My life as a cat
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2012年01月29日(日) レナードの朝

リビングルームに暖房器具がないことがさすがに少し辛く感じる寒い寒い冬の日。極寒の南極の冬にじっと身を寄せ合ってなんとか卵を守ろうとする強く健気な皇帝ペンギンの姿を思う。暖房器具を購入しないのは、厳しい自然にも打ち勝つことができる強い体が欲しいというささやかな願望なのだ。

昨夜、数年ぶりに再会した友人がお土産にくれたパンを齧りながら、古い古い映画"Awakenings"を観た。原題よりも邦題の"レナードの朝"のほうがよほど良い。植物を愛する心があるのに人付き合いは苦手な医師が、未知の病気のような分裂症の患者とともに、時に飛躍し、時に一進一退しながら、共に歩んでいくストーリーだ。口数は少なくとも、寡黙に熱心に患者を救おうとする医師、彼を信頼する患者、また彼の内面のあたたかさを理解して、密かに好意を寄せる看護婦、じわりじわりと人間の優しさが静かに胸に染み入るような映画だった。

買い物へ出ると、大通りに柴犬が車に轢かれて血まみれで横たわっていた。信号待ちしている間、通り過ぎる車に何度も何度も轢かれ、歩道の信号が青に変わる頃には犬の形ではなくなっていた。きっと数分前まで無邪気に走り回って遊んでいたに違いない。それがこんな薄暗く北風の吹き荒れる寒い冬の日に、冷たくなって跡形もなく消えてしまうなんて。生命は生を授かったと同時に死も授かっていて、必ずしも美しく死を迎えられるわけではない。むしろ痛んだり苦しんだり、美しくないほうが多いんだろう。わたしは決して暗い精神状態でそんなことを考えるわけではないけれど、やはり一人で暮らしているから、誰にも気付かれず孤独にここで死んでしまうようなこともあろうかと考える。不思議とそれが哀しいことだとか、そうはなりたくないとか、そういうふうには思わない。人生の真価は生きていく過程に見いだすものなのだろう。そう考えると、どんな姿で死ぬのであれ、その時は心だけは安らかでいたい、と日々の小さなことを大切に思うようになる。


2012年01月20日(金) Desert Flower

映画"Desert Flower"の原作であるWaris Dirieの自伝を読んだ。ソマリアの遊牧民がチャンスに恵まれとんとん拍子にスーパーモデルになった、どうせ単純明快なサクセスストーリーなんだろうと侮って見始めた映画だったのだが、映画が終わっても涙が止まらず、その夜はめそめそと泣き続けて、翌日この本を手にとったのだった。

Warisはソマリアの遊牧民の両親の元に生を受ける。日々の暮らしは水と食料の確保とらくだと山羊の世話に尽きる。食料にありつけない日も多いようだが、笑いが絶えず、歌って踊り、牧歌のような大らかさで、流れる日々をやり過ごす。"夕飯があること"が当たり前ではなく、母親が何も出さなければ、子供達はただ自然とそれを理解し、愚図るでもなく床に着く。それでも何よりも当人達が幸せだというのだからそうなのだろう。あくせく働きづめで自殺者の耐えない先進国は途上国支援だのなんだのとやる前に、まず自分達の精神衛生状態を心配するべきであろうと思わずにいられない。

そうして14歳になったWarisに大きな転機が訪れる。父親が5頭のらくだを手に入れるため、彼女を70歳の老人と結婚させようとしたのだ。結婚自体も、ましてやこんな老人と結婚することなど考えられないWarisは、家族から逃げることを決意し、方角も分からぬまま、叔母が住んでいる首都のモガディシュを目指して、砂漠の中へ走り出した。荷物も靴も水も食料もない。何日も何日もひたすら広大な砂漠を歩き続けた。途中でライオンに遭遇し、死ぬ覚悟をしたが、アラーが守ってくれたのか、骨と皮だけの少女では食欲も沸かないのかライオンは去っていったという。

奇跡的にモガディシュに辿り着き、そこからロンドンへ移り住む機会を得たWarisは、その後も何度も好機に恵まれた。そして苦労をしながらも着実に暮らしは好転していき、ついにはELLEやVogueのカヴァーを飾るようなスーパーモデルに躍り出た。好機に恵まれたのは偶然ではなく、彼女が芯の部分にしっかりとした強い意志を秘めつつも、非常に柔軟で良い性格の持ち主で、人脈に恵まれたこと、また遊牧民気質なのか、そこそこ状況が好転してもそこにずっと留まろうというような執着を示さず、流れるように次のステップに踏み出していく行動力が大きな要因だと読み取れる。水がなくても強く咲き誇る"砂漠の花"という意味の"Waris"という名前にまったく劣らない人だ。


