DiaryINDEX|
past|
will
2018年07月31日(火) |
はじめての滞在許可の更新 |
ニースのプレフェクチャへ滞在許可の更新に出向いた。ニース・サン・オギュスタン駅(Gare de Nice-Saint-Augustin)で下車して、20分程歩くルートを取った。道端にマジョラムやタイムなどのハーブが育ち、植え込みにオリーブの木が立派に実をつけている。しかし、その背後に聳えるアシュレムと思われる住宅街はゴミが散乱し、荒み切った空気が漂っている。朝だというのに、ぽつりとたまに見るお店もぱったり戸を閉めていて、ブーランジェリーから麦やバターの香りが漂うこともない。貧しいことが必ずしも無教養と連結する必要はないのに、この国の貧困層はやさぐれている。そしてやさぐれているが故に貧困から脱け出すこともない。開館45分前に到着するとすでに外国人が列を成している。朝食を調達しようにも周囲にはまったく店が見当たらない。9時に開館。みんな我先にと走る。警備員がでてきて、入口でコントロールしている。中に入ってから、また列に並んで待つ。自動販売機で買ったマドレーヌとカフェで空腹をしのいだ。1時間ほどで書類チェックの窓口まで辿り着く。あまり感じのよくないおにいさんに当たり、わたしもリュカも不安になってくる。が、本窓口では若くてとても感じの良いおねえさんに当たり、命拾いした。結局リュカについての追加書類を膨大に要求されたが、それは後日直接彼女のところまで出向いてドロップすればいいとのことで、レセピセをもらうことができた。帰りのバスを待ちながら、しみじみこんな面倒な手続きのあれこれを気長に面倒みてくれるリュカに感謝した。
フローリストで白い薔薇を一輪、パティスリーでお菓子を買ってニースのど真ん中にある友人のアパルトマンへ向かった。新鮮な野菜たっぷりの美味しいランチをいただいたら、うだるような暑さのなか旧市街を散歩。張り詰めた気持ちで朝を過ごした分、自由気ままな午後は楽しかった。
海が続いたから、今週末は山にしようか、涼しくて静かな高原の小さな町がいいね。と、夏は炙られるような暑さに見舞われるニースからローカル線でたった2時間ほどのタンド(Tende)を訪れた。
電車を降りた途端、きりりと冷えた心地良い空気が腕に当たる。そして山の上に小さな建物を見つける。チャペルらしい。山のてっぺんの小さな小さなチャペル。素敵!
「わたし、あそこまで登る!」
何も計画せずにきたが、町に降りてたった1分、本日の予定は決まった。オフィス・デ・ツーリズムへ行き、地図をもらい、チャペルへの道を尋ねる。
「お墓の脇に階段があるからそこを登っていけば1時間くらいで着くから」
おねえさんは、いかにも簡単といった口調でそう言うので、わたし達は"散歩"程度の心構えでいた。そしてこの後、進むべきか引き返すべきか迷うような獣道で大いに困惑する羽目になるのであった。
まずは町をぶらりと散策。大通りにセレクト・ショップのような洋服屋がある。どれも一点もので素敵な服ばかり。でも価格が妙に安い。しばらくして気付いた。古着なのだ。選び抜かれた古着。黒のレースのオールインワンを買った。さらに歩いていく。BIOの野菜やチーズを売るマルシェがでていてカフェ・テラスも騒々しい。小さな町ながらも活気に溢れている。
山の斜面に築かれた町ではこんな急な階段があちらこちらに見られる。上下運動の好きな猫好きしそうで愛らしい。
無料で観られるギャラリー。古いものがいっぱい。好きな人にはたまらないのかもしれないが、わたしにはちょっと不気味に感じられる。
