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2015年12月31日(木) |
朝焼けに染まるアブ・ダビの空港より |
今は早朝。アブ・ダビの空港のカフェにてアホのようにマズくて高いコーヒーを飲みながらこれを書いている。そんなことだろうと知ってたけど、以前あったスタバは閉店したとかいうし、仕方ないね。しかし、窓に面したカウンター席からは、砂漠の彼方に昇りゆく朝日が地平線を綺麗に染めているのが見えるからいいとするか。
こんな忙しい時期に旅行することは滅多にないのでどんなものかと思っていたが、2年前のGWの香港と同様、空港は一歩ラッシュとずらすと大したことはない(ニュースでは29日が空の便のピークだと言っていた)。出発ゲートまできてドタッと腰をおろして、隣を見てお互いに声をあげてしまった。会社のカフェテリアでよく隣のテーブルにいる外国人男性。名前も国籍も所属部署も知らなかったのだが、なんどか話したことがあった。ランチ時、いつも一生懸命備え付けのスプーンやフォークやカップをナプキンで拭っている。日本の衛生観念を信頼してても、もう癖でやめられないらしい。彼は奥さんが出産のためにインドに帰り2番目の子供を産んだので、迎えに行って、家族4人一緒に戻ってくるのだととても嬉しそうだった(まぁ、わたしの職場にくるようなインド人はみんな裕福な育ちでいつでも天真爛漫な感じだが)。
フライトは順調。最近のわたしのテーマは″Sleeping Beauty"である。機内でも快眠できるように、″外出可能な寝間着″に着替え、化粧を落とし、カフェインを絶ち、ぐっすり寝た。空港でも女性専用のPrayer Roomで寝袋を広げ、仮眠をとった。1日24時間の使い道は労働/睡眠/その他もろもろがそれぞれ8時間になるのがやっぱりベストなのではないか。きっちりぐっすり眠れば起きてる間の集中力はちゃんと持続する。
自分で選んだことにしろ、今年の大晦日、家族と過ごせないのはとても残念だ。この年になると、自分や家族が健康でいられることに毎日感謝せずにいられなくて、一緒に過ごせる時間をいちいち噛みしめてしまう。
さて、そろそろパリへ出発。こんなメモ帳のような日記にもちゃんと足しげく通ってくれる人々がいるようだ。よいお年をお過ごしください。
原題″THE SEARCH″というフランス映画を観た。チェチェン紛争のおはなし。紛争を描きながらも地味で静かに展開される映画なのだが、構成が面白かった。最後まで観たら作り手が描きたかったことがはっきりと伝わってきた。ふたつの場所で展開されるふたつの物語。ひとつは両親を殺害された9歳の少年の物語で、もうひとつは理由をつけて半ば無理やり兵士にされた19歳の少年の物語。一見違うようでこのふたつの話は本当はひとつの物事の表と裏なのだ。残酷な兵士となった19歳の少年は、両親を殺害されて孤児となった9歳の少年が成長したらこんなだろうと思わせる見た目だ。ポケットに両手を入れる癖も同じ。残酷な兵士は元から残酷な人間だったわけではない。入隊する前はどこにでもいる普通の青年だった。入隊して生き延びるには、既にそこにいる残酷な兵士達と同化する以外に道がない。戦争や紛争の加害者と被害者は本当はたった紙一重で、善良な市民はほんの小さなきっかけでどちらにでもなってしまう。悪と正義とか敵と味方とかじゃなくて、人間の心の脆弱さであり、強靭さであり、感情が擦り切れてもなおかつ生きる道は続いていくというところがハイライトされた映画だった。
しかし、この監督″アーティスト″という無声映画でアカデミー賞を取った人なのだが、大好きなシルバン・ショメとかぶる。″Les Triplettes de Belleville ″や″The Illusionist″などの無声アニメときて、″だんまりの青年″が主役の″Attila Marcel(邦題:ぼくを探しに)″だ。心に負った傷が癒えるとき、声を取り戻すのも同じ。暗闇で味覚だけに頼って味わうレストランとか、表情や動きだけで感情を伝える映画とか、いかにも感情表現に繊細な感覚を持つフランスのテイストのように思う。
2015年12月25日(金) |
