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掃除中に見つけた浜田真理子のCD「あなたへ」をプレイしてみた。10年以上前に買ったもの。彼女の詩はいつも簡素な言葉しか使われていないというのに、しっかり心に響く。この人は心の良い人なんだろうなとつくづく思う。
何かになりたいと あなたは言う
何かになりたいと あなたは言う
だれでもないあなたが そのまま好きです
だれでもないあなたが そのまま好きです
だれでもないわたしから あなたへのことば
何かが足りないと あなたは言う
何かが足りないと あなたは言う
輝く光で そのからだを つつんでも
輝く光で そのからだを つつんでも
偽りの光は こころを照らさない
だれでもない あなたが そのまま好きです
だれでもない あなたが そのまま好きです
だれでもない わたしから あなたへのことば
こんな素敵なラブレターを大好きな人々に贈りたいな。
この年になったからこそなのか、見慣れた人々との"なんでもない時間"の大切さを痛感する。失っていないからこそ"なんでもない時間"なんだもの。
家の大掃除も終わった。今夜の家族や親戚とのパーティーへ持参する料理も作った。今年は妹が大絶賛してくれたセロリの入ったかぼちゃサラダと大根餅。人にふるまう日だけはレシピのスクラップを出してきて、ちゃんと計量して作るから、素材選びさえ間違えなければきちんと美味しく出来る。うん、上出来!
会社の同僚でも女友達でも、またたいして知りもしない人とでも、何か美味いものを
「美味しいね、美味しいね」
と夢中で一緒に食べるというのはなんと愛おしいことでしょう。忘年会へ行きふと、そんなことを感じた。ひとりで食べても美味しいものは美味しいが、"美味しい!"という感嘆がこだまするように周囲からもその声が聞こえれば、美味しさ倍増だ。いつもは黙って映画を観ながら食事をしているからこそ、こうやって誰かとシェアする時間というのはひとしおだ。
さて、今日で仕事おさめ。わいわいと大掃除をして、農園で蕪やら大根やら春菊を引っこ抜いた。夕飯は大根をとろとろに煮たのと春菊の胡麻和え。一時間前に引っこ抜いた野菜が乗る食卓とはなんて贅沢なのだろう。野菜のみずみずしさが違う。
よく働いて、よく笑い、よく食べることのできるこの健康な体につくづく感謝。
連休中にリドリー・スコットの″American Gangster"を2度も観る。この映画のリッチー刑事(ラッセル・クロウ)がいいんだなぁ。自分が男だったらめざすのはこんな感じだろうな。荒々しいけど結果的には善人で、やりがいのある仕事に没頭して、たまに綺麗なおねえちゃんと遊んでね(笑)。しかし、いくら20世紀のハーレムといっても壊れ過ぎ。ここに出てくる刑事はみんな劣悪な環境で悪党と一緒に育ったみたいな人ばかりで(まぁ、でなきゃ悪党となかなか対等にやり合えないでしょうけど)、これまた汚職刑事ばっかりときたら、もう悪が悪を取り締まってるみたいな、善良な市民は誰にも助けを求められないわけだ。ベトナム戦争に送られた兵士がドラッグに溺れてしまう心理は解るけど、子供を抱きかかえた母親がドラッグに溺れて死ぬなんてイカれ過ぎてるね。実話ベースであるだけに、予想通りのハッピーエンディングだったにしても、あぁ、それでよかったと胸を撫で下ろした。
クリスマスらしいことはあまりなかったが、友人がシュトーレンをくれたので、その気になってキャンドルに火をつけてみた。これまた大地震の時に友人が停電になっても大丈夫なようにとくれたものだ。夕飯は食べたかったものを適当に、ジャンバラヤと雪化粧カボチャのサラダを並べた。写真の背後には招かれざる客が・・・キャンドルに興味津々のようだ。
そしてパリで会ったマッティア君(職業:フォトグラファー)に作品の感想を兼ねてメッセージを送った。最後に
″I always remember your beautiful eyes"
と書いておいた。さすがのイタリア男も苦笑するかしら。しかし、本気です、わたし(笑)。
