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会社のカフェテリアにて。隣のテーブルでインド人一団が持ち寄った食べ物を分けあって祭りのごとく賑やかに食べているのは見慣れた光景だが、今日は一風変わった光景を目にした。ひとりが粉っぽいものを誤って床に落としてばら撒いてしまった。落とした本人はちょっとずつ粉をかき集めて拾っている。しかし仲良く一緒に食べている仲間は誰も手を貸さず、何事もなかったように食事を続ける。拾っても拾っても床は綺麗にならない。見るに見かねて、
「もし使いたかったら、掃除機はあそこにあるよ」
と教えてあげた。
同僚と″自分の身の周りは自分で掃除する″というのはいかにも日本的な考え方だという話になった。小学校では″掃除の時間″があった。会社でも清掃業者がやるのは大まかなスペースで、個人のデスクなどは日々自分で掃除をする。ところが一歩日本を出るとこういう習慣を持たない人は多い。なぜ勉学のため学校に通う生徒が掃除をしなければならないのか、なぜエンジニアとして勤務する会社員がデスクを磨かなければならないのか、という考えのようだ。新しく出来たインドのオフィスの人々のデスク周辺が汚いので、わたしの上司が注意したところ、それは自分の仕事ではないからと返されたそうだ。使用人が家にいるような家庭で育った人が多く、その癖が抜けきらず、放っておけば誰かがやってくれると思って、そのうち身の回りが汚くなってくる。
欧米の映画やドラマでは、知的で良識のあるはずの役まわりの人々が道端にポイッ、とタバコの吸い殻を投げ捨て、足で踏み潰して拾わずに立ち去るシーンというのがざらにある。ぎょっとしてしまうが、あまりにも悪びれず描かれているところを見ると、彼らにとってタバコの吸い殻はゴミというよりも埃や塵くらいの感覚でしかないのではないかと思った。そしてそれを拾うのは自分ではなくそのうちやってくるであろう清掃車だという意識。欧米と欧米の植民地だった歴史のある国々では階級意識のようなものがいまでもまだ根を深く張っていて、それがひょんなところで表面化されてきているのではないかと感じた。
夕飯はせりごはん。頂き物の筍もたっぷり入れて、稲荷にしてみた。せりごはんのレシピは母のものだ。せりとにんじんやら椎茸なんかを炒めてかつおぶしと醤油と砂糖で味付けしたのを炊いたごはんと混ぜ込むもの。ずぼらな母が毎年春になると適当に作るせりごはんは家族みんなの大好物で、これが食卓に上ると会話もなく黙々と2杯も3杯も食べた。せりごはんは春の恒例行事だった。
おととし上海の豫園というところに立ち寄った時のこと。3人組の女の子が声をかけてきた。ごくごく普通の垢抜けてない学生風だ。たまたま行く方向が一緒だっただけのようであまりにも自然と。南京からやってきた**大の大学生とその従妹とか言っていたように記憶している。数分歩きながら話しただけなのだが、よかったらこれから一緒に観光しないかと誘ってくる。すごく美味しいお茶の店を知ってるという。文化交流したいのか暇つぶしか意図は解らないが、新幹線の時間が迫っていたので断った(ちなみに会話は全て英語だ。このエリアにおいては英語を話すというだけで文化人的な印象を与える)。ざっとそのエリアを見て駅までの道すがら今度はカップルがカメラを持って近づいてきて写真を撮って欲しいという。時間がないので断って走り去った。
来月の上海旅行ではちゃんとした中国茶を出す茶館のようなところへ行ってみようかとググってみた。″上海 中国茶″というキーワード。でるわでるわ、中国茶詐欺の被害記事。豫園辺りで声をかけられて中国茶を飲もうと誘われ、1杯5万円くらいのお茶を飲まされてしまうというもの。日本人の被害続出のようだ。わたしに声をかけてきた人々は詐欺師だったようだ。新幹線の時間が迫ってなかったら誘いに応じただろうか、と考えた。いや、ないな。なんとなくシチュエーションに無理があるもんな。でもすごい言葉巧みなんだそうだ。旅の途中の一期一会を大事にしたいという思いはあるけど、あまりにも一方的に急接近してくるような人は少し疑ってみる必要がある。