"Le Gourmand"というレストランでランチにした。Plat du jourは肉だったが、おにいさんが野菜で作ってあげるよとオファーしてくれたのでそれにした。色んなものが乗ってきて、ちょこちょことあれこれ食べたいわたしにはうってつけだった。味は素朴で本当に家庭の味。お母さんと息子さんがせっせと一緒に働いていて好感を持った。わたし達がチップまで置いて帰るお店はそう多くない。
腹ごなしに無料で観られるというミュージアム(Musée des Merveilles)へ入る。無料だしと大して期待していなかったのにも関わらず、ここは本当に良かった。展示品が充実していて、この辺りの歴史と文化をよく知ることができる。こんな可愛らしい手作りのお土産も売っている。
民家の壁にあった日時計。今は14時だから・・・合ってない。季節ごとに角度を変えないとダメなんだな。
さて、いよいよチャペル(Chapelle Saint-Sauveur)を目指す。お墓の脇にはこんな城壁も残っている。
お墓の脇をとことこ登ること数分。舗装された道はたった数分で終わり。それからは山の小道に変わる。細い細い道だけど、先週末登ったエズのニーチェの道(Chemin de Nietzsche)ほど急ではなく、何よりここは涼しい高原の風が吹いているのでそうきつくない。道中野生のラヴェンダーやタイムを摘む。こんな人目に止まらない山中で強い香気を放って毎年種を飛ばして咲き続けているのだろうと思ったら逞しくて美しくて健気で胸が熱くなった。
色んな色の蝶々も見た。自由気ままに好きな色を纏って飛びまわっているみたいでこれも美しかった。
30分ほど登りあと少しといったところで、なにやら先の様相が違ってきた。岩がごつごつで道らしき道もなくなり、ワイヤーが岩伝いにかけられていた。ロック・クライミングの装備が必要ってことか?オフィス・デ・ツーリズムのおねえさんの軽い口調を思い出す。まさか、きっと大丈夫よ。突き進みますよ。と背後を見るとリュカが立ち止まって考えている。
「引き返そうよ」
「え!?まさか。何言ってるの?ここまで来て引き返すなんて嫌だよ」
「・・・。でも僕は高い所があんまり得意じゃないんだよね」
「え!?なんで今さらそんな告白するの!」
「いやぁ、こんな険しいと思わなくて。いや、でも君が行きたいなら、なんとか頑張る」
こんなやりとりの後、結局進むことになった。しかし、ここは本当に気をつけないと命取りになるところだろう。風の強い日や雨の後なんかは絶対やめたほうがいい。ロープをぎゅっと握り、一歩一歩確実に足場を確保して進んだ(写真はまだ写真を撮る余裕のある場所で、この後は無理だった)。
10分後、無事チャペルに到着。すれ違った子供二人とお父さんはちゃんとロック・クライミングの装備をしていた。
しかし、どうしてこんな野生動物しか訪ねてこないような場所にチャペルを建てたのか。きっと一人で静かに天の神に一番近いところで人知れず祈りたい人のためのものだったのではないか。騒々しく他人を巻き込みたがる宗教は信頼できない。険しい道を登りつめ、ひとり静かに祈ったら、神が手を差し伸べなくとも、自分の中で救いの道を見いだせそうだ、と無神論者のわたしはそんなことを思った。過去にここをわざわざ訪れた人々の一途な信仰心がこの場所一帯に渦巻いているように感じられた。頑張って最後まで登ってよかった。
チャペルから見下ろす風景。
帰りは30分かからずに降りることができた。タンドの町が見えてきたらほっとした。
この町のブーランジェリーで田舎パンを買って帰った。夕飯はパンとチーズで適当に済ませる。タンドで過ごした1日は素敵な夏の思い出となった。摘んできたラヴェンダーをベッドの脇に活けると、クロエちゃんはもう傍を離れず、朝までそこで寝ていた。
2018年07月27日(金) |
