My life as a cat
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2007年05月30日(水) あぁ、変わってない

元同僚と1年半ぶりの再会はお互い「うわっ!変わってない!」の一言で始まった。銀座一丁目のいつもの居酒屋で大好物の湯葉とアボカドの刺身をつまんで久々に日本酒を飲んだ。わたしがオーストラリアでひたすら休息をしていた時、彼女はイタリアでひたすら勉学に励んでいた。会わなかった一年半、わたしは不安定な暮らしの中でひたすら恋愛を、彼女は優等生として期待をかけられながらひたすら仕事をしてきた。全く違った環境に身を置いても焦燥感や落胆、小さな喜びに翻弄されて日々を過ごしてきたのは同じだ。わたしも、彼女もきっと渦中にいた時は必死でもがいたり泣いたりしたのに、後から酒を飲んで笑って話せる友達がいるのが頼もしかった。

軽く一杯で終わりにして、カフェに入った。わたしは温かいカフェ・オレを、彼女は紅茶とケーキを。これもずっと同じ。あぁ、何もかもが一緒に働いていた頃みたい。帰国してから灰色のビルとビルの隙間で狭くて頼りない色の空にひたすら憂鬱になっていたけれど、今夜ばかりは景色がぱっと明るいものに見えた。


2007年05月27日(日) スリランカ・フェスティバル

パース仲間と代々木公園で開催されたスリランカ・フェスティバルへ。期待と裏腹にものすごい混雑で食べ物を買うにも長蛇の列。一見しただけで疲れたので、あっさり諦めて、前のほうで何が売っているのか見えないまま一番短い列に並んでいまいちな野菜カレーとマンゴー・ラッシーをゲットした。出口付近でショッキング・ピンクのサリーを試着して似合うわ〜と感嘆され、(そういえばベトナム人とか言われたこともあるけど北インド人ぽいと言われたこともあったっけな。。。ようするにコンチネンタルな顔なのね、きっと。。。)その気になってお買い上げ。

さっさと雑踏から抜けて、ミルクティが名物のカフェへ。長い間、悩んで、泣いて、迷って、待った末、やっと来年の春若過ぎたBFと一緒にいられる道を見つけてスイスに渡ることになって幸せいっぱいのアイちゃんから急に飛び出した10代の頃に煩った病気の話。「5年入院した挙句、車椅子に乗せられてもう歩けなくなるって言われたから一度は死のうの思った。けど、わかるでしょ?負けず嫌いだからさっ、人の目盗んで勝手にリハビリしたの。」とあっけらかんと話す。今はそんな過去が信じられないくらい普通に暮らしている。奇跡のように何もかもが治ってしまったのだという。20代の頃に決めた結婚を相手が外国人だというのを理由に親の猛反対にあって破綻させて以来しっくりくる人とめぐりあえず、30代後半になったユウカちゃんは一発奮起、お見合いパーティに行くことにしたのだという。

みんなみんな、思い通りにならない現状の中でどんなにか細いものでも希望に繋がる道を模索して歩いている。三人でどうにもならないことは笑い飛ばして元気をもらって帰った。


2007年05月23日(水) お坊ちゃま

マーヴの様子を聞き出そうとデイヴィスに電話した。絶望的といった雰囲気だった二か月半前が遠い遠い昔のように元気になってそこに順応している様子が伝わってくる。しかし刑務所の食事は不健康でフィッシンチップスやBBQといった典型的OZミールなのだそうで、こんな物を食べられないマーヴにデイヴィスはお小遣いをあげたのだそうだ。するとチョコレートを大量に買って食べすぎてしまいお腹を壊してしまったとか。はぁ、しかしそんな話を聞いているとほっとする。刑務所なんて聞いた時はマーヴのようなお坊ちゃま育ちで、酒も飲まない、煙草も吸わない、家族とわたしだけが世界の全てで、シンプソンズとチョコレートだけを楽しみに生きてるような男の子がそんなところでアボリジニ達に囲まれておかしくなってしまわないのだろうかと本当に心配したけれど、逆にお坊ちゃま育ちだからどうにもならない現状を受け入れて順応していく術にも長けていたのかもしれない。幸せそうにチョコレート齧る顔が浮かんできた。


