My life as a cat
My life as a cat
DiaryINDEXpastwill


2008年01月31日(木) 人間性の好さ

会社と駅の間を走る専用のバスは本館で人を乗せてからわたしのいる別館までやってくるので、極稀に別館の人間が定員オーバーであぶれて、次のバスを15分待つことになる。今日はもう別館ロータリーで待つ人の数を見ただけで、全員乗れるか怪しかった。バスが走ってきて、中にいる人を見たらやはり誰の目にも乗り切れないことは確かだった。こういう時は早く来た順に乗るのだろうと、一番最初に来ていた外国人の一団が乗り込むのを待った。ところが彼らもレディが先だと思っているらしく動かない。そこへ、ずんずん我先に、と必死に乗り込んでいったのが日本中年男性一団である。結局あぶれたのは外国人数名で、しかし運良く彼らの世話役がそれを見て、車を出して駅まで乗せていってくれることになり、わたしは自分に席をゆずってくれた彼らがまた寒い中待つことにならなくてよかった、とほっとした。

ここの人はみんな立派な学歴を持った人のようだが、日常の些細な言動にばかり神経を張り巡らせて人を判断するわたしに○○大卒などと言ってみても馬の耳に念仏だ。そんなものは人間性の好さには到底勝てない。


2008年01月27日(日) 快晴

オーストラリアの空色の濃さに慣れてしまうと東京らへんの水性絵の具をうんと水で薄めて使ったような頼りない空の色が心を寂しくする。わたしにとっては"くもり"としたいくらい空の白けた日も、お天気ニュースではこれを快晴と呼んで"気持ちの良い一日でした"という。日本の情緒深い景観にオーストラリアのような"オモチャ色"の空では台無しだが、それでもあちらの力強い空のほうが好きだ。

今日は今年一番の快晴で、二階の自室のベッドに寝転んで日向ぼっこをしていると、久々に鳥達もやってきて電線に停まって長いこと世間話を楽しんでいるようだった。音楽を聴いてベッドの上でぼんやりするのは至福の時間。先日テレビでやっていた"鬱病の症状"が正に自分のようだったので慌てたが、わたしのは単なる"横着の性質"だったらしい。

夕飯はコーンバター味噌ラーメンと春巻きにした。ラーメンの出汁はにんにく、しょうが、ネギから取って、味噌はたっぷり。のどが渇くが体がぽかぽか温まる逸品。春巻きはイマイチだったが、料理嫌いの母は、
「人が作ったというだけで美味しいわっ。」
と沢山食べてくれた。いい性格だ。わたしは自分が作ったものが何より好きで、人が作ったものへの評価は厳しい。


2008年01月24日(木) Kakulas bros

パースにあるお店。豆やスパイス、チーズ、オリーブ、アンチョビ、ドライフルーツ、チョコレート、小麦粉、米、、、、何でも量り売りなので必要なだけ買うことができるし、パッケージ&パッキングの手間の分割安。産地表示がないのが惜しいけれど、オーガニックの表示はある。パースでは野菜も果物も量り売りだから裸のままぽんぽんとバスケットに入れて持参のバッグに放り込んで帰ってくるから、料理するのにゴミも出ず、すっきりとしている。

ところが、この国ときたら。。。。料理をする度に野菜をパックから取り出すのもその後にでる大量のごみも憂鬱である。こんな店が日本にもあればいいのにと思うが、内容よりも表面上の衛星にこだわるこの国の人々には好かれないだろう。。。。



2008年01月19日(土) The first priority

予感どおり、3ヶ月前にパースでお別れしたナエちゃんが日本に帰ってきて、銀座三越ライオン前にて、あっさりと再会を果たした(彼女から"ライオンが小さ過ぎて見つからなかった"と苦情がでた)。夏の思い出しかないため、お互いに黒いコートなどの冬服に違和感があった。もうすぐ結婚してヨーロッパに引っ越す予定のある別のパースの友も加わって、ランチ、お茶と梯子してひたすらおしゃべり。国際結婚(恋愛)では好きな人と一緒に好きな場所に住むということが容易でないことが多く、彼女達は日々そのことに悩まされているようだ。わたしもかつてこのことに日々頭を痛めて、ある日、こんなことを思った。一番大切で必要なものは何か。一番が解ったらそれを手に入れることで満足として、二番目以降はあっさり諦めよう、二番目や三番目は忘れた頃に降ってくる筈だ、と。それ以来もう悩まなかった。

