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母とお墓参りへ。お墓の前に来ると母のオシャベリには一段と拍車がかかる。わたしは一週間前に腰を捻って、しゃがむことも辛く、与えられるがままにただ豆大福をほうばって手を合わせてきた。
帰り道、あまりにも気候がいいのでダムの周辺で車を停めて散歩することにした。母は妹の病気が一向に良くならないと、家相の本を眺めて、配水管の位置をずらしたりしている。もっと合う医者を探す前に、本人に治そうという意識を持たせる前に、まずそこなのだ。誰かが治してくれるなどと待っていては良くなるものもならない。
夕方テキストの訂正に追われた。こういうテキストはあまり選択肢がないからわたしは異なる出版社からでているものを2冊購入した。が、どうも内容が異なる。ひとつやふたつじゃなく、5個に1つくらいの割合で合わない。決定的に片方のが出鱈目ということに気付き、出版社に電話をした。わたしはかなり怒っていた。だってこちらのほうのテキストのみを購入して勉強した人は間違いなく試験に落ちるだろう。わたし自身も内容を見比べるのに随分無駄な時間を費やした。この出版社はこれでスクールも持っているのだ。文句のひとつでも言ってやろうと電話をしたら、そんな苦情が殺到していたのか、先手を打って正誤表を送ると住所を聞かれた。送られてきた正誤表、なんとミスの数ざっと50箇所。
久々に湯船に浸かり、垢すりをした。夏の間シャワーだけだったせいか、ぼろぼろぼろぼろ沢山出てきた。3月に一度くらいの割合でやるのがいいみたい。くすんだ肌はつやつやになりました。
ある男性が、自分は夜遊びをしないし、職業柄女の子と出会う機会もないから結婚を前提につきあう人がいたらいい、と話すのを、ふむふむと聞いていたが、どうもその矛先が自分に向いているらしいことに気付いた。あちらも漠然とどうかと思っているだけの様子だからこちらも深く考えて答えることもないが、ふと想像する。なんて簡単なんだろう。人柄も朗らかでまっすぐ、魅力的だ。困難ばかりで親を心配させて、それでも頑なにマーヴと一緒にいようなんて間違っているのだろうか。妹の鬱病は一向に治らず、もう2月以上ほぼ寝たきりとなり、看病をしている母まで滅入ってきているのを見取るたび、後ろめたくなる。自分のためにいつか結婚する(しないのかなぁ、ともあれ)。それでも一人で生きてきたわけじゃないから、それが親が喜んでくれるようなものになればいい。
マーヴに、
「もしかしたらお互いにもっと良い選択があるのかもしれないね。」
などと言ってみた。来年には必ず一緒になれる。けれど、その先のことを考える。マーヴと一緒ならどこでも楽しく笑って暮らせそうな気がする。でも、日本に帰れないというのはまずい。そういうことも踏まえてお互いに少し考えてみてもいい。
1時間後。
「2番兄に電話して聞いてみた。ノープロブレム。いつでも日本に帰れる。とりあえずお兄ちゃんが君にメールするって。」
家族で説得するつもり?どういう計算でいつでも日本に帰れるとか言うのか。やれやれ、とため息も出てしまうが、いっつもわたしこうやって最後はマーヴにやりこめられるのよね。そして、こんな一生かけても理解できなそうな人々だから一生飽きないだろうと思い直してみたりする。
試験間際になって、やっと勉強のコツがつかめてきた。がもうすでに遅いような気もしないでもない。今年はどうだかわからないが(なにせ範囲が広すぎて時間が全く足りていない)、来年なら行けそうだ。(←すでに今年はあきらめているのか)
労いはやっぱり自分の手料理。今夜は「わらのごはん」のレシピで、ナスとピーマン、玉ねぎを甘酒や味噌などを入れたたれで絡めた炒め物を作った。近所の畑で採れたもぎたてのナス自体絶品だが、この料理も美味しい。ごはんのすすむこってりなおかず。この本、重ね煮といって、野菜を鍋にどんどん重ねて押し塩をして蒸してから使う料理が多いのだけれど、どうしてか??これですごく野菜の味が濃く出る。
いじらない髪はぼさぼさ、勉強して食べて散歩して寝るだけという色気のない生活の中、今週になってふと一通のe-mailが届いた。それは凍てついていたある類の感情を溶かし、3日も涙がぽろぽろとこぼれ続けた。彼はわたしがはじめて家族のように一緒に暮らした人だったし、何よりもはじめてじっくりと知った他人だった。なにもかもがはじめてだらけ。はじめてわたしの子供が欲しいと言ってくれた人で、わたしと一緒にいるためにたくさん労力を使ってくれた。しかし、何もかもはじめてだったからそれに慣れて理解して受け入れるのに時間がかかった。お互いが外国人でいつも明日どこにいるのかわからないという不安定さも要因のひとつだったのかもしれない。どんどんすれ違って、いろんなことがずれていってお互いに酷い孤独を味わった。
メールには一緒にいたときにわたしがずっと感じていたこと、別れてからもずっと思っていたこととぴたりと同じことが書かれていた。ずっと後悔してきたとも。どうして一緒にいるときに気付いてくれなかったのかと無念の涙が止まらない。でも今お互いにそんなことを話し合ったところでどうなるのか。いい人ぶった返信は相手を余計後悔させるかもしれない、本当はもっと言いたいことが沢山あったけれど、ひとつ言ったらとめどなく溢れてきてしまいそうだ。そっけなく、幸せになってね、とだけ返した。後悔なんてしていないで、今幸せになって欲しい、それが本音だ。