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2010年09月25日(土) |
Up in the air |
ダミアンと知り合ってから数週間、自然と毎晩スカイプで会話をし、週末をべったり一緒に過ごすようになった。黙々と仕事をこなして家に帰って、今度は家事をこなす。ほっと一息ついてベッドでゴロゴロしながら、会話する相手がいるのは心地がいいものだ。それでも"経験"がわたしの神経をこんなにも麻痺させてしまったのか、明日ダミアンが消えてもやっぱりきっと泣きなどしないだろうと想像する。そんな自分自身が何より悲しみの種だ。いつか20代の頃のように素直に出会いにときめいて、素直に別れに泣けるような心を取り戻せる日がくるのだろうか。それとももう二度とそんな日は来ないのだろうか。いつか飛行機の中で観た"Up in the air"という映画で、ジョージ・クルーニーが演じていた地に足の着かない男(down to earth⇔up in the airという巧いタイトルだ)を思い出す。FlightとHotelが"我が家"で、あらゆるものに執着を持たず効率を第一に重んじて人生の荷物は必要最小限。そんな人生を自信満々に人前で演説するほど。しかし、そんな男の感情が、豊かで無原則な女の感情に触れることで少しずつ溶かされていく。ようやく人生に重荷が欲しくなった時、そこにはバックパックに簡単に詰め込めるようなものがなかった。この映画では重荷でもさびしい時に心の支えになるものを持つ良さと、空虚でもひたすら身軽でいることの良さ両方が描かれていて、どちらも肯定されていて考えさせられた。今のわたしはなんなのだろう。地に足を着けたいと思いながら、怖くて足がつけない臆病者のようだ。
昼間にダミアンと買い物に行ってから芝生に寝転がって午後を過ごし、夜に先日結婚したアメリカ人の同僚のホームパーティへ行った。玄関先まで来て、ダミアンのことを何て紹介しようかと迷った。本人に聞くと、ボーイフレンドだと認めて欲しいと言われたが、結局恥ずかしくなり、ブロンドでブルーアイズのダミアンを無謀にも"ブラザー"だと紹介してしまった(みんな"どうりでそっくりだと思った"と言ってくれたが(笑))。パーティを主催した二人は文句なしに愛し合っていた。二人で一緒に母国を離れて、言葉の通じない異国の地で暮らしていく寂しさや大変さが更に絆を強めているのかもしれない。わたしはこのところ人の幸せを見ることが何よりの自分の幸せで、グラスに注がれたワインがぐいぐいと喉を伝って体中をめぐり心を躍らせた。
わたしを泣かせた同僚が背後からわたしの様子を伺っていることに気付いた。理由も何も知らずカッとして酷いことを言ったと反省していると人伝に聞いた。意識的に人に向けて発した酷い言葉で一番痛い思いをしたのは他ならぬ自分だったのだろう。人に発したものは必ずめぐりめぐって自分に返ってくる。わたし以上に居心地悪そうに仕事をしている彼女の姿に改めて学んだ。
1年ちょっと毎日顔を合わせて働いた同僚が晴れて転職することになった。ここにやりたい仕事がない、おとなしい性格も災いして、同時期に入ってきた天衣無縫に自分の希望や展望、提案を上司にぶつけて派手なパフォーマンスを見せる他の外国人達がどんどんやり甲斐のあるプロジェクトに引っ張られて行くのに対して、彼だけが同じ場所に取り残されて不満を口にしていた。言葉こそが我が身を救うと信じて日本語を誰よりも勤勉に習得してきたというのに、全く日本語のできない同僚達に越されていくのも大きな不満の種だった。それもそのはず。彼の部署では全く日本語を理解する必要などないのだから。とんだ読み間違いだったのだ。それじゃぁ、この同僚が他の外国人のようになれるかといったら難しいだろう。
"ひとつの場所でうまくやれない人は次の場所でもうまくやれない"
とかいう人もいるけれど、そうなんだろうか。意地の悪い人間でない限り、世の中には必ずあるがままの自分を受け入れてくれる場所があるだろう。その場に留まって険しい山を登るも、すんなり登れそうな新しい山を探すもありだろう。いや、そこは山どころかごろりと寝転がって鼻歌を歌っていられるただの平地かもしれない。
わたしの家でお別れ会を開いた。が、、、当人が急に客の通訳に借り出され来られなくなってしまった。しかし、その日本語たまには役に立ってるじゃない。よかったね。主賓なしに盛大に乾杯した。
先々週のこと。納期とクオリティの狭間で苦しみながら、黙々と忙しいスケジュールをこなしていたわたしのところへある同僚の女の子がずんずかずんずかと歩み寄ってきて、書類を突き返し言い放った。
「ちゃんとやってよね。」
その瞬間わたしの頭の中は真っ白になった。一言「はい」、と返事をしたが、体中から全てのエネルギーを吸い取られたように脱力した。正当な言い分や言い返したいことは山ほどあったがエンドレスになりそうなのでぐっと飲み込んだ。言葉を飲み込んだらその代わりのように帰り道、涙がぽろぽろ溢れてきた。仕事は難しい。能力以上のことを求められ続けていたが自分なりに頑張ってやってきた。ちゃんとやっていないなどと言われるのは心外だった。
どっぷりと落ち込んだまま週末に入った。ある男性に誘われてドライブへ出かけた。わたしの大好きなコンバーチブルで都心を抜けて、葛西臨海公園へ連れて行ってくれた。木陰に席をとって、寝転んで、たくさんお喋りし、水際を散歩した。日が暮れる頃、一番星や月を見ながらまたドライブして、彼のお気に入りのレストランへ連れて行ってもらうことになった。厚待遇の駐在員の身だから美味しいものばかり食べなれているのだろう、どんなところへわたしを連れていくつもりなのかと思ったら、ちょっと古ぼかしいビルへ入り、エレベーターのドアが開くとそこには靴を脱いでリビングルームのように寛げる空間があった。高級ではないが、とても快適なお店だった。あらゆるもののクオリティを知ったセンスの良さに少しだけ恋に落ちた。ワインをちびちびとやりながらまたお喋りに耽った。
しかし、この後失敗して、こんなに楽しい一日をくれた彼の顔を少し曇らせた。もうわたしなんて消えてなくなってしまえばいいのにと肩を落としながら家路についた。
週明け、心が晴れず、笑い方を忘れてしまったような孤独の中に閉じこもったまま仕事をしていたが、ボスがそれに気付いて周囲にわたしの様子を伺いに来たという話を聞いて、ふと違う風が吹き込んだ。日頃仲良くしている、わたしに酷い一言を放った彼女の上司にこちらの部署とあちらの部署の兼ね合いでの問題点について話を聞いてもらった。彼はそこそこいい加減で、そこそこ真剣、そしてとてもスマートなのでとても信頼している人だ。親身に話を聞いてくれてその日の部内会議で論議項目のひとつに入れてくれた。その次の日、この不穏な動きに気付いたのだろうマネージャーに呼ばれ、突然、
「他の部署から叩かれるばかりの辛いポジションだと思うけれど、日頃からよくやってくれてると思っていますよ。ありがとう。」
という言葉をもらったのだった。あれこれと問題点を話し合い、少しずつベターになるように働きかけていこうと言ってくれた。今度は違う感情で泣いてしまいそうだった。