My life as a cat
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2016年04月27日(水) 旅の終わり

上海の歴史を読み、過去に想像を馳せながら街を歩く。この街は外国人に脅かされ、外国人によって発展を遂げた。いずれも外国人なしには語れない。この街に文化を持ち込んだのはロシア革命を逃れた白系ロシア人やナチスから逃れたユダヤ人、いずれも帰る国のない不遇な人々だった。彼らは音楽やダンス、自国の食文化をこの街にもたらした。既に租界を作り上げていたイギリス人やアメリカ人、フランス人が中国人と交流しなかったのに対し、国を追われてきた白人達は租界に住むような経済力もなく、中国人に紛れて暮らす以外になかった。そのうちに彼らの文化は中国人にも影響を及ぼし、手作りのマヨネーズとポテトを和えるロシア風のポテトサラダなどは中国の家庭料理として定着した。ここを占領して支配下に置いた日本が、その爪痕だけを残し、何の文化ももたらさなかったというのはあまりにも哀しいことだ。

わたしが人生の中で知り合った中国人は主に海外へ出た人々だが、それでも彼らを見て感じたのは″中国人はどこへ居ても中国人であり続ける″ということだ。他国の文化を寄せ付けないとかいうのではなく、良いと思えばすぐに真似する。でも中国人としてのアイデンティティを放棄することは決してない。過去200年、こんなに外国人に揺さぶられ続けた上海の中国人も、頑なに中国人であり続けているように見えた。

まだまだ見たい歴史に刻まれた場所がいっぱいあったが、全部見られずに時間切れとなった。裏通りの長屋暮らしの人々の中にも高層マンションに住みたがっている人が多いのだそうだ。10年後、20年後にここを訪れたなら、まだこのような景色を見ることができるのだろうか、と思う。


2016年04月26日(火) 阿大葱油餅

せっかちな中国人がじっと1時間も2時間も行列に並んで買う葱油餅のお店があると聞いて見物に行った。小さな路地にあって、地元のおじさんの案内なしには辿り着けなかっただろう。朝の9時。10人くらい並んでる。なんだ、10人か、すぐに買えそうじゃないか、と列に並んだ。ところが、15分経っても行列がぴくりとも動かない。一番前の窓口のところまで様子を窺いに行ってぎょっとした。背骨が90度に曲がったまま固まってしまった(一体、何年葱油餅を焼き続けているのだろうか)おじいさんがひとりで全てをこなしている。しかも行列なんて知らないっといった様子で、ひとつひとつ丁寧に丁寧に作業している。

発酵させた生地を契って丸める → 鉄板で焼いてる葱油餅をひっくりかえしたり焼く位置を変えて均等な焼き具合になるように調整する → 丸めた生地を伸ばし、葱をたっぷり入れて包む → 鉄板で焼いてる葱油餅をひっくりかえしたり焼く位置を変えて均等な焼き具合になるように調整する → 鉄板で焼けたものをその下にある窯の中に入れ最後の焼きを入れる → 窯の淵を布でぬぐって掃除する → 手を洗い、客をサーブする 

これをひたすら繰り返しているのだが、5つ焼きあがるのに10分くらいかかる。購入個数の制限もないから、おばちゃんが″15個頂戴!″と言ったらそれで30分列は動かないわけだ。1時間半待ってようやく前に3人となった。若い男の子の3人組で家族分10個とかは買いそうに見えなかったが、念のためいくつ買うつもりかと聞いてみた。すると彼らはひとつしか買わないなら先にどうぞと快く譲ってくれた。こうしてようやくほかほかの葱油餅を手に入れた。

歩きながら頬張る。ひとくち。うん、フツウに美味しい。ふたくち食べて、ガ〜ン! 真ん中に少しだけだが、豚肉入ってる。

1時間半待って食べた葱油餅は豚肉の件を差し引いても″フツウ″という感想だったが、作る過程を見学できたので良しとしよう。しかし、このおじいさんもそうだが、なぜか葱油餅を焼く人々というのは、みんな寡黙な職人気質で信頼できそうな雰囲気である。無駄口ひとつ叩かず、愛想笑いもせず、それでも客がせっせと通ってくるのは実力の証明だね。


