My life as a cat
My life as a cat
DiaryINDEXpastwill


2016年01月26日(火) カマルグから来た相棒

昨年の夏、フランス旅行中に財布を掏られた。旅程の二日目の朝のことで、その翌日そもそもの旅の目的だったカマルグに到着した時には無駄遣いしなければなんとか後の旅程をやり過ごせそうな額の現金しか持っていなかった。きっちりと調べ上げてきたちょっとお高いけど良さげなレストランは断念した。土産も自分の買い物もいちいち吟味した。財布はないが″財布の紐は堅い″。

旅から半年が過ぎた今、その旅の道中で買ったお菓子は食べてしまったし、マルセイユ石鹸は使ってしまって、手元に残ったのはカマルグの土産物屋で買った白い馬の小さなぬいぐるみだけだ。知らない土地で財布を掏られ、少し心細くなっていた。″Cast away"という映画の飛行機事故で生還したものの、無人島にたったひとり流れ着いてしまった青年の心境だ。青年は心細さと孤独故にゴミのように島に流れ着いたバレーボールが命あるもののように見えてきて、それに名前をつけて心の拠り所にする。カマルグで本物の白い馬に触り、すっかり魅了されてしまい、土産物屋からぬいぐるみを連れてきたのだった。旅の途中ずっと枕元に置いて寝た。気分が安らいだ。

旅の帰路は身軽だった。隙間のあるラゲッジに広々と白い馬が泳いでいた。なんとも言えない心地良さだった。

限られた予算の中で旅をしていく中で、取捨選択して自分がいちばん欲しいものが見えてくる。自分が今まで必要だと思っていたものは、本当はなければないでいいものばかりだったのではないか。財布を掏られたことは、思いがけず自分が人生に本当に必要としているもの考えるきっかけをくれた。


2016年01月25日(月) I want Happiness

フランス人は英語を話すときもつい母国語と同様にHを抜かして発音してしまうことが多々ある。最近はわたしも慣れたものだ。

口論もしてないのに

″Are you angry?"

と聞かれれば、

″Yes I am hungry. Let's eat something"

と返し、

″I ate her!"

と言われれば、

″I know, you two don't get along"

などと受ける。

発音だけでなく、文法上でもフランス語をそのまま英語にしてたりもする。

″アイアブオット″

と言われたらそれは″I have hot"であり、フランス語の″J'ai chaud(暑い)″をそのまま英語にしたものだ。英語では″I am hot"で"わたし = 暑い″だが、フランス語では″わたしは暑さを持っている″という概念らしい。

先日観た映画に傑作なジョークがあった。″Hector and the search for happiness(邦題:しあわせはどこにある)"というイギリスの映画。ヘクターは精神科医で来る日も来る日も患者のネガティブな話を聞いている。そのうち自分も気を病むようになり、しあわせとはなにかを探す旅にでるというおはなし。コメディタッチで笑えるけど、観た後にポッと心があたたかくなるようななかなか良い映画だった。その一場面、パーティー会場で出会ったイギリス人のヘクターとフランス人の老婆の会話。

″I'm Hector. I am a psychiatrist″

″Psychiatrist! You can help me?″

″I think not″

″But I want a penis

″A penis.. You mean happiness"

"Everybody want a penis,but you cannot hold a penis

"Yes, sorry. It's elusive, yes. You can't touch happiness"

"You cannot touch a penis"

フランス人がこの映画を観たら怒りそうね。こういうブラックなジョークを好むのはどちらも同じなんだけどね。わたしはゲラゲラ笑ってしまったよ。


2016年01月22日(金) Tuna Tartare

先日パリのレストランで″Tartare″という生のビーフを叩いてハーブや卵黄と混ぜた料理を見かけて、一度作ってみたかった。この料理、起源が面白い。

以下Wikipediaより抜粋<<

タルタルステーキの名前は、「タルタル人」に由来している。タルタル人とは、東ヨーロッパの人々がモンゴル帝国の遊牧民たちを指して言ったタタールが、西ヨーロッパでギリシア語のタルタロスの影響を受けて訛ったものである(タタール人の民族料理がヨーロッパに伝わったと説明されることもあるが、彼らの間では生の馬肉を食べる料理はなく、これは明らかな誤解である)。14世紀にモンゴル帝国が解体した後も、長らくモンゴル帝国の遺民であるユーラシア内陸部、中央アジアや北アジアのモンゴル系、テュルク系、ツングース系の諸民族を漠然と指す民族名として、20世紀まで使われ続けていた。

