My life as a cat
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2010年12月30日(木) 2010年の終わりに




















ひたすら忙しかった一年ももう終わり。大掃除も終わったし、あとはゆっくり読書や映画鑑賞して過ごすのみ。今年一年を振り返ってみる。実に波乱に満ちていた、としみじみ思う。それは全て一つ一つ自分で選択してきた物事の結果なのだから不平不満などない。自分に起こる一つ一つの出来事がどうであれ、自分の心の中の平穏だけは守らねばと思うのみだ。2003年に打ち上げられ燃料漏れや音信途絶など数々の困難に見舞われ、果てしない宇宙を彷徨った"はやぶさ"は今年無事に地球に帰還した。総責任者の川口さんの言葉が胸に刻まれた。

"可能性がある限り努力はし続けるものだ"

はやぶさに比べて、わたしはなんてちっぽけなところを彷徨っているのか。次々と降りかかって心を弱らせた事々も、大きなスマイルをくれた事々も全て栄養源にして、来年は失いつつあった自信を取り戻さなくっちゃ。

そして今年の大きな収穫は、友達を持つことの大切さを改めて痛感したこと。悲しいことがあった時、そこにいつも友達がいてくれた。わたしには沢山友達がいるわけではないけれど、何かの縁で親しくなった数少ない友達とじっくりつきあっていきたいと思う。

それでは良いお年を。


2010年12月25日(土) 断・捨・離

だんしゃり 断・捨・離とは、
自分とモノとの関係を問い直し、
暮らし・自分・人生を調えていくプロセス。
不要・不適・不快なモノとの関係を、
文字通り、断ち・捨て・離れ
引き算の解決方法によって停滞を取り除き
住まいの、暮らしの、身体の、気持ちの、人生の、
新陳代謝を促す・・・

住まいが、片づかないという悩みはもとより
身体の不調、煩わしい人間関係、忙しすぎる状況をも
解決していきます。

ー やました ひでこさんのウェブサイトより


NHKの番組で特集されていた「断捨離」。わたしが社会に出る頃には日本社会はもう「得る」ことよりも「捨てる」方向に向かっていたのだから、目新しいことではないけれど、この番組でコメンテーターがこんな事も述べていた。

「あらゆる情報をあちらこちらから入手できる現代において、必要な情報だけを残して、不要な情報を捨てるということも大事です。」

情報を捨てる。最近、自分より若い年代、つまり20代そこそこの同僚などと話していてふと心配になってしまうことがある。会話の中で、ほらっ、あれ何だっけ?とお互いに思い出せないことがあった時、彼らは数分後にはネットで調べてくるのだ。それどころか彼らの述べる「意見」すらどこかの記事からの切り抜きをオウムのごとく口にしているだけのように感じることがある。食べ物でも「賞味期限」の数字を信じて疑わない。そんなものは自分の舌で判断すればいいんじゃないか、と思ったりするが、彼らは自分の舌よりも誰かが明記した情報を固く信じる。過多な「情報」に溺れて自分の「平衡感覚」のようなものを失っていくのはもったいない。

こんな話も思い出した。先日、しばらく音信不通であったある友人の近況を人伝に聞いた。わたしが知っている彼女はリッチな男性と結婚したセレブなマダムだった。ゼロの数がカウントできないような高価なリングをさらりと「すごいでしょ?」と見せてくれる嫌味のない彼女が嫌いではなかったが、旦那の妄想する「良き日本人妻」像に完全に彼女が嵌め込まれているようなこの夫婦の様相はわたしを息苦しくさせた。パーティ好きな彼らはよくパーティに招待してくれたが、会話が下劣な方向にずれると旦那が身を乗り出してくるところや、おなかが落ち着いたらすぐにワイフに後片付けをさせるのが少し苦手だった。ここまでがわたしの知っているところ。ところが、その後旦那のビジネスが破綻し、破産宣告を申し入れ、二人は無一文にり、今は古くて小さなアパートに暮らし、妻は働きに出て、旦那は力仕事をして地道に生計をたてているらしい。その話をわたしにした友人が恐る恐る彼女に会ってみたら以前よりもいきいきと暮らしていたというのだ。太ったら離婚するなどと発言し、妻にダイエット用のタブレットなどを服用させていた旦那は、一文無しになっても一緒にいる道を選んでくれた妻に感謝するようになり、小さなアパートで二人の愛情はより深まっているそうだ。不要なものを全て取り除いたらそこに大きな愛が見えたというお話だ。

