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4連休はのんびりローカル線で伊豆下田まで行き、小さな町を散歩して、立ち止まっては買い食いし、写真を撮り、サーファー達が波に挑む姿を眺めながらゆったり温泉に浸かり、美味しい料理に舌鼓を打ち、ぐっすり眠り、朝のビーチを散歩した。日頃の疲れを癒し、エネルギーチャージして、おばあちゃんとホワイトプードルちゃんが店番をしている小さな老舗で、三島由紀夫が愛したというマドレーヌ(とっても美味しい!)を買い込んで帰ってきた。町の人々の収入源が想像もつかないような寂れた小さな港町だったが、旅館の送迎バスに乗ったら8割が外国人(ほぼ中国人)であることに驚き、後からのんびりした"町の小さな老舗のお菓子屋"と思っていたお店は、ネットで全国に通販をし、2階に地中海料理屋を開き、オーナーは三島由紀夫を語った本を出版し、立派なビジネスとして成り立っていることを知り、少し興醒めし、しかし、ちゃんと食べていけているのだと頼もしく思った。
「かもめ食堂」は無機質な食堂の雰囲気から食べ物の温かみが伝わらないし、人間もキッチンもストーリーもあまりにも清潔で気に入らなかった。「食堂かたつむり」は(本で読んだ)ひとつ屋根の下、同じ夢を見てこつこつ一緒に貯金していた。。。はずだったインド人のボーイフレンドがお金と共に突然消えるなんていうよく聞くような現実的な設定で面白かったけれど、予約制で打ち合わせしてから訪れるなんていう、食欲も失せるようなシステムとか、食べ物にありつくまでの薀蓄がうっとうしいし、出てくる料理もあまりにも凝っていて味が想像つかないし、大体最後に可愛がっていたペットの豚を解体して食べるなんていうのが気に入らない("食べる"ということはそんな尊いことなんだよ、とでも言いたげな理屈っぽさが嫌だ)。 もう料理を主体にした映画も食傷気味であったが、この映画は良かった。極寒の南極で母国を胸に、しっかり働いて、労働を終えた男達を待っているぽかぽかのごはん。おにぎり、豚汁、焼き鮭にラーメン。。。 男達は美味しいともまずいとも言わない。感想も述べずひたすら食べる。空腹に論理などいらない。伊勢海老と聞けば、「高級な食材だから」刺身で味わおうなどということもなく、「エビフライにしよう!」と声を揃える。ひたすら食欲に忠実である。ランチの時間を知らせるのが「ワルキューレ」なのも食べることに挑む真剣さの顕れのようだ。ストーリーは南極に1年と数ヶ月派遣された南極観測隊(越冬組)の男8人が繰り広げるハートウォーミングな小さな出来事で構成されている。ひたすら涎を垂らしながら、くすくす笑って見られる癒し系映画であった。
近所のスーパーマーケットでトイレを借りると貼り紙が目に入った。
「トイレットペーパーを盗まないでください。目撃情報も入っているので警察に捜査を依頼しています。盗んだトイレットペーパーを持ち帰り、あなたとあなたの家族の心はどうなっていますか。」
日本人ほど"節約"に関心のある国民はいないのではないかと思う。お金儲けにうつつを抜かすよりも節約して堅実に暮らしていこうという人が多いから、一億総勢ミドルクラスで平和だ。格差社会などと言うけれど、欧米などと比べたらどうってことない。しかし、一方でこの勤勉さが裏目にでて、節約魂がいつのまにか盗人になっていたりする。主婦の万引きは多いらしい。わたしだってそこそこ節約を心がけて謙虚に暮らしている。服や靴は質の良いものを買って、丁寧に手入れして大事に使っているし、必要最低限の電化製品は中古だ。料理をする時はなるべく蓋を利用し、食料は旬で一番安い野菜を食べるようにしている。それでもある日ぱっと飲みにいったり、旅行に出かけたりするから、そんなに貯蓄には廻せていないけれど。。。
しかし、わたしのプライドはいくらだろう。間違いなくトイレットペーパーよりも高い。買えなくなったら、東南アジアの人々のように水で洗おう。
電車の中に一円が落ちていた。誰も拾わないからわたしが拾った。隣の男性に目配せすると、自分じゃないというふうに首を振るので、わたしのポケットにしまった。一円を笑うものは一円に泣くというものね。
今週はちょっと風邪気味で、それでも温めた赤ワインを飲んではじっくりと寝てなんとか休暇を取らずにちゃんと仕事に行った。バカは風邪をひかないなどというけれど、反対だろう。風邪くらいは自分の注意で防げるものだ。社会人として風邪をひいたと仕事を休むことは少し恥ずかしいという気があるから、なんとか頑張っていたというのに。。。。。週の中ごろ、久々に母にひっついて家を訪ねてきた妹はさらりと"毎日家にいるから風邪くらいひいてもいいもんね"などと発言してわたしの神経を逆撫でした。食べていたクレープを差し出すので、わたしが噛み付いたら風邪がうつるよと遠慮したのだ。30歳になる人間の発言なのか。結婚を前提に経済的に面倒を見てくれるボーイフレンドがいようとも現状は年老いた両親が彼女の病気の世話をしているのだ。ネットで
「"鬱病"なんて単なる怠け物じゃないんですか。」
