My life as a cat
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2008年06月29日(日) 妄想被害

妹のストーカーは完全な精神異常者だ。40歳の塾長。なぜか妹が学生の頃働いていたコンビニでアルバイトしていた。お金に困っているのか、単に働き足りないのか知らないけど。3年前に一度食事に行っただけ。一度で妹は嫌になり、それっぽっきりだったのに、今になってどこで電話番号を調べたのか突然電話がかかってきた。

「謝りたいんだ。」
「何を?」
「会って謝りたい。」
「嫌です。今言ってください。」
「どうしても会って言いたい。」

こんな押し問答の後、この男は一緒に働いていた別の女の子に電話した。

「3年間も放っておいたから彼女怒ってるんだ。でも僕はもう結婚する準備ができて式場も予約した。来週親が来るから紹介するつもりだ。彼女に来てもらわなくちゃ困るから君からも説得してくれないかな。」

家族は大揺れ。今回ばかりは妹に隙があるなんて怒れない。相手の完璧な妄想。仕事中に着信40回入っていたなんていうこともあるらしい。わたしは家の戸締りをしっかりしてこの日記にちゃんと書き残してベッドに入ることにしよう。


2008年06月26日(木) どんなに時間が流れても

彼からのメールは忘れた頃にひらりと舞い込んでくる。
"明日パースに戻るで〜。”
なつかしい。関西弁やねぇ。唯一マーヴのことを、
"アイツ、いい男よなぁ"
と認めてくれる貴重な友達だ。母子家庭でオカンに厳しく育てられた人らしく、料理をご馳走しても、つべこべ言わず、いただきます!とだけ言って黙って平らげる男っぷりのよさは惚れ惚れする。日本人離れした骨太のがっしりした体つきとどっしりと座った目つきで、ナイトクラブに行けば白人のオネエチャンにおっぱいすりつけられたり、休日になると部屋からぞろぞろ女の子がでてきたり、周囲にはいつもオンナがひらひら舞ってるのだが、彼にとって彼女達は全てただのお笑い話ネタ。おかげで楽しませてもらいました。大阪で暴れまくっていると風の噂には聞いていたが、暴れて暴れて、True loveに出会ってしまったらしい。
"真剣や。出会ってもうたわ。"
ですって。

こつこつと記憶が甦る。和食のディナーを共にして、食後のコーヒーを飲みながら怪談話に耽った夏の夜。気味が悪くて大嫌いだったラウンジの薄暗い裸電球は、この夜の為にあるのだと思えるくらいの盛り上げ役だった。怪談話といっても半分以上は実存する背筋の凍りつくような病的な凶悪犯の話だったりしたが。こんな湿度の高い時間は日本人としか共有できなかっただろう。日々精一杯で昨日も明日も見えていなかったとき、ふと四方から聞こえてくる日本語に湧き出す日本の心、丁寧な日本の空気にふと立ち止まってみる時間をもらった。

べったりと付き合うのは苦手でマメに愛想を振りまいたり出来ない。それでもふとどこかでわたしを思い出してくれる人がいることが嬉しくてたまらない。逆にふと思い出して連絡する相手がいることも。いつでもそれなりの苦悩と幸福の中に生きているし、未来に沢山期待を持っているから、思い出に浸ってもその頃に帰りたいとは思わない。ただその頃の残像が現在に実存しているという事実が胸をあたためる。いつも自分が明日どこにいるのかわからないという不安定の中に生きてきて、一瞬の交わりだけに終わらなかった人の存在はゆっくりゆっくりあたためていたい。


2008年06月24日(火) ビンディマサラ

銀座のナタラジのビンディマサラのレシピにトライ。トマトの湯剥きとか(もったいないし面倒だしわたしはまずやらないね)そういうのは省いたもののけっこうな手間がかかる。が、それだけのことはある。味は絶品です!












2008年06月22日(日) あなたの国籍は?

