My life as a cat
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2012年08月31日(金) ロスチャイルド家の上流マナーブック

「上流」とか、「財閥」とか、「貴族」とかあまり興味が沸かないのだが、知人のすすめで読んでみた。感想は、ここまで大仰でないにせよ、一般人にも十分通じる内容だった(まぁ、そうでなければこんなに一般人受けするはずもないのだが。。。)。ナディーヌ夫人が生まれつき美と贅沢に囲まれていたというわけではなく、中卒で工員やダンサーという世の中の厳しさを味わってからロスチャイルド家に嫁いだせいだろう、地に足のついた安心して読めるものだった。上流のマナーについて基盤となる精神の在り方から実際のマナーまで書かれているが、一般人が日常生活で使えることも多々あり、知っておいて損はないという内容だ。


「自分を敬うことなくして他人を敬うことはできない」

とはまったくもって共感だ。さらに他人を敬えない人は他人からも敬われないという循環になっている。「敬う」ことだけではなく、全てにおいて、
「"自分が自分をどう扱うか"こそが"自分が他人からどう扱われるか"を決定する」
というのが観察や経験から得た持論だ。自分を大切にしない人は他人から大切にされることはなく、自分をかけがえのない人だと愛さなければ、他人から愛されることもない。


「今晩、もしひとりで夕食をとるなら、帰宅するときに花とおいしいデザートと、お気に入りのものを自分自身に買ってあげるのです。香水がもうなくなっていたら、誰かが贈ってくれるだろうと期待して、誕生日まで待っていてはいけません。 待っていてはいけないのです。人生はあまりにも早く過ぎてしまうのです。たとえ、自分ひとりしか頼りにならなくても、満足した、輝いた女性でいてください」

「ひとりだから」簡単に夕食を済ますというのもよく聞くけれど、わたしは「ひとりだからこそ」贅沢をしようと常日頃思っている。だってひとりでわびしくインスタント食品を食べてるなんて人生とても損してる気になってしまうものっ。わたしの贅沢は森茉莉の「精神貴族」「贅沢貧乏」の世界に通ずるようなもので、例えば、好きなフルーツを数種類買ってキルシュに漬けてマチェドニアを作ったりするようなものだ(森茉莉はヨーロッパのチョコレートを一日数粒とかだった)。モットーは「物の価値の解る貧乏人」だ。「物の価値の解る金持ち」だったらなおいいかもしれないが、人間はあまりにものお金を持つと物の価値を見失いやすいようだ。


2012年08月26日(日) お台場の景色

グループ会社が主催しているアートエキシビジョンを見に行った帰りにお台場を散歩してきた。ジム・キャリーの"The truman show"の映画のセットである街を彷彿させる、どこか偽者の世界のようなつるりとポーカーフェイスな建物ばかりだ。日本の自由の女神さまはアウトサイダーは歓迎なさらないのか、内陸を向いていらっしゃる。海側から見るとそっぽを向いているという格好だ(笑)。

マンハッタンの向こう側にはローマがある。Venus fortではイタリア人らしきギャル達が噴水の前で記念撮影をしていた。

水辺まで歩いてくると、今度は若者達がヒップホップをかけて踊りながらBBQを楽しんでいる。しかし、陽が傾きかける時間の埠頭に吹く風が心地良い。ここから夕闇に包まれていく橋の向こう側のビル郡にぽつぽつと灯りがともっていくのを眺めているのもいいものだ。

(カフェでケーキも食べた。夏みかんのレアチーズケーキ。)










2012年08月25日(土) キッチンが走る−北海道知床

暑い日は猫も人間も腹を出して寝るのがいいようだ。

好きでよく見るテレビ番組のひとつ「キッチンが走る」。キッチンのついたワゴンで杉浦太陽君と料理人(一流の人ばかりだ)が旅をして、その地元で取れる新鮮な食材を使って料理し、その生産者達を招いて食べてもらうのだ。良い食材は焼いて塩をかけただけとか、醤油をたらしただけとか、そういうシンプルに調理するのが一番うまい。とはいえ、いつも嫌になるほど自分の生産する食材が食卓に乗っているのだろう生産者達には一流料理人の手にかかった料理というのは真新しくて面白いに違いない。

