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歯医者の待ち時間にふと目に入った女性週刊誌の見出し「zard言えなかった子宮頸がんの恐怖」。普段は、下世話なネタばかりで頭の中が極度にマイルドになってしまいそうだと敬遠してしているこの手の雑誌でも、自身が異変を持ってからは"子宮"という文字を見ると反応してしまう。記事を読んでものすごく気に障るひとことにひくりとした。「男性経験が多いことが原因とされるこの病気、そりゃ言えないよな」と言ったようなことが書いてある。男性経験が多いことはその一因となりうるだけで子宮頸がん=男性経験が多いとは限らない。第一男性経験が多いことから性癖や人格を確定することなどできない。「"勘違いするアホな男が多いから"、そりゃ言えないよな」と訂正してあげたい。嘲笑しながらこの記事を書く救いようのない程下品な男の姿を思い浮かべて、想像通りであって欲しい、決して自分もなり得る可能性のある女性が書いたものではないようにと思った。
わたしと同い年の知人は昨年子宮を摘出して、それでも付き合いたいのだと言うBFを振った。元同僚は不妊主婦同盟なんてものを作って月に一度楽しくご飯を食べつつ治療などの情報を交換している。わたしはまだそういう問題に直面してはいない。けれど、先日家に遊びにきた両親の知人に子供はまだかと言われた時、切実に願ってもそれが叶わない女の人達を思って、子供を生んだ女の横柄さと人としての無神経さに苛立った。
昨夜、銀座でベジ友のさなちんさんと夕飯を食べた。家では粗食、"食事と一杯"もやめたから、チーズなんかが入ったイタリア料理も久々だけれど、ワインなんて3ヶ月ぶり。体に謙虚な食生活を心がけているけれど、未来の健康の為に今を摂生一筋で過ごす気はない。子宮の異変は心境の変化ももたらした。朝目が覚めるとそれだけで素晴らしくて、寝る前は今日があったことに感謝する。明日のことをほどほどに考えてめいいっぱいの今日を過ごす。楽しくて嬉しくて悲しくて切なくて痛いのも生きているから感じられるのだと尊く思う。
運がいいのか悪いのか、家でぼんやりしていると働け!働け!と尻を叩かれているかのように仕事の話が舞い込んでくる。世間がわたしの労力を必要としてくれるなら、と体のサイズは変わっていないのに、気持ちが緩みきっているのか妙にきつく感じるスーツに無理やり身を突っ込んで久々に電車に乗った。中吊り広告の”グリーン車アテンダント募集”に妙に魅かれつつ降りたことのない町まで行った。
その帰り、今日31歳になった自分にニ億円をプレゼントしようとサマージャンボ宝くじを買った。家に戻るとケーキはいらないと言ったからか父がお菓子を沢山買ってきてくれたのでコーヒーを入れ、我がままいっぱい脂肪たっぷりの子供のような甘い甘い誕生日を過ごした。
先日見つけて読み返しているのは森まゆみの「その日暮らし」。人々のパワーが何に向かって動いているのかよく解らないこの地でもう一度自分の在り方を確認しました。
「その日暮らし」とは、ハンド・トゥ・マウスの意味ではない・・・むしろ、未来のために現在を犠牲にしない生活をさす。始終何物かに策うたれ驅られて生きるのは嫌だ。ローンのために働いたり、備蓄のために物を買い占めたり、いい学校へと子供の尻を叩くのは嫌だ。その日食べるだけのものを買い、友だちから借りもして簡潔に暮らしたい。長くて百年のはかないいのちだからこそ。
本当は今朝パースに戻るはずだったのに、色々あってエアチケットもポイッと棄てることになった。安いものではないだけにちょっと悔しい気がしていたものの、どのみちこの台風じゃ空港まで行くのも大変だったに違いない。マーヴの言うように「天の思し召し」だと思うことにしよう。
こんな日は読書に尽きると、たった1ヶ月半一緒に働いた同僚がお別れの時にくれた緑茶を入れた。働いているとはいえ、わずかに自由になる貴重なお小遣いでそれを買ってきてくれたことがちょっと申し訳なくてその気持ちがすごく嬉しかった。姑のビジネスに巻き込まれた挙句に借金を背負ってしまった彼女は働かなければならない。体調管理の為に1時間半以上の残業はきっぱり断っていたわたしのようにはいかず、夜の11時くらいに家に着くような生活を何年も続けているようだ。癌に侵されているにも関わらず、その生活から抜け出すことができない。抜け出せないから余計癌に侵食されてしまうのかもしれない。そして手術・入院という財布にも体にも痛いことになる。悪循環の渦に絡めとられてしまったような生活だけれど、人生ってそんなもの。不幸は不幸につけこんでやってくるみたい。その悪循環から抜け出す余力がないと侵食され続ける。彼女は明るくて、大学を卒業しようと懸命に勉強しているからそれは大きな希望。そしてわたしにもとても親切にしてくれた。きっと彼女は大丈夫、いつか適度に緩やかな生活と健康を取り戻せるとこの緑茶を飲むたびに力強くそう思う。
