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ここ数週間クロエちゃんのお気に入りの遊びは名付けて″空飛ぶじゅうたん"。ちょうど猫がすっぽり入るようなダンボールを投げておいたらそこに寝ていたので、持ち上げて揺すったりしながら脅かしたら喉をゴロゴロ鳴らして喜ぶので、高くもちあげたり振り回したりしたらもう大興奮。毎晩同じ遊びをしているというのに飽きずに毎日喉をゴロゴロ、ものすごい楽しんでいる様子。しかし3kgのダンベルを振り回しているようなもので、わたしはすっかり筋肉痛だ。
(写真:自分は脚が濡れただけでも憤慨するのに、人間がシャワーを浴びるのを見るのは好きらしい)
2012年03月30日(金) |
A beautiful mind |
"過去に見た" ということ以外何も覚えていない映画だったけれど、今のわたしの胸にはじんわりと響いた。プリンストン大学で学び、マゼマティシャンとなり、大学の研究室に身を置きながらその代償として学生に教えなければならないジョン。出だしはひたすら彼の姿が誰かさんと重なって興味深く見ていた。誰って?ひとめぼれ君だ。彼も"I have to teach"とかつぶやいていたっけ。授業を受け持つことがそう嬉しそうではないのもそっくり。まぁ、こういう人々は研究したい一心なのでしょうね。それになんていったって、女の口説き方がストレートなのもそっくりよ。まぁひとめぼれ君はジョンほどステキなセリフは言わなかったけれどね。パブで見かけた女の隣に腰掛け、女の顔を見つめるも一言も声を発しないジョン。居心地悪くなった女が、
"Maybe, you can buy me a drink?"
と促す。そのジョンの答えが傑作だった。回りくどい言いまわしをする癖に内容はあまりにも単刀直入。
"I don't exactly know what I'm required to say in order for you to have intercourse with me, but could we assume that I said all that, essentially we're talking about FLUID EXCHANGE, right? So could we just go straight to the sex?"
んぎゃー!!精液の交換だってさっ。面倒な会話を省いてさっさと精液の交換をしようよってことかいな。女は
"That's so sweet!!!"
とビンタをかましてでていきましたが、わたしだったら落ちるな(笑)。ユーモラスで面白いと思うけどね。
しかし、その後、パブの女にはそんな変人ぶりを見せたくせに、美しい生徒だったアリシアに食事に誘われた時の返事はあまりにも普通(住所を教えてくれれば迎えに行くよ)で、ジョンの俗な男ぶりが見える言動にちょっとがっかりした。でもファーストデートでは頑張って紳士にふるまった彼もデートを重ねるごとに本音がでてしまう。人ってやっぱりなかなか変われない。物事に集中しすぎてデートに遅れてきたと思いきや、女のなにげない一言をしっかり覚えていて女心を突くようなプレゼントを用意してたり。アリシアはジョンの全てを大らかに受け入れて二人はめでたく結婚する。
しかしそこからが苦難のはじまりだった。わたしはあらすじさえ忘れていたこともあり、ここからスパイ劇が始まるのだと思い込み、ジョンが精神病院に収容され今まで見聞きした全てが幻聴・幻覚だと諭された時は、これは軍の陰謀だとすっかり思っていた。
結局は夫婦愛を描いた映画だった。
「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」
「誓います」
という言葉を貫いた立派な夫婦だった。離婚することも大変だというけれど、不幸な結婚生活に縛られ続けることもこれまた精神的に辛いだろう。でも二人で決めて始めた結婚生活、その生活は破れかぶれでぼろぼろのようであったが、二人で一緒にひとつひとつ立て直して修復していくという姿が温かかった。
蓋に桜が彫ってある新しいお弁当箱を買った。昨夜の残り物をしゃしゃーっと詰めるだけのような勤め人の手抜き弁当も少し華やいで見えるでしょう。