Eclipse de Lune |
ランチタイム、夜に赤い月が見られるとリュカと仕事仲間が話しているのを聞いて、ふと思い出した。ピッツァイオーロ(ピッツァ職人)である従弟が東京のお店で焼いてくれたピッツァ、"La Luna Rossa"。丸いピッツァの端の1/3ほどのところに具を置いて折りたたんでカルツォーネにし、折りたたんだ上にトマト・ソースとトッピングを置いて焼く。彼のはカルツォーネの中にクリーム・ソースとマッシュルーム、外側はマルゲリータだった。彼の焼くピッツァはイタリア本場と比べても劣らない、とわたしは思う。本当に美味しかった。そうだ、今夜は"La Luna Rossa"を食べながら月見をしましょう、と提案するとリュカは大喜びで午後の仕事にでかけていった。
さて、本場イタリアではどんな具を入れているのか、参考に見てみましょう、とネット上を探したが、でてくるのは日本語のサイトばかり。イタリア人はこんなピッツァは作らないのか。外国でテリヤキ・チキンの寿司が大人気みたいなものなんだろうな。適当に冷蔵庫にあるものを乗せた。カルツォーネの中はバターでソテーしたホワイト・マッシュルーム、パセリ、モッツァレラを、その上にオリーブ・オイルを塗って、手で潰したトマト・ピューレ、薄切りのにんにく、レッド・オニオン、オレガノを乗せていわゆるマリナーラ風で。
これを楽しみに仕事から帰ったリュカはとても喜んで、イタリア人の友人に写真を送っていた。
「僕達は一足お先に赤い月を楽しんだよ」
相手はおそらくわたしが鶏のから揚げやとんかつの乗ったラーメンを目にした時と同じような顔をしたに違いないが。
今日8回目の誕生日を迎えたクロエちゃんも夕飯に日本から持ってきた貴重な蒸しカツオを堪能した。
10時半頃外にでてみたが、何も見えなかった。結局わたし達が見たのはあっという間に胃袋の中に消えた赤い月だけだった。
2018年07月26日(木) |
専業主婦、納屋を掃除する |
ラテン男に"わたしは既婚だから"といっても"え?それで?"という顔をされるのがオチだ。ぐいぐいやってくるから心配になってしまうこともあるけど、大抵の場合は他人の家の犬が客人に見せるような無邪気な好意なので、こちらはにっこり笑って受け取っておけばいい。それにそもそもちょっと暑苦しいくらいの言葉尻に自分が実際よりも過剰に受け取っている部分もあるのだろうとも思う。慣れてしまえば、彼らは愛らしい。既婚とか誰かのものとかそういうことよりも先に、好きなものを好きと表現したいというエネルギーを放出せずにはいられないのだろう。ただいつか彼らのエネルギーにふっ飛ばされてどこかへ行ってしまうことなど絶対にない、と断言できるほど自分を信頼していない。だから少し恐いんだ。
午後納屋の大掃除をした。100年手入れしてないといわれても納得するくらい汚い。物を全部外へ出す。どうしてもひとりで運べない重たい瓦みたいなのがあって、階下の若造に手伝ってもらおうと呼びにいったら、風呂上りなのか裸で歩いてきたので頼みそびれた。瓦は諦めて、中のクモの巣を取り除き、床の瓦礫も掃きだした。昼からはじめて終わったのは5時過ぎ。顔は埃を被って真っ黒だった。ざっとシャワーを浴びて、しばらく横になって休んだ。そしてふとこんなことを思った。
