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2011年10月28日(金) |
初のフラワーアレンジメント |
社内で開催されたフラワーアレンジメントのクラスに初参加。本来は自分の感性で好きなように挿せばそれは全て"フラワーアレンジメント"なのだが、それにも基本のフォームを覚えればより美しく飾ることができるので今日はみんなで同じように造ってみましょうとのことだった。しかし、同じようにといっても性格がでるものだ。ふと周囲を見回すと、こんなにダイナミックに大きな広がりを見せているのは男の子達とわたしだけで女の子達のは小ぢんまりと繊細だった。講師は男性でアシスタントはその母親。講師は見回りにきてはひたすらよく出来ていると褒めてくれるのだが、その後お母さんが来て、ダメだしして、挿しなおしてくれる。先日深夜に男友達と拾ったタクシーの80歳の女性ドライバーの"男性よりも女性のお客さんのほうが女に厳しくて恐いわよ"という言葉を思い出した。
「こんな夜遅くに男性を乗せたりするのは恐くないのか」
というわたしの質問に対する答えだった。わたしは酔っていて眠たかったが、このドライバーとにかくよく喋る。裕福な良い家庭で生まれ育ち、お嬢様学校を卒業し、女友達がフライトアテンダントに憧れる中、自分の夢はタクシードライバーだったとか。。。わたしは意識朦朧と半分目を瞑って"はぁ"と"ヘぇ"を交互に適当に相槌を打っていたのだが、男友達は"そりゃぁすごいですね"とか"ほ〜、それで?"などしっかり付き合っているのだった。そのうち、
「ある日ね、16歳も年下の男性から猛烈アプローチを受けたの。それが今の旦那」
というので、そこでわたしはすかさず目を開き、
「その"ある日"は何歳の時なんですか」
と突っ込んだら、
「ほらね!女の子は厳しいわよっ。そういうところすかさず突っ込むんだから〜」
と言うのだ。確かにそうかもしれない。その後もマシンガントークは延々続き、"俺に任せろ。君は寝てていいよ"というように目で合図を送る男友達に後を任せ居眠りしたのでその先は覚えていない。エネルギーを全て奪い取られたようにタクシーを降りてぐったりとするわたし達とは裏腹にそのドライバーは窓を開けて大きく手を振って軽快に去っていったのだった。
さて、はじめは体裁よく整えるのに蕾を切り取り、茎をチョキチョキと刻んでいくことに抵抗を覚えたが、結局最後に切り取った蕾などは持ち帰って水に挿しておくといいというアドバイスをもらいほっとした。初作品は日頃まともな親孝行をできていないせめてもの償いに母にあげよう。
友人からメールがきた。
「色々とありがとう。わたしももっと自分を大切にしようと思います。行ってきます!」
そうしてヨーロッパへ女一人旅へでかけていった。
数ヶ月前、彼女は日本へやってきたあるツーリストと恋に落ちてしまったのだ。はじめはあたかもお互いが運命と信じているかのような展開だった。しかし、日が経つごとに、どうしたら一緒にいられるかと一生懸命悩む彼女とは裏腹に、その男がただ旅行中楽しみたいだけのようにわたしには聞こえてきたのだ。その予感は的中した。彼は悪い人間ではなさそうだけれど、簡単にコミットメントする文化にはなかったのだろう。わたしは、そういう感覚ではとても女性的またはアジア的というのだろうか、いい年した独身男性がコミットメントなしで女と付き合いたいなんて頭が弱いのではないか、などと思ってしまうが、そんな欧米人男性は少なくない。しかし、よくよく聞いてみると彼女はこんなことを何度も繰り返しているようなのだ。一人去ると、寂しさのあまりまたすぐに誰でもいいからすがりつきたい、というように男性を探して、節操なく妥協するからまたすぐにだめになっての繰り返しだ。精神のか弱い彼女があまりにも不憫で心配だった。ある日はこんなことを言ってわたしの気を滅入らせた。
「日本にいる外国人はバカばかり。でも妥協してバカと付き合うしかないのだろうか。」
そんな"バカ"な話があるわけない。わたしと彼女の"寂しさ"のメカニズムは違うのだろうか。わたしはひとりでいることよりも、誰かと一緒にいて、その人と心が通じないと感じることほど寂しいことはない。彼女はそれでも誰かと一緒にいたいのだろうか。
「ねぇ、あなたは綺麗だし、よく働いて、よく旅行して、話題も豊富で一緒にいてとても楽しい人だと思うよ。だからいつかあなたを誰よりも大切に思ってくれる人が現れるまで自分で自分を大切にしていかなければ、すごく勿体無いよ。」
と励まし続けたのだった。少しずつ落ち着きを取り戻した彼女は、ひとりの男の子の写真を見せてくれた。ネットで知り合ってメール交換しているだけの仲らしいのだが、何ヶ月も続いていて、そのうち実際に会ってみるつもりなのだと。メールだけでそんなに続くというのなら、お互いにパーソナリティを認めあっているのだろうし、ベッドに引きずりこむ意外に目的はないなんていう空っぽ男じゃないのだろうからいいんじゃないかな。