わたしの夕飯。ファラフェルはひよこ豆の代わりに大豆をつぶして、小麦粉とBP、玉ねぎ、ガーリックを混ぜてカレーパウダーとクミンシードで味付け。レモンもあったらもっとよかったけど。Cookpadで見つけたアスパラの春巻きレシピもトライ。茹でたアスパラをパルメジャンチーズを振った生春巻きの皮で包んで揚げるだけ。油は薄く敷いてコロコロ転がして揚げましたよ。うん!皮がクリスピーで美味しい。低めの温度で揚げたほうが水分が飛んでいいみたい。飾りに紫蘇を敷いてっと、国籍不明の居酒屋風になりました。

参考レシピ







2008年06月21日(土) 加減を知らない人々

ニュースを見ていたら"げんこつ条例"ですって。一定の体罰は認められるべきだとか。法律で定められなければ自分で力の加減することのできない幼稚な大人ばかりだから仕方ないけど、こんな国は虚しい。以前読んだスリランカ人留学生の日本滞在記には、
「優先席などがあるのはおかしい。スリランカではお年寄りに席を譲るのは当たり前です。」
と書かれていた。優先席どころの話じゃない。それでも誰も席を譲らないから横浜ではスマイルマナー向上員が電車に乗って呼びかけてるという。何でもかんでも自動で動くことに力を注いでハイテクを誇れるようになった結果、人々は日常的に考える力を失ったのか。ネット上の掲示板なども気味の悪いものが多い。ひとりが潰しにかかると周囲にも火がつく。潰される側の個人情報までも特定して書き込みされていたり暇というのか執念深いというのか、完全な村社会根性で相手の息の根が止まるまでとことんやる。日常的にこんな意地の悪い連中に遭遇しないのに、ネットではいとも簡単に遭遇する。欧米の小学校などではディベートの授業があるというがそれは正しいのかもしれないと思う。日本人はディベートの出来ない人間があまりにも多い。面と向かうと相手の意見に相槌を打つだけなのに、匿名となると強気。しかもディベートではなくただの執念のような気味の悪い書き込みをいつまでも続ける。口論をしても引き際を知らない人が多過ぎる。欧米崇拝じゃないがこればかりは欧米人を見習いたい。口論をよくする分溜め込まないのもあるが、言いたいことを吐き出してしまったらあっさり謝ったりする。かっとなって刺したとかいうのはものすごく日本人的な感じがする。わたしは何度も妹に"言い寄り続ける男"に背筋が凍りつくような怖さを感じたことがある。彼女にもそういう隙があるからその度にわたしは怒り狂うのだが、ストーカー的に鳴り止まない電話とか無言電話とか、いつか家の前にナイフを持った男が立っているんじゃないかなどと想像してしまう。

あぁ、とりとめもなく暗い話ばかり書いてしまった。しかしやっぱりこの国には、あまりにも秩序なく"いい加減"を知らない人間が多過ぎる。


2008年06月20日(金) Beyond the break

日本の水着は大きくなったのか、それともわたしの勘違いだったのか、どれを試着してもサイズぴったり。選びあぐねて2着買ってしまった。早くビーチに繰り出したい。エクザムが終わったらね。。。

水着に付いてきた"Beyond the break"のサンプルDVDを鑑賞。ハワイを舞台にした典型的なサーファードラマ。ランチを食べながら横目で見るには悪くないかもしれないけど、正面から直視するのはきついくだらなさ。しかし今こんなDVDは我が家では禁物。NYに行っていた妹がハワイ在住の日系男と知り合ってきて、運命を感じたなどと言い出したのだ。よくあるようなうんざり話だが、母は妹まで海の向こうに行ってしまうのではないかと憤慨。わたしは取り乱す母と助けを求めてくる妹の板ばさみ。似たもの同士二人でやってればいいのに。ひとり蚊帳の外で酒を飲み、魚をつつき、コレステロール値だけを気にする父が眩しい。


2008年06月10日(火) いろんなものを置いてきた

朝からドタバタ忙しい。ステイさせてもらった感謝を込めて大掃除。アレックスはキレイ好きだからすでに十分キレイ。鏡やバスルームの壁の間を磨いたり細かいところをやっつけた。それから買い物に出かけて日本ではその辺のお店で手に入らない食材を買い込む。大半は東南アジアのもの。サブウェイでランチを買った。パースのサブウェイは東京のと全然違う。野菜をた〜っぷり挟んでくれる。東京のはパンがメインなのに対し、パースのは野菜がメイン。デイヴィスは朝から電話してきて、夜は空港に送ってやるから任せとけ、と妙に張り切っていた。嫌な予感。。。

