My life as a cat DiaryINDEX|past|will
一年間のワーキング・ホリデーを終えて、リサがイタリアに帰った。ヨーロッパがひとつになって以来、聞きなれない国からのワーホリが増えたと言えどもやはり日本人などと比べればまだまだ小数。「親元や幼い頃からの友人と離れたことがなかったから一度本当に一人で試してみたい。」と言って来たものの淋しがりやの彼女には慣れた文化と慣れた人々のない暮らしが随分と堪えたことがあったようだった。新しい事々へ猛進する日々の中でも、たまには同郷の人々と同じ言葉で分かち合ってほっとしたい時があっただろうにそんな人々ともあまり縁がなかったようだ。わたし達は家が近かったから知り合ってすぐにお互いの家を行き来したり、カフェやパブにふらりと繰り出すようになった。一緒に歩いていてふと気付くとどこかの店のガラスにへばりついて”He is so gorgeous!” などと目をハートにしてうっとりしている。またかと呆れつつ中を覗くと感想を述べるのにも困るようななんの変哲もない素朴な雰囲気の青年がいる。理数系の職に就いているような頭脳派の男が好みなわたしに対して、彼女が好きになるのはいつも腕に蛍光テープが光っているような体力派の男達だった。彼女のように勉強も仕事もよくデキる女は、男に愛情以外の期待はかけないようだ。それにしてもそんなタイプの男達は何もかもにのらりくらりなことが多くて、いつも甘いことを囁かれ続けて突然消えただのと泣きつかれる度に、どっしりと重い歴史を抱えて過去に執着する国から来た人と、何もかもが薄っぺらのような歴史もなければ未来への期待もない、「今」だけを頼りに生きているような国の人の心境のすれ違いを思って溜息をつくばかりだった。しかし、どんなに淋しい夜を過ごしても、強気な彼女は逞しくきっかり一年をここで過ごして、任期を終えたようにすっきり顔で帰国していった。
朝に目を覚ますと外は快晴。気温も動くのが嫌にならない程度に暑い。こんな日はみんな考えることは一緒。ビーチしかない、と友人達に便乗してコテスロー・ビーチへ。馴染みの場所でも、駅から坂道を登りつめて眼前に地平線がわっと広がる瞬間ははっとして胸が高鳴って速足になってしまう。
何の前触れもなく日本から届いた封筒を開けると一冊の和書が入っていた。亡き須賀敦子の軌跡を追った旅の写真と解説の本。和書も尽きて洋書に没頭するあまり「自分の中の日本」はどこか遠くへ行ってしまっていたところで、パッと目が覚めたような気分。須賀敦子さんは言葉を大切に大切に使っているところが好き。そしてそんなことまで伝わるのは和書でしかない。英語の真意が解かるまでにはまだまだ時間が必要。いや、もしかしたら一生できないのかもとも思う。そんな二つの言語の間で揺れ動く気持ちに共感させられながらも少しだけ違った風を送り込んでくれるのも彼女のエッセイの魅力だ。
The West Australian新聞より
「ビガ」とはパン作りにとりかかる24時間前からイーストと粉と水を混ぜた種を混ぜたものをゆっくりと発酵させておいたものらしく、それを使うだけで風味豊かな美味しいパンが焼けるらしい。発酵させている時から部屋にほんのり甘いアルコールのようなイーストの匂いが漂って待ち遠しい。本種とミックスしたらまたゆっくりと発酵させ、オーブンへ。釜焼きのような香ばしい匂いが漂ってきて一時間後、素朴な素朴なブラック・オリーブ・パンの出来上がり。外側はナイフがなかなか入らないほどクランチー、単純なのに噛めば噛むほど味がでてくる。オリーブ・オイルとバルサミク・ビネガーをつけて食卓へ。これは存在感の大きい脇役。
Michelina
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