日本へやってくるよくわかっていない欧米人が、日本は主婦が多すぎる"遅れた国"だとかいう。主婦が多いのは女性の人権がないからではないのに。しかし事情がなんにせよ、女性が外にでて働くのが"進んだ国"なのか。この"進んだ国"では夫婦そろって収入があれば人並みに数か月のヴァカンスくらいにはでかけられる。しかし自分の産んだ子供は小さい時からヌヌーに預けっぱなしで、食事は冷凍ピッツァ、掃除は移民を雇って、子供が寝着いたら夫婦で夜遊び。わたしは家族に健康的な食事を作り、きれいに家を磨き、家族の雑用を引き受け、自分の産んだ子供を自分で育てる日本の主婦の姿を思う。主婦友とたまに3000円するランチを食べに行こうともそれくらいはちゃんとやってるんだろう、と思う。このフェミニストの国ではわたしのような若い女が外にでて働かないことは大分奇妙なようだ。"労働許可がない"と説明すると相手はほっとする。自分ひとりでも食べていけて、誰にも気兼ねせず使えるお金があるのはいい。労働許可が下りたら仕事を探すつもりでいる。でも、放置され続けた納屋を見て思う。専業主婦の何が悪い。
週末はエズ(Èze)でのんびり過ごす。昼過ぎまでビーチで泳いで、食べて、読書して、と繰り返す。この辺りのビーチは足元が石で水に透明感があるのはいいが、波打ち際を散歩したりすることはできない。たまにパースのコテスローやスカボローの夕暮れ時のロング・ウォークを恋しく想う。
午後、ニーチェの道(Chemin de Nietzsche)を登る。リュカは初体験。なかなかの急斜面だし、足元がごつごつ、しかもかなり暑い。気を抜かず、ゆっくりゆっくり登る。途中何度も足を休めて水分補給し、呼吸を整えて進む。1時間で登れるというが真夏は1時間半くらいかけてゆっくりしないと危険な感じがする。
エズ村へ辿り着いて一休みしてお土産屋さんや村をひとまわり。オフィス・デ・ツーリズムで他に下る道はないのかと聞くも、大分遠回りになるというので来た道をまた戻る。下りもまた危険。足を捻らないようにそろりそろりと行く。それでも予測どおり45分で駅(Gare de Eze Sur Mer)まで着いた。
たくさん泳いでたくさん歩いて足がぐったり。すごく疲れているけど心地良い疲れ。毎日こんな疲れ方をしてベッドに入りたい。
誕生日に何が食べたいかとリュカが聞いてくれたので、
「あなたの手料理が食べたい」
と答えた。料理はへただし、とまごつきながらもYoutubeを見て作ってくれた。海老の殻をたっぷりのオリーブオイルで炒めたら水を入れて出汁をとる。フライパンにピーマン、たまねぎ、トマト、にんにくを炒めて、白ワイン、米、と投入したらスープを入れて煮込む。パエリヤのようにボトムを焦がすものではないのでシーフード・リゾットといったところか。この機会にとクロエちゃんにもたっぷり海老をあげる。フランスに来てはじめて海老にありついたせいか鼻を鳴らしてかぶりついていた。食後にチーズとデザート。ほのかなチーズ味のプディングのようなケーキ。ちょっとわたしには甘過ぎたが素朴で悪くない。リュカは自分で創作したのが嬉しかったのか、家族に写真を見せたりして、料理の腕を磨くと宣言した。見知った人の手料理はそれだけでポイントが高い。うまいかへたかなんて本当はそんなに関係ない。リュカの淹れてくれたコーヒーを飲みながら心身共に満ち足りているのを感じた。
2018年07月19日(木) |
プロヴァンスの夏の食卓 |
日本でも人気のイギリスの料理研究家レイチェル・クー(Rachel Khoo)のレシピに挑戦した。"Little French Kitchen"というフランス全土からの郷土料理が、綿菓子を連想させるようなレイチェル風にアレンジされた料理本のプロヴァンス・セクションにあるレシピ。玉ねぎとガーリックとタイムを炒めたいわゆるピサラディエの具をボトムに敷き詰めて、その上に極薄にスライスしたズッキーニ、ナス、トマトを重ねて置き、オリーブオイルと塩をかけてオーブンでグリルするだけ。お味はシンプルそのもの。簡単なのに見栄えがよくて、冷めて味が落ち着いたくらいのほうが美味しいので、持ち寄りパーティーなんかにいいかもしれない。