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またまたインディアン・ガイの家でホーム・パーティ。アメリカン・スタイルの寿司(カルフォルニア・ロールやフィラデルフィア・ロール、ドラゴン・ロールなど)を作っていった。インターナショナルな顔ぶれで、てんでばらばら様々な料理と酒が並んだ。
昨日、銀座の松屋で浴衣を買った。実に8年ぶり。ダークレッドに金魚模様のと紺地に白い花模様のを持っているから、今回は儚げな淡い空色に淡いピンクとクリーム色の紫陽花模様の入った優しい色合いの物を手に入れた。花火など見に行く予定もないけれど、健康で仕事があって、こんな贅沢をできる経済力があるうちに買っておきたかった。大事に浴衣を抱えて帰る道すがら、金曜にインディアン・ガイがわたしを傷つけた言葉の数々は忘れようと思った。大体において、わたしのほうが余程彼を惑わせ苛立たせてきたことだろう。
梅酒をちびちび。最近は黒糖ブームなのか。黒糖梅酒というものはなんと美味い飲み物なのか。疲れがたまっていたのか、うとうとと寝てしまい、気付いたらお開きだった。帰り際、みんなを待たせたまま、わたしはインディアン・ガイの胸にしがみついて離れなかった。同僚達もインディアン・ガイまでもが、わたしが単に酔っ払っていると思ったようだけど、本当は違う。寂しいのでもう少し一緒にいたいというはっきりとした気持ちがあったのだ。
水曜の子宮の定期健診の傷が癒えぬうちに運動をしたのがたたったのか朝から下腹部が重苦しくきりきりと痛んだ。
昨夜は同僚とみんなで仕事帰りにバドミントンに繰り出しスカッと汗を流して、ファミレスに駆け込みおなかを満たし、夜遅くまでお喋りに明け暮れた。子宮の定期健診ではいつももう異常は見られず、ただただ健康と太鼓判を押されるだけだが、妊娠も出産も無縁のまままず病気になったなどと暗いことを考えはじめると気が滅入る。もらった卵子のスキャニング写真をインディアン・ガイに見せて、あなたが毎日話しかけてくるので妊娠しました、と言ってみたら、なぜかとても嬉しそうだった。同僚もそれがインディアンベイビーなら卵子の部分にサイババの写真でも貼っておきなさいなどと笑う。心配の代わりのジョークの嵐に気持ちが救われた。雨の中、傘の下で二人きりになったら、もうずっとこんな生ぬるく他愛のない時間が続けばいいのにと思った。
それなのに、今日になったら彼の体温が急に落ちたように何かが違っていた。妹の来日に忙しいムッシューがいなくなった二人だけのランチタイム、何かいつもと違うわたしを遠ざけるような言葉の節々に、朝から痛んだ下腹からじりじりと頭のほうに熱があがってくるような感じがした。付かず離れずの関係を望んでいるのはわたしだけであちらはそんな中途半端が気持ち悪かったのだろう。ただただ悲しい気持ちで下腹に掌をあてて聞いていた。
午後3時、仲良しのおじいちゃんも早退すると言うので一緒に帰ることにした。20年間も癌を患ってやせ細って実年齢よりもずっと老けた体で普段は頭脳以外の一切の運動を怠って、電話一本で呼び出されてあちこち走り回らされるけれど、今日はわたしの腹痛をしきりに心配して気遣ってくれた。カフェで買ってもらった豆乳ラテを飲んだら少し痛みが和らいだ。
自分のベッドでしばらく泣いていたら気がおさまった。為す術なし。タイミングの悪いわたしたち。それもこれも運命なのでしょう。
2009年05月24日(日) |
善光寺は口実で。。。。 |
同僚と一泊二日の長野旅行へ。同僚の恋人で現地在住の妻子持ちの男性に案内を任せきったビミョウな旅であった。不倫とやらを完全否定しないまでも決して崇拝していない。わたしには当人達の心情を察する想像力もなくただただぼんやりことのなりゆきを見守るだけだった。若くて愛らしくて誰からも好かれる同僚とひたすら大人しく人の良さそうな中年男性。食事などの会計はさっぱりと別々。まったく悪びれたふうでもなく頼りあうわけでもなく、ただその瞬間が楽しければ良いというようなドライな関係なのか。ドロドロしたものを見せ付けられなかった安堵と同時に男性の自分だけに向けられる揺ぎ無い愛情ばかり求めて信じてきたわたしの心はぺちゃりとしぼんでいった。いつか彼女が結婚する時、このような過去の経験が悪い影響を与えてしまうのではないかとただただ心配だ。
7年に一度と言われても興味の無いものはそれまでだが、ただ二人の後についてお参りしてきた。この旅行で良かったのは食べ物。小布施のモンブラン、野沢菜のお焼き(炭火焼のアツアツをふぅふぅ食べるのは最高!)、蕎麦。おみやげには八幡屋の七味唐辛子に杏子なっとう。どれもこれも体中ハッピーになってしまうような美味さでした。
