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他人と変わらない小さな悩みや小さな幸せに一喜一憂しているような平凡な人生。そしてこれからもそれは続いていくのかもしれないし、行く手は波乱に満ちているのかもしれないし、それは知る由もない。それでも今のわたしには自分の心が正しいと確信した道を真っ直ぐ歩こうという決意だけがある。どんなに辛い余生を送ろうとも、後悔はしませんように。死ぬ間際に半生を振り返る機会が持てたら、あぁ、わたしはしっかり歩いてきたのだとだけ思えますように。
2006年06月26日(月) |
Finding NEMO |
わたしが「アホのマックス」と呼んでいる、このシェア・ハウスでいちばんの悪友であるスリランカ人が、いつものように大量のDVDを抱えてきた。
この人、「音楽は黒、女は白、黄色?サック!」などと言い放って、よくいるタイプの解かり易い人なのかと思いきやとんだひねくれもので、しょうもない暴言ばかり吐き出すくせに、その節々に裕福な家庭でしっかり教育されてしまったのがしっかりでてしまっているようなちょっと面白い人間。そして「ねぇ、いいブッチャー知らない?」とか「ベジタリアンみたいに暮らしてたら人類はみんな猿になっちゃう」などといってわたしがベジタリアンであることをからかうのが大好き。先日、人からもらったフィッシンチップスを食べていると、「あぁ、魚が可哀そう」とにたにた笑いながら、ビーフをほうばっていたのだが、今日、ディズニーじゃんっ、とバカにするわたしに"Finding NEMO"を見せて”You see?魚も可哀そうだろ?”と諭され、目に涙をいっぱい貯めながらこくりと頷いてしまった。人間にとっては捕まえることも殺すことも簡単なものでも、彼らにとっては生死をかけた戦いなのだ。涙を拭ってひとり余韻に浸っているとキッチンからじゅわぁっという音が聞こえて、肉の焼ける匂いがしてきた。やっぱりアホだ。
miiaさんのを見てうなずいたり微笑したりしていたらバトンを渡されたので回答を。
1.白or黒
白。暗い色ばかりを見に纏っていると恋愛運を逃します(独断と偏見より)。
2.夏or冬
夏かな。これ、オーストラリアかカナダかっていう選択に似てるな。
3.甘党or辛党
辛党。糖分は葡萄から補うのでもういいんです。
4.きれいorかわいい
きれい。うんうん、遺伝子に組み込まれてなかったものへの憧れですわ。
5.ズボンorスカート
スカート。みんな履いてるピッタリしたズボンは体に悪そうだし、見られてないと脚の形悪くなっちゃうしね。
6.ベッドor敷布団
ベッド。わたしの場合、布団にしたら一生だらしなく敷いたままにしてしまうでしょう。。。。
7.チョコorバニラ
バニラ。
8.走るor泳ぐ
絶対泳ぐ。体全体に満遍なく行き渡る疲労感でぐっすり眠れるのがいい。
9.数学or国語
国語。数字はみたくないなぁ。
10.朝or夜
選べない、、、。両方好き。
11.犬or猫
絶対猫。犬はしつこいからなぁ。
12.夢or現実
無限の夢。
13.はしorフォーク
おはし。
14.楽器or歌唱
歌唱。でも密かに楽器も習ってみたい。
15.ふわふわorさらさら
ふわふわ。
16.次、回す五人
これを見ている人で5人も日記やBLOGしてる人いなそうだなぁ。
マンダリン(Mandurin)というスワン・バレーより更に奥のまだメジャーでも何でもない(アレックスはここの土地は跳ね上がると踏んでいるのだけれど。何故なら丘なのでシティが一望できるのです!)ところへドライブ。乾いたWAではなかなか見ない水分をたっぷり含んだような濃い緑色の葉をつけた木々から成る森は日本を思い出させる。カルグーリーまでひかれたウォーター・パイプに沿っていくとダムがある。人口増加に対して水の供給はこれからどうしていくのでしょうね。
