My life as a cat
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2012年07月31日(火) パンの耳の行方

エンピツ日記は長いことダウンしていて、管理人さんはひとりで運営しているようだから、何かあったんじゃないかって心配していたが、こうやって復旧しているのが元気な証拠でよかったよかった。2chの掲示板も読んでいたのだけれど、この日記を使っている人みんな管理人さんのことを心配していたのだ。で、こんなメッセージも見つけた。

2ちゃんねるとは思えないここでのやりとりが、
使用してる人がどういう層だったかを如実に物語っている…
こんな穏やかなやりとりが2ちゃんねるで読めるとは。


ははっ。確かにね。エンピツ日記の筆者は穏やかな人が多そうだ。

しかし、もう10年近くつきあっているこの日記。デザインが極簡潔なのがとても気に入っているのだ。何より、楽しい日も悲しい日も、成功した日も失敗した日も、パソコンに向かいながら自分の気持ちを整理する時間を大切に思ってきた。これからも末永くつきあっていきたい。


さて、先週末から夏休みに突入している。朝はパヴァロッティを聴きながら掃除に精を出し、午後は読書に耽っている。

先日見つけた食パンの耳のジンジャーラスクのレシピを見て作ってみた。食パンの耳は近所のパン屋さんでは無料でくれる。ニューヨーク出身のチャズがこんなことを言っていたっけ。

「僕が日本に来て一番最初に驚いたのはサンドイッチのパンに耳がないこと。耳はどこへ行ってしまうの?」

近所のパン屋はふだんは捨ててしまうらしい。パンの耳に刷毛でジンジャーシュガーを塗りながら、先日家の窓から見た2羽の鳩を思った。仲良くやってきて、数十分こつこつと地面を歩きながら何かを啄んでいた。彼らにこれを投げてやったらご馳走になっただろうに。ジンジャーシュガーラスクにしたらわたしにもご馳走になった。食べられるものをゴミにするもご馳走にするも工夫次第だね。


2012年07月26日(木) 今日こそ木曜日

揚げない大学芋を作った。砂糖と油と芋をフライパンに放り込んで蓋をして時々ゆすりながらホクホクになるまで焼くだけ。外側がカリカリでこの食感がたまらない。

水曜と木曜はエビのばら売りの日で、長いことこの二日間はクロエちゃんの″エビの日″と決まっていたのだが、今週はなぜか月曜にもばら売りをしていて、そこからわたしは今日は水曜だと思い込み、翌日(火曜)には今日は木曜だとその日の夕方まで思い込んでいたのだ。「木曜まで終わらせろ」って今日までじゃない!と憤慨しながら、木曜の日付のスタンプをあちこちに押していたのだから、あぁ驚いた。しかし、エビのばら売りで曜日を認識するって、クロエちゃん並だね、わたし。







2012年07月25日(水) 美しい言葉

今日はやっと夏が来たのか、というような気候だった。人々が暑い暑いと口々につぶやいているのを見て、ある賢人の言葉を思い出した。ある賢人。。。どこのどなただったかうろ覚えなので名前は書かないが、うろ覚えが正しければ、わたしの倍は軽く生きている方だ。

「寒いだの暑いだのと気候に文句をいうな」

わたしはこの言葉を聞いた時はっとした。気候のことを話すのは挨拶代わりだ。また寒さ暑さをしのぐための気休めだ。子供の頃おなかが痛い時に母が″痛いの痛いの飛んでいけ〜″などと言ってくれたのと同じ程度の気休めだ。それを口にすることは醜いわけではない。でも、それじゃぁ、美しいかと言われたら、美しくもない。いつも着物を着ているある女性はいつも気を引き締めて、気合で汗を止めているのだと言っていたが、この賢人もすっと背筋を伸ばし、寒さも暑さもじっと耐え忍んでいるのだろう。この姿が美しいかと言われたら、確かに美しい。発する言葉のひとつひとつが人の姿を形成していくのでしょうね。自然と聞く人を気持ちよくさせるような美しい言葉ばかりが口をついて出る人になりたいものだ。


