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2016年07月31日(日) |
奇妙な雰囲気Genova Sestri Ponente Aeroporto |
世界遺産に登録されているチンクエ・テッレ(Cinque Terre)まで足を延ばすことなくその手前のセストリ・レバンテ(Sestri Levante)というイタリア人にもあまり知られていない場所がこの旅の最終目的地となった。騒がしい都市は好きではないし、有名でも人気があってもどこか心の馴染めない場所というのは多々ある。わたしのイタリア初体験はセストリ・レバンテ(Sestri Levante)で良かったのではないかと思う。ここは北部だからなのか、みんな声のトーンも控え目で″陽気なイタリア人″なんて雰囲気の人には全くお目にかからなかった。むしろとても寡黙で真面目な感じの人ばかりだ。
夕方セストリ・レバンテ(Sestri Levante)を後にして空港近くのホテルへ向かう。すごく混乱したのだが、ジェノヴァ(Genova)の国際空港はセストリ・ポネンテ(Sestri Ponente)という場所にあって、同じ″セストリ″でもこれはセストリ・レバンテ(Sestri Levante)とは全く別の場所だ。空港の名前もすごくややこしい。イタリア語で″Aeroporto di Genova-Sestri″というのになぜか英語で″Genoa Cristoforo Colombo Airport″となるらしい。ググると両方でてきて、二つが同一の物とつき止めるのに時間がかかった。そして更に、″空港ホテル″と名乗るところに滞在しても実際空港までさほど近くない。地図上では歩いて10分くらいだろうという距離なのに、港に面した空港の敷地とホテルのあるエリアはHWYで分断されているので遠回りすることになる。
セストリ・レバンテ(Sestri Levante)駅から空港のあるセストリ・ポネンテ・アエロポルト(Sestri Ponente Aeroporto)駅までは電車一本で行ける。所要時間1時間半、料金は€5.6。
セストリ・ポネンテ・アエロポルト(Sestri Ponente Aeroporto)駅に到着したのは夕方の7時頃。空港というのは通常街の中心にはないもので、外れたところにあるが、この駅の周辺はものすごく車の往来が激しい。歩行者用の通路はラゲッジが一個通れるかどうかくらいの幅しかなくて、歩行者はほぼいない。というか、歩行者用の通路などではないのかもしれない。とにかく、ホテルまでは徒歩5分なのに、通路が険しく15分くらいかかった。
荷物を降ろして夕飯を食べようと駅のほうに戻った。が、レストランなど見当たらない。人影もまばらで、唯一お店が並ぶ小さな通りにもレストランらしきものが見当たらない。車は通るが人のいない町というような不気味な印象だ。やっと見つけた明るいカフェに入ると、もう閉店だという。夕飯を食べられるところを知らないかと聞いたら教えてくれた。が、言われた通りの場所へ行ってもレストランが見当たらない。通りかかった人に聞くと、この路地へ入れという。薄暗い小さな路地で心細くなる。と、レストランの入口があった。メニューを掲げてあり、価格も明記されているが、人がいる気配がない。わたしが食べるのを店員全員で見守っているような店だったらどうしようか、いや、奥でマフィアがなにか相談しているような店だったら、とあれこれ頭を過った。しかし、選択肢もなく、意を決して扉を開けて中に入った。ウェイターがでてきて手招きする。奥へ連れていかれ面食らった。そこは大きなホールが広がっていて、大勢の客がピッツァを食べている。町の人通りからは想像もつかない。この車の往来から行くとこの裏にみんな車を路駐して入ってくるのかもしれなかった。ひとまず安堵したら急にすごくおなかが空いてきた。
黒米と魚介と焼葱のリゾット。新しい味。美味しかった。
″イタリアに行ったら絶対ティラミスを″と忠告してくれた友人に感謝。マスカルポーネのミルク味が″ホンモノ″でとても美味しかった。
イタリアに入ってから″美味しい″と何度言っただろうか。美食の国なんだなぁ。コーヒーも美味いし、もうしばらくここにいたい、と思いながらレストランを後にした。
ホテルへ戻る道すがら、明朝の空港へのアクセスのことを考えた。空港まで歩いて行き、そこからホテルまで歩く時間を測ってみた。20分強。ラゲッジを持つとなると30分はかかるし、道が暗く人通りがなく恐い。しかし、タクシーとなると、今度はイタリア人の運転が恐い。どちらの恐さを取るか、迷いながらシャワーを浴び、決断せずに眠ってしまった。
2016年07月30日(土) |
バルでぐい呑み、ビーチで蹴伸びSestri Levante |
宿の代金に朝食代が含まれているというので一応下のカフェに降りてみた。レセプションにいた年のいったロザンナ・アークエットのような顔をした女性がサーブしてくれた。物静かな雰囲気の人で、甥が日本人と結婚した、日本人の細やかで真面目な精神がとても好きだと言ってくれた。
軽くパン一個だけ頂き、外に出た。
角のバルは人が絶えない。イタリア人は男も女もカウンターでぐいっとエスプレッソを飲るらしい。硬派な雰囲気でクールだ。我も!と人を掻き分け入っていった。
この紳士とバックグラウンドはちゃんとコーディネートされたように絵になるのだった。みんな一列に並んで自分のコーヒーを待ちはしない。しかし、この紳士はちらりと客を見てちゃんと順番を把握しているのだった。″客を覚える″というのはイタリア人の特技ではないだろうか。一見無秩序のようでいて、実はすごく客をよく見て把握している。レストランでも大小に限らず、伝票はテーブルに置かれず、レジまで歩いていくと、顔を見て伝票を選び出し、金額を提示されたりした。効率がいいのか、悪いのか、テーブルに伝票を置くと勝手に書き換えられたりする恐れがあるからなのか、理由はよく解らないが、顔と座っていたテーブルを頭で記憶していることには変わりない。