さて、わたしは久々に有給を取り、ただでさえ超ごきげんなタキのもとにダミアン・サンタがチキンを抱えてやってきた。ダミアン・サンタとチキンを貪り、常にわたし達の間ににょきにょきと割って入り、骨折でもしやしないかと心配になるくらい興奮して見せた。ダミアン・サンタはわたしにもプレゼントをくれた。フードプロセッサーと彼が"ルネサンスの匂いがする"と表現した素敵なネックレス。どちらもわたしの「欲しいものリスト」に入っていたもの。わたしもタキもダミアンもみんなハッピーなクリスマスを迎えた。


2010年12月19日(日) タキとの1日

タキを連れて買い物に出かけた。タキは歩くのが大好きだから短い足でわたしと同じスピードをたもってしゃかしゃか歩いてくれた。デパートの入り口でタキをバッグに入れて手に持った。そして化粧品売り場へ。朝も早く他に客がいなかったせいで売り場のおねえさんはつきっきりで懇切丁寧に説明しれくれた。わたしは首にケープを巻かれ、前髪はクリップで止められ、おねえさんにファンデーションを塗られていた。と、構内放送が入る。

「茶色のミニチュアダックスフンドが迷子になっています。お心当たりの方は・・・」

おねえさんと顔を見合わせ、わたしの足元に置いたバッグを持ち上げた。何も入っていない!!インフォメーションカウンターまで走る。そこにはトキが嬉々とした顔で待っていた。わたしはケープもクリップもつけたまま、顔は半分だけファンデーションを塗った格好だった。

沢山歩かせたせいで午後はソファに寝そべっておとなしく一緒に映画を観ていてくれた。平日の朝はわたしが仕事に行くのが辛いのか、ごはんを食べてくれないのだが、今日は美味しそうに全てをがつがつ平らげた。タキは金儲け主義のブリーダーのむやみな繁殖で生み出され、売れ残った命だった。鳴き声がうるさいと声が出ないように喉に手術を施され、劣悪な環境で飼い殺しされていたところを動物愛護団体に保護され、そしてわたしの同僚に引き取られた。それでもこれっぽちも人間を恨むことも疑うこともせず、ひたすら健気に誰かと一緒に過ごせる時間を愉しみに生きている。"タキの心はきれいだね"と満腹で寝そべっているおなかを撫でると気持ちよさそうに身をくねっていた。


2010年12月18日(土) スンガリー

やっとやっと週末に入った。同僚達はせっせとクリスマス休暇を取って母国へ帰っていき、残ったわたしに託されたのは犬の世話であった。自分の世話すら妥協しがちな忙しい勤め人だというのに、犬など任されてはもう髪も振り乱して子育てに励む母親、しかも一人暮らしなのだから、シングルマザーの気分だ。1日3回の短距離の散歩とごはん、それでもトイレがきちんと出来なくて家の中で粗相をしてしまったりする。おむつだ!といってなるべく家をあけないほうがいいだろうとAmazonでおむつをサーチ。ところが犬はその横で嘔吐している。もうどうでもいいとおむつを買うのもやめた。わたしがこんなに奮闘しているというのに、犬のほうも相当ストレスを感じている。というのも同僚の家では奥さんが専業主婦で24時間一緒にいてあげられるのだ。わたしは1日11時間も家をあけている。帰ってくるとトイレ用に敷いた紙のマットなどビリビリに食いちぎられて散らかっている。仕事を終えて一息入れる間もなく家に着けばすぐさま手の汚れる仕事が待っている。ちょっと苛立ったりすることもあるが、散歩を終えて、脚を洗って、ごはんを食べて満腹のおなかをぷくぷくいわせてソファで寝息をたてながら寝ている姿を見ると、考えてみれば11時間もひとりでお留守番していたのだ、といじらしくなってくる。だから寝るときは一緒にベッドに入れてあげる。朝まで一緒にぐっすりだ。

