My life as a cat
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2012年02月28日(火) 石狩鍋

クロエちゃんにとサーモンを買ったが、お気に召さないようなので冷蔵庫に残っていたのを石狩鍋にすることにした。昆布で出汁を取って、醤油と酒でほんのり薄く味付けしたスープで野菜とサーモンを煮る。じゃがいもやキャベツを入れたりするのが特徴。が、キャベツは最近とても高いので、白菜にしておいた。煮えたら味噌を入れてもうひと煮込み。最後にバターを入れて出来上がり。ふぅ〜美味しい。こたつに入ってこんな料理を食べるのが冬の夜の醍醐味だ。3割くらい残したら、ごはんを入れてもうひと煮込み。そもそもスープがこってりしているのとバターが入っているのとでおじやというよりリゾットと呼びたくなる味になった。今回は何も足さなかったけれど、パルミジャンチーズや海苔をトッピングしても美味しいに違いないと踏んでいる。

それにしても、ペットが人間の残り物を食べるという話は聞いたことがあるでしょうけど、人間がペットの残り物を食べるという話はなかなか聞かないでしょう。

最近のクロエちゃんのお気に入りメニューは蒸した白菜のかつおぶし和えと海老とブロッコリーのスープです。


2012年02月26日(日) 上野でひとめぼれ

早朝、ひとめぼれ君と上野で再会。朝、新幹線で東京まででてきて、わたしとランチを摂って、成田に向かう予定だ。マーケットはオープンしているものの、まだ閑散としているアメ横を歩いて、次回日本に来るのは3ヶ月後になってしまうけれど、今回の滞在中に日本の大学と交渉して夏の間3ヶ月ステイできることになったこと、来年も沢山来る機会があることなどを告げられた。

「ここに住めばいいじゃない」

と言ってみたけど、やはりローカルと外国人の間に大きな溝がある日本の職場をレギュラーでやっていくのは精神的に難しいのだそうだ。

アメ横マーケットの中の刺身丼のお店の前で彼が立ち止まり、食べてみたいというのでそこでランチにすることにした。そこで彼が学生の時にアラスカで漁師のアルバイトをした話を聞いた。給料はいいけれど、命掛けの危険な仕事だ。それでも獲れた魚をすぐにその場で食べるのは格別で、なかなか楽しんだということも。海外でいつも感心するのは殆どの学生が自分で学費を捻出して勉学に励んでいることだ。だからみんなちゃんとよく勉強する。彼が教養があって頭脳明晰なのは一目瞭然だが、そんな苦労までしてドクターを取得したとは知らなかった。片手が不自由でも単身アメリカに渡り、生活が苦しくて誰もやりたがらない危険な研究をするしかないという出だしだったものの、寝る間も惜しんで研究に励んだ野口英世のストーリーを思い出した。

カフェで食後のコーヒーを飲み、昨日焼いた抹茶とチョコチップのクッキーを渡すと彼が妙に嬉しそうな顔をして、

「外国人向けの新聞で読んだの。日本の女の子は好きな男の子には手作りのお菓子をあげるって」

そうなの???別にそんな気もなかったが、彼がとても幸せそうだったの"そうかもね"と言っておいた。

別れの時間が刻々と迫った頃、話題は"結婚"になっていた。これがまずかった。彼の口から、

「結婚なんてものをしたがるのはほぼ人間だけだし、一夫一妻制も動物学的には不自然なんだよ」

などという発言が飛び出し、それは思いもよらずわたしに大打撃を与えた。

「そんな発言聞きたくなかった。わたしは少なくとも、絶対に結婚はないだろうと思うような男性と旅行に行ったりしません」

そう言ったところで、時間になってしまい、別れた。

帰りの電車でじっと考えた。この吐いてしまいそうな気持ち悪さはなんなのかと。結婚はただの紙切れなどと言う人もいるけれど、それでも自分に何かを約束してくれた人とそうでない人との差は大きい。だからわたしは結婚なんてただの紙切れだなんて思わない。出会ったばかりでこの人と結婚したいなどと思うにはちょっと色んなことを経験しすぎてしまったけれど、"絶対結婚の可能性がない"という関係は結びたくない。家に着いたら涙がぽろぽろとでてきてしまった。楽しい旅行をして、楽しい散歩をして、君だけを見てるなんてありえない、君と結婚なんてありえない、そう宣言されたような気分だった。