使い古されてすっかり人の手に馴染んだようなVilleroy&Bochの磁器にこんな少しのエスプレッソがでてきた。カップの中からむくむくと良い香りが立ち昇る。くいっと呑み干すと、体がすっかり目を覚ますようだ。
朝の港を一望できる丘に登る。
色とりどりのお菓子箱のような景色だ。
ランチは胡桃のクリームソースのラビオリを食べた。フィリングはチーズと小麦粉だった。オレガノがかかったフォカッチャは正にオーブンからでたばかりの焼きたてだった。
午後はひたすら海水浴。
この鳥は写真ではわからないが、実はけっこう大きい(鳩の2倍くらい)。パンを分けてあげたら離れなくなった。泳いでいる頭上をパタパタ飛んだりして愛らしかった。
2016年07月29日(金) |
ボーノ!ボーノ! Sestri Levante |
予約しいたイタリアの鉄道会社がつい昨日までストに入っていたが、今日になって動き出した。よかったぁ、面倒なことにならなくて。朝8時、Thelloにてニース(Nice)を出発。予約時に一等車両がタイム・セールで二等より安くなっていたのでそちらを取ったのだが、大した違いを感じない。ニース(Nice)からセストリ・レバンテ(Sestri Levante)まではネットでの事前予約で€26程。車内は空席ばかりで快適だった。友人が買って持たせてくれたエクレアとコーヒーを広げた。チョコレート・クリームが挟まっていて、更にトップがチョコレートでコーティングされている。濃厚で美味しい。フランスはこういうのがいいんだよな〜、などと満足気に呟いている間にも電車はモナコ(Monaco)を通過し、トンネルをくぐると″Welcome to Italy"というような看板が車窓から見えた。つい先程まで″Tabac"だった煙草のスタンドの表記は″Tabacchi"となっている。やっぱり母音で終わるんだなぁ、イタリアは、などと妙な感動をした。電車はひたすらリグリア(Liguria)の海沿いを走る。サンレモ(Sanremo)を超え、インペリア(Imperia)を超える。イタリア在住のジャーナリスト内田洋子さんが書いていた通り、国境を境にフランス側とイタリア側では様子が一変する。セレブの避暑地のような華やかさのあるフランス側に対して、イタリア側は庶民的な雰囲気で、粗削りな岩がゴツゴツとしていた海岸は序々に優しい砂浜に変わっていく。
3時間ほどでジェノヴァ(Genova)に入る。Genova piazza principeという駅での乗り換えに5分しかないのを心配していたのだが、ここに到着する時点ですでに遅れていたので諦めた。ダメ元でThelloの中で切符をチェックしにきた係員に聞いてみた。乗り換えの電車のチケット(時刻と電車のナンバーが書かれていてバーコードが付いているもの)を購入したのに、既に遅れてしまったのだけど窓口でもう一度購入しなければならないのか、と。驚いたことに、この切符でそのまま行けばいいと言う。本当かなぁ。後で罰金課せられたりしないかな。
Genova piazza pricipeの駅は大きくて、電車が定刻に到着していたとしても5分では乗り換えできそうになかった。モニターで全ての電車のステイタスが確認できる。全部″Delay"だってさっ。そもそもわたしにはイタリアの電車に″定刻″というものがあって、それに対する″遅延″などという概念があることが感動的だった。イタリアという国を疑い過ぎていたのかもしれない。小便臭いプラットホームで待つこと15分。セストリ・レバンテ(Sestri Levante)行の電車がやってきた。また電車は黙々と海沿いを走る。電車には各車両にトイレがあって快適だ。切符をチェックする係員がやってきた。少しドキドキとしながら、明らかに違う時刻と違う電車のナンバーが書かれた切符を差し出す。係員はなぜか機械でバーコードを読み取らず、紙に何かメモして″Grazie!"とにこりと笑って去っていった。不思議だなぁ。電車が全部遅延するようなところだから、その都度チケットを買い直させていたら客から苦情殺到するから、とかそんな理由なのだろうか。
1時間半かけて電車はようやくセストリ・レバンテ(Sestri Levante)に到着した。観光客が押し寄せるような人気もないが、閑古鳥が鳴いているわけではない。静かで程よい賑わいがあった。駅を降りると、通りの向こうに海が見える。
宿に荷をおろしたら、まずはランチを食べようと外に出た。村上春樹がイタリアでの暮らしを綴ったエッセイにこんなことを書いていた。
「近郊の国に旅行に出て、イタリアに戻ってきて行きつけの町のなんの変哲もない安い食堂でパスタを食べるとホッとする。やっぱりパスタはイタリアで食べるに限る。それくらい美味しいのだ」
これを読んでイタリアに着いたらまずパスタと決めていた。
目に入ったお店に入ってパスタがあるかと聞いてみた。
「出してもいいけど、レンジで温めたやつしか出せないよ。うちはバーでレストランじゃないから。美味しいのが食べたければ、ここに行きなさい」
と教えてくれたお店に入った。ランチタイムをとっくに過ぎているのに、満席だ。イタリア語ばかり聞こえてくるが、英語のメニューがあって、英語を話せる可愛くて優しいおねえさんがいる。厨房では″マンマ″以外の呼び方が思いつかないくらいてっぷりとした女性がひとりで黙々と料理をしている。
すごく迷った挙句、″イカと海老のホームメイドの黒いラビオリ″を頼んだ。黙っていても水道の水(イタリアでは有料の水が一般的なので珍しい)をカラフに入れ、フォカッチャをバスケットにごっそり入れて、オリーブオイルをボトルごと持ってきてくれる気前の良い店だ。フランスでもそうだけど、なんにでも″当たり前″といった顔つきでパンを付けてくれるのはなんだか嬉しい。
