My life as a cat
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2008年08月28日(木) ベニシアの庭

京都、大原にあるベニシアさんの庭がNHKで取り上げられていた。どの程度有名な人なのかわからないけれど、わたしは雑誌のたった1ページに掲載されていたのを見て彼女を知った。イギリスの貴族の家の生まれ、だがそれを捨ててアジアを放浪し、辿り付いた日本に住み着いたという破天荒な経歴が単に目を引いて覚えていただけだったが、テレビで見たら、その経歴を上回る、大きな印象のある人だった。現在は日本人と結婚し、古い民家にぎっしりと植えられた植物と共に暮らしている。日々、ノートで仕事を確認しながら、庭仕事に精を出す。一日は静かにはじまり、植物と共生する悦びに暮れていく。

「お父さんとお母さんと子供が小さな家に住んでいて、窓から小さな庭が見えて、花がたくさん咲いているのが夢だった。」
と話す。冷え切った石造りの貴族の家の恐ろしく巨大な距離感の中で見た夢なのだろう。夢はちゃんと叶ったのだ。

彼女の言葉は、歩いてきた道からひとつひとつ丁寧に摘んできた花を一本ずつみんなに分け与えるような穏やかなものだったが、それは枯れることのない花のような強く優しく美しいものだった。4度再婚した母親について、
「彼女は相手が変われば幸せになると信じていた。でもそれは違うと思う。幸せになるには自分の中に何かを見つけなければならない。解決策は自分の中にしかないの。」
という言葉は印象的だった。自分の人生を豊かにできるのは自分自身でしかないものね。


2008年08月27日(水) 李鶴来さんの生涯

前記事に続く太平洋戦争のドキュメンタリーに元BC級戦犯として一度は死刑判決を受けた李鶴来(イ・ハンネ)さんの生涯が取り上げられていた。

朝鮮半島から徴用されてタイの捕虜制収容所で監視員の地位に置かれ、骨の上に辛うじて皮が乗っかっているだけのようなオーストラリア人捕虜を酷使する立場の人間となった。
「とても恐かったです。向こうのほうが体が大きいし、言葉は通じないし、言うことを聞きませんからビンタしました。当時ビンタは日本人にとって単なる教育でしたから虐待のつもりはありませんでした。」

やがて日本が敗戦。軍事裁判にかけられ、死刑判決をくだされ、シンガポールのチャンギ刑務所に収容された。独房のすぐ隣が処刑場。階段をあがる死刑囚の足音、処刑される声が生々しく響き渡る中、納得の行かない思いに苦しみながら着々と迫り来るその日を待たされる。
「日本人ならば祖国の為に戦い祖国の為に死んでいくとう少なくともまだ心の拠り所がある。けれど、わたしにはそれすらもない。どうして日本人として処刑されていくのか悩み続けました。」

ところが執行寸前、突然懲役20年に減刑された。証人のうちの一人のオーストラリア人が書類にサインをしなかったためだ。

やがてスガモ・プリズンに移送されるがそこへ朝鮮戦争が勃発。連合国側の命令で特別掃海隊などを派遣していた日本は敵国と見なされ、彼は祖国から捨てられた。と同時に、日本は在日朝鮮人の永住権を剥奪し、補償は一切受けられないことになった。日本人として戦争にかりだされ、日本人として刑を受け、今度は日本人ではないとして捨てられた。

刑の執行を終えても無一文で放り出されて、生活苦にあえぐことになる。同士となんとかタクシー会社を設立した。

現在83歳。補償を求めてまだ戦い続けている。

こんな不条理な人生ってあるのだろうか。敵と自分の感情と社会の荒波、戦うばかりの人生。安穏というものを知っているのだろうか、この人は。ひとつひとつ人生の傷を刻まれ続けたような深い皺とシミだらけの皮膚、それでも、いやだからこそまだ負けるわけにはいかないのだろう。