そして今日は完全なわたしの休暇。母が一晩犬の面倒を見てくれるのだ。父親の無責任な「動物好き」に振り回され、あらゆる動物の面倒を見てきた経験豊富な母なら安心だ。一週間ぶりに髪をしっかり手入れして、スカートをはき、新宿へ。友人達と「スンガリー」というロシアン・レストランに集まった。ロシア料理はベジタリアンにはきびしいし、食材が保存食のようなのも慣れないが、一度試してみるのもいい。面白かったのはロシアン・ティー。薔薇の花びらのジャム、木苺と林檎のジャム、クランベリージャムと3種類のジャムがついてくる。どれか一つを紅茶に入れてしまってもいいし、3種類を舐め舐め、紅茶を飲んでもいいとのこと。甘味も酸味もとびきり強いジャムを舐めると、外国にいる気分になった。

友人カップルはモザイク通りにイルミネーションを見に行くと言い、わたしとダミアンはダミアンの家でいつものごとくDVDを観ながら夜が更けていった。

(写真:あっさりめの丸の内のイルミネーションがわたしのお気に入りかな)


2010年12月11日(土) Black stallion

すっかりダミアンとの土曜の夜の習慣になってしまった映画鑑賞。といっても映画館にいくわけじゃなくって、ベッドにおやつを広げてDVDを見る。新宿で待ち合わせて、人・人・人でごったがえした街を逃げるように抜けて、静かなダミアンの家で観る。

今日観た1979年のフランシス・フォード・コッポラの作品、"Black stallion"(邦題:"ワイルド・ブラック、少年と黒い馬")はなんとも美しい映画だった。考古学者の父親と船旅をしていた少年は船の中でアラブ人が連れていた凛々しい黒い暴れ馬に心を奪われる。ある日、船で火災が起こり、馬も少年も海に投げ出される。少年が目覚めると、そこは見渡す限り海と砂漠以外に何もないところだった。暴れ馬が縄に絡まってもがいていた。少年が縄を切って開放してあげたのをきっかけに、ふたりだけの遭難生活の中で少しずつ少しずつ打ち解けていき、やがては少年が馬に跨り水際を疾走するようになる。ニューヨーク生まれの少年が遭難して、海草や貝だけで食い繋いでいるというのに、馬と走りまわる体力がどこにあるんだ、とか、馬に乗って両手を離すなんて自殺行為じゃないのか、とか、この映画にはツッコミを入れたい箇所が沢山あったが、その簡潔な映像の美しいことよ。白い砂浜と海と空、そこにいるのは心を通じ合わせた馬と少年だけ。不遇にあっても、そこにある全ての自然に祝福されているようなふたりだった。

やがてふたりは助け出され、ニューヨークに戻るが、少年の人生はこの黒馬と離れることはなかった。

わたしは人間と動物の友情物語にはめっぽう弱い。
「狼と人間も観たし、今日は馬と人間だったから、来週は犬と人間にする? じゃなかったらイルカと人間でもいいよ。」
と聞いたらダミアンはしかめっ面であった。来週は折れてミステリーサスペンスを見てあげようかな。


2010年12月10日(金) 猫のしあわせ

寒くなってくると恋しくなるのは猫のいる暮らし。ソファで、ベッドで一緒にうたたねすることの気持ちいいことよ。ケーキを分け合いながら一緒にDVD鑑賞もいいでしょう。暮らしもとりあえずは定職について、安定している。よしっ、とアニマル・シェルターをサーチしはじめて驚いた。どこも条件の厳しいことよ。

・一人暮らしはダメ
・カップルでも同棲しているだけはダメ
・小さな子供がいる人はダメ
・家を1日8時間以上空ける人はダメ
・20岼焚爾離▲僉璽箸魯瀬
・完全室内飼いを約束できる人
・避妊・去勢・ワクチンを約束できる人
・動物を飼った経験のある人
・安定した職についている人
・そこそこの経済力のある人