2016年04月25日(月) 雨の上海

朝からしとしと降っていた雨が昼前に本降りとなってきた。今日はカフェにでも入ってゆっくりしていようと部屋を出た。ラウンジで顔見知りになったフランス人の青年と出くわし、彼も着いてきた。彼はノルマンディ出身の元フレンチのシェフで今は上海の北のほうに留学中。いつもは北部の山の中に篭ってカンフーを学び、学校の寮で生活しているのだが、一週間の休暇を利用して同郷の友達が沢山いる上海にやってきたのだそうだ。フランス人には珍しくゆるいヴェジタリアンだそうだ。

″ゆっくりできるカフェ″は表通りと決まっている。店員も客も店中から英語しか聞こえない。パンやお菓子作りのこと、無農薬野菜の育て方、中国人の文化、家族のこと、仕事のこと、はたまた人生のことまであれこれあれこれと話した。日本や日本人について、ひたすら素晴らしいと褒めるでもなく、自国を世界の中心として見下すでもない淡々と語られる彼の意見はとても面白かった。中国に対してもガサツさや汚さ、全てをひっくるめてとても愛着をもっているようだった。日本人と中国人の違いが見た目で解るかと聞いてみた。

「わかんない。でも違うのは女の子の脚の形。日本人はO脚だもん」

これ、ヨーロピアンはよく言うね。″脚の形″に注目してるってのがヨーロピアン的。確かに、中国人は脚がすらりと長く、お尻が小さい。ミニスカートなど履く人はなかなかいないが、履いたなら、とても似合って可愛いだろうと思う。


2016年04月24日(日) バレリーナの足取りで

上海のトイレ事情。トイレに頻繁に行くわたしとしては非常に気にかかる問題だ。色んなトイレを体験したのでメモしておこう。

★基本

いちいち小銭を要求せず、ただで用を足させてくれるのはヨーロッパより素敵なところ。紙を置いてないトイレは多いので、ティッシュペーパーの携帯必須。宿で会ったヨーロピアン男性は、バッグにトイレットペーパーのロールを丸ごと入れていた。紙は流さず、脇のボックスに捨てる。和式が多いのは便座におしりを着けたくないわたしとしてはよかった。

★設置場所

これが意外にもあちこちにある。メトロの駅にも設置されているし、蘇州なんかは庶民しか通らない小路に公衆トイレがあったりした。

★構造

表通りのモダンなビル内のトイレには紙もウォシュレットもあるが、一歩裏へ入れば戸のないトイレもある。今回体験した一番すごいのは豫園(上海のど真ん中)の近くの公衆トイレ。川が一本流れていて、そこに垂直に低い仕切りがあるのみ。川を跨いで用を足す仕組み。うら若きおねえさんもおしりをまくって用を足している。ブツは上流から下流に流れる。下流のほうへ行けば、他人のブツが股下に流れてくる。だが、上流に行けば、自分のブツがみんなの股下を流れる仕組み。


わたしの体験したトイレの平均を取ると日本より遥かに汚い。しかし日本よりトイレが綺麗な国は見たことがないので、まぁこんなものかと思う。バレリーナのごとくつま先立ちで入り、夜、宿に戻ると靴底に謝りながら熱湯で洗った。

″過酷な仕打ちをしてごめんなさいね″


2016年04月23日(土) ゆるヴェジ的上海B級グルメカタログ

上海でありついた美味しいもの。中華料理は油っこいので苦手だという人に会ったことがあるが、それは誤解ではないだろうか。海外でウケて″中華料理″としてメジャーになったものに油っこいものが多いだけで、実際はあっさりした美味しいものがいくらでも見つけられる。滞在中、クレジットカードで支払いができて、接客係がにっこり笑ってお茶を注いでくれるような″高級レストラン″で食事したのはたったの1回。あとは道端で匂いにつられて歩きながら食べたり、宿の裏の庶民的な食堂だったりで、かなりのB級グルメだ。




小籠包。これは絶対はずせない。ポークの入ったものがスタンダードなので、これは事前に調べて海老とヘチマの小籠包が食べられるお店へ行った。醤油と酢に生姜の千切りを入れ、そこに浸して食べる。これは意外に普通過ぎたかな。自分でも作れそうだ。