午後はマーヴに会いに行った。大丈夫そうかな。以前いつも読んでいたTimes magazineを取って読み始めて、あとは語学学習したいというリクエストを出したらしい。わたしと一緒にフランス語を進めるのが第一希望。アラビア語が第二希望(なんで!!!)。それも無理なら日本語(いやだぁ!!日本語理解するようになったら本人の目の前で愚痴が言えなくなっちゃうわぁ)。あなたが元気でいてくれることがなにより。

嫌な予感は的中。デイヴィスとシティで落ち合って口論。全く人の話をちゃんと聞いてない。なんとか空港に着き、コーヒーを飲んで別れた。

ひとりで出発ゲートにぼんやりと座っていたら、家に戻ったアレックスから電話が来た。家がすごくキレイ、ありがとう、とか、頑張って試験パスして、とか。そして、
"I miss you being around"
と言ってわたしをこっそり泣かせた。


2008年06月09日(月) やっぱりあなたの金庫は±0

先日バスで声をかけられたオージー、やっぱり会っちゃった。バス停に座っていたら通りを挟んで向こう側のバス停にいたのだ。わたしは本から顔を上げずにバスを待った。
「浮気と嘘はパースではするな」
みんな知ってることである。

午後はひとりゆっくりお気に入りのカフェで読書。写真はそのカフェのバスルーム。古い家を改造してカフェにしたらしい。こんな人間味の染み付いた石造りの古い家に住むのがわたしとマーヴの希望だ。

夕方ハリソンに会った。旅行にでていて今回は会えないかと思ったけれど、最後の最後で都合がついた。King st.cafeでお喋り。以前こんなことを書いたら、またこんな話をしていた。
「今日20ドル分のロトを買ったら70ドル当たったの。換金してお金を受け取って、僕は荷物を両手に持っていたからそのままお尻のポケットに突っ込んだの。そうしたら50ドルどこかに落としちゃったみたい。」

前回と違うのは彼にはGFができちゃって幸せ絶頂らしい。たまにちらりと時間を気にしながら温かい夕飯の待つところに引き上げていった。


2008年06月08日(日) 行ってしまった

早朝マーヴに会いにいった。元気がない。わたしがここを去るのが辛いという。大人の男はそんなことは口に出さず、態度だけで胸を締め付けるのに、子供みたいにしょげてしまうマーヴは幼い。

午後、アレックスが空港までのタクシーを呼んでしまうと、わたしも気持ちが沈んできた。ラストミニッツになって急に、火曜の夜は僕が家に着くの待ってればいいじゃん、空港まで送っていくよ、と言い出した。わたしが国際空港に着かなければいけない時間にアレックスがパースの国内線の空港に帰ってくるから危うい。首を横にふった。
“Ok, give me a hug”
と力強くハグした。彼とは何度も別れたけど、今回のは特別な別れのような気がした。アレックスはマーヴとは全くタイプが違う。気が強くてきっぱりして、歯の浮くようなセリフは言えない性質だ。それでもタクシーに乗り込む前にもう一度振り返って手を振ったりした。

家の中が急にがらりと静かになって、ドラエモンを失ったのび太君のようになった。寝転がって本を広げて自分の世界にこもっていても、隣に人の気配があるのとないのじゃ大違いだ。スリランカ食堂に夕飯を買いに歩いた。マーヴが毎日愛していると言ってくれる。2年前と一寸も変わらず、同じ熱をこめてそう言ってくれる。だから、一緒にいられなくてもわたしは孤独じゃない。でも頼れる人はいない。これは子供の頃からのコンプレックスだ。強くもないのに、強くあるように扱われてきた。妹と5つも離れているから仕方ない。だからアレックスのようにテキパキと仕切ってくれて、ただ後ろに着いていけばいい頼もしい存在にほろりとよろけてしまう。良い所だけ両方欲しいとワガママに思ってみたりもする。