2008年08月21日(木) 悲惨から学ぶこと

すこし休憩しようと寝転がってテレビをつけると、皺と皺の間にまでめり込むほど日焼けして、歯がボロボロのアジア系の老人が目に涙を浮かべて聞きなれない言葉で話していた。字幕を見て理解した。マニラ市街地戦のドキュメンタリーだった。サンチャゴ要塞の日本軍憲兵隊司令部に爆撃をしかけるアメリカ兵。軍事資金が底をついていた日本兵は資金を使わずにマニラ市民を一掃することを考え、一石二鳥とフィリピン人捕虜を砦の前に並ばせ、防弾に使った。焼け野原には、後ろ手に縛られた男たちだけではなく、女、子供、裸の赤ん坊、ガラクタのようになんでも転がっていた。

日本兵が悪い、アメリカ兵が悪いなどと言えるだろうか。当事者達は勝っても負けても傷が癒えない。元日本兵は言う。
「あんなところに放り出されたら人間は道徳なんて忘れてしまいます。殺されることが怖くて怖くて必死で銃を打ちまくりました。」
元アメリカ兵は涙さえ流した。
「戦争が終わっても悪夢にうなされて安らかに眠れることがありません。」

一握りの人間の欲深い思考のために、こんなにも多くの愛し合うことだけで満足して生きていけるようなシンプルな人間が巻き込まれて命を落とす。戦争が生み出すのは圧倒的に不幸のほうが多い。

歴史の教科書に何と刻まれようが、それが事実だろうが、隠蔽があろうが、自分にできることは何も憎まず、何かを愛することに生きるだけだ。

わたしは今日も平和と健康に感謝してベッドに入る。


2008年08月20日(水) Monkey business

ぼちぼち梨をもらうようになってきたのでランチは冷麺。ソースは摩り下ろした梨とすりゴマ、チリパウダー、酢、しょうゆ、ごま油。出汁は干ししいたけで。甘辛酸っぱい、野菜だけとは思えない深い味わい。

渋谷駅に猿出没事件。テレビ見て笑いましたわ。警察官200人動因して2時間。その真剣さをあざ笑うように猿はさっさと逃げていった(笑)。






2008年08月14日(木) Parotta

雑誌で見かけて簡単で美味しそうだったので作ってみた。小麦粉と塩と水だけの生地を一度伸ばしてマッシュポテトとフライドオニオン、グラインドしたチリとクミンシードを混ぜた具を包んでからもう一度薄く伸ばしてフライパンで焼くだけ。

うまい!!焼きたてアツアツはパリパリとクリスピーでやみつきになりそう。食欲不振の妹もいやいや一枚食べたらもうとまらない。二人で会話もせずもくもくと食べ続けました。







2008年08月12日(火) Onion Bhaji

インド人の友人が帰郷した際にあらゆる食材を買ってきてポストしてくれた。Besan flourという豆粉が入っていたのでオニオンバジを作ってみた。
このレシピ(これ、とても簡潔で有益なサイト)に沿って作ったらうまくできた!火を通した玉ねぎの甘さはまさにアディクティブ。蕎麦を食べていた父は上に乗っけて天蕎麦にしていた。

インドの食材の原料表記などはほぼ英語なのだね。地方によって使う言葉が全く違うというから英語が共通語のように重要な役割を果たすのだね、きっと。あの幼稚園児のお絵かきみたいな文字はほぼ使われてなかった。





2008年08月10日(日) 夏の収穫























近所の人から食べきれないくらいプチトマトを頂いたので、サンドライトマトにした。かんかん照りが続いたせいで3日も干したらもうセミドライトマトになった。トマトなんて干したら何も残らないんじゃないかと思うくらい水っぽいイメージだけど、とんでもない。干したトマトの匂いは甘くて芳ばしく、食感はベーコンかと思うくらい(あぁ、この例えはベジ的にNGね。)ぎっしり濃厚。オリーブオイルに漬けて完成。