クリスマス・プレゼント |
あたたかいクリスマス。旅に出る直前につき、大晦日のお仕事に精をだした。窓拭き、キッチン周りのしつこい油汚れの掃除。秋口の涼しいころ、クローゼットや引き出しの中の物を全部出して、取捨選択して戻したから大したゴミは出ず、あっさりしたものだ。持ち物がシンプルであればあるほど、物事に対する集中力は増す。来年はもっと読書をしたい。そしてもっとクロエちゃんと遊ぼう。一日退屈に寝てわたしの帰りを待っていてくれるのだから。
夕飯はアンチョビとガーリックを効かせたくたくたブロッコリーソースのパスタとオリーブブレッド。頂き物のクリスマスモチーフを象ったパスタを使ったのだが、何の形だかすっかりわからなくなってしまった。
昨日は会社へ行き、帰りがけ有志がラウンジに集い、恩師を呼び出し、みんなでお金を出し合って買ったプレゼントを渡した。畑仕事をしながら聴けるようにと軽量のポータブルラジオと有名なショコラティエのケーキ、そして半分ジョークのような笑いたっぷりのメッセージカード。
「嬉しい。泣きそう」
という当人の言葉には、プレゼントのことだけではなく、50年間勤め上げた会社への思いも含まれているのだろう。50年も続けてきたことをやめるときはどんな気持ちだろう。トラブルがあれば、山中でも海上でも砂漠の中でも駆けつけた。旅行の思い出は大半が仕事の思い出だろう。わたしがパリへ行くという話をしたら、あれこれと教えてくれて、10回行ったというから相当気に入ったのだろうと思っていたら、アフリカのプラントへ仕事で駆けつけて、乗り継ぎでちょっと寄って遊んだだけとか、そんなのばかりだもの。仕事のことを聞けばなんでも知ってるのは″勉強したから″というより思い出深いという感じだ。あぁ、それは砂漠の中で苦労したから忘れもしない、何度やってもうまく回らなくて大変だったな、とか。過去50年の暮らしのあらゆる思い出が仕事と結びついているのだろう。
最後の仕事は週末わたしの畑にジャガイモを植えてくれるという。イモが収穫できる頃になったら彼の″山の畑″に訪ねていこう。
帰宅途中。あまりにもの空腹で、近所のスーパーマーケットで″ご自由にどうぞ″と置いてある試食の煎餅をふたつ、みっつ取って、ぼりぼりぼり。。。と食べながら買い物していた。そこへ小学校低学年と幼稚園くらいの姉妹が歩いてきた。妹が試食の煎餅を欲しがる。おねえちゃんがひとこと。
「いいけど、ひとつだけだよ」
「は〜い!」
と妹。ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、夢中で食べていた煎餅が喉に詰まりそうになった。恐れ入りました。わたし深く反省しました。
お菓子コーナーの端っこでは、小さな男の子がフックにぶら下げられていた小袋のベイビースターを取ろうと手を伸ばしていた。
「あ〜、届かな〜い。もういいやっ!」
などと呟いていたので、どれどれと取ってさしあげた。
「わ〜、すみませ〜ん」
礼を述べると必死の形相で走り去っていった。子供ってそこに居るだけでその癒しエネルギーは絶大。前の家の赤ちゃんの笑い声など聞こえてくると、それだけで自分を取り巻く世界は平和そのもののように錯覚してしまう。
"The East" という映画を観た。過激な環境保護団体を潜伏捜査していた捜査員がその思想に染められていくはなしで実話に基づいたもの。森の中に身を潜めて、ゴミ箱から拾ったものを食料とし、その暮らしぶりは極めて宗教儀式めいている。彼らは全てが工業化され、食べられるものも規格に合わないという理由で廃棄され、企業が平気で環境を破壊し、有害なものを売ることに抵抗している。″テロリスト集団″と呼ばれる彼らのテロ行為とは、製薬会社の重役が集うパーティーに潜入し、彼らが副作用を知りながら売っている薬を彼ら自身の飲み物に注入したりすること。
彼らの行っていることをテロと呼ぶのなら、金儲けのために自分の顔が認識できなくなるほどの副作用を隠して売る製薬会社の行為はなんと呼ぶのか。自分のドリンクに注入されてはならないものを売っているのだから、これこそテロ行為ではないのか。大企業に汚水を垂れ流され、水道から出る水から病気になっても簡単には他の町に引っ越せない貧しい人々。その大企業の幹部達は離れた郊外の高級住宅地で悠々と暮らしている。