2012年07月23日(月) Babe

日本語でも英語でも醜い事をする人をブタに例えたりする表現があるけれど、わたしはあれが大嫌い。だってブタはとても愛らしい動物で、本当は汚くも臭くもないのだ。それに食肉用でないブタは太っていない。とてもアクティブで遊ぶのが大好きな動物だ。汚くて臭くなってしまうのは、食肉用に効率良く脂肪をつけさせようと身動きが取れないようなブタ小屋に閉じ込められているからだ。アメリカのド田舎から来た知人が、ブタをペットとして飼っていたから豚肉だけは食べられないという話を聞いたので、映画などでそういうセリフを聞くたびに抗議したくなるのだと話したら大いに共感を得たのでとても嬉しかった。ブタは犬並に人に近い動物で、彼が話しかければちゃんと鼻をならすのだそうだ。

子供の頃、家の裏を流れる川の向こう岸にブタ小屋(刑務所をブタ小屋と呼ぶ表現も聞いたことがある。それだけブタ小屋の環境が悪いということなのか、ブタは悪いことなどしていないのに・・・)があった。空き地のようなところに建てられた小さな小屋でいつも薄暗く気味の悪いところで、そこにブタ達がギュウギュウ詰めになってひどい悪臭を放っていた。やがてそれは取り壊され、また空き地になった。そして今度はそこに動物が捨てられるようになった。子供だったわたしは毎日食料を運んで、それでも育て方を知らないから、ある朝小さな命が息絶えているのを見ては泣きながらそこに埋めて木の枝を立てただけの墓を作った。幸せいっぱいの子供の頃の思い出の中で、悲しい思い出といわれたら、思いつくのはそういう不運な動物達のことばかりだ。

″Babe″という映画があった。食肉にされる寸前のブタが必死で脱走してしまうコメディで、それなりによい映画なのだが、わたしはこういう話はどうも笑えない("Chicken run"も然りだ)。しかし″Bebe"という名を子ブタちゃんにあげたのは拍手である。


2012年07月20日(金) My big day

Happy birthday to me.

毎年自分の誕生日はいつもどおりの日課をやり過ごしていても、少しだけ特別な気持ちになって、人生を思ったりするものだ。

先日から読んでいる宇野千代さんの自叙伝「生きて行く私」は彼女の30代後半から40代前回くらいまでに来ていて、話題は"疎開"、"闇市"など戦争に突入していた。それはこれまでどおりの宇野千代節でひもじさのにじみ出たようなものではないにしろ、戦争を潜り抜けるにはその"思い込んだら真っ直ぐ"な性格が危険を喚起したりしていた。一年はもつであろう大きな缶入りのごま油を手に入れたことを喜ぶあまり、それを背中に背負って、屋根のない荷台のような汽車に乗って移動している途中、操縦士の顔が見えるほど低空飛行の敵機が上空を飛んでいたという話など開いた口がふさがらない。しかし、しみじみと思う。あぁ、この人はなんて人生に夢中なのだろう。夢中で人生を歩けば、その道中どんなことがあろうと、それを後からしみじみと振り返る時美しい人生だったと思えるのではないか。ふと連日報道されている自殺した中学生を思う。まだ自分の人生を振りかえるほどの余裕がないから、今が辛ければ、また未来も想像がつかず絶望して死を選んでしまうのか。わたしは荒野に懸命に水を蒔きながら歩いて、いつかふと振り返ったら来た道一面に花が咲いていたというような人生を送りたい。でも、それもこれも夢中で生き抜いてこそ味わえるものなのだ。

さて、いつかひとめぼれ君から、彼が過去に女の子の誕生日を忘れて二度と口をきいてもらえなかったという話を聞いた。しかも一人じゃなくて数人。それくらい彼にとって誕生日は重要ではなく覚えるのが苦手なのだと。わたしはひとつ大きな溜息をつき教えてあげた。

「あなたが"誕生日"を重要じゃないと思うのは勝手だよ。でも彼女が重要だと思っているものを気に留めてあげないというのはすなわち彼女自身を重要だと思っていない証のようになってしまうんだよ」

と。それでも納得のいかない顔をしていたが、今日、しかも朝一番、思いがけずメールが入った。

"So today is your big day!"