パスタがやってきた。美味しそう!ひとくち。ラビオリの中にぷりんと形を残した海老とすり身にして小麦粉を混ぜたフィリングとが入っていた。この黒の生地はイカスミだろう。ガーリックオイルでさっと生トマトとイカに火を通したものとオリーブが乗っている。すごく美味しい。量もちょうど良い。イタリア料理の本にはよくひとりぶんのパスタは80gと書かれているが、これは本場でたいていこうだからなのだろう。イタリア料理のフルコースでプリモ・ピアットに入るパスタ。ここでたらふく食べて満腹になってしまったらそれに続くセコンド・ピアット、チーズ、デザートと美味しく食べられないものね。平均日本人だったらアンティパストとプリモ・ピアットくらいでちょうどよくおなかが満たされるだろう。ヨーロッパの他の国で何度かパスタを食べたことがあるが、美味しくないし、嫌になるほどの量を持ってこられたりした。パスタはイタリアで食べるに限る。村上春樹は正しかった。
食後のエスプレッソもこれまた美味しい。会計は€14なり。大満足で店を出た。
到着するなり美味しい食事にありつけて、大満足で町に繰り出した。ビーチへ続く通りの店は寝静まっていて、海水浴へ出かける人達だけが歩いている。後で知ったがシエスタの時間があるらしく、午後1時くらいに店は一旦閉まり、また4時くらいに開き、夜遅くまで営業する。北イタリアといえども南国なのだね。
開いているパン屋を覗いてみた。ピッツァやフォカッチャが売られている。
波のない地中海。泳いでいたら中学生にナンパされた。仲間が背後で冷やかしている。
「シニョーラ、I can speak English」
水中では年齢不詳だったのだろうな、気の毒で水から上がりにくくなった。夏の海は間違いだらけだね。
可愛いケーキ。見ただけ。
イタリアのジェラートが美味しいという情報は塩野七生のエッセイより。著者の知人のジェラート気狂いのイタリア人男性が言う。
「日本のは、あれはアイス・クリームじゃないですね。シャーベットだ。だいたいスマートにはなりたし、かといってアイス・クリームは食べたし、という女たちを相手にしているもんだから、あぁいう味もそっけもないしろものが出来上がるんです。アイス・クリームに限らず、女の考えで作った料理は、外見がいいだけで終わってしまう。本当に食べることに情熱を感じるのは男だけじゃないかなぁ」
"100% Naturale"と書かれたジェラート屋さんでピスタチオと桃のジェラートを買った。どちらもホンモノの味。本当にもう日本でアイス・クリーム食べられなくなってしまうかも。決してしつこく濃厚なわけではない。なんというのだろう、ミルク味もフレイバーもホンモノの味としか言いようがない。
夕飯はランチと同じ店に戻った。ランチを食べている時に目撃した誕生日ケーキのような分厚いピッツァを食べてみたかったのだ。ローマ風でもナポリ風でもない″この店風″なのだそうだ。グリルした米ナスとモッツァレラ・チーズとリグリア地方名産のペスト(バジル・ペイスト)が乗ったもの。ピッツァというよりパンといった感じだね。あっさりしているので一枚ぺろりと平らげた。そして写真がないのだが、この後デザートに食べた自家製桃のセミフレッドがまたまた最高に美味しかった。桃の果肉がぎっしりと入っていた。
食後に土産物を覗いて歩き、その通りの突き当りのビーチまで来た。昼間の賑わいが嘘のように静まりかえっていた。
2016年07月28日(木) |
賑やかな夏のNice |
3ヶ月ほど前、SNCFでエズ(Èze)からモナコを超え、国境を越えイタリアに入るためのチケットの予約をしようとした。ところが、当日の電車は全て予約が入っていると表示がでる。怪しい。3ヶ月前に全て席が埋まるような電車をフランスで見たことはない。その前後の日も全て埋まっているとの表示。やっぱりおかしい。カスタマーサポートにメールした。システムエラーではないのか、それとも何か特別な理由があるのか、と。すぐに返事がくる。
"All trains are full"
の一点張り。だから!7月、いや8月も全部埋まってるなんておかしいじゃないか!それじゃぁ、今から旅行を考えている人は行けないってこと?あり得ないね。言い返した。またすぐに同じ返事が来る。絶対にシステムエラーと認めない。他の担当者に変わればと思ったが彼女がわたしの担当と決まっているらしい。エズからはSNCF以外はないので、仕方なくニースに一泊し、イタリアの鉄道会社、Thelloで国境を越えイタリアに入り、TrenItaliaに乗り換えてセストリ・レヴァンテ(Sestri Levante)まで行くことにした。ホテルも予約し直す。
ところが、1週間後SNCFのウェブサイトで再度チェックしてみるとチケットが出てくる。全部空き。ひとこといい加減なカスタマーサポートに苦情のメールをした。すぐに返事がくる。謝罪はしているが、依然トンチンカンだった。
ともあれ、もう全て変更手配済み。こうなった以上ニースの観光を楽しむことにした。ニース近郊に住む友人と落ち合い、街を歩いた。
大きな広場。マカオのセナド広場を思い出した。スペイン・ポルトガルな雰囲気だ。南の都市なんだな、ここは。
子供の活気で溢れている。水が噴き出すと子供がはしゃぎ、見ているだけで愉快な気持ちになる。
広場から旧市街を通り抜けるとビーチに出る。
高台にある公園へ登っていく。
うわぁ、なかなか大きな街だ。
夕飯は旧市街に戻りポルトガル料理を食べた。海老とイカのすり身のフリッター。
イワシのグリル。味はただのめざしだね。
これ名物、バリャカウ(Bacalhau)。鱈の干物を戻して野菜と一緒に蒸した料理。全体的にあっさりしていて食べやすかった。
沢山歩いて、おなかを満たしたところで、海沿いを歩く。夜10時。やっと陽が沈む。先日のトラック暴走の事件の現場には沢山の花が手向けられていた。