2007年05月20日(日) 奇形犬

シーズー犬のコロちゃんは決して老犬ではないのに目も見えないし耳も聞こえない。だから植物のように静かに暮らしている。家族みんなで沢山触って存在を忘れていないのだと表現してあげることしかできない。大雨の日に道端で蹲っているいたところを父親が保護してうちに来た。人間の手によって不自然にかけ合わされた結果、奇形で弱い体に生まれてくる罪のない命が悲しい。「動物好き」ならばペットショップで愛らしい見た目の血統書のついた動物を買う前にもう一度考えて欲しい。

天気がいいので自転車に乗って近所の酒屋へ行き、前から気になっていた黒米甘酒を買ってきた。冷蔵庫で冷やしてお猪口に一杯くいっといく。甘さ控えめでうまい!これは当分のわたしのおやつ。


2007年05月18日(金) 新しい環境

仕事をはじめて一週間の終わり。職場は忙しくばたばたとしているものの、殺伐とした空気もなくみんな上機嫌で馬力をかけて働いている。そして顧客情報に触れる為、厳重なセキュリティがついて隔離された事務所できっちりとルールを守らされているものの、不要な厳しいことを言う上司もなく、なかなか環境が良い。

赤坂見附という縁が薄かった場所も歩いてみると面白い。永田町で下車して、レバノン大使館、日比谷高校を左手に、細い坂道を下りていく。近代的なビルに入った職場の窓からは日枝神社が見える。昼休みの銀行もレストランも郵便局も混み合うことはない。

帰宅するとよく働いたご褒美のようにマーヴから手紙が届いていた。相変わらずでいてくれることに安心する。日本の刑務所は陰気くさくて不要なルールに雁字搦めで、自由を奪うことで罪人を罰すということに重点を置いているような印象を受けるのに対し(説明は規則正しい生活をさせて更生をというけれど、仕事中に汗を拭うにも許可を取らなければならないような決まり事にどんな意味があるのか)、オーストラリアのはもっと「更生」や「復帰」に力を入れているようだ。マーヴが思ったほど悪いところではなかったようで、もうそんなに落胆していない、と本人が言うのが救いだ。


2007年05月12日(土) 自然のちから

寿司屋を営む叔父から緊急に頼まれてのお手伝い。「運ぶだけ」と言われた通りそれだけの仕事。朝から一日中会席弁当を抱えて左右上下、指図されるがままにひたすら運んだ。この仕事健康的。特別重いものを運ぶわけではないから体が万遍なく疲れる。そして精神的に脅かされるようなこともない。叔父と叔母は体力なしと思っていたのにわたしが案外いい動きをすると笑っていた。

慣れない仕事に体はぐったりするも、達成感に包まれて帰宅し、ポストにマーヴからの手紙を見つけた。わたしから手紙がくるのとお兄ちゃんが会いにくることだけを楽しみに退屈極まりない拘置所生活をやり過ごしているようだ。一度目の手紙より大分元気になって日本に行くんだ!などと書かれていた。わたし達は強い治癒力を授かっていてよかった。


2007年05月08日(火) 動きだそう

しばらく図書館に通って裁判の記録などを読み漁っていた。無実を晴らせずに死刑になった囚人。そしてその囚人と同じくらいの苦しみを背負って生きることを強いられたイノセントな家族。すぐ隣にあったのに今まで目もくれずに通り過ぎてきた不条理と苦痛に満ちた世界に愕然と暗い気持ちに包まれる。日本はもっともっと公平で良心的に裁判が行われているのだと思っていた。

今のわたしに一番不要なものは”考える余裕”だと、職を探して面接にでかけた。某電話会社は繁忙期らしく「大丈夫?忙しいよ〜」と言われ、意気込んで「忙しいのが好きです!」と答えたら即決で仕事をくれた。無我夢中で働こう。じっとして余計なことを考えていたのでは病気になってしまいそうだ。

家に着くとマーヴから手紙が来ていた。初めての手紙。あんなシャイ・ガイが女の子に手紙なんて書けるのだろうかと思っていたのにちゃんと一枚びっしり書いてある。左利きで紙を右下がりに傾けて不器用そうにでも懸命に汚い字を書く彼の姿を思い出した。この先何人こんな風に同じ気持ちを持って付き合える人が現れるかわからないから大切にしよう。苦しいけれど時間がそっと解決してくれるはずだから。


Michelina |MAIL