今週は北海道知床スペシャルだった。自然と美味しいものをこよなく愛するわたしには憧れの地だ。料理人はフレンチの三國清三と中華の陳健一だ。食材を求めてワゴンは走る。道中では野生のシカやキツネにもでくわす。この番組の好きなところは真剣に物作りに励む人々が次々にでてくることだ。真剣に作られた食材を真剣に調理する料理人。その過程の厳しさや難しさを乗り越えて完成したものを和気藹々とみんなで囲んで食すなんて、とてもすばらしい構成だと思う。今回でていた羅臼昆布を作る過程など、なんとも過酷な重労働で驚いた。羅臼昆布は3mくらいで重さ10kgくらいあるのだが、それを小さな船に乗ってお父さんが一人で引き上げにいくのだ。そして漁から戻るとお母さんと二人で洗う。それを今度は乾かして、室内に吊るし、そしてまた夜露にさらすため夜中に海岸に出す。この昆布を作るシーズン、お父さんは夜中の2時に起きて、寝るのは夜の9時。そんな生活を1ヶ月くらい続けなければならず5kgくらい落ちるのだそうだ。料理の出汁に使う昆布の値がはる理由がよくわかった。

カラフト・マスの漁をしている人々も印象的だった。知床半島の川で生まれて海へ泳ぎ出たカラフト・マスが産卵のために再び川に遡上する時に網をしかけて捕まえるのだ。個人的には、鮭もそうだが、おなかに卵を抱え、流れに逆らって懸命に遡上する魚を捕まえるというのがむごいことのように思う。とはいえ、感情とは別に人間が魚を食すということは単なる自然の循環だと受け止めている。この漁をしている人々が漁の合間にカラフト・マスと野菜を煮込んで味噌で味付けした鍋を作っていた。出汁は白子から取る。三國もそこに混じって鍋を食べる。
「これは脂のキメが細かくて美味しいね」
と料理人らしいコメントをすると漁師がこう返す。
「海で食べるからうまいんだべ」
あぁ、この人達は本当の人生の愉しみ方を知っているのでしょう。

いつかこんなワゴンの旅にでる。わたしの夢のひとつだ。


2012年08月22日(水) エルちゃん天国へゆく

残業が長引いてどっと疲れて家に着いた時、電話が鳴った。母からだった。元気?仕事終わるのずいぶん遅かったね。暑くて寝苦しいでしょ。いつもの他愛ない会話の途中であまりにも自然に母に告げられた。

「日曜日にね、エルちゃん死んじゃったの」

13年生きて、ここ1ヶ月くらいは母と妹がつきっきりで足腰の不自由になったエルちゃんの面倒を見ていた。虫の知らせなのだろうか、先日、ふと思い立って実家に戻った。近いといえども正月以来だ。庭の木陰にぺっとりと体を横たえて、横目だけで久しぶり、というような合図を送る彼をみた。一緒にビーチで泳いだのははるか遠い昔のことのように思えて二度と戻らない時間を惜しんだ。頭を撫でてもあまり反応がなかった。

最後の3日間は口まで運んであげてもごはんを食べず、3日目の夜さすがに心配になった母がもしかしたら、とサイコロ状になったビーフを買ってきて口に運んだらぺろりと平らげたそうだ。その翌朝、母が彼の大きな体を持ち上げて木陰に連れていき、さて、出かけて来るからね、と振り向いたら息が止まっていたそうだ。サイコロのビーフはまさに"最後の晩餐"となった。

半分老衰のようだった愛犬の死はあまりにも自然で涙もでない。しかし、彼がこの暑い夏に死んでいったことだけが悔やまれる。彼は雪山救助犬のようなブリード(グレート・ピレニーズ)で、元来こんな蒸し暑いアジアの夏に耐えられる体にはできていない。父が彼を買ってきた時、わたしは猛反対した。夏がくるたびに分厚い毛皮を着て、人生が面倒になったというような顔をしている愛犬はあまりにも場違いに思えて気の毒だった。彼は雪が大好きだった。雪が降るとその中を走り回って大はしゃぎした。数年前には足に癌が見つかって手術をして、ケロリとした顔で帰宅したりもした。