海沿いのバーでレモン・チェロを飲み、ちょっとよたった足でホテルに戻った。窓を開け放ってベッドに横たわると街の喧騒が聞こえてくる。酔っ払いか気がおかしいのか、目の前の通りで喚き続ける女の声を聞きながら眠りに落ちた。
2016年07月27日(水) |
ひたすら進めNietzsche path |
世界には、きみ以外には
誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、
と問うてはならない。
ひたすら進め − ニーチェの言葉
エズ(Èze)村の穏やかな朝。大方の観光客はニース(Nice)から日帰りでやってくるらしく、夜から朝にかけては静かなものだ。宿の前のスーパーマーケットにどこかのパン屋が焼きたてのパンを配達にやってきたのを見かけて急いで買いに走る。クロワッサンを買い、海を眺めながら朝食にした。
海へ降りるにはニーチェの小径という山の中のゴツゴツとした道を行く。体の弱かったニーチェが気候の良い土地を求めてやってきて、この径を歩きながら「ツァラトゥストラはかく語りき」の構想を練ったのが名前の由来だそうだ。普通に歩いて所要時間1時間弱といったところだろうか。降りはじめはこのような比較的歩きやすい道となっているが、そのうちただのデコボコ山道となる。何よりひと気がない。山の中にひとりぼっち。ひとりで携帯電話の電波の届かないような山に出かけ、具合が悪くなり、そこで死んでしまった知人がいるだけに、ちょっと不安になりながら歩き続けた。最初の30分くらいはひたすら山の中を、そして突然目の前に美しい海が広がる。
海が見えたらあと20分くらい歩けばビーチへ辿り着く。
この辺りの海底は砂ではなく石なので、水が濁らずクリアに保てるのだろう。1時間も歩いてきて、火照った体にこの冷たい水の気持ち良いことよ。探し求めた風景、探し求めた海に辿り着いたような気分だった。こんな景色の中、真っ青な空を見上げながら水に浮いていると、日常のこまごましたことが全部ただの小さなことに思えてくるね。わたしの人生に必要なものは美しい海とおいしい食べ物。友達はできたら嬉しい。家族はどこかで元気でやっていてくれたら嬉しい。他に何が必要だろうか。そんなことを思った。
さて、降りたからにはまた昇って帰らなければならない。陽はすっかり高くなってじりじりとしてきた。水はちゃんと携帯しているが、30分くらい昇ったところで気持ちが悪くなってきた。行きと帰りですれ違った人たったの2名。貧血で倒れたところで助けは来ないだろう。20mごとに座って休憩をしてなんとかエズ村の宿まで帰った。
シャワーを浴び、少し休憩してカフェに入った。大好きなレモン・メレンゲパイをたのんだのだが、ここのは人工的なきついレモン味でおいしくなかった。1時間も急な坂道を昇り続けたせいで足はがくがく、頭の中は真っ白だった。ニーチェはこのような状態で突然何か閃いたのではないだろうか。人生に悲しいことがあって心の底にどんよりと何かが沈殿しているような人がいたら、ここに来ることをおすすめしたい。邪気なんて全部蒸発してしまうから。
2016年07月26日(火) |
まさに鷲の巣村Èze |
カシ(Cassis)からニース(Nice)へ移動。
朝、カシのホテルをチェックアウトして徒歩5分のバス停まで歩く。バス停のたった50m手前で背後から呼び止められる。
″Excuse me"
振り返ると30代くらいだろうグリーンの目をしたイケメンが黒いバンに乗っている。バス停まで乗せてあげるとオファーされる。しかしバス停はもうすぐそこに見えている。彼の車に荷物を積むほうが時間がかかるし、だいたい知らない男の車に乗るなんて、ナイね。丁重にお断りした。が、しつこく食い下がってくる。なんだか怪しいな。こういうのにうっかり乗ってしまってレイプされてその辺に捨てられたりするような事件になるのだろうな。大荷物で大変な時などは判断力も鈍りやすい。ただの親切な人という可能性もあるけど、真の意味で気が利く人であれば、そんな風に相手の気持ちを脅かすようなことはオファーしないものだろう。
カシのバス停から電車の駅までは€1.1で15分くらいで着く。道中はヴァインヤードがあったりしてちょっとした田舎風景が美しい。電車の時間までけっこうあったのでコーヒーでもと思ったが、駅前に一件だけぽつりとあるカフェは開いていない。フランスの小さな駅にはトイレがない。その代わり、長距離移動する電車にはトイレがある。
カシからトゥーロン(Toulon)まで30分ほど、乗り換えてニース・ヴィル(Nice Ville)というニースの中心駅まで約1時間半かかる。料金はネットでの事前購入で€22ほど。
電車の中で明らかにおかしな老人が自分の横に座れと手招きしている。断って別の席に腰をおろした。しばらくすると老人がトイレに入った。その後に20代くらいのイギリス人の女の子がやってきてトイレが空くのを待っている。トイレが空くと老人が女の子に恩着せがましく詰め寄る。トイレットペーパーがないけど、俺がなんとかしてあげるから、と。女の子がなくても構わないと言うのに、無理矢理他の車両のトイレから調達してきて渡す。受け取って用を足した女の子が出てくると老人が悪びれる様子もなく手の平を出す。
″2 euro! I gave you toilet paper"
わたしだったら、どう返すだろう。
″No, go away"
だろう。しかし、欧米というのは面白いところで、こういう人を相手に人々は小銭を渡すことを当然としているような慈悲深さがある。理屈ではない。面倒だからとか相手が恐いからでもない。道で突然小銭をせがまれれば、ポケットを探りおとなしく渡す友人がけっこういる。理由を聞いても明確な答えを持っている人はいない。わたしは勝手に″キリスト教″の教えに結びつくもので、空気を伝って自然と人々の体に染み込んだ風潮なのではないかと解釈している。
彼女も典型だった。ポケットを探り何もないと一度は断ったが、手を引っ込めない老人に仕方なく自分の席まで戻り小銭を持ってきた。