そして別の友人の結婚が決まった。一年前にその男性と交際を始めて、はじめは違和感ばかり訴えていたのだが、今となっては幸せの絶頂にいるようだ。この彼に会うまで、素直で従順なお嬢様タイプの彼女は、見た目が良く黒い魅力を持った男にひっかかっては、振り回され、泣かされ、最後は捨てられぼろぼろになるということを繰り返していたらしいので、性格も見た目も勤勉な会社員タイプで、健気に彼女だけをまっすぐ愛してくれる男性と付き合うようになって違和感を感じるのも無理はない。しかし一年交際を続けていく中で、"安心"をもらうことの心地よさをおぼえ、彼の退屈さや地味な見た目には目をつぶれるようになったということだ。彼女は本当にお人好しなところがあって、過去に彼女をボロボロにした男でさえも、"浮気ばかりして泣かされたけど、彼は不思議とお金が舞い込む強運の持ち主だった"とか、"お金に困って惨めだったけど、一緒にいると笑いが耐えなかった"とか、健気に何かしら良いところを摘み取って記憶に刻んでいるのが涙ぐましい。今となっては彼女を心底心配していたお母さんも、
「あなたはラッキーね。不誠実な男に振られ続けたおかげでこんな誠実で素敵な男性とめぐり合えたのだから」
と胸を撫で下ろしているのだそうだ。
"妥協"はどこまで許すべきかとたまに考えることがあったが、結局、"妥協"はそれをして、自分が今よりも確実に幸せになれる時だけすればいいということかな。
2011年10月10日(月) |
Legends of the Fall |
ここ最近のお気に入りは10代や20代前半に観た古い映画を丹念に見直すこと。その頃には何も感じ取れなかった映画に感動したり、またその逆もあって、自らの知識や感性が大きく変化してきたのが顕著に見られるのが面白い。
"Legends of the Fall"は当時特に面白いとは思わなかった映画のひとつだったけれど、今あらためて観るととてもロマンスに満ち溢れた素敵な作品だと思った。モンタナの豊かな自然とそこに暮らす家族の絆、野生動物と人間の共存、先住民と近代人の共存の厳しさや豊かさが美しく描かれている。ストーリーはある白人の家族について彼らと共生したインディアンに語られるのだが、"moon of the falling leaves"や、"moon of the red grass"など数字に頼らない時間の表し方などが詩的でとても美しかった。大自然の中で育まれた野生の勘的な残忍さと独自の正義感についても考えさせられた。
しかし、ブラッドピットはやはり大物だとつくづく感じる。オーランド・ブルームやマット・デイモンなどハンサムで良い役者は沢山いるけれど、ブラピのようなスペシャリティーはないように思う。
さて、天気も気候もパーフェクトな秋の連休の最終日の昼下がり、女友達とごろごろと芝生に寝転んで気だるい午後を過ごした。男の子とデートしたりもしているけれど、最近は女友達とのデートのほうがよほど気楽で楽しいと感じる。恋愛モードじゃないんだろうな。しかし、聡明な女友達と過ごすのも女の魅力、そして人間の魅力を磨く良いお勉強の時間であろう。
韓国出張へでた日本男児の同僚が、BBクリームをお土産に買ってきてくれた。わたしはこのBBクリームとやらを使用したことがないので、箱とにらめっこしていたら、そこへ欧米人の同僚がやってきた。それはなんだと尋ねるので、お土産にもらったのだと話した。すると、
「なぜ彼は君にそんな高価なお土産をくれるのか」
と首を傾げる。わたしは本当は特に理由などないことを知っていた。彼は単に珍しい物を買ってみるのが好きなので、購入し、年が近くよく話すわたしにくれたのだった。しかし、わたしはわざと、さて、なんでかしらね?と思わせぶりをしてからかった。このお土産文化のない欧米人の同僚はジェラシーの顔で去っていったのだが、翌日、同じ場所にアイスクリームを持ってあらわれた。それを誇らしげに差し出し、
「オミヤゲデス!」
と言う。わたしはあまりにもかわいらしさにハグしたくなった。
はたまた滅多に顔をださない部の歓迎会へ行くと、若造の幹事はわたしがお肉を食べないことをしっかり覚えていて、お店の人にコースをアレンジしてくれるように頼んでくれていたのだ。それだけでも感動だったが、またこの白金育ちのお坊ちゃま幹事のグルメ舌で選んだ店の料理とワインの美味しいことよ。わたしはほろ酔いの良い気分で家路に着き、電話してきた男友達にその一部始終を話してぐっすり眠りについたのだった。
その翌日、その男友達が電話をしてきて、美味しいものを食べに行こうと誘うのだ。そして
「もちろん僕は君がお肉を食べないことを覚えているから、ちゃんと事前にチェックした。」
と得意げに付け加えた。
男の子の闘争心のメカニズムは単純明快だ。ボーイフレンドが会社の女の子にはお土産を買ってきているようだが、自分には買ってこないと嘆く女友達に話すと、今度その手を使ってみようと意気込んでいた。
さて、日曜の夜、そんな単純明快な手にはのりそうにもない、非常にデキの良い男友達を夕飯に招待した。外食にも飽きたというので、素朴な家庭料理が食べたかったらいつでも来てくださいと誘ったのだ。日頃、都会のど真ん中で、肉食系の男達と文字通り肉食ばかりしている彼は、ほっとする味だととても喜んでくれた。食後に彼がデザートにと買ってきてくれたチョコレートを食べながら、彼の将来設計の話に聞きいり、感化された。この人はお金を作ることが何より大事とされる派手な業界に身を置き、自分と価値観の離れた人々と働くことに少々うんざりしながらも、将来はその経験を生かして発展途上国の経済支援策を練る仕事をしたいのだと、新たな分野の勉強に励んでいるらしい。わたしはここ数年、一途に「ママになりたい」などと思ってきたが、同年代の人の諸々の人生設計を伺うと違う人生もあるかと考える。チョコレートも美味しかったけれど、何よりも彼のくれた刺激が良いお土産だった。
(写真;まだまだおてんば娘なクロエちゃん)