具ならまだしも、フランス製なんて、、、、高くてもなかなか信頼できない。そう学んで、今回は崩せないものにしたのだった。
ピックアップトラックで彼らがやってくる。男5人。棚を持ち上げてるふたりは彼らの友人で、トラックを持っているので頼んだのだという。ふたりはわっしわっしと棚を持ち上げているのだが、ドミニクさんはご丁寧にわたしのことをこのふたりに自己紹介している。どうみてもストレートなふたりは、ぶっきらぼうに"アンシャンテ"とだけ返してくれた。
こうして、見物に行ってから24時間以内に新しい棚がやってきたのだった。
まだ支払いをしていないから週末に再度彼らの自宅へ届けに行く予定。彼らはデリバリーまでしてくれたのに、当初の提示額でいいと言う。
「申し訳ないな。少し多く支払いたいんだけど」
とリュカ。
「でも、きっと一度要らないっていったら受け取ってくれないと思うな」
こんな会話があった。
今朝、バゲットを焼いたらたまたま男性器のようなシェープになった。
「これ手土産にするか」
ふたりでにやりとする。
こうして出会ったゲイのふたり。不思議なことだけど、この町に越してきて、はじめてそのオーラの美しさに見惚れてしまったのは、年配男性ふたりだった。
リュカの患者さんの話。いつも自分の犬の糞をそのままにして去っていく人に注意したところ、
「俺は税金を払ってるんだぜ!」
と怒鳴りかえされたというのだ。わたしだったら、
「わたしだって税金払ってるわよっ!で、なんで他人の犬の糞だらけの環境に暮らさなきゃならないのよっ!」
と言い返しただろう。彼女は呆れて何も言い返せなかったそうだ。
「チャーリー・チャップリンの“You'll never find a rainbow if you're looking down”という言葉、すごく好きなのよ」
と言ったらリュカがひとこと。
「でもね、この町では下を向いて歩かないと犬の糞踏んじゃうんだよね」
愛だの花だのロマンスだの美食だので有名なフランスが一方では犬の糞で有名だなんて本当に残念だ。だが、"税金を払ってるから"と環境を乱して、税金から給料が支払われている市の清掃職員がその始末をするべきだと考える人がいるのだ。リュカの知人(しかも、ちゃんとした良い教育を受けた人)はゴミの分別をちゃんとせず、なんでも適当に放りこんでしまう。リュカがどうしてちゃんとやらないのだと聞くと、
「俺がそんなことやってしまったら清掃職員の仕事がなくなってしまうだろう」
と答えたそうだ。まぁ、こういう人はフランスだけでなく日本でもいる。必要以上に公共の場を汚していく人。叔父のレストランを手伝った日のこと。子連れの客が、子供がめちゃくちゃにあれこれひっくり返したテーブルをそのままにして、知らん顔して帰ったことがあった。ウェイトレスの仕事は通常に使用されたテーブルを片付け、布巾で拭うことであって、他人の嘔吐の始末やめちゃくちゃに使用されたものを片付けることではない。
日本にもいるといっても、こんなアイディアを持っている人は欧米のほうが断然多い。煙草の吸殻を通りに投げ捨てることがいけないことだと思っている人はいないようだ。翌日には通りに轟音を響かせて巨大な清掃車がやってきて水で全部洗い流していく。多額の税金を払っているから、通りを汚す。通りが汚れるから清掃に多額の税金が費やされる。鶏が先か卵が先か。
「ドキュメンタリー番組で見たのよ。なぜ日本の町はゴミも糞も落ちてなくてクリーンなのかっていうサブジェクトで。あなた達は子供の時から学校で自分の教室を自分達で掃除するのでしょう?だから自分の汚したものは自分で片付けなければいけないという精神が身についているのでしょう?」
とクリスティーヌ。その通り。朝に15分クラシカル・ミュージックが流れて、みんなモップやら箒を手に掃除をしたっけ。欧米では清掃職員が全てやるので、子供は学校で掃除を学ぶことはない。
いつかインド人の同僚達に注意したことがあった。社内の廊下で落とした食べ物を自分で拾わずにそのままにして去っていくとかそういうのはダメよ、と。お金持ちの息子である彼らはサーヴァントがいる家で育っているから、日本へ来てひとりで暮らし始めてもなかなかその癖が抜けない。
自分の身の周りのことを自分でちゃんと片付けられないなんてだらしなさすぎる。日本人だってできない人はいるけど、外国にでるとそんなの比じゃない、と気づく。学校でも家でもお片付けを叩きこまれたことは、今となっては宝だ。
2019年02月10日(日) |
COCA DE MOLLITAS |
一月にスペインの南、エルチェ(elche)で開催されるとある宗教行事。靴作りがさかんなこの地域にあって、靴職人と動物のためのもので、靴職人の像を担いだ人々が寺院を巡り歩く。そして最後は屋台で売られているコカ・デ・モジタスを買ってそこらへんに座って食べる、というもの。これ、アリカンテ辺りの名物でもあるらしい。リュカの説明ではそのストーリーは全部は理解できなかったが、食べてみたい! とせがんで作ってもらった。
