My life as a cat
My life as a cat
DiaryINDEXpastwill


2014年02月26日(水) ホリエモンに会いに行く

書店でサイン会をやっていたので行ってきた。予想とは裏腹に男女比半々だった。年齢層は大半がわたしと、そしてホリエモンと同年代。ホリエモン、見た目は本当にフツウの男の人だが、両手でぐっと手を握ってもらったら、なんだかパワーをもらったような気になった。

最近ちょっと気になる存在で、ラジオを聴いたり、BLOGや著書を読んでみたりしてるのだが、この人のアイディアは泉のごとく湧き続けているのではないかと思う。先日ラジオで、元刑務官と彼が対談するという企画で放送していたのだが、刑務官が1でホリエモンが9は喋っていたな。でも塀の中で考えた再犯防止に対する考えはかなり的を射ていると思った。性犯罪は病気で、まず自分が悪いことをしたという自覚のない彼らに塀の中で更正プログラムなんて受けさせたって無駄だとか、何十年も無免許で運転していて、それでも無事故だったおじいちゃんがなぜ無免許を続けていたかといえば、字の読み書きができなくて筆記試験に受からないからだというのに、そういう人を塀の中に閉じ込めて意味があるのか、改善すべきは運転さえできれば運転免許が取れるような制度にすることだとか。元刑務官に口を挟む隙も与えず喋ってたけど、言ってることはすごく面白い。喋りきれないほど物事に対する意見をあれこれ持ってて、そういうヴァイタリティみたいなものはすごく伝わる。

しかしBLOGに犯罪歴のために六本木ヒルズを追い出されたということが書かれていて、首を傾げてしまう。だってもう刑罰は受けてきたのに、塀の外でもまだ刑罰を受けて二重刑みたいだ。再犯の恐れがあるから犯罪歴を問われるのか、犯罪歴を問われ続けるから再犯に走るのか、どちらが先なのだろう。映画「手紙」や「誰も守ってくれない」ではもう家族が塀の外で同じ罪を背負って生きていくという逃げ場のない辛い現実が描かれていた。こういうトピックはとても考えさせられる。答えはなかなかでないけど。


2014年02月24日(月) 罪悪感

小学校でお世話になったテラさんという先生が何気なくした話は今でもしっかり覚えている。

「動物が車に轢かれて道路に横たわっていたら、もう息をしていなくたって、何度も踏まれたら可哀そうだから、車を路肩に止めて道路脇の草むらなどに除けてあげるの」

もともと好きな先生だったが、この話を聞いてわたしの中に彼女に対する揺るぎない信頼が生まれた。わたしも今度そういうところをみたら同じことをしようと思った。

でも、実際はそう簡単にできるものじゃない。

今朝、犬でも猫でもない、イタチか狸のような動物(直視できないくらい変形していた)が国道沿いの歩道に死んでいた。朝は急いでいてイマジネーションもなく通り過ぎた。落ち着いた帰り道、朝より変形したその動物がコンクリートの歩道に横たわっているのをみて、やっぱり通り過ぎてしまった。現場から遠ざかるにつれて罪悪感がつのる。勇気を出してすぐ脇の木の植え込みにでも除けてあげれば土に還ることができるのに。自分が死んだら、と想像することがある。どんなぶざまな死に方でもいい。孤独死だって恐くない。お葬式に何人来るかなんてどうでもいいし、そもそも葬式などしなくてもいいし、墓石だって建たなくてもいい。人々の記憶から見事に忘れ去られたっていい。望みは一つ、土に還ること。海でも川でも森でもどこでもいいから。わたしのようにコンクリートの上で暮らしてる人間だってそう思うんだ。森からでてきた野生動物が、車に轢かれてコンクリートの上に跡形なくなるまで横たわっていることがあまりにも不憫に思えた。

今度そんな光景を見かけたらその時は勇気を振り絞ろう。会社の引き出しにゴム手袋をしまっておけばいい。当時信頼を寄せていた先生と同じくらいの年になった。子供の頃のわたしが信頼していたような大人にわたし自身がなっていなくちゃいけないよね。


2014年02月22日(土) Le Champignon

初めてのシャンピニョン。砂糖も油脂も一切使わず、モルトシロップと塩だけしか混ぜてないのに、こんなに美味しいのは、ジェニーという名前のフランスパン専用薄力粉(中力粉)のおかげだろうか。焼くなりアツアツを頬張るのが最高。

