My life as a cat
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2011年07月26日(火) Split the bill on the first date?

会社規定の夏休みを家にこもりひたすらのんびり過ごしている。時間にしばられず、読書に耽りながらゆっくり遅めの朝食を摂る時間の愛おしいことよ。一日の始まりはこうあるべきだ。

先日会社の同僚とこんなトピックについての話題で盛り上がって少し面白かったのでじっくり考えてみた。

「初デートの費用はどちらが持つか」

"僕は割り勘はないな。僕のようなもてないのがそんなことしたら間違いなく2度目のデートにこぎつけられないもん" これは40歳独身男性の同僚。これは賢明だ。最初はお金を払ってまでデートに出かけたくなくても、まぁ支払いをしてくれるなら食事くらいつきあってもいいなと2度目、3度目のデートに出かけて良いところを発見できるかもしれないし。もてない人がもてないなりの努力を見せ付けるのは女の子は嫌いじゃないんじゃないかな。

"絶対割り勘。私はこんなに仕事を頑張ってるのに男に奢ってもらうなんてプライドが許さない"とは27歳独身女性。しかし彼女の話を聞いていると、浮気されたりして、奢られるよりももっとプライドを傷つけられることを沢山されている。男性は苦労して手に入れる物をより大切にする傾向にあるから、デート代すら苦労しないで手に入れた女性は粗末に扱いがちなのだろうか。

"わたしの年代は友達だろうが、なんだろうが、男女というだけで割り勘は存在しない"とは48歳独身女性。

さて、わたしはどうだろうか。真剣交際に発展した相手は少ないが、デートだけなら沢山した。1円単位まで割り勘にした人から絶対財布を出させない人まで、本当に色んな人がいたなぁと思い返しては笑いがこみ上げてくる。結論から言えば、理論的に考えたことはなかったが、嗅覚で"割り勘の精神"がわたしにはないようだ。感覚のどこかで自分より強く逞しい男性に庇護されたいと思っているからだろう。毎回奢ってもらっては誘いにくくなるし、お金が惜しいのではないから結果的に割り勘になることはどうでもいいのだ。しかし、この精神のあり方がそのままその後の関係を決めるような気がする。
"悪いけど割り勘にしてね。お金持ちになったら何でも奢ってあげるから"
とか、
"初デートだけは頑張って奢っちゃう"
とか、
"僕はディナー担当だからあなたはランチ担当でいいかな"
などと言った人がいたが、そんな一言でその人の男女関係に対する精神のありかたが見える。そういう人は恋愛の中での男女平等など決してうたわないし、無理がたたって後でボロもださないし、ロマンスも所帯じみたことも全て一緒に育んでいけそうな気がする。しかし、やっぱり一番好ましかったのは、
"今日はお洒落してしてきてくれてありがとう。時間もお金も使ったんだろうからここは僕に払わせて"
だ。何歳になってもお姫様願望は健在だ。


2011年07月23日(土) La Marche de l'empereur

邦題:皇帝ペンギンを観た。氷山ばかりの映像が暑苦しさを和らげてくれる夏休みにぴったりの映画だ。愛らしいだけじゃない、マイナス40℃の壮絶な南極の冬を越えて種の継続を守ろうとする芯の強さを持つ皇帝ペンギンのドキュメンタリー。さすが、フランス映画、ナレーションは事務的ではなく、すっかり酔ってしまうような詩的な言いまわしをする。月と太陽が出会う季節=冬が訪れる季節、夏の間に思いっきり泳いで魚を食べ、栄養を蓄えた彼らは水からあがり、外敵に襲われる心配のない更に寒い南の内陸、オモアック目指して行進を始める。地図は太陽だけ。足の短いよちよち歩きのペンギンが飲まず食わずで来る日も来る日も健気に懸命に歩き続ける。ついにオモアックにつくと"求愛のダンス"が始まる。ここで結婚して子供を産むのだ。オスの生殖能力は一度だけ。メスは一個しか卵を産まない。卵を産むと、体力を消耗したメス達は食料を得るためにまた群れをなして海を目指す。残されたオスは体を寄せ合い、じっと卵を温めて厳しい冬を越えなければならない。親ペンギンはその間にも海で餌食になったり寒さに耐えられなかったりで命を落とす。それは即ちその子供も死ぬことを意味する。メスが胃にエサを蓄えて戻ると今度はオスが海をめざす。こうして交代で子供にエサをあげる。

