My life as a cat
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2011年08月28日(日) ファミリーヒストリー

夏が静かに身をひくようにおとなしくなって、夜の空気が心地良い。同僚が今年初めて自分の畑で収穫したポップコーン用のとうもろこしを分けてくれた。身をほぐしてフライパンに油をしいて、蓋をして火にかける。しばらくするとポンポンと軽快な音がしてくる。クロエちゃんはもうこの音の虜で、フライパンの傍でじっと一部始終見守っている。最後に醤油をたらしてアツアツのを頬張る。これがうまい! 市販のはアメリカ産の大味なとうもろこしを使用しているのに対し、このしっかりした味のとうもろこしで作ったポップコーンは芳ばしい中に甘みがあってしっかりコーンの味がする。会社に持っていったら大人気で瞬く間になくなった。

NHKで"ファミリーヒストリー"という番組が放送されていた(再放送)。ゲストの先祖のルーツなどを辿って家族の歴史を紐解いていくのだ。今回のゲストは浅野忠信。遅い朝食をとりながらなにげなくテレビを観ていたわたしは、激動の時代を壮絶なストーリーを作りながら必死に生きぬいて、子孫を残した彼の先祖の姿に、思いがけずぽろぽろと感動の涙を流した。彼のファミリーヒストリーの中で一番大きな鍵となったのはアメリカ人の祖父だった。

ウィラードは10代の時に世界恐慌と歴史的干ばつに見舞われ、ろくに学校に行くこともできず、農作業にでることを余儀なくされた。やがて太平洋戦争が始まると軍隊に入り、料理兵として軍の食堂で働くようになる。

イチ子は幼少期を満州で過ごし、父の商売柄、自然と芸者となる。24歳で結婚し、裕福な結婚生活を送るが、8年後に離婚。と同時にソ連が満州に侵攻をはじめ命からがら生まれ故郷の広島に戻る。

ウィラードが23歳の時、進駐軍として横浜に渡る。そして広島から職を求めて横浜にでてきた38歳のイチ子と運命の出会いを果たし、恋に落ちる。それはウィラードの純真な愛がひしひしと伝わってくるような温かいものだった。やがて二人は結婚しイチ子は妊娠する。

ところが朝鮮戦争が勃発し、ウィラードは子供の出産を見ることなく、日本を離れることになってしまう。1年が経ちウィラードが無事日本に戻り、初めて自分の娘と対面する。これが忠信の母順子(ジューン)だった。幸せな日々を取り戻し、ハッピーエンドになるかに思えたが、またもや順子が4歳の時、アメリカ軍撤退でウィラードも帰国することになる。ウィラードはどうしてもイチ子と順子をアメリカに連れ帰りたいと説得したが、44歳にもなっていたイチ子はいまさら異文化の土地へ移って子育てをしていく自信がなかった。結局別れを決意したのはイチ子だった。ひとり淋しく帰国したウィラードはその後その結婚についてほとんど口にすることはなかったという。

そして数年後、ウィラードは二人の連れ子のある女性と再婚し、父親としてひたすら寡黙に働き、65歳という若さで他界した。

テレビ取材がそのウィラードの息子を訪ねていき、話を聞いた。息子は、父親が亡くなり、荷物を整理していた時に肌身離さず持っていた財布からでてきたものだといって、一枚の写真を取り出した。そこに写っていたのは幼い順子だった。

スタジオでその映像を見ていた順子は号泣していた。4歳で別れて以来2度と会うことのなかった父が死ぬまで財布に自分の写真を忍ばせていたのだ。そこにはどれだけ長く一緒にいられたかという時間では計れない大きな愛があったのだろう。順子は
「あんなに苦労して生きてきた人の血が私に流れていることを嬉しく思う。」
と言っていた。

更にスタジオにウィラードの二人の息子を招いて、順子と対面させたのだ。血の繋がりはないものの60歳になった順子が初めて会う兄弟だった。

良くも悪くも戦争に翻弄された壮絶な家族の歴史だ。その歴史の中にウィラードが唯一の血の繋がった娘をどんなに思っていたかという証拠を残して亡くなったことは、とても大きな意味を持っただろう。


2011年08月23日(火) 小さな命

まだ1歳にも満たないマーヴの猫が、野犬に噛み付かれた脚を手術の結果失ってしまったと聞いたのは10日前。猫の義足などはなかなか見かけないけれど皆無ではない。なんとかなると励ましてきたけれど、身体の自由をなくして、傷も癒えず、熱にうなされた小さな命は今日天国へ旅立った。小さな体を熱くしてふぅふぅと10日間も必死に生きようと頑張っていたのだと思うと、見たこともないその猫のために泣けた。