これは猫のケース。犬となると、更に柵の高さやら家の間取りやら何まで聞かれる。職員が自宅まで審査にきて合否を決めるらしい。この条件をクリアできる人がどれくらいいるだろうか。動物実験に使われたり、虐待されたり、また捨てられたりするのを防止するために厳しくするのはわかる。しかし、こんなに厳しいからいつまで経っても里親が決まらずシェルターの小さなケージで長期間を過ごす犬猫が多いようだ。インターネットで口コミをサーチしてみた。ペットと一緒に暮らしたい人は沢山いる。動物を飼いたいとペットショップではなくまずアニマル・シェルターをサーチする人々はまず恵まれない境遇にいる動物を少しでも救いたいという気持ちがある。しかし、条件がクリアできず、コンタクトしても門前払いを食らうという記事も沢山見つけた。

わたしは身の安全や自分の幸福さえも人任せにする大人の多い日本社会の象徴のようなこの条件に疑問を持った。いつも人間のそばで面倒を見てもらうことを前提として無理に掛け合わされ繁殖された室内犬などの話は置いておいて、ここは猫の話だ。まず、猫は野生でも生活していける。自分で虫や鳥を捕って食べていける。完全室内飼いは変質者に捕まって虐待されたり、野良猫から病気をうつされるのを防止するためだ。しかし、猫は外で遊ぶことが大好きだ。木に登り、鳥を捕まえ、蝶々を追いかけ、トカゲやセミを無意味に狩る。餌にありつけるのがハッピーなのはどんな動物でも同じだ。だから猫は人間と暮らすことが嫌いじゃない。しかし、自由がなくてもなによりも安全が良いなんていうのは人間だけが考えることじゃないだろうか。庭があるなら遊ばせてあげるほうがいい。いざ、震災やら何やらで人間と離れてしまっても自分で生き抜く能力を養うだろう。それに独身はいつまでも独身とは限らないし、結婚したカップルだって明日離婚するかもしれない。安定した仕事についた人も明日事故に巻き込まれて働けなくなるかもしれない。リスクの確率で条件をつけているのは解るが、それは"条件"ではなく"優遇"くらいにしたほうがいいのではないか。

わたしがアニマル・シェルターを経営するとしたら、まず、事前調査と身元確認はさせてもうらい悪徳業者などに渡ることは阻止しなければならないが、厳しい条件はつけない。しかし、半年に一度お宅訪問させてもうらうことを約束してもうらう。動物の表情を見れば、すぐにそこで幸せに暮らしているのかどうかわかるだろう。怯えていたりしたら没収だ。あとは引越しなどの際には相談に乗る。動物との暮らしはやってみないとわからない。案外簡単と思ったり、案外大変と思ったりするのではないだろうか。条件を厳しくして里子に出さずシェルターでせっせと面倒を見るよりもそのほうがよほどコストや労力を省いて、より多くの猫に里親を見つけることができるのではないだろうか。

(写真:実家のミュンミュン。もう10年生きている。)


2010年12月07日(火) 明日は晴れる

生理でおなか周りが重くて気分までどんより重い。こんな日は人生の中で辛かったことばかりが思い出してはわんわん声を出して泣きたくなる。気分も晴れるかもと重い体を引きずって行ったバドミントンでは全敗。ひとりぼっちの帰り道、こんなに頑張って練習してきたのに、なぜこっぴどく負けてしまうのかと思ったらまた悲しくなってきた。わたしは本調子ではなかったし、相手はわたしの何倍も長い間練習してきたベテランだから当たり前だというのに。。。。そのうち、人生の中でも負けてばかりだったなどという思いが脳裏を過ぎり、いよいよまた目に大粒の涙がたまってきた。人生は勝ちとか負けとかそんな風に決めることはできない、もっと味わい深いものだと日頃は解っているのに。