厳しい自然を生き抜くために彼らが授かったものは羽毛と強さと大きな愛だけ。それでも海に漕ぎ出す彼らの姿といったら生き生きとして希望に溢れている。テレビをつければ脳みそが溶けてしまいそうなくだらないグルメ番組ばかり、ポストはジャンクメールでいっぱい。あの手この手で物を売って、満腹でも食べ続けるように私腹を肥やすための手段を選ばず、そこから脱落すれば自ら命を絶ったりする病的な社会に身を置くわたしには、あまりにも濁りのない眩しすぎる世界で、生き遂げようとする彼らの姿に胸が熱くなり、すっかり心が溶けてしまった。


2011年07月04日(月) グアム島の休日 〜蒼の世界




















肌が腫れあがり、熱にうなされるように荒い息遣いでベッドに転がってなかなか起きてこないダミアンだったが、なんとか持ちこたえて午後に"Sea Walker"のツアーに参加した。これは酸素が送られてくるヘルメットをかぶって海底まで行くもの。ホテルでピックアップしてもらい、桟橋まで行った。そこで2グループに分かれて海底に行く。待ち時間は遊び道具を貸してくれるから、シュノーケルを借りてぷかぷかと浮きながら沢山のトロピカルフィッシュを眺めていた。本物の野生のダイバーで何度も海で死にはぐった父が、それでもよく
洗面台で顔を洗うだけでも溺れそうだと怖がる母親に、夢中で話していた。

「海の中は別世界で本当に竜宮城があるんだ。一度連れて行ってあげたい。」

母がそこまで水を怖がるのは、いつまで経っても海からあがってこない父を浜辺で泣きながら待っていた、という苦い経験を何度もしているからに違いないというのに、父は完全に海の中の魅力にとり憑かれていた。家に帰ったらこのツアーのことを父に話そう、きっと目を輝かせて"そうだろ、そうだろ"と得意げな顔をするだろう、そんなことを思っていた。

Sea Walkerは楽しかった。水中で魚に餌付けするとすごい勢いで寄ってくる。ダミアンは肌から突き出たほくろを小さな魚に噛みつかれたようだ。

水中写真を撮影して売るというので、記念に一枚買った。その時点ではまだ写真を見せてもらえず後でホテルに届けるとだけ言われた。夕飯を食べて買い物をしてホテルに戻るとレセプションから写真が届いたとのメッセージがあった。ふたりとも遊びつかれてぐったりとベッドに横たわり、じゃんけんぽんで負けたほうが下に降りて写真をピックアップすることにした。ダミアンはじゃんけんぽんをしたことがないため、教えたらとても楽しんでいたが、すぐに後出しすることを学んだ。しかし、勝負は後だししたにもかかわらずダミアンの負けだった。そうしてやっと手元に届いた写真を見てショック死した。あんなに餌付けして魚に囲まれていたというのに、写真には一尾も写っていなかった!


2011年07月03日(日) グアム島の休日 〜夕陽に染まるタモン・ベイ




















しっかり泳いで、ホテルに戻り、シャワーを浴びて、昼寝をしたらちょうどいい加減に強い日射しがやわらいでいる。何か食べようと再び外に出た。一番賑わっている場所へ行けば何かあるだろうと、そこを目指してビーチを歩いた。ガイドブックによれば、タモン・ベイのビーチは一番観光客で賑わうところらしいが、オフシーズンなのか、観光客は殆ど見かけず、ぱらりぱらりと地元の人が犬の散歩をさせていたり、レスキュー隊が掛け声をあげながらカヤックの練習をしていたりするくらいだった。ここでは日本テリヤのような犬が流行っているのだろうか、どの犬も毛がなくつるりとして、カンガルーのような顔立ちをしていた。子供達は"I found Chicken bone!!"と珊瑚のかけらを投げ合っていた。ダミアンはそれを拾って嬉しそうにポケットにしまった。