金曜、久々に外出。テキストを買いに出て、夕方、赤坂で友人と合流。TBSの隣に新しくできたビルの中で軽く食べて、周辺を散歩。働いたことはあったけれど、一度も探索したことはなかったな。このおのぼりさんは東京に引っ越してきて間もないストレンジャーに案内されて、ほう、ほう、ときょろきょろするばかり。しかし、ここは外国だな。パブのオープンテラスなど外国人に占領されているではないか。わたし達もパブに入り、外国人ビジネスマン達の喧騒に紛れて騒ぎました。友人は数ヶ月前「コニチワ」というレベルで東京にやってきたが、なんと上達の早いことか、会話の半分は日本語で事足りるようになっていた。外国人お断り処を気に留めることもなく、ひょうひょうと東京暮らしを満喫しているようだった。帰りもちゃんと地下鉄の改札まで送って路線を調べて、ここで乗り換えるんだよ、と説明してくれた。どっちがストレンジャーなんだ!!しかしこの後、変な出口から地上に出てしまい、本当に道に迷った。前を歩いていた若いサラリーマン風のおにいさん二人組に訊ねた。
「っていうか、焼肉食べに行かない?」
「いえ、あのお肉食べられないんで、、、、」
「へっ???? じゃぁ、他のもの食べに行かない?」
「いえ、あのもう寝る時間なんで、、、、」
9:30であったが、本当にもう眠かった。そんな断り方もあったのか、といった半ば感心したような呆れたような顔つきで、面倒くさそうに仕方なく道を教えてくれた。背を向けて歩き出してから、ナンパじゃないか!夏の粋だね〜!となぜか急に愉快になって、スキップのような足取りで家路についた。


2008年08月04日(月) We're having a baby

ちょっと息抜き、とずっとまえにマーヴがCD−ROMに焼いてくれた"Sex and the city"を見ていた。日本でも放送されたのか知らないが、ニューヨークを舞台に妥協できないシングルの三十路女4人が性に悩み、性に泣いて、性に笑う物語。ピッキーでビッグマウス、セルフィッシュな女達のマシンガントークにやれやれ、と苦笑しながらも、結局のところ共感して親しみが沸いてしまう。女とゲイに人気のドラマ。ある日、そのうちの一人、ミランダがexと成り行きでした一度のセックスで妊娠してしまう。exにも内緒で中絶しようと病院まで行ったが、ラストミニットで気が変わって産んでひとりで育てることを決意した。彼女を元気付けようと集まった4人。後からてっきり中絶したのだと花束を持って現れたシャーロットは事実を知り、感嘆する。
"We're having a baby!!"

ズキンとした。女友達ってなんていいものだろう。一緒にいて心地良ければそれが友達だ。友達を性別で区別して選ぶことはない。でも、こんな状況に陥った時、男友達はわたしを救えないだろう。彼らが同じセリフを言うことはないだろうし、あったらそれはそれまでの関係を大きく変えてしまうことだろう。母性を持った女友達がこんなセリフを言ってくれたらどんなに心強いことか。

親友は別れようと思っていた矢先、その男との子供を身ごもって憂鬱に迷いながら結婚して、出産したが、それでも憂鬱なままだ。わたしは遠く離れていたからそんなセリフは言わなかった。わたしも愛するマーヴの子供が欲しいよ、と言ったら、わたしは愛する人が欲しいよと返され、彼女の孤独が胸が詰まった。もし彼女が離婚を決意した時は、一緒に新しい暮らしを立て直してあげたい。


2008年08月01日(金) Paella, Sarah Vaughan そして日本海

夕飯はベジタリアン・パエーリャ。専用のパンなどないから土鍋で。具はミックスビーンズ、アスパラ、パブリカ、グリーンチリ、出汁はオニオンとガーリック、白ワインで。レモンは絞らないほうがいいみたい。野菜より味が強く出てしまうから。

久々に冷蔵庫に冷やした"日本海"も取り出してチビチビ。これ、すっきりしているけど米の味が強くて好きだな。Sarah Vaughanをかけて、脳みそはBirdlandにトリップ。窓の外には銀朱色の夕陽が、ぼんやりと煤けたような空にぽっかりと浮いていた。






Michelina |MAIL