2007年07月11日(水) |
散歩の途中で思うこと |
歯の治療が終わって体調はみるみる回復してきたけれど、一日一時間のウォーキングかサイクリングは気持ちがいいので続けている。どこにでも散歩のための公園やパスが簡単に見つかるオーストラリアとは違って、実家の周辺では変質者を恐れながら川沿いを行くか、住宅地の中をくねくね行く以外にない。近頃は日本の濃い木々の色や湿気の多い気候と調和しない洋風趣味(しかもとても中途半端な)の家々から成る街並みがつくづくあぁ、なんてもったいないのだろうと思う。薄っぺらい洋風趣味の家はアメリカやオーストラリアのような歴史の薄い国でしかしっくりこない。
散歩の途中ではふとどうでもいい小さなことを思ったりする。シェア・ハウスを出る時にベトナムで買ったスカーフをジンバブエから来た黒人の女の子にあげたこと(あのスカーフ随分旅してるな)とか、雑誌で読んだ1996年の旧ユーゴスラビアで戦火を逃れて自分を置き去りにした家族の元に500km走って戻った犬のこと(犬って本当に忠実で健気)とか。
マーヴが拘置所に送られた時、別の用事で関わっていた弁護士にちらりとそのことを話した。冷徹な法律サイドからだけの意見の中に、恋人に盲目になってしまった可哀想な女と思っているようなところが見え隠れしていた。わたしは違う、そう言いたかったけれど、そう叫んでみたところで世間の目には「うちの息子に限って」というお母さんなどとなんら変わりないのだろう。
信頼していた友人は、これから犯罪歴を背負っていくことになってしまうかもしれない人と一緒にいようという決意を心配して、彼のことは忘れて別の道を見つけてもいいのではないかと言った。わたしにとってはマーヴを忘れなければならないことのほうが辛いのに。彼女なりの思いやりが伝わるだけに余計誰も解ってはくれないと孤独になった。
フジコ・ヘミングは「人の言ってることなんかわかったものじゃない。自分の肉眼でちゃんとみなきゃ。」と言ってくれた。彼女は苦難を乗り越えたからこそ人の痛みが解るんだ、きっと。自分の感情の置き所に迷ったときはそっと彼女の本を開いてもう一度確認する。
夕飯の支度をしていると同級生のお母さんがひょっこりとやってきた。わたしが小学生くらいの時に20歳くらいで年老いたお父さんの再婚相手としてやってきたからきっとまだ40歳くらい。万年少女のようなつるりとした顔でいつもにこにこ笑っているけれど実はけっこうな苦労人。20歳そこそこで介護が必要な義理の両親の世話をして、彼らが逝ってしまってひと息ついたところで今度は旦那が事故にあって半身不随。うちの母はたまに「あの人は介護のためにお嫁にきたようなものねぇ。」と溜息交じりに呟く。それでも愚痴を聞いたことはないし、辛そうな顔も見たことがない。「うちね、今度バリアフリーにリフォームするのよ。」と母に楽しそうに話して帰っていった。嘆きたくなるような人生も、どうにもならない運命も、その中で自分なりの楽しみを見つけていける人は頼もしい。彼女のような運命に見舞われた人が愚痴を言い始めたらどこまでも崩れていってしまいそうな気がして、ずっと変わらずつるりとしていて欲しいと思った。
体のあちこちが痛くてリハビリに通い始めた。ここまでなってしまったのは、恐らく左奥の治療中の歯に一時的に詰められたセメントが高く盛り上がっていてちゃんと噛み合わないせい。右側でばかりで物を噛んでいくうちに、まっすぐ歩けていないような気がしてきて、左腿が痛くなり、腰が痛くなり、、、とあらゆるところが左右ちぐはぐになって体のバランス感覚を失った感じ。家でも地味なエクササイズをしているものの全く良くなる気配なし。
しかしマーヴとの会話。
私「腰がこんなに痛いのはわたし太りすぎてるせいかしら?」
マ「そうだ!絶対それが原因だ!」
私「そうなの!?(激しい聞き正す)」
マ「、、、はっっっ(我にかえる)、、、ちっ、ちっ、違うかも、、、maybe not...ブツブツ、、」
と、あらゆることが丸くおさまってしまうから、こっちのバランスはいいのかも。