誰からも好かれる人でいたいなんて人生で一度も思ったことがないけど、誰からも信頼される人でいたいとは常に思っている。公共料金やクレジットカードの支払いが滞ったことはないし、何かあって人から小銭を借りた時などは必ず忘れずに返すようにしてる。仕事のメールは受け取ったらすぐにひとまずフィードバックするし、約束の時間に10分以上遅れそうな時は連絡する。こういうことは子供の頃から躾けられたから習慣的に出来る。人間関係の中で信頼を得ることはもっと複雑だ。嫌いな人でも信頼できる人というのはいるものだ。相手がどう思うかではなく、ひたすら本心でぶつかってくるような人は衝突して喧嘩してもどこか信頼してたりする。でも逆に信頼できない人を好きになれるかといったらこれはあり得ない。男女関係ともなるとこの問題はさらに複雑になる。相手の不実を疑いつつ関係を続ける人というのは多い。疑うという時点で既にそこには信頼がないのに、なぜ関係を続けていくのだろう。わたしはきっと相手を疑った時点で興味を失ってしまうだろう。信頼を得ることは日々の積み重ねだが、失うことは一瞬でできてしまう。そして一度失った信頼を取り戻すことは得るのに積み重ねた日々の何倍、何十倍という月日がかかるのかもしれないし、あるいは一生取り戻すことができないのかもしれない。
退職した恩師が最後に植えていってくれた野菜がちゃんと育って一揆に収穫時を迎えた。テレビで″霜降り白菜″の農家がちゃんと霜が降り過ぎないようにと口を閉じるように紐で括り付けているのを見て我も!と慌てた時には既に遅し、収穫間際まで成長していた。冬の間ずっと放ったらかしにしてたのだから食べられなくても文句は言いますまい。よっこらしょっと引っこ抜く。周りの葉を剥いで、中で大勢のナメクジがぬくぬくと暖を取り食事を楽しんでいるのを見て悲鳴をあげた。悲鳴を聞いてひとりのオヤジがのそのそとやってきた。農婦の悲鳴は虫以外にないと重々承知してるかのように。ナメクジがいっぱい這ってるし、緑色の小さな点がいっぱいついてるし、これは食べられないのではないかと思ったのだが、オヤジは一枚一枚丁寧に葉を剥いでいく。
「この緑色のはね、ナメクジのウンチ」
と、動じることなく、シャワーの水圧で葉を綺麗に洗っていく。
「おぉ、脇芽がでてるね。これが甘くて美味しいんだ」
真ん中の芯に黄色い花が開花しかけていて、その脇に沢山の脇芽がでて蕾になっている。
「芯はちょっと食べるには固くなり過ぎたかな。これは出汁にでも使えばいいよ」
オヤジは自分の子供でも風呂に入れるかのようにその成長ぶりにいちいち感想を述べ、嬉しそうに目を細めた。全ての葉と脇芽を洗いあげ、いかにも大事な物のように袋に入れて持たせてくれた。
白菜鍋にして、その甘さに驚いた。そしてハイライトだという脇芽もそれはそれは程よい歯ごたえでカリフラワーのようで美味しかった。売ってるやつは虫ひとつ付いてなくてすぐに食べられるけど、こういう脇芽とかのおまけはついてないものね。クロエちゃんも鰹節と一緒に煮たら喜んで平らげた。数時間前までナメクジが住んでいた白菜家は解体され、最高の白菜鍋となり人間と猫の胃袋に収まったのでした。
通勤途中、会社の裏手の芝生の土手を横切る時にふと鮮やかな色彩が目に入って足を止めた。雉だった。色鮮やかな美しい雉が朝陽に瑞々しく光り輝く芝の上にひょっこりと静止していたのだった。いつか鮮やかな色の羽が落ちているのを見て、この辺りに綺麗な鳥がいるのだろうと思っていたが、ついに姿を現した。神聖な絵画のような光景だった。見惚れて遅刻しそうになった。
帰り道、また同じ所に雉がいた。翌日もその翌日も。野性の動物が人間の前に姿を見せる時。自分が特別選ばれた人間のような気にさせてくれる。写真を撮ろうなんて気を起こすとするりと逃げられたりして思い通りにならない。思い通りにならないから気をもむ。そして気付くと夢中になってる。野性動物にはそういうたまらない魅力がある。会社の門を出て角を曲がるとすぐに雉のいる土手だ。明日は休みだし、今日ここで待っててくれなかったらわたしはどんなに落胆するだろうか。恐る恐る角を曲がった。
いた!