それにしてもこの一皿はプロヴァンスの風土をよく物語っているかのようだ。この季節にズッキーニ、ナス、トマトが売ってないお店など見たことがないというくらい日常に定着している野菜。ズッキーニやトマトなんかはこの乾燥した気候ではぽんぽんと簡単に生るのだろう、日本よりもずっと安価に手に入る。暖かくなってからバスケットにいつもトマトを山盛り置いてある。よく熟れて皮がはじけそうな感じになった頃を見計らって食べる。そしてまた食べた分だけ補充する。
この料理のサイドにはプルーン入りのカンパーニュと玉ねぎのタルトを。プルーンはクリスティーヌの庭から摘んできたのを3日間天日で乾燥させたもの。タルトに使った卵は近所の人がおすそ分けしてくれるBIOの飼料を食べながら庭で走り回っている鶏のもの。夏はぽんぽんとよく産むらしく、あちこちからお裾分けがある。なんという贅沢。たまに日本食が恋しくなるとナスの味付けは生姜醤油になり、トマトのサラダには胡麻とごま油と刻んだ青ネギと醤油が乗る。アジフライが夢にでてきたこともある。でも、わたしは食いしん坊なだけに美味しいものが豊かに実る土地に暮らせば、大抵のことは許せてしまうようだ。
(写真:料理の背後の窓辺に青々茂っているのは青紫蘇。アマゾン・フランスで種が売っていたのを購入して育てた。近所の人にもお裾分けしたから、この町のあちこちの庭や窓辺で青紫蘇が茂っている。もっさりと見栄えよく育つので食さずとも観賞用として楽しんでたりして、みんな気に入ってくれたみたいだ)
結婚したと思ったら、今度は滞在許可証の更新という新プロジェクトがはじまった。コトがまともに運べば"プロジェクト"なんて呼ぶほど大それたことではないのだが、なにひとつまともでないのだから心してかかるべし。更新はニースのプレフェクチャーの管轄になる。GoogleでHPをサーチすると、レビューは★1.9。100人以上が苦情を並べ立てているではないか。悪い予感むんむん。HP中に自分のケースを探すが、どれに当てはまるのかわからない。"質問があれば電話か郵送で受け付ける"と書かれている。電話受付時間は日に1時間半だけ。仕方なく電話をかける。"忙しいのでかけなおしてください"という自動アナウンスが流れる。何度かけても繋がらない。翌日もトライ。繋がらない。他の電話をとっているのではなくはじめから自動アナウンスにセットアップしてある様子。アルジェリアからの移民だというリュカの患者が教えてくれた。
「知人が働いてるんだけどね、電話はとらないって言ってたよ。電話とる暇があれば別の仕事をこなしたいんだって」
だったら電話番号なんて書くな、と言いたい。しかも"わたし達のモットー"とかいうページに"その1、電話は5コール以内にピックアップします"だって。大ウソつきだ。次の手を考える。電話をとれない人がレターに返事を書いて投函できるとは思えないからレターは没。メール・フォームはこのケースの人は対応できないと書かれているが、もうその手以外に残っていない。ダメ元で書き始めるが、フォームのエラーで送信できない。なんてこった。ページの下に"苦情はこちらで受け付ける"と書かれているのでそこへメールしようと思ったらこちらもリンク切れ。ギャー!次の手は代表番号へ電話する。意外や意外繋がった。しかし返ってきた答えは思った通り。
「わたしの管轄じゃないんでわかりませんけど、あの部門は人がひとりしかいないから電話はとれないんじゃないですか」
どいつもこいつもだ。しかしやっと繋がったので食い下がる。
「必要書類について確認があるのだけど、どうしたらいいんですか」
「直接来てください」
それだけのために行くの?