夜に「日本のシンドラー」と呼ばれた今は亡き杉原千畝についてのテレビ番組がやっていた。1940年、ナチス占領下のポーランドから逃亡を嘆願してリトアニアの日本総領事館に押し掛けたユダヤ人に、本国政府からの命令に背いて、独断で6000人にトランジット・ビザを発給し、彼らの命を救った外交官。終戦を迎え本国に戻ったところを辞職に追い込まれ、その後は愛する家族を支える為だけにどんな仕事でもやったという。当時ロシアで彼に食事に招かれた人は「マーケットでポテトとソーセージを買って、ひとつしかない小さなガス台でそれを煮てくれました。そんな食事が彼にとってはスペシャルなものなのだと驚きました。」と語っていた。嵐が過ぎ去って余生を踏みしめるように夫人と海岸をゆっくり歩く老いぼれた姿にも、自らのエリート人生を棒に振ってでも心の声に服従した揺ぎ無い確信が刻まれているようだった。
冷え込みがきつくなってからはナエちゃんと飲む「金曜の夜のワイン」はもっぱら赤になった。好みだけで飲み漁って早4年。さすがにわたし達ももうちょっと語れるように知識をつけましょうと、二人して猿真似のようにグラスを振ってみたり、匂いを嗅いでみたり、飲み込む前に口内に留めてみたりして、酔う前に味について語り合う時間を持つようになった。気に入ったものは名前の入ったコルクをキープしておく。
今日は夕方の買い物ついでにボトル・ショップで今夜のワインを物色して、一本を選んでレジに向かおうとすると、突然背後から"Excuse me"と遠慮がちな男の声がして、振り返ると中国人が立っていた。「あの、もしよかったらこのワインにしてみませんか?あなたが手にしてるのと値段も葡萄の種類も一緒で、すごくビューティフルなんです。」これが地味めの雰囲気の白人男だったらすぐにあら、そうと信用してそちらに持ち替えたかもしれないけれど、まさか中国人の男に"ビューティフルなワイン"などを語られても胡散臭いという気がした。が、彼はさっとどんな味がするのかなどと流すように言ってから、自分はシンガポール人でビジネスでこことシンガポールと東京を行き来しているなどと話し出した。結局のところは、今度あなたと食事したいというところだったのだけれど、中国人にしては周囲と格差をつけてエレガントな雰囲気だったし、まぁ5ドルのディスカウント付でたったの10ドル、騙されてもいいかとカベルネ・ソーヴィニョン2003のそのワインを購入した。
その男はまぁシンガポールにGFがいて、ビジネス・トリップの間に遊ぶ女の子も欲しいといったところでしょう、でも仕事柄ワインに詳しいのは本当かも、などと彼の話題をつまみに一口含んでみる。一瞬さっぱりとした喉越しでスルリと飲めてしまうように感じるけれど、口内に留めると深い味が広がって鼻腔にもぐっとくる。これはいいと二人して上機嫌。顔を熱らせ楽しい会話に花を咲かせた。
でもでも、なんだかんだと薀蓄を垂れても、結局のところワインが美味しいのはこの気候とのびのびとした街の雰囲気と愉快な仲間と楽しい会話のおかげでしょう。
こちらで月一で刊行される日本語の新聞をベッドに横になって広げてみる。
「自殺者 8年連続で三万人超」
ある教授によると勝ち組とされる人の負け組に対するいたわりがなく、負け組とされる人々は強い挫折感を感じさせられてしまう。。。。云々と分析されている。
しかし、「勝ち組・負け組」って言葉はおかしい。人生なんて白黒つけられるものじゃない。成功も失敗もそんなものもない。芸能欄に目を移すと「小柳ルミ子に26歳下の新恋人」の文字。彼女も離婚したばかりの時は取り乱して相手の悪口ばかり言って醜態を曝け出して、「何度もビルから飛び降りて死んでしまおうと思った」とも言っていた。人間はどんなに失敗しても傷ついても必ず再生の道はある。もっともその道を見つける気苦労が面倒になって死を選んでしまうのだろうけれど。「毎日がただ幸せ」なんて宝くじに当るくらいラッキーな人か鈍感なだけではないかと思うことがある。人生なんて基本的には辛いことや面倒なことのほうが多くて甘くなんてない。だからこそBetterな状況を幸せと思えるのだろうし、飽和状態になってしまったらそれこそ価値が解からなくなって不幸になってしまう。世界一自殺率の高い日本人の不幸は色々な物を手に入れすぎて価値を見失ってしまったところからきているのではないかな。
2006年06月14日(水) |
Cat killers |
夜更けまで鳴り止まぬワールド・カップの喧騒をぬってひとり家に戻ると、ダレンと3人のブラジリアンがテレビの前で興奮気味に観戦していた。この時間になるとお腹を空かせてふらりと現れるトロイをフィードしていると、ブラジリアン達が一斉に「フィードするな!明日オマエの猫を見かけたら殺してやる!」と胴間声をあげた。