夕方、近所の歯医者へ。腕が悪くて口の中ががたがたになっていくようなところから、待合室のソファなど何もかもがやたら高級そうな感じで、どうしてもインプラントを押し売りしたがるようなところまで、良い歯医者にめぐり合えず、しばらく放っておいたのだが、ネットの口コミで家から徒歩1分の場所に評判の良いのがあったので行ってみた。今時の歯医者は各診療台にテレビなどついているのが普通なのだろうか。普段ぼんやり寝てテレビなど観ている暇がないから、たまにはこういうのもいいな。そして口の中をデジカメで撮ってそのまま画面に映し出しどういう治療をしたのかと説明してくれる。男の先生は若くとてもイケメンだが、口の中の奥の奥まで見られて、恋に落ちる松田聖子ちゃんの気持ちはわからないなどと考えているうちにも治療は終わった。
「歯は命」と毎日歯間ブラシと歯ブラシを駆使して念入りに歯磨きをしてるのに虫歯になるのだ。生まれてから一度も歯磨きしたことのないクロエちゃんは大丈夫なのだろうか、と歯磨きロープを買って帰った。
魚味がついているからか嬉しそうに喉を鳴らしながら悪戦苦闘して一生懸命噛み千切って飲み込んでいた。キレイになったのだろうか。うとうと横たわっているところを見計らって無理やり口をこじあけて歯を覗き込んだら、猫は歯間が広くて食べカスが残ってしまったりするような構造にはなっていないらしかった。
2012年03月24日(土) |
The Secret |
ちょっと前のベストセラー、アマゾンで圧倒的に★5のレビューが多かったので読んでみた。
言葉が簡潔で内容が薄いので10分で30ページくらい読めてしまう。そしてそこまできたところで、そんなバカな。。。と思い始める。いや、これからちゃんと説明が始まるのだと思いきや、60ページ目まできて、同じ内容をリピートしているだけだと気付く。80ページ目まできて、飽き飽きしてもう止めた。
自分の境遇は自分が選んでる。良くも悪くも自分が日頃思い描いて夢見ていることも、心配して不安に思ったりしていることも、イメージしているとそれが実現されてしまう。大方それは正しいと思うけれど、筆者が天災などまでそれで説明をつけてしまっているのは強引だろう。日本中がそうだろうけれど、真っ先に思い浮かぶのは東日本大震災。確かにそこに住むことを選んだのは被災者でしょう。でも予測不可能な状況で震災は起こったわけで、彼らが日頃そんな恐怖をイメージしていなかったから津波に備えて万全な対策もとっていなかったのだ。東京電力がそんな事態をイメージして事前に万全な対策をとっていたら結果はもっとましなものだったでしょう。悪い事態をイメージするということが役立つことだってあるのだ。タイミングが悪かったのか、震災から一周年を迎え、生活を建て直そうと懸命にやってる人々の姿が脳裏に焼きついた状態で読んで、周波数だの波動だのと説明され苛立つだけだった。
まぁ、自分に降りかかる災難は夢にも自分が招いたと認めたくない欧米の人々には開眼してしまうような内容なのかもしれないけれど、謙虚な姿勢で暮らす大方の日本人は既にわかっているようなことでしょう。ひとつこの本に救いがあるとしたら、確かに自分の欲する状態を強くイメージして暮らすということは、それに近づくのに大きく貢献することでしょう(それすら他の本などで言い尽くされているけれど。。。)。
お店に並ぶうどに蕗の薹、わらびにたらの芽。春だなぁ。明日は休みだし!映画を観ながら家で一杯飲ろう、よし、美味しい肴を拵えるぞ、と山うどを一本手に入れた。
皮を厚めに剥いて身は薄くスライス。皮と芽、身をそれぞれ酢水に20分くらいさらして灰汁を抜く。灰汁というのは動植物が自分の身を外敵から守るために備えられた毒なのだそうだ。魚や果物や野菜の皮の灰汁がとりわけ強いのはそのせいなのだね(詳しい記事)。はぁ、自然てなんて逞しくて美しいのでしょう。身はそのまま胡桃味噌(味噌に砂糖と少し炒って粗く刻んだ胡桃を混ぜる)と和えて、皮と芽は砂糖ととうがらしと炒めたら醤油をからめてきんぴらに(酒やみりんを加えない料理はおばあちゃんの味のような素朴でなつかし味だ)。簡単だが絶品。
映画は「おもいでぽろぽろ」にした。何度も観た映画だが、宮崎駿に描かれる日本の田舎の風景の鮮やかさにあらためてときめく。自然や農業の優しさと厳しさにも触れたストーリーも良い。美味しい春の山菜料理とシメにと食べていたゆかりと梅のごはんの彩りの美しさに一瞬食べる手を止めて、しみじみ四季折々の楽しみを見つけられるこの国の風土に深く感謝した。
2012年03月17日(土) |
