My life as a cat
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2010年10月26日(火) 下着ドロボー

この家に引越してから洗濯物を干したまま外泊してしまったのは初めてのことだったというのに、帰ってきたら下着だけが盗られていた。わたしの部屋は2階で、バルコニーに登るにも足掛け場もない。浮かび上がる犯人像は毎日辺りを徘徊して機会を見計らっては犯行を繰り返す手馴れた人間だ。ポリスに行く前に、隣近所に聞いてみようと一番先に階下の家を訪ねた。わたしの住処は4ユニットで、隣は同年代の女性、その階下に小さな子供のいる若い中国人カップル、そしてわたしの階下はてっきり家族と思っていたのが、40歳くらいの独身男性と知ってしまった。それだけで疑っては失礼だが、ドアを30cmくらい開けて話す男性の背後に足の踏み場もない程物がぎっしり積み上げられて暮らしている雰囲気ではないのを見てしまったのだ。何かのコレクターなのか。下着のコレクターでなければいいが。向かいの家の奥さんの話ではこの辺りの人は結構やられているという。ついでに覗きの被害も聞くから気をつけろという。会社の同僚に話すと、
「実はその奥さんの旦那さんが犯人だったりして。」
などと脅す。もはや誰も信頼するべきではないのか。
変態キャラの同僚は、
「よし、ここは俺が近所のブルセラショップに出向いて、そこに売り飛ばされたであろう君の下着を買い戻してくるぜっ。」
と勇ましい。
駅前の派出所に届け出ると鑑識を連れて見に行くという。やってきた鑑識は「踊る大捜査線」や「相棒」、「土曜サスペンス」などのイメージとは違う、田植えを終えて駆けつけた田舎のおっちゃんという感じだった。
「指紋がでないよぉ。じゃぁ、色変えてやってみよっかなっ。」
と、わたしの朝の化粧のごとく簡潔にブラシでバルコニーに粉をはたいてお引取りになった。

はぁ、やれやれ。どうしたら履いて洗った下着なんかに興味があるのか。そんなものが売れるのは世界中どこを探しても日本だけだろう。「隠す」カルチャーはこの国に歪んだ性癖を生み出した。オーストラリアのお見合い番組で女性がこぞって胸の谷間を強調する単純明快さには苦笑してしまうが、セックスアピールは豪快で健康そのものだ。そういえば、パースでこんなことがあった。友人夫妻が家にやってきた。庭に通じる門から招きいれ、ハズバンドがわたしの前を歩いていた。そして彼の行く手にわたしのレースの小さな下着が風で飛んで落ちているのが見えた。わたしが拾う前に彼がしゃがんでつまみあげた。それが何かと認識するのに1秒、つまみあげたそれをどうするのか考えるのに2秒、しっかり3秒静止してから、またしゃがんで、それをまた何も見なかったように地面に置いたのだった。わたしとワイフは顔を見合わせて大爆笑だった。また、シェアハウスから引っ越した女友達のところへ、元シェアメイトの男の子が透明のビニール袋に彼女が履いてから洗わず忘れてきた下着を入れてほれ、忘れ物っ!と届けにきたこともあった。たかが下着、されど下着である。


2010年10月21日(木) オクイムさんという女性

夏の間暑さにやられてしまったのかじっと身を潜めていたカリフォルニア・ローズが、両手を広げてバンザイするかのようにぱっと一斉に花を咲かせた。カリフォルニアに住んだことはないが、パースと気候が似ているということからすれば、この昼と夜の気温差が好ましいのか。しかし、一年草は少し悲しい。来年の今頃はもういないのだ。

テレビ番組で、オクイムさんという韓国人女性の実話を見た。彼女はごく普通の家庭で生まれたごく普通の女の子だったが、7歳の時、母親の灯油の補充を手伝っていた時にそれにガソリンが混ざっていた為、爆発し大火傷を負った。驚いて悲鳴をあげたままの顔で焼き付けられてしまったように、顎と胸がくっついてしまい、そのせいで口は閉まらず、目も顎の皮膚に引きつられてあっかんべーをしているように開いている。手のひらはこぶしを握ったまま固まってしまったような形になっていた。わたしなどは見た途端にくじけそうになってしまったが、彼女は生きた。外出は一切せずひたすら家にこもりっきりで、それでも生きていた。ある日、父親の薦めでお見合いをしその男性と結婚した。自分の容姿が気にならないのか、と問いかけると、男性は答えた。