「うん。そう。たったひとつ質問するために2時間くらい並ぶの。しかも朝の早い時間に並ばないと窓口が閉まった時点で帰されるよ」
とアルジェリア移民の患者。
行って並ぶ以外ないのか、と諦めた頃、ぽろりとリダイヤルした電話が繋がったのである。奇跡!リュカと手を取り合って喜ぶ。必要書類はわかった。
翌日、結婚のための書類を提出した市役所へ行き交渉する。フランス語に翻訳されている出生証明書の原紙を貸して欲しい、と。この出生証明書はマルセイユの日本領事館で作成してくれるのだが、通常受け取りはマルセイユまで出向かなければならないのだ。書類1枚のために電車で5時間もかけて、そうなると泊りがけで・・・と気が遠くなる。そんなことを説明すると、無口な担当者は、
「わたし達も原紙が必要だからちゃんと返してね」
と貸してくれた。助かった。
「え?あの人が?貸してくれたの?奇跡!」
とクリスティーヌ。奇跡は2度起きた。と喜んでふと気付く。ここで暮らしていると"奇跡"のハードルがいかに低くなるかということに。
他県ではもうこんなひたすら並んで順番を待つというような原始的なやりかたはしていなくて、オンラインで予約できてしまうようなシステムがあってもう少し進歩している様子。すご〜い!と叫んでまた気付く。すご〜い!のハードルも相当低くなっていることに。
-------------------------------------------
(写真:ちょっと早いが誕生日にかこつけてリュカが買ってくれたラザーニャのお皿。フランス人の作家さんがデザインしたもの。彼女の作品は手描きで1点ものばかり。南仏風な大らかな雰囲気が感じられて素敵。)
2018年07月11日(水) |
Loving hut |
マントンで友人と落ちあって、Bioの食材だけを使ったヴェーガンのカフェでランチした。こちらで唯一の日本人のお友達。お互いあれこれあってなかなか会えないが、その分こうして会える日は格別。リュカはわたしの話は聞いてくれても、やっぱり日本人的なデリカシーは理解できないから、彼女に、"わかる〜。そういうのわたしもやだ〜"などと共感してもらえるだけで胸に溜まった澱がすっと浄化されるようで安堵する。
それにしても今日は待ち合わせ場所に着くまでの500mくらいの間に4人の男の人にカフェを飲もうと声をかけられた。大抵の日はリュカと一緒だからそういうことはない。いつもの町が今日は違うジャングルのように見えた。リュカいわく日本人というだけですでに目立っているという。これがふたりとなったらなおさらか。カフェでも嬉々としてフランス人の男性二人組が隣に座って(席はがらがらなのになぜか隣)、わたし達を観察していた。彼らが席を立って帰った途端友人が言う。
「めちゃくちゃ見てたね。嫌な予感したけど、話しかけられなかった。たぶん物珍しさに見てみたいだけの人達だったんだね」
彼女も街中に引っ越してからちょっとの信号待ちでも話しかけられたりするそうだ。
ランチはとても美味しかった。さすが、ヴェーガン料理、デザートにチョコレート・チーズケーキ(これも本当に美味しい)までがっつり食べてもおなかが軽い。ヴェーガンのお菓子は過去に凝っていたこともあるが、材料を揃えるのが大変で、コストが高くつく。挙句に出来上がったものが微妙な味で、こんなならデザートなど食べないほうがいいという結果になることもあってしばらく遠のいていた。再び感化されて、書店でわんさかと出版されているヴェーガン・デザートの本を物色した。和菓子は何も言わずともヴェーガンだが、フランス菓子がヴェーガンを目指すとなるとこれは大きな山だろう。果物や木の実を上手に使った美しい見た目のレシピが沢山あった。しかし、豆腐クリームとか言われても、こちらに来てから一度も豆腐にありついていないのだから難しい。
週末は早起きして、まだ人も疎らな朝のニースのビーチで初泳ぎ。泳ぐには少し寒いような気もしたけど、水の中へ行ったらちょうどよくて、青い空と海、潮風に癒された。旧市街でランチを摂ってわたしのお気に入りのアーティストのお店でリュカが陶器を買ってくれた。結構な大金を遣わせてしまったと恐縮していると、
「いつも美味しいものを作ってくれることとか、親も友達もいないこの土地に引っ越してきてくれたこととか、あれこれ感謝してるよ。だから君の好きな陶器を買って喜んでくれるなら僕もすごく嬉しい」
などと突然泣かせるようなことを言う。幸せいっぱいな一日だった。