2009年05月16日(土) |
Planet Earth |
インディアン・ガイが帰ってきた。髪がさっぱり短くなっている。400円払って、日本でいうカリスマ美容師の手にかかったらしいが、それは角刈りですか?メガネも変わった。イタリア製の高いやつを新調したらしいが、同僚一言、"大木凡人みたい"。お土産は石でできた親子象の置物と手縫いの刺繍の入ったクッションカバー。着かず離れずの距離を保って、ただ一緒にアイスクリームを舐めながらまどろむランチタイムが戻った。人の気持ちに土足で踏み込むような人ではないけれど、若いだけにありあまった情熱のやり場のなさにやきもきしているんじゃないかという時がある。けれど、今のわたしは草臥れた老女のように横たわったまま起き上がる力を惜しんでいる。
"Earth"を鑑賞。BBCのドキュメンタリーで殆どがもうどこかで見たことのあるものだったけれど、それでも改めて雄大な自然の厳しさと優しさに胸を突かれる。春もせまったまだ寒い冬の日に産み落とされた2匹のホッキョクグマ。おかあさんは5ヶ月も何も食べず脂肪が削げ落ちてやせ細った体から最後の栄養をやっと振り絞るように母乳を与える。おとうさんは獲物をさがして歩き回る。歩いて歩いて、餓死寸前。最後の力を通常はやらない危険なセイウチ狩りに賭ける。様子を伺い子供にアタックするもその背後から大人の鋭い牙で足を突かれる。大奮闘の末、獲物を逃した。最後の賭けに負け、足にも傷を負い、歩くのがやっとという状態になった。あとは死を待つしかないのか。年々北極の氷が解けて足場がなくなり、狩には不利な状態となってホッキョクグマは餓死し続ける。映像には一度も民家や人間が出てこない。しかしこんな秘境に生活苦を及ぼすのは人間の仕業なのか。その人間はといえば、もっともっと豊かになろうとするあまり気を病んで自殺に追いやられたりする数奇な生き物だ。
タイカレー。ベースはココナッツミルク、しょうが、にんにく、豆板醤、レモングラス、カレーミックスパウダー(Sri Lankaの激辛にした!)、コリアンダー、ターメリック、カレーリーフ、ナンプラー、酒。具はナス、オクラ、フレッシュチリ(祖母が作った口に直接入れたら倒れてしまいそうな激辛チリ)厚揚げ、うずらの卵、フレッシュコリアンダー。適当にパッと炒めてパッと煮れば市販のカレーペーストほど出汁の味の濃くないあっさり味のカレーの出来上がり。
気候はパーフェクト。涼しい朝のうちに買い物に出た帰り道、木陰のスゥイングをに揺られて一休み。どこかのポップシンガーの歌みたいにレモネードでも飲んで透明な気持ちで揺られていられたらいいのに。でも心が晴れない。家族の状態に回復の兆しが見えたと思えば、今度は親戚、知人が次々と病に伏して行く。周囲の不穏な空気に気が沈む。先日久々に会った友人は難しい恋愛の末、別れを選んだものの、彼女を苦しめ泣かせ続けた生き甲斐を失って生気のない妙に綺麗な顔をしていた。
自分に与えられた人生を誠実に悩んで苦しむ人でありたいと思うけれど、たまに心がぺこりとつぶれてしまう。早かれ遅かれみんないつかは死んでしまう。どんな人生を送ろうと死んでしまう。それでも感情を与えられた以上悼んでいくしかない。
何が、わたしと彼らを救えるだろうかと考えた。心の中にどんなに小さくても決して外的要因に左右されないオアシスがあればいい。不運のない人生などあり得ないのだから、せめて自分の内側はいつも潤っていたい。
テレビでプロジェリアという人の10倍の早さで年を取るという難病に侵されたカナダ人の女の子アシュリーちゃんが、17歳という若さで亡くなったというニュースが流れていた。老人のようにやせ細った腕と子供のようなあどけない顔つき、潔く意思の強い大人の口調、全てがアンバランスで複雑に胸を揺すられるような光景だったが、インタビューを聞いているうちに、彼女が心の健康と平穏までは奪われなかったことに安堵した。子供の頃に出会った同じ病気のボーイフレンドに会いに少し離れた町に出かけ、雪の降りしきる中小さな体を寄せ合って別れを惜しんだり、ペットショップでアルバイトしたり、短い人生の中にそれなりの幸福を詰め込むことができたのでしょう。心をきっぱりと決めたように、
「生まれ変わってもまたわたしでいたい。」
と話していた。
夕方にのんびりのんびり餃子を作った。皮は強力粉のみ。捏ねて、寝かせて、伸ばして、型抜き。具は陽の野菜ばかりたっぷり、ごま油たっぷりのピリ辛葱ソースでいただく。好物の刀削麺と同じくらいぷりぷりもちもちの美味しい水餃子になりました。