一般的に知られる説によると、タルタルステーキの調理法も、タルタル人から伝わったものである。モンゴル帝国当時の遊牧民たちは、遠征に際し、1人につき何頭も馬を連れていき、これらを乗用としてだけではなく、軍中の食料としても利用していた。しかし、乗用の馬は、食用に飼育された馬肉とは異なり、筋が多く、硬く食べにくかった。そこで、鞍の下に刀で細かく切った肉を入れた袋を置いて馬に乗り、自分の体重と馬の運動で潰してから味付けをして食べる食習慣があったとされる。ヨーロッパ料理のタルタルステーキは、このタルタル人たちの馬肉料理が起源と言われている。

しかし、ヨーロッパにこの料理が伝わると、農耕社会では馬は役畜であり、乗り潰す程に酷使することもなかったので、むしろ牛など別の家畜の肉が用いられるようになったという。また、生肉の生臭さを消すために、胡椒や香草を多用したのも、ヨーロッパにおける創案とされる。

別の説では、タルタルステーキは、純粋にヨーロッパで生まれた料理とされる。この説は、生の挽肉を食べるということから蛮族風ステーキという意味で、当時蛮族の代名詞であったタルタル人の名をつけたとする。

挽肉の焼肉料理であるハンバーグは、タルタルステーキを焼いて食べ易くしたものが起源とされ、その名前は発明された地名であるドイツのハンブルクに由来する。ただしドイツではこれをハンバーグステーキとは呼ばず、フリカデレと呼んでいる。また、この種の遊牧民の生肉料理は朝鮮に伝来しユッケの元になっている。

>>抜粋終わり


ビーフはNGなので、わたしのバイブル、イタリアンの巨匠″ラ・ベットラ″の落合シェフのイタリアンの基本料理の本にあるマグロのタルタルに挑戦してみた。材料の買い出しへ。日頃駄菓子屋通いのようなお金しかスーパーマーケットに落とさない身としては、これはかなり高コストな料理だが、たまには家でこんな贅沢を味わうのもいいじゃないかね。作り方はコツなし。全部包丁で叩いて混ぜるのみ。マグロ、アンチョビ、バジル、イタリアンパセリ、玉ねぎ、ケッパー、オリーブ、卵黄、マスタード、オリーブオイル、塩、胡椒。

見た目は華やかではないけど、お味のほうは絶品。加えて″新しい″かな、わたしには。マグロとかあまり好きじゃないし、滅多に食べないしね。ワサビ醤油で食べるくらいしか知らなかったから。本によれば、良いマグロなんて使う必要なし、赤身で十分とのことだが、赤身がいちばん適してると思われる。

しかし、日頃野菜だけしか通らない胃袋に、マグロに卵黄とかくるとやっぱり重い。ひとりぶんの分量で作ったけど、半分も食べたらもう入らなくなった。残りは夜に温かいごはんに乗せて食べるとしよう。


2016年01月17日(日) パスタの蝶々が野を舞う

パリのFauchonで買ってきたカラーパスタ(カラーは全部自然の食材から取った色)を使ってみた。ホウレンソウのクリームと和えていただく。お味のほうは悪くないけど、味覚より視覚を喜ばす食べ物だね。パリの人でも普段使いはしないスノッビーなFauchonだが、あそこで売ってるものは価格なりに凝ってて美味いと思う。サブレなど、甘い生地がさくっと口のなかで砕けて、最後にふわりと塩味を残すようなニクい作りだ。

″パリ、ただよう花(原題:LOVE AND BRUISES)″というフランス映画を観た。監督はフランスに住んでるのに全くフランス語を話さない中国人だとか。けっこう評価の高い作品のようだが、なにがいいのかさっぱりわからなかった。偏った思考を持った頭の悪いフランス人男と勉強はできるのに生活は投げやりでひたすらセックスに溺れる中国人女の話。何か最後に救いでもあるのかと思いきや、最後までろくでもない人物しかでてこなかった。


