My life as a cat
My life as a cat
DiaryINDEXpastwill


2010年05月23日(日) Je m'appelle Elisabeth

"ベティの小さな秘密" をというフランス映画を観た。仲の悪い両親と田舎に暮らすベティという小さな女の子が、ある日精神病院から逃げ出した若い男を裏の納屋にかくまい、やがては淡い恋心を抱き、保健所で処分されるのを待つ犬も連れ出し、3人で半駆け落ちのように離れた町まで旅立つお話。このベティというのがなんともあらゆる顔を併せ持って決して飽きさせない不思議な魅力を放つ子供なのだ。まるく大らかな母性を持った女の顔で、自宅からこっそりと食事を納屋に運び母親のような顔で男の世話を焼いたり、成長過程の女の子の顔で母親に買ってもらったプリーツスカートを履いてくるくる回って喜んでみせたり、子供の純粋で真剣な正義感でクラスメイトの男の子の嘘を信じて彼を救うためにしたことで笑い者になり深く傷ついてしまったり。彼女の身に付けた物がなんとも愛らしく、またその赤や茜色が緑鮮やかなフランスの田舎の風景に映えて、その豊かな色彩に目も悦ぶ良い映画だった。


2010年05月21日(金) 夢から覚めた夢

帰国してみると、辛うじて生きていたラップトップはぽっくり死に、バラは愛想を尽かしカラカラ、仕事は山積み、そこには甘い夢からはっと覚めるような光景があった。

しかし、わたしは新たな夢の中にいた。Jと会って長いこと眠っていた熱い感情を突かれた。異性としてよりまず人間として憧れ尊敬した。自分の一番好きなことをしてごはんを食べ、余計な愛想を振りまくことなく、寡黙に自分を見つめ、家族を大事にし、他人との付き合いにおいて量より質を重んじていた。異性を愛する心を持っていても、相手に頼りきらない自立心を持っていた。

もちろん異性としても魅力的だった。マーヴと離れてから女として枯れてしまって、艶などなかっただろうわたしにやさしく水をやるように"You are my rose" などと言ってくれた。もう会えるかわからないけれど、彼に相応しい女性になりたいと思った。

立ち止まっていた場所から一歩を踏み出せるような新しい風が強く勇ましく吹いてきた。


2010年05月04日(火) またいつかね

ホリデイ最後の日。朝にシティで買い物を済ませて、午後はゆっくり料理をした。夜に会おうと誘ってくれたものの、責任の重い激務の合間に時間を作ってくれたJが少しでも寛げるようにと夕飯にお寿司のお弁当を作り、アレックスが悪戦苦闘の末拵えた花の咲き乱れる庭で日光浴をして、あまりにもの空の青さに心を洗われた。

夕暮れ時、作業着姿のままのJが迎えにやってきた。しっかり労働してきた男の匂いがした。彼の家に行き、お弁当を広げて寛いだ。引越したばかりで何もアンパックしていないというものの、荷物はダンボール二つとギターが二本だけだった。彼の好きなヨーロッパのジプシーの歌のようなどこにも根を張らない気楽さと孤独さを感じとった。

お腹を満たして食後のコーヒーを飲みながら、Jの弾き語りを聴いた。リレーションシップを単純にしか考えられないわたしは、一緒にいてこんなにハッピーなのにどうして離れてお互いの生活に戻っていくのか解らないと泣き、仕事柄一年の半分を旅行しているJはどうやってこんな生活の中でリレーションシップを保てばいいのか分からないと狼狽えた。

車で家まで送ってもらった。前回のホリデイの最後の夜と同じような空気の夜だった。Jもその時のことをよく覚えていて、
「あの時君は握手してから一秒で去っていった」
と小言を言った。今回はもちろん違った。しかし典型的な女であるわたしはすでに言いたいことは全てJのベッドの上でぶちまけ、泣いてきたから、もうすっきりと覚悟ができていた。ここにきて別れが受け入れられないのはJのほうだった。わたしが意を決して車から降りたというのに、ゆっくりアクセルを踏んで去っていったかと思えば、また引き返してきて、ウインドウが下り、わたしの手を握った。いつまでたってもなかなか離れることが出来なかった。