3人のうちのひとりは名前ではなく”ブラジリアン・ガール”と呼ばれて、細いのに肝心なところはしっかり丸み帯びているセクシーな体つきで欲望に奔放、彼女に涎を垂らす男とひょいっとベッドルームに消えてゆくようなコなのだけれど、気持ちが悪いのは彼女が一番欲しているのはダレンだということ。彼に擦り寄っては他の男性には絶対しない毒があるのに甘いような満面のスマイルを向けて、色目を使って、わたしがちょっと席を外した合間に彼の脇にピッタリと座っていたりしたこともあったし、彼女がわたしを一切無視することからもそれは明らかだった。
一度彼女が”I hate cats”と言ってトロイを足で踏み潰そうとしているのを目撃した人がいたが、「殺してやる!」はない。頭に血が上って、「トロイは食べ物をねだりに来るけど盗んだりはしない。人の食料を勝手に食べてしまうあなた達は猫よりもよほど迷惑な存在じゃない。」という言葉が口から出かかった。もう殆ど彼らが盗みを働いていることは明らかだったけれど、決定的な目撃者がいなくてオーナーのステファンも頭を抱えていた。しかし更に堪えたのはダレンが「カーペットを汚しちゃうからフィードしちゃだめだよ」と言って彼らの前でわたしの味方をしてくれず、ブラジリアン・ガールの勝ち誇った顔にすっかり見下された気がしてしまったことだった。彼がそう思っていることは以前聞いたし、それは二人きりの時に言えばいい。それくらいのデリカシーはないのかと不信感でいっぱいになった。
次の日トロイはやってこなくて、不安になってうろたえたけれど、その翌日また蚊の鳴くような小さな声でなきながらふらりと現れた。そっと抱き上げたら涙が出そうになった。ブラジルが負けてしまったら彼らは腹癒せにトロイを殺してしまうのではないかと恐くなって、しばらくはここに来ちゃダメと言い聞かせた。
2006年06月12日(月) |
日本 VS オーストラリア |
仕事帰りのダレンと初めて「待ち合わせ」をして、ワールドカップ 日本VS オーストラリアを観戦すべくレッド・ワインを携えて友人宅へ。みんな続々と仕事を終えてやってきてはスポーン!とワイン・コルクの抜ける音がする。パーティの始まりは愉快。オージーの旦那さんがわたしのことも考慮して腕を振るってくれたスパゲッティ・マリナーラとグリーク・サラダをもりもりと平らげて、落ち着いたところで野良猫の溜まり場のようにゴロゴロとソファに転がり込んで観戦。国籍もまだらなところで、誰がどちらを応援するかというのも、ここに住みながらどれだけここに愛着を持っているかというのが出て面白いところ。サッカー選手の批評も。
「オージー選手、みんな顔が田舎くっさいな〜。」
「川口はスピリットがクールなんだ。」
「中田ってカッコつけてるよね(でもカッコいい!!とはわたしの声)。」
ダレンは女の子達から「デイビッド・ベッカムよりハンサム」との誉れをもらっていたが、っていうかダレンのほうが100倍インテリジェントな顔してるわよぉ。。ブツブツ。。と端っこで呟いた。
頑張って早起き。それでも迎えにやってきたアレックスを待たせながら朝のコーヒーを啜り、出発!今日はクリスチャンの彼が日曜の朝に通っている”Church”に連れて行ってもらうことになっていたのだ。チャーチといったら静かに祈りを捧げるところを思い浮かべるけれど、彼の通っているのは学生が歌って踊って騒いでいる大学内の講堂のこと。
わたし達が出会った場所でもある懐かしのカーティン・ユニへ。あぁ、いたいた、溢れんばかりのエネルギーを放っている若者達。エレクトリック・ギターの伴奏に合わせて唄われる聖歌。活発なメロディとは裏腹に贅沢とはいえない、どちらかというと苦痛や貧困を基盤として神様がそこから救ってくれるといったような詩に、自分の生い立ちを重ね合わせては違和感を感じつつ、ただただ傍観した。
スビアコのカフェでランチを摂って、最近彼が引っ越したばかりのCOMOの家を見せてもらうことに。