が、そこで電話が鳴った。彼が空港からかけてきたのだ。

「どうしたの?」

「さっきはごめん。僕余計なことを喋りすぎたね。職業柄こういう議論を交わすことが多くて、ついつい君に話したくなっちゃったんだ。でも、誤解して欲しくないんだ。それが動物学的に不自然だろうとなんだろうと、僕は人間だから人間の風潮に従って結婚もするし、相手を悲しませないように一夫一妻制に徹すると思うよ」

何度も何度も謝られた。よかった、わたしが何に悩んで、何に悲しんでいるか解ろうとしてくれる誠実な人で。

梅雨の季節にまた再会するのかな。

(写真:湯西川温泉にて)


2012年02月24日(金) "好き"なだけライフ

夕方なにげなくテレビをつけると、"世界の果ての日本人"(うろ覚え)という番組がやっていた。断片的に見たふたりの秘境に住む日本人。

ひとりは日本人女性(35歳)。道もないようなヒマラヤを望むインドの僻地に。17歳でインド舞踊に魅せられ単身インドに渡る。それからずっとインドに暮らし、12歳年下のインド人男性と結婚。インドでは一般的には年上の女性と結婚することはあまりメジャーではないため(わたしの友人いわく、家庭や教育によるということだが)、彼の家族の反対にあい、家族はなんとか説得したものの、親戚には彼女の年をごまかして紹介された。結婚と親や親戚が切っても切り離せないのがアジア的だが、インドなどは日本以上にその傾向が強そうだ。二人の住処は旦那さんの実家のアシュラムで朝の5時には水をかぶり身を清め、祈りで一日が始まる。奥さんはインド舞踊を教え、旦那さんは水を汲みに山を下る。彼女の義理のお父さんは彼らの娘の面倒を見て、夕方に食材を摘みにでかける(菜の花を沢山摘んでいた)。夕飯はやはりカレーだが、寺院であるため、瞑想の妨げになるチリや大蒜、しょうが、ネギなどのいわゆるスタミナ食材は一切使用されない。とてもマイルドな味なのだそうだ。

ふたりめは日本人男性(58歳)。50歳の時、日本に家族があるものの、家族を説得し、単身西アフリカ、ブルキナファソに渡る。居酒屋をオープンし、なんとか軌道に乗せたところで軍の暴動が起こり、日本人全員に避難勧告がでて泣く泣く手放すことに。日々の暮らしは野菜を作り、釣りをして魚を得る。釣れなければ食べられないが、

「そういう日はしょうがないね。食べなくてもいいんだ。」

という言葉が印象的だった。運任せ。こんな広大な自然の中で暮らしているとそういう大らかな気持ちになれるんだろう。しかし、釣った魚と畑で採れた野菜の料理、すごく美味しそうだった。自宅には本当にテーブルと椅子しかない。もう一度自分のお店を持って、ここの人に日本食を振舞いたいのだと、ここの人が日常的に米を食べることと、そこにソースをかけるのが人気なことに目をつけ、牛丼を売ることにした。小さな掘立小屋のような店舗を借り、始めたお店、出だしはなかなか良い。彼は一旗あげたいわけではない。この商売でお金を貯めて、ここに孤児院を建てたいのだ。外貨に頼らないところが良いと思う。一度はお金が貯まり、建物までできたもののあと一息というところで例の軍の暴動が起きて、知人にお金をつかいこまれてしまい、その建物は他人の手に渡ってしまった。それでも彼はこの国とこの国の人が大好きだという。

このふたりに共通しているのは、あれが好き、あれも好き、これが好き、これも好き、と"好き"しかない。そして、あれがある、あれもある、これがある、これもある、とあるものしかカウントしない。そもそも日本を離れて、あれもない、これもない、とないものばかりをカウントしてしまうような人は海外暮らしには向かないのでしょう。

"好き"に一目散で、"好き"だけに生きる。儚い人生だもの、こうありたい。


2012年02月20日(月) 雪の中でも暖かい




















朝目を覚ましたらまたまた露天風呂に直行。雪景色を眺めながらぽかぽかの温泉に浸かって迎える朝は格別。ゆっくりと体を温めたらバッフェの朝食へ。卵焼きに焼き鮭、シラス大根、煮物、漬物、ポテトサラダ、きのこのマリネとか気取らない普通の朝食メニューが用意されていたのだけれど、こういうものほど美味しいものはない。昨日山道や雪道を歩き回ってよく寝たせいでおなかはぺこぺこだった。朝起きたらおなかぺこぺこという状態、本来朝はこうあるべきなんだろう。