蓮の実入りのぜんざい。中国のぜんざいはさらし餡で甘さもかなり控え目で甘味というより薬膳といった感じ。温かいココナッツミルクを注いでいただく。



ピリ辛胡麻ダレ麺。そうめんよりもちょっともちっとした太めの麺にあたたかい胡麻ダレがかかっている。つるりと食べられてしまう。酒のシメとか夜食に良さそうだ。



葱とかザーサイなんかが乗った豆腐花。朝の豆腐花屋さんでは色んなバリエーションがあって悩む。ふわっふわっで温かい。小豆が乗ったのも食べたかったが、うまく伝わらず、グラニュー糖が乗ったのが出てきた。2杯食べておなかいっぱいになったが、ふわふわなのでまたすぐにおなかが空く。




葱油餅。どこの屋台にもあるのだが、屋台の数だけバリエーションがあるのではないかというくらいちょっとずつ味や食感、厚さが違う。材料がシンプルなだけにどこで食べてもハズレなし。



黒胡麻ペーストの入った白玉団子。



ニラと卵のパイ。



豆もやし、ピーナッツ、青菜と春雨をピリ辛ソースで和えた物。さっぱりしているが、ごはんとよく合う。



もっちもっちの平麺にラー油のようなソースがかかっている。上に青梗菜が乗って、底に豆もやしと醤油色のソースが入っていた。これすっごく美味しかった。



ピーナッツに甘辛ソースがかかったもの。



もっちもっちの平麺にきくらげ、青菜、メンマ、香菜などが入っている。あっさりしたスープは何からとっているのか、肉でないことは確かだ。



色んなバリエーションの葱油餅。クレープのような薄焼きやピッツァのようなパン系のものも。焼いてるそばから買って食べるのが美味い。

その他にも炊いたお米を餅のような形にして揚げたもの、胡麻団子の揚げたものがちょっとお腹が空いたときに食べる小吃(おやつ)として売られていた。宿の近くでおにいさんが道端に座って一個一個栗に切れ目を入れてローストしてた甘栗も美味しくて毎日食べていた。

2016年04月22日(金) ″東洋のヴェネツィア″へ

少し古い情報では上海からバスで1時間半と書かれている蘇州は、今は新幹線が通ってたったの30分で行ける。価格も往復で50元(1000円)程ととても安い。

空港のごとく大きな上海虹口の駅の窓口で切符を求め行列に並ぶ。自動販売機もあるが、外国人はパスポートの提示が必要になるので使えない。窓口のおにいちゃんに何度も舌打ちされながらやっとのことで切符を手に入れた。

電車は快適だ。中国人は新幹線に乗ったら何かを食べるものと決まっているのか、みんな遠足のごとく色んな食べ物を広げている。日本人もそれは同じだが、なんたって食べ物のチョイスが面白い。キュウリ、ヌードル、ザーサイ。。。。

隣に座っていた身なりのきちんとした青年が話しかけてきた。上海で働き、週末に自宅のある蘇州に戻るのだとか、2児の父親なのだとか。目的の拙政園は通り道だからとタクシーで送りましょうとオファーしてくれた。

テレビのドキュメンタリーで見た蘇州はいかにも歴史的景観と庭園だけが名物の静かな町のように見えたが、全くそんなふうではなかった。巨大な駅の周りには高層マンションが立ち並び、駅前は交通渋滞していた。

拙政園の前で青年はわざわざタクシーを降りて、チケットを買い終わるまで待っていてくれた。チケット売り場も少し人が並んでいたが、混んでいるわけではなく、窓口のおねえちゃんがケータイでチャットに夢中になっているだけだった。ケータイに釘付けになり、こちらをチラ見して、いやいやチケットと釣銭を投げてよこした。こんな時、日本人でよかった、と実感する。ホスピタリティ精神の希薄さに腹を立てることはないが、自分はこうはなりたくないと思う。大方の日本人のように人を喜ばせることを我が喜びとする自分でよかったとつくづく思うのだった。