夕方に新丸ビルの上のカフェで、ひとくちサイズにカットしてもらったチーズの乗ったサンドイッチをつまみにホワイトワインで乾杯。結婚式で酔っ払っているナエちゃんのお父さんの到着を待った。カフェでワインなど飲んでいる日本人など他に見当たらないが、店員はこの珍客にも非常に親切で、ひたすら無知にワインを美味しいと褒めるわたし達に物知り顔をしたりはしなかった。

お父さんが現れて、みんなで東京駅の地下街で一杯だけ飲んで、新幹線に乗り込むナエちゃんとハグをして別れる時、今回はもう次に会える予感がないので泣きそうになって目に涙がたまってきたが、彼女も同じことを思ったのだろう、わたしと同じ顔をしていたので、振り返って手を振ったりはしなかった。


2008年01月17日(木) ノン・スタンダードのこころ

この国では年齢や結婚を理由にせっかく芽生えた夢を諦めてしまう人が多い。わたしよりうんと若いのに、今から新しいことを勉強するのは遅い、などと言うのを聞くと残念に思う。何に対して遅いのか?と聞き返したくなるが、それはわたしのように"スタンダード"のない移民大国で暮らしているうちに完全にその意識すら失った人間が単純に考えることで、取り巻く環境に左右されているところも大きい。マーヴの妹なんかは既婚でまだ歩けない娘を抱えてPh.Dを取得するのに奮闘している。妻で母で学生で忙しいことこの上ないが、やりたいことを真っ直ぐしている人は満ち足りていて見ていて気持ちのいいものだ。それと離婚の理由をよく、
「やりたいことができたから」
などと語る人も多いが、これは殆ど理解できない。愛情が冷めたのが先で、そして離婚を考えたらそこに道が見えたという順序ではないのか。誰かと一緒じゃ出来ないことなどあるのか。ロバート・キャパとイングリッド・バーグマンなら仕方ないが。

わたしは持ち前の図太さに加え、スタンダードへの意識がないのは幸い、欧米人に20才に見えると言われるので、真に受けてまだそのくらいのつもりでいる為、無謀なくらいの夢も希望もいっぱい、結婚で諦めなければならないのは"浮気"のみだと思っている。


2008年01月09日(水) 厄払い、食道楽

母に引き摺られ、成田まで厄払いに行った。日頃何も信じていないのにこんな時ばかりすがりつくのも気が引けるが、貴重なお小遣いからお金を払ったのでちゃんと御加護があるかもしれない。母は100円でお香を炊いて煙を全身にはたき、"綺麗にしてください"などと唱えながら顔にはしつこく、しつこくやっていた。たった100円でがめついわねっ、と眺めていたら、隣で母の炊いた煙を自分と子供に刷り込んでいるおばちゃんもいたので、我が母はとても控えめだと思い直した。

駅までずらりと続く参道の店々をひやかしながらゆっくり帰路についた。ランチを摂ろうにも目の前で生きたのをさばく鰻屋ばかりで恐くて目も当てられない。殺生を禁じた仏教の歴史はどこへ吹き飛ばされてしまったのやら。近所の寺の坊主などメタボリックなどと言っているのだから呆れたものだ。母は奈良漬を買うことに、娘は芋羊羹の試食に夢中、やっときし麺のお店を見つけて腰をおろしたころにはおなか3割満たされていた。しかし、出汁も醤油も薄めのきし麺と甘さ控えめのぜんざいのセットは大満足だった。満腹で店を出たのに、その後々遭遇するインドカレーやら豆大福、ケバブ、おやきの匂いにいちいち立ち止まって、きし麺をお腹いっぱい食べたことを悔いる食い意地のはった親子であった。


2008年01月07日(月) とんだ勘違い

そこがモスバーガーであれ、子供にキーキー甲高い声をあげさせるのはマナー違反だ。やっとたどり着いた温かい場所でコーヒーにありつき、眠気におそわれ、いい気持ちでうとうとしていたというのに、お母さんが言う。
「あのお歌は?」
二人の子供が甲高い声を揃えて延々歌う。
「うまいわね〜。」
子供は調子に乗ってまだ歌う。
誰にとっても微笑ましい光景だろうというとんだ勘違いをしているようだ。