ニューヨークに住み、スーパーモデルとして活躍し、初めて家というものを所有し、結婚して子供にも恵まれた。しかし、ストーリーはここでハッピーエンディングとはならない。ここからがハイライトなのだ。

Marie Claireの記事の取材を受けた彼女は衝撃的な告白を始める。

"FGM−female genital mutilation(女性器切除)"漠然と聞いたことはあっても、どんな手法で施されるのか、どんな弊害があるのかということまで知らなかったから、遠い遠いどこかのお話くらいに思っていた。それについて語られるとき、"女の子は性器を縫って、結婚初夜に旦那がそれを開ける"と神々しく表現される。しかし、よくよく説明を聞けば、女性の性欲を抑えさせ、結婚するまで処女でいられるようにクリトリスを切り取り、単に男性が気持ちがいいように膣口をきつく縫っておくに過ぎない。Warisの生まれ育った民族間ではFGMを施されていない女性が結婚することは難しい。先進国の親が子供を良い学校へやることを義務としているように、Warisの母親も当然のように5歳の彼女にFGMを施した。いつもより大きな夕飯をもらった5歳のWarisは母親に手をひかれ、遠く遠く人里離れた場所へ連れていかれた。そこに待っていたのはジプシーの女性。大きな石の上で、脚を開かされたまま母親に押さえつけられたWarisはジプシーの女性に剃刀のようなものでクリトリスと小陰唇を切り取られ膣口を縫い付けられた。もちろん麻酔も鎮痛剤もない。あまりにもの痛みに気を失ったWarisはそのまましばらくそこへ放置された。痛みによるショックや傷口の化膿、出血多量で死に至る少女も少なくないという。Waris自身も姉と従兄弟二人をFGMにより失っている。だが、Warisは生き延びた。しかしそれが終わりではない。そこから痛みの人生が始まる。ほんの小さな出口を残して塞がれた膣口から尿を出すのには痛みが伴い、また大変な時間がかかる。生理が来るたびにあまりにもの痛みにWarisは何度も気を失っている。

Marie Claireでの告白は人々に大きな衝撃を与え、やがてWarisはFGM廃止を訴える国連大使となる。母国と母への愛を持ち続けながらも、そこで長年繰り返されてきた習慣の廃止を訴える活動をすることは複雑な思いが伴うことだろうし、何よりも勇気がいることだろう。息子がいるから声をあげることを躊躇する、けれど息子がいるからこそ、未来の子供達を守らなければ、という使命感がWarisを動かした。

本を読み進めていくうちにあらゆることに対するWarisの考え方に共感した。ソマリアの遊牧民の彼女と日本のごく平均的な家庭で育ったわたしでも痛みや悦びや悲しみの源は同じだ。同じだからこそ余計Warisの体からはっきり女性であることを意味するものと、ある種の悦びが永遠に奪われたことに涙が止まらなかった。Warisのように他国を見なければ、自分の受けた傷の悲惨さに気付くこともなかったとも言えるけれど、それでも男性の快楽だけのために無意味に痛みの多い人生を送る女性達をただ傍観していていられるのか、あらためて先進国からの"支援"のありかたを考えてしまう。


2012年01月08日(日) ひとめぼれ

"ひとめぼれ君"と再会した。成田に着いてその足で東京駅まで来て、また新幹線で国内の移動となるので、新丸ビルの日本食レストランのディナーをアレンジした。新丸ビルは丸ビルと違ってレストランは5Fとか6Fとかで東京の夜景を見渡せるような場所にはないが、案内された窓際の席からは木々に施されたシャンパン色のデコレーションがきらきらとしているのが見渡せて、なかなかデート向きな良い感じだった。彼とはじめて会った日は"ひとめぼれ"という酒を飲んで、なにがなにやら本当にひとめぼれされ、あちらが一応生活の拠点としているアメリカに戻ってからも毎日ややひとりよがりなアツいメールを頂いていたのだが、今回は"七笑い"という酒にしてみた。さて、毎日メールが来ていたので知ったような気になっていたけれど、会うのはこれがたった2度目。それなのに、やっぱり趣味や物事への価値の捉え方がとても似ていて、兄弟に再会したような安心感が生まれとにかく話がはずんだ。EUの経済の話やら日本人とハンガリアンの歴史的な繋がり、中東男のファンタシー、映画に顕れる日本人とドイツ人のメンタリティの繋がり。。。。次々と話題は沸いてきた。冒険心が強く、あらゆる文化的な体験をしてきた彼はとにかく博識で、またそこに実際のエピソードと自らの意見を交えながら伝える話術もあり、さすが教育者だと感心した。遠距離どころか、毎日世界のどこにいるんだかわからないような人だし、"ひとめぼれ"なんて怪しいわっ、とわたしのほうは彼と恋愛関係になることなど考えていなかったのだが、話を聞いていると案外まじめな人だということも解った。