何かを夢中で啄んでいた。嬉しくなってふだんは足を踏み入れない土手の向こう側を見に行った。足元をよく見たらつくしとクローバーでいっぱいだった。春を告げるのは頭上の桜だけじゃない。足元からもむくむくと春が息吹いていた。
2016年03月17日(木) |
流行のダイエット雑感 |
バターコーヒーもココナッツオイルもチアシードも食べたことはないけど、結局のところうんとおなかがすいた時に体が渇望しているものを″空腹が収まるまで″食べるというのがいちばん心と体の健康にいいのではないか。次から次へと斬新なダイエットが提唱され、物議を醸す。どのダイエットもそれはそれで正しいのだろう。ただ万人同じ体質ではないし生活環境も違うから同じ効果を得られるわけではないだろう。気になったのは、欧米で流行するダイエットの大半が体重を落として美しい肉体を作るという目的では画期的かもしれないが、何年も継続したら寿命が縮みそうだ。
宮澤賢治の遺作のメモ。玄米4合という箇所でぎょっとしたが、よくよく読んでいけば、東西南北へ人を見舞いに行くには野を超え山を越えなければならないのだから、それくらいのエネルギーを消費していたのだろう。わたしがこの″粗食″をそのまま真似たら肥満体となること間違いない。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい
代々木上原のモスクを兼ねたトルコ文化センターである東京ジャーミーを見学してきた。東京の空はどんより、寒い日だったけれど、この建物の周りだけは燦々と降り注ぐ太陽と地中海から吹きこむからりと乾いた風があるように錯覚させられる。
週末は日に一度自由に参加できるガイドツアーがある。日本人だという異国風の風貌のガイドがイスラム教の歴史から、その考え方、宗教儀式の意味、アラビア発祥の文化まで幅広く説明してくれる。
日本にイスラム教が渡ってくるきっかけとなった事件。それは、1917年の人類史上初の共産主義を生みだしたロシア革命だった。中央アジアに多く生息していたイスラム教徒達は弾圧され国を追われた。彼らはシベリア鉄道で満州へ渡り、そこから日本へ渡ってきて東京や神戸に定住するようになった。やがて小さなモスクが東京にできた。子供達が学べる小学校もできた。1986年、このモスクは老朽化が原因で取り壊されたが、2000年には今の立派な東京ジャーミーが完成した。もっとも東京の地価は高いので、現在イスラム教徒達は東京郊外で生活する人が多い。
イスラム教では生はふたつあると考えられる。現世と来世。現世はせいぜい100年と短いのに対し、来世は永遠とされ彼らはより長い来世で幸福を得ることに重きを置く。この説明を聞いた時に思わず頭を過ってしまったのは、自爆テロを起こす人々である。アラーのために戦い名誉の死を遂げることで、永遠に続く長い来世に幸福が待っていると信じているのだろうか。
来世では現世でより多くのポイントを貯めた人がより幸福になれるとされている。ポイントは貧しい人への施しや毎日祈りを捧げることで増えていく。イスラム教徒はとにかくつるむのが好きだ。それにはこんな理由がある。大勢で祈るとひとりで祈るより27倍ポイントがもらえると言われているからだ。なぜ27倍なのかはわからない。彼らは現世を終えたあと、復活祭で呼び戻され審判にかけらる。この時現世のポイントにより天国か地獄どちらへ行くかが決められる。
ラマダン月は日昇から日没まで水も食べ物も一切口にしない。喉の渇きと空腹でひもじい気持ちを味わう。そうして日没後、まずは水をごくごくと飲む。この水は何にも代えがたいうまい水だとガイドは言う。それから食事。もちろんこれだって何にも代えがたくうまい。人間は満ち足りてしまうと初心を忘れがちだ。ラマダンは貧しい人々の気持ちを理解し、日々の糧に感謝する気持ちを取り戻すために年に一度行われる儀式である。また、彼らは体は食物で養い、心は祈りで養うと言う。