2010年05月03日(月) Southern Ocean





















さわやかな目覚め。季節外れで誰もいない朝の海岸を散歩した。やっとやっとSouthern oceanまでやってきたのだ。Jがこつこつときれいな色の貝殻を拾ってはわたしの手のひらに乗せてくれる。手のひらいっぱいになるまで波打ち際を歩き続けた。Jのやさしい背中を見守ってこんな時間がずっと続けばいいのにと思った。

かつて捕鯨船の船着き場として栄えた歴史のあるAlbanyの町でナチュラルブリッジやレプリカの捕鯨船、ウインドファーム、アンザック記念碑などをまわった。

Southern Oceanが一望できる展望台でもう帰るのがいやになっていた。
「ここに住みたい」
と言うと、Jが賛成してくれた。

午後にシティに向かってまっすぐのびたハイウェイを引き返した。別れの時間がこつこつと迫ってくるようで気が張った。Jもずっとわたしに触れていた。シティが近づいて、民家の灯りが見え始めた頃、Jが明日の夜に会おうと誘ってくれた。また明日会えると心が踊った。
「実は木曜の夜、君を旅行に誘った後、別れ際にあいさつのつもりだったけどキスなんてしちゃって怖がらせちゃったんじゃないかって心配したんだ。次の日ずっと考えてた。もう旅行には来てくれないんじゃないかと思った。」
と打ち明けられた。なんというすれ違いか。わたしは金曜の夜、旅行はどうするのかと電話したら、”君がまだ行く気があるなら行こう”などと言われ、本気じゃなかったのかとショックを受けたのだった。その夜、一緒に飲んでいたハリソンにも”そいつは社交辞令で誘っただけじゃないのか”などと後押しされ、Jは迎えにやってこないのではないかと半分諦めていた。
土曜の朝、お互いの姿を認めて、お互いに”本当に来た!!”と内心歓喜したのだった。わたしはしばらくこの旅の思い出の中に生きてしまうのだろう。


2010年05月02日(日) Pemberton, Walpole

ワイナリーのグレープはすっかり摘まれてしまった後で、Jは酒を飲まないから朝食を摂ったらすぐにPembertonを目指してMargaret riverを出た。

精霊のみが暮らしているような巨大な大木の森に入ってきたら到着。8年ぶりにジャイアントトゥリーに登った。高所恐怖症のJは3段目で諦めカメラマンに徹した。一歩でも踏み外せば転落して死ぬ。手にも足にも一歩一歩力を入れて着実に登り着実に降りた。下で両手を広げて待っていたJは降りてきたわたしを抱き抱えると
"I can't believe you've really done
it!!!" と激励してくれた。

ランチを買いこみWalpoleに向かった。Jがどうしても探し出したい植物があるというのでハイウェイを反れてブッシュの中をはしった。野生のカンガルーと遠くに牛の群、ファームとブッシュだけの敵のいない地の果てにJと二人きりだった。植物の専門家であるJがわたしの手をひいてあれこれと説明してくれる。久しく感じることのなかった安心感に胸がじんわりと熱くなった。

Jの探し求めた植物は地元の人々の忠告どおり季節はずれで見つからず諦めてAlbanyへ向かった。陽が完全に沈んでしまった時、ポツリポツリと民家の灯りが見えはじめて最終目的地に到着した。ロングドライブに疲れ果てて、適当なモーテルに部屋を取るとスルリと電源を落とされた機械のように二人とも朝までぐっすり眠った。


2010年05月01日(土) Albanyを目指して

空気のきりりとした初秋の朝、Jが迎えにきて Albanyを目指して南下の旅に出た。 夏の間に燃え尽きてカラカラに乾いたサバンナの中のハイウェイにひたすら車を走らせる。

Bunburyでランチを摂り、Basseltonを散歩、陽が沈む頃、Margaret riverでジャーマンアクセントの強い英語を話すカップルの経営する小さなモーテルに落ち着いた。荷物をおろしたら小さな町を歩いてシーフードレストランで夕食を摂った。リッチな人々が週末にワインを愉しんだりするような町だけに何もかもが高いが、クオリティもそれなり。美味しいハーブブレッドやクラムチャウダーを愉しんだ。星を見ながらゆっくりと歩いて宿に戻り、レセプションで借りたコメディー映画を見た。Jと同じ場面で同じジョークで同時に笑えることに安心して、やっぱりこの人をもっと知りたいと思った。


Michelina |MAIL