2016年01月15日(金) 焼きたてパンと朝摘みの花

朝、意中の人が焼きたてのクロワッサンと一輪の赤い薔薇を買ってきてくれた。わたしのような物欲の薄い人間には、高価な装飾品のプレゼントよりも、こんな何気ない日常のひとときに彩りを添えるような贈り物が何より心を打つ。″フランス人はお金をかけずに贅沢を楽しむ″といわれるけど、それは本当ではないかと思う。創意工夫でなんでもないことを贅沢に見せてしまえる能力は生まれた時から培われてきたに違いない。

これはイタリアの話だが、内田洋子さんの著書 「ミラノの太陽、シチリアの月」の中の″鉄道員オズワルド″というとても好きなストーリーがある。甘くて切なくて優しくて哀しくて、、、全ての感情が散りばめられたような濃密さで、何度読んでも感極まって泣いてしまうのだが、その一場面にこんなのがある。

鉄道員のオズワルドと妻のテレーザは共にヴェネト地方の貧しい小村で生まれ育った幼馴染だった。安住を求めてふたりとも公務員になる。職場で再会した際にオズワルドに雷が落ちた。大家族の家計を支えなくてはならず、宝石も買えず、映画にも誘えない彼は、副業でやっていたパン職人の仕事で自由になった小麦粉でテレーザに愛を伝えることを思いつく。職場への道中の森の中で木の実を拾い、野花を摘み、パンを焼いた。それは木の実入りのフォカッチャだったりピッツァだったり。焼きたてパンに毎日違う野花を添えて改札で働くテレーザに届けた。テレーザは焼きたてのパンを食べ、日替わりの花を押し花にする。押し花が100枚になるころふたりは結婚を決める。やがて娘も誕生する。。。。

このストーリーはここでハッピーエンディングとはいかず、何事も永久とはいかない人の生が続いていく。

薔薇をグラスに挿してテーブルに飾る。コーヒーを淹れて、朝食を摂りながら他愛ない会話をする。焼きたてのクロワッサンがすっかり冷えてしまっていることに冬の朝の寒さを実感し、コートの襟を立てて白い息を吐きながら買ってきてくれたのだと想像すると余計いじらしいではないか。こんな朝はこれからはじまる一日を良い予感で満たしてくれる。


2016年01月10日(日) La Jacobine

小雨の中を1日中散歩。滞在先からバスティーユまで、更にサンポールまで。お目当てのヴェジタリアン・ファラフェルサンドが絶品の″L'As du Fallafel″へ到着するまでにはすでに1時間くらい歩いていた。ところが、休業だった。仕方なくその前のお店で食べる。この辺りはユダヤ人地区らしく、土地が高く、高級なレストランやブティックが立ち並んでいるのだが、ファラフェル屋などリーズナブルな食堂もあるのが嬉しい。この通りにおいてはファラフェル通りと名付けてもいいくらいだ。前の店のもとても美味しかったが、揚げ茄子が入っていないのがかなり残念だ。しかし、寒い小雨の中1時間歩き続けてありつく温かい食べ物は格別だ。

更に歩く。市庁舎を通り、セーヌ川を渡り、サンミッシェルの噴水を通り過ぎ、オデオンまで。小さなアートギャラリーが立ち並ぶ小路を歩き、細いがたごと石畳のアーケードへ入る。その中の小さな小さなサロン・ド・テ″La Jacobine"へ。友人おすすめのホットチョコレートを頼む。周りを見回すとみんな何か大きな陶器の土鍋のような皿にたっぷりと入った肉やら野菜を食べている。寒々しいセーヌ川から歩いてここへ辿り着いた身にはそれはそれは魅力的に見えた。ホットチョコレートは、板チョコ2,3枚入ってそうな激しく濃厚なものだった。沢山歩いてなきゃ、飲めないね。建物も古いのだろうか、地下のトイレへ降りる階段は狭くて急で、クロエちゃんがいたらさぞかし喜んだろうと思った。大晦日、家族はみんな忙しいので、クロエちゃんを動物病院に一泊させることにしたのだが、行く時には嫌がって大暴れして、病院では一切何も食べなかったそうだ。捨てられたと思ったのだろうか。可哀そうなことしたな。たまにこんなことを思う。わたしの世界が歩いて1周できるような小さなものだったら、と。その中に両親と妹、恋人に親友に愛猫がいる。実際、実家のある田舎にはそんな暮らしをしている人がいくらでもいる。同級生と結婚して2世帯住宅を建てて。。。そんなのごめんだと思ってきたのに、気付けばわたしはどこにいても誰かが恋しいう常に隙間風が心に吹いているような状態が当たり前になってしまっていた。こんな愛らしいカフェに一緒に来られたらよかったのに、と日本に置いてきた相棒を思った。


