My life as a cat
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2010年06月30日(水) 独身貴族

一人暮らしをはじめて早くも半年が経った。18歳から親元を離れてたまに実家に戻ってという暮らしだったからこれが元来の形で、水を得た魚のように活気づき、自分のライフ・ルーティンを着々とこなすことで心の平穏を保てるようになった。食前酒をちびちびやりながら、自分の舌が喜ぶごはんを黙々と作り、映画を観ながら食べる。植物の世話をし、ベッドで読書して眠る。休日は人を誘うのも億劫でたいていの場所はひとりでふらりと出かけてしまう。小さな子供を二人かかえた同僚はたまには自分ひとりの時間が欲しいと羨む。こちらは愛らしい子供がいるのが羨ましいが、彼女の気持ちも理解できる。家族を持つのもいいが、お金と時間がいくらでも自由になる独身貴族をしばらくは謳歌したいとこの家に移り住んでからそう思うようになった。結婚を焦るのは母の顔を見た時だけで、次の日にはけろりと忘れてしまう。

ところが久々に声がかかった社内合コンの話でふと危機感を感じることになる。1年前は会社帰りにちらりと飲んでくるというノリであっさりOKしていたのに、今回はなぜか心臓がどきどきとする。新しい出会いに足が竦むのだ。1日のうち人とのコミュニケーションといえばランチタイムを共にしているインディアン・ガイとアメリカン・ガイ以外にまずない。外敵もなく野良猫3匹の昼寝のごとくゴロゴロ寝転がって、アイスクリームをなめながらi-phoneだの新しいソフトウェアだのそんな他愛のない会話ばかりでひたすら平和である。ここ最近は心乱されることのない退屈な日常に満足していたのに、乗り気のしない社内合コンの話をすると、「君はこのままではいつか世捨て人となるだろう」と背中を押され、女の子の人数も足りないと言われ、しぶしぶOKしてしまったのだ。

猫が欲しいというわたしに隣の席の女の子が言う。
「ひとり暮らしで動物飼ったらもう”おしまい”らしいですよ。」
確かに”おしまい”に近い雰囲気の独身貴族達を見渡せば犬や猫を溺愛している。

しかし、もっぱら明日の合コンに対するわたしの心配事は、
「いい人と出会えるかな」
ではなく、
「ちゃんと喋れるかな。」
である。
もはや、”おしまい”はそう遠くないのであろうか、、、。


2010年06月11日(金) Lucie Rie

国立新美術館で開催されているルーシー・リー展を観てきた。一般人にも受け入れられやすい美しさやひょっとしたら手が届きそうな憧れを抱けるのが人気の秘訣なのだろうか。おとなしい雰囲気のものが多いけれど、その中にも気まぐれに表情を変える夕方の空の色のような微妙な色彩を放つものもあった。貴重と言われるインタビューがスクリーンに映し出されていたが、確かな自分の意志を持っても人の批判をしない心穏やかな人のようだった。窯を開けてひとつひとつ作品を取り出し、パーフェクトだとひたすら感嘆するインタビュアに半分以上計算どおりではなく結果は驚きに満ちているのだと話していた。

美術館を出て、六本木駅までの通りは面白い。左手側にはピカピカのミッドタウン、右手側は下町風情漂う金物屋やたばこ屋が並んでいる。ケーキのショーケースを通りに向けてどんと置いた小さなカフェがあり、まんまと林檎のシブーストに誘われ中へ入った。コーヒーのカップとソーサー、そしてケーキの皿、全てが間に合わせのようなチグハグさが愛嬌のほっとする場所だった。

夕方に有楽町の献血ルームへ。どうしてもやってみたくて赤十字のバスを見かける度にトライしては、もう一歩比重が献血に十分でないと断られていたが、先日献血ルームへ行けば成分献血ができるというので来てみた。血圧を測り、データを見てOKがでた。ドーナッツを食べさせられ、いざ献血。針の太いことよ。母がわたしは子供の時から注射なんてへいっちゃらでよく医者に褒められたと自慢したが、今でも血を抜くことがむしろ快感。管を通ってぐんぐん血が抜かれていき、10分くらいすると今度は成分を取られた残りがまたわたしの体に戻される。ねっころがってテレビを見ながら30分。貧血と診断されてきたわたしが献血なんて丈夫になったものだ。終わってみても特に体に異常なし。体内洗浄した気分ですっきり。ハーゲンダッツのアイスクリームをくれるのも気に入った。また行こう。


2010年06月05日(土) ストレイドッグス

というイラン映画を観た。舞台は戦後の荒廃しきったカブール。兄妹の子供2人が、ゴミの山を漁ってお金に変えられる物をせっせと袋に詰めている。その背後に白い毛の長い犬が横切り、その後ろから大勢の子供達が火のついた薪を振り上げて追いかけ回している。穴の中に逃げ込んだ犬。子供達は、
「タリバン狩りをするイギリスの犬だ!」
「核弾頭を捜すロシアの犬だ!」
と罵り、
「焼き殺してしまえ!」
と次々と薪を放り込む。犬は焼け死んでしまうのかと思われた時、兄妹がやってきて助けようとする。体の小さい妹が脇の穴から潜り込んでいって無事に犬を抱えて出てくる。

命拾いした子供達と犬のストーリーだ。

両親はアメリカ人の刑務所に収監され、家のない兄妹と犬は夜になると刑務所に入れてもらい母親の元で過ごしていたが、やがて規則が変わり、中に入れてもらえなくなる。嘘をついたり、盗みをはたらいたりしてなんとか刑務所に入ろうと試みるがなかなかうまくいかない。
お涙ちょうだい的状況ではあるが、「運動靴と赤い金魚」を彷彿させるような少し滑稽な子供の一途さに苦笑してしまったりする。

しかし嘘をつこうと、盗みを働こうと子供というのはその存在だけで荒野にふんわり咲いた花のような希望がある。妹がやっと手に入れたパン(涎がでてしまいそうないい焼き色のナンだった)を軽く火で炙り、自分が噛み付くのかと思いきや、犬に差し出して優しく語りかける。
「ほら、お食べ。何も食べないと死んでしまうのよ。」
あまりにもの貧しさ故にこんなたくましく温かい気持ちばかりにしっかりハイライトが当たり、胸を突かれるのでした。


Michelina |MAIL