How to lose a guy in 10 days |
ランチにパロタを焼いた。小麦粉を水で練って、マッシュポテトと玉ねぎ、チリ、クミンシードを織り込んだら延ばしてフライパンで焼くだけ。シンプルだけど、わたしはこれが大好きでペロリとひとりで1,2枚平らげてしまう。織り込むスパイスを変えてみてもいいし、チーズを一緒に織り込むのもいいし、ギーを塗ったりしてもいい。アレンジできるのも好き。汁気がなくて思いきりスパイシーなカレーも欲しかったけれど、あまりスパイスがなかったから諦めて、2日前に仕込んでおいたオクラの味噌漬けを添えて、ミルキーで甘〜いミルクティを淹れた。今日は写真に撮ったけど、いつもは焼いてるそばからアツアツを頬ばってしまい、皿に乗らないことが多い(笑)。
夜に"How to lose a guy in 10 days"というコメディ映画を観た。女は"どうしたら10日で男にふられるか"という雑誌の記事を書くためその男に近づき、男は10日で本気のリレーションシップをつかむことができたら大きな仕事をもらえるという賭けに勝つためにその女に近づく。そうして相反する方向にリレーションシップを持っていこうとする二人の化かしあいとなる。くだらない映画だったが、いくつか感じたこと。この映画で言っている女が男に10日でふられる方法のひとつに、"出会ってすぐに結婚や子供のことを話題にする"というのが挙げられていた。以前女友達との会話の中でこんなことを言われた。
「そんな、出会ったばっかりの男性に結婚とか子供とかそういう話をしてよく逃げられなかったね。わたしは何度か失敗したことがあって、そういう話題はタブーだと思っていたんだけど。」
と。わたしはこう答えた。
「確かに重苦しいから嫌がる人もいると思うよ。でも現実、わたしはとても重苦しいの。そこまで重苦しく思わない相手なら付き合わないし、それを受け止められる度量のある強くて大らかな人を探しているから、はじめにそれは言ってしまうよ。それで逃げられるならそれまでだと思うし。」
でも実際それで逃げられるようなことはなかった。女友達は、深く共感してくれたのだが、その数ヵ月後、彼女は出会ってすぐの男性と恋に落ち、そのまま暴走してすぐに結婚やら子供やらという話をするようになり、今は一緒に暮らしている。"How to ・・・"のマニュアルは一見・一読の価値はあるが、結局大切なのは、それを自分のパーソナリティと照らし合わせてどう組み込んでいくかなのでしょう。
水っぽいかぼちゃをなんとか美味しく食べられないかとスープにしてみたのだが、とても美味しくできたので作り方を書いておこう。薄くスライスした玉ねぎを少量のオリーブオイルで極弱火で炒めたら切ったカボチャとセロリーの枝5cmくらいを入れてまた少し炒めたらひたひたの水を入れて蓋をして煮る。かぼちゃが煮えたら火を止めてセロリーを取り出して牛乳を加える(ここで熱が取れる)。ジューサーにかけてなめらかにしたらもう一度鍋に戻して火にかけて塩と胡椒で味を整えて出来上がり。化学調味料など使わなくてもセロリーと玉ねぎからしっかり出汁がでていて美味しい!
しかし、クロエちゃんが鍋の底キレイに舐めちゃったよぉ。猫は玉ねぎ食べちゃだめなのに。。。
結婚は2番目に好きな人としたほうがいいという説も納得できるけど、わたしはやっぱり1番好きな人がいい。そしてやっぱり誰よりもわたしを愛してくれる人がいい。
数回デート(お茶やごはんだけ)した男性からこんなオファーをもらった。
「君は結婚して子供が欲しいのでしょう?そしてオーストラリアに戻って自然の中で毎日ハイキングやビーチを楽しみたいんでしょう?僕はあと3年くらいは東京に住まなくてはならくて、君が嫌だというなら郊外に住んでもいいし、それから一緒にオーストラリアに移住すればいいよ。僕の職業柄、どこでもビザが下りるでしょう。君は良い奥さんで良いお母さんになると思うから、それを前提にはじめたい」
想像した。都内の高級アパートに教養のある賢く温厚な旦那さんと可愛い子供と暮らして、そのうちオーストラリアへ帰って毎日子供とハイキング。。。。完璧なようにも思える。でも、わたしが今どうしても欲しいのはひとめぼれ君だ。だってこんなにわたしの言葉を良く理解してくれる人など滅多に出会えない。二人を天秤にかけて考えた。片やわたしの欲しいもの全てをオファーしてくれるが決め手となる魅力はまだ発見できていない。片や何一つオファーしてくれないどころか、何の約束もなく、触れることもできず、メール越しの言葉をじっと握り締めているだけだけれど、会えばホームだと思えるような安心をくれる。YESと言えば全てが簡単に終結するように思えた。親の喜ぶ顔も脳裏に浮かんだ。