日本の子供は過保護で必要以上に子供扱いされていると常々思う。だから悪い意味で子供が本当に幼稚なのだ。わたしは5歳からブラック・コーヒーを好んで飲んだが、母はミルクを入れろとは言わなかったし、それですやすや眠っていた。学校から帰って誰もいなければ犬のおなかを枕にして昼寝していた。鍵っ子がグレるなど迷信で、愛されていればそうはならない。親の願いは健康でいることと他人に迷惑をかけないことだけで、勉強しろもなかった。考えることや挑戦する機会を奪われた子供達の行く末はいつも悲惨だ。


2008年01月06日(日) 巨大な猫

マーヴがフィラデルフィア76ersのアラン・アイバーソンのみたいな黒いアーム・スリーブが欲しいという。腕に大きな傷跡があるのでそれを隠すというのは半分口実であとの半分は飾りだろう。ネットで簡単に見つかったので、ひとつ買ってあげることにした。猫は良かれと思って買ってあげたオモチャにはツンとし、わたしの私物を転がすが、この人も同じだ。わたしがプレゼントしたものには興味を示さず想像しなかったものに反応する。心を読めないから面白くて長続きするのだろうけれど。


2008年01月05日(土) ヒドイ料理

Perthの友と銀座で会った。ゴール(スリランカの南方)やプリンス・エドワード島へ思いを馳せても、東京が一番遠い気がするほど近頃は雑踏が憂鬱で、彼女達に会うのも一大事だ。

人気のあるフランチャイズの居酒屋へ入るも出てくる料理全てがあまりにもヒドイ。揚げだし豆腐は生ぬるくクズ野菜のようなものが入っている。レンコンのはさみ揚げは衣が厚くてベッチョリ、ゴーヤチャンプルは水びたし(豆腐の水をちゃんと切ってない)、カレー風味の焼きそばはマズイのひとこと。前回来た時はこんなではなかった。シェフが冬休みにでも入っているのか知らないけれど銀座の真ん中に店舗を構えるフランチャイズでここまでのは例外。あまりにもバカにされているようで頭にきたので、抗議して会計をお願いした。雇われ店長のような若者がでてきて口だけで謝ったけれど、目はうざい客だと言っていた。腕の悪いところや口に合わないところはごまんとあるけれど、ここは客を見下してるとしか思えない店だった。

気を取り直して入ったアフタヌーンティー・サドゥの穏やかさと、甘さ控えめなスイーツにほっとした。

この会の後はいつも二人の呼吸の自然な気張らない美貌に触発されてしまう。Perthから帰るたびにまた一段だらしなくなっているわたしには必要な刺激でしょう。


2008年01月01日(火) 日本の正月

思い起こすのも気が遠くなるくらい"日本の正月"は久々で、空家の母の実家に叔父家族と集合し、従兄弟の成長ぶりにひたすら驚くばかりだった。最後にじっくりと会った時は中学生だったか、高校生だったか、長身のサッカー一筋少年で、靴にそっと差し込まれたラブレターに気付かず踏んずけて家まで帰ってきて、親が第一発見者だった、というくらい奥手で硬派だったのが、今では身長は2m近くまで伸び、大酒飲みで、しっかりと来年からの就職も決まり、自立して一人暮らし、妹とテレビを見て女優の品定めなどするようになっていた。比例してわたしのほうはちょっと固い布団に寝ただけで腰痛が起こるように着実に老いている。

おせち料理は甘くてベトベトしてたり出汁の濃いのが嫌で食欲沸かず。うちの雑煮は醤油味で具は大根と里芋で怖いくらい青海苔をかける。一番美味しかったのは自作の精進チヂミ(繋ぎはじゃがいも)で、これは肉好き少年にも好評でぺろりと平らげてくれた。

初夢は悪夢だった。マフィアに追いかけられて逃げ惑うストーリーだ。わたしはワイナリーの葡萄畑の中(あの淀んだ空と頼りない葡萄畑はオーストラリアではないな)をのろい駆け足を引き摺ってなんとか逃げ切っていた。心臓ドクドク、寝汗をかいて目覚め、2008年がはじまった。


Michelina |MAIL