ニース・ヴィルの駅は出口がひとつなので、そこを出てまっすぐ左手に100mくらい歩くとトラムの停車場がある。トラムに乗って15分ほど、ニース・ヴァーバン(Nice Vauban)まで行く。€1.5なり。ニース・ヴァーバンはバスの停留所駅で各方面へのバスが出ているので目的の停留所を探すのに少し時間を見ておいたほうがいいだろう。わたしの乗るエズ(Èze)行き82番のバス停はトラムの停留所からは見えないちょっと外れたところにあった。1時間に1本ほどしか来ないバスに乗り込み出発。チケットはトラムのものが時間内ならそのまま使うことができる。バスはすぐにニースを一望できる丘を登り詰め、そのうち地中海を右手に見下ろす高台を走り続ける。荷物の多い観光客からは感嘆の声が上がる。30分かからずエズ(Èze)村の入口に到着。バス停のすぐそこの小さな宿に荷をおろした。
こんな切り立った崖の上にあるエズ村。海側から責めてくる敵から身を守るためこんな高台に逃げ込み、目を惑わすため迷路のように作られたそうだ。地震がないからできるんだろうな。日本では考えられないこの見た目。
エズ村の中を歩く。小さな土産もの屋やアートギャラリー、カフェがひしめく。見たところ民家はなさそうだ。
村の頂上は熱帯植物園となっている。ここからの景色がいちばんの絶景だというのでみんな€6支払って入場するらしい。わたしも入ってみた。
ここすごくいい!地中海と熱帯植物と妖精なのか女神なのか植物の間に立つオブジェが溶けあった景色が神秘的で美しい。″自然″と″造られたもの″の調和がこのような魅力的な景観をつくりあげているのだろう。
植物園を住処にしてる野良猫ちゃん。耳が少し切れている。人慣れしていてみんなに撫で撫でされていた。
エズ村の入口でなぜかわたしに一目ぼれして着いてきた野良猫ちゃん。他の人が触ろうとすると逃げるのに、なぜかわたしにだけ心を開いてまとわりついてくる。植物園の耳の切れた子の家族なのだろうな。こちらは痩せこけていて、あちこちにハゲがある。
″一緒に連れてってー!ミャオー!!!″
とずっと着いてきてしまった。泣く泣く振り切ってホテルに帰った。
エズ村の植物園の入口付近のカフェでマッシュルーム・オムレツを食べた。€12くらい。美味しいけれど、フランスのカフェではこんな自宅でも簡単に出来るような料理が多い。気取ったフランス料理にも興味はないけど、ラフでいて、もう少しひねりがあって、自分では出せない味を期待してしまうね。
2016年07月25日(月) |
山火事ならぬまさかの土砂降りCalanques |
そもそもカシ(Cassis)に来たかったのはカランク(Calanques)を歩きたかったからだ。車では入れない岩や砂利のごつごつした道にハイキング・コースがある。その先には楽園のようなビーチがひっそりと広がっているらしい。7月は山火事(自然発火の)で閉鎖することもあると読んで懸念していたのだが、予報は雨。地中海の雨なんてただのスコールだろうとかまわず出発した。
ハイキング・コースの入口までカシの町から歩いて30分くらいかかる。てくてくと歩く。
途中のビーチ。
ハイキング・コースの入口のハーバー。
初歩の道。わたしはワンピースでスニーカーを履いてきたが、本格登山ファッションの人から都心のオフィスからそのままやってきたみたいにハイヒールを履いている人までみんな恰好はさまざまだ。それでもこの辺りまではなんとか平気だが、この後もっと険しくなってくる。
ハイキング・コースに入って1時間近く歩いて海に出る。曇っているものの、海底がちゃんと見える。この辺りの海は底が砂ではなく石なので濁りにくく水の透明度が高いのだろう。
楽園ビーチにでる最後の坂。これはけっこうキツい。ハイヒール組は降りられないだろう。
楽園にでた。
せっせと2時間近く歩いてきて汗もかいている。水に飛び込む。これ最高に気持ちいい。みんな喜々として泳いでいる。が、楽しかったのも束の間、ここに着いて30分もすると雨が降りだした。すぐに止むだろうとみんな泳ぎ続けていたが、だんだん雨脚が強まってきた。帰り道の崖崩れなども危なそうなので、仕方なく町に引き返すことにした。こうして念願のカランク、楽園ビーチでの時間はたったの30分で幕を閉じたのだった。
そして、ここからが大変だった。雨脚は強まり続けて、髪から水が滴っていた。どのみち泳いで髪が濡れていたので、どうでもいいが、2時間雨に濡れながらハイキング・コースの坂を昇ったり降りたりするのは辛かった。体が冷え切って中に雨水の溜まったスニーカーが気持ち悪くて泣きたくなった頃、やっとホテルに辿り着いた。熱いシャワーを浴びて、少しベッドに横になったら元気が回復した。たった1枚持参した長袖のパーカーは濡れてしまった。雨脚は弱まったものの外は薄寒い。仕方なくホテルのバスタオルをショールのごとく羽織って外へ出て、温かい物を食べようとすぐそこの港のカフェに入った。カフェでゆっくり本を読みながらムール貝のクリーム煮を食べているとやがて激しい集中豪雨となってカフェ・テラスのパラソルが飛んだ。この地中海の集中豪雨というものはミストラルと同じくらいの激しい勢力のあるものだった。
ムール貝をクリームとワインで煮たもの。フランスの港町ではよく見かける料理。美味しいけどイタリア風にトマトとハーブで煮たやつのほうが好きだな。
エスプレッソとティラミスは最高のコンビネーションだ。
2016年07月24日(日) |
小さな港町Cassis |
宿泊した宿はマルセイユの中心駅St.Cherlesのすぐそば、メトロ駅Noaillesとの間。NoaillesからM2で二駅行くとCastellaneという駅に着く。ここからあらゆる方面へ向かうバスが出ている。沢山でているのでちょっと迷う。とにかく″M8″と書かれたバス停に立つ。わたしの時刻表の読み方が正しければバスが来るのは1時間後。そのうち半水着姿の人が増えてきたので、尋ねてみるとみんなカシに行くというので安心する。20分程前にバスが到着。空港シャトルバスのような乗り心地の良いバスなのにも関わらず、料金はたったの€1.20。普通の市バスの価格なのだ。これで35分かけて一山超えてカシまで行ってくれるのだからすごい。