日本人がヨーロッパから伝来したと思っているものの中にはその本当のルーツがアラブにあるものが多々ある。トルコの文様には実はよくチューリップが描かれている。言われてはじめて、よく見ると痩せこけたチューリップのように見える、と思うくらいわたし達の知るチューリップとは違う。実はチューリップの原産はトルコで、モロッコからヨーロッパへ渡るとヨーロッパ人はたいそう気に入って球根バブルといわれるほどの旋風を巻き起こした。ヨーロッパで球根は品種改良され、オランダがその中でもとりわけ有名になった。
コーヒーの発祥はアラブではなくエチオピアだが、そこからアラブに渡り、北まわりと南回りという2種類のルートを通り、ヨーロッパに渡った。言語でもsugarやcameraという英語はアラブが発祥であり、それがラテン語となり、そこから英語へと転じていった。
あれこれとあるが、アラブ人が一番誇る大発明はなんといっても数字である。
ガイドが翻訳を少し手伝っているという世界的に有名な話もしていた(これはわたしも何度か外国人の友人から聞いたことがある)。1890年和歌山県の沖合で座礁したオスマン帝国(後のトルコ)の軍艦から海に投げ出された人々を漁民達が助ける。命拾いをした人々はその後祖国へ戻り日本人に感謝をし続けながらその生涯の幕を閉じていく。そしてそのおよそ100年後にあたる1985年、イラン・イラク戦争で日本政府に見捨てられ、戦地に取り残された日本人達がいた。彼らを助けたのがいつかの恩を忘れなかったトルコ政府だった。ターキッシュエアラインを飛ばし、彼らを乗せて日本へ送り届ける。この話は最近「海難1890」という映画となったそうだ。
イスラム教という宗教に興味がない人々がはじめて目にするイスラム教徒と名乗る人々がテロを起こしてニュースにあがる人々であってもまったく不思議はない。わたし自身もイスラム教徒の男性から嫌なことをされた経験が多々あり、好感が持てなかった。しかし、どんな物事にも色んな側面があり、たまたま悪いものばかりを目にしただけで、それを解ったふうに決めつける必要はない。今日誰よりも楽しそうだったのは他でもないガイドだった。目を輝かせて自分の信ずるものについて熱く語らう彼を見て、信じるものがあるという幸せを思った。わたしは来世のことなど考えていないけれど、現世で沢山ポイントを貯められるような行いをして生きていくことこそがわたしの現世に幸福をもたらすことだろうと思った。
モスクは神聖な場所で女性はスカーフで髪を覆う。写真を撮っていたら、先程まで祈っていた30代くらいの男性が声をかけてきた。
″Where are you from? Oh! You are Japanese? You like this architecture? You are beautiful too. Why did you come here? Are you turning into Muslim? "
インドネシアからのツーリストだという男性は神聖なモスクでナンパをしているのだった。″Yes″と言おうものならプロポーズされてしまうのではないかというくらいきらきら目を輝かせて。
″No. I believe whatever I can believe"
と答えたらひどく落胆していた。そこへわたしのツレ(男)が現れて、彼はみるみるしぼんで小さくなりどこかへフェイドアウトしていった。さっきまでキャンキャンと足元へまとわりついていた子犬の足を踏んずけて黙らせたような疚しい気分だった。
吉川文子さんの″もうひとつ食べたくなる 軽やかな焼き菓子″の本のレシピは、どれも手軽に作れておいしい。朝食にもおやつにもつまみにもなる。週末にいくつか焼いておいて、平日のバタバタしてる朝でも自分が焼いたスコーンを、疲れ切った夜でもワインをちびちびやりながら自分で焼いたクラッカーを食べられるってすごく幸せ。今週はブラックオリーブのクラッカー。ザクザクとした生地に練り込まれているのはアンチョビ、クミンシードとブラックオリーブ。本のタイトルのとおり、止まらなくなっちゃうんだよね。