うわぁ〜、ビューティフル!!リバー・ビューのスタイリッシュなアパートメント。午後の陽射しが差し込む暖かい部屋でソファーにごろごろと寝転んで、アレックスのエレクトリック・ギター・ライブを旁聴。なんて心地いい時間の流れ方なのだろう。出会った頃は貧乏学生で、勉強とチャチなギター一本で暮らしていた彼も今では立派なギターを5本も揃えて、こんな家に住めて、少しベターな車に乗って、美味しいレストランに結構豪快にお金を落とす。男の子は成長が面白い、と弟を見守る姉のような気持ちになった。しかし、わたしは相変わらずのらりくらりね。
陽が落ちる頃、スワン・リバー沿いのサイクル・パスを歩きながら沢山沢山夢を語りあった。何度もGood byeを言ったわたし達がまたパースで一緒に過ごしているように、どこへ流れていくのか解からないお互いの未来のために、この景色はしっかり記憶に焼き付けておこう。
「本音と建てまえ文化」の中に生きる男性のアプローチの仕方などにどうしてもむず痒くなってしまって、そして欧米人男性のより動物に近いシンプルな感情表現が好きで、日頃はあまり日本男児など視界に入っていないのだけれど、付き合いたてのダレンにも"Up to you"を連発されている今、ふと「黙ってオレに着いて来い!」的な言動が恋しくなってしまう。5回に1回くらいは強引に引っ張ってくれたら胸がキュンとなってしまうのではないかと思うのだけれど。
そんなことを考えつつ日中をやり過ごし、よし、こんな時はヤツに会いに行こうと、夕方男臭い男の中の男!といった感じのコリアンの友人宅へ向かった。が、外ではそんな彼も家の中では若い若いGFの尻に敷かれて大人しく皿洗いをしていましたとさっ。
夕方の散歩の途中、覚えのない番号からの電話を取ると懐かしい声がした。マーティンからだった。"How have you been?"と言われて、再会した友達の話や今年のパースの冬は天気に恵まれていること、再訪したレストランの様子などを話した。彼に新しいGFやそれらしい人などいないことは容易に想像ついたから、新しいBFのことなどは言わないでおいた。
わたしは彼と違って奥手なんかじゃないから、「新しいBF」なんてすぐに出来てしまう。けれど、新しい出会いに対する歓喜よりも、彼との別れの辛さのほうがよほど莫大で、そしてそれはきっと彼も同じで、ただただ少しずつ沢山のすれ違いを起こしてこうなってしまったことが切なくて、電話を切ってぽろぽろとこぼれる涙を止められないまま歩いた。
「アンタ、何泣いてるの!」という声に驚いて振り返ると、わたしが影で"オバチャン"と呼んでいるその名の通り近所のギリシャ人のオバチャンのヘレナがいた。ヒステリックでせっかちだから、みんなその勢いに恐れおののいているけれど、話してみればそう悪い人間じゃない。何でもかんでもずけずけと聞いてくるのだが、それは無神経だからといった感じではなく、わたしがBFと別れてここにひとりで戻ってきたのだと話した時など、悲劇の映画の世界に浸ってしまうように何故別れたのかとか、悲しいかとか、あれこれ聞かれて、その悪気の無さに力が抜けて何もかも喋ってしまったくらいだ。そして慰めてくれるのかと思いきや、「アンタはLazyよ。何年も家にステイして家事だけやってたなんて!アタシなんて何十年も休まず外で働いてるわっ。でも、あれね、アンタは養ってくれる新しい男を見つけなきゃね。アンタにはそれが一番ね、何せLazyなんだから!」と言い放った。こちらも負けじと"What!! I worked too hard at home!!"などと言い返して、いつも彼女と会うとこんな具合に言い合いがあって血の巡りが良くなった。
「男ね、アンタを泣かしたのは!Oh no, men always make problems. アタシの娘もアンタと同い年よ。男にふられて一年間泣いて過ごしたわ。」と言いながら抱きしめられて、その小柄な体型が日本の母とそっくりで、すっかり張り詰めていた力が抜けて号泣してしまった。それでもせっかちなヘレナは泣き止むのを待ってくれず、さっさと腕を振り解くと、また憎まれ口を叩きながら去っていった。母は強し。その小さいのに逞しい背中に少し勇気付けられた。