拙政園はそれなりによかったが入場に90元(1800円)も取る。そこまでの価値を見出せず高すぎると思った。

拙政園をでて山塘街を目指して歩く。ちゃんとした地図を入手しなかったせいで、距離が測れず、思ったより遥かに遠いことに気付いた時にはすでに1時間近く歩いていた。小さな路地をくねくねと歩き続けた。でもこの小さな路地にこそ人々の本当に暮らしがあった。とても悲しいが見たままを書けば、生きた動物が食料マーケットに並んでいたりした。そういう事情とは裏腹に毛足の長い洋犬をペットとして連れ歩いている人をけっこう見かけた。その一方ゴミを漁るやせこけた野良犬は短毛の雑種ばかりだ。

1時間半ほど歩いて山塘街へ着いた。″東洋のヴェネツィア″とはこのあたりの運河の景観をさしてそう呼ばれるのだろう。しかし、ここも町全体がどことなく観光客かぶれした感じで、少々興醒めだった。

駅まで歩いて帰る気力はなく、地下鉄が通っているということも忘れ、少々高いお金を払いシクロに乗った。わたしより線の細いおにいさんが必死でペダルを漕ぐのを見て心配になったが、運河から吹く初夏の夜風がひんやり肩に当たり、気持ち良かった。

上海へ戻る新幹線の中、隣に幼稚園生くらいの女の子がひとりで座っていた。小鳥のようにひたすらひまわりの種を啄んでいる。英語で話しかけると、意味は解るようだが、話せはしないようで中国語で返してくる。こちらもなんとなく理解する。お互い好き勝手な言葉を発して空気で理解しあう。ジム・ジャームッシュの映画のようで愉快だった。






拙政園。












これは全て機織り。






作業台。









庶民の暮らす地区。小さな商店がひしめいている。



外の喧騒を眺める姉妹。



山塘街の入口はこんな大仰な門がある。









巨大な蘇州駅。



そして駅前の巨大な像。



水際で夕涼みをする人々。

2016年04月21日(木) 一つの都市、二つの世界

上海にやってきた。機内でこの街の歴史の本を読みながら来て街をざっと歩いた感想。発展目覚ましいといわれるこの街は確かに一部のものは目覚ましく変化しているが、構造と体質は150年前と変わらないのではないかということ。19世紀後半、貿易港としてイギリス、フランス、アメリカ、ロシア、日本などに目をつけらて各国の租界が出来た。租界の中に住む人々は、自国からの文化をまるごと輸入し、優雅に暮らした。決して租界の外に出ることはなく、中国人と交流することはなかった。そして、中国人達も彼らに興味を示すことはなかった。現在、租界は″旧租界″と呼ばれている。しかし実際はどうか。金融系の会社のオフィスが入るモダンな高層ビルやコンプレックス。グローバルなカフェやレストランのチェーンも入って、客の半分くらいが欧米系だ。コーヒー1杯30元、食事は200元くらい。そのすぐ裏手の小さな路地には全く異なる世界が広がっている。屋外の石の洗面台でゴシゴシと衣服を洗い、石窯でパンなどを蒸している。屋台を除くと、20元もあればおなかいっぱい食べられるような価格設定だ。ここの人々を表通りのスタバで見ることがないように表通りの欧米系の人々の姿もここにない。ここの人々はわたしのようなカメラをぶら下げた異色なツーリストが踏み込んでいっても全く興味がないといった雰囲気でじろじろ見たりはしない。外国人慣れしているが、頑なに無関心を貫いているかのように。まるで一つの都市に二つの全く交わることのない世界が存在しているかのようだ。

ステイしている宿は路地裏にあり、道路にゴミが散乱し、そこら中に痰や唾を吐くオヤジ達がうろつき、屋台では肉の塊に包丁を振り回している人やら串焼きに群がる人でごったがえしている。はじめてメトロの駅を降りた時は″うわぁ〜、すっげ〜″と圧倒され、車や自転車に轢かれそうになりながら歩いたが、しばらくするとゴミや痰や車をよけながら歩くのがうまくなった。幸い宿はクリーンで、ラウンジへ出れば、色んな国籍の旅人がたむろっていて、夜な夜な話す相手を見つけることができる。日中は裏路地を練り歩き、おなかがすいて食堂へ入れば、肝っ玉かあちゃんみたいな店主にわけもわからず中国語でまくしたてられながら食事したりしてるのだから、宿へ戻って英語がすんなり通じる人々がいるというのは″Home″に辿り着いたような安らぎを感じる。