それなのに、昨日とはうってかわって今日はどっと落ち込んでいる。わたし達が結婚してから明らかに様子がおかしいリュカがつい最近まで"友達"と呼んでいた女の人のことだ。そしてリュカに問い詰めてやっと聞き出した事実に打ちのめされる。簡単に言えば彼女はリュカにわたしとの結婚はやめたほうがいいと助言したのに結婚してしまったので機嫌を損ねたという話。自称スピリチュアルな世界の人で"見える"とかいう理由だ。自分は得体の知れない男に振り回されてぼろぼろに傷ついたりとかしているのだから、他人の結婚のことなんて見てないで自分のことをもっと見ればいいのに、と言いたくなるが。彼女はわたしの人生にとって何も重要ではない。でもリュカは長年"友達"としてあちこち出かけて一緒の時間を過ごしてきた。わたしが現れてからは"あなたは変わった"と彼を詰り、挙句は
「あなたの結婚式とかそういうのには一切招待しないでね」
というとどめの言葉を聞いて本当にがっかりしたらしい。リュカが気の毒だった。それにたったひとりでも自分達の結婚を悪く思っている人がいると知って薄気味悪くなった。
「これは僕達の問題ではない。彼女自身の問題だから、僕達にできることは何もないんだよ」
彼は結論に達している。わたしだって判ってる。でもなんだか心が沈んでしまって、空を見上げながら日本の家族が恋しくて恋しくてたまらなくなった。この日記を書いたら終わり。このことは忘れてわたし達の生活を愉しむことだけにフォーカスしよう。
2018年07月04日(水) |
差別と偏見と平等について |
世の中は差別と偏見に満ちている。別にネガティブな意味で言うわけではなくて、ただそれが事実だと思う。自分が社会で認められない理由を人種差別に結び付けて逃げてるようなダメダメ有色人種も、強い正義感を振りかざして人種差別や性差別は悪いことだと演説するコーカソイドもどちらもうんざりである。肌の色や宗教や性別に関わらず、差別する人はするし、される人はされるのだと思う。
先日図書館で勉強していたら、50代くらいの男性がやってきてパソコンの前に座った。しばらくするとYoutubeを音を出して眺めはじめた。消音操作がよくわからないのだろうとしばらく待っていたが、そうではなかった。彼の中では図書館で音をだすことはマナー違反ではないらしかった。
「すみませんけど、静かにしてもらえますか」
そう喉元まで出かかった。日本で起きたことなら言っていただろう。でもわたしはその声を呑み込んだ。フランス人がフランスの図書館で、発音の怪しい、しかも彼からすれば"小娘"みたない見た目の余所者に注意されたらどう感じるだろうか。わたしだってお金を払ってレジスターしたし、ちゃんとした居住資格を有している。でもだからって物事は対等だと考えないほうがいいだろうと思った。ここに何十年も住んでいるイギリス人の知人は、地元の人にちゃんと犬の糞を拾うようにと注意したところ、
「なんだよ、外国人は国に帰れ!」
と怒鳴られたと話していた。この話を聞いて、考えた。この場合彼女が完全に正しいと思う。でも言われる側は正しいか否かの前に感情というものがあって、それは理論だけで形成されるものではない。悔しい気もしたが、わたしはその日は我慢して、後でそっとクリスティーヌに密告した(彼女は憤慨していた)。
就職の面接で男の面接官にこんな質問をされたこともある。
「今は未婚とのことですけど、ご結婚の予定とかありますか?」
質問の意図が解らず面食らって固まっていると彼はこう付け加えた。
「いやぁ、女性は数年働いて慣れた頃結婚や出産ですぐに辞めてしまう人が多くて・・・」
正直なまでかもしれないが、わたしはすごく腹が立った。
「そんなこというなら入社条件に結婚や出産で退職しないなら女性も採用するって書いといたら?」
そう言いたくなった。
日本人はフランス人のことをどう思っているのか、と聞かれることがある。わからない。でもひとつわたしが思うのはフランス人も日本人と同じ"ただの人間"であるということ。抓って痛いと思うところは同じなのだ。
日本の男性は家事をやらないらしいわね、育児も手伝わないらしいわね、と言われたこともある。
「そうね、わたしより上の世代は多いかも。でも、日本の女性も仕事をやめて家のことだけやっていたい人が多いんで、それでけっこううまくまわっているんです」
と答えて、このフェミニズムの国の人々を困惑させたりすることもある。
人はみんな違うから差別がある。みんな違うのに、本当に全てが平等な社会が実現したとしたら、それはそれで不都合が生じるはずだ。みんなスタートラインが違うというのに平等であることに執着するのは意味がない(現代の先進国においては)。その時々賢い判断を下せるか否かで自分の社会での立ち位置が決まってくるのだと思う。