2008年06月07日(土) 南へ













今日も快晴。ひとり早起きしてしまったから、コーヒーを入れて早速昨夜仕入れたセイロンカレーパウダーを試してみることにした。ガーリックとジンジャー、玉ねぎを炒めて、あとは冷蔵庫にあったズッキーニとにんじんを入れた。トマトがないのでトマトソースを、コクがないので醤油をたらり。まぁ、なんとかそれなりの味になった。カレーリーフとか入れてちゃんと作ったらさぞかし美味しいだろう。ちょうどアレックスが起きてきて、カレーの匂いを嗅ぐなり、反射的と表現したいくらい自然にパパダムを用意してくれた。冷蔵庫一掃のブランチ。明日からアレックスがビジネストリップにでて、明後日はサマンサが帰郷、明々後日にわたしが帰国。みんな一日違いにいなくなるのだ。蒸したコーン(パースのあまり甘くないワイルドな味のコーンはわたしの大好物!!)とカレーとライス、昨日買った中華チマキ(これを今日食べるのには歴史的な意味があるのだ)、胡麻汁粉も飲んだ。

午後からサウスへドライブ。目的地はMandurah。空は青く、情緒ないおもちゃの町のような新しいサバーブとパサパサに乾ききったような低木がやっと生き延びているような風景が繰り返される。途中でトイレに行きたくなり、20分ホールドしたらいよいよ無口になり青ざめてきた。男は女より長時間我慢できるものなのか?アレックスはあと10分で着くよ、と簡単に言う。5分頑張ったがもう無理だぁ、止めてくれぃ、とHWY脇の茂みにかけこんだ。青空直下のワイルドトイレはなんと気持ちのいいことか。清々しい顔で車に戻り、すぐそこのカーブを曲がったらペトロルステーションが見えた。

Mandurahは屈指の土地の高い場所らしい。水辺にはミリオネアハウスが立ち並び自家用ヨットは自宅前にパークである。当然ある程度年のいった人々が多い。そのせいで若者が好むような店はまず見当たらない。ハーバーのパブに席を取り、ワインを飲んでゆっくりした。帰りがけちらりと寄ったオージーのおじさんがアジアを旅行しながら集めた雑貨が売られているアンティークショップは、なかなかインプレッシブだった。おじさんは悪い意味じゃなく本当のアジア好き、アジア人好きらしくてとても良い人だった。自分が社会でうまくいかない理由をオージーがレイシストだからだとなすりつけるアジア人をわたしは嫌悪する。そういう人に限って欧米文化を決して理解しようとはしない。こんな風にアジアの文化を理解してここに住むアジア人を理解して、貧しいとか汚いとか、日本人に至っては英語ができないとかいう見下ろす角度でなく謙虚にただ違うのだと理解している柔軟なオージーだって沢山いる。すっかり話し込んで、帰りにドラゴンフライの絵の入ったティースプーンをGood luckなのだと言って持たしてくれた。

夜、スビアコに最後の晩餐に出た。少しだけ酒を飲み、キングスパークを散歩した。今月に入ったら急に冷え込みが厳しくなった。
「サマンサもわたしも同時にいなくなってあなたは毎晩泣くでしょう。」
とアレックスをからかった。
「多分ね。でもここに来てそんなことばっかり繰り返してもういい加減そういうのに慣れたよ。」
切ない。わたしも慣れた。一晩泣くけど次の日はもう忘れる。キングスパークの夜景も変わった。年々色んなものが増えていく。自分の身のまわりの変化に心が追い着いていかない。


2008年06月06日(金) shitty cooking

夜はまたスペンサービレッジのフードコートに連れていってもらった。小さなものをあれこれあれこれと頼んでシェアして食べた。もやしとレタスとチリソースを春巻きの川で巻いて生のまま食べるのがなかなか美味しい。食後は隣のアジアングロッサリーショップを覗くのがよろしい。太めのアジア人くらいならなんとかなりそうだけれど、本物の太いオージーは詰まってしまうだろう通路の狭さで、細々としたものが所狭しと陳列されて、一見駄菓子屋的な甘美な空間だが、実際はスパイスの効いた東南アジアの食材が仄かな悪臭を放っている。あらゆる場所の特徴でミックスされたカレーパウダーを発見。わたしはやっぱりセイロン・ミックスでしょ。パパダムも購入。明日のブレックファストはセイロン・カレーに決定。