(写真:洗濯物は小路の通行人に見せびらかすように干すのがスタンダードのようだ)


2016年04月18日(月) 巡り巡った林檎

そろそろ林檎の季節も終わりかな。岩手出身の叔母のところに実家から届くという立派な大きな林檎を毎年お裾分けしてもらってる。いろんな林檎のお菓子を作って冬を楽しんだけど、最後はごくシンプルな林檎のタルトにした。生地はバターじゃなくってピーナッツオイルで、林檎はラム酒できゅっと煮詰めた。林檎が足りなくなってぎっしり並べられなかったけどとても美味しかった。遠くに嫁いだ叔母を思って毎年送られる林檎、真っ先にお菓子作りが好きな姪を思い出してお裾分けしてくれる叔母。そしてお菓子作りが好きな姪は美味しいのが出来ると嬉しくなって林檎のお菓子が大好物な叔母への手土産にしたりしているのである。こうして岩手からやってきた林檎は巡り巡ってみんなをハッピーにしているのだ。

最近気付いたこと。食事と一緒にワインを飲むと胃がスッキリするとか、食後に濃いコーヒーを飲むとおなかが落ち着く、とか思うけど、そもそもそれって食事が油っこいとか塩分が糖分が多い濃い味な故にそうなるのだよな。そんなこと誰でも知ってるって?いえ、なんとなくワインを飲んで食べ合わせの良い食事をした気になったり、コーヒーを飲んできれいに締めくくったみたいないい気分になってたけど、ふとそんなことに気付いてしまったのだ。だってあっさりとしたざるそばを食べる時、ワインは欲しくならないし、食後には濃いコーヒーじゃなく、薄い番茶なんかでもおなかは落ち着くものだ。わたしはそれでも嗜好品として、なんであれコーヒーを飲むけど。ワインやコーヒーを飲まなければおなかがざわつくような食事はなるべく控えるよう心がけよう。


2016年04月15日(金) Una giornata particolare

ベトナム料理の本に載ってたハロン湾のバナナパンケーキを焼いてみた。砂糖を使わず潰したバナナで甘みをつける。焼きたてのアツアツにメープルシロップやらハチミツ、ヌッテラをつけて食べてみたが、何も付けないのがやさしい甘みで一番美味しい。先日テレビで中谷美紀さんが砂糖は5年以上食べてないと話していた。白米とか小麦粉も食べないそうだ。テレビの中の人は化粧やらライトやらで素肌がどんなものか解らないが、ひとつ言えるのは顎のラインがくっきりしていること。調べてみると彼女とわたしは同い年。どんなに痩せている人でも30代後半あたりから顎のラインが歪んでくる。6年間の菜食生活で体を壊して、肉もしっかり食べる今の生活になったらしい。真似してみようとは思わないが、参考までにメモしておこう。

″Una giornata particolare(邦題:特別な一日)″というソフィア・ローレンの映画を観た。ヒットラーがローマを訪れた日、パレードを見ようと市民はこぞって出かけていく。静まり返った数階建てアパート。残されていたのは日々家事に追われる主婦のアントニエッタと同性愛者で反体制派のガブリエレだった。ふたりが出会う。自殺することが頭を過っていたガブリエレはその出会いに救われ、そこそこ幸せながらも満ち足りず、不満を漏らす相手もいなかったアントニエッタは繊細なガブリエレに惹かれ、女としての幸せな気持ちを感じて恋に落ちる。二人の逢瀬は題名のとおり一日だけのものだ。映画の舞台は最初から最後までアパートの中。二人の揺れる感情だけがくっきりハイライトされる。二人の会話やアントニエッタの独り言なんかが面白くて最後まで釘付けだった。

しかし、何はなくともその日が″特別な一日″って思えることってよくある。いや、何もないからこそそう思えるのかも。仕事なんかで走り回って大変な一日の終わり、作った夕飯がすごく美味しく出来たとかそんなことだけで、その日が″特別な一日″に甦るみたいに思える。一日は一生の縮小版だ。生を受けて山あり谷ありの人生みたいに、朝起きて、幸運や不運に見舞われる。でもひとつ良いことがあれば″特別な一日″みたいに思える。