″元フランス植民地″出身のような顔つきのドライバーはちょっと太めで陽気で大雑把な人に見えたが、運転はとても慎重で繊細だった。典型的フランス人の運転で山道など走られたらと想像して自分の命を心配していたのだった。それにしてもこの道中は絶景だ。武骨に粗く切り立った岩山をぐんぐん昇り、昇り切ったことろで地中海が眼前に広がる。バスの後ろのほうにいる女性があまりにもの絶景に激しい呻き声をあげ続けていた。背後にいたフランス人の男の子がぼそりと呟いた。
「彼女はオーガズムに達したらしい」
ぷっ、と吹き出してしまった。確かにそんな声だった。
カシの近くまで来ると一方通行や車の通れない細い道ばかりになる。町の入口が終点となる。
カシに到着。ひとまずジェラートを食べて町と港をざっと歩く。聞こえてくるのはフランス語ばかり。落ち着いた町で、そう若者に人気のリゾートではないのか、年配層と家族連れが目立つ。大きなラゲッジなど持っているような旅行者も見かけないので、近辺からふらりと車でやってくるような人ばかりなのだろう。
シエスタの時間。
白桃を買って散歩。丘のてっぺんに上がる小路を発見した。桃を頬張りながらこの景色を独り占め。最高に贅沢な気持ちに浸った。
夕飯はピッツァを。この辺りではピッツァといったら薄焼きクラッカーのような生地にたっぷりチーズが乗っているのが主流のようだ。つまみのようにチーズを味わう感じで、食事っぽくないのだよな。もう少しパンっぽい生地が好きだな。
この景色!と何かずきんと胸に来て、横を見ると"Rue Paul Cézanne"と書かれていた。何か彼に由来しているのだろうか。
"Rue Paul Cézanne"に住む猫。
観光客が押し寄せる前の朝の静かなカシの海岸。コーヒーとクロワッサンを買い海を眺めながら食べる。
が、そのうちビールを片手に奇声をあげながらよれよれ歩く20代くらいの若い女の子が二人現れる。二人ともだらしなく太っている。相当酔っ払っているようだ。浜辺で突然服を脱ぎだした。ひとりは黄色いパンツ、ひとりは黒のレースのパンツ。あっけにとられているわたしを尻目に走って朝の冷たい水の中に入っていった。二人がちゃんと生きて家に帰れたのかは知る由もない。
エール・フランスにてパリへ、そのまま乗り継いでマルセイユへ。成田空港にて通路側の席を希望すると€30支払えば変更できると言われる。得体の知れないチャージに憤慨して諦めた。機内に入ると子供が″ママ〜窓際がいい〜″と騒いでいる。隣の席の夫婦と交渉してみる。
「わたしトイレが近いので、もし構わなければ席交換していただけませんか」
彼らはあっさり承諾してくれた。やっぱりなんの€30なんだか。
フライトの途中でアナウンスが入る。再三注意のアナウンスが入ったというのに、機内のトイレでタバコを吸った人がいるのだと。
21時近くマルセイユに到着。目つきのおかしい人が通りをうようよしている夜のマルセイユをラゲッジを抱えて歩くなんて良い気がしなかったが、今は夏。まだ陽が完全には沈んでいない。マルセイユの空港からはバスで市内まで行くのが通常はいちばん良さそうなのだが、昨年と同じホテルを予約していてそこがSt. Cherlesの駅から徒歩1分程の所なので電車を選んだ。空港から無料のバスで電車の駅(所要時間5分)までは連れて行ってもらえる。
夜10時。やっと宿に荷をおろした。窓からはケバブを売るカフェが見える。テラスで夕涼みしている人が沢山いるが、全員ムスリム系の顔つきの男。この街は観光客を除けば圧倒的に男が多いように見えるのだが。女はそもそも少ないのか、はたまたどこかに潜んでいるのか。ここはもうフランスという雰囲気ではないね。
ゆっくり休んで朝食を摂りに外に出る。開いたばかりの食材を量り売りするお店に入る。ハーブティーやらナッツ、スパイス色んな食材があっておもしろい。近所にこんな店があったらいいのに。欲しい食材が欲しいだけ買えるのがいい。他に客がいなかったので若い店長があれこれとおすすめなどしてくれた。両親がアルジェリアからの移民で彼自身は生まれも育ちもマルセイユなのだそうだ。表情が明るくて社交性に優れていて、やっぱり本当の移民と二世というのはどこか雰囲気が違うものだと思った。その地で暮らすための言葉に不自由したことがないというのが一番の要因だろうか。
バターの薫り漂う朝のパリとは違って、朝のマルセイユは焼きたてのターキッシュ・ブレッドのような薫りがあちこちから漂う。でも夜行性の性質なのか、あまり開いてるところがない。朝食はホテルの前の冴えないベーカリーで購入。ところが買ったパンがすごく美味しかった。揚げパンに茹でたジャガイモとツナ、オリーブ、茹で卵なんかが挟んであるのだが、気候の温暖なところで痩せたままただ大きく育ったのだろうと思われる水分の多いジャガイモはコンソメ・スープで茹でたのだろう、かすかに味がついている。とても気に入った。家に帰ったら自分で作ってみよう。
お昼頃、のろのろとバスでカシ(Cassis)に移動した。
カシに辿り着いた。小さな港は観光客がいっぱいですごく賑やか。聞こえてくるのはフランス語ばかりだが。
水の冷たい地中海で泳いで、冷えると燦々降りそそぐ陽で温まってまた水に帰る。港のカフェでおなかを満たし、丘を駆け上り夕陽を眺める。来てよかった、本当に幸せ。
夏休み。成田空港にいる。パリ経由でマルセイユまで行く。昨年マルセイユまで行った時、時間がなくて足を運べなかったカシ(Cassis)が旅のハイライト。あとは地中海を東へ東へ戻りジェノアから出る予定。″今日生きていられることが奇跡″と思いながら日々を過ごしていると、昨年の夏に既に予定していた旅へ出られることを心底ありがたく思う。