ゆっくり朝ごはんを食べていると、隣に座っている若いカップルがくだらない口論をしていた。男の子のほうが女の子がフルーツサラダを3杯も食べたとちょっと批判気味に口走ったのだ。そこには自分の彼女を太らせたくないというエゴが含まれているのがみえみえだ(彼女は全然太ってはいなかった)。女の子は食べてないと反論する。しばらく口論した後、二人は部屋に引き上げていった。残された食器をちらりと見ると男の子のほうに納豆のカップが3つ乗っていた。

朝食後、周辺をぶらりと散歩した。雪が積もっているというのに日射しが暖かい。もうすぐ彼ともバイバイといって別の方向へ帰らなければいけないのか、とさびしくなってきたけれど、そんな風に思っているのはわたしだけでしょう。あちらは旅人生なのでそういうところははじめから割り切れているのではないかな。恋愛感情をぐちぐちと話したがらない"男"な感じの人なので聞きもしないけれど。それでもそんな人だからこそ、

「君とこうなる日をずっと楽しみにしてたんだ。」

などという愛らしい言葉にころりとやられてしまう。

下今市の駅で何度も手を振って、またひとりで東京まで帰る。窓から注ぐ日射しがぽかぽかと暖かくて、ちょっと遅れたバレンタインにと彼がくれたキャンディーを口に入れて、そのままうとうとと眠ってしまった。


2012年02月19日(日) かまくら祭り

ほんの少しいつもより早起きして、東武電車に揺られ日光へ。待ち合わせの相手はね。。。。。なんと"ひとめぼれ君"です。けっこううだうだ言ってたのにね、飛躍しすぎ。友達が知ったら驚くだろうな。でもやられちゃったんですよ。果敢なハンターに打ち落とされたような感じ。わたしはこういうのを望んでいたんでしょう。会えば絶対楽しいのだから、後のことはもういいや、そんな気になってきて旅行の約束しちゃったんですよ。

日光駅で再会。日光出身の同僚が冬は閑散としてるなどと言っていたけれど、今日は快晴だからか、けっこう賑わっていた。まずは彼の希望の家康の墓を見に、日光東照宮を目指して歩いた。途中でツーリストインフォメーションへ寄ると沢山の雛人形や吊るし飾りが展示されていた。繊細で息を呑むような美しさ、こういう時、日本人に生まれたことを誇らしく思う。今日は日光の茶道の会の人々が無料でお茶を振舞っているというので、いただくことにした。さて、わたし達二人の前にお茶が差し出される。茶碗を二回回して、柄を見て、、、、と説明を始めたのはわたしではなくて、彼。茶道を習っているのだ。わたしは彼に習って飲むだけ。震災後は日光を賑わしていた外国人のツーリストがめっきり減っていたということもあって、あちらの先生はとても喜んでいた。

わたしはいつも外国人と自分の国のどこかへ旅行する時は、その場所の歴史や文化を調べ上げて、ツアーガイドのように説明してあげることにしている。まずそれらの知識があると観光は自分にとっても一段と楽しいし、知りえた知識を英語で説明できるように学習するのも自分にとって大きな収穫だ。それが外国語でなかなか文献の見つけられないようなものとなると相手もとても喜んでくれる。わたしは歴史は得意なほうではなかったけれど、いつも
"It was so fun visiting history with you"
と言ってもらえる。しかし! 今日はいつもと違う。しっかり予習してきたというのに、東照宮に到着する頃には彼の日本の文化や歴史に対する知識ははるかにわたしより上で、説明など必要ないと判断するに至った。それでも予習してきた甲斐があり、彼の投げかけてくる様々な将軍やら武士やらの話題になんとか対応できたから良しとしよう。そうじゃなかったら、この人のこういう知識は半端じゃないから全く着いていけず、退屈させてしまったかもしれないだろうから。

東照宮はものすごく中国を感じさせるような色とデザインで、良い家の出で贅沢を嫌った家康の意思に反して、ちょっと成金ような趣味の悪いところも多々見受けられるというのがわたし達の感想だった。

「これを創った家康の孫なんていうのは、もうすでに成功した親の元に生まれたからぬるくなりがちだけど、家康は違うでしょ。良い家の出で、普通よりは良い暮らしをしていたといえ、そこまで力のある家庭ではなかったのだろうから、自力で這い上がった奴つはいつの時代でも深みのある面白いのが多いよ。」