ゴミを漁り森に潜んで生きる人々が、高価なスーツに身を包み高級住宅地に住む人々を攻撃すればテロだという。過激な環境保護団体を声高に肯定できないのは、その暮らしぶりを不気味だと感じ、アクションが一見過激に見えるからだけで、例えば彼らの声明を紙面で読んだならば彼らの主張は道理を得ているとはっきりと賛同しただろう。映画としてはまったく面白くなかったが、ひたすら複雑な気持ちになって忘れられなくなった。
2015年12月12日(土) |
クロワッサンとお寝坊 |
12月とは思えない温かい日。絶好の農作業日和、そしてパン焼き日和だった。蕪と大根をたんまり収穫して、芽がでてしまったニンニクを土中に埋めた。″オヤジ達″がいつの間にか作っていてくれた蕪は色んな種類があって、一見フツウの白い蕪でも割ると中は綺麗なパッションピンク色だったりして、ちょっとした素敵なサプライズだった。朝に生地を捏ねて、発酵させてる合間に本を読んだり、買い物に出かけたりしながらのんびりと作ったクロワッサンはかなりの上出来。オーストラリアで何度も作って何度も失敗してやっと解ったコツ。
〇暑いところで作ってはいけない(織り込むバターがすぐに溶けてきて生地もだらけるので向かない)
〇粉はバゲット用のものを使う(小麦粉と強力粉を混ぜてもいいとされているけど、バゲット用の中力粉に及ばない)
〇バターは味の良いものを(これが味の決め手)
食感の決め手は室温と発酵具合と粉で、味の決め手はバターということだね。何度も失敗しながら自分で成功を導き出した時ってなんて心強いのだろう。
そういえばクロワッサンの形について、マリー・アントワネットが輿入れする際にウイーンから共連れにしたパン職人に、宿敵オスマン・トルコの国旗のシンボルである三日月マークを形作ったパンを作らせたのがはじまりだった、と最近読んだ鹿島茂著「クロワッサンとベレー帽」書かれていてなかなか面白かった。宿敵を呑み込む意味をもった憎しみのパンだったわけだね。
夕飯はグリルした蕪のハーブトマトソース焼きと焼きたてクロワッサン。ぐりとぐらは今日も美味しいものを食べるために森を走り回ったのでした。。。と締めくくりたいところだが、相棒は1日昼寝して、夕方ふわ〜とあくびしながら起きてきて、″美味しいもの食わせろ〜ミャオ〜″と鳴いただけだった。
マルセイユのフツウのスーパーで買ってきたマルセイユ石鹸。キメ細かな泡立ちで使い心地よく顔も体もこれで洗っている。ふわふわと泡立てながら想うのは、青い空の下地中海から乗ってくる風にざわざわと揺られるオリーブの木。うっとりしてしまう。かなりのお気に入りなのだが、最近新たな発見をした。洗濯用の石鹸だったというだけあって、漂白剤に浸しても落ちないシミがこの石鹸バーをこすりつけてちょっと揉めば落ちてしまったりするのだ。汗染みなんかでもすっかり落ちてしまう。素手で触れる洗剤でシミも落とせるのだから、もう漂白剤は買わないだろう。
仕事でも農園でも手厚く面倒をみてくれた恩師が今年いっぱいでリタイアする。最後は有給消化などと言っても、みんながあれを教えてくれ、これをやってくれと離さないので最後の日まで来るのだろう。奥さんの手作りのおやつを持って仕事に来れば、″美味しそう〜″と女の子達に囲まれてせがまれて全部取られてしまったり、みんな野菜をもらいに彼の家の畑まで行ったり、彼の周りにはいつも人がワイワイとしていた。優しいだけではなく、厳しいことも言う人だった。言葉はそれを発する人の心の奥にある気持ち次第でどうにでも意味が変わるとうことを教えてくれたのも彼だった。″早く結婚しなさい!″などという言葉も彼に限ってはわたしを心配してくれているのだろうとありがたく受け取ることができた。みんなのお父さんでありお祖父ちゃんだった。さびしくなるな。彼のほうは自分の家の畑にテーブルとチェアを置いて田舎風景を楽しみながらお茶を飲めるようにしたり、リタイヤ生活を楽しむための準備を着々と進めているらしい。わたし達は彼へのプレゼントを計画中だ。あと何日もないな。彼から受け継いだ農園、来年からはひとりでしっかりやらなくては。