父にはもう二度とこの気候を生き抜くのが困難な外来種の動物を飼わない(買わない)と約束してもらった。父も老人がこんな巨大な老犬の介護をする大変さがわかったのだろう、反論しなかった。

エルちゃんの天国にはいつも雪が降っているだろうか。


2012年08月17日(金) 失恋の特効薬

わたしは失恋すると泳いで気を紛らわせる傾向にあるらしい。近所のプールは50mあって快適。よいよいと5往復したら休憩。プールサイドでアイスコーヒーを飲みながら読書。十分休んだらまた5往復。10往復したので1km泳いだことになる。わたしが泳ぐのが好きな理由は体全体が満遍なく疲れるからだ。一部の筋肉だけが痛くなるようなエクササイズは好まない。帰り道に旬の白桃を二つ買って、家に着くなりたちまち平らげてしまった。一番好きな果物はと聞かれたら白桃と答えるだろう。

さて、友人には心配をかけているようだが、意外にわたしの心はすっきりとしている。けっこう彼に夢中だっただけにひどくこの状況に気を揉んだのも事実だ。忙しく出会いと別れを繰り返しながらも心持ちだけは単調だった日々の中で彼と出会ったことは衝撃だった。凝縮された知識や人生体験から成る意思を持っていて彼とシェアするおもしろさは格別だった。今は少し気持ちを休ませたい。


2012年08月11日(土) 夏まつり

自分の身に起きたことがまだうまくのみこめていなくて、これに関してすらすらと書くことができないのだけれど、事実はひとつ、ひとめぼれ君との関係が終わってしまったこと。先週末ははじめて仙台に彼を訪ねて、松島を歩き、塩釜で津波の傷跡を見て、山寺へ登り、温泉へ入り、彼の作ったワインをテイスティングし、一緒に浴衣を着て花火を見て散歩をした。秋にわたしが訪れることになっているパリに彼も訪ねてきたいと言い、旅先で他人にわたしを「奥様」と呼ばれる度にこちらが恥ずかしくなるくらい嬉しそうな顔をしていたというのに。いったいどうしてこうなってしまったのだろう。彼は住居の定まらない暮らしを当分続ける気でいて、それでもどこにいても1ヶ月に1度はわたしに会いにくると言ってくれたが、わたしは一緒に重ねた楽しい時間が増えることに比例して離れていることがどんどん辛くなっていた。何度も何度ももう会わないほうがいいのではないかと考えたくらいなのだから、これでよかったのではないかと思う反面、こんなに自分の言葉をよく理解してくれる人と出会えたことにもっと感謝して、欲張らずに会えない時間を耐えているべきだったのかとも思える。答えがでない。しかし、わたしがどんな答えをだそうとも事実はひとつ。もう元には戻れない。別の方向を向いて歩き出す以外に選択肢はない。

あまりにも突然起きたことがショックで不思議と涙も出ないし、落ち込んでもいない。ただ、知り合って10ヶ月、悩み続けてきたことに対して、自分ではなく天に決断を下されたような腑に落ちない感覚だ。

昨日は会社の夏祭りだった。取引先や家族を呼んで会社の中庭で歌って踊って飲み食いを楽しんだ。わたしのように独身だと余計かもしれないが、たまに組織に属することのありがたさを感じる。先日、60歳で独身のマネージャーが倒れた時には彼の両親も老齢で不自由だからと同僚が着替えをもって病院へ行ったし、こんなお祭りの日にはシングルマザーの同僚の娘に奥さんと死別した同僚が肩車をしておもちゃを買い与えていたりしてお父さん役をやっていたり。どっぷりと漬からなくてもいい。でも、みんな人生に少しずつ足りないものがあって、それを少しだけ補えあえるのが組織ではないだろうか。


Michelina |MAIL