だって。頑張ったね。

「よくできました」

と褒めてあげた。


2012年07月19日(木) 暑くてもぐりとぐら

こんな暑い日は火を使わないレシピが嬉しい。この野菜のマリネ、野菜をビネガーとオイルに漬け込むだけというシンプルなものなのだが、絶品。粗挽き黒コショーも野菜の味をひきたてる。気が向くと夜ベッドに入る前に冷蔵庫にある適当な野菜を切って漬けておいて翌日のブレックファストとかランチにする。リンゴを入れるとより美味しいというのも賛成。

しかし、わたしもクロエちゃんもどんなに暑くても、ぐりとぐらのごとく食べることに一目散で、汗をかきながらも美味しいもののためならあくせくと働いてしまう。あれ?しかしぐりとぐらはふたりとも働き者だったよな。わたしのぐらは食べ物の袋に頭を突っ込んだりするだけだな。

夏場は毛皮を着たクロエちゃんはさぞかし暑かろうと、体の冷えるレタスを沢山食べさせている。そのせいか、この暑い中、無意味に走り回ったりできるらしい。


2012年07月15日(日) 東大ツアー

東大で働いている友人がキャンパスを案内してくれるというので行ってきた。まずは赤門。たまたまなのだが、本郷三丁目までの電車の中で宇野千代の「生きて行く私」という著者の誕生から85歳までの人生を綴った自叙伝を読みながら来た。放蕩無頼の父親に似たとあっさり認め、それに抗いもせず、欲するままに欲する場所に居ついてしまうというような浮雲のような人生である。その影には彼女に裏切られた男が何人もいるというのに、当人がまったく悪びれていないだけでなく、裏切られた側から恨まれたりするような節もない。一般的に"苦労"といわれるような暮らしをまったく苦に思わず、むしろゲーム感覚で楽しんでしまうような心の明るい人々に囲まれてきたその育ちの良さで、その邪気のない性格が好感を呼び、彼女に触れると"怨恨"などという陰湿な感情は吹き飛ばされてしまうのではないかというような不思議なエネルギーを感じる。このあっけらかんとした性格こそ長生きの秘訣なのだろうか。その数々の裏切りエピソードの一説に、こんな話があった。従兄弟にあたる悟と恋愛関係になり山口から悟の進学した東京帝大(東大の前身)の近くの女髪結いの2階へ移り住み、生活が貧しくてあらゆるものを質屋に入れた。悟の卒業と同時に北海道へ移り住み、そこで書くことを始める。ある日、2,3日で帰ると北海道に良人(おっと)の悟を残して一人で東京の本郷の中央公論社に自分の送った原稿がどうなっているのかと乗り込んでていき、思いも寄らず、それが「中央公論」にすでに掲載されていて、突然大きな原稿料を突き出されたのだった。その喜びを誰かと分かち合いたかったが、東京にそのような友達のひとりもいなかった。そのまま赤門の前を通り過ぎ、悟が学生のときに迷惑をかけた質屋の正吉のところに報告に行くと、正吉は"ひええ!!"とのけぞってその成功を喜んでくれた。それから山口の実家にも原稿料を見せに帰り、東京で乗り継ぐ北海道行きの通しチケットを買ったにも関わらず、その道中ほんのちょっと寄り道した東京で恋に堕ちて、二度と北海道へ戻らなかった。

ずっと昔、赤門の前のこの道を宇野千代が大金を握り締めて、その喜びを誰かに知らせたいという一心で足早に通り過ぎたのか、としみじみ想像した。

キャンパス内は休日ということもあってとても静かだった。東京というのは中心地ほど静かで、スペースにゆとりがあり、山手線の外側ほど狭い場所に建物と人をぎゅうぎゅうに詰めているものだが、ここもまさに東京の中心だ。レンガ造りの建物(地震でダメージを受けたのだろうか、かなり大掛かりな修復がされているようだ)に太さの立派な木、シンボルである銀杏並木が青々と美しい。三四郎池の周りなどは突然田舎の森の奥まで歩いてきたように深々としていて、飼いならされたような野良猫がのんびりと歩いていた。カフェやレストランも充実している。スタバ、サブウェイ、ローソン。。。ちょっと高そうなレストランなどなんでもある。食事をして帰ろうかと思ったが、どこも貸切などで入れなかった。