「はじめは気になった。でも、そんな容姿でどんなに苦労しても、一生懸命生きる君を見ているうちにもう容姿は気にならなくなった。」

初めて家族以外の他人に信頼を寄せ、息子も誕生した。しかし今度は旦那が突然死んでしまった。しかし息子はよく成長した。息子がいじめにあうことを恐れて相変わらず家から一歩もでず、写真は一枚も撮らなかった。息子は幼くとも彼女の一番の理解者となり、学校の行事には一切顔を見せない母に愚図って見せたりはしなかった。

やがて隣人の勧めで、テレビの力をかりてついに手術をすることになった。もう50歳を超えていた。しかし、何度にも及ぶ手術の結果、見違えるほど回復した。顎と胸を切り離し、そこに背中の皮膚を移植し、首ができた。それによって口も閉じるようになり、目も引きつられなくなった。そして人生初の買い物へ出かけ、初孫の靴下を買った。孫を目前にしても遠慮がちに遠くから見守っているだけだったが、やがて息子がほらっと彼女に抱かせた。そこにいるみんなが幸せそうだった。

なんて心の良い人なんだろう。どんな不運に見舞われても、自分に手の届く希望をしっかりと握り締めて生きてきた彼女の人生に、じわりじわりと光が差し込んでいく様子に胸を打たれた。降りかかった不運は彼女が自分で掴んだものではないにしろ、後の幸運は彼女自身が勝ち取ったものなのだろう。


2010年10月16日(土) Invictus

ひとりで銀座をぷらぷら歩いてお買い物。夜のコーヒーを少量に控える目的もあって、Arabia Finlandのエスプレッソカップとサンフランシスコからやってきたクロ二クル・ノートを買った。夜な夜な寝る前に何か書き込むのもよかろうね。平日の激務が遠い昔のように忘れられてしまうリラキシングな良い週末だ。夕方新宿に移動して、仕事を終えたダミアンとパブでサンドイッチやらケーキやらをつついて夜が更けていった。

"Invictus"を鑑賞。アパルトヘイト政策が廃止され、長い間投獄されていたネルソン・マンデラが保釈され初の黒人大統領に就任するところからストーリーが始まる。マンデラは長い獄中生活の中で白人を観察し、熟知し、白人を赦すことこそが戦いと信じ、国民をひとつにするために単純に"勝つ"ことこそが目的のスポーツを利用しようとした。依然、人種差別意識が深く根付いた南アフリカ国民の心は"ラグビーのワールドカップで優勝する"という目的に向かってひとつになっていく。美しい風土を誇る南アフリカが暗黒の過去を赦し、"虹の国"に変わっていく様子に爽やかな感動の涙を流せる作品だった。

心に残った言葉。(William Ernest Henleyの詩の一部)

I am the master of my fate.
I am the captain of my soul.