でも結局このオファーは断った。相手はとてもわたしのことが好きで、がっかりしたようだった。
帰り道、わたしはバカなのか。こんなんだから結婚できないのだろうと落ち込んで一晩じっと考えた。どんな人と結婚するべきなのか。女性は安定とか贅沢な暮らしをくれる人に弱い。わたしだってそのほうがいいに決まってる。でもそれに気を取られて本質の部分に盲目になるべきではない。そういう結婚をして退屈な主婦になった人々が不倫に走るのだろう。だから、想像してみる。相手がいつか無一文になっても、体が不自由になっても愛せるだろうかと。もちろん実際そんなふうになったら現実は想像と違うのだろう。でもそれくらいの心持ちで結婚したいものだ。わたしは最高と思えるリレーションシップを知っているからもう後戻りは出来ないだろう。チャンスがめぐらなければひとりで生きていこう。そう決めた。
そういえば、クロエちゃんと暮らしはじめたことで、飲んで、酔ってどこかに寝て朝帰りとかそういうことは愚か、9時くらいにはさようならと手をふる今までにもまして"不都合な女"となったのだが、それはかえってよかったのかもしれない。そうなるとわたしと本気で末永い付き合いを望んでいる人しか残らないのだ。
黒澤明監督の「生きる」を観た。お役所というのは昔から変わらないのだろう、モノクロフィルムだというのに、今観ても違う空気を感じない。出だしのナレーションから一撃を食らう。映画は癌に侵された渡辺という男の胃袋のレントゲン写真から始まり、それから机にかがみこんでただ退屈そうに書類にハンコを押しているだけの渡辺を映し出しこう語る。
「彼は時間をつぶしているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きているとはいえないからである。だめだ!これでは話にならない。これでは死骸も同然だ。いったいこれでいいのか。この男が本気でそう考えだすためには、この男の胃がもっと悪くなり、それからもっと無駄な時間が積み上げられる必要がある」
市役所の市民課長の渡辺は25年無遅刻・無欠勤で表彰されるような男で、夢もなく、これといった道楽もなく、酒も飲らず、忙しいフリをして課長の椅子を守ることが仕事という死んだも同然の日常をただやり過ごしていたが、ある日自分が胃癌で余命半年から一年しかないという事実を知り、大変なショックを受ける。死を目前にすると何かしなくてはならないという気に駆られる。しかし何をすればいいのか夢も道楽もなく生きてきた渡辺には見当もつかない。会社を無断で休み、酒場でぼんやり酒を飲むうちに常連客の遊び人の小説家と出会う。渡辺は自分が胃癌に侵され僅かな余命しか残されていないこと、その余命を精一杯「生きたい」のだと告げる。
「なるほど、不幸には立派な一面があるってのは本当ですな。つまり不幸は人間に真理を教えるんだ。生命がどんなに美しいものかと死に直面した時にはじめて知る」
渡辺の「生きたい」という気持ちに心をうたれた小説家は彼を連れて夜の街に繰り出し道楽を教える。パチンコにストリップにダンスホールなどという遊びを教わり、開眼する渡辺だったが、まだもっともっと何かやらなければならないという気分だ。だが、何をすればいいのか解らない。そこに部下の若い事務員の女と街でばったりでくわす。奔放で恐いもの知らずの女は役所があまりに退屈で転職するという。喫茶店でお茶を飲みながら女が、あまりにも退屈だったから課の男全員に仇名をつけたといって渡辺に聞かせるのだが、どの仇名も傑作で笑えた。口をパクパクあけて(おしゃべりで)、そのくせ中は空っぽの空洞でお高くとまってる男は"鯉のぼり"、何をとってもこれといった特徴がない男は"社員食堂の定食"、そして渡辺に関しては残酷にも"ミイラ"であった。しかしどの男も気力のない死んだも同然のような仇名がつけられていて、そりゃぁ、若い女がそんなところにいたら転職も考えるだろうなというくらい化け物揃いであった。渡辺は自分と全く違うこの女の言動に度肝を抜かれ、着いていけば何かを見つけられるのではないかと、この女を追い回すようになる。うんざり気味の女が今日が最後とつきあってくれた日に、新しい職場で自分が作ったはねるウサギのぬいぐるみを見せて、