先日読んだホリエモンの本に「必ず8時間睡眠をとる」と書かれていた。一日の1/3を睡眠に充てている人があんなにあれこれと人生に詰め込んで偉業を成し遂げているのだから、起きている間にただならぬ集中力を発揮しているに違いない。女性の同僚に40代後半とは思えない肌のつやつやな綺麗なお姉さんがいるのだが、彼女は仕事は絶対定時で切り上げて真っ先に家に帰る。家事は嫌いでかなり適当だと本人が話すように、たまにコンビニで夕飯を買っているところを見かけたりするくらい食べ物なんかは手抜きなのだろう。で、夜何をしてるかといったらとにかく早く寝るのだそうだ。あの肌つやはたっぷりの睡眠で培われたとしか思えない。

わたしの睡眠は7時間。1時間少ないだけだが、8日間でホリエモンが一日徹夜したという計算になってしまう。彼より長く起きてるのに、彼ほど何も成就させていない。その上同僚のお姉さんのように肌がつやつやではない。となると睡眠を削ることで何も得をしていないように思えてくる。そういえば、夜にゲームばかりしてろくに寝ずに会社にきて、会社で始業中殆ど居眠りしてるオジサンがいた。肩書きは会社員だが実態はニートで、完全に出世コースから外れていた。

やっぱり仕事・睡眠・生活を8時間ずつで24時間を営むのが一番高効率な時間の活用法なのかもしれない。


2014年02月15日(土) Little Director

楽団のコンサートのお手伝いへ。団員の中に仕切り役がいるものの、演奏もあるのでせわしない。結局ボランティアスタッフを仕切ったのは、団員の12歳の娘さんであった。

「わたしは今まで22回コンサートに来てるの。お手伝いは3回目だけどね」

と得意気だ。22回ということは、コンサートは年に2回だから生まれてこのかた一度も欠かさず来てるということなのだね。継続は力なりというものね。それだけでも見上げたものだ。彼女は受付で手際よくチケットを販売すると、わたしにもぎったチケットの半券を数えるように指示をだし、それを帳簿に書き記すと、さっさとスーパーボールで遊びはじめた。

大雪の影響で客入りは乏しい。開演されると彼女と駄弁る以外もうやることがなくなった。

今年は受験があること、本があれば友達などいらないと思っていること、初めて読んだのはベートーヴェンの伝記ですごく好きになったこと、女の子達の恋バナをばかばかしいと思っていること、離婚という失敗をするくらいなら結婚などしたくないこと、、、、あまりにもドライでぎょっとしてしまったが、思えばわたしだって協調性がなく、無理に人のペースに合わせるくらいなら本を読んでるほうが好きだった。でも人は変わる。この子だっていつか誰かと共に過ごすことに価値を見出す可能性は大だ。しかし、12歳というのはそれが善悪かという結論とは結びつかなくとも、自意識はしっかり形成されてるのだろう。さらにそれをきちんと声に出せて、大人ときちんとした会話を成り立たせることができる彼女はとても聡明な子なのだろう。子供らしい一面もあって、将来何になりたいのかと尋ねると、目を輝かせて、「漫画家!」と答えた。しかし更にその先は現実主義の彼女らしい。

「大学は行きたくないし、両親にその経済力があるかもわからないから、高校生になったらコンクールなんかに応募して、入賞すればチャンスが掴めるだろうと思ってるの」

すごい、もうそこまでちゃんと人生設計があるのだね。よし、ここはひとつわたしも立派な大人としてアドバイスのひとつもあげなければ示しがつかぬ。

「でも美大とかに行けば、優れた人が沢山いて、良い刺激を受けて、もっともっと可能性が大きくなるかもよ」

と言ったらすかさず、

「じゃぁ、どのあたりの大学がいいと思う?」

と切り返された。さすが、ぬかりない(汗)。

裏方はこの愛らしい小さな指揮者が取り仕切っていたが、コンサートの指揮者は小澤征爾さんに推薦を受けるようなとてもビッグな方らしい。窓の向こうの暗闇にぼんやりと青く浮き立つ雪景色、ホールから漏れるブラームスが心地良い時間を運んでくる夜だった。


2014年02月14日(金) 思いがけない贈り物

バレンタイン。郵便受けに思いがけないプレゼントを見つけた。包装が可愛いのでしばらく置いて眺めてから開封。中にはオリジナリティ溢れるチョコタルトとお気に入りのゴントランさんのフィナンシェが。昨年のバレンタインも同じチョコタルトを作ってくれた友人。このところ″友達″という存在について思い悩むことがあったから余計、昨年と何も変わらない関係を続けていられることがありがたい。