「"One night stand"なんてものはね、繰り返していると本当に人生が虚しくなってしまうものだと思うよ。そういう男は沢山知ってるよ。でも彼らは心底それを楽しんでいるわけじゃなくて、もうきっちり一人の女にフォーカスできない体質になっちゃってるんだよ。」

時間はあっというまに過ぎていき、東京駅でお別れとなるのだが、また口説かれた。でもこの人の場合しつこくねちっこいとかいう感じではなく、必死でゲームの難関をクリアしようとする男の子のような無垢さが感じられ、不思議と嫌な気持ちはしない。こちらも笑いながら、

「わたし今日初めてあなたが世界中どこにも奥さんや子供がいない、本当の独身だって知ったくらいなんだから。お互いにもっと知り合ってそれでも良いと思ったら今以上の関係を考えてもいいと思うわ」

ときっぱりと言える。あちらは、

"Fair enough! I like your idea!"

となぜかとても感心して、頬にキスして去っていった。

さて、実は最近わたしも大変なひとめぼれをしてしまった。相手はSTAUB社のピコ・ココット君。無水鍋です。なにげなくつけていたテレビで見てしまったのだ。切った野菜やお肉だけを入れて蓋をして火にかける。1時間後蓋を開けてみると野菜やお肉がしっかり自ら出した水分で自らを煮込んでいるじゃありませんか!そこに市販のカレーのルーをいれるだけの料理なのだが、これ絶対美味しいよぉ。見た目が全然普通のカレーと違ったもの。安い物じゃないから、ネットで口コミをチェックしているけど、評判もいいし。欲しいなぁ。。。


2012年01月03日(火) 正月はわたしのL' apartmentにて

正月三が日は家でひたすらだらだらと過ごした。あれをしなきゃ、これをしなきゃと自分に何かを課すことなく気の赴くままに一日中過ごせるというのがこの上ない贅沢と思えるのも、日頃時間をきっちりくぎって、夥しく、あくせくと仕事と家事に励んでいるおかげでもあろうね。今年は猫もいることだしと、小さなこたつを購入したのだが、これがまた寝正月を盛り上げるうってつけの道具となった。もらったお餅を食べようとことことぜんざいを煮て(クロエちゃんはこれが相当気に入ったようで、もっとおくれよとせがんでくる)、とろとろに煮た大根やら、生海苔を入れた卵焼きやらをつまみに酒をちびちび飲りながら映画三昧。"L'apartment"という1996年のヨーロピアン映画はなかなか良かった。1996年といったらわたしがオリーブ(雑誌、すぐにへなってしまうのが難点ながらも薄くて重くないというのが魅力だった)とかをバッグに忍ばせていた時代で、その中によくパリジェンヌのファッションとかの特集があって、夢中で見ていたのだが、映画のモニカ・ベルッチやロマーヌ・ボーランジェのファッションは正にその時代のもの。あぁ、こんな恰好わたしの憧れだった!となつかしさを楽しんだ。それにこの映画の中の二人は絶世の美女の最盛期だと思うなぁ。モニカ・ベルッチはとにかく若くて、"セクシーさ"が前面にでていなくて、もっとナチュラルな色気と可愛らしさがあるし、ロマーヌ・ボーランジェは若き日の宮沢りえを彷彿させる正統派美人で華奢ながらも見事に凹凸のある女らしい体躯だし。その二人の美女の間を彷徨う男役にヴァンサン・カッセルなのも妙に納得。ちょっと怪しくキモい感じで、さっぱり美男系の俳優よりよほどストーリーにはまっている感じがした。

さて、もうすぐ寝正月も終わり。明日は久々にお出かけをしようかと考え中。スカート入るかしら。。。。


Michelina |MAIL