友人とわいわいと買い物をしてコタツで鍋を頬張ることとか、モンマルトルのビオのお店で買ってきたオーガニックソープのアロマの香りと柔らかな泡立ちだとか、休日の朝にいつまでもクロエちゃんとベッドでだらだらじゃれあうこととか、小さくても幸せを感じることっていくらでもある。小さくても何個も積み重ねて、今日も一日ありがとう、と感謝しながら眠りにつく。そんなふうに暮らせることはどんなに尊いことでしょう。大きな幸せが沢山あるのがいい、と思う人もいるでしょうけど、大きな幸せは滅多に味わえないから"大きい"のであって、それが日常的に起こっていたらもはや"大きい"と感じることはできないのでしょう。韓国の大統領に就任が決定した朴槿惠さんが、
「ささやかでも国民みんなが幸せを感じるような国にしていきたい」
と述べていた。オバマさんといい彼女といい、人種差別や性差別のない国というアピールにいやらしく利用されているんじゃないか、と思ってしまうくらい、初の黒人であることや女性であることにフォーカスされているように見える。国民は"今までと違う"というところに期待をかける。人間であることにはかわりがないのに。といいつつも、この発言はその後に続いた彼女の経歴を見ると合点がいく。両親ともが政治家で裕福な家庭に生まれようとも、やがては両親ともを射殺されて失ってしまったひとりの女性が、"ささやかでも幸せを"などと言うのはあまりにも俗な心理だ。そして非常に女性的だと思う。政治家が声を張りあげて大きなことを言っても実現されないことは山とある。そんな中でこんな控えめで庶民的でありつつも、依然大きな課題となりうるだろう発言は妙に胸に訴えるものがあった。
長年生きてあれこれ経験すると、自分の能力というものがそこそこ見えている気になってしまう。挑戦する前から″出来ないかもしれない″と思うようなことは多々ある。
以前職場の先生のお話を書いた。半年前、彼にある課題を出された時は、出来ないよぉ、と心の中で泣いたが、それも今ではひとりでこなせるようになり、
「あの時はなんてヒドイ人なの!って思ったわ」
と笑い話にできるようになった。わたしが日々成長出来る理由はこの先生の精神の持ちようによるところが大きい。毎度、難題を持ってきて、出来る・出来る・あなたなら出来ると暗示をかけるように言いきかせるのだ。そして飴と鞭を使い分けて人を操るのが非常にうまい。
「解らなければ何度でも聞いてください(飴)。でもあなたなら3回くらいで覚えられると思います(鞭)」
こうしてわたしは先生にバカだと思われたくない一心で予習と復習を必死で繰り返すのである。
先日テレビであるジャーナリストの話を観た。念願叶ってカナダ軍の平和維持活動でアフガニスタン支援に参加した彼は、そのたった数ヶ月後に村人に斧で頭を殴打され、意識不明の重体となった。一生植物状態だろうと宣告されたにもかかわらず、意識が戻り、まぶたが動かせるようになった。記憶も精神もしっかりしていた。医者は今度はそれでも立って歩くことや自分で食事を取れるようになることは不可能だろうと宣告した。しかし彼と彼の家族はそれでも諦めない。毎日毎日必死でリハビリを続けた。やがて自力で食事を口に運べるようになり、話すことはほぼ問題がないというくらいまで回復した。彼はアフガニスタンに旅立つ時、″帰ったら結婚式を挙げよう″と妻に言い残していた。そして″彼はとにかく有言実行の人″と妻が信じた通り、二人は結婚式を挙げた。式の途中、かなりきつそうではあったが、彼はなんとか自分の力で車椅子から立ち上がった。
人間の可能性というのはなんて無限なのだろう。志あるところに力が宿るのだろう。この男性も家族もとにかく志が強い。出来る・出来る・出来るという強い思い込みが彼に立ち上がる力を与えたのだろう。
出来る・出来る・出来る・わたしなら出来る、そう信じて、出来ない、という想像は捨ててしまおう、経験がどうであれ。限りある人生の中に潜む無限の可能性を無駄にしないように。
オーベルシュルオワーズで食べたアツアツのタルトタタンの味が忘れられなくて、レシピを検索したところ、栗原はるみさんの"パリのタルトタタン"というレシピを見つけることができた。バターで炒めたリンゴをシナモンとラムと砂糖で更に炒めて、フライパンのままオーブンに入れてパイシートを上に乗っけて焼くだけ、という極めてシンプルなレシピ。タルトタタンはパリのキャッフェの定番デザートのようでどこでも食べることができたが、どこも隠し味のないシンプルに"リンゴを味わう"というような味だった。これは近い味になるに違いない、とさっそく作ってみた。