家に戻ってアレックスが入れてくれる香り高い本物のジャスミンティーを飲みながらテレビを見ていたら、オージーらしき太めの女がやっている料理番組に出くわした。リゾットを作り始めた。米は絶対洗っちゃダメよ、ローストするの。透き通ったらお水とスープストックを入れて、赤ワインも入れちゃうわっ!ドボドボドボドボ。。。。(ハーフボトルくらい入って黒米みたいになっちゃったぞ)
"Oh shit! oh shit!"
と連発しながら恐る恐る成り行きを見守るわたし達。
蓋もせずに煮込んで、
「Wow!美味しそうにできたわっ。リコッタチーズを乗せていただきましょう。」
とぽろりぽろりとこぼれたご飯粒みたいにリコッタチーズを乗せて完成。
黒米のおかゆに白いご飯を振りかけたものを想像して欲しい。
わたしとアレックスは最後にもう一度
"oh shit!"
と吐き出し、顔を見合わせてゲラゲラと笑った。オージーメイドの料理番組は立派なお笑い番組だったりする。


2008年06月05日(木) 孤独な男

水着選びは難しい。デザインが気に入ればパットが入ってなくて、乳首だけ浮き出ていたり、ロウライズすぎておしりの割れ目が半分でていたり(水に入ったら全部出ちゃいそうだ〜)。疲れ果て、もう要らない!と投げ出しコーヒーでも飲んで帰ろうと歩き出した。
「すみません、日本人ですか?」
と背後から声がして振り返ると何の変哲もないホワイトガイが立っていた。嫌な予感がしたのでまた踵を返して歩き始めたら横に並んで話しかけてくる。言葉は丁重だが言ってることはアグレッシブ。BFがいるからと断ると、フレンドシップでいいからとあれよあれよという間に一緒にカフェのテーブルについてしまった。パース出身だが日本に住んで10年になる、ホリデーで帰ってきたなんちゃらと話していた。たった15分くらいしか話さなかったけれど、頭も性格も悪い人間ではなさそうだった。しかしユーモアなく相手をこっそり探り合うような会話はどこか空虚で東京の白けた空を思いださせる。東京にGFがいるのかと尋ねたら、いない、"I feel lonely sometimes,,,,"と返され、ズキンとした。lonelyはいけないよ。わたしはそれがどれだけ心細いものか知ってる。GFがいないからlonelyというくらいならいいけど、結婚してたってlonelyな人は沢山いて、この感情は自分と他人の間に折り合いをつけて克服していくしかない。でもわたしは何もしてあげられないだろう。マーヴのやってこれない東京に帰ってフレンドシップを持てるのか定かじゃない人と会うなんてフェアじゃない。一揆にコーヒーを飲み干して逃げるようにカフェをでてバスポートに走った。


2008年06月04日(水) Hindu Vege Buffet

Victria Parkを散歩。悠長な雰囲気の名前と裏腹にこの辺りにくるとがらりと人々の肌色が濃くなり、雑多に何もかもが共存している。治安の悪さは名高いものの、あまりにも刺激のないパースではここに住んで戦ってみてもよかろうという気にもなる。カフェに寄って一休み。テラスに吹き込むきりりと乾いた風が気持ち良い。自然と屋内の境界が曖昧に成りたつのはこの地中海性気候の恩恵。

あれこれと用事を済まそうとシティへ出てふと水着を買おうと思い立った。東京の百貨店などで買おうとするとあまりにも幼稚なデザインのものばかりでうんざりする。まずもって体型に合わない。こちらはトップとボトムのサイズを個々に選べるのが普通だ。あれこれ試着して目星だけつけて立ち去った。ロンドンコートを歩いていると、背後から誰かに肩がぱっくり見えるように穴の開いた服のその穴に手を突っ込んで腕の贅肉をつかまれた。ギャー!!と立ちすくんで振り返るとアレックスだった。仕事に飽きてぶらぶらしているのだと。悠長ですこと。カフェで半分残して持ち帰ってきたケーキをあげたらその場で開けて一口で飲み込んだ。