「課長さんも何か作ってみたら」
となにげなく口走った言葉が大きく渡辺を動かすことになる。市役所では物作りなどできるわけがないと決め付けかけた渡辺の頭に、ふと市民の声を無視し続けて放っておいた公園建設の案が過ぎる。それからというもの残された余命を渡辺は公園建設に捧げ、最期はその公園で迎えたのだった。
渡辺の奮闘ぶりは葬式で役所の人々の口々に批判と共に語られる回想の中で見せられる。このシーンの彼らの会話の中には「生きた」渡辺への嫉妬からなる批判がよく見える。自分も「生きたい」。でもこのしがらみの中でどうすれば「生きる」ことができるのか、みんなもがいていた。皮肉にも死に直面した渡辺だからこそ「生きる」ことができたのだった。
震災から一年が経ち、こんなニュースを見た。日本の年間の自殺者の数は3万人超えと横ばい。その多くは10代である。だが、福島、岩手、宮城での自殺者は減少した。家族や親戚や友達の死に直面して生き残った人々だからこそ命の尊さを知っているということなのだろうか。夢だった体育の教師になってお金を貯めて家族に家を買いたいという若い女の子、いつか福島の家に帰りたいという老夫婦、津波にのまれた会社を何とか立て直そうとする中年男性、そこには精一杯「生きる」人々の姿がある。10代の若者が自ら命を絶つなんて酷い話だが、10代だからこそ逃げ場を見つけることが困難でどうしようもなくなってしまうのだろう。生きていれば良いことばかりではないが、悪いことだけでもないと悟るにはもう10年くらい生きなければならない。しかし、自ら命を絶つ勇気があるのなら、死ぬ気で自分をそこまで追い詰めている不幸から逃げ切って欲しいな。
中沢さんという一流のバイオリン職人の方が震災の流木を拾って2本のバイオリンを作り上げていくのを見た。今まで海外の木を扱ってきた中沢さんには国内の触りなれない木は扱いにくく、苦戦しながらも「優しい音色に仕上げたい」と丁寧に丁寧に作り上げていた。わたしは中沢さんに拾われた流木が命を吹き返したように美しい立派なバイオリンに生まれ変わったのを見てとても感動した。このバイオリンは、岩手の追悼式で演奏されるそうだ。その優しい音色はきっと被災した方々の心の奥底まで響き渡って、強く生き抜く力となることでしょうね。
2012年03月03日(土) |
Cafe Landtmann |
女友達とウィーンの格式あるカフェの海外一号店だという青山のカフェ・ラントマンへ。思った程お堅い雰囲気はなく、明るいテラスの席に腰をかけるともはやどんよりウィーンな雰囲気ではなくなっていた。ブラックコーヒーにオレンジリキュールを入れて、ホイップクリームを乗せてオレンジピールをトッピングした"マリア・テレジア"にしてみた。初恋の人と結婚し、浮気されても生涯夫を愛し続けたマリア・テレジア。純愛を貫いた女帝の名前のコーヒーを飲みながら、わたし達の話題は"婚活"でした。わたしはこんな言葉を聞くととても気後れしてしまうのだが、ひととおり周囲を見渡してみて、こんな結論に達したのだ。
"婚活"は一見"就活"と要領は同じようであるが、違いは
"就活"は努力に応じきちんと報酬が支払われるのだが、"婚活"においては結果の良し悪しは努力には比例しないということだ。
むしろ婚活など意識していない人のほうが余程幸せな結婚をしていることが多い。人間と人間が育むリレーションシップは"条件"だけでは計れないことのほうが多いのだから、なんだかんだと言っても最後はどれだけ相手を愛せるか、どれだけ相手を許せるかが幸福のものさしとなるのでしょう。
ともあれ、"みかん箱に入ってひたすら拾われるのを待ちます"などという冗談を飛ばしている場合ではないな。一生拾われないままミイラ化してたり。。。なんて笑えないな。みかん箱に穴を開けて鼻くらいは表に出しとこっと。クンクンクン。
今週は風邪気味でほんの少し体が熱かったのだが、アメリカに戻ったひとめぼれ君からのメールを見てますます体が熱くなった。
成田からの飛行機の中で君のことを想ったら、とてもあたたかい気持ちになった。僕はあんなことを言ったけれど、君といる時間はすごく満たされいるから、本当は君以外の人を見ることすらしないよ。だから不安がらないでよく眠ってください。
わたしのことを想ったらあたたかい気持ちになったなんて、今まで言われたどんな褒め言葉より嬉しかった。その言葉は、心まで弱ってくるような風邪っぴきの寒い夜には良い薬となった。