夕方にふらりと遊びにきたリサとあてもなく夜のシティを散歩した。彼女が数年前から旅先で弟のために買い集めたTシャツコレクションのこと、ここにいても依然噂好きの日本人社会のこと、そしてヨーロピアン男の考え方などについて話しながら。彼女の見解とダレンの言動がピッタリと噛みあっていて、そしてそれはわたしにはどうしても出来ない考え方で、日頃は先進国同志じゃないと軽く付き合えるような感覚だった二人ともが少し遠い国の人に思えた。パブの前で突然リサは立ち止まり、「いい?ここにお気に入りのバーテンダーがいるの。ちょっと長髪の黒髪よ。一瞬ちらりと見て通り過ぎるからね。」と言ってひとつ深呼吸をしてただでさえ長い脚で足早に歩き始めた。わたしは端から追いついて行く気もなく、ガラスに張り付いてどれだ?と眺めていて腕を掴まれ引きずられた。リサは"弱くしたアントニオ・バンデラス"と表現したわたしを遮って"強くしたジョニー・デップ"だと言い張った。「電話番号渡した?」と尋ねると、「彼の友達がわたしを気に入っているからそれは出来ないわ。わたしの人生はいっつもこうよ。」と嘆いていた。
リサの家とわたしの家のちょうど中間地点まで一緒に歩いて頬を三回合わせて別れた。
2006年06月05日(月) |
Smile! Smile! Smile! |
信号待ちでふと目があった男の子が"Hi How are you?"と言ってニッコリと笑った。真っ白な歯の整った口元で太陽のように眩しい笑顔。一瞬にして幸せを別けてもらったような気持ちになって、あぁ、だからわたしはここが好きなんだと思った。
朝から晩までここには笑顔が溢れている。空気感染のように笑顔が笑顔を呼んでいるのだろうな。
本当は日本でも道の途中で目が合った人にニッコリ笑ってHi!と言いたかった。けれど日本語にはHi!やHello!のような適度に軽い言い方がないし、それをやる習慣がないから、特に異性には勘違いされてしまうようなことがあって、すっかり怖気ずいた。これを堂々とやってのけるオバチャン達は一番ガイジンに近いのでしょう。それでもこれはどうしても日本に持って帰りたい習慣だ。だって笑顔を交し合ったらお互いに気持ちがいいものねっ。
2006年06月03日(土) |
新しい風景、なのに、、、 |
まだパースに未踏の地が沢山あるダレンの休日はアクティブ。眠たい目をこすりながら電車に乗ってフリーマントルへ出かけた。マーティンとはあまり電車で出かけることがなかったせいか、車窓から確かに見たことのある風景も真新しいものに思えて、少しの心細さと冒険心の入り混じった複雑な気持ちになった。
港から閑散とした冬のビーチへトンネルを抜けて、持ってきたランチを広げてピクニックをしながら足を冷たい海水に浸した。あっちへ行ってみようとダレンが指差した埠頭を目指して歩いていくと急に胸が詰るように苦しくなった。そこはマーティンが初めてのデートに選んだ場所だった。またわたしは同じことを繰り返してしまうのではないかという根拠の薄い、それなのに妙に大きな不安に駆られて、ただとぼとぼとダレンの後ろを歩いた。その後アート・ギャラリーやミュージアムを巡っても、夢中になってわたしの存在を忘れてしまうダレンの背中がマーティンと重なってしまってすっかり無口になってしまった。
日が暮れた頃、カフェの立ち並ぶ通りを駅に向かいながら、お腹がすいたというわたしに突然ダレンが皮を剥いたマンダリンを渡すので、驚いて泣きたくなってしまった。ヨーロピアン男なんてみんなこんなんなのかなと思ってみても胸に立ち込めたもやもやが取れなくて、すっかり臆病になっているのにそんな人しか好きになれないことに諦めのような脱力感を持った。
会社に行かなければならないダレンがドタバタと走り去った後の静まり返った部屋でたっぷりもう2時間眠りこけてからよろよろと起き上がると、ふと机上に無造作に置かれた数枚のカードに目が留まった。イギリスにいる両親や親戚から先月の彼のバースデーに届けられたもの。たくさんの"Love"の文字。あぁ、やっぱりこの人は愛され慣れているのだ、と人間関係に対するシンプルさや、真っ直ぐなところを思い返して愛しく思った。
夕方に"Do you miss your parents?"と尋ねてみると"Yeah, sometimes."という答えが返ってきて、きっとわたしと同じような平凡な家庭で親に愛情を注がれて育ってきたのだと安堵した。