昨日40歳になった。″若造り″や″アンチエイジング″という言葉は年をとることを否定しているような空気を感じて自分の思いと違うのだが、体内から健康で若々しい″女の人″でい続けることなどにとても気を使っている今日この頃だ。
″おばちゃん″はいつからおばちゃんになったのかと思うことがある。楽しいキャラクターとして親しみをこめて呼ばれる″おばちゃん″ではなく、若い娘に煙たがられるほうの″おばちゃん″の話だ。若い頃の美しい姿は30年を経て跡形もなく消えてしまうものなのか。でも″おばちゃん″というのは見た目だけでは決まらないようにも思う。同僚に10歳年上の″女の人″がいる。彼女はおばちゃんではないし、この先もおばちゃんにはならないように思う。何が彼女をそう見せているのか、と考えた。まずは見た目。中肉よりややスリムで姿勢が良い。長い黒髪はくせ毛なので毎日コテで延ばしているそうだ。髪は女の人の印象を決める一番大きなキーだと気付いたのは30代になって白髪がでて艶が落ちてきたころだった。それから髪にはとても気を使っている(といってもゴテゴテをあらゆるお手入れをしているわけではないのだが、シャンプーに気を遣ったりとかそんなところだ)。そして彼女をおばさんでなく″おねえさん″と思わせるその気質は、自分よりあらゆる知識が豊富でありながらも決して上から目線で決めつけをしないことなのだろう。″こうしてみたら?″とか″このほうがいいかも″と言われれば、年上の彼女が自分より豊富な経験からアドバイスしてくれるのだという安心感と押しつけがましくない親近感がある。自分より若い人間と同目線で会話をするから結果若く見えるのだろう。しかし、″健康的に食べてて偉いね″とか″ゴミを出さないように気を遣ってるなんて偉いね″とか、目のつけどころはやっぱり大人なのだ。そう、おばちゃんじゃなくて″おとな″ね。
個人の醸し出す雰囲気というのは長い年月のうちに培われた思考や経験によって養われていくものだ。目つきの鋭い野良猫が今日良い人に拾われていったからって数週間で優しい目つきの″家猫″の顔に変わることはできないように、こうなりたいと決めたらすぐになれるものではない。頑張らなくたってもう自分次第でいつでも″おばちゃん″になれる歳。でも運よくお手本を見せてくれる人が近くにいたりするのだから、気をつけていくだけでもこの先違ってくるのだろう。
40才の誕生日、特になにごともなく普通に会社に行ったのだが、夕飯時に突然むくむくとおなかが空いてきて最近めっきり食べられなくなった揚げ物が食べたくなった。久々に揚げ物を好きなだけ食べた。空腹は正直だ。そういう時に食べたもので胸焼けしたり気持ち悪くなることはなく、喜々とした満足感だけが残る。
よく働きよく寝た3連休だった。クロエちゃんはわたしが起きている間はおなかが空けば呼びにくるのに、寝てる時は絶対に起こさない。朝遅くまで寝て起きてみたら、水を飲み干してあった。空腹を水で紛らわしていたのだろう。なんていじらしいんだろう。待たせたお詫びに新しい鰹節の袋を開けた(開けたては匂いが違うからかぶりつきが違う。古くなると人間の食料にまわる)。
一度間引きに失敗してほぼ全滅したビーツ。辛うじてなんとか生き残った3株を収穫した。生き残ったというだけで、成功というわけじゃない。根に栄養がいかず、葉ばかりが立派に育ってしまった。同時期に少し離れた農園の一角に同じ種を撒いたオヤジのもそうなった。
「ロシアでよく育つくらいなものだから、肥え過ぎた土とか暑過ぎる気候が合わないのかね」
と相談する。いつかこの農園で採れた立派なビーツを頂いたことがあるから、うまく条件が揃えば可能ではあるのだろうな。
ビーツはひよこ豆とミキサーにかけてフムスにした。色が鮮やかだけど、味は至って普通のフムスだ。しかし、暑くてよく汗をかいた日はしっかり冷やしたキュウリのガスパッチョとかフムスとか、ちょっと生にんにくが入ったりスパイスの効いた料理は最高だ。
(写真:暑さに伸びきった今日のにゃんこ。きゅうりやレタスを夕飯にあげた。少し体冷えたかな)
バジルがすくすくと育って、間引きして同僚達に苗をお裾分けした。家の庭やらアパートの窓辺のプラッターに移植された苗たちはすくすくと育っているらしい。我が子を嫁に出したような気持ちだよ。それぞれの家庭の食卓に乗って喜んでもらえたらいいな。
イタリア南部のうらぶられた村に住む貧しい家族の物語があった。太陽だけがぎらぎらとして土壌は痩せていて平地が少ない。海に面しているのに、食べるのに精一杯でそこまでの距離が果てしなく遠いように感じてしまう人々。小さな子供を抱えて家もない家族はやっと稼いだ日銭でパスタを買い、どこかから飛んできた種が発芽して育つバジルと松の実を摘み、それを摩り下ろしてパスタと絡めて腹を満たした。。。。
バジルはそんな痩せた土でも育つものらしい。野菜やハーブは土が肥えていればいいというものではない。そんな物語を読んで、バジルにはあまり肥料をやらないのだが、それが逆にいいのか、毎年よく育って、翌年まで分のバジルペーストとなってくれる。
来週の地中海への旅の準備をしていたところに、ニースのテロのニュース。道端に横たわって布を被せられた沢山の遺体、そしてその脇で泣き崩れる人々。自分はいつも孤独だと思っているけど、それでも誰かが側にいて与えてくれる幸福というのも知ってるし、その人を失う哀しみも解る。誰かに断ち切られなくたって、人は必ずいつかは死んでしまうのにどうしてわざわざこんなことをするのだろう。考えても考えてもわからず、ただただおろおろ泣くことしかできない。
(写真:朝の光が差しこむキッチンでトマトソースを煮込んでいたら、その美しい赤と緑に心を奪われた)