彼の仕事が終わるのを待って、夕飯はそのままジェッティのヒンドゥの教会がボランティアで出しているベジタリアンバッフェへ。支払いは個人の自由。値段は客が決める。しかし期待していたのとは大きく違った。もっとあれこれ種類があるのかと思っていたのだ。3種類のカレーとダルケークとデザート1種類しかない。これはフードコートのテイクアウェイと同レベルだろうと、二人で15ドル支払ってきた。


2008年06月02日(月) 早朝のMelville、夜のKarawara

早起きしてMelvilleへ。スワンリバーの周辺はもうサイクリングやカヤックを楽しむ人々で賑わっている。すれ違う人々がみんな"Hello!"と挨拶してくれる心の余裕は懐具合に比例するのだとアレックスは言う。 わたし達は潮が引くと砂浜が剥き出しになって道ができるところがあり、そこを歩こうと思ったのだけど、まだちょっと早かった。それでも足をきりりと冷たい水に浸したら気分爽快。カヤックを浜に乗り上げて、一息ついていたお兄さん達が12頭ものイルカを見たと話していた。リバーに沿ったサイクルパスを散歩。空気が美味しいところではすぐにおなかが空いてしまう。短めに切り上げてアジア料理屋が軒を連ねるスペンサーのフードコートへ。チャ・クワイ・テオとこってり醤油味の染みたクレイポットのライスをシェアした。コピスス(コンデンスミルクの入った濃いコーヒー)もここに来たら必ず飲む。お世辞にも清潔な感じのところではないのだが、美味しい。東京で東南アジア料理が美味しく感じないのは小奇麗だからに違いない。チラリと見えるキッチンを覗いて、大丈夫?と心配しながら恐る恐る口に入れるくらいでないと東南アジアの料理は味わえない。

夕飯はターキッシュテイクアウェイで買おうとKarawaraへドライブして、いつの間にかショッピングセンターが大きくなったことに驚いた。わたしもアレックスもここに住んでいて、ここで知り合い、いつもこの辺りでたむろしていた。その頃は開発途上でモデルハウスばかりが立ち並び、ゴーストタウンのようで気味の悪い場所だった。わたしはそのモデルハウスの一つのような輝く白壁の新築の家に暮らし、アレックスはいかにも貧乏学生的なおんぼろうさぎ小屋のような所に暮らしていた。治安の悪さはアレックスのぼろ小屋とはうまく馴染み、わたしの新築家を破壊した。忘れもしないクリスマスの日、寝ているところへ強盗が4,5人押しかけてきて、ガラスをバリバリと割って侵入して、色んなものを盗られた。体は無傷で済んだのは不幸中の幸いだった。しかし、色んなことが今となってはただなつかしい。


2008年06月01日(日) You make my day

4月に辞めた会社の元同僚からメールが届いた。土いじりを愛するおじさんが会社の小さな畑をこつこつ世話していたのだが、今春の移動でこともあろうに大都会NYにとばされてしまった。見捨てられた畑を不憫に思って彼女達が昼休みに畑を耕すようになったらしい(笑)。自然の美しい立地、ほのぼのとした良い会社、良い人々だったな。

マーヴに会いに行った。一緒にいられないからせめてわたしがここにいる間中同じテレビ番組を見て共有したいのかな、毎日新聞をチェックして面白い番組を予告してくれる。翌朝電話でその話題を共有する。手の甲に7:30 SBSとかメモしてあるのを見たらジンとした。並びの良い真っ白な歯やら、贅肉と筋肉のほど良い共存、純真な心、物を持たない簡素な生活ぶり、大人の男の匂いはしないけれど、少年のような清潔を愛した。今も何も変わっていない。このまま一緒に家に帰れたらどんなにいいだろうと後ろ髪引かれてしつこく何度も手を振って、テレビの時間に間に合うようにと家路を急いだ。




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