「ぼくらの家路(原題:Jack")」というドイツ映画を観た。まだ自分が子供みたいに遊びたくて仕方がないシングルマザーに育てられる10歳と6歳の兄弟の物語。もうかわいそうでかわいそうで最初から最後までぼろぼろ涙が止まらなかった。母親は子供を放ったらかして男に狂ってて、お兄ちゃんのジャックが弟のマヌエルの面倒を見ている。ききわけがよく、しっかりしてるジャック。たった10歳なのに″子供でいること″が許されない。でもやっぱり子供なのだ。どんな母親でも一緒にいて甘えたいのだ。この母親というのもかなりの曲者だ。虐待するとか食べ物を与えないとか、そこまでの救いようのない悪い人間というわけではない。子供を放ったらかしてても、一緒にいるときはまずまずのちゃんとした母親らしいことをする。一緒に遊んだり、レトルトでもちゃんと食事を与える。男を連れ込んで″お取込み中″でも子供が空腹だといえば中断してジュースやらパンやらをちゃんと与える。声を荒げて怒ったりすることもなければ、暴力をふるうこともない。男を優先させることを除けば子供にとっては″大好きなママ″ということになるのだ。子供よりも男を優先させる女が良識のあるまともな男と出会える確率は限りなく低い。いつも″今度こそ運命″と思って結局破局してしまうのだろう。それでも切ないのは、彼女だって経済的、精神的に頼れる男性が欲しいといういたって当たり前の人間の心理が読み取れること。片親だけで子供を二人育てるって心身ともにたやすいことではないでしょう。でも結局、男が最優先だから男に軽んじられる。子供を放ったらかして自分と共に過ごす女との将来を考える男もなかなかいないだろうし、いたら頭が弱い。そしてうまくいかなくなるとまた子供を放ったらかして次を探す。そういう負の連鎖から抜け出せない。
気になったのは登場するほとんどの大人たちがまともでないこと。だって自分が警備してる駐車場の車の中で小さな子供が寝てるのを見つけたら第一声は、
「窓を割ったのか!早く降りろ!」
じゃないでしょ、ふつう。
「どうしたの?なんでそこにいるの?」
じゃないのかな。だってどうみても不良なんていう見た目じゃない、どこにでもいる普通の子供達なのだよ。
お母さんを探してるって子供ふたりだけが訪ねてきても、知らん顔してる大人とか。
天使のような無垢な子供がふたり、お母さんを探して走り回り、おなかがすいてカフェで盗んだクリームと砂糖を食べ、路上で寝たりするのが辛くて仕方がなかった。そのラストがハッピーエンディングと呼べるのかどうか、すごく考えてしまったけど、きっとあれが最善の道なのだろう。
2016年03月09日(水) |
Do you need help? |
会社でランチを食べていたら、すぐそこで白人男性とアジア系男性が二人でレンジの扉を開けたり閉めたりして狼狽えているのが見えた。お弁当を温めたいようだ。近寄って声をかけた。
"Do you need help?"
就職して間もない頃、職場にオリタさんという30歳くらいのエンジニアの女性がいた。当時は女性のエンジニアなんてなかなかいなくて、男性と同志のように働く彼女は異色だった。髪はショート、化粧もしていなくて、私服はTシャツとジーパンのような飾らない見た目の人だった。では、女らしくないかというとそうではなくて、新婚で同じ職場にいる旦那さんの話をするときは、すごく幸せな″恋する女の子の表情″をして、彼女の秘密を見てしまったようにはっとさせられた。誰とでも分け隔てなく話す人だったけれど、一定の距離を保ってそれ以上は他人を近寄らせない崇高な空気をまとっていた。憧れのおねえさんだった。
ある日、就業時間が終わる間際、彼女がやってきて、一緒に夕飯をどうかと誘われた。仕事で賞を取ったのでその賞金で美味しいものを食べようというのだった。わたしはほんの少しお手伝いをしただけだったが、そんな機会もなかなかないので、ごちそうしてもらうことにした。
会社の近くに新しくできたイタリアン・レストランのカウンターへ座り、ワインやパスタと他愛ない会話を楽しんだ。何を話したのかは記憶にない。
彼女の向こう側に白人のカップルが座っていた。日本語で書かれたメニューが理解できず困っている様子だった。彼女はちらりと横を見ると、あまりにも自然に迷わず声をかけた。
″Do you need help?"