ランチはひよこ豆とナスのサラダ。ナスに赤玉ねぎ、イタリアンパセリ、レモンとほとんどのものは農園で採れたもの。ひよこ豆は同僚が挑戦したが、なかなかうまくいかないというのでこれは買ったもの。オリーブオイルとバルサミコヴィネガーは作れば出来そうだ。近所で採れたものだけで美味しいごはんが作れたらなんていいだろう。農園仕事は心と体にすごく良いみたいだ。暑くなる日中を避けて早起きする。草取りをして野菜を摘む。体を動かすからとにかくおなかがすいてしまう。汗をたっぷりかいて水浴びをしたら採れたての野菜で食事にする。こんな美味しいものがあるだろうか。健全な精神は健全な肉体に宿る、だね。せっせと体を動かして美味しいものを食べていたら、人間悪いことは考えないものだ。
近所の歯科にクリーニングに行った。間食せず、毎度歯間ブラシを通してから歯磨きをしているせいか特に虫歯もなくキレイだと褒められる。ここは徒歩3分のところにたまたま見つけたのだったが、とても良い。医者や歯医者というのはピンキリだ。金儲けしか考えてないようなところもあれば、単に腕の悪い医師もいる。子供の頃から行っていた歯医者は腕はよいのだが、経営が傾いてからはやたらと頼まないことばかり勝手にやって高額請求されるので足が遠のいた。次に行ったのはおじいちゃん医師のところで、腕が悪いのか、視力が悪いのか、詰め物などをされるとどこか噛みあわず、体のバランス感覚がおかしくなり、変な歩き方になり、そのうち腰が痛くなるという不具合が起きて日常生活に支障をきたした。詰め物もすぐに取れてしまった。それから口コミを見て行った隣駅にある歯科。ここで前回の歯医者はやるべき処置をしてませんね、と言われた。やっぱりおじいちゃん先生はボケが始まっていたのかもしれない。大事に至らなくてよかったがぞっとした。この歯医者はよかったが混んでいてなかなか予約が取れないのと場所が不便なので足が遠のいてしまった。そして次に訪れたのはできたばかりの建物がモダンなところ。待合室に高級ソファが用意されていて、中に入ると診察台も高級革張り。検診といって全部見回して、″全部インプラントにしましょう″などと寝ぼけたことを言う。知人に聞くとみんなそう言われてるらしかった。健康な歯があるのに冗談じゃない。逃げるように立ち去った。
そして今の歯科に行き着いた。歯科医が3人くらいいてみんな若く腕が良い。予約の時間に行くと大抵待つことなくさっさと中に入れてくれる。治療をする前に説明をされて、費用のことも教えてくれる。そしてやるかやらないかは自分で決めることができる。押し売りのような治療をされることはない。なんて良い歯医者なのだろう、と思ったが、考えてみれば医療もビジネスで、買うか買わないか患者が選ぶのは本来は当たり前なのだ。何よりも患者の体なのだから。消費者は賢くなったと言われる。医師が神様で患者がまな板の上の鯉というようなのはこれからどんどんなくなっていくだろう。判断力のない患者をひたすら薬漬けにする金儲け主義の医者にすがりついてぼろぼろになった家族を持つわたしとしては、患者に判断を仰ぐこの歯医者がとても善良なものに思えた。
数日前、スーパーマーケットでぽつんとひとつだけ売られているドリアンを見つけた。東南アジアなどへ行けばここぞとばかりに沢山食べる大好物だ。食べたい。しかし3000円もする。果物ひとつにこの価格はきつい。なにより開けてみるまで当たりはずれのわからない輸入青果にこんな大金かけられない。と、諦めて通り過ぎた。
ところが、今日また同じ場所を通りかかると、ぷ〜んとあのドリアン特有のいい香り(嫌いな人には臭い)がした。思わず足を止めて見ると、なんと見切り品のコーナーに先日のドリアンがあるではないか。価格のゼロがひとつ取れて300円だ。熟れておしりがほんの少し割けていて、まさに今夜が食べごろといったところだ。売り手には理不尽なはなしだけど、食す絶好のタイミングまで熟れたら見切り価格でしか売れないのだろうな。迷わず小脇に抱えてレジに持っていく。並んでいる間もプンプンとあの独特な匂いを放ち、注目を浴びた。シンガポールでは電車に持ち込み禁止がされているほどで、嫌いな人にはたまらない悪臭なのだろうな。
家に帰るとクロエちゃんが興味津々で匂いを嗅いでいる。嫌いじゃないらしく、しばらくドリアンの周りをうろうろしている。ナイフを入れる。頭と尻を落とし、縦に中の仕切りになったような殻に沿って切る。中からねっとりとしたバニラアイスのような実が現れた。これは大当たり。中に入っている種を手で抜き出して、ハーゲンダッツのミニカップくらいの大きさに切って、ラップに包んで冷凍庫で凍らす。これをは半解凍して食べるのだが、これがもうハーゲンダッツより濃厚なアイスクリームのようなのだ。
日本で思う存分ドリアンが食べられるとは思わなかった。なんとも運の良い日だった。
″子供好き″とか″動物好き″は人に良い印象を与え好感を持たれやすいが、″男好き″とか″女好き″はダメらしく、これらを自称する人には会ったことがない。しかしこれまた″人間好き″ということになると、評価が上がるらしい。生物愛とか人類愛みたいなのは良いが、特定の性別に限るとダメなのか。しかし、ややこしいことに″男好き″とか″女好き″はダメでも″美女好き″とか″イケメン好き″は人畜無害と扱われているようだ。この世は矛盾だらけだね。
わたしが好感を持つといったら″野菜好き″かな。動物好きとか、子供好きは自称されてもその実態は得体がしれない。猫に服着せて毎日ブログにアップしてたりする人もよく″動物好き″自称してるもの(嘘ではないけどね・・・)。でも野菜好きはそのまんまだもの。
農園は毎日収穫祭りのようだ。青唐辛子は醤油漬けに、バジルはバジルペーストに、トマトはドライトマトに、紫玉ねぎはチャツネに、とせっせと保存食を仕込む。今日のブランチはポテトとガーリックとローズマリーのロースト。ポテトは下茹でして粉ふかせたりして、ちょっとした小細工をするだけで、仕上がりが格段に違う。こういうシンプルな料理ほど奥が深いのだよな。これ、プレートに残ったオリーブオイルにバルサミコ・ヴィネガーを垂らして、パンで拭うのがまたたまらないんだな。