2012年07月09日(月) A paradise in my heart

翌日は銀座へひとめぼれ君の茶道イベント用の着物を見に出かけた。男性用の着物というのはなかなか少ない。やっと見つけた一軒でざっと価格と納期を見積もってもらい再検討することにした。

そして東京駅でまたしばらくお別れ。今までこの関係についてあらゆることを思い悩んできたけれど、それを相手にぶつけるにはお互いを知らな過ぎるように思えて、胸の内に秘めてきた。でも、今回はごく自然と言葉が口をついてでて、半分くらいは伝えることができた。あちらは、全てにおいて"新発見"という顔をしていたけれど(笑)。

「あなたは難しい研究にはひるむことなく挑戦しても、リレーションシップとなると難しいことには一切挑戦しないで易しい関係だけ結んできたんでしょう。わたしはそんなのスマートだなんて思わないよ。恰好悪くても一生懸命わたしとのリレーションシップを一緒によりよいものに築こうとしてくれる人が好き」

これには何にでもさっと自分の意見を返してくる彼もうな垂れていた。わたしの分析は図星だったようだ。こんなことを女の子に言われたこともなかったのだろう。

「そんなに忙しければ、何かを諦めればいいじゃない。もっとわたしと一緒に過ごす時間を持てば? 楽しいよ〜」

と誘ってあげたらとても嬉しそうだった。別れてすぐにメールが来た。

"I waved at you but you didn't see me. Maybe I am too fast but I will slow down only for you!"

はぁ、なんだかすっきりした。もう悩むのはやめようっと。


2012年07月08日(日) A paradise on Earth

森の小道を登りつめると地平線が見渡せる公園に辿り着いた。空は快晴で海と青さを張り合っているかのように鮮やかだ。芝生に寝転んで1時間くらい喋っていただろうか。こんな場所をふたり占めとはなんと贅沢なのだろう。潮風が草木を撫でる音と鳥のさえずり以外に音のない最高の休息時間だった。

不安定な森の小道を沢山歩いて、おなかがすいたので町に戻り、魚市場のすぐ近くの小料理屋に入った。夕飯にはまだ早い時間だったせいで、こちらもふたり占め。ひとめぼれ君はカウンターに腰掛けて、酒をちびちびやりながら、こころゆくまで板前さんに"うまい魚"について質問し、大変楽しんだようだ。ほんのり日に焼けて火照った肩さえも夏を楽しんだ勲章のようで愉快に思えた。


2012年07月07日(土) Paradise

ひとめぼれ君が会いにきてくれたので、ドライブに出かけた。わたしのお気に入りの静かな海辺のカフェでサーファー君たちを眺めながらランチをして、浜辺を歩いた。昨夜、新幹線に乗ってやってくる彼を駅まで迎えに行って再会して、それから夜中までワインを飲んでおしゃべりに耽っていたというのに、翌日の午後になっても話題は尽きることなく、次から次へと沸いてくる。何ておしゃべりな二人なのか。カート・ヴォネガットの"A man without a country"という彼の遺作に書かれていた"アメリカで最も権力を握っているのはブッシュとディックとコロン(コリン・パウェル)だ"という言葉に一緒に笑い転げてくれる人が隣にいる安心感をたまらなく愛しく思った。

温泉へ行こうと思い立って、ドライブをして、たまたま目に付いた看板の矢印のほうに進んでみた。小さなトンネルを何度もくぐり、どんどん道が狭くなってくる。"ハイキングコース"と書かれた小さな看板を見つけ、車を降りて歩いてみることにした。ハイキングコースなんていっても誰も歩いていない。ふたりっきりだ。"ふたりっきり"とか"ひとりじめ"、これがわたしが日本で何よりも飢えていることだろう。どこへいっても人がうじゃうじゃ、行列ばかりという土地柄、独占したような気にさせてくれる場所が大好きだ。人が二人並んで通れないような小さなトンネルを抜けるとそこにはこんな景色が広がっていた。更に先に行けそうだとどんどん登っていく。。。(つづく)



Michelina |MAIL