2010年10月09日(土) 栗山さんちの栗

新しいシニアマネージャーがやってきた。マネージャーと同期入社だというし、こんな若いシニアは他にいないから相当なやり手と囁かれていたが、来た初日全員と面談し業務内容やら問題点を聞き出して、翌日彼の机上に分厚い"業務改善ファイル"なるものを見つけた。わたしのようなチンプンカンプンを一から叩きなおそうとする情熱のあるアツい男で、非常に勉強になるし、有難く思っているのだが、一度つかまったらお互いに納得するまで家に帰れないから、定時以降はなるべく目を合わせないことにした。声が大きめで物をはっきりと言い、ばんばんと指示を出して、確実にリーダーにふさわしいと周囲を納得させてしまう雰囲気を持つこの人と裏腹にマネージャーときたらなんと軟弱なことか。猫背で、へこへこしているから部下になめられまくりで、部下に仕事を頼んでは断られ、夜な夜な自分でこなす始末。帰国子女で英文など書かせるといつになく目が輝くのだが、世界中の殆どの場所で通用するであろう一般常識が通用しないので、彼が書いた報告書のドラフトをわたしが添削し、"なんでこんな不利なことを書くんだ"とか、"あんなに頑張ってうまくやった功績をどうして報告しないのか"などとぶつぶつ言いながら仕上げる始末。わたしもたまに辟易する。みんながどうしてそんなに彼にやさしくするのかと言うから、誰もやさしくしてあげないからだと答える。しかし、本心はマジョリティであるということで自分が上位にいるように錯覚し、安堵して彼の悪口を言う連中よりも、出来が悪くても人を陥れるような要領の良さや意地の悪さを持っていない彼のほうがよほど好きだ。人間なんてひとつ良いところがあれば十分なんじゃないか。

定年退職して嘱託で働いている"栗山さん"が今年も栗をくれた。元気でぴんぴんしてた去年と違って、今年は何度も入院して、顔がいつも腫れたように浮腫んで、やっとのことで歩いていたから栗拾いができて何よりだ。このおじいちゃんはこの世代の日本男児には珍しく、いつも朝一番に来てはみんなが飲むコーヒーをサイフォンで落としてくれて、奥さんがどれだけグレートなのかと自慢する。

今年は母に教わって栗の渋皮煮に初挑戦した。渋皮を傷つけないように注意して殻を剥き(ちょっとでも傷つけるともう爆発してしまう)、大根おろしと重曹を入れて3回煮る。次はまた3回ただの水で煮る。最後に砂糖と一緒に煮てブランデーをどぼどぼと入れる。最高のデザートの出来上がり。残ったブランデーをちびちびやりながらつまむのがよろしい。


2010年10月02日(土) My life partner

















友人へのプレゼントに愛犬のおもちゃを買おうとペットショップへ行った。小さなケージの中で見世物のようになってストレスな表情をしていたり、虚ろな目をして気力を失っていたりする犬猫が気の毒になってしまう苦手な場所だ。可愛らしいと思いつつもやましい気持ちになってさっと目を背けて通り過ぎると、今度は鳥のコーナーに行き当たった。オーストラリアの大きな空を悠々と舞って気まぐれに木に止まっては人間の暮らしを見下ろしていた色とりどりの鳥達が、翼を広げることもままならない小さなケージでストレスな声をあげて鳴いていた。珍しい鳥を集めることが趣味の自称"動物好き"の同僚が、彼らは野生で暮らせば危険がいっぱい潜んでいるし、飢え死にもするから人間といるほうが幸せだと言った。本当にそうなんだろうか。日の当たらないマンションの一室の小さなケージで一生を終えることを思って可哀そうだと涙がこみあげてしまうのは人間の思い込みだろうか。鳥達と会話ができたら聞いてみたい。

ちなみに友人の愛犬はシェルターから引き取ってきたそうだ。アメリカ人は消耗品のように流行のペットを買っては捨てるなどという記事を読んだことがあったが、この友人は違った。

「ペットショップでペットを買う趣味はないね。飼い主の見つからない犬猫がわんさかいるのにさっ」

とわたしをほっとさせた。

ダミアンと海へ行った。海の見える特等席でサーファー達を眺めながら遅めのランチを摂った。知り合って間もないけれど、わたし達の間には大きな問題が横たわっている。お互いに一瞬のゲームなど楽しめない故の大問題だ。問題のないリレーションシップなんてないよ、となんとか結婚生活をやりくりしている友人が言った。わたしもダミアンも解っている。話し合っては様子を見ようと落ち着いて平行線をたどっている。このまま一緒にいるのか別れてしまうのか。わたしには誰かと一緒にいるという未来が想像できない。一緒にいたいのかということすら定かではない。冷たい海水に足だけ浸して歩きながら、ただただ海辺の暮らしがいいと思った。今までのわたしの人生をずっと恋焦がれて愛してきたんだから、海こそがわたしのライフパートナーと信じてもいいでしょう。


Michelina |MAIL