オーブンに入れるまでしてシャワーを浴びて、浴室のドアを開くと、たちまち甘いリンゴの香りに包まれた。クロエちゃんはわたしの使っているシャンプーの香り(ナチュラルなアロマオイルの香り)が大好きで、いつもシャワーを浴び終わると狂ったように塗れた髪に頬ずりして喉を鳴らすのだ。これがなんともいえなく愛おしいのだが、今日はもう髪に頬ずりする前から狂っているようだった。猫にもこの香りはたまらないのだろうか。
一晩置いておく。会社帰り、白い息を吐きながら、ハーゲンダッツのキャラメルアイスを買ってせっせと坂道を登って家路を急ぐ。玄関のドアを開けるとまだ甘いリンゴの香りが消えていない。冷えきった足をこたつに突っ込み、アツアツに温め直したタルトタタンにアイスを添えてハフハフいいながら頬張る。口の中でとろりとほろ苦いキャラメル味とリンゴの味がとろける。こんな些細なことに言い知れぬ幸せを感じるある寒い冬の日でした。
2012年12月08日(土) |
さようなら、また会う日まで |
同僚夫妻が任期を終えてアメリカに戻ることになり、三人で小さなお別れ会をした。以前は週末に彼らと顔を合わせる時はいつももっと大勢だったが、一人去り、二人去り・・・ついには三人になり、彼らも去る。東京駅の近くにある、スイス・フレンチのお店へ行き、コース料理とワインを摂った。三年前の寒い冬の日、ランチタイムに初めてハズバンドのほうを紹介されたのだが、その時の彼の暗い表情といったら忘れもしない。ペンシルベニアのど田舎でガールフレンドと車だけが彼の生活であり、そこからどこかに出て行きたいなどと思ったこともない青年が、ある日突然東京都心の高級アパートに押し込められてしまったのだ。品川駅で人どおりの多さに圧倒され、会社では日本人の寡黙な働きぶりに面食らい、人見知りな彼の唯一の理解者であったガールフレンドとは離れ離れ、日本も日本食も日本文化も全く興味が沸かず、週に一回通わされている日本語のクラスもいやいやだった。彼は″ホンモノ″のアメリカ人しか知らなかったから、わたしと話すことは人生初めての国際交流だったのだ。数ヶ月たったある日、彼に″ガールフレンドが自分のプロポーズを待っているようなのだがどう思うか″、と聞かれた。
「わたしだったら三年離れ離れなんてあり得ない。それにあなたは彼女と暮らした一年が毎日幸せだったというなら何を迷ってるの? 結婚してこちらで一緒に新しい生活をスタートするのもいいじゃない」
と答えた。
その夏、アメリカで休暇を過ごし、美しい″ワイフ″を連れて戻ってきた彼の表情はぐんと明るくなっていた。同郷出身のワイフは彼とは違い、東京探検と国際交流を大いに楽しんでいるようだった(こういうことに関しては女のほうがよほど長けているのだ)。やがては彼女も一応わたしの同僚(しかし在宅の仕事)となった。
会はおおいに盛り上がった。彼らの生まれ育った町とそこで暮らす閉鎖的な人々の話などとても面白かった。トラックに乗り、煙草をふかし、コーヒーを飲み、世間(といってもかなり狭い)全てに文句をたれる彼の叔父さんの話、彼が日本にいることを町中に自慢して歩く彼の両親の話、中国人が営む町で唯一の勘違い″日本食レストラン″の話、BBCニュースなど見る奴は″鼻持ちならないスノッビーな奴″と思われることなど、どれもアメリカの田舎の風景がありありと浮かんでくるようだった。またあうんの呼吸で故郷の話に夢中になる彼らが少し羨ましかった。
なんだかんだといっても人は居ついた土地に馴染んでいく。彼らが今こんなに故郷の話をするのは三年の間に随分と変わってしまった自分を取り巻く環境や感覚、そこから何一つ変わっていない故郷に戻っていく不安があるからなのだろう。
「チーズフォンデュなんて初めて食べた。こんな素敵なレストランも、みんなで同じ鍋にフォークを突っ込むような文化も故郷にはないわ」
とワイフが淋しそうにつぶやいていた。
帰り道、今まで一言たりとも日本語を話さなかった彼が急に″ミギ″″ヒダリ″などと誘導するのにも名残惜しさが感じられた。
お別れはいつでもさびしいけれど、またひとつ世界のどこかに″友人を訪ねて″行ける場所が出来たと思うことにしよう。