こんな悲しい出来事と引き換えのように良いこともあった。毎日通勤途中に出会う野良ちゃん(仮名 チビ)に飼い主が見つかったようなのだ。チビを初めて見かけたのは5月。小さな小さな痩せこけた子猫だった。その日から毎日同じ場所で朝も夕方も行き交う人々を眺めていた。おとなしく、無欲な雰囲気の猫で、たまに煮干などを投げてあげても決してがつがつせず、ゆっくりと食べ、食べ物をもらったからといって、もっと欲しいとねだったり着いて来るようなこともなかった。町の人には好かれているようだったけれど、食べ物にはありついていないのか、痩せっぽちのまま成長が見られないから、冬が来るまでに飼い主を見つけてあげたいと思っていた。よく部活帰りの中学生の女の子が抱きかかえて喋っているのを見かけたけれど、彼女は決して連れ帰らなかった。ところが、数日前、老夫婦が自転車で通りかかり、わざわざ自転車を止めて頭を撫でたりしているのを見かけたのだ。そしてその日以来もう所定の位置にチビを見ることはなくなった。わたしはあの夫婦が連れ帰ったのだと踏んでいる。

そして職場の入り口の植木の中にこんな小さな命が巣くっているのを見つけたりもした。

ひたむきに生きる動物達の姿に、ひたむきに生きる人間でありたいとしみじみ思わされる今日この頃だ。


2011年08月13日(土) Today is the first day of the rest of my life

桐島洋子さんの本を読み始めたらあまりに鋭利な物言いが爽快で一気に三冊も読んでしまった。その中でも深く共感し、心に残ったお話。「女が冴えるとき」より −

"Today is the first day of the rest of my life"と歌いながら窓を開けることを毎朝の冒頭の行事にしているニューヨーク在住のマリアンという未亡人がいる。子育てを終えて、ある日事故であっけなく旦那をなくした彼女は、残りの人生の一日一日を手のひらに乗せて見つめるようにして愛しむようにじっくり濃密に生きたいと、不要な物は全て処分し、愛おしくてたまらないものだけに囲まれて陽気に暮らすようになった。開けたての窓の傍らで、プラスチックではない洗いざらしのランチマットを惜しみなく敷き、イギリスの女王様が突然やってきてもたじろがないくらいの絶品な紅茶を美しいカップに注ぎ、ゆっくりと朝食を摂る。その朝食は前夜のポトフを更に煮込んでオムレツにしたものだったりという暮らしの工夫が凝らされている。

「とても華奢で素敵なティーカップだけれど、ちょっとウッカリしたら割れてしまうんじゃないかしら」 

という桐島さんにマリアンはこう答えた。

「割れますともさ。卵の殻みたいにカシャといってしまうわ。だからもう随分数が減ってしまったけれど、陶器なんて割れるからいいんじゃない。ボッテリドッテリと頑丈で幾久しく割れない茶碗なんて真っ平よ。人間だっていつか死ぬからこそ生きていることがいとおしいので、これが永久に続くのではゾッとしてしまうわ。生きているということは、刻々と移ろい滅びていくことだと思うのよ」

桐島さんは、
「マリアンの家にしばらく居候した私は暮らしの襞をこまやかにいつくしむ彼女の生活感覚に魅了され、私自身の成熟の季節を生きるうえにもさまざまなヒントを得ることができた」
と書いている。

年齢や状況は違えど、ひとり暮らしはわたしも同じだ。ひとりだから、さっと簡単に夕飯を摂ると人は多いようだけれど、わたしはひとりだからこそ、美味しいものを作って、自分で自分の一日の労をねぎらいたい。誰かと労わりあえばそれはそれでもっといいかもしれないけれど、ひとりだからと惨めったらしい暮らしをするのはいやだ。ひとりだろうとふたりだろうといつかは終わってしまう人生なのだから、その日までマリアンのように生活を愛して陽気に生きていたいものだと思う。


2011年08月06日(土) 世界の子供絵画展

銀座の小さなアートギャラリーで開かれている"自然"や"環境"をテーマにした世界の子供絵画展を見てきた。国別に分けられて展示されているのだが、国別に使う色、思考回路、使う道具、線の書き方など面白いほどはっきりと特徴が表れている。例えば、ベトナムなどはくっきりとした色で模様のように繰り返して描かれて、まさにあの色とりどりのベトナムシルクを思わせるような作品が多く、レベルはダントツ高い。原色を好むのではないかと想像していたスペインやイタリア、ブラジルなどのラテン系は意外にも淡い色鉛筆などであっさりと描かれていて余白がやたら多い。印象の薄いのは日本とドイツ。中国や台湾などは目のキラキラしたアニメチックな人間などが目立ち、絶対余白を残さず汲まなく塗りつぶしてある。

テーマが自然や環境だけに空や虹、魚、鳥、動物に海など描かれるものは至って平穏なものだったが、子供の絵といって忘れられないものがある。その展覧会の様子はテレビで見たのだが、子供に自由に絵を描かせたら、あるアフガニスタンの子供の描いた絵は人間から血が飛び散っているようなものだったのだ。生まれた時から戦争しか知らない子供達はこんな絵を描くことにも抵抗をおぼえないのだろうか、とこの国の現実にとても胸が痛んだ。

わたしなどが子供の頃は"21世紀"をテーマによく描かされた。テレビ電話や宇宙ツアーなどみんなこぞってそんな絵を描いた。男の子はパイロットや医者や野球選手になりたいと夢を持って、社会がひたすら前進することが幸福という時代だった。今の子供に与えられたテーマは社会がむやみに"前進"しすぎた結果もたらされた環境破壊を食い止めるということなのだろう。近頃の子供が突拍子もない夢など持たず、公務員になりたいなどと口走るのも納得する。


Michelina |MAIL