My life as a cat
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2007年12月26日(水) 不死身

「素晴らしい!」
先日の検査結果を見たドクターの言葉。わたしの免疫機能はしっかり働いているらしい。結局体にメスも入れることなく一件落着。あとは3ヶ月ごとに検診していけば問題なしということだ。

ありがたいことに、すっきりめでたく新年をむかえられそうだ。この結果に本人よりも喜んでくれたのはマーヴだった。この件に関してわたしがネガティブな発言をする度に、ドラマの見過ぎだよ、とせせら笑っていたのはきっと自分の心細さに言い聞かせていたのだね。

クリスマスにパースから届いた数枚のカードに恋しさがこみあげる。ボクシング・デイには44℃という記録的猛暑に見舞われたそうだ。何もかも溶かしてしまいそうに力強く燃える夕陽ばかりが脳裏に甦る。こちらは厳寒だと人々は言うが、わたしはへいっちゃら、今日も元気に自転車に乗った。







2007年12月25日(火) やんちゃなガイジン

生理痛でダウン。横になってテレビのチャンネルをかちゃかちゃまわして、くだらなくてつまらない奥様番組を眺めていた。それでもこういう時、人の話し声が聞こえるのはいいものだ。

また朝青龍騒動だ。内館牧子は化けガエルのような形相で怒り狂っていたが、当人は、
「どうしてみんな朝青龍って騒ぐんでしょうね?帰郷しちゃいけないのかな?」
とケロリと笑っていた。手に負えないやんちゃなガイジンを無理矢理"日本の型"に嵌めようと躍起になる人々の滑稽さにわたしも可笑しくなってきて、よく知らない朝青龍という人に少し好感が沸いた。大体、
「あれだけ世間を騒がせておいて」
と言うが、世間が勝手に騒いだんじゃないのか。人の弱みにつけこんで精神病に追い詰めるまでにしてしまう世間など仮病を使う人間よりよほど下劣だ。

滅多に寝込むことなどないから、過去のそういう時のことを思い出す。風邪でダウンした時、マーヴは薬はちゃんと8時間置きに飲まなきゃダメなんだと言って、夜中の3時にアラームをかけて用意してくれたりした。弱っているとき、人の親切は格別にあたたかい。


2007年12月21日(金) 良いとこ取り

ロバート・ノックスというイギリス人が書いた"Historical Relation of the Island Ceylon(セイロン島誌)"は17世紀に東インド会社の船の修理に予定外に寄ったセイロン島で捕らえられた著者が脱走に成功するまでに実見したこの島の豊かな自然や風土、風習、冷血な王政のこと、そして最後に著者の壮絶な脱走劇を書いたノンフィクションで、スリランカという国に少しでも興味を持つ人ならば楽しめるのではないかと思う本だ。

先日スリランカからラージャパクサ大統領(スパイシーな雰囲気の名前だ)が来日して和平や人権問題について懇談していった。政治家の汚れや宗教弾圧などその本の時代から現在に至って根本は改善されていないように見受けられる。スリランカの空港でイミグレの長い列の一番前に行きたければ職員に小銭を渡せばいいというが、わたしは何もかも賄賂で動く国は嫌いだ。そういう国の人というのは正義感が大きく歪んでいる。しかし長い列の最後尾で出しても痛くもない小銭をだせば、、、、と想像すると自信がない。そうやって裕福層と貧困層がそのまま循環してしまっているのだ。11月にはタミルチェルバンが空爆によって殺されて、沢山のイノセントな国民がテロによって命を落とした。あんなに手付かずの豊かな自然が美しい国で血生臭い争いが起こっているというのは残念でならない。大統領は統計上仏教国となっている日本に盛大に光り輝くクリスマスのイルミネーションを見てどう感じたのだろうか。クリスマスに浮かれてその五日後には初詣に出かけているという柔軟さ(調子の良さともいう)が日本に平和をもらたしている一因ならば、良いとこ取りも悪くない。


2007年12月15日(土) Breaking and Entering

"Breaking and Entering"(邦題:こわれゆく世界の中で)というイギリス映画を観た。孤独の中で愛を探しながらも、すれ違いに傷付いて少しずつ心を閉ざして諦めて、それでもまた求めてもがく人々のお話だ。ボスニアからひとり息子と逃れてきた難民の母のアミラ(ジュリエット・ビノシュ)の英語のアクセントと少し哀しげな暗い目はあまりにも友人のデイヴィスのママに似ていて、ストーリーと重ね合わせてママの苦渋や悲しみの背景を見た気がした。

ママも"いつかヨーロッパに帰る"のだと遠い遠い未来に思いを馳せるように口にした。単語をやっとやっとつなぎ合わせて継ぎ接ぎだらけの英語でわたしとマーヴをもてなしてくれた。家族の中で唯一AUST育ちでオージーアクセントでSwear wordやスラングも連発してすらすらと喋り続ける弟が、
「僕はタタ(お父さん)のほうが好きなの。ママは厳しいから。」
と無邪気に口にした時は、彼を少し疎ましく感じた。無垢な兄弟とタタは"ママは若い頃もっともっと綺麗だった"とはしゃいでアルバムを見せてくれた。いつもテレビの下のラックにあって埃もかぶっていない。生活必需品以外の物が見当たらないこの家族の大事な財産のようなそのアルバムを丁重にめくると、華やかに着飾って満面の笑みを浮かべている若く美しいママが写っていた。どうしても馴染めない異国で、過去にしがみつきながらも慎ましやかな幸せに突然はしゃいだりするのもアミラと同じだった。