メニューにあるものをざっと説明すると、彼らの好みを聞き、適当なものを薦めた。素直に彼女のおすすめをオーダーした彼らは一皿一皿を楽しんでいるようだった。
わたし達のグラスが空くのを見計らって今度は彼らが声をかけてきた。一杯おごらせてほしいという。お礼を述べてありがたくいただいた。愉快で楽しい夜だった。
困っている人を見て、そのまま通り過ぎるのは簡単だ。しかし、声をかけることは難しいだろうか。そんなことはない。少なくともわたしには。それならば、困っている人を見たら声をかけるのを当然とする人でいようと決めた。オファーを受け取るかどうかは相手が自由に選べばいい。″オファーした″という事実が自分を気持ちよくさせてくれるのだから。
しかし、あれから10年以上が経過した今、思い返せばオファーしたことよりもされたことのほうが余程多かった。雑踏ですれ違うだけの人の顔は覚えてなくても、立ち止まってヘルプをオファーしてくれた人の顔はずっと忘れないものだよ。
寒緋桜の開花に春の訪れを告げられて、厚手のコートを洗濯してしまいこんだ。寒い夜にベッドの中で違う世界へと誘ってくれた書物も写真を撮り、自分なりのデスクリプションを付けてネット上で売りに出した。
夕方突然雨が降り出して1冊の本が売れた。
ドミニク・ローホー著「人生で大切なことは雨が教えてくれた」。″雨の日にカフェでゆっくり広げたい本″というデスクリプション付き。
日本っていいなって思うのはやっぱり雨が降ることかな。帰国してまっさきに買ったものは傘だった。年間360日くらいは晴天のパースでは傘の出番はなかった。そういえば雨がよく降るというイギリス。ロンドンでの雨降りの朝、ハイドパークで雨の中ジョギングする人々を沢山見た。
「すごく逞しいと思った」
と、とあるイギリス人に言ったところこんな答えが帰ってきた。
「だって″雨だから**をしない″なんて言いはじめたら結局それは何もやらないことになっちゃうからね。それくらい雨がよく降るんだ」
″雨ニモマケズ″なんていうど根性的感覚じゃなくて、もっと自然なものだったのだね。
2016年03月04日(金) |
フレンチ・ラヴァーならず |
知人のフランス人の男の子の新居探しを手伝っている。条件はすぐに入居できて長期滞在を求めないところ。
先日夜遅く彼からメッセージがきた。すごく若い男の子で、日頃はおとなしい性格なのだがとても憤慨している。話を聞く。そんな気がしてたが、わたしの悪い予感は見事に的中した。パリで知り合った日本人男性(知人よりだいぶ年上でゲイ)の家にしばらく住まわせてもらっていたのだが、やっぱり片方は恋愛感情が入っていたらしい。
″He already knew that I am straight!!!"
とはいってもね、相手はもしかしたら気が変わるかもという期待は持っていたんだろうね。いや、実際本当にストレイトかなんて誰にもわからないんじゃない?わたしだって明日素敵な女の子に言い寄られて、自分はストレイトだって思い込んでただけでしたって言うかもしれないしね。家主さんの奇行に対する愚痴を聞いてたらなんだかコミカルで笑ってしまいそうになったが、当人はいたって真剣だ。夜遅いので、なんとかその日はそこに留まってもらい、翌日彼は荷物をまとめて大雨の中ホテルに移動した。
わたしはすっかり家主さんに同情してしまった。だって彼のために毎日かいがいしく夕飯を作って、受け入れて一緒に食べてくれれば、もしかしたら振り向いてくれるって期待してしまうよね。でも若い知人からすれば、食費浮くし、まぁいっか、くらいだったんだろうな。イタいね。男女間のフレンドシップがなかなかうまく成立しないように、ゲイとストレイトの男も然りである。