家に着くなり思いきり泣いた。人生の勝ち負けは他人に決められてたまるかっと思っている。しかし、自分の中で今の自分に納得がいかない。マーヴを諦めはじめた頃から、ありとあらゆることを簡単に諦めてしまうようになっていた。10年前の自分をふと思い出す。夢や希望が沢山あったから、それに向かって頑張っていた。だから自分に自信があった。好きだと言ってくれる男性を疑ったことなどなかった。こんなに頑張っている自分が男性に愛されるのは当然だと思っていたから。今はどうだろう。最悪だ。先日、ダミアンにどうしてわたしなんかが好きなのかと聞いた。本当に解らないのだ。彼はわたしよりうんと若いし、頭も性格も見た目もいいからその気になればいくらでも他の女の子と付き合えるだろう。悪い魂胆でもあるのかとも考えたが、わたしはお金を持っているわけでもないし、呼べばいつでも来るとかいう身軽さもない。それどころかロトの買い方を教えた手間賃として当選金は半額分けると約束させ、先日本当に半額もらった。利用するにはあまりにも利用価値が低い。自分の魅力すら信じることができない、不憫でみじめで心から泣いた。

泣いて、泣いて、泣きつかれたらすっきりした。お腹も少し軽くなったようだ。人間いつだって頑張っていられるわけじゃない。長い人生の中で立ち止まってしまう時だってある。それに頑張るばかりが良いことでもない。しかし夢や希望のない人生はつまらない。自分の明日は自分で変えるのだ。うまいこと運命が巡らなくても、あなたはよくやったよ、と自分を褒めてあげてすっきりとベッドに入る、そんな日々が送りたい。


2010年12月02日(木) "日々の料理"を問う

日も短くなって仕事を終えてから走って農園へ行き夕飯の野菜を摘んでくる。今日の収穫はルッコラと水菜、インゲン、ほうれん草、隣の農園のおじさんとばったり出くわし、里芋をもらった。夕飯は里芋とインゲンの煮っころがし、水菜とルッコラと豆腐の中華風サラダ、ほうれん草とコーンのバター醤油炒めにした。この時期の水菜は育ちが悪いから苦味が凝縮されているみたいだ。土がいいのか、この農園でとれた芋類は本当に味が良い。次の日のお弁当は夕飯の残り物に一品くらい作り足ししていく。そして農園のおじさん達と野菜の味の感想や美味しい食べ方についてお喋りをする。同じ野菜を手にとっても、それぞれの家庭でそれぞれの料理に変わっていく。先日みんなで採った二十日大根はわたしの家ではきゅうりと塩もみしてごま油とすり胡麻でナムルになり、農園ボスの家では生のまま味噌マヨで食べられ、小さな子供が二人いる同僚の家では苦味を消すためにじっくり煮込まれた。

先日NHKで放送されていた食育に関する番組を見た。これは「85歳 辰巳芳子 "日々の料理"を問う」というタイトルで放送された番組に対しての反響やこれを見た人のその後の生活の変化などを集めたドキュメンタリーだった。辰巳芳子はスーパーの惣菜コーナーへ行き、200円も300円もする小さなコンテナーにつめられたほんのひとつまみの副菜を見て嘆く。

「こんなんじゃだめよ。本当にたっぷり野菜を取ろうと思ったらひとり5パックくらいなきゃ足りないでしょ。そんなんじゃ家計がもたないわよ。副菜というのはね、一度作ったら3日も4日もたべなきゃならないくらい沢山作って、家族が好きなだけ食べられるようにするものなのよ。」

冷凍食品ばかりを子供に出す母親、育児に追われながらもきちんと心をこめて夕飯を作るのにも関わらず多忙で帰宅時間の遅い旦那になかなか食べてもらえない主婦、母親に教わりながら少しずつ料理の腕を磨く若い独身男性、80歳一人暮らしでも色とりどりの沢山のおかずを食卓に並べて足腰もぴんぴんした女性(おばあちゃんなどとは呼べない若々しさだった)、あらゆる人々が映し出されていた。

食に手抜きをする主婦達を叱り付ける辰巳芳子さんを見て、はて、こんなことは人に叱られ叱られ出来るようになるものなのだろうか、健康を気遣って暮らすことは自分自身が楽しんでやらない限り精神に悪いんじゃないかと思った。しかし、忙しいくなると食事に手を抜きがちになるが、それは本当は主客転倒で、忙しい日常だからこそ、それを難なくこなすために、健康な食事で体を丈夫に保つ必要があるのだろう。


Michelina |MAIL