2016年04月13日(水) 話題の大統領

今話題の″世界一貧しい大統領″がテレビ出演してるのを見た。胸に″NORTH FACE"のロゴが入ったパーカー着てて、真面目に政治について語ってるんだけど、おじさん達が咥え煙草でゲームに興じてるような街角の錆びれたパブで世間話してるような雰囲気でちょっと笑ってしまった。でも、

「お金の好きな人は政治家になってはいけない」

という言葉は頷ける。確かにそういう人は企業家になればいいと思う。″リーダーだから″というけど、給料が庶民と違うんだから、いくら庶民派ぶりをアピールしてみても、本当の庶民の気持ちなんて解らないんじゃないかとか、国に対する情熱をアピールしたって、じゃぁ、しがない会社員と同じ給料でもやる?ってどのみちシラけてしまうもの。政治家からお金の匂いがするとたちまち胡散臭く見えてしまうのは仕方ない。

生まれが貧しく、革命を掲げた過激な組織に属して、刑務所で拷問にかけられ、13年も密室に閉じ込められたような人と、総合的に言えば平和だといえる日本で金銭的に不自由なく育った人が同じ悟りを開くことはない。思想に共感しても真の意味では悟りの重みまでは共有できない。それはわたしも同じだ。


2016年04月08日(金) hate or walk away

″hate"という言葉は自分に関係のないことに向けられたものでも、聞けば強く心に突き刺さる。冗談めいた会話の中でリズム的に選んで使うことはあるけれど、例えば自己紹介などでhateなものなどを語る人を見ると、それだけで非常に尖っていて憎悪の感情の強い人という印象を与え近寄りがたくなってしまう。

映画″Le Grand Bleu"の中で一面雪に覆われたペルーの奥地でジャックと出会い恋に落ちたジョアンナはニューヨークに戻る。空港からのHWYは騒々しく、タクシードライバーは怒声をあげている。自宅に戻ればルームメイトはだらしない姿で3リットルくらいはありそうなアイスクリームのボックスを抱えて直接スプーンを突っ込んで食べている。

″I hate New York"

ジョアンナが呟いたこのセリフには日常と非日常の格差に対する大きな絶望があらわされていた。

日本人の悪いところは好き嫌いをはっきり表現しないところだという人もいるけれど、わたしはそれでいいのではないかと思う。嫌いとはっきりと口にしたところで、気が変わってそれを好きになる可能性を失ってしまうように思える。人は嫌いなものには捕らわれがちだ。そして好きなものにかける時間や労力を嫌いなものへの執着に消耗してしまう。社会に一歩でれば苦手な人や物、嫌いな人や物に出くわす。そういう感じ方をした時にはなるべく黙って通り過ぎる。時間を置いて改めて再会すると、違う感じ方をする時もあり、またまったく好き嫌い以前に興味を感じないこともある。臭いものにただ蓋をするという意味ではない。嫌いなものについて突き詰めて考えることだって時に必要だ。ただ憎悪の感情で満たされてしまって、正しい判断力を失ってしまうようなことなら忘れたほうがいいのではないか。限られた人生の時間、hateよりloveに執着して生きてくほうが余程有意義だものね。

***

親戚の営む寿司屋を通りかかったら、イカをくれた。問題なく食べられるけど、見栄えの問題で客には出せない切れ端らしい。冷凍庫でご健在の昨夏収穫のバジルのペースト、甘い新じゃがに摘んだばかりのミックスリーフで絶品ランチに変身した。


2016年04月07日(木) 豆腐のホワイトソース

カノウユミコさんのレシピ、ヴェーガン仕様の豆腐を使ったホワイトソースはひとつの定番だ。絹ごし豆腐(木綿でやっても味には別状なし)、白味噌、オリーブオイルにレモン汁をフードプロセッサーでペースト状にするだけ。普通のホワイトソースより簡単だし、何よりもすごく美味しい!ふんわりと温かく大豆が薫る豆腐花のような味わい。今日の夕飯は先日作って余ったパプリカライスを敷き詰めて、豆腐ホワイトソース、チーズを乗せて焼いたものだが、もっと軽いのがよければ、チーズの代わりにパン粉や余って固くなったパンでもいい(これならヴェーガンでも食べられるしね)。本来動物性の食材を使うものをヴェジタリアンやヴェーガン仕様にした疑似料理のようなものは成功していないものも多々あるけれど、これは文句なしに美味しいと思う。おなかに軽いのもいい。動物性のホワイトソースより断然好きだ。