わたしはそこにばかり気がとられてしまったが、それにしても、世間で言われる"ラブストーリー"とか"不倫物"とかいうようには受け取れなかった。焦点はウィルが不倫したことよりも、その根底の感情やロンドンという場所の風俗にあるのではないのか。そして若くて愛らしく品の良いセクシーさをもったジュリエット・ビノシュもよかったけれど、女の脆さと人としての道徳を持ちながらも母の顔になった時の強靭さがそれをどこかへ押しやってしまう女の役どころも深みがでていて素敵だ。


2007年12月12日(水) 通院の甘え

通院のために久々に銀座へ。病院は少なからず気が滅入るから、水曜の通院は豪華に美味しいランチを摂って、生活に不要なもの、例えば口紅やピアスを買って自分を甘やかしている。

この頃ずっと欲しいと思っていた温かく薄手で動きやすいニットを今日こそ買おうと歩いてみたものの、行く先々で暇を持て余した店員にからまれ、30分もしないうちに諦めた。ひとつ手に取る度に"そちらは昨日入荷したばっかりなんです"とか(どうでもいいのに)、"そちらはアンサンブルですね"とか(見ればわかる)、落ち着いて見ていられない。その点、伊東屋は極楽。納得ゆくまで手にとってじっくり眺めて決められる。学生と会社勤め合わせて15年くらいのお付き合いだけれど店員も端的で賢い。コロコロと改装したり売り場を移動したりしない安定もいい。フォトアルバムを作ろうと黒のケント紙とイラストボード、綺麗な柄の和紙を手に入れた。

わらび餅を家族の土産にして家路についた。家の近くに新しく出来たスタイリッシュで立派な建物の窓からクリスマスのイルミネーションがこぼれていた。聞いてみれば以前の主治医の旦那(彼も医者)が始めた幼稚園だという。夫婦揃ってあれこれとビジネスに手を出しているらしい。自分の納得なしに医者の言うことなど鵜呑みにするもんじゃない。彼女の勧めに従わず、わたしはいまだに一切体にメスを入れていないが、自然治癒の可能性もあるらしい。


2007年12月10日(月) 日本のサービスに思う

コンビニで、30円切手くださいと言ったら年配女性店員が、
「申し訳ありません。30円はないんですよ。」
と切手の入ったファイルをしまおうとする。そこに隣のレジにいたコギャル風の女子高生店員が来て
「10円3枚で30円ですよ。」
と面倒くさそうに言う。もちろんそれでいいのです。届けばいいのだから。
どこに行っても応用の利かない店員が多い、と思う。サービスマニュアルを丸暗記するような日本人の勤勉さが仇となって、自分の頭で考えることをしない人が多すぎるのではないか。日本人はまずオーダーしたものを間違えたり勘定や釣銭を間違えたりしない。オージーやベトナム人とは大違いだ。しかし十人十色という性質に基づいたサービスはあちらのほうが断然上手い。


2007年12月07日(金) 所有しない豊かさ

あらゆる物資の価格高騰で世間が騒がしいように感じる。ガソリンやら灯油やら月の差額にして数千円余計にかかるだけといえども騒がれる、そんなに家計がぎりぎりなのに人々がちゃんと車やらストーブやらを持っているのがこの国のせせこましいところだ。物を持たないことは、故障や紛失のストレスが要らず楽だ。所有する豊かさもあるが、しない豊かさというのもある。炊飯器を使ったことはないが、ボタンを押せばもう炊けているというのは味気ない。鍋が蒸気を吹きながらコトコトと音を立てて、蓋を開ける瞬間を楽しむのがいい。洗濯もやさしく手洗いして形を整えて干せば長持ちしてくれる。肺が弱いわたしは灯油のストーブにはぜぇぜぇしてしまうから、多少冷たくても澄んだ空気がいい。ドライブは大好きだけれど、日常的に用を足すのには自転車で適度な運動をとるのもいい。そして何よりも所有しないことでインフレに動じる必要がなく優雅な気持ちで過せることが豊かではないか。


2007年12月05日(水) 世知辛い&腹黒い

もっと若かった頃、ニュースで"美人OL殺人事件"とか"美人ホステス殺人事件"とかそんなタイトルを見ては、もしわたしがこんな悲惨な死に方をしてしまったら"美人"とつけてくれるだろうか、などとくだらない心配をした。ちょっとくっきりした顔立ちであれば大抵"美人"とつくからだ。個人情報保護だの、男女平等だのセクハラだのが病的と言えるくらい暮らしのあらゆるところでつきつけられてしまう現在ではそんな迂闊なタイトルはつけられないのか、すっかり見かけなくなった。守られている安心感と裏腹にそんなことまで法律できっちり整備されていなければならないないことに虚しさを感じる。そのうち欧米のように何でも訴訟、挙句に訴訟で金儲けをするようなのもでてくるのだろうか。

化粧品売り場を通りかかると肌年齢がわかる機械があった。立ち止まって眺めていると中年の女性販売員がでてきて、やってみないかという。手初めに実年齢を聞かれ、それをインプットしている。どうせ、実年齢より少し上という判定がでて、このままではいけません、今ならまだ間に合いますとかいって高価な化粧品を勧められるのではないかと勘繰った。が、21歳ですという判定がでて、ニヤリとすると同時にその意地の悪さを反省した。腹年齢は21歳より大分年上であろう。しかし、こんな判定がでて本人が何も手入れをしてないなどと言ったら販売員は用無しだ。無理強いしない良さそうな人だったので申し訳なく思い、義理で目の周りのたるみが気になると言ったら、使ってみてくださいとサンプルをくれた。


Michelina |MAIL