My life as a cat DiaryINDEX|past|will
先週にやっとマーヴと電話で話せるようになってからは、初めて恋人を持った高校生のように電話を握りどおしで過ごした。毎日一緒にいられた頃のように、"What else?"ともう話題が思いつかなくなるまで一日のことを話し尽くしてからぐっすり眠れる夜をやっと取り戻した。昨日には最高裁へのアピールも受理されてもう一度チャンスがうまれた。
子宮の病気が疑わしく精密検査を受けた結果、とりあえず今は大丈夫だけど、将来怪しいでしょうということだった。症状が出たときにはもうかなりまずい状態ということが多い病気らしいから、とりあえずは怪しげということを偶然、早期発見できたことは非常にラッキー。手術を受けるか、もう少し様子を見てみるかは自分で考えてくださいと言われた。と言われてもね、とセカンド・オピニオンを聞くべく、別の医者を訪ねてみようと思っている。
忙しい通勤途中、急に温かいものが飲みたくなって職場の隣のビルのカフェに駆け込んだ。何にしようかとざっとメニューを眺めていると、"Hello,how can I help you?"という声がして、咄嗟に"Can I have a,,,,,,"と答えて、あれ?と顔をあげると、インド系の顔をした(でもアメリカ人)店員が立っていた。普通に英語で話しかけてくるのかぁ。このビルは外資企業の自社ビルのようで歩いてる人の半分が外国人なものの、日本で普通に英語で通す外国人店員というのもあまり見たことがなかった。彼はさっさと作ってくれたカフェ・モカを手渡し、"Thank you. Have a nice day."と言いながらわたしの目を見てにっこり笑った。その瞬間なぜだかスカッと心が浄化されたような気持になった。わたしはこれが好きなんだ。東京中のカフェやコンビニの店員が、きっちりマニュアル通りの言葉で挨拶し、お辞儀をして丁寧に両手で手渡してくれるのはもちろん悪い気がしない。しかし、礼儀正しくても彼らは絶対客の目を見たりすることはない。それならロボットでも変わらない。どこか血の通わないようなサービスを真剣に成し遂げているのもほんの少し息苦しい。挨拶にマニュアルがあるのは世界中どこを探しても日本だけではないか。どこまで”統一”好きなのかと呆れつつも、統一しないと収集つかないほど病的にはみだしてしまう人が多いことは確かだ、と納得する。健全ならば"Thank you"の一言と目を見てスマイルするだけ。それで十分です。
ちょっとした体の不具合が見つかって、検査の為に病院通いをするようになった。虚弱だった子供の頃に行き過ぎてしまった反動なのか、大人になってから「病院」という存在自体が逃げたくなるように怖い。母ももう子供の頃にように一緒に付き添ってくれることもない。ひとりで心細く病院へ行って、家に戻るとマーヴから手紙が届いていた。
Michelina
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