2016年04月03日(日) 桜の下で国際交流





















転職活動で以前働いていた会社を訪れた。10年以上ぶりだ。必要以上に胸騒ぎがしているのは面接のせいはなく、付き合ってるとも言えない友達以上恋人未満のような関係だった人とばったり再会したりするのではないかという淡い期待を抱いているからだ。女の典型でとことん向き合って別れた男の人には執着心がないが、曖昧な関係だった相手ほど懐かしく思い出してしまってふと会ってみたくなったりする。面接は同敷地内にあるだけで、全く別の会社だとジョブエージェンシーは話していたのだが、面接官のひとりが微かに記憶の片隅にある人だった。相手も同じのようだ。以前働いていた会社から数名が流れてきたと聞いて、内定ももらってないのに、もしかしてその中に彼がいるのではないかとまた期待してしまう。

面接はさんざんだった。人格が出てしまうような質問をぶつけられ回答に屈した。″模範的な回答″を用意していなかったせいで、日頃考えている″模範的でない″本音がでてしまったりした。

帰り道、すっかり落ち込んだ。昔の男友達との再会もなく、面接もうまくいかなかった。そして何よりわたしの心を曇らせたのは面接官の他愛ない質問だ。

「失礼ですが、結婚されていますか。お子さんは。」

居酒屋で聞かれたら特に気にもかけず答えただろう。でも就職の面接で聞かれるのだ。別の面接官が慌てて付け足した。

「いえ、スタートアップに携わってもらうので、軌道に乗るまでは突然長期休暇などを取られると困るもので」

わたしが男であったら同じ質問をされただろうか。彼らの統計上女は家族がいたら家族のことであれこれと休暇を取る傾向にあるのだろう。そしてその統計は間違っていない。しかし、それはあくまで統計で、中には男が育児休暇を取得する家庭だってある。この質問は未婚だといえば、どこか変わっているのではないかと、既婚だといえば、休暇をいっぱい取るのではないかという勘繰られる、もう女という性でどのみち不利な匂いのするものに思えた。″女性の社会進出″なんて掲げても、やっぱりどこか男の女の間には社会における違う役割があるのだろう。わたしはフェミニストのような精神は持ち合わせていない。日本は先進国の中でも最も女性の社会進出が実現されていない″遅れた″国だと言われるが、女性が家庭に入っていることでうまくいってることも多々あるのではないかと思っている。わたしはただ社会の中で″自立したひとりの人間でいたい″と思うくらいのことで、それは未婚でも既婚でも労働者でも専業主婦でも実現可能だとは思う。期待されていないパーティーにひょっこり顔を出してしまったようなどこかあわれな気持ちになった。

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今年のお花見は国際色豊かな面子が揃った。中でも、珍しく英語が堪能でグローバルなセンスを持ったイタリア人と話せたのはとても面白かった。イタリアという国は興味があるが、本で読んだだけで、なかなか生の声を聞けたことがなかった。

「インドに旅行したいけど、イタリアではインドは危険な国だと言われてるからちょっと怖いんだよね」

という言葉には爆笑してしまった。イタリア人に危険などと恐れられるインドってすごい。

「両国とも良い勝負だと思うけど」

「え!?そうかな。だってインド人って運転とかも超適当でみんな好き勝手な方向に走ってるんだよ」

それもイタリア人といい勝負だけどね。

飲んで、食べて、おなかが落ち着いた頃、彼がバッグから黒い液体の入った極小のボトルを出した。

「なにそれ!?」

「エスプレッソ。食後はこれがないと絶対ダメ」

味見する?と渡してくれたが、一口で飲み干してしまえるような量で、全部飲んだら怒るだろうと気を使った。

日本の典型でもある観賞用の桜の下、食用のサクランボの国の人々との交流は大いに盛り上がり、国境のないジョークの数々に沢山笑った一日だった。

(写真:桜の下で遊ぶおじいちゃんと孫らしいふたりがなんとも可愛いらしかった。子供が子供でいる時間は桜の花と同じくらい儚いものね)


Michelina |MAIL