とは彼。まったくもって同感。先日友人に"わたしは貧しい国から来た優秀な男に弱い"などと話したばかりである。

ちょっとした山道のハイキングも楽しんだら電車とバスを乗り継いで湯西川温泉へ。長い道のりだけれど、だんだんと野山の風景が雪に覆われていくのに心が躍る。わたしはもう何年も積もる雪を見ていないのだから。

旅館は大当たりで露天風呂も部屋からの景色も良かったが、"囲炉裏を囲んで鷹狩料理"という夕食のスタイルがとても面白かった。だってカップルは向き合って食事ができないのだ。わたしは右向き、相手は左向きのような並び方で食事を取るのだ。話しにくくて仕方がないが、料理はどれも美味しかった。

そしていよいよかまくら祭りへ。川のせせらぎと満天の星、いくつもの小さなかまくらに灯された明かり。

「こんな景色は見たことがなかったから、記憶にくっきり焼きつくだろうな。」

と彼。わたしはまたまたうんうん、そうだね、そうだねと頷くのみでした。


2012年02月14日(火) Tokyo Tower

きのことくるみとブルーチーズのクリームパスタ。冷蔵庫にあったものを適当に放り込んで作ってみたけど、きのことブルーチーズがしっかり味を出してくれてなかなか美味しかった。

江國香織原作の"Tokyo Tower"という映画を観た。日頃、東京は灰色のコンクリートばかりの煙のような街と思っているわたしのような人に"ロマンスの詰まった色鮮やかな東京"を見せてくれる非常に映像の美しい映画だったが、登場人物のセリフなんかが思わず"bull shit"と呟いてしまうようなものばかり、共感するところなど殆どなかったけれど、ある意味印象の強い映画だった。だって愛のない結婚、結婚についてくる親の問題、お金で妻を幸せにする旦那、その身ひとつで快楽を与えられる若き青年(でもひたすら女の電話を待つなんていう忠犬ぶりは鬱陶しい)。。。こんなのって正にわたしの目から見た現代の日本の典型だ。ふたつの年の差カップルが描かれていて、モダンな家でモダンな暮らし(共働きで)をしてる妻は不倫の果てに離婚までしちゃって、古風な家で古風な暮らし(姑と同居して専業主婦で旦那の帰りが遅い)をしてる妻は不倫してもそこで踏みとどまるのも現代の日本の確率だろうな。江國香織の書くものって共感はしないけど、そういうところが面白い。黒木瞳だから20歳年下の男の子も許されるけど、普通だったらあつかましいわぁ、とつっこみを入れていたわたしだが、友人の5歳の息子(イギリスと日本のハーフ)がこれまたあまりにもカワイイので、

「将来わたしと結婚させて」

と頼んだら、

「母として息子を介護の為に結婚させるのは居たたまれない」

と断られた。よくよく計算してみたら年の差30歳。あつかましいにも程があります!


2012年02月12日(日) まねしんぼ

日曜の朝はクロエちゃんとふたりしてだらだらと寝坊するのが幸せな日課。クロエちゃんはちゃんとわたしと同じ向きに横たわって、頭を枕に乗せて首から下はちゃんと布団の中に入れて寝ているのだから微笑ましい。わたしがドタバタと走り回って家事に追われているときは自分も無意味に走り回り、エクササイズをすれば一緒になってジャンプしたりする。まねしんぼだね〜。

先日北海道土産にじゃがいもクッキーを頂いて、じゃがいもの味がしっかりしてあまりにも美味しかったので、原材料を見ると、じゃがいも、マーガリン、砂糖、塩、小麦粉、卵のみだった。じゃがいもの入ったクッキーのレシピをいくつかネットから拾ってきて作ってみることに。第一弾は油脂と卵を使わず、その代わりにアーモンドプードルが入るもの。食べた感想はう〜ん、、、、粉っぽすぎるかな。








2012年02月08日(水) German chamomile tea

不正出血することが多くなり、2年ぶりにドクターに会いに行くことにした。2年の間に彼は非常勤だったクリニックを辞めて、自分で開業したというので、その先を訪ねた。このドクターは腕がいいのはもちろんだが、わたしは彼のお喋りで愉快な人柄にどんなに精神的に救われているかと思う。ただでさえ憂鬱なところに眉間に皺を寄せて難しい顔で仕事をされたら完全に滅入ってしまうだろう。今日は顔を見るなり、太ったと言われた。いつか子供が欲しいと思うなら太ってはならないときつくたしなめられているのだ。