2016年01月09日(土) パリの風俗

案内役の友人にカルフールかモノプリへ行きたいとリクエストしたところ携帯でピコピコ探してくれたのだが、ぶつぶつと呟きながら首を捻っている。聞いてみると、パリ市は小さな個人商店を潰さないように、店舗のサイズにリミットをつけているから資本の大きなマーケットでも規定サイズ以上の店は広げられないのだとか。それで比較的大きなのを探しているらしい。ギャリエ・ラファイエットやポンピドゥなどはマーケットとはまた別のカテゴリーになるからあんなに大きくできるのか。経済的なことはよくわからないが、日本のあちこちに次々に建てられる巨大ショッピングモールにブーイングしてる身としては小さな個人商店があって、人々が夕飯時、ブーランジェリーでパンを買い、キャトルセゾン(八百屋)で野菜を買い、フロマージェリでチーズを買い。。。とやってる景色が好きだ。専門店のほうが質と価格が高いのは日本と同じだが。パリのスーパーにて便利だと思うのは価格表示の下にキロ当たりの価格が表示されていること。チーズでも小麦粉でも石鹸でも、すごく比較しやすい。しかし、日本ではたいてい量の多いほうがキロ当たりの価格が安いというのが大抵の常識ではないだろうか。ここでは必ずしもそうではないようだ。少量のを何個も買ったほうがお得だったりもする。

友人の用事でオペラのネスプレッソの店へ行く。銀座エルメスとかジョルジオ・アルマーニとか、そんな雰囲気の立派な建物で、制服を来た沢山の店員達がてきぱきとサーブしている。すごく人気があるらしい。一杯30〜40サンチームで街のカフェと同じコーヒーを家庭で飲めるのだから、まったく悪くない。バゲットを半分に割って、薄くバターを塗り(フランスにはマーガリンのような柔らかいバターが売ってる)、カマンベールチーズを塗り、それを濃いコーヒーにさっと浸して食べたりする。真似てみたが、とても美味しかった。さて、わたしはフランス人が一般的に呼ぶ″カフェ″という小さくて濃いコーヒーも好きだが、スタバのような大きくてガブガブ飲めるのが恋しくなったりもする。しかし、パリのスタバはどうも雰囲気が冴えない。それなりに人は入っているが観光客っぽい人ばかりだし、現地の人にはウケないのか、代官山のT-siteみたいな威風堂々の佇まいのものは見られず、どこも肩身が狭そうだ。


2016年01月05日(火) Les Triplettes de Belleville

パリにいる。空がどんよりと重く、ずっと小雨が降ったり止んだりしている。この時期に計画したのがそもそも間違いなのだろうが、悪天候のため楽しみにしていたノルマンディへの旅は見送ることとなった。パリに留まり、散歩して、美味しいものを食べて、散歩して、カフェに入って。。。というここの人々の普通の週末のような休暇を過ごしている。観光スポットもいいが、なんの変哲もない人々の日常を垣間見るのはもっと面白い。

真昼間、ベルヴィル通りには中華系の顔立ちの女の子達がショート・パンツに薄手のタイツにロングブーツという恰好で携帯電話で話すふりをしながらうろうろしている。フランスの娼婦はイノセントな女の子との違いがかなり際どい。心なしか、道行く男達の目つきもどこか怪しく、目があっただけで物色されているような薄気味悪さを感じる。

ベルヴィル通りを折れてレピュブリック広場を目指して歩く。交差点の信号待ちで立ち止まりふと前を見ると、鄙びた宿の1階のレストランの前に沢山の花が手向けられている。先日のテロで襲撃されたところだった。フランス人を標的としたのではなく、フランスの誇る都市パリならどこでもよかったのだろうか。周辺にはケバブ屋、洗練とは程遠い哀しいくらい所帯じみた雑貨店や洋服屋が立ち並び、裕福とは言い難い移民のかおりを漂わせている。

アメリ・プーランが水の石切りをしていたサンマルタン運河をクロスして、リピュブリック広場に到着。平和の象徴であるオリーブの枝を掲げたマリアンヌ像の前にも沢山の花が手向けられている。千羽鶴もあった。

(写真:T-シャツトリコロール。こういうお茶目好きだな)


Michelina |MAIL