と質問して、鬱病の方々から相当バッシングされているのを見たことがあるが、わたしに言わせれば、半分はYes, 半分はNoだろう。職場でも鬱病と診断されている人は少なくないが、その大半が親と暮らして、仕事を休んでも経済的になんとかなる人ばかりで、それがちょっとした甘えとなっていたり、養うべき家族もないから責任感も幸福感も持てず、ひたすら忙しいスケジュールを無目的にこなしそうなってしまうのではないか。妹の場合、本当に酷い時もあったが、体が回復しても精神は蝕まれたままである。自分で立って生活しようという気が全くない。旅行にはしゃきしゃき出かけていくのに、働くことは出来ないという。病気を都合の良い言い訳に使っているのではないか。昔はよく二人で海外旅行などに出かけたのに、いつからか妹の魂は廃人のようになってしまい、わたしはまっすぐ彼女の目を見て話すことができなくなってしまった。
なんとか乗り切ったと達成感に包まれ12時間もたっぷり寝て週末に入り、夜に気楽な仲間といつものインディアンレストランへ行き、爽快に食べて喋った帰り道、急に呼吸が苦しくなり、気持ちが悪くなってきた。ダミアンが背中をさすってくれたが、良くならず、それでもとにかくダミアンの家に帰ろうと電車に乗ったら、急に吐き気がして、車内で吐いてしまった。不幸中の幸いは車内がスカスカだったこと。とりあえず次の駅で降りたのだが、体の中に潜んでいた悪魔でも吐き出してしまった気分だ。吐いたらスッキリ治ってしまった。駅員に事情を話して何度も詫びて帰ってきた。
2010年11月06日(土) |
Dances with wolves |
Mark Rowlandsの"The Philosopher and the wolf"を読み始めまっさきに思い出したのがこれ。何度観ても壮大な自然の美しさ、そこに生きる人間と動物の純真な愛に心が洗われる大好きな映画だ。南北戦争のさなか、ある出来事を機に英雄となったジョン・ダンバー中尉(ケビン・コスナー)は、馬の"シスコ"と自分で勤務地を選べる特権を与えられ、やがては失われるであろうフロンティアを見ておきたいのだとサウスダコタ州のセッジウィック砦を希望し、シスコと食料だけを携えてその荒野のど真ん中の砦で暮らし始める。動物の死骸などが沈んだ沼の水をきれいにし、水浴びが出来るようになり、そのうちどこからかふらりと現れた野生の狼を"Two socks(二つの靴下)"と名づけぎこちなく餌付けするようになる。この痩せこけているくせに強そうな顔をして、孤独なのに人とぴったりと寄り添うことを好まない荒野に生きる一匹狼は、そのままこの中尉を投影したようだったから似たもの同士通じ合うものがあったのだろう、付かず離れずの関係の中に不思議な友情が出来上がっていった。ある日、白人だがスー族というインディアンの一族に育てられた女性を助けたのをきっかけにこの部族と接触するようになり、やがては一緒に狩をし、お互いの言葉を理解し、大きな友情が生まれていく。文明社会に生まれ、暗い政治の為の戦ってきた中尉は明日の食料の確保と家族を守るためだけに戦うスー族から人間の本来あるべき姿と人生の豊かさを学ぶ。
"I'd never known a people so eager to laugh, so devoted to family, so dedicated to each other. And the only word that came to mind was "Harmony". Many times, I've felt alone but until this afternoon, I've never felt completely lonely" - 笑い声が絶えず、何よりも家族を大切にする人々、"調和"としか言いようがない。今までも孤独だったが、これほどの孤独を感じたことがなかった。
やがてはいつか助けたスー族の女性と結婚し、ジョン・ダンバーではなくスー族の人間がみんな持つような呼称を与えられる。それが"Dances with wolves(狼と踊る男)"である。
・・・・・・・
最後の最後には"その13年後インディアンは家を失いバッファローもいなくなり食料が尽きて収容された"という字幕で幕を閉じるのだけれど、この映画には動物とのふれあいや他民族との友情や愛情、言葉や文化や習慣の壁を越えて世界はひとつになれるという希望が存分にあった。荒野に向かって両手を大きく広げて、愛を叫んでアツい涙を流したくなるような映画だ。
いつものランチタイム、同僚のブリティッシュガイがイギリスのブランチからのお友達を連れて現れた。いつになく饒舌でいきいきとしている。日本人のわたしにはここでの生活をめいいっぱい楽しんでいるかのように話すが、ダミアンから聞いてしまった。本当はここに馴染めずイギリスに帰りたいのだと。先日まで日本食は美味しいなどと言っていたくせに、ころりとフィッシンチップスに寝返り、やけに賑やかなこの二人を見て他の外国人達が溜息をつく。故郷の友達が恋しいと。オーストラリアでも日本人達は納豆菌を分け合って手作り納豆を作っていたっけ。どんな地でも住めば都、それでも故郷はべったりと自分の内部に染み付いて離れることはないのでしょう。
ぽっかりと週の真ん中にあった休日は日光へ日帰り旅行。紅葉はあまり進んでいないにもかかわらず、観光客でごったがえしいろは坂は大渋滞。やっとこさ中禅寺湖へ着いて、お茶を飲んでダミアンの能面探しにつきあったら、もう帰る時間になってしまった。ハイキングも何もできなかったが、お母さんにこけしと箸置きを買って最後の最後で猿の親子を目撃し、ダミアンは満足したらしかった。