ホリエモンの「ゼロ ― なにもない自分に小さなイチを足していく」を読む。平易な言葉で綴られているが、とても胸に響いた。失敗しても、またゼロに戻るだけ。決してマイナスにはならない。

彼は決して天性の人ではないようだが、″みんなに平等に与えられたチャンス″をうまく掴み取り、小さな成功体験を重ねて、自信をつけていったようだ。だからあなたが出来ない理由はない、と諭してくれる。決して元経営者という上から目線ではなく、読者と同目線で語られているのだが、やはり彼のカリスマ性はひしひしと滲み出ている。東大に現役で入学し、やりたいことがはっきり見えたらさっさと学校に見切りをつけて退学してしまう。10年先の心配をして貯金などしなくてもいいと言う。彼には、学歴に頼らなくても、貯金がなくても、その身一つでやっていけるという自分に対する揺るぎない自信があるのだろう。そしてその自信は他ならぬ自分が積み重ねてきたものから培われた。

人生に対するそのモチベーションの高さは壮絶だ。そして成功に導くプロセスをいかに楽しむかという工夫がよく見える。

「歯を食いしばって努力したところで大した成果は得られない。努力するのではなく、その作業に″ハマること″」

「僕はこの″チャンスに飛びつく力″のことを、向上心とか目的意識とか、そんな堅苦しい言葉で語りたくない。もっとシンプルな、人としての″ノリのよさ″だと思っている。フットワークの軽さ、好奇心の強さ、そしてリスクを承知で飛び込んでいける小さな勇気。それらの総称が″ノリのよさ″だ」


本書はプロのライターがうまく書いたのではないかと囁く声があるようだが、私にはそう思えない。ずば抜けた文才も感じないし、決定的に彼の好感度をあげるような要素もないと思う。仮にそうだったとしても、今まで徹底した合理主義を貫き、誰かに解ってもらおうとしてこなかった彼が、それで誤解を招いてきたことを反省し、”変わろう”という意図で本書を出版したというところに意義があるのではないのか。彼は人間関係においては本当に不器用なのだろう。でも本書の出版によってゼロにイチを足したのだから応援したい。

いつかまた心が折れてしまいそうな時があったらもう一度読もう、と大事に書棚にしまった。


2014年02月02日(日) Le kouign amann de GONTRAN

TOEICのリサーチテストに協力することとなり新宿へ。妙に紛らわしい問題が多くて、へんてこに体力を吸い取られた。

2時間半ノンストップでトイレにも行けないので、起きがけのコーヒー以来何も飲んでいなかった。テストが終わり、サザンテラスにできたGONTRAN CHERRIERさんのブーランジェリーに腰をおろしたのは夕方4時。大好物のクイニーアマンとコーヒーでやっと一息つくことができた。ぼんやりと周囲をみまわしてみると、ゴミ箱から入りきらないゴミが溢れている。誰もゴミ袋を替えにこない。休日の新宿の街の乱雑さを反映しているかのような光景だ。パンの品揃えと焼き色を見ただけで、クオリティの高さが伺えるようなお店なのに、お皿ではなく紙を敷いてパンを乗せ、マグカップではなく紙カップにコーヒーを注いでゴミ箱を溢れさせるというのは本当に残念だ。人件費などぎりぎりで賄っているのだろうか。コーヒーを飲む時間くらいはリッチな気分に浸りたい。個人的にはそれが叶うなら少しくらい割高になってもいいと思っている。GONTRANさんのクイニーアマンは全体的にパリパリで、パンというよりどちらかといえばお菓子に近い感じだった。いい線いってるけど、やっぱりMAISON KAYSERのがいちばんだ。

最後に新宿を歩いたのは10月。カミーユ君とお別れする日だった。お別れする日に初めて一日中独り占めデートが実現するなんて、なんて皮肉なんだろう。季節のせいなのか、ひとりで歩くせいなのか、3か月前のその日は何もかもがカラフルだったのに、今日はモノクロみたいだ。

家に戻り、カボチャのスープを作って、GONTRANから持ち帰った麹から起こした天然酵母のバゲット(歯の折れそうな皮の固さと、つるりとした身、芳ばしい焼き加減で絶品だ)を齧っていたら、カミーユ君からメッセージが来た。中国の旧正月休みで、南仏の自宅に帰ってのんびりしているらしい。日曜になると思い出してしまうのはあちらも同じなのだろうか。


Michelina |MAIL