ディナーは、本当はチャモロ料理と言われるローカルな料理が食べてみたくて(ココナッツ風味に甘酸っぱい味が多いのだそうだ。タイ料理に似ているのだろうか)、美味しいお店を事前に調べていたのだが、予約を入れようと電話をすると空きがなく、店の前に並んで待っている人がいると言われたので諦めてHard Rock Cafeに入った。カリフォルニアワインとファジタ、オニオンリングにチーズケーキなどをつついた。アメリカの料理はソースやお菓子など甘いものがとことん甘くて、日本でいえば子供の好みそうな味のものが多い。たまに食べるには悪くないけれど、毎日は食べられそうにない。いろいろ食べたが、結局滞在中一番美味しかったのはサブウェイのサンドイッチだった。日本ではほんの少ししか野菜を詰めてくれないが、アメリカやオーストラリアではこれでもかというほどぎっしりと詰めてくれるから好きだ。Honey oatsのパンに全ての野菜を挟んで、Ranchのドレッシングをかけてもらう。ホワイトチョコとマカダミアナッツのソフトクッキーもとても甘いが、ほろ苦いブラックコーヒーのお供に良い。

食後は腹ごなしのショッピングを楽しんだ。ダミアンはニュースペーパー、わたしは雑誌が欲しくて、ブックストアを探したが、繁華街には一軒もなかった。ABCストアのようなコンビニエンスストアでも雑誌・ニュースペーパーを扱っていない。これはとても不思議なことだった。


2011年07月02日(土) グアム島の休日

忙しく働いた平日の夕方、職場から成田に直行してひょいっとひとっとび、グアム島へやってきた。飛行機を降りて入国審査まで来ると、すでに南国ムードがむんむん。ゆったりとした肉付きのオフィサー達がどしりと椅子に腰を降ろし、どんなに長い行列ができていようとおかまいなし、といった雰囲気で、ゆっくりゆっくり仕事をこなしていた。常夏の島ではこうやってエネルギーをセーブしなければ体力がもたないのだろう。

その日の夜はホテルに着くなり眠りに落ちてしまったが、翌朝目を覚まし、よろよろとバルコニーへでてみると、はっと目が覚めるような青く澄んだ遠浅の海が眼前に広がっていた。コーヒーを淹れ、読みかけの本を持ってバルコニーへ出て、グアムの空気を吸った。わたしは勝手なイメージでグアムはハワイと同じだと思っていたが、大きな違いは湿度だろう。風がよく吹きぬけるから東京のような息苦しさはないものの、湿度は高く、木陰ならうんと涼しいというわけにはいかなかった。今は雨季らしく、夜の間にスコールもあったようで、それが殊更湿度をあげているようだった。

ダミアンが起きてくるのを待って、散策にでかけた。タモン地区というのが一番賑やかな繁華街らしく、端から端まで歩いても1kmくらいだろうと思われる大きな通り上にあらゆるレストランやお店、ホテルが混在していた。車社会らしく、歩行者などはそう見かけず、たまにすれ違うのは大抵日本人観光客だった。車の通りはけっこう激しく、押しボタン式の横断歩道がやたら多く、そして待ち時間がやたら長い。左右確認して信号無視して渡ろうかとも考えたが、ポリスカーがやたらうろうろしているので思いとどまった。また、アメリカとは思えないほど、治安の悪そうな雰囲気は微塵も感じない。ローカルらしい人々も通りすがりにニコリとして"Hi!"と声をかけていく。あとは、車から男が身を乗り出して、"ヒュー!"とホイッスルを吹かれるのもけっこうあった。東京らへんでは女にホイッスルするような度胸なり、興味なり、暇なり、体力なりを持った男は絶滅したので、なつかしい気持ちになった(ダミアンは隣でちと鼻息を荒くしていた)。

午後はビーチでくらげのごとくぷかぷかと浮遊して過ごした。たまには何も考えないのがいいね、と極上の休日を味わった気分でいたが、これが後々大惨事となった。夕方ビーチからあがるとふたりとも体中真っ赤に腫れていた。上からの紫外線に加えて、下からも白砂から反射した紫外線が降り注がれていたせいだろう。こうしてその後の二人の記念写真は、お互い体が触れ合わないようにぎこちなく肩を寄せているものばかりとなった。


Michelina |MAIL