材料はシンプル。強力粉と塩、イースト、水、オリーブオイル。トッピングは何を乗せてもいいが、一番オーソドックスなのは生のサーディンだそうだ。ないのでわたしが日本から抱えてきたアンチョビのオイル漬けを使う。
黙々自分の仕事をこなしているとキッチンからおっかない鼻歌が聞こえてくる。
"Don't look. I use a lot of olive oil ♪ oh! it's really a lot. Never ever look♪"
もうスペイン料理とかそれだけで想像ついてる。イタリア料理やスペイン料理は日本料理でいう出汁の感覚でオリーブオイルが使われる。だからオリーブオイルが味の決め手になる。ケチったりすると味がきまらない。
クロワッサンの生地の要領で、オリーブオイルを塗ってはたたんで、と繰り返す。上にそぼろ状にした生地を乗せて焼く。
冷蔵庫に残っていたワインで乾杯。けっこう塩気が強くて酒とあう。層を作った分さくっと焼けていて軽い感じなので闇雲に食べていたらすっとおなかに入ってしまうだろう。でも恐い鼻歌を聞いたからセーブする。夕飯はこれを二切れずつとワイン一杯ずつで終わりにした。
2月とは思えない穏やかで暖かい午後。リュカとランチを食べた後、ひとりでニースへ出かける。いつもニースへ出るときは探しものがあったり、買わなきゃならないものがあったりで忙しい。今日はそんなのは一切なしの主婦の休暇日。そう決めてきた。あてもなくぶらぶらとお店を見て歩く。洋服を試着して、雑貨を眺め、カフェにゆったり座ってケーキを食べる。人の淹れてくれるカフェの美味しいことよ。
夕方、友人と落ち合う。彼女と会うのも本当に久々。そして日本語を話すのも何か月ぶりか。ビュー・ニース(Vieux Nice)のフィッシンチップスのお店に入って、夜遅くまでお喋りに耽った。一年間湯シャンを続けて髪が赤ちゃんの産毛のような質感になったという話、数年間マクロビ食を続けたら、体重がぐんと落ちたけど、女としての美しさを失ったという話などとても興味深い。マクロビ食を長く続けて年をとった人々は、植物が朽ちていくとき、水分を失ってゆっくり干からびていくのに似ているという意見にはっとした。そういう人、何人か見たことある。
夏は毎日お祭りのように夜遅くまで賑わうニースの街も冬は静か。夜道を彼女の家まで歩いて泊めてもらう。
翌朝、仕事へ出かける彼女が化粧をしていた。あまりにもナチュラルな感じなので、彼女が化粧をしているなんて気付かなかった。それくらいナチュラルに仕上げるのに丁寧に時間を割いているってすごく健気。それだけじゃない。彼女は寝る時だってほどほどに女らしくセクシーなランジェリーを纏っているのだ。彼女が美しい理由が解った。わたしはホンモノのナチュラルでたまに夜出歩く時以外化粧をすることはないからな。ほうじ茶を一緒に飲み、彼女はお弁当を持って仕事に出かけて行った。
ここでは良い人々に囲まれて幸せに暮らしている。人の心の動向にはみんな繊細だから万事良好だけど、生活の細々したことに対してはみんな本当にがさつで、あぁ日本人だったら・・・と恋しく思うこともある。久々に日本人らしい繊細でやわらかな空気感を味わって、気持ちがリセットされた気分。いつまでもここで外国人として生きていく気はない。でも、日本人らしい良いところは強く持ち続けていたい。そんな気付きを得た休暇だった。
リュカの用事でニース駅の窓口へ。30代後半というくらいの見た目の担当の女性はにこりともせず、むしろ不機嫌な顔で全てに面倒くさそうな顔をする。外は晴天。まだ昼前。何が彼女をこんなにさせるのか。高価そうな素敵なリングやピアスを身につけている。化粧もナチュラルできれいにしている。長い髪もちゃんと整えている。ここまでちゃんと身支度して家をでて職場に着くと、面倒くさそうに猫背で斜めになってカウンターに座る。姿勢が悪いから太っているわけではないのに二十顎になっている。本当にもったいない。この辺りには見た目が悪く生まれついたわけではないのに、内面から出るオーラのせいでイメージを損ねている女の人が多すぎると思う。彼女は義務を課すだけといった感じでリュカの質問に回答するのみで、それ以上の言動はいっさい惜しんでいた。
あるブティックで洋服を買って支払いをしていた時のこと。外から女性がけっそうを変えて走りこんできて店員に訊ねた。
「すみません。試着室に財布を忘れたみたいなんです」
「知らないわ(I don't know)」
女性は試着室に自分で走っていき、結局財布はそこにあったらしかった。冷ややかな店員をちらりと睨んで無言で去って行った。
こんなのってあるだろうか。フランス人だからとかいうまえに人としてどうかと思う。客にべったり媚びない文化だといっても人としての心がどうあるのかと疑ってしまう。わたしが購入したシャツはたたみもせずぐちゃぐちゃに紙袋に突っ込んで渡された。
立居ふるまい、表情の作り方、姿勢で人に与える印象は劇的に変わる。この国で暮らすようになってから、反面教師があまりにも多くて、生まれもった見た目のままで如何に美しく人の目に映るかということを強く意識するようになった。
(写真:わたしの町に夜が訪れる)