「年をとって代謝が落ちたんでしょうね。今までどおり食べていても太ってしまうんですよ。」

と言い訳した。

「違うの!年をとると頭がよくなって、無駄な動きをしなくなるの。子供を見てごらんよ。無駄な動きばっかりでしょ。あなた電車を待ってる間突っ立ってるでしょ。子供みたいにかくれんぼしたりしてないでしょ。そこが違うの!」

「はぁ。じゃぁ、わたしもかくれんぼとかしないとダメなんですね。」

「でもあなたがやってたら逮捕されると思うけど。」

そんな会話をしているうちに検査は終わった。

「すごいね!2年前と変わってない。全然悪くなってないよ。それにあなたの卵子は5年前と変わらず若い。このままいけば45歳くらいまで問題なく妊娠できるでしょ。」

と太鼓判を押された。超音波のモニターには卵型の白いものがぷかりぷかりと浮かぶように写っていた。そこそこの悪い結果も想定して覚悟をしてきただけに拍子抜けしたが、安心した。

昨夜まで気落ちしていた。すでに妹が病気だから、もし自分に病気が発覚しても親には言いたくない。でもかといって看病をしてくれる人はいない。孤独だなぁとしみじみ感じてしまった。クリニックのあるビルにヨガのスタジオがあったからふと思い立ってチャズにメールした。

「あなたの通ってるヨガのスタジオってもしかして。。。」

ビンゴだった。東京のビルの数からしたらなんて偶然なんだろう。チャズはヨーロッパにいた。彼もやっぱり孤独だ。でも孤独な者同士だから一緒にいようということにはならない。今読んでいる松本清張に書かれた徳川家康の伝記の言葉がふと胸に響いた。

"弱いものは苦労に負けてしまう。すぐにめそめそ泣いたり、かなしんで人を恨んだりして、自分からつまらない人間になってしまう"

子供の頃から人質として他国へ送られ苦労の多かった家康だが、彼はそこから多くを学び取り、物事が悪いほうへ進んでもケロリとして、森を駆けずり回りたか狩りを楽しんでいたという。

"人の一生は重荷をおって遠い道をいくようなものだ。いそいではならない"

孤独でも病気でも精神が負けてしまったらそこで前進できなくなってしまうのでしょうね。

たまには体をゆっくり休めて労ってあげようと、カフェインのないジャーマンカモミールティーを買って帰った。黄色の花にお湯を注ぐとふわりとリラックスする香りが広がる。今夜はぐっすり眠れるでしょう。


2012年02月03日(金) セリごはん

TGI Friday!!! ふはぁ〜、数日前からわたしを憂鬱にさせていた大きなミーティングも無事終わった。その中でいつも必ず庇ってくれる元マネージャーにつくづく感謝した。この人、若い頃喧嘩っ早くて、職場でも人の胸ぐらをつかんだりしていたとか、地元のヤクザに仲間に入らないかと誘われたとか、数々のおっかなエピソードがあって、定年退職して役を退いた今でも絶大な存在感を誇り、逆らえる人がいないというくらい恐れられているのだけれど、わたしはとても尊敬しているのだ。まず人に嫌われたりすることを恐れないし、そして自分の評価をあげるためにおべっかを使ったり、愛想笑いをしたりすることもしない。自分より強いものには遠慮なく噛み付き、弱いものには優しい。彼をよく知らない他部署の人間は、どうしてあんな物言いをするのかと悪く言うのをよく聞くが、単に愛想がないだけで、全く悪意はない。そして、やって当たり前、出来て当たり前というような風潮の中で、"大変だったね、ごくろうさま"とか"よくやってくれてるよ、ありがとう"などと労いの言葉をかけてくれるのは彼だけだ。どんなに努力しても出来ない部分ばかりを突かれてやる気をなくしてしまう時、そんな言葉をかけてくれる人がいることでどんなに救われるか。口数が少ない分、しっかりと人を見ているのだろう。満足のいく結果をだせなくとも、その過程での努力をしっかり汲み取ってくれているようだ。

夕飯は、肉厚で良質な椎茸とセリが手に入ったので、セリごはんにした。実家のセリごはんは炊き込むのではなくて、具を炒めて、炊いたごはんと混ぜるというもで、真似して作ってみた。案外簡単に母のと同じ味に作れた。




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