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塩野七生が"嘘の効用"について書いていた。自分の口から発する言葉は自分が一番先に耳にするから嘘でも言い続けているうちに自己暗示にかけられて本当になってしまうというような内容だった。だからマーヴに、毎日"I love you"と言ってね、と頼んだ。苦笑していたが、それを習慣づけたら今ではすっかり自己暗示にかけられたようだ。
パースはフライパンで乾煎りされているような真夏の乾燥と暑さが日に日に迫ってきているようで、それが苦手なマーヴは午後になると意識朦朧としていたりする。
数日前のあいさつ
"How are you?"
"hell bored"
"How's the weather like there?"
"hot,,,dry,,,,,crazy,,,,"
心配だが何もしてあげられない。だから、あなたがこうだったらいいなという妄想で答えればいいのよ、と言ってあげた。そしてこうなった。
"How are you?"
"good"
"How's the weather like there?"
"freezing cold"
心なしかここ数日彼の情緒が安定している。体感温度1度くらいは下がったに違いない。
2007年11月25日(日) |
増強、それとも老化? |
日本の寒い季節を長らく味わっていなかったけれど、思っていたより楽勝。いまだに自転車か徒歩1時間の細く長くのんびりのエクササイズは続けている。寒い寒いとあたためた部屋でじっとしているひ弱な家族を尻目に木枯らしが吹いていようと自然と体が散歩道に向かっている。すっかりパースっ子になってしまったのを実感。体の大きい人々に混じってスワンリバー沿いを強風に煽られながらサイクリングして、寒さは湯たんぽのみで凌いできて、いつのまにか鍛え上げられてしまったのだ。
ところが、ひとつ年上の友人が、年をとると子供に帰るというのは本当だといいだした。子供の頃は電車の中でおやつを食べていたが、20代では人目が気になってできなかった。この頃は周囲が自分を見ているような気がしないからまたそれができるようになったとか。
思い返せば子供の頃は寒さなど全く気にせず外で遊んでいた。増強したのかと思っていたが、実はその逆、これは老化現象なのだろうか。
夕方、父の同僚が家に来た。もう招くのも招かれるのも億劫そうで、猫並のテリトリーで暮らしているからこれは珍しい。隣室でおとなしく本を読んでいると会話がまる聞こえ。何やらその人は友達の保証人になって逃げられて、多額の借金を背負い、それでも一緒にいたいと言った奥さんと離婚したようだ。酒が入るにつれ、自分は不幸だと嘆きはじめた。そこへ仕事を終え疲れ果てて帰ってきた母は、あっさり言った。
「じゃぁ、男の面子なんて捨てて元に戻ればいいじゃない。」
だけど、、、、なんやらかんやらと愚図る声がして、もう興味が失せたので声を聞かないようにして読書に集中した。8時にもうそろそろ帰ると言いながら、結局家をでたのは11時くらいだった。父も飲んでいたのでわたしと母で車で送った。3連休の初日、定年間際のおじさんが、酔っ払いながら暗くて冷え切った部屋に帰っていくのはなんとも痛い姿だった。
マーヴに話すと、
「お金の問題で別れるなんてばかげてる。」
と言うのでほっとした。彼には古いタイプの日本男児のような面子や責任感はない。わたしが、それでもあなたと一緒にいたいと言えば、嬉々として、"よかった、ありがとう"と答えるでしょう。結局この同僚は自己美学にしがみついて奥さんに余分な不幸も与えてしまったのではないかと思う。
2007年11月18日(日) |
子供嫌いじゃなかった |
道を歩いていると、突然4歳くらいの子供が横から突進してきた。頭が腿にごつりと当たって痛かったが、そんなことはどうでもいい。××ちゃん、大丈夫?気をつけなさい、と自分の子供だけを気遣う母親に苛立った。と、同時にひとつ解ったこと。ずっと子供嫌いと思ってきたけれど、近所の子供と夢中で遊んだりしているし、愛しくさえ思う。わたしが嫌いなのは子供ではなく、子供を産んだことで世間を我が物顔に歩く親だ。子供=誰にとっても愛らしい存在と決めつけて、鬱陶しがる人々を認めないのも嫌だ。
以前の家の隣はレストランで、そこで働いてる母親をいつも退屈そうに待っている男の子とバドミントンをした。彼の中で絶好調に盛り上がってきた頃、お茶を飲む約束をしていた友人が迎えにきたのでプレイはおひらき。いじけてしまった彼に、ごめんねと言いながらご機嫌をとっていたら友人に言われた。
「あなたは絶対甘やかし過ぎて子供をダメにしてしまうタイプだわ。大人には大人の都合があるって解らせなきゃダメよ。」
次の日曜も彼とバドミントンをしていたら、マーヴは、
「彼女は僕と遊ぶ約束があるんだからねっ。」
と子供に向かって本気の嫉妬心を燃やしているのかと思いきや、友人と同じ指摘をした。確かにわたしが育てた猫達はわがままでやりたい放題、"ナメ猫"ならぬ"ダメ猫"だ。わたしのこれはなかなか直らないことだろう。しかし、だからせめて、もし親になっても他人に対して謙虚でいようと決めた。
近所のコンビニで揚げたてのハッシュドブラウンが売られていた。ひとつ取ろうとしたが、小さな紙の袋がない。プラスチック容器しかないのでそれに入れて輪ゴムをかけた。レジにいた店長らしき人に、袋は要りません、と言うと、輪ゴムの間に割り箸やらケチャップやらウェットティッシュを挟んでくれた。そんなの要らないから、代わりにファストフードのフライを入れるような紙袋を置いてくれればコンビニを出てすぐにアツアツを歩きながら食べられるのに。母もスクラッチカードをもらって、当たるかな!とはしゃいでいたものの、結局最後はi-modeなどから応募しなければならないと聞いて、そんな面倒くさいならいらないわっ、と店をでてからゴミ箱に捨てていた。
「お客様は神様です」の精神で手厚いサービスを志す日本人の誠意が伺えるからこそ、過剰と手厚さを履き違えていたり、客の目線をキャッチできていないのがもどかしい。しかしそんなところが多過ぎる。
(写真:家族に見捨てられていた林檎でタルト・タタンを焼いた。こうすればみんな食べるらしい。)
まだ学生の一人息子に代わって、わたしと妹で叔父の還暦祝いを催した。叔父の家でテーブルに食べきれないほどの料理を並べて旅番組を見ながらつつくと、ひとあし先にお正月が来たような気分だ。毎年8月に行く旅行とみんなが集まるお正月のために生きているのではないか、というくらいそれを楽しみにしている叔父は、来年はここだ、あそこだ、正月はあれ食べよう、これ食べようと計画を練ることを元気の源としている。商売はのらりくらり、客が来ないと困るけど、あんまり来るのも困るんだ、と言うくらいで、もう自然と退職へ流れていくように出来上がっているのかもしれない。本人もやや肥満のように見えても検診の度に、
「おかしいなぁ。悪いところがどこもないんだよ。」
と医者が首を捻るほどタフだが、もし生きていたら妹と同い年だった彼の娘の分も妹が健康であることが、何よりも心強いことでしょう。
2007年11月07日(水) |
Nice Flight |
シンガポールを経由するせいか、チェックイン時に、荷物は自分でパッキングしたか、誰かから頼まれて運ぶものはあるかなど質問され、よからぬ事態を想像して一瞬身震いしたものの、鬱になりそうな厳しい検疫と入管のある行きに比べれば帰りは宵々。1ヶ月前に検疫を通る時など、前に並んでいた白人のお姉さんが、入国カードに"木製品を持っていない"と申告したのに、バッグから5個もタンバリンがでてきて、それを全部没収された上、虚偽申告として罰金まで払わされて大泣きしているのを見て、沈鬱してそのまま日本に引き返したくなったのだから。
機内に乗り込んだら、もうワインを飲んでテレビや映画に夢中。シンプソンズ・ムービー(面白いけど、テレビのとそんなに変わらないかな)やアダム・サンドラーの最新コメディを見てゲラゲラ笑っているうちに眠っていて、衝撃で目が覚め、クラッシュしたのか!?と窓の外を見たらもう成田だった、というくらい良いフライトでした。
大学生が大麻栽培したとかが、大きなスキャンダルとして一日中ニュースに挙がっているのを見て帰国したことを実感。所変われば、善悪の基準も大きく違うのだね。
今日も快晴。着々と夏が近づいている。昨夏はマーヴと彼の友人達と毎週末ビーチへ繰り出した。泳いでビーチバレーをして、木陰で昼寝して、はらぺこの帰り道、デイヴィスの友人が経営するイタリア人ばかりがまくしたてるように働いているピッツェリアへ寄って、がつがつおなかを満たすのが日課だった。ホリデーをとったと忙しく色んな人がパースに帰ってくるのを出迎えて、ドンチャン騒ぎをしては見送って、ひたすら賑やかで、陽射しが肌に焼きつくのと一緒に、気持ちまでそこに焼き付いてしまうような熱い夏だった。やってくる夏に心が浮ついたままここを去るのは少し切ないけれど、記憶は大切にしまっておいて、数年ぶりに日本の冬を過すというのもきっと悪くないでしょう。
お昼過ぎ、約束した時間より1時間も早く、デイヴィスが迎えにきた。彼にとって約束はただの挨拶に過ぎないようだから、来なければタクシーを呼ぼうと思っていたのにやってきた。ちょうど電話してきたマーヴにそれを伝えると
「おぉ!来たか!」
と感嘆。本来なら約束したらやってくるのが当たり前なところ、それがデイヴィスとなるとハプニングとなって英雄に祀り上げられてしまうのだから、世の中理不尽だと思わないでもないが。しかし、空港までの道のり、話し相手がいてよかった。感傷に浸る間もなく、飛行機はずんずんとパースから遠ざかっていったのでした。
2007年11月05日(月) |
プラス・マイナス・ゼロ |
夜に気まぐれに電話してきたハリソンとお茶を飲もうとバースウッドへ行った。悪どいほどの美貌を持ったわたしの友人にうまく使われて捨てられたというのに、また別の子に入れ込んで貢いでいるらしい。とてもソフトで人当たりがいいので彼自身を悪く言う人はいないけれど、それに関して、懲りない、とか、学ばない、とか呆れる人のほうが多い。みんな彼が損をしているというけれど、そうするのが好きで、そうあることで快く暮らせているのだから、それは違う。むしろ、「男は使うもの」という発想が形成されてしまうような人生を歩んできた友人のほうが、よほどあらゆることで打ちのめされてきたのではないかと思う。
そろそろ帰ろう、とカジノを抜ける時、彼がルーレットの前で立ち止まり、いくつがくると思うかと聞く。適当に数字を答えたら見事的中。バーチャルで賭けているときほど当たるもの。彼は数日前に結構な額を当てている。まだ換金してないチップを賭け始めた。女の子にお金を落とす時と同様、気前よく大胆な賭け方をする。結局2000ドル失ったものの、ぴったり2000ドル取り戻して終わりにした。彼はこういう運が強い。お金をはじめ人生というのは何事も発すれば発しただけ、巡り巡って戻ってくるものなのでしょう。
2007年11月04日(日) |
See you so soon |
美しく晴れ渡った朝、マーヴ兄とプリズンへ行って、マーヴにきっと今年最後になるハグ&キスをしてきた。状況が前より断然良くなっているせいか、もう悲しいこともなかった。兄弟ふたりして、絶対帰ってきてね、と何度もお願いしてくるのが可笑しかった。
夕方にロング・ウォークへ。サウス・パースまで下っていくと日中開催されたエア・ショウも終わって、居場所を侵された鳥達も序所に平和を取り戻していた。
バスでシティから遠く離れたプリズンへ行くことにした。マーヴはバスなんかで来ないほうがいいよ、と心配そうに言っていたけれど、第一に彼に会いたかったし、見たことのない所へバスを乗り継いで行ってみるのもいいかと軽く見ていた。
ハイウェイを突っ走るバスはがらがらだったけれど、数人の乗客はこちらで"Trash"と表現されるような風貌の人ばかりだった。30分走ってその町に到着。そこからはパブリックバスはないからプリズンバスに乗る。乗り継ぎまでの時間にランチを摂った。太った人やちょっと悪そうな人が多い。典型的な田舎町だ。ショッピングセンターのトイレに入るのもこわかった。しかし、もっとショックを受けたのはプリズンバスだった。もちろん行き先など表示されていない。聞いておいた特長と同じのを見つけて腕一面にタトゥの入ったドライバーに尋ねたらやはりそれだった。乗客はアボリジニの女の人ばかりで、みんな顔見知りらしい。近所の主婦とランチにでも出かけるように楽しそうにわいわい騒いでいる。白人のワルは本物、アボリジニのワルは軽犯罪の常連とマーヴが言っていたように、彼女達にとっては旦那がプリズンにいるのが日常なのかもしれなかった。本当に遠くへきてしまったと心細くなった。
毎日わたしに会えなくなってちょっと落胆気味のマーヴを励ますつもりだったのに、ぽろぽろと泣いてしまった。彼はいつもわたしが泣くと、慰めもせず、隣でただ一緒に悲しんで目を潤ませるのだった。なんて頼りない人!と最初はそう思ったけれど、長い長い睫毛を伏せて悲しむ純真無垢な顔を見ると、自分がとんでもない悪いことをしたのではないかという気になって、ぴたりと涙が止まってしまうのだった。
「あなたは悪いことなどしていないと信じている。けれどこの問題を招いたのはあなた自身であることにはかわりないのだから、自分を見つめなおさないとだめよ。」
と言って気付いた。そしてそういう人と一緒にいる状況を招いたのもわたし自身なのだ。さようならとさっさと去ったところでもっと素晴らしい人生が待っていただろうかと考えたらやはりこれが正しかったと思う。受け入れるしかないのだ。そう考えたら楽になった。小学校の遠足の帰りのような気分でぐっすり眠りながらシティへ戻るバスに揺られた。
夜に女友人と食事する約束があった。夕方に電話をかけてきたマーヴはどの服着ていくの?と尋ねる。かつてわたしが出かける時に洋服を選ぶのが好きだった。自分と出かける時は一番洗練されたのを、女友達と出かける時は一番垢抜けないのを選んでくる。彼が似合うと言ってくれなかった白のニットを挙げると
"That really suits you."
と言う。ということは、やっぱりそういうことか、と違う服を着ていくことにした。
食事をしてからサウスパースのカフェへ移動。おなかは満たされているが目がデザートを欲しがっている。酒をやめてから甘いものに目がなくなった友人がさっさとオーダーするのを見て咄嗟に真似てクリームブリュレをオーダーしてしまった。品の良い甘さで美味しかったけれど、平らげるとやはりげんなりする。そこまで食べることの格好悪さにもがっかりする。トイレの鏡に映ったこの1ヶ月ですっかり肥えた自分の姿を見て、
「迷えば食うな、食うなら迷え」
という標語ができた。この高級なカフェでは、クリームブリュレひとつ17ドル(1900円)取る。最後にげんなりしてお金を取られるのだからお得じゃない気分。今度は飢えてから食べに来ようっと。
緑豆のぜんざいを作った。茹でた剥き緑豆を白玉粉で包んだお団子をしょうが汁と砂糖のシロップに浮かべてすりゴマをかける。寝しなに緑豆だけのぜんざいを食べて夜中に何度もトイレに起きて眠れなくなったことがあって、それ以来、真夏以外に極端に体を冷やす緑